2026年8月20日木曜日

💢『日本は何も学んでない!』🇯🇵日本製鉄、暴言CEOを「沈黙」で完全論破へ→1年後、現地が日本に感謝で大騒ぎしていたw https://youtu.be/HH9L2yNxk34?si=ihunkoVDy6QfeaTz

西川寧 - Wikipedia 天国と地獄 題字

 👩‍🔧見やすく聴きやすく再編集しました!!【天国と地獄 リニューアル版】【黒澤明 監督作品】 https://youtu.be/PMJnk0aqQnE?si=uqTOW1uWGnSa8pm3 @YouTubeより

https://youtu.be/PMJnk0aqQnE?si=Unh24Uo5tRpXjcom





西川 寧(にしかわ やすし、1902年明治35年〉1月25日 - 1989年平成元年〉5月16日)は、20世紀を代表する日本書家金石学者、中国文学者、西域出土晋代墨蹟の書道史的研究で文学博士慶應義塾大学)。は安叔。は靖闇。贈正三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。息子の西川杏太郎奈良国立博物館長、東京国立文化財研究所所長を歴任した仏像を中心とした日本彫刻史の研究者。

略歴

明治の大家、西川春洞の三男として東京に生まれる。俗に「昭和の三筆」の一人とも言われる。現代の書壇に最も影響を及ぼし、書の巨人と呼ばれ、文字学研究者として、また書壇を驚かす強烈なインパクトの作品を数々残した。子に美術史研究者の西川杏太郎がある。

1920年(大正9年)に東京府立第三中学校を経て、1925年慶應義塾大学文学部支那文学科を卒業、同予科講師。1933年同志と泰東書道院謙慎書道会を創立。清の書家・趙之謙に傾倒し、楷書においては、六朝の書風を基礎とした豪快な書風を確立している。1938年から40年まで外務省在外特別研究員として北京に留学し、山西(大同雲崗他)、河南(殷墟)、山東(徳州、済南他)など各地の史蹟、古碑を訪ね、1947年より62年まで東京国立博物館調査員となり、北京で中国文学、金石学、中国書法を調査研究した。

戦後、二度中国を訪問、ベルリン、パリ、ロンドン等を二回にわたって訪ね、ペリオ、スタイン、ヘディン等によって発掘された西域出土古文書(木簡・帛書)の書道史的調査を行った。

1943年慶大予科教授。1946年慶大文学部講師、1948年日展審査員、1950年日展運営会参事、1958年日展評議員、1959年東京教育大学教授、1960年「西域出土 晉代墨跡の書道史的研究」で文学博士1964年國學院大學東京大学文学部講師。

1955年に「隷書七言聯」で日本芸術院賞を受賞、1969年日本芸術院会員、日展常務理事、1972年勲三等瑞宝章受章、1977年文化功労者、日展顧問、1985年に日本の書家として初めて文化勲章を受章。1989年、死去。没年に、正三位勲一等瑞宝章を追贈された。

著作集全10巻がある。

経歴

子供時代

幼少時よりに親しみ、父・春洞の集めた書跡拓本玩具にして育った。5歳の時に早くも篆書と出会う。父の篆刻に興味を持ち、恐る恐る自分もやりたいと頼んだところ、石に布字してもらい彫ったという。その中で有名なのが「仁者寿」、そして実際にこの時書かれた篆書「寿」も残っている。

13歳の時に父と死別する。

青年時代

父と死別してからは、自ら「篆書時代」と称したように、篆書に没頭する毎日であった。以降の彼の作品は徐三庚楊キ孫の書風で書かれ、自らを押し殺して完璧無比な作品を作り上げていった。

20代に入ると、王羲之の研究に没頭する。このときの「臨知足下帖」は「捨てがたき作品」として有名である。また、清代の諸作家の影響もあり、鄧石如の書に傾倒しては逃げ、傾倒しては逃げという繰り返しであったという。

そして彼の生涯傾倒する作家、趙之謙の書と出会う。自ら「鄧石如包世臣呉譲之→趙之謙→西川寧」として、趙之謙の「逆入平出」の筆法を汲み取り、以後の作品はすべてこの筆法による。

趙之謙の書を手に入れて自宅に飾ったとき、心底気に入って真似をしようと思ったが、線と線の間の絶妙に輝く余白がどうしても表現できなかったという。そこで趙之謙が、「気満」の書を最高と説く包世臣の書論に基づいていることを知り、「気満」の奥義である「逆入平出」の筆法を得たという。趙之謙は独自の「逆入平出」を編み出しており、西川はこの筆法に心酔した。

