2026年7月6日月曜日

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

東映で培った女性キャラクターの描き方とジレンマ

──細田監督は東映時代に『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』(2002~2003年放送)『ひみつのアッコちゃん(第3作)』(1998~1999年放送)など、女の子向けの作品にも携わっていますよね。そうした経験は、女性キャラクターの描き方にも影響していますか?

細田守(以下同) そうですね。東映アニメーションは特徴的な女の子の描き方をしているような気がします。

人は成長する中で、社会性を帯びていく。抑圧されることもあるし、自分から縛られていってしまうこともある。でも、東映の女の子向け作品は、その手前にいる子どもたちに向けて作られているんです。

──社会から「女の子らしさ」を求められる前、ということでしょうか。

みんなではしゃいだり、けんかしたり、一歩踏み出したり。社会的な規定に組み込まれる前の子どもたちに、もっと自由な姿を見てもらいたい。その精神は、歴史的に培われているものだと思います。

『果てしなきスカーレット』『竜とそばかすの姫』と近作では女性主人公を描いてきた
『果てしなきスカーレット』『竜とそばかすの姫』と近作では女性主人公を描いてきた
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──細田監督はワシントン・ポストのインタビューで「日本のアニメーションは見る側の欲望に寄せて描かれてきた」といったことを話されていました。女の子向け作品を作ってきたことへの矜持もあるのでしょうか。

多少色がついている部分はありますが、基本はそうだと思います。

女性を色っぽく描くことを批判したいわけではない。表現にはいろいろな形がありますから。ただ、それが女性の尊厳や主体性を奪うことにつながっていくのは問題だと思っていて。

そのうえで、自分にはそういう描き方ができない。それは僕の限界でもあるんです。

──限界?

あの記事は、自己批判的な側面がありますね。自分は手法としてそれができないから、人間の成熟を別の形で描こうとしている。でも、やっぱりジレンマはある。

https://shueisha.online/articles/-/258005?disp=paging&page=2

「再起不能だと思った」人生最大の挫折

──スタジオジブリに出向して制作した『ハウルの動く城』は、細田さん版のプロジェクト自体が頓挫し……当時、おいくつでしたか?

33歳の時に声をかけてもらって。「やっと長編が作れる」と思えて嬉しかった。それから2年で頓挫して……35歳ぐらいかな。

当時、スタジオジブリでは『千と千尋の神隠し』も制作中で、主要なスタッフはそちらに注がれていた。そういう事情もあって『ハウル』は自分で頭を下げて仲間を集めたものの、頓挫してしまった。みんなに示しがつかないですよ。申し訳なくて。

「これまで過去の自分の作品を振り返ることはなかった」と細田監督
「これまで過去の自分の作品を振り返ることはなかった」と細田監督

──どうして崩れていったのでしょう?

宮﨑(駿)さんに直接「ダメだ」と言われたわけではありません。でも、求められていることと、やりたいことが合っていなかったのだと思います。

『ハウル』の原作は、歳をとる呪いをかけられたソフィーが主人公で、彼女は少女であり老婆である。その両義性に対してどこに決着をつけるのかという話だと思うんです。時間のズレ、年齢のズレ、さまざまな行き違いが生まれる。ズレの生じる人生の中に、何を見つけるか。それを描きたかった。

──ジブリの『ハウル』はキャッチコピーが「ふたりが暮らした。」だったので、違う答えを求めていたのかもしれないですね。

僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていないので、その答えを知らないんです。でも、違ったんだろうなと思います。

──『ハウル』の後には、アルバイトもされたそうで。

食っていけないからね(苦笑)。運送業のバイトをしながら、『おジャ魔女どれみ』やCGの仕事でなんとか生活していました。

ネットでは「東映は細田を優遇している」と書かれていましたけど、演出料は3か月で30〜45万円ぐらい。だいたい3か月かかるので、月給にすると10万程度です。でも、仕事をいただけるだけでもありがたかったです。再起不能だと思っていましたから。

https://shueisha.online/articles/-/258005?disp=paging&page=3

完成しなかった『ハウル』が残したもの

──映画『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』(2005年)では、ハウルの経験が投影されたと聞きました。

