2026年6月29日月曜日

戦争とミステリ、『魔王』 | 塔短歌会

戦争とミステリ、『魔王』 | 塔短歌会

戦争とミステリ、『魔王』 / 吉川 宏志

 十一月にNHKのBSで放映された「深読み読書会『犬神家の一族』」がとてもおもしろかった。映画化されて有名な横溝正史の探偵小説を、現代の目で読み直す企画である。
 『犬神家』の連載が始まったのは一九五〇年。敗戦の爪痕がなまなましく残っていた時期である。作家の関川夏央氏は、当時の小説の中で扱うには憚(はばか)りがあった傷痍軍人の問題を、いち早く扱っていることを指摘する(『犬神家』では、戦争で顔を傷つけられた人物が誰なのかが、大きな謎となる)。
 横溝は、非常に戦争が嫌いだったようである。戦時中は、探偵小説は不謹慎だということで弾圧の対象になった。戦争によって自由な言論を奪われることを、横溝は切実に体験した作家の一人だったのである。
 戦後になって自由に探偵小説を書けるようになると、横溝は戦争をストーリーの中で巧みに利用するようになる。『獄門島』や、私の好きな『夜歩く』もそうであろう。
 ミステリ作家の綾辻行人氏が「戦争への復讐」と語っていて印象的だった。戦後、まっすぐに軍国主義を批判する文学が生まれたが、それとは異なる、屈折した形での戦争批判も存在したことが、今になって見えてきたということだろう。
 犬神家は戦争成金であったこと、事件の中で用いられる「三種の神器」が実は金メッキであり、そこに天皇制への批判がうかがわれることなど、おもしろい指摘がいくつもあった。
 さて、最近は古典的なミステリの新訳も盛んに行われており、とても嬉しいのである。ディクスン・カーは、横溝に影響を与えた作家の一人だが、ずっと絶版になっていた『貴婦人として死す』が、創元推理文庫から発刊された。一九四三年の作品で、ナチス・ドイツの空襲におびえるイギリスの田舎町で起きた殺人事件を描いている。とても意外な犯人で、私は完全に騙されてしまった。
 この文庫の解説を、山口雅也氏が書いているのだが、「ミステリ作家は、どんなことでもミステリに利用してしまう――たとえ人類最悪の惨禍であっても」「大戦の影をも、しっかりミステリの仕掛けに取り込んでしまっていたりする」という表現が見られる。ミステリと戦争について、共通した指摘があって興味深い。
 戦争の悲惨さを描くことは、文学の重要な役割であることは間違いない。ただ、それだけだと文学は戦争の影響下に置かれてしまう。あるいは文学が戦争の後追いになってしまう。そうではなくて、文学が戦争を利用するという逆転も、時には必要なのではないか。そんな問題意識が、横溝やカーの小説を通して見えてくるのである。
 もちろんこれは非常に難しい問題である。戦争を軽々しく扱っていいのか、という非難も、必ず生じるだろう。塚本邦雄の後期の歌を思い出す。
  海征かばかばかば夜の獸園に大臣(おとど)の貌の河馬が浮ばば
                           『魔王』(一九九三年)
  銃後十年かの一群をぼくたちは罪業軍人會(ざいごふぐんじんくわい)と呼びゐき
といった駄洒落のような歌を、塚本が急に発表するようになり、私はとても戸惑ったのだった(若い世代向けに書いておくと、一首目は軍歌の「海征かば」、二首目は「在郷軍人会」のパロディ)。なぜこんな悪ふざけのような歌を作るのか、当時はよく理解できなかったのである。
 だが、前述したことをヒントにすると何となく分かることがある。塚本は、〈戦争に利用される自己〉というものを認めようとはしなかった。そうであるくらいなら、逆に自分が戦争を利用しようとした。善悪を超越した「魔王」という存在を理想とした。「歌人は、どんなことでも短歌に利用してしまう――たとえ人類最悪の惨禍であっても」というのは、まさに塚本邦雄に当てはまる。
 それから「海征かば」といった言葉によって戦死が美化された愚かしさを、後世に伝えようとする意志もあったに違いない。
 戦時中に使われていた言葉が忘れられると、言葉によって踊らされ支配されていた時代のことも忘れられてしまう。そんな危機感が塚本にはあったのである。

シリーズ深読み読書会 横溝正史 悪魔が来りて笛を吹く 高橋源一郎 島田雅彦  鈴木杏 道尾秀介 - 別館.net.amigo

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シリーズ深読み読書会 横溝正史 悪魔が来りて笛を吹く 高橋源一郎 島田雅彦  鈴木杏 道尾秀介

