2026年2月19日木曜日

パゾリーニの色あせない輝き 「テオレマ」「王女メディア」 - 善福寺公園めぐり

パゾリーニの色あせない輝き 「テオレマ」「王女メディア」 - 善福寺公園めぐり

パゾリーニの色あせない輝き 「テオレマ」「王女メディア」

有楽町駅近くの映画館「ヒューマントラストシネマ有楽町」でピエル・パオロ・パゾリーニ(1922‐1975年)の映画を観る。

パゾリーニは映画監督・脚本家・詩人・作家・思想家などとして活躍したイタリアの異才といわれた人。今年は生誕100年というのでそれを記念して「パゾリーニ・フィルム・スペシャーレ1&2」として彼の監督作品「テオレマ」と「王女メディア」がリバイバル上映されていたので、30分の休みを入れて2本を続けて観る。

50年以上前の映画だが、今も色あせない、どころか今こそ輝きを放つ味わい深い2本の映画だった。

まずは「テオレマ 4Kスキャン版」。f:id:macchi105:20220311140814j:plain

1968年の作品。

原案・監督・脚本ピエル・パオロ・パゾリーニ、音楽エンニオ・モリコーネ、出演テレンス・スタンプシルヴァーナ・マンガーノアンヌ・ヴィアゼムスキーほか。

オリジナルネガからの4Kスキャンによる修復版での公開だが、実際に上映されたのは4K素材から制作された2Kマスター版という。

北イタリアの大都市ミラノ郊外の大邸宅に暮らす裕福な一家の前に、ある日突然見知らぬ美しい青年(テレンス・スタンプ)が現れる。

父親は多くの労働者を抱える大工場の持ち主。その夫に寄りそう美しい妻と無邪気な息子と娘、そして女中。夫婦も子どもも女中も、たちまち青年の虜になり、身を任せてしまうが、やがて青年が去っていくと家族は崩壊の道をたどっていく・・・。

何とも不思議な映画だった。

トルストイの小説なんかを読む青年の気高さ?、あるいはこの映画のとき29歳だったイギリスの俳優テレンス・スタンプが演じる青年の性的魅力にとりつかれたのか、彼が現れて一緒に暮らすうちにブルジョアの穏やかな生活はかき乱され、彼が去っていくと娘はすぐに死んでしまい、淑女然としていた母はセックス中毒となって若い男を漁るようになり、工場主の父はミラノ駅の公衆の面前で全裸になって火山灰大地をさまよい歩く。

この映画のテーマはどうやらキリスト教的意味合いが強いようで、かつて映画評論家の岩崎昶は「朝日ジャーナル」の映画評の中で「現代を神話化してみせようとしている」と述べていた。

題名の「テオレマ」とは、「定理・定式」という意味だそうだ。

テレンス・スタンプ演じる青年とは一体何者なのか?

パゾリーニは、あの訪問者は「神」の現代における「化身」だといっているという。その一方でパゾリーニはまた、青年は「神」かもしれないが、ただの「天使」かもしれないし、「悪魔」かもしれない、ともいっているという。

ブルジョワ家族はみんなおかしくなってしまう中で、同じように青年に心かき乱され身を任した女中だけは救われて、ふるさとの村に帰っていって神聖を帯び、聖女となって昇天していく。ところが、昇天して中空にいたはずの彼女はまた地上に降りてきて自ら地中に埋もれてしまう。とすると、青年は「悪魔」だったのか?

女中が地中に埋もれるとき、シャベルで土をかけていた年老いた農婦を演じたのはパゾリーニの母スザンナ(元教師で芸術家気質だったらしい)。また、ブルジョアの娘を演じたアンヌ・ヴィアゼムスキーはこのときジャン=リュック・ゴダールの妻だった(のちに離婚)。

続いて観たのは「王女メディア」。f:id:macchi105:20220311140845j:plain

1969年の作品で、上映されたのはオリジナルネガからの2K修復版。

監督・脚本ピエル・パオロ・パゾリーニ、出演マリア・カラス、ジュゼッペ・ジェンティーレ、マッシモ・ジロッティほか。

原作は古代ギリシアの劇作家エウリピデス作のギリシア悲劇

イオルコス国王の遺児イアソンは、父の王位を奪った叔父ペリアスに王位返還を求める。ペリアスは王位を返す条件として、未開の国コルキスにある「金の羊皮」を手に入れるよう求める。旅に出たイアソンは、コルキス国王の娘メディアの心を射止め、金の羊皮を持ち帰る。しかし、王位返還の約束は反故にされ、イアソンはメディアとともに隣国コリントスへ向かう。そこで国王に見込まれたイアソンはメディアを捨てて国王の娘と婚約してしまう。裏切られたメディアは復讐を決意する・・・。

