2024年10月17日木曜日

【単独インタビュー】『Cloud クラウド』黒沢清監督が念願の銃アクション映画で実践した技術 | Fan's Voice | ファンズボイス

【単独インタビュー】『Cloud クラウド』黒沢清監督が念願の銃アクション映画で実践した技術 | Fan's Voice | ファンズボイス

【単独インタビュー】『Cloud クラウド』黒沢清監督が念願の銃アクション映画で実践した技術

黒沢清監督が主演に菅田将暉を迎えた最新作『Cloud クラウド』が9月27日(金)に全国公開されました。

東京の町工場で働きながら副業で続けてきた転売の"仕事"が軌道に乗ってきた吉井良介(菅田将暉)は、工場を辞め、郊外の湖畔に一軒家を借りて、恋人の秋子(古川琴音)と新しい生活をスタートさせる。地元の青年・佐野(奥平大兼)をバイトに雇い、経営も順調と思った矢先、吉井の周囲で不審な出来事が続くようになる──。

世界的に社会問題となりつつあるネット社会の闇に、無自覚なままに身を投じた若者を巡るサスペンススリラー。ジャンル映画の名手として世界的に高い評価を得る黒沢清監督がアクションに挑戦した作品としても注目されました。

主演は若き名優として引っ張りだこの菅田将暉。共演には古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝など個性的な実力派が顔を揃えました。

第81回ベネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門でのワールドプレミア後、アカデミー賞国際長編映画賞日本代表にも選出された本作。日本公開に際し、黒沢清監督がFan's Voiceのインタビューに応じてくれました。

© Foto ASAC

──ベネチア国際映画祭でのワールドプレミアの反応も素晴らしかったですね。ベネチアは『スパイの妻』が銀獅子賞(監督賞)をするなど、黒沢監督と縁が深いと思いますが、何度目の参加だったのですか?
実際に参加したのは4回目だったと思います。3年前の『スパイの妻』は、上映はされましたが、コロナ禍もあり僕は参加していません。なので、実際行ったのは4回目、映画は5本目でした。

──ベネチアの観客は映画への情熱がありますし、反応も温かいですよね。
夜中の上映だったので、どれくらいの観客の方が来るのか、不安もありました。半分も席が埋まればいいなと思っていたら、1000人くらいの会場がほぼいっぱいでした。上映前のレッドカーペットは、菅田さんがいらっしゃっていればまた違うのですが、今回は僕だけでしたので寂しいレッドカーペットになるだろうと思っていたら、5人、10人とかではなく数百人のファンの方がサインや写真を撮るためにワッと来てくれました。こういうことは日本ではあまりないので、感激するものですね。この方たちのためにもまた新しい映画を撮ろうという気になりましたし、非常に励ましになりました。

© Foto ASAC

──今回、念願だったアクション映画を撮って達成感はありましたか?
日本でできる範囲では、相当頑張れたという自負はあります。スタッフと俳優とが一丸となって頑張って工夫すれば、本物ではないですけれども、おそらく、外国の銃社会に生きている方が見ても遜色のない、嘘っぽいと思えないようなものになっただろうと思います。

──大きな劇場で観ると、音の迫力が素晴らしかったですね。銃撃戦のシーンの音も、あれがリアルなのだろうなと思いながら見ていました。今回、音にどのようにこだわられたのですか?
まずこれは大きく言うと、アクション映画というジャンル映画に相当するものを作ろうというところから始めています。そういう映画を一番簡単に作ろうとするなら、アクション映画風の音楽をガンガンつければいい。けれども、それはしたくないという強い意志がありました。ですから、アクション映画というジャンル映画にしては、それらしい音楽はありません。特に今おっしゃられたような最後の戦闘シーンだとかには、ほとんど音楽は使っていません。

その分、実際その場で起こっていることを表現する音、つまり銃声や工場の機械音、人がうごめく音とか、さまざまな音を使っています。ほとんど生で録った音です。実際の音をなるべく効果的に、あるものは強調し、あるものは敢えて消したりして、生音でどれだけ臨場感が出せるのかやってみました。映画を観ていただければわかるように、アクションと言ってもカッコいいスマートなアクションとは全然違う、ごく普通の人によるぎこちない戦いです。本来暴力と無縁だった人による泥臭い死闘といった感じのアクションですね。そういう何か引き返すことのできない、ヒリヒリした、ある種の絶望が漂うアクションみたいなのを、音楽に頼らない音で表現できたらなと思い、あのようにしました。

──"生音"とおっしゃられましたが、同録で録っていたのですか?それとも、どこかで録ってきたものを、効果音として入れたのですか?
実際は両方なのですが、生で録った音を可能な限り使いましたし、生で録ってはいないながらも、同じロケしている場所で実際に聞こえてくる音をさまざまに録っておいて、それをなるべく多く使いました。

──銃声もありますが、実際に銃は撃っていませんよね。
はい、本物の銃ではないですね。実は、僕は銃の音にこだわりがありまして、アメリカあたりで本物の銃を撃った音を録った音源があるのですが、どこで録音したかで響き方が全然違います。広々としたところで撃っているのか、狭いところで撃っているのか。もちろん銃の種類によっても違う。僕はそれほど詳しくないですが、本当の銃を撃っている音源を聞いて、この音でいきたいと僕が決めました。ただ、撮影現場で使うステージ・ガンの音も結構すごいんですよ。響き方とか。本物よりも撮影現場で撃ったにせものの音のほうがいいこともあり、それを使うところもありました。

──撮影用に開発されたおもちゃの銃ですか?
そうです。使っているものはいわゆるモデルガンで、撮影用に特殊に開発された弾を使います。銃本体はどうやってもプラスティックにしか見えないので、照明とかで結構工夫しています。フランスで他の映画を撮った時、本物を撮影用に改造したピストルを使ったことがあります。怖いですね。弾は出ないのですが、ものすごい音がします。