著作

  • 『支那文学新選』 奥野信太郎共編、武蔵野書院、1930年
  • 『六朝の書道』 東亜研究会(東亜研究講座)、1931年
  • 『支那之書道』 興文社、1941年
  • 『書道』 毎日新聞社、 1957年
  • 『書の変相』 二玄社、1960年
  • 『西川寧近十年作品』 二玄社、1965年
  • 『西安碑林』 講談社、1966年
  • 『書というもの』 二玄社、1969年
  • 『書道講座』1~7(編) 二玄社、1971–74年
  • 『和刻本書画集成』全12輯  長沢規矩也共編、汲古書院、1975–77年
  • 『日本書論集成』全6巻(編) 汲古書院、1978–79年
  • 『河井荃廬の篆刻』 二玄社、1978年
  • 『西川寧自選作品集』 二玄社、1979年
  • 『西川寧臨賈思伯碑』 二玄社、1985年
  • 『西川寧臨邑師僧智元乱等列名』 二玄社、1985年
  • 西川寧著作集』全10巻  二玄社、1991–93年
  • 『西川寧色紙百品』 二玄社、2002年
  • 『猗園雑纂』(支那之書道の再刊) 二玄社、1985年

外部リンク

関連項目

2026年8月19日水曜日

成瀬映画に登場する風景(2)

成瀬映画に登場する風景(2)

成瀬映画に登場する風景


『鰯雲』(1958年)⑥ NEW 2019.12.20


今回のロケ地情報は、神奈川県厚木市で生まれ育ったSさんからメールで情報提供いただいたものをベースに作成した。
Sさんに感謝したい。文中のロケ場所関連内容はすべてSさんからの情報による。Sさんから提供された写真も使用させていただいた。


映画の中で何度も登場する農作業に従事する八重(淡島千景)の姿。場所は現在の「厚木市長谷753」付近。
後ろに映っている山は、落語の「大山詣り」でも有名な神奈川県の丹沢大山国定公園にある大山(おおやま)。標高1252m。
管理者も中学生の頃遠足で行ったことがある。画面写真正面の山の形、左右のこんもりした山から言ってもこの付近でのロケは間違いないだろう。
写真は左下のグーグル地図以外はSさんからの提供。

  



   

     


映画の後半、牛を使って人の田圃の手入れをする賃鋤(チンスキ)をしている初治(小林桂樹)とみち子(司葉子)。
休憩して二人で会話しているところに、自転車に乗った八重(淡島千景)が来てしばらく会話を行う。
ロマンスカーが走る。

ロケ場所は、厚木市船子322-1付近。
同じく写真は左下のグーグル地図以外はSさんからの提供。

 

   

・映画冒頭から何度も登場する八重(淡島千景)の家だが、これは本作の助監督の故・石田勝心監督のメモによると
 厚木ロケではなく、当時「西生田のオープン」と呼ばれていた場所(現:川崎市多摩区菅馬場2丁目付近)
 に建てたオープンセット(美術監督・中古智)とのこと。
 グーグル地図のストリートビューで検索して見てみたが、住宅街になっていて当時の面影はない。


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鰯雲 (映画) - Wikipedia

『急に具合が悪くなる』(soudain)~アソシエーションの予感~

 https://x.com/fukuko2025/status/2089976910164206026?s=61




『急に具合が悪くなる』。対話主義的な知性に満ちた傑作。鳥のフンを寓話的に使うところなどはさすが。ラストの足裏マッサージのシーンが突出して素晴らしい。逆に言うとそこだけしか記憶に残らない。『生きる』みたいに主人公を早めに殺して追悼公演にした方が良かったと思うが散骨シーンは良い。

ワイズ漫画みたいな導入。

‪細かいが、フリッツ・ラング譲りのホワイトボードシーンでの「失われた30年は次世代へのツケ」とかは意味不明。デモクラシー、キャピタリズム、ネイチャーという断面図において『生きる』が批判した官僚制はデモクラシーに対応し、「失われた30年」は官僚制に起因する。

絶対的剰余価値の絶対化は不毛。‬

資本主義の本質は労働者の集合力の余剰が搾取されることだ。

中庭における集団足裏マッサージシーン(砂連尾理じゃれおおさむ監修)はクオリティオブライフに直結し集合力つまり相対的剰余価値を象徴する。

中庭は共有地ではあるがあくまで城壁に囲まれた私有地であり、日本の縁側の方が優れている。

時空図みたいな認知症解説図が優れているが二回も必要ない。

患者同士の相互治療=P2P[Peer to Peer 患者同士の交流]は構造としてはツリーではなくセミラティスであり柄谷行人の言葉で言えばアソシエーション。市場経済を通過した後にようやく辿り着くネーションの高次の回復。ただし劇中の演劇はツリー状なので最後は無理やりP2Pを組み込んでいる。

もう少し『生きる』との比較を考えてみる。
『生きる』の通夜のシーンが素晴らしいアソシエーションの予感を感じさせるのは、中心となる主人公が死んで不在だからだ。
セミラティスは複数の中心と記述されるが、結局強い中心は相互的な様々な線をかき消してしまう。
太陽の光が夜の星を隠すようなものだ。アマテラスが隠れてはじめて下々は宴会が開ける。