20世紀を代表するソプラノ歌手マリア・カラスが出演した唯一の長編映画であり、彼女がメディアを演じるというので、あの美声がたっぷり聴けると期待して観にいったのだが、何と、彼女は歌を歌ってない。それだけでなくセリフも吹き替え。

メディアの声はリータ・サヴァニョーネという声優。クラウディア・カルディナーレソフィア・ローレンなどの声も担当していたイタリアを代表する声優という。

録音技術が十分ではなかった1960年代ぐらいまでは、イタリアでは映画の撮影では音声は録音せずに、あとで音楽とセリフを足すのが普通だったという。だから昔の映画のフェリーニの「道」(1954年)にしても、アメリカ人俳優のアンソニー・クインとリチャード・ベイスハートは英語で撮影し、あとから別の声優がイタリア語を吹き込んだんだそうだ。

本作でも、ほとんどが野外でのロケだったからなおさら映像と一緒に録音するのは難しかったのだろう。

歌を歌わないになぜマリア・カラスがメディアを演じたかというと、それは映画を見れば歴然としていて、あの存在感であり、美貌であり(とくに美しい横顔)、何といっても目の力、目力だ。

一切の映画のオファーを断り続けていたカラスだったが、「この映画だけは断れない」と出演を承諾した理由は、彼女がパゾリーニに夢中だったからといわれている。

また、メディアの夫となるイアソンを演じるのは、三段跳びの元世界記録保持者でメキシコ・オリンピック銅メダルの陸上競技選手ジュゼッペ・ジェンティーレ。このキャスティングはマリア・カラスの希望によるものという。

かなり濃厚なラブシーンがあるから、彼女が気に入った人にやらせたかったのだろう。

呪術的世界観を表現するためか、未開の国コルキスの描き方とか生贄を捧げる儀式はかなり異様で、奇景で知られるカッパドキアで撮影が行われている。

音楽も呪術姓を出すためか、日本の琵琶の音色や日本語の声、それにチベット仏教の音楽で管の長い楽器「ラグドゥン」によるブォォォーン、ブォォォーンと鳴り響く音が響きわたっていた。

メディアは夫イアソンに裏切られ、その復讐のためイアソンの妻となる王女を殺し、2人の間に生まれた子どもまでも殺してしまうが、その前に子どもたちを寝かせるため子守歌のように流れていたのは、琵琶法師が奏でる「平家物語」だった。日本語で「生者必滅(しょうじゃひつめつ)・・・理(ことわり)なり」と歌っていた。

たしかに映画とぴったりの内容だし(パゾリーニが日本語を理解していたかどうかはわからないが)、眠くなるような歌というか語りであるのは間違いない。

メディアが王女を殺す場面は、同じシーンが2度繰り返される。

最初のシーンでは、メディアは美しく飾られた花嫁衣装を王女に贈るが、王女がそれを着た途端、花嫁衣装は紅蓮の炎と化し、王女を助けようとした父の王もろともに焼き殺されてしまう。

次に同じようなシーンが繰り返され、メディアが花嫁衣装を贈ってそれを王女が着るまでは同じ。そのあとが違っていて、花嫁衣装を着た王女は崖の上まで駆け上り、そこから身を投げて死んでしまう。助けようとした父の王はそれを見て娘を哀れむ表情を一瞬して、自らも身を投げて死ぬ。

2つのシーンを対比させることで、パゾリーニは何をいいたかったのか。

最初のシーンは明らかにメディアによる親子殺しだが、あとのシーンは娘は呪われたようにして身を投げるが父親は自らの意志で身を投げている。

最初のはメディアが夢想したシーンであり、次のは実際のシーンだといいたかったのか。

身投げする娘を見る王の目は実に慈愛にあふれていた。愛の深さゆえに自分の父を裏切り弟を殺してしまったメディアは、それゆえに復讐のため自分の子どもまでも手にかけた悪女、魔女とされるが、そこにパゾリーニは慈愛の目をした国王を対比させることで、物語の悲劇性を際立たせようとしたのだろうか。