──本物の銃は実際に重みもありますよね。
一つ付け加えると、そういうシーンで一番心がけたのが、拳銃は特殊なものなので、撮り方も特殊──つまり「ジャーン!こんなものが出ました」となってしまいがちですが、僕は極力特殊なものとして撮りたくなかった。だから、変な言い方かもしれませんが、アメリカ映画に習いました。アメリカは、本物の銃がその辺にゴロゴロある世界ですから、銃が登場するのは普通なことです。拳銃を撃つといっても、別にそれは特殊なシーンではない。必然的な、リアルな状況です。銃が出たからと言って何も驚くことはないということを肝に銘じながら撮影しました。

──そうした銃撃シーンへの観客のリアクションはどう受け止めていますか?
リアルだったという意見はいただきました。アメリカ映画や韓国映画ではもっと派手なことをやっていますが、日本でああいうシーンを撮るのは大変だという事実はあまり(観客には)わからないと思うので、その苦労は伝わらないかもしれません。でも、僕としては、リアルだったと言われるのがある意味一番嬉しいですね。ヤクザとか警官ではない、暴力とは縁がないような普通の人が、もし拳銃を握ってしまったらどうなるかという。俳優が真剣に演じてくれたのが伝わったのだと思います。

──アメリカに行くと、警官は大きい銃を腰に下げているので、実物はこんなに大きいんだと驚きます。ベネチア映画祭でも入口の検問所に機関銃を持っている警官がいますね。
本当に、国の違いを感じます。フランスでもイタリアでも、警官が明らかに銃を持って威嚇するように立っていますが、日本の警官は持っていても絶対隠しますよね。僕たちにとっては撮影の小道具が、現実に目の前にあるって見せつけられるというのは、相当怖い状況です。

──日本は銃規制が比較的厳しい国ですが、数年前に安倍元首相が手作りの銃で暗殺されたという驚くべき事件もありました。そういう意味での銃のリアリティに関して、何か思うことはありましたか?
(犯人が使用した)あの銃というか武器は、自分で作った非常に特殊なものですが、あの事件は、日本でもこういうことが起こり得ることを証明してしまったわけです。世界に出回っている銃火器のようなものも日本にあると聞いていますが、実際にそれを生で見たことは僕は幸いありませんから、具体的にその恐ろしさを今のところ感じてはいないですね。

──アクションシーンの撮影について、マイケル・マンやスティーブン・スピルバーグ監督を参考にしたそうですが、撮影監督どのようなプランを練ったのでしょうか?参考にした作品はありますか?
今おっしゃられたマイケル・マンなどの名前は出しましたが、特にこれをこう見てくれと具体的に作品名を出した記憶はありません。ただ、先ほど申し上げたことは、カメラマンにもお願いしました。つまり、銃が出てきたからといって、ものすごく特殊な設定だとは思わないで欲しいということ。まず、フォーカスを銃に合わせなくていい。どうしても銃が登場するとフォーカスを銃に向けがちですが、いや、フォーカスは顔でいい、と。銃がフレームから切れたって構わない。つまり、拳銃中心の画作りをする必要はない。

ただ、銃は実際はプラスティックのニセモノですので、金属に見えるように照明は工夫したいという話はしました。日本映画では、刀の場合は結構照明でギラッとさせたりするのですが、拳銃が出てきたときにはほとんど無頓着で、ニセモノであることが丸わかりだなと思うことが結構あります。なので、照明で少しでも本物のように見せたかった。

──どのような照明にするのですか?
言うのは簡単ですけど、難しいです(笑)。誰かが拳銃を取り出した時に、どこかがキラッと光るように照明を当てる。小さな照明を使って拳銃を狙いながら光を当てたりもしました。

──ピンポイントに当てるということですか?
拳銃を持った俳優は動いていますが、照明でそれを追いかけ、拳銃のどこかが必ず光っているようにする、みたいな。

──これは黒沢監督が考え出した照明のスタイルですか?
照明の永田ひでのりさんが相当頑張ってくれました。マイケル・マンは必ずやっています。

──マイケル・マンは、それこそ本物にこだわることで有名ですね。例えば、1930年代の伝説の強盗ジョン・デリンジャーを描いた『パブリック・エネミーズ』(09年)の撮影時にはクラシックカーを100台集めたとか、そういう逸話もいろいろある監督です。その本物主義をクリストファー・ノーランが踏襲していたりする。"本物"に対してのこだわりはどうでしょうか?
僕は逆ですね。本物を使うなんて端から無理だという前提があるからですが。偽物を本物にどうやって見せるかが映画作りの楽しさであって、本物を持ってこられても、正直興ざめしてしまう。セットもまさにそうですね。ハリボテなんだけど岩に見えるとか、そういうことは伝統的にやってきた。

──"アメリカの夜"的なことにむしろ魅力を感じるわけですね。
はい、僕は感じます。例えば、停まっている車をどうやって走っているように見せるのかという撮影は楽しいですね。

──ノーランのように本物の旅客機を爆発させることとかにはあまり興味がない?
やっていいというならやってみたいですが、やれないですよね。そういうことは無理という前提から出発しています。

──菅田将暉さん始めスタッフの方々は、黒沢監督は銃の扱い方が上手いとおっしゃっていたそうです。それはどういうことなのでしょうか?
僕は本物を知りませんが、おもちゃの銃は持っていて、扱い方はおもちゃも本物も多分一緒。やったことがない人にはちょっと難しいと思いますが、僕はおもちゃのピストルみたいなものを小さい頃に持っていたので、扱い慣れていて、ガチャガチャといじれますという、それだけのことです。多分、僕がいじっているのを本物を知っているアメリカ人が見たら、全然違うよという可能性はありますね。ただ、おもちゃに親しいというだけです。