参考:
ツリー構造とセミラティス構造
https://note.com/shosho2020/n/ndc93aa5bdc58



主人公がホワイトボードで説明しなければならないのはこの図だ。
権力は人々の横のつながりの分断が本質だからだ。

『急に』のラスト、民間企業という設定にも関わらず官僚の評価を仰ぐシーンで終わる。
これは作劇上の綾のようなものだが、日本もフランスも官僚国家であることは追記しておきたい。
(プロセスを重視した)方法論の開示を信条としている監督のインタビューを読むとそうした問題は織り込み済みだと思うが、『生きる』を見ている観客には自明である。
『悪は存在しない』は『デルスウザーラ』につながるし、今作の自閉症役の見事な演技は『七人の侍』の菊千代を思い出させる。


。。。。。


それは主人公の不在、空虚な中心こそが可能にするものだった。『生きる』の通夜のシーン。一時の交換様式X。

。。。。

アソシエーションの視覚化は難しい。

サッカーにごく稀に現れる。


https://t.co/IHw60XpHaK


https://x.com/fukuko2025/status/2071626672252797332?s=61


« 共産主義は、ウェンブリー・スタジアムで、ハンガリーのホンヴェード・ブダペストがハンガリーを6-3(原文ママ)で破った時、二度、45分間存在した。イギリス人は個人プレーし、ハンガリー人はチームプレーした » ゴダール


cf.

1953  England v Hungary digest

https://youtu.be/7wdW5p3jd2Y


自分はかつてNPOで地域通貨体験ワークショップをよく開催していた。これはアソシエーションの体感を目的とするものだ。

(古代イスラエル人が広めた信用経済においては無産者同士が相互に口座を持つことが出来る。)

。。


 『生きる』に触れているのは流石ですね。あの映画は官僚制を冒頭で批判しますが、本当はここ30年の日本を停滞させたのは官僚制だと思います(だからこの映画で民間企業なのに官僚の審査みたいなものに結論を集約させたのは限界を示していると思います)。それは実はフランスも同じです。脱線しますが消費税はフランスの官僚が輸出大企業支援として編み出したものでこれが日本に入って日本を停滞させたのです。国家資本主義とも言えるので資本主義批判が間違いというわけではないのですが。ラストの演劇でのハプニングは一時的にでもそうした構造を揺るがせるいい描写でした。ただ『生きる』みたいに主人公を早めに殺して追悼公演にしたらどうだったかというシナリオも考えてしまいます。中心のない自由で平等な理想的な構造は主人公という中心の不在が逆に可能にすると思うからです。あと最近有名人のがんによる死亡が多いので抗がん剤を極力使わない治療法の方を描いたもう一人の主人公が発端の映画を見てみたかった。こちらは製薬会社を批判することになるでしょうし楽しくなりようがないですが。


。。。


アソシエーションは官僚制の外にある。プルードンは各人が会計能力を持つべきと言った。


オーケストラでは以下

シーズン3 2013

スコラ 坂本龍一 音楽の学校 「オーケストラ」(1)


楽器を持って移動出来るとかなり違う


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%A9_%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80_%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1

オーケストラ[4]浅田彰
小沼純一
大友良英
ほか
坂本龍一
広島交響楽団(指揮 松浦修
ほか
「オーケストラ」(1)2013年3月15日

坂本龍一 音楽の学校 commmons: schola NHK教育番組

1

2

https://www.bilibili.com/video/BV1YM411M79h?spm_id_from=333.788.videopod.episodes&p=24

3,4 commmons schola: Live on Television vol.2 Ryuichi Sakamoto Selections: schola TV(Blu-ray)

坂本龍一

http://shop.mu-mo.net/avx/sv/item1?jsiteid=CMM&seq_exhibit_id=104234&categ_id=8002143&srsltid=AfmBOoqfu4u90YRPI2BdXWBsvZrn-mycu4W69aY_y_qUga1NT2RhS1AT


スコラ 坂本龍一 音楽の学校 オーケストラ編第1回 - tyunne’s blog


https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201303152300001303100


https://tyunne.hatenablog.com/entry/2013/03/17/000000


スコラ 坂本龍一 音楽の学校 オーケストラ編第1回

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今回からオーケストラ編が始まりました。正直言って自分には馴染みのない音楽なので、どのくらい興味が惹かれるかは未知数ですが、「集団」として捉えるとまた違った見え方がしてきます。 