自分が集めたチームへの未練が、そのまま出た作品です。ルフィたちの仲を裂こうとするオマツリ男爵は、仲間を失った自分のようで……。結局自分は経験を作品に映してしまう。ファンの方々には、面食らわせてしまったと思いますが……。

──細田監督作品に滲み出ている厳しさは、ご自身の経験に根付いているんですね。

『ハウル』は、人を信じられなくなった経験だったので……。自分の失敗としては『果てしなきスカーレット』(2025年)の爆死について思い浮かべる人も多そうですが、あれは完成しているからまだいい。自分の『ハウル』は完成しなかった。人生で一番の挫折です。

そういう人生で作品を作ってるわけだから、傷のない世界だけを描くことには抵抗がある。嘘をついているような気持ちになってしまうんだと思います。

──でも、その後、スタジオ地図を創業して、今がある。なぜ立ち上がれたのでしょうか。

僕をジブリに送り込んだ、東映の吉岡修さんの言葉が大きいと思います。吉岡さんは『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)で制作進行を務め、高畑勲さんや宮﨑さんとも仕事をしていた方でした。

『ハウル』の後、本気で業界を去ろうと思っていた時に、「引きずるな、前へ進むんだ」と言ってもらった。その言葉で、こういう昇華の仕方があるんだと思えました。

『ハウル』の時に思い描いた「時間のズレ」や「すれ違い」は、その後の『おジャ魔女どれみ』にも生きていて、『時をかける少女』(2006年)でひとつの形になった。そう考えると、あながち間違いではなかったのかもしれない。

当初は上映館6館のみながらロングランヒットを記録した『時をかける少女』
当初は上映館6館のみながらロングランヒットを記録した『時をかける少女』

ネット上での批判的な意見には、どう向き合っているのか

──監督は昔からネット上での批判的な意見も目にすることが多かったようですが、どのように向き合ってきたのでしょうか。

「見るわけがない!」と思いながら、いろんな意見を見てます(笑)。でも、あまり影響されないのかもしれないですね。

それは吉岡さんの言葉の影響で「前へ進むんだ」という気持ちが大きい。自分は褒められたくて作品を作っているわけではない。ネットの言葉で傷つく若い世代も多いと思いますけれど、怒りに身を任せない向き合い方がある。

──『果てしなきスカーレット』の「許せ」という言葉のようですね。

そうですね(笑)。僕は自分が経験したことを、どうしようもなく作品に投影してしまう。

https://shueisha.online/articles/-/258005?disp=paging&page=4

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで

細田守の原点#1

ひとつのフェーズが終わろうとしている

──『バケモノの子』(2015年)​以降、脚本をご自身で手掛けられるようになったのも、作品がより個人的なものになっていったからでしょうか?

そうです。『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)は、他界した母をモチーフにして、長年一緒にやってきた奥寺佐渡子さんと共同で執筆させてもらいました。でも、それ以降は自分に子どもが生まれたこともあって、家族のことがより色濃く作品に入ってくるようになった。

家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは、申し訳ない。だから、しばらくは自分で書こうと思ったんです。

『おおかみこどもの雨と雪』の原画
『おおかみこどもの雨と雪』の原画

──奥寺さんは『バケモノの子』の公開時のインタビューで「監督は10年単位で作品づくりを考えているのでは」という話をされていました。それから10年経った。また新しいフェーズに行くタイミングだったりします?