ピエル・パオロ・パゾリーニは1922年3月5日、イタリアのボローニャの生まれ。7歳で詩作を始め、飛び級ボローニャ大学文学部に進学し卒業。フェデリコ・フェリーニ監督の「カリビアの夜」(57年)、「甘い生活」(60年)など数多くの脚本(共同脚本も含む)を執筆。61年「アッカトーネ」で映画監督デビューし、「マタイによる福音書」を映画化した「奇跡の丘」(64年)はヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、米アカデミー賞でも3部門ノミネートを果たす。「デカメロン」(71年、ベルリン映画祭銀熊賞受賞)、「カンタベリー物語」(72年、同映画祭金熊賞受賞)、「アラビアンナイト」(74年、カンヌ映画祭審査員大賞受賞)で高い評価を得る。

75年春に「ソドムの市」を撮影するが、イタリアのファシズムを批判する内容だったため、ネオファシスト勢力からの強い反発の声が上がったという。撮影終了直後の同年11月2日未明、ローマ郊外のオスティア海岸で他殺体となって発見される。享年53。

「ソドムの市」に出演した17歳の少年が容疑者として出頭し、「同性愛者であったパゾリーニに性的な悪戯をされ、正当防衛として殺害して死体を遺棄した」と証言。禁錮9年の判決がいい渡され、刑に服した。

ところが2005年、当時少年だったその男がイタリアのドキュメンタリー番組で「パゾリーニはファシトたちに殺害された。自分は家族に危害を加えると脅され、偽の自首を強要された」と新たに証言した。再捜査が行われることになったが、真相はいまだに不明という。

果てしなきハムレット 無論映画全体は十字架のモチーフが支配する。


無論映画全体は十字架のモチーフが支配する。
死者の国へ落ちる手を広げるスカーレット、
スカーレットの剣、
途中のドラゴンのロングショット、
王冠も十字架の変形と言える。
(それにしても王冠に関してはあんな風に十字架の先を曲げるかね?とは思うが)
歴史的には仮にユダヤ教の影響だとしても古代イスラエル人で金属加工に優れたユダヤ教徒の職人が王様に内緒で勝手にやっているくらいが真相とは思うが。
天壇で燔祭があったくらいだからユダヤ教は我々の思う以上に広まっていたはと思う。

映画は意識的に旧約聖書のモチーフに遡っているのでキリストの意義を白紙の状態から再確認しているということは言える。

神曲も地獄の構造設計にイスラム文学からの影響があるらしいので旧約聖書に遡行することはシェークスピア読解以上に神曲読解にも意義を持つ。

二つのエルサレム。
果てしなき場所は約束の地の言い換えではあるが、既存のエルサレムではないところが味噌だ。
ディズニー映画などは今あるエルサレムに第三神殿としてのディズニーランドを建てようとしているとしか見えない。

プロテスタントにはユダヤ教再興の側面があり、逆を言えば、今の正統派ユダヤ教徒こそプロテスタントの精神を体現している。
映画から離れるが現実のアレゴリーとして優秀な作品ということだ。

映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。
証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。
https://vt.tiktok.com/ZSmDASan4/

緩める、締める

スカーフのシーン。
軍事的意味があるのだろう。
少女のスカーフを結ぶ行為は信用貨幣的だ。
金貨より結ぶ行為が重要。
プペルなどはせっかく減価貨幣を扱いながら金属貨幣のイメージにとらわれている。
あれではビットコインと同じだ。

https://x.com/tiikituukahana/status/2023922585545961915?s=61

https://x.com/fukuko2025/status/2023790555730505935?s=61

シェークスピアはハムレットでレビラート婚を批判していると読めるし、ベニスの商人と繋げればユダヤに批判的ということになる。映画は辺獄でキリスト以前のユダヤ教のイメージを使うことでこのシェークスピアの政治的歪みを修正している。みんなモーセの頃を思い出して仲良くやろうよ、ということだ。

https://x.com/fukuko2025/status/2023776688623297014?s=61

自分が注目するのは王冠の形で、ローマと交流のあった新羅で発見された王冠に近い。
これはメノラーを密かに模倣しているという説があり、隠れたユダヤ教ということになる。

映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。
証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。
vt.tiktok.com/ZSmDASan4/