──先ほどマイケル・マンの話をしましたが、スピルバーグに関してはどういったアクションシーンがお好きでしょうか?スピルバーグの映画には、マイケル・マンのようなスタイリッシュな銃撃戦はありませんが、僕に言わせると、銃器による殺戮とか、銃器の持っている恐ろしさみたいなものを、時として本当に強烈に出してくる。すぐ浮かぶのは二つの映画ですね。一つは『シンドラーのリスト』(93年)。銃はぞんざいに人を殺してしまうもの、あっけなく人を射殺してしまう凶器だということが、嫌というほど見せつけられた映画だと思います。ちなみに、『Cloud クラウド』で、岡山天音さんが撃たれて死ぬシーンですが、岡山さんに『シンドラーのリスト』のユダヤ人の女性が射殺されるシーンを観てもらいました。その死に方が実に良かったので、「この死に方でお願いします」と。

もう一作は『宇宙戦争』(05年)ですね。前半に出てくるシーンでのトム・クルーズの拳銃の使い方が本当に好きです。トム・クルーズが一丁の拳銃を持って家族と一緒に逃げるのですが、逃げようとしたら民衆に囲まれてしまい、拳銃を空に向かって撃つ。そうするとワーっと人が集まってきて、その拳銃は一旦奪われて、地面に落ちてしまう。で、一家はすぐ脇のファミレスみたいなところに入ってほっと一息していると、その外で、さっきトム・クルーズが落とした拳銃を握った男が撃ち始めるんですよ。民衆を殺戮し始めるのが窓の外に見える。あれは強烈でした。だから一丁の拳銃が、家族を守るのにも使われ、同時に人々を殺戮するのにも使えるということを、一つのシーンで見せ切っています。

──"落とした拳銃"は『Cloud クラウド』でも引用していますね。
そうですね。いくつかのシーンで。何気なく落とした拳銃を拾ったり、落ちた拳銃は必ず何者かに拾われることになったり。

──拳銃の種類は様々あります。日本においてリアリティのある銃では猟銃があるわけですが、その混合はどのように考えたのでしょうか?
ギリギリのリアリティの中で、都合よく混ぜて使っています。おっしゃるように猟銃は免許があれば使えるものなので、この殺戮を開始しようとした一人である荒川良々さん演じる会社の社長は、元々持っていた猟銃を使います。一方で、反撃する奥平大兼くんが演じる佐野は、何らかのルートで不法な拳銃を仕入れてくる。ギリギリ嘘ではないであろうという中で、日本でもありうるだろうという銃火器を都合よくいろいろと出しています。

──奥平さん演じる佐野というバイトは、黒沢映画的な存在でもありますが、佐野というキャラクターはどのように生まれたのでしょうか?
佐野は一番狙って作った役ですね。ズバリ一言で言うと悪魔なのですが、もちろんリアリティの観点から言うと、ヤクザ的なものに所属していたのだろうと想像はできます。主人公にあくまで協力して手助けして、最高の幸福と最高の不幸を同時にあげますよという。

──喪黒福造的な?
そうですね。悪魔的な存在というか、実在はしないでしょうが、物語の中には出てくる、そういう役だと思います。ということで書いたのですが、奥平君がほぼ新人に近い方なので、それをきちんと理解できるのか、結構ドキドキしました。ただ、キャスティングの狙いとしても、最初から「この人怪しいぞ」と思わせたくない。なので、ほとんど無名の新人に近い人が理想だと思っていたので、思い切って奥平くんにお願いしました。彼も自分が何をやっているのか半分はわからなかったかもしれませんが、底力のある方ですね。なんかサマになりましたよね、最終的には。なんだかほとんどわからないけれど、主人公をとんでもないところに誘い込んでいるという感じが、だんだんとしてくる。最後、主人公を連れて車を運転しているところは堂々としていますよね。

──脚本を書いている初期段階から、キーパーソンとして考えていたキャラクターですか?
はい、完全に。かなり最初からありました。誰が演じるのかな、難しいな、と。

──通常、個性派の、キャラの強い人をキャスティングしがちな役ですよね。
はい。仲野太賀さんとかが演じるとびったりはまって、やっぱりか、となるところでしょうが、でも、そうではない。そういう予測のつかない方で行きたいというのが今回のポイントでした。

──主人公の吉井を演じた菅田さんは素晴らしい俳優ですが、実際に一緒に仕事をしてみて、どこに俳優としての彼の魅力を感じましたか?
本当に良い俳優です。主に、二つの点ですね。一つは、吉井は見てお分かりのように、イケメンのカッコいい菅田将暉ではなく、どこか薄汚れた、無造作に無精ひげを生やした濁った人間です。でも、その感じがぴったりはまる。若くてカッコいい今どきの俳優でありながら、あんなにくたびれた濁ったキャラクターが様になる若手俳優は他にいないのではないでしょうか。彼がもともと持っているアンバランスさからくるのかもしれません。それは何かと言うと、声と見た目のアンバランスさ。見た目は鋭く、顔つきも尖っているのに、喋り方はすごく低い声で、柔らかいですよね。独特な濁りを生み、あの人何者なんだろうという感じを出せるのでしょうね。もともと菅田さんは素晴らしいであろうと予想していましたが、実際に本当に上手い。

今回、"普通の人"という非常に演じづらい役をお願いしたのですが、普通の人の特徴の一つは、すべてが曖昧ということ。"いいよ"と言っても半分は嫌だなと思っている、わかりましたと言っても半分は困ったなと思っている。例えば、映画の最初の方のシーンで商品が売れますよね。PCをじっと見ていて商品が売れて、"やったあ!"と言うとわかりやすいですが、吉井の場合は、喜び半分で、本当にこれでいいのかという不安半分みたいな感じ。そういう反応の曖昧さ、両義性みたいなものを、菅田さんは的確に演じられる。下手な俳優に"曖昧にしてくれ"とか"イエスかノーかわからない感じ"とか注文をつけると、単に無表情になる場合が多い。でも菅田さんは、ハッキリと分かりやすい曖昧さみたいなものが出せる。"この人はどっちつかずなんだ"とか、"イエスとノーの中間なんだ"みたいなことを、正確に演じる。あれはすごい力ですね。振り切った芝居をできる人は結構いますが、その真ん中を演じるというのは、若い俳優ではなかなかできない。見事でした。