確かにそうかもしれない。ここ数年は、娘に対しての願いが作品のモチーフになることが多かった。親はみんな同じだと思いますが「子どもたちが、社会的に不利益を被らずに生きていけるように」という気持ちが溢れていた。娘も大きくなってきたので、そのフェーズも終わりが近づいているのかもしれない。

あと、今回展覧会をするにあたって、初めて自分の過去を見つめ直してみたんですね。これまで新しさばかりを求めてきたのですが、立ち返るのも悪くない。ひとつの区切りを感じています。

これから、また誰かと一緒に脚本を書くかもしれない。ひょっとしたら……僕はいつか、自分の『ハウル』を作らなきゃいけないような気もしています。

代表作『サマーウォーズ』のキャラクターたちと
代表作『サマーウォーズ』のキャラクターたちと
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取材・文/嘉島唯

「『果てしなきスカーレット』は爆死してしまった」細田守が語る最新作の苦戦…「細田は変わった」と言われても、中学生の頃から変わらない“原点” | 集英社オンライン

「『果てしなきスカーレット』は爆死してしまった」細田守が語る最新作の苦戦…「細田は変わった」と言われても、中学生の頃から変わらない“原点” | 集英社オンライン

細田作品には、なぜ「仄暗さ」が宿るのか

──中学生の時に初めて作ったアニメーションが展示されていますが、ダークな作風ですよね。

細田守(以下同) 厨二病らしさが全面的に出ていますよね(笑)。

この映像は、もともと『少年ケニヤ』(1984)のアニメーター募集で東映に送ったものです。中間テストの時に母から「怪しい電話がかかってきた」と言われて、出てみたら東映からだった。

電話越しに「打ち合わせをしたいので、東京に来てください」と言われて「テスト前なので別日にしてほしい」とお願いしたんです。結局、学業優先ということでその時のお話はなくなりました(笑)。

「細田守の原点/展」では細田監督が初めて作ったアニメーションの展示も(撮影/山本倫子)
「細田守の原点/展」では細田監督が初めて作ったアニメーションの展示も(撮影/山本倫子)
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──すさまじい経験です。大学では一転、油絵専攻に進まれていますね。

成長とともに、現代美術や実写映画に興味が出るようになったんです。そういうこともあって、大学時代は実写映画ばかり見ていて、アニメーションはジブリ作品ぐらいしか見てなかったんですよ。

細田監督が油画専攻に在籍していた大学時代の作品
細田監督が油画専攻に在籍していた大学時代の作品

──展覧会では、大学時代の実写映画『SILENT』(1989年)​も展示されていました。

37年ぶりに見返しましたけど、辛辣なストーリーで自分でも驚きました。この映画は「コミュニケーションの手段としての『言葉』を捨てた集団の中に、『言葉』が復活して、『言葉』が人間関係を破壊していく」ストーリーなんですね。

──言葉が人間関係を壊す……。

「人間ってこういうものだよね」という気持ちを嘘をつかないで描くと、ああなる。『SILENT』は、21歳の頃に作った映画ですが、若い頃の方が、今より諦念や反骨精神が強かったように思います。

それはそれで20歳すぎの人間の正直な眼差しだった気もしますが、ある種の真実を描こうとしてる姿勢がある。それは今でも変わっていない。

──「真実」とは?

人生はそんなにうまくいかない。人を信じた先で、いろいろな問題は絶対に起きる。世の中は綺麗事だらけではない。そういう真実の部分を描かない物語は「甘い」ような気がして、作る気になれないんです。嘘をつきたくない、と言えばいいのかな。

細田作品の「原点」にあるものとは
細田作品の「原点」にあるものとは

──何かきっかけがないと、若くしてその境地に至れないような気がします。

ありますね、生々しい経験。

──どんな経験でしょう?

あまり声高に言いたいことではないのですが、僕は幼い頃から吃音なんです。Wikipediaには書かれているんですけど(笑)。

今はこうして言葉が出てきますけれど、子どもの頃は苦労しました。周りは口が動いて言葉が出るのに、自分はできない。普通に話せる人たちからのまなざしも感じる。そうすると自分の中にいろいろな感情が溜まっていってしまう。