2026年2月17日火曜日

tkmtさんによるXでのポスト フォークナー 熊

熊: 他三篇 (岩波文庫 赤 323-3) | フォークナー, William Faulkner, 加島 祥造 |本 | 通販 | Amazon


https://www.amazon.co.jp/熊-他三篇-岩波文庫-フォークナー/dp/400323233X

  • novella
    2003年4月8日に日本でレビュー済み
    フォーマット: 文庫
    解説には書いていないが、1955年にランダムハウスから出版された『大森林』という、フォークナーのそれまでに書いた狩猟物語を集めた本の翻訳である。中でも、「熊」はフォークナーの最長の短編で、彼の傑作の一つに数えられている。ただし、この「熊」には実は二つのヴァ-ジョンがあって、ここに収められているのは短い方のヴァ-ジョンである。長い方のは『行け、モーゼ』に入っていて、本当に「熊」の複雑さを理解するには、こちらを読まなければならない。
    原書と対照してみると、翻訳はかなり自由に訳されていて、訳文は読みやすくはあるが、翻訳ミスも散見される。訳者は他に『八月の光』なども訳している。

からみ合い : 作品情報・キャスト・あらすじ - 映画.com

からみ合い : 作品情報・キャスト・あらすじ - 映画.com

からみ合い

解説

南条範夫の同名推理小説の映画化。「人間の条件 完結篇」のコンビ、稲垣公一と小林正樹がそれぞれ脚色、監督を担当、撮影は「背徳のメス」の川又昂。

1962年製作/107分/日本
原題または英題:The Inheritance
配給:松竹
劇場公開日:1962年2月17日

東都精密工業社長河原専造は癌を患い切開手術を行った。その結果、後三カ月しか生きられないことを知った専造は、三億に及ぶ私有財産を、以前に関係あった女達の子供に分割することにした。妻里枝、秘書課長藤井、秘書やす子、顧問弁護士吉田と、その部下の古川が専造の前に呼び集められた。妻里枝に三分の一、残りの三分の二が行方不明の子供三人に渡されることになった。捜索期限は一カ月、呆然とする人びとにすぐ役割がふり当てられた。藤井には川越にいる七つの子が、弁護士吉田にはある温泉街に流れて行った二十になる女の子、やす子は成宗圭吾という役人に再婚していった男の子を探すのだ。--ある温泉街のヌード・スタジオで古川は、専造の落し子の一人神尾マリを見出した。古川はみるからに荒んだ生活のしみこんだマリを、札びらを切って関係を結び、ある契約をマリと結んだ。川越へ行った藤井は、産婆のさよからその子がすでに死んでいることをつきとめある子供を連れて来た。やす子が探し出した定夫は、養父母にとっては手におえない青年だった。二十歳の青春を怠惰と無為に過す与太青年となっていた。--皆がそれぞれ子供を連れて河原邸に帰って来た。やす子は暴風雨の晩、河原に挑まれて体の関係を持った。それ以来、幾たびか体の関係がもたれた。やす子には、安ホテルで逢う体だけの関係の男があった。その男はやす子に子供ができたと知って身を退いた。やす子はその子供を専造の子供にしたてようと考えた。それには、専造とずっと関係を続けてゆくのだ。やす子は専造に子供ができたことを打明けた。死期の迫っている専造は狂喜した。三分の一は無条件に生れる子供のためとしてくれた。愈々財産相続の日がやって来た。その日--藤井の連れて来たゆき子。このゆき子は里枝と藤井が七年前に生んだ子供であると吉田弁護士が発表した。里枝は財産詐称の罪で三分の一を外された。そして真弓のツラの皮を脱いだのは警察だった。マリの上京直前姉が死んだ。自殺だったが実際は殺されたのだ。姉の名前は真弓。死亡届の名前が偽造されたのだ。財産の相続者は誰もなくなったわけである。やす子の生れ来る子供を除いては。やがて専造は死んだ。財産はやす子の子供へ全部渡されることになった。

地域通貨花子1さんによるXでのポスト ゆるす 結縄

パゾリーニの色あせない輝き 「テオレマ」「王女メディア」 - 善福寺公園めぐり

パゾリーニの色あせない輝き 「テオレマ」「王女メディア」 - 善福寺公園めぐり https://macchi105.hatenablog.com/entry/2022/03/11/141157 パゾリーニの色あせない輝き 「テオレマ」「王女メディア...