ワークショップで物理的な楽器の配置を変える試みをやっていたのは面白かったですね。いつもは整然と並んでいる配置を逆にしてみたり自由にバラバラにしてみたりと、考えもつかないことを実際にやっていましたが、それによって当然音は変わる。楽器の音の大きさや観客との距離によって配置されているものを解体再構築するなんてことは通常ではあり得ないだろうと思うんですが、変にルールにとらわれることなく実行してみる様が痛快でした。 

歴史については、元々オペラの伴奏だったという話が未知のものでした。楽団が主役になっていったのはハイドンモーツァルト以降なんですね。 

オーケストラと聞いてどういった内容にするのかと思っていましたが、集団の捉え方や社会の歴史との関連性から迫っていくアプローチをとるというところがやはりこの番組特有の観点だなあ、と感じた30分でした。


NHK Eテレ『スコラ坂本龍一 音楽の学校』 3/15からは「オーケストラ編」、16日には特別講座も放送 - amass


https://amass.jp/19025/


NHK Eテレで好評放送中の『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』のシーズン3。3月15日(金)からは3週にわたって「オーケストラ編」を放送。「市民」の成立と時を同じくして発展をとげてきたオーケストラ。バロック期から、古典派を経て、20世紀にいたるその歴史と役割を様々な角度から検証していきます。

第1回となる15日(金)のテーマは「オーケストラの起源とその成立」。古代ギリシャからルネサンスを経て、バッハやハイドンらが、その形態を確立していく経過を学びます。ワークショップでは、高校生のオーケストラが通常とまったく異なるオーケストラの配置での演奏に挑戦。標準的な配置の合理性と、異なる配置の可能性を探ります。番組最後の演奏では、ベートーヴェンの「交響曲 第3番“英雄”」を紹介します。

また16日(土)には、広島交響楽団と共に行ったコンサートから“スコラ流・オーケストラの楽しみ方”を「特別講座」として放送。バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ドビュッシー…各時代を代表する名曲のハイライトを聴きながら、「作曲家はどんな考え方で曲を作るのか?」など、坂本龍一が作曲家ならではの視点でオーケストラの楽しみ方を解説。また、番組後半では坂本自身の作品もオンエアされる予定です。

●『スコラ 坂本龍一 音楽の学校 “オーケストラ”(1)』
NHK Eテレ 3月15日(金)後11:00〜11:30 
(再)Eテレ 3月21日(木)前0:30〜1:00 (20日(水・祝)深夜)

【ゲスト講師】浅田彰(京都造形芸術大学大学院長)、小沼純一(早稲田大学教授)
【管弦楽】広島交響楽団
【指揮】松浦修
【講師・演奏】坂本龍一
【語り】小林恵子アナウンサー

●『スコラ 坂本龍一 音楽の学校 〜特別講座 市民とオーケストラ〜』
Eテレ 3月16日(土)後4:00〜4:59

【出演】坂本龍一、小沼純一
【管弦楽】広島交響楽団
【指揮】松浦修

http://www.nhk.or.jp/schola/index.html


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プルードンは各人が会計能力を持つべきと言った。

アソシエーションは官僚制の外に出なければならない。


2026年8月16日日曜日

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

東映で培った女性キャラクターの描き方とジレンマ

──細田監督は東映時代に『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』(2002~2003年放送)『ひみつのアッコちゃん(第3作)』(1998~1999年放送)など、女の子向けの作品にも携わっていますよね。そうした経験は、女性キャラクターの描き方にも影響していますか?

細田守(以下同) そうですね。東映アニメーションは特徴的な女の子の描き方をしているような気がします。

人は成長する中で、社会性を帯びていく。抑圧されることもあるし、自分から縛られていってしまうこともある。でも、東映の女の子向け作品は、その手前にいる子どもたちに向けて作られているんです。

──社会から「女の子らしさ」を求められる前、ということでしょうか。

みんなではしゃいだり、けんかしたり、一歩踏み出したり。社会的な規定に組み込まれる前の子どもたちに、もっと自由な姿を見てもらいたい。その精神は、歴史的に培われているものだと思います。

『果てしなきスカーレット』『竜とそばかすの姫』と近作では女性主人公を描いてきた
『果てしなきスカーレット』『竜とそばかすの姫』と近作では女性主人公を描いてきた
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──細田監督はワシントン・ポストのインタビューで「日本のアニメーションは見る側の欲望に寄せて描かれてきた」といったことを話されていました。女の子向け作品を作ってきたことへの矜持もあるのでしょうか。

多少色がついている部分はありますが、基本はそうだと思います。

女性を色っぽく描くことを批判したいわけではない。表現にはいろいろな形がありますから。ただ、それが女性の尊厳や主体性を奪うことにつながっていくのは問題だと思っていて。

そのうえで、自分にはそういう描き方ができない。それは僕の限界でもあるんです。

──限界?

あの記事は、自己批判的な側面がありますね。自分は手法としてそれができないから、人間の成熟を別の形で描こうとしている。でも、やっぱりジレンマはある。