普通の中学生だったらアニメなんか作らないと思うし、大学時代に言葉をテーマにした映画なんて選ばなかった。こうやって説明するといかにも図式っぽくて嫌ですけど、逃れられない衝動なのだと思います。

https://shueisha.online/articles/-/258007?disp=paging&page=2

原点にあるのは「言葉ではないもの」

──細田さんの作品には、セリフではなく絵の力で物語が進んでいく場面が多くあります。そうした表現には、ご自身のバックボーンも影響しているのでしょうか。

そうです。吃音だからこそ、言葉にもこだわるし、逆に言葉でない表現にもこだわらざるを得ない。

同じようなことを、山下達郎さんとも話したことがありました。「絵で伝えていることは、なかなか気づいてもらえない」とボヤいていたら、達郎さんが「音楽も同じだ」とうなずいてくださったんです。

曲を聴くことが、歌詞を読むことになっている人も多い。でも本当は、音そのものに込めているものがある。アニメーションも同じで、批評や感想の中心はセリフになることが多いけれど、作り手としては言葉以外のところに熱を込めていることがある。

『時をかける少女』の絵コンテ
『時をかける少女』の絵コンテ

──そうですね。

例えば『時をかける少女』(2006年)では、真琴が1分間走るシーンがあります。単に走っているわけではなくて、焦りや後悔、千昭に対する決意……言葉にできない感情を、走る身体そのものに託している。

言葉にすれば一言で済むかもしれないものを、絵と動きで、時間をかけて伝えようとしたシーンです。

アニメーションは、魂のような「目に見えないもの」を描くのに長けている表現だと思っているんですね。目には見えないけれど、確かにそこにある感情や気配を、絵にすることで届けられる。僕は、そういうことを信じて描いているんだと思います。

自分の原点にあるのは「言葉ではないもの」かもしれません。

https://shueisha.online/articles/-/258007?disp=paging&page=3

「細田は変わった」と言われることも多いけれど…

──細田さんが橋本カツヨ名義で絵コンテを担当した『少女革命ウテナ』の第29話「空より淡き瑠璃色の」(1997年放送)は、三角関係を椅子の向きで表現していたり、そういう姿勢が色濃く出てますよね。

『ウテナ』は、登場人物が言葉で言っていることは、嘘ばかりなんですよね。むしろ絵の方が真実を語る作品。29話は、樹璃というキャラクターのひとつの決着をつける回でもあります。

──樹璃は同性である枝織に思いを寄せながら、苦しんでいるキャラクターです。

樹璃は、気高くて、みんなに憧れられる存在なのに、すごく素朴な「ただ気持ちが伝わらない」ことに悩んでいる。そのアンバランスさがいいんですよ。そこにどう落とし前をつけるのか。それが29話でした。

東映動画でアニメーターとしてキャリアをスタートさせた細田監督
東映動画でアニメーターとしてキャリアをスタートさせた細田監督
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──あの回は、もともと脚本があったものを、細田さんが大きく変えたそうで。

懐かしい話!(笑) そうです。僕は7話「見果てぬ樹璃」から、延々と彼女を描いてきた人間でもあったので、思い入れがありました。

僕自身、優秀なスタッフに囲まれて、毎日戦っているような状態で、脱毛症になったり、心身ともにボロボロだった。彼女に共感する部分があったのだと思います。

当初予定されていた29話の脚本では樹璃がかわいそうで……そこで、幾原邦彦監督に相談して「スケジュールに間に合えば」という条件で許可してもらいました。時間がなかったので、最初から絵コンテを切ってます。

28話からは、不安定な状態の樹璃の前に、瑠果という男性キャラクターが登場する。瑠果は樹璃を傷つけるように振る舞うものの、実は彼が彼女を一番救おうとしているんです。

──瑠果は樹璃のことを想っているから。

でも、瑠果の気持ちも届かない。そのすれ違いも含めて、彼らの関係なんだと思います。だからこそ、樹璃にどう決着をつけてあげるかを考えた。幾原監督とは、相手を救うために自分が悪役を引き受ける『泣いた赤鬼』のような物語にしようと話しました。