隠されたものを読み解く

ミステリー

道尾 一言で言うと実験ミステリー。獄門島八つ墓村犬神家の一族を書いたあとにこれを完成させてる。名作をたくさん発表したあとにまだ実験ミステリーを書くのはすごい勇気づけられる。

島田 自分が主役を張れる押しの強さをみんな持ってる。オペラミステリーですね。

高橋 どうも横溝がこの作品の中に隠しているものがある。作品自体がミステリーなんで、メタミステリー。じゃあ何を隠しているのかを読み解けと。2日前からそういう意見になりました(笑)

鈴木 人肌ミステリーかなあ、っていう...
高橋 おいしそう(笑)
鈴木 心とかよりももっと肉体的なものを感じるというか。エロティックだし肌がこすれあって傷つけ合う
島田 新しい概念(笑)人肌

天皇

高橋 横溝の隠されたモチーフは天皇制。天皇家自体がほとんど政治にタッチしてないですね。うたを作るか楽器か、どっちかなんですよね。これはやっぱ横笛だろうと思うと、また違って見えてくるのかなあという気がする。実際に曲を聴いてみてどうですか
道尾 やっぱり文章のほうがいい(笑)クラシック相手にそういうことを言っちゃいけないですけど、横溝さんが書いた文章の方が迫力のある曲だった気がします

帝銀事件、高木元子爵失踪自殺事件

高橋 帝銀事件を入れたのは、もうひとつの事件を隠すためという説。執筆が1948年8月から始まっているんですね。2か月前に太宰治が自殺してる。7月に高木元子爵失踪自殺事件。娘が三笠宮の奥さん。入江侍従長のお姉さんが妻。だから家族の中で最も権力があった人が突然失踪して自殺した。3ヶ月後に東条英機が死刑。年譜見てると自分的には新発見。

島田 チャレンジングですよね。出来事の時間の経過があまりない中で、ほぼ同時期に書いてる。参考にしつつ自分なりの展開を書いていくってことだから。
高橋 だからメタミステリーって言ったの。高木子爵事件を隠すためにこういう言い方をしたの。貧しくなった家族の悲劇。

玉虫家、新宮家、椿家

椿三禰子、秌子

鈴木 男性キャラクターに好感を持てる人が本当にいない印象がすごく強くて。強欲な人ばっかり。
道尾 唯一、三島東太郎だけがまともな青年。椿美禰子がですねえ

容貌はお世辞にも美人とは言いにくい。かなりのおでこである。それに目が大きすぎるところ、頬から顎へかけてこけているので顔全体の釣り合いが取れない。

道尾 いわば彼女は物語のヒロインなんですよね。そのヒロインをこんなに冒頭から悪しざまに書くのも珍しい。
島田 まず秌子に対して金田一が抱く印象が異様というか、文字で書いた通りの女の人がいるとしたら会ってみたい(笑)そもそも秌子(アキコ)って読めないでしょ。
鈴木 秌子さんの怖さって、心が最後まで結局見えない。
高橋 無いんだよ。ちょっとこれ読んでて思ったのは、滅び行く貴族ってひとつ大きいドラマであるんですね。必須のキャラクターが、老いた女性の家長。

金田一耕助は、この婦人をひとめ見た刹那、
何かしら体中がムズムズするような不健全なものを感じずにはいられなかったのである。

島田 ラネーフスカヤ(桜の園)とか
高橋 そうそう。滅びゆくものへの哀悼の意がテーマなんだけど、哀悼してなくて、秌子っていう肉欲の塊

鈴木 わたしはもう、俄然菊江でした。読んでいくうちに、この人が一番真っ当。その年代の生き方の自分というものを持っていて、一服の清涼感みたいな

...菊江はいつも、人を食ったような微笑を浮かべている。こういうのをアプレというのであろうと....

島田 アプレという言葉が出てきましたけど、ちょっと跳ねっ返りの、やけっぱちな感じの。結婚相手も自分で決めるみたいな。
高橋 要するに戦前の価値観を持ってる人から見ると、非常に性的にもだらしない連中で、総称してアプレゲール(戦後派)。性の解放の側面、秌子は逆にうちに閉じこもったエロティック。ものすごく退廃的ですよ。

金田一はなぜ西へ

鈴木 結構、金田一さんが西へ行ったのが衝撃。だって殺人事件まだ起こるじゃん!
高橋 そらもう、起こすためだよ(笑)だって止めないもんね。金田一さん基本的に
道尾 そうですね。今回は金田一の不在が舞台を回す、ちょっと珍しいパターンなんですよ。いないことで新たな犠牲者が出た。別荘跡地で「悪魔ここに誕生す」を視点人物の視点で書きたかった。あれが誰かから聞いた話だと全く盛り上がらない。リアルタイムで発見させたかったんじゃないですかね