──転売屋の兄貴分だった村岡を演じた窪田正孝さんも、恐ろしくダークな役を見事に演じていらっしゃいました。
窪田さんは役と違って本当に陽気な方で、菅田さんと好対照でした。撮影現場では本当に気持ちの良いくらいにハイテンションで、みんなに愛嬌を振りまいて、場を盛り上げる方です。菅田さんはどちらかというと大人しい。窪田さんに関しては、現場でのあの陽気な感じがあまりに強烈で、印象に残っています。でも、俳優としてはさすがに上手い方でした。僕と仕事をするのは初めてなのに、よくこんな悪役を受けてくれたなと、窪田さんには大変感謝しております。

==

『Cloud クラウド』

監督・脚本:黒沢清
主演:菅田将暉
出演:古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝、赤堀雅秋、吉岡睦雄、三河悠冴、山田真歩、矢柴俊博、森下能幸、千葉哲也、松重豊
製作幹事:日活、東京テアトル

日本公開:2024年9月27日(金)、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
配給:東京テアトル、日活
公式サイト
©2024 「Cloud」 製作委員会

ナン・ゴールディン - Wikipedia

ナン・ゴールディン - Wikipedia

ナン・ゴールディン

ナン・ゴールディン(Nan Goldin 1953年9月12日 - )はアメリカ合衆国の写真家・活動家。1970年代のニューヨークで性的マイノリティのコミュニティに自ら加わり、その日々の生活を撮影・記録した作品で注目を集めた[1]。美術行政のありかたへの抗議を行う活動家としても知られ、現代アーティストとして最も大きな影響力をもつ1人とも称される[2]

来歴

幼年時代と放浪生活

ナンシー・ゴールディンは1953年9月12日に首都ワシントンDCの中流家庭の家に生まれる。両親は比較的リベラルな思想をもっていたとされるが、ゴールディンが11歳のとき姉のバーバラが死去[3]。母親との関係や自身の性的志向を苦にした自殺といわれ、ゴールディンも不遇な幼年時代を過ごしたのち14歳で養子縁組に出されている[3]

これを機にゴールディンは高校を中退して各地を放浪したのち、ドラァグクイーンなど性的マイノリティの人々と親密な関係を築いてボストンで同棲生活を送るようになった。18歳のころ友人からカメラを贈られ、周囲の知人たちのポートレートを撮影し始める[4]

性的依存のバラード

当時1970年代のアメリカはスタジオで精密に設計されたファインアート写真が主流だったが、ゴールディンはこの潮流にまったく背を向け、自らの日常生活でもとくに荒廃した部分にことさらカメラを向けるドキュメンタリー的な作品を撮るようになった[5]

1973年、20才のとき東部ケンブリッジで最初の個展を開いたのちはコンスタントに作品を発表しつづけ、とくに身辺の人々を長期間追った《性的依存のバラード (The Ballad of Sexual Dependency)》(1978)[6]は美術評論家や美術メディアでも真剣な議論の対象となり、ゴールディンの知名度を一気に高めることになった[5][4]。この頃ゴールディンは男性・女性の恋人たちと関係を結んでは別れ、撮影費を捻出するためときとして自ら売春すら行う生活を送っていたが[7]、それらは彼女の作品に克明に記録されてゆくことになる[8]

こうした彼女の写真は、露悪的な日記にすぎず芸術とは呼べないとする強い批判も浴びたが、一方で、芸術と実人生との関係を全く新しい手法で描く画期的な作品として大きな注目を集めるようになる[5]。1980年代には、ゴールディンの作品がニューヨーク近代美術館ホイットニー美術館など主要な美術館に購入・展示され、さらにヨーロッパでも声名が高まって個展がたびたび開催されるようになった[9]

このころも自らの身辺を包み隠さず記録しようとする作風は変わらず、1984年には、交際相手の男から激しい暴力を受けて頬骨陥没など重症を負った自らの姿にカメラを向け、後に『Nan』と題する写真集にまとめている[4]

声望の高まり

90年代に入るとゴールディンは世界的に高い評価を受けるようになり、1990年にマザー・ジョーンズ・ドキュメンタリー写真賞、1991年にティファニー財団章などを受賞したほか、作品展がアムステルダムやマドリード、パリ、ベルリンを巡回した。これと期を同じくして欧米ではエイズの拡大が社会問題化し、ゴールディンの周囲でも友人・知人の多くがエイズで命を落とした[10]

ゴールディンは彼らにもカメラを向けて多数の作品を残したほか、1995年にはイギリスのBBCで『私はあなたの鏡となる (I'll Be Your Mirror)』と題するテレビ番組を制作。性的アイデンティティや薬物依存の問題とエイズ禍への理解を訴えて、ゴールディンは社会活動家としても注目されるようになった[10]

90年代後半から2000年代初頭にかけて、ホイットニー美術館やロンドンのテート・ギャラリー、パリのポンピドゥー・センターなどで相次いで大回顧展が開催。ファッション雑誌や広告キャンペーンでも活躍し、これと平行してハーバード大学でも写真論の講義を担当している[5]

美と殺戮のすべて

ゴールディンは主要な写真賞を受賞、フランス政府から叙勲を受けるなど「現代の最も重要な写真家の1人」という声望を確立するが[2]、2010年代になって、アメリカで広く普及したオキシコンティンなどの鎮痛剤をめぐる薬害事件がおきると、ゴールディンがこの薬の常用者として被害を受けていることが明らかになった[11]

製薬会社の創業家サックラーは世界各地の主要美術館に巨額の寄付を行って、欧米の美術行政に深くかかわる立場にあったため、ゴールディンは新たに市民団体を設立。自身の展覧会開催や作品売却を拒否するなどの抗議を通じて、美術館側にサックラー家との関係清算を強く求める活動を行った[12]