──お話を聞いていると、最新作の『果てしなきスカーレット』(2025年)にも通じるものがあるように感じました。

そこはあまり届かなかったというか……『果てしなきスカーレット』は爆死してしまったし(苦笑)。

でも、僕の中ではつながっているんです。「強い女性を描くようになったのはなぜですか」と聞かれたり、「細田は強い女が好きなんだ」と見られたりすることもある。

でも、キャラクターの性別にこだわっているつもりはありません。男性キャラクターもたくさん描いてきましたからね。

「細田は変わった」と言われることもありますが、中学生の頃からやっていることは変わらない。根本的に「負けそうになっている人が負けないでほしい」という気持ちが強いんです。

──なぜそう思われるのですか?

……吃音ということも関係があるのかもしれません。言いたいことがあっても言えない。それをわかってもらえない。あの頃の経験が、自分の中にはずっとある。

僕は「負けそうな人が、そのまま負ける社会」が嫌なんです。どんな人生にも、負けそうになる瞬間があるでしょう。言葉が届かなかったり、誰かとすれ違ったり、自分ではどうにもできないことにぶつかったりする。

でも、その痛みをなかったことにはせず、それでも負けないでほしい。そう思っているんです。

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取材・文/嘉島唯

『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープが問い続ける「学ぶこと」の意味【インタビュー】 | アニメイトタイムズ

『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープが問い続ける「学ぶこと」の意味【インタビュー】 | アニメイトタイムズ

『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープ先生インタビュー|「学ぶこと」は何のためにある? シタラたちの人生をを通して、自分の答えを探してほしい

『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープが問い続ける「学ぶこと」の意味【インタビュー】

2026年7月4日より放送開始となるTVアニメ『天幕のジャードゥーガル』。トマトスープ先生による人気漫画作品を原作に、監督をAbel Gongora(アベル・ゴンゴラ)さん、総監督を山田尚子さんが務める注目作です。

アニメイトタイムズでは、原作・トマトスープ先生にインタビューを実施。アニメならではの魅力や歴史に惹かれ続ける理由などについて語っていただきました。

 

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『天幕のジャードゥーガル』を読んで、皆さんにはご自分の答えを探していただけたら嬉しいです

──アニメ化が決定した際のお気持ちをお聞かせください。『天幕のジャードゥーガル』は、歴史や文化、人物の機微など、映像化にあたって難しさも多い作品だと思います。アニメ化に対する期待や楽しみに感じていたこと、原作者として気になっていた点があれば、あわせてお願いいたします。

トマトスープ先生(以下、トマトスープ):サイエンスSARUさん制作とのことだったので、不安な気持ちは全くありませんでした。第一に私が見たい!と思っていたので、夢が叶った気持ちでした。山田尚子総監督の繊細で奥深い世界観と、Abel Gongora監督のパワフルでスタイリッシュな作風とが合わさったら、すごいことになるだろうな、と、本当に期待100%でした。

それというのも、『天幕のジャードゥーガル』という作品で私が描きたいことは漫画で全て完結していると思っていたので、アニメはアニメで別作品、自由に制作していただきたいなという気持ちがあったからかもしれません。結果的に、かなり原作や実際の歴史や文化にリスペクトを持って慎重に制作していただき、期待以上のすごいアニメーションになったと感じています。

──制作過程では先生への質問も多かったとのことですが、原作者としてどのような形で制作に関わられたのでしょうか? 実際に制作が進む中で、Abel Gongora監督や山田尚子総監督をはじめとしたスタッフの皆さんとやり取りを重ねる中で、印象に残っている出来事を教えてください。

トマトスープ:質問リストを都度都度作っていただき、私や監修の谷川春菜先生や桝屋友子先生でそこに回答を書き込む…というやりとりを何度か繰り返しました。シナリオができた段階でも、明確にこれは気になるなという箇所があればお伝えし、完成稿へ向かっていったという感じです。監修がしっかりとおりましたので、私としては「このシーンはこういう意図があってこう描きました」というようなコンセプトや、「私が参考にしたのはこの本のこの箇所です」と出典をお伝えすることがメインでした。