ここまでで番組の約半分。

読んでから見るか、見てから読むか。

※テレビ版、77年の古谷一行のイメージが強くてな。美禰子役は檀ふみ→92年版は西村知美(えっ)96年遊井亮子→07年国仲涼子→18年志田未来。映画(79年)斉藤とも子。キャスティングに一貫性がない、振り幅が激しく大きくないか。顔全体の釣り合いが取れないかな西村知美
秌子役変遷(年代順)草笛光子~映画版 鰐淵晴子~92年金沢碧~真野響子秋吉久美子筒井真理子
菊江 中山麻里~映画版池波志乃~志水季里子~花山佳子~野波麻帆倉科カナ

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金田一耕助ファイル4 悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫)

2026年6月26日金曜日

再読 横溝正史(42)「探偵小説」 - アメジローのつれづれ(集成)

再読 横溝正史(42)「探偵小説」 - アメジローのつれづれ(集成)

再読 横溝正史(42)「探偵小説」

横溝正史の短編「探偵小説」(1946年)は、そのまま「探偵小説」という何となく締(し)まらない捻(ひね)りのない凡タイトルではあるが、この平凡タイトルは本作の語られ方の叙述設定に由来している。

ある東北地方の温泉地へスキーシーズンに探偵小説家の一同が訪れるも、付近の雪崩(なだれ)の影響により汽車が遅延する。そこで列車が来るまで探偵小説家が仲間と駅の待合室のストーブを囲んで当温泉町にて1ヶ月前に発生した当時、人々を騒がせた未解決の女学生殺人事件のトリックを予想する。それを事件被害の女学生の関係者が同待合室の隅にいて密(ひそ)かに聞いていて、その探偵小説家のトリック話が、はからずも当たっていた。フィクションの「探偵小説」の創作話が、現実の殺人事件の真相を見事に言い当てていた。ゆえに本作は「探偵小説」のタイトルなのであった。

横溝正史「探偵小説」はアリバイ崩しの話であり、本作品は、ある種の「鉄道ミステリー」と言えなくもない。女学生は絞殺されて神社の境内にて遺体で発見された。関係者の中でも重要容疑者として彼女が通う女学校の教師が一番怪しいのだが、遺体の死亡推定時から判断される当日の犯行時刻に、その教師は汽車で一駅離れた隣町にいて、彼には確固とした現場不在証明(アリバイ)があった。どう考えても隣町にいた教師が、犯行時刻に一駅離れた町の神社の境内にて女学生殺しの殺害現場に居合わせることは物理的に不可能なのである。果たして、その教師が女学生殺しの犯人なのか。もしそうだとすれば、アリバイ証明されている教師は、どうやって不可能犯罪を成し遂げたのか!?

(以下、トリックを明かした「ネタばれ」です。横溝の「探偵小説」を未読の方は、これから新たに本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

女学生殺しの犯人は、やはり彼女が通う女学校の教師なのであった。その際に使われたのは「遺体の移動にともなう犯行現場の錯覚」によるアリバイ・トリックである。遺体が故意に移動されて殺害現場が別の場所と錯覚されているため、錯覚させた殺人現場の犯行同時刻に犯人は物理的に存在し得ないという偽のアリバイが成立するわけである。

当日の犯行推定時刻に、その教師は汽車で一駅離れた隣町にいて、女学生殺しの犯人たる教師には確固とした現場不在証明(アリバイ)があり、普通に考えれば隣町にいた教師が、遺体の死亡推定時から判断される犯行時刻に一駅離れた町の神社の境内にて女学生殺しの現場に居合わせることは物理的に不可能である。ところが、隣町にいた教師は自宅で女学生を絞殺した後、教師宅の近所にて徐行通過する列車の屋根に彼女の遺体を乗せ、人知れず遠くの隣町まで運ばせていた。遺体が落下するのは、殺害現場から遠く離れた隣町の急カーブで車体が大きく傾く地点である。しかも、大雪の季節で急カーブ地点に落下した遺体に後続列車からの屋根上の雪が落ちて何度となく降りかかるので、雪に埋もれて遺体は一時的に隠される。それで翌日に教師は、線路脇急カーブにて列車の屋根から振り落とされて雪に埋もれている女学生の遺体を掘り起こし、近くの神社境内に移動させて、あたかも彼女が前日に隣町の神社にて絞殺されたように細工したのだった。