結果的に、こうした活動ののち主要美術館はサックラー関係企業からの寄付受け入れを中止、たとえばメトロポリタン美術館に長く置かれていた「サックラー・ウィング」などの名称も撤回された[13]。この間の活動はゴールディン自身が製作に協力した映画『美と殺戮のすべて』(2022)に描かれている。

エピソード

  • 1994年には日本を訪れ、東京のアンダーグラウンドの若者たちを撮影。荒木経惟の写真と交互に並べた写真集、『TOKYO LOVE』を発表。渋川清彦笠井爾示などがモデルとして登場している[14]
  • 自ら監督・出演したドキュメンタリー番組『私はあなたの鏡となる (I'll Be Your Mirror)』は、日本では「第2回アート・ドキュメンタリー映画祭」で上映された。

語録

  • (姉、友人達の死からの影響について)「完全に私の人生を変えた。人生の中で、写真を撮る中で、私は常に彼女との間にあった親密さを探している。それから、友人達のことも考える。姉の死は、もっと抽象的なものだった。象徴的といってもいい。一方で友人達の死は、とても現実的で、計り知れない遺産を私に残してくれた。そういうわけで私は写真を撮るの。とっても多くの人たちが、ひどく恋しくて仕方ないのよ」(作家デニス・クーパーによる1995年のインタビュー"The Ballad of nan goldin")」[15]

脚注

  1. Guido Costa, Nan Goldin (Phaidon Press, 2010)
  2. ^ a b "Power 100" (英語). artreview.com. 2024年5月10日閲覧。normal
  3. ^ a b Kozloff, Max. "The Family of Nan." Art in America 75:11 (November 1987): 38-43.
  4. ^ a b c Kort, C. (2015). goldin, Nan. In C. Kort & L. Sonneborn, A to Z of Women: American Women in the Visual Arts (2nd ed.).
  5. ^ a b c d Jonathan Weinberg, Fantastic tales : the photography of Nan Goldin (The Pennsylvania State University Press, 2005)
  6. "ナン・ゴールディン「性的依存のバラッド」シリーズ1分でわかる「LOVE展」~アーティスト&作品紹介(3) - 森美術館公式ブログ". www.mori.art.museum. 2024年5月10日閲覧。normal
  7. Zuckerman, Esther (2022年11月16日). "Nan Goldin and Laura Poitras: Two Artists, One Devastating Film" (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2024年5月15日閲覧。normal 
  8. ^ "Bleak Reality in Nan Goldin's 'The Ballad of Sexual Dependency'". The New York Times. 2024年5月15日閲覧。
  9. ^ goldin, Nan. (2018). In P. Lagasse & Columbia University, The Columbia Encyclopedia (8th ed.). Columbia University Press.
  10. ^ a b Sophie Junge, Art about AIDS : Nan Goldin's exhibition Witnesses : against our vanishing (Berlin : De Gruyter, 2016)
  11. ^ Dargis, Manohla (2022年11月22日). "'All the Beauty and the Bloodshed' Review: Nan Goldin's Art and Activism" (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2022/11/22/movies/all-the-beauty-and-the-bloodshed-review-nan-goldin.html 2024年5月10日閲覧。 
  12. ^ "All the Beauty and the Bloodshed review — unmissable film on Nan Goldin vs the Sacklers". www.ft.com. 2024年5月10日閲覧。
  13. ^ Smith, Kyle. "'All the Beauty and the Bloodshed' Review: An Artist and Her Activism" (英語). WSJ. https://www.wsj.com/articles/all-the-beauty-and-the-bloodshed-review-an-artist-and-her-activism-11669238664 2024年5月10日閲覧。 
  14. ^ 『TOKYO LOVE』
  15. ^ Dennis Cooper『Smothered in hugs』p139。

関連文献

[編集]

(欧文)

  • Armstrong, David, The Other Side. Introduction by Nan Goldin. (Scalo, 2000).
  • Junge, Sophie.  Art about AIDS : Nan Goldin's exhibition Witnesses : against our vanishing (Berlin : De Gruyter, 2016)
  • Kozloff, Max. "The Family of Nan." Art in America 75:11 (November 1987): 38-43.
  • Smith, Roberta. "Art in Review: Nan Goldin." New York Times, April 7, 2006.
  • Weinberg, Jonathan. Fantastic tales : the photography of Nan Goldin (The Pennsylvania State University Press, 2005)

(邦文)

  • 笠原美智子『ジェンダー写真論 増補版』里山社、2022
  • 鈴村和成『幻の映像 : 写真とテクスト』青土社、1993

(作品集)

  • ナン・ゴールディン『YMO写真集 NOT YMO - YMO in NEW YORK』太田出版、1993年、ISBN 978-4-872-33118-9
  • ナン・ゴールディン、荒木経惟『TOKYO LOVE』本本堂、1994年、ISBN 978-4-872-33189-9
  • ナン・ゴールディン『悪魔の遊び場』ファイドン、2005年、ISBN 978-4-902-59303-7
  • 『ナン・ゴールディン写真集 : The other side』植田可子訳、フォトプラネット、1993

外部リンク

[編集]

三人の父へ―アレクサンダーペイン『ホールドオーバーズ』 その2|眠り猫

三人の父へ―アレクサンダーペイン『ホールドオーバーズ』 その2|眠り猫

 本作が、マルセル・パニョルの『Merlusse』(1935)を下敷きにしていることは、すでにWikipediaでも言及されている。クリスマス休暇中の寄宿舎学校を舞台に、嫌われ者の教師Merlusseが取り残された生徒たちの監督をし、生徒の理解を深めていくさまが描かれた映画だという。