その中で、私自身気づいていなかった漫画内の時系列の誤りや、文化的な面で知らなかったことを指摘され、真っ青になって原作を修正する、というようなことまでありました。なので、コミックスはできれば最新版を買っていただきたいですね。

キャラクター設定や美術設定の資料をチェックさせていただくときは、本当に楽しみでした。漫画では画面構成を優先して誤魔化した部分がたくさんあるのですが、アニメはキャラクターも建造物なども立体的にさまざまな方向から映るので、漫画とは違うアプローチで一から構築し直されていると感じました。

──完成した映像をご覧になって、特に印象に残った演出やシーン、キャストの皆さんのお芝居を教えてください。原作を描いているときに思い描いていたものと重なった部分や、逆にアニメだからこそ受け取れた新しい魅力をお聞かせください。

トマトスープ:まず1話の冒頭からアザーンが流れ、小さなシタラがトゥースのオレンジ色の街を走り回り、青いタイルのモスクの前でタイトルが現れた瞬間、あ、この作品大好き!と思いました。色彩、造形、動きの滑らかさ、劇伴、演出など…この作品の素晴らしい要素が全て詰まったようなシーンで、何度も繰り返し見てしまいました。

この質問に回答している時点では、まだ全話をチェックしたわけではないのですが、私が拝見した限りずっと高いクオリティが保たれていて、自分が描いた展開ということを忘れて見入ってしまいます。世界最速上映会で3話まで通して拝見したときは、お客さんの反応を見るぞと思っていたのに、作中起きる出来事へのショックが大きくて、画面以外見られませんでした。

特にシタラが「もう知らないところに行くのはイヤ」と泣き出すシーンは、本当に小さな子が泣いているようで可哀想で…。後々別の回で、大人になったシタラが激しく叫ぶシーンがあるのですが、シタラというキャラクターの本質は、必死に学び考え続けても先の見えない闇の中から出られず、こうして泣き叫びながらまた学び考え続けるところにあるのかもしれない、と気づかされました。シタラ役の関根さんが見せてくれたシタラの本質だと思っています。

──本作では、モンゴルやペルシアをはじめとした歴史や文化が丁寧に描かれています。作品を制作するうえで、実在した歴史や文化を創作として扱う際に大切にしていることは何でしょうか。また、資料を調べ続ける中で、今もなお惹かれ続けている歴史の魅力についてもお聞かせください。

トマトスープ:可能な限り調べて描こうと努めていますが、どうしても限界はあるもの。そして私はその文化や信仰や歴史の当事者ではなく、エンタメを作るために外野から利用しているに過ぎないんだと最近強く感じます。『天幕のジャードゥーガル』に出てくる文化や信仰、歴史の当事者の方がどう思うかは、私にはとても想像できるものではありません。

私が想像できる範囲では、『天幕のジャードゥーガル』からモンゴル帝国やイスラム世界に興味をもった方が、能動的に調べてそれを愛するようになったら、『天幕のジャードゥーガル』のことは大嫌いな作品になると思います(アニメーション作品としては評価軸が複数ありますから、ここでは原作の漫画作品のみのことです)。

だったらせめて、自分が作っているものはあくまでエンタメのための創作であること、そして知らないことは知らないと言える創作者でありたいなと思います。

歴史は調べれば調べるほど「史実」という言葉への違和感が強くなります。時々私の来歴について書かれた文章を目にすることがあるのですが、嘘ではないのに、真実でもなく、たとえ私が言葉を重ねて詳細を語ったとしても、けして私から見た真実にはならないでしょう。歴史叙述とはこういうものだと気づきました。

もしタイムスリップして、モンゴル帝国の実際の人々を見られるとしても、それは決して自分が夢中になったその人たちではないわけだし、見たくないんじゃないかな……いや、見たいかな? 別の像を見たいかも……。こんな虚しい逡巡をもう10年以上続けています。虜です。