「遺体を移動させて殺害現場を錯覚させる」というのは、探偵小説ではよくある。いわゆるアリバイ(現場不在証明)工作の一環として利用される。要するに殺人犯からすれば、時間的・空間的に遺体を自身から出来る限り遠ざけたいわけで、だから遺体を殺害現場以外の場所に運んで移動させる。しかし、その際に自分が遺体を運んでいる所を目撃されたら、もうアウトなわけだから周囲の人々に気づかれず、労力をなるべく使わずに人知れず効率的に死体を自身から遠ざけ遠くに運ぶ方法を考える。「列車の屋根に乗せて遺体移動」というのは、かなり大胆で理にかなった効率的な労力の少ない省エネ安全なやり方だ。

「列車の屋根に遺体を乗せて移動させる」というのは、実はコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ短編「ブルース・パティントン設計書」(1917年)が元ネタである。同様に江戸川乱歩も「鬼」(1931年)という作品で、このトリックをドイルから流用し自作品に使っている。ただ本作「探偵小説」の登場人物の探偵小説家の口上によれば、ドイルも乱歩も「列車の屋根に遺体を乗せて移動させる」トリックに難点があった。本作品内の探偵小説家によるドイルと乱歩の先行作品に対するトリック難点の指摘批評は、他ならぬ著者の横溝の意見であるわけだが、ドイル「ブルース・パティントン設計書」の場合、「このトリックの難点は、死体が線路のすぐそばにあると読者は列車の屋根から遺体が振り落とされたこと」にすぐに気づいてしまう。そうして、この弱点を補うために出来たのが後の江戸川乱歩「鬼」であり、乱歩の場合、死体は線路脇に振り落とされるのだが、そこへ山犬が現れて死体を林の中に引きずり込む。つまりは、「死体は線路から離れた林の中で発見されるので作中の探偵も作品を読んでいる読者もひっかかる」ということになる。しかし、それは僥倖(ぎょうこう)でしかなく、「そう都合よく山犬が現れて死体をわざわざ遠方に引きずっていくか」の不自然さが残る。

そこで横溝はドイルと乱歩の双方のトリック難点を克服すべく、本作「探偵小説」にて、あえて雪国の舞台設定にして、遺体が落下するのは急カーブ地点で、後続列車からの屋根上の雪が落ちて何度となく降りかかるので線路脇に降り落とされた死体は雪に埋もれて一時的に隠される。それで後日に犯人は、線路脇急カーブにて列車の屋根から振り落とされて雪に埋もれている死体を掘り起こし、線路から離れた場所に移動させればよいわけである。結果として横溝の「探偵小説」は、「降り落とされた遺体が線路近くにそのままある。このため物語中の探偵も小説を読む読者も皆が、遺体は列車の屋根に乗せて運ばれて列車の屋根から振り落とされたことにすぐに気づいてしまう」というドイルの「ブルース・パティントン設計書」の難点と、「遺体は線路のすぐそばから離されてあるが、線路脇からの遺体の移動が偶然の幸運に頼っている」という江戸川乱歩の「鬼」の難点の双方を合理的に克服するものであった。

横溝正史「探偵小説」は、あらかじめある過去作のトリック難点を改良・克服しようとする発想が最初にあって、そのトリック改善を果たすような形で横溝は探偵推理の骨格をまず考え、それから人物関係や舞台設定の細部を後に継ぎ足す順序で創作されている。そうした「探偵小説の創作順序の仕組み」が分かりやすく本作から読み取ることができ、探偵小説の創作の手順がよく分かる。横溝の短編「探偵小説」は、ある意味、清々(すがすが)しいタイトル通りの「探偵小説」だと私は思う。

刺青された男 (角川文庫)

2026年6月23日火曜日

スピルバーグはテクニックがありすぎて効果に対する最短距離を取る才能があり、それは勉強にはなるが何か作者に騙されているという印象を観客…



スピルバーグはテクニックがありすぎて効果に対する最短距離を取る才能があり、それは勉強にはなるが何か作者に騙されているという印象を観客に与える。
それは本人もわかっていて詐欺師や自伝という生身の役者にフォーカスが当たるようにすることでテクニック至上主義という印象を避けている。
自分は未知との遭遇における精神の危機の描写にヒントがあると思うが、スピルバーグの映像は全てフェイクでETにおけるジョンフォード、フェイブルマンズにおけるセシルBデミルの映像に真実があるという印象は否めない。

https://x.com/fukuko2025/status/2069308200437113069?s=61
ジュラシックパークのラストは明らかにハワードホークスの影響がある。蓮實重彦ではないが装置としての映画が作動している。ただし今の撮影監督は装置としての映画に鈍感だ。

【海外の反応】日本人の英語発音が激変…発音先生だいじろーの裏技 @daijirojp https://youtu.be/_c3OlxU9Jck?si=dcb-xTIfn7KYnxFm