寄宿舎学校のイエス―アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ』 その1|眠り猫

寄宿舎学校のイエス―アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ』 その1|眠り猫

寄宿舎学校のイエス―アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ』 その1

見出し画像

Ⅰ 寄宿舎学校のイエス

 1 始まり

 イエス・キリストの誕生を祝う聖歌を歌う少年たちの声が聞こえてくる。歌の合間には、指導にあたっているらしい教師の声が挟まれる。映画は、歌声で幕を開ける。

 聖歌を指導する教師は、「はじめに言葉ありき」というヨハネ福音書の冒頭の一節を口にする。イエス・キリストの誕生から死、そして復活までを描いたのが福音書である。ヨハネ福音書の引用は、映画もまた、クリスマスの時期における、イエス・キリストの誕生とその働きを描くものであることを示唆している。

 2 同僚に代わりて

 1970年冬、ボストン郊外にある、男子のみの寄宿舎学校は、クリスマス休暇に入ろうとしている。家庭の事情で生徒5人が寄宿舎に残り、その監督として、古代史の教師ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)が指名される。加えて、寮の食事作りを担っているメアリー(ダバイン・ジョイ・ランドルフ)も、ベトナム戦争で戦死した息子の思い出がたくさんあるのはこの学校だから、と居残る。

 ポールが居残りに指名されたのは、一つには、多額の寄付をした生徒を落第させたからで、もう一つは、他の教師が「母は膠原病だから」と噓をついて、休暇中に残留するのを断ったからである。

 ポールは嘘をついた教師に代わって、生徒たちの監督をするという自己犠牲を払うことになる。しかしポールは、誰もが嫌がる仕事を自分に押しつけた同僚を恨んだりはしない。同僚が嘘をついているとは知らずに、同僚に対して、その母親の健康を気遣う言葉を口にする。ポールは期せずして、イエスの「敵を愛せよ」という教えを身をもって実践している。

 3 アンガスの父に代わりて

 学校に居残るということは、食事担当のメアリーとペアで、生徒の保護者代わりを務めさせられる、ということでもある。特別手当が出るので、無償ではないものの、ポールは保護者に代わって生徒を監督することを求められるのだ。

 クリスマスは、全人類の罪の身代わりとして十字架にかかったイエス・キリストの誕生を祝うものである。クリスマスの時期に、成り行きで、同僚及び生徒の保護者に代わって自己犠牲を払うことを余儀なくされたポールは、イエス・キリストのごとき存在といえよう。

 だからといってポールは、最初から慈愛に満ちた父として、生徒たちに接するわけではない。授業で生徒に厳しい評価を下すポールは、クリスマス休暇中にも関わらず、生徒たちに軍隊のように規律正しい生活を送らせようとする。そんな中、一人の生徒の父親がヘリで息子を迎えに来る。他の生徒もスキーに連れて行ってくれるというが、アンガス(ドミニク・セッサ)の母親だけは、再婚相手と新婚旅行中で、連絡がつかない。アンガスは、生徒の中でただ一人、残留することになる。

 ポール、メアリー、アンガスの三人の生活が始まる。メアリーの作ったクリスマスディナーは、アンガスを喜ばせ、アンガスは「こんなに家庭的はクリスマスは初めてだ。ありがとう、メアリー。」と口にする(予告編の53〜55秒あたり)。アンガスの母は、自ら調理することなく、出来上がったものを届けさせていたのだ。メアリーは、アンガスの実の母に代わって、ありあわせの材料でクリスマスディナーを作るという自己犠牲を払い、彼女の愛はアンガスの心に届く。メアリーはアンガスの疑似的な母親役を務めている。

画像
クリスマスの食卓を囲む、
アンガス、ポール、メアリー

 一方、ポールもまた、メアリーの助言もあって、アンガスを気遣うようになる。クリスマス当日、街でクリスマスツリーを買って来たり、自らの愛読書であるマルクス・アウレリウスの『自省録』をクリスマスプレゼントに贈ったりして、アンガスを喜ばせようとする。

 しかし、アンガスは飾りつけのないクリスマスツリーを喜ばず、ボストンに行くことを望む。メアリーの説得もあり、二人はボストンに出かけ、街を散策するが、アンガスは一人でタクシーに乗ってその場を去ろうとする。ポールが慌てて追いかけると、実の父に会いたいという。ポールは、アンガスの父は亡くなったと思っていたが、実は精神を病んで、施設に入っていたのだ。

 アンガスは父に会って近況を話すが、話はかみ合わず、アンガスは落胆する。自分もまた、父の轍を踏むのではないか、と恐れるアンガスに対し、ポールは、父親は父親であり、君は君だ、といって勇気づけようとする。また、博物館で、ギリシャ時代から人間の営みは変わっていないことを伝え、過去の歴史から学ぶようにと力説したりもする。ポールは、アンガスを精神的にサポートし、助言・指導をする、父親のごとき役割を果たしているのである。

 4 アンガスに代わりて

 クリスマス休暇が明け、学校が元通りの活気を取り戻した矢先、アンガスの母が新しい夫とともに、学校にやって来て、ポールは校長室に呼びつけられる。アンガスが父に会いに行ったために、父はホームシックが募り、施設で暴れ、施設を変わらざるを得なくなったというのだ。アンガスは退学させられ、「陸軍学校に行かされる。」と校長室の外でうなだれ、メアリーがそっとその手を握る。

画像
アンガスに手を差し伸べるメアリー

 アンガスの母から、なぜ父に会いに行ったのか、と詰問され、ポールは、自分がアンガスに父に会いに行くことを勧めたのだ、と嘘をつく。ポールは、教師の職を失うことを覚悟のうえで、アンガスが今の学校で学び続けられるようにと、嘘をつくのだ。ポールはラストで、自らを犠牲にし、アンガスへの愛を示すのだ。当のアンガスは校長室の外におり、事の成り行きを知らない。ポールはアンガスに対して、一方的で、絶対的な無償の愛を示したといえる。