──本作の主人公・シタラは、「学ぶこと」を生きる力へと変えていく人物です。先生ご自身も以前のインタビューで、歴史を学ぶことへの関心について語られていましたが、現代社会において「学ぶこと」や「知性」はどのような意味を持つとお考えでしょうか。また、シタラの生き方を通して、読者や視聴者に受け取ってほしいものを教えてください。

トマトスープ:昔、私が非正規として会社で働いていたとき、年上の同僚が「自分はかつて独立して起業したこともあったけど、非正規に戻った。他人に決めてもらえるのって楽だよ」と言っていたのに対して、社会経験の浅い私は何も言えませんでした。

「学ぶこと」は何のためにあるのかというと、「自分で決める」ためなんじゃないかと、私は今のところ思っています。

ただ学ぶ機会を得られること自体、恵まれたことでもあります。シタラの生きた13世紀と比べれば、現代はずっと知の裾野が広がった時代ですが、それでもさまざまな事情で学ぶ機会を十分に得られなかった人もいます。そこを否定する描き方はしたくありません。知の裾野が広がった時代の恩恵を受けてきた身としては、それは望ましくない態度だと思っています。

あの同僚は、それはそれで自分で選んだ結果としてそこにいたんだと思うのですが、それでも「他人に決めてもらえるのは楽でしょ?」という問いにどう答えたら良かったのかを、シタラたちの人生を借りてずっと探しています。

『天幕のジャードゥーガル』を読んで、皆さんにはご自分の答えを探していただけたら嬉しいです。

──最後に、放送を楽しみにしている読者へのメッセージをお願いします。

トマトスープ:TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』に打ちのめされてください。

[記事構成/タイラ]

作品情報

天幕のジャードゥーガル

あらすじ

13世紀、イランの奴隷市場にその少女はいた。
これは、広大な大陸を翻弄した一人の魔女の話――。
⺟を亡くし、故郷からも遠く引き離されたシタラ。
まだ幼く、一人で生きていく術も未来への希望も持たない彼女は、
学者の一家に拾われ、穏やかな日々の中で“知”を授けられる。
その頃、皇帝チンギス・カンによる地上最強の「モンゴル帝国」が他国への侵攻を繰り返し、
日に日に勢力を拡大していた。
その野望がシタラの住む街に到達したとき、日常は終わりを告げ、運命が大きく動き出す。


キャスト

シタラ:関根明良
ドレゲネ:小清水亜美
ファーティマ:桑島法子
ムハンマド:齋藤潤
オゴタイ:下野紘
トルイ:鈴木崚汰
シラ:入野自由
チャガタイ:浪川大輔
ジュチ:野島健児
チンギス・カン:玉鷲関
モンゴル兵士:玉正鳳関

(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

天幕のジャードゥーガル:新たなアニメ表現への挑戦 実験的でフラットな構図 アベル・ゴンゴラ監督インタビュー - MANTANWEB(まんたんウェブ)

天幕のジャードゥーガル:新たなアニメ表現への挑戦 実験的でフラットな構図 アベル・ゴンゴラ監督インタビュー - MANTANWEB(まんたんウェブ)

天幕のジャードゥーガル:新たなアニメ表現への挑戦 実験的でフラットな構図 アベル・ゴンゴラ監督インタビュー

アニメ「天幕のジャードゥーガル」の一場面(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

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アニメ「天幕のジャードゥーガル」の一場面(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会
アニメ「天幕のジャードゥーガル」の一場面(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

 「このマンガがすごい!2023」(宝島社)のオンナ編1位に選ばれたことも話題のトマトスープさんのマンガが原作のテレビアニメ「天幕のジャードゥーガル」が、テレビ朝日系のアニメ枠“IMAnimation”で7月4日に放送を開始した。「平家物語」「聲の形」「きみの色」などの山田尚子さんが総監督、「ダンダダン」第2期などのAbel Gongora(アベル・ゴンゴラ)さんが監督を務め、サイエンスSARUが制作する。アニメとしては異例の13世紀のモンゴルが舞台となる。アニメ、つまり動きがあるわけだが、絵画のような美しさもある。これまでのアニメにはないような映像美はいかにして生まれたのか。アベル監督に聞いた。