 思えば、ポールはこれまで、他者への積極的な愛ゆえでなく、成り行きから、強制的に自己犠牲を払わせられ、イエス・キリストの役を演じさせられてきた。大学生のときには、資産家の同級生が、ポールの論文を盗作したにも関わらず、論文を盗作したのはポールだと偽証したために、大学中退の憂き目にあう。ポールは同級生が犯した罪を代わりに償わされている。
 出身校である寄宿舎学校には、在学中に優秀であったために、安い給料で非常勤講師として雇われることになったが、ほかの教師が嘘をついたために、クリスマス休暇中の居残り役が回ってくる。

 寄宿舎学校のルールであり、かつ十戒の一つでもある、「嘘をつくな」という教え。同級生や同僚はこの掟を自己愛ゆえに破り、そのせいで、ポールは割を食ってきた。それが、ラストで、未来あるアンガスへの愛ゆえにこの教えを破り、自ら自己犠牲を払うことを選択する。ポールが真にイエス的な存在へと生まれ変わった瞬間といえるが、それは同時に、ポールの教師としての死を意味していることは、皮肉である。

 ポールと同じ、教える立場にあるものとして、「自分が彼と同じ状況に立たされたら、同じように行動できるか?」と自問してみる。答えは否である。普通の人間にはできない選択だからこそ、ポールはクリスマスの時期を描く映画にふさわしいヒーローなのである。

 5 もうひとりのイエス

 ポールに焦点を当てて映画を振り返ってきたが、アンガスの母に代わってクリスマスディナーを作るメアリーもまた、イエス的な存在である。
 彼女はベトナム戦争で亡くなった息子との思い出に浸るために学校に残留していたが、ポールがアンガスと一緒にボストンに行く際に、途中まで同乗して、妹の出産を手伝いに行く。そして、妹の子が男の子なら息子と同じカーティスというミドルネームにする、一生懸命働いて、妹の子供の大学の学費を貯める、という。妹の子供を息子の代わりと思って、学費を賄いきれない妹に代わって自己犠牲を払おうとするのである。

 メアリーは、愛する息子の戦死によって、絶望し、生きる気力を失っていた。メアリーという名はマリアに由来するが、その名の通り、イエスたる息子を失い、嘆きに暮れるピエタそのものであった。それが、妹の子を息子のように思い、そのために尽くそうと決意することで、人生に希望を見出し、生きる気力を取り戻すのである。

画像
ミケランジェロのピエタ(Wikipediaより)

 息子との思い出に浸りたいから、という消極的な理由で学校残留を選び、生徒とポールの食事を作り続けたメアリーもまた、ポール同様、ラストで自ら積極的に愛を示すことを決意し、生けるしかばねから復活を遂げるのである。これは、真のイエスとして生まれ変わった瞬間であるといえよう。

 6 終わり

 歌声で幕を開けた映画は、直線道路を車で運転しながら去るポールの姿にインストゥルメンタルを重ねて、幕を閉じる。イエス誕生を祝う聖歌で始まった映画は、イエスとしてルネサンスしたポールの姿を描くことで終わるのである。


 今日はここまで。長い映画レビューに最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 次回は、『ホールドオーバーズ』がどんな映画を下敷きにし、誰にオマージュを捧げているのか、について考えてみたいと思います。またお付き合いいただけると、うれしいです。

 みなさんが最近観て、面白かった映画は何ですか? イチオシ映画の魅力を、ぜひnoteの記事にして教えてください。


記事に使用した写真は、すべて『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』公式サイトに掲載されているものです。

【ホールドオーバーズ】を三幕構成で読み解く|まいるず

【ホールドオーバーズ】を三幕構成で読み解く|まいるず

【ホールドオーバーズ】を三幕構成で読み解く

見出し画像

#ネタバレ

結末まで語るので、本編を未見の方にはブラウザバックを推奨します。

ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ):頑固な古典の先生
メアリー・ラム(ダイバン・ジョイ・ランドルフ):料理長
アンガス・タリー(ドミニク・セッサ):成績優秀だが反抗的な生徒

一幕

1)1970年暮れ。真面目すぎて生徒からも先生からも好かれていないハナム先生がクリスマス休暇の居残り組の宿直担当に任命される。
メアリーの息子がベトナム戦争で殉職した知らせが届き、葬式が行われる。
アンガスの母が再婚して夫と2人でハネムーンに行くことにしたので、アンガスは土壇場で居残りになる。

2)5人の生徒とハナム先生とメアリーで暮らす冬休みが始まるが、途中で1人の裕福な家の生徒の親が迎えにきて、そのまま生徒全員でスキー旅行に行く。
1人だけ親と連絡が取れなかったアンガスは居残りを続行する。

二幕

3)アンガスが肩脱臼の大怪我をする。トラブルを避けたいハナムはアンガスの提案に乗って怪我を隠蔽する。

4)3人は事務員リディアの自宅のクリスマスイヴパーティーに行く。
ハナムは淡い恋心を抱いていたが、あっさり失恋する。
メアリーは周囲の幸せな人達に囲まれて、悲しみの感情を爆発させる。

5)翌朝、クリスマスに何か良いことをしようとハナムは考える。アンガスの希望で3人はボストンへ出掛ける。アンガスとハナムは社会科見学の体裁で。メアリーは悲しみを整理できたので、ボストンへの道中に住んでる妹と休暇を過ごすため。
ボストンの美術館でアンガスはハナムの才能を理解する。2人はハナムの学友に声を掛けられる。ハナムは現状について咄嗟に嘘をついたので、アンガスは口裏を合わせる。

6)アンガスは脱走して精神病院に収容中の実父に会おうとする。すんでのところで阻止したハナムはアンガスの希望を聞き入れて、2人で病院に行く。実父に再会してアンガスは心の整理がつく。
ハナムとアンガスとメアリーは宿舎に無事に帰って、もう一人の事務員と4人で大晦日を穏やかに過ごす。

三幕

7)新学期が始まる。アンガスの行動を知った両親が学校に抗議に来る。両親はアンガスを即座に転校させる意向だったが、ハナムは初めて保護者と学校に強く反論して、ボストン行きの責任を全て自分で被り、解雇される。

8)ハナムは荷造りして大学卒業以降ずっと25年以上暮らしてきた母校をついに去る。在学を許可されたアンガスはハナムを見送る。

FIN

画像
2023年製作/133分/PG12/アメリカ
原題:The Holdovers
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2024年6月21日

▼解説・感想:

ハリウッド式三幕構造に綺麗に当てはまりました。

一幕
 一場:状況説明
 二場:目的の設定
二幕
 三場:一番低い障害
 四場:二番目に低い障害
 五場:状況の再整備
 六場:一番高い障害
三幕
 七場:真のクライマックス
 八場:すべての結末

参考:ハリウッド式三幕八場構成

特に4場からの3人の過去と感情が順番にぐいぐい展開する脚本と演出が見事です。前半2場でアンガスが居残り組からさらに居残り組のどん底へ叩き落とす展開も秀逸ですね。

1)状況説明
2)3人だけに追い込まれる
3)アンガスの怪我→ハナムとの協力関係へ
4)メアリーの感情が爆発(慟哭)
5)ハナムの過去→アンガスと秘密の共有
6)アンガスの感情が爆発(再会)
7)ハナムの感情が爆発(反抗)
8)ハナムの魂の解放(2回目の卒業)

メアリー、アンガス、ハナムの順番で感情が爆発して、魂が救済されていくのが、観ていてとても快感でした。

それにしても余韻が強く残っている作品です。近いうちにまた観たいし、何ヶ月後か何年後かにサブスクに来たら絶対にもう一回観ちゃうと思います。

アンガス少年の、親の都合でクリスマス休暇に家に帰れないとか、親に連絡取れないから合宿に行く許可が降りないとか、まるでハリーポッターみたいで面白かったです。時代設定が1970年で、なんとなく英国っぽい雰囲気だなと思ったのですが、米国東海岸最北のニューイングランド州でした。

(了)

宮崎駿×中川李枝子【対談】『ぐりとぐら』にゴーストライターがいた? | スタジオジブリ 非公式ファンサイト【ジブリのせかい】 宮崎駿・高畑勲の最新情報

宮崎駿×中川李枝子【対談】『ぐりとぐら』にゴーストライターがいた? | スタジオジブリ 非公式ファンサイト【ジブリのせかい】 宮崎駿・高畑勲の最新情報

宮崎駿×中川李枝子【対談】『ぐりとぐら』にゴーストライターがいた?

先日、『ぐりとぐら』の出版50周年を記念して行なわれた、中川李枝子さんと宮崎駿監督の対談の模様が、週刊朝日の「dot.」サイトに掲載されています。
中川さんが手がけた『いやいやえん』など、一連の作品に強く影響された宮崎駿監督が、作品の色褪せない"魅力"を語り合いました。

幻の『ぐりとぐら』映画版 監督は宮崎駿?

宮崎:
実は『ぐりとぐら』の映画化を考えたことがあります。演出家を募り、コンテを出させ、おもしろそうな人間に信頼できるアニメーターをつけ、準備班まで作った。結局うまくいかなかったんですが。

中川:
短編の「たからさがし」はよくできていました。

(略)

宮崎:
『ぐりとぐら』といえば大きな卵。例えば「散歩に行ったら大きな卵があった」という話なら、普通は「誰の卵?」「お母さんは卵を探しているかもしれない」となるんです。「カステラにして食べちゃおう!」と発想するのは中川さんだけ。小さい子どもにピッタリなんです。

中川:
あら、そんなこと初めて言われました(笑)。なにせ目の前にいつもかわいい子たちがいる。その子たちを最高に良い状態にして眺めるのが保育者の醍醐味なんです。とにかくみんなを喜ばせたかった。びっくりさせるのも好き。ちょっと優越感持てるじゃない。

≫記事全文を読む

『ぐりとぐら』にゴーストライターがいた? 作者が明かす創作秘話

宮崎:
『ぐりとぐら』発売の1年前、『いやいやえん』が出ましたよね。大きな衝撃でした。「子どもそのものが措かれている」と。僕より7歳若いスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーも衝撃を受けています。

中川:
私、作家になるつもりはなかったんです。日本一の保母さんになって日本一の保育園をつくりたいと。ある日、たまたま新聞で岩波少年文庫の編集者だったいぬいとみこさんの記事を見て、「大好きな本を作っている人だ!」と興奮した。ファンレターを送ったらお返事をいただき、「童話のグループの集まりがあるからいらっしゃい」と。くっついていたら、石井桃子さんにもお会いできた。当時、新しい子どもの本を出版するための研究会を作っていらしたんです。で、私が同人誌に『いやいやえん』を書いたら、石井さんがおもしろいと研究会で取り上げてくださった。石井さんが編集して1962年、福音館書店から発売されました。

宮崎:
僕が『いやいやえん』に出会ったのは学生時代。一読してアニメーションにしたいと思いました。まだアニメーターになるかも決めてなかったのに。

中川:
そうなんですか!

(略)

≫記事全文を読む

ぐりとぐら
著者:なかがわ りえこ
1963年に「こどものとも」誌上で発表されて以来、日本だけでなく世界各国で愛され続けるふたごの野ネズミ「ぐり」と「ぐら」のお話。

≫楽天で詳細を見る
≫Amazonで詳細を見る

【単独インタビュー】『Cloud クラウド』黒沢清監督が念願の銃アクション映画で実践した技術 | Fan's Voice | ファンズボイス

【単独インタビュー】『Cloud クラウド』黒沢清監督が念願の銃アクション映画で実践した技術 | Fan's Voice | ファンズボイス https://fansvoice.jp/2024/10/17/cloud-kurosawa-interview/ ...