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 ◇山田尚子、吉田健一へのリスペクト

 「天幕のジャードゥーガル」は、秋田書店のマンガサイト「Souffle(スーフル)」で連載中のマンガが原作。モンゴル帝国の捕虜となった少女・シタラが、知恵を駆使して王族に取り入り、帝国を内側から崩壊させようと決意する……というストーリー。アニメは、総監督の山田さん、監督のアベルさんの二人体制で制作を先導したようだが、明確な役割分担があったわけではないという。

 「山田さんは脚本の段階から作業を始められていて、私はビジュアルの開発から本格的に参加しました。ビジュアルスタイル、キャラクターデザイン、アートディレクション、絵コンテのチェックといったことは二人体制で行いました。実制作に入ってからは、山田さんの関与する領域は変化していきましたが、その度合いは工程ごとに異なるので、一概に説明するのは少し難しいところもあります」

 山田さんと共にアニメを制作することで刺激を受けている。

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 「ずっと前から彼女の作品が好きでしたし、彼女の絵コンテやアートディレクションに対する考え方を学ぼうとしていました。彼女は本当に素晴らしいですし、今回関われることは大きなチャンスでした。彼女がチームとコミュニケーションをとる方法も本当に素晴らしく、その点でも学ぶことがたくさんありました」

 吉田健一さんがアニメのキャラクターデザインを手掛け、作画チーフとして参加している。吉田さんはスタジオジブリ出身で、「地球外少年少女」「ガンダム Gのレコンギスタ」「交響詩篇エウレカセブン」「OVERMANキングゲイナー」などのキャラクターデザインでも知られている。アベルさんは、吉田さんの仕事も絶賛する。

 「吉田さんにこのプロジェクトに関わっていただけるのは大きなサプライズでした。本当にエキサイトしました。彼は私の想像以上でした。本当に優れたアニメーターがそろっていますが、彼はそれをさらに優れたものにしてくれます。繊細な表情を描き、複雑な感情を表現しています。彼がキャラクターを描くたびに、どういうわけか突然、特別に見えるんです。本当に素晴らしいんです」

 ◇リアルでありながら人工的な構図

 アニメやマンガで描かれることがあまりない13世紀のモンゴルが舞台となる。原作のビジュアルも独特だ。原作のビジュアルをアニメとして見事に表現している。

 「原作はクラシックな雰囲気があると思い、それを生かしたいと考えました。マンガを単純に模倣するわけではありませんが、美術やキャラクターデザイン、色彩、音楽などにどこかクラシックな雰囲気を持ち込もうとしました。例えば、私は、森康二さんが作画監督を担当した『わんぱく王子の大蛇退治』のような、東映動画(現・東映アニメーション)の黄金期の作品に影響を受けています。そこをより明確にしようとしていて、背景のスタイルにも影響があります。キャラクターの処理に関しては、デジタルっぽさを減らし、アナログのように見せようとしています。例えば、線を粗くしたり、色にテクスチャを加えたり、最終的なコンポジットで少しグレイン(粒子)を加えたりしています」

 アニメだから当然、動きがあるが、絵画を見ているような美しさもある。

 「絵コンテでも実験的でフラットな構図を取り入れようとしました。例えば小津安二郎やウェス・アンダーソンといった映画監督の影響も受けています。自然主義的な描写よりも、シンメトリーな構図や低いカメラポジション、浅い被写界深度などを用いて、少し人工的なスタイルを推し進めようとしました。逆に重要なシーンやドラマチックなシーンでは自然な構図や極端なパースを用いたりもしています」

 アベルさんは「多くのことが挑戦でした」と話すように、新しい表現を目指しつつ、細部までこだわり抜いた。

 「山田さんはとても一緒に仕事をしやすい方ですが、こういうふうに別の監督と一緒に仕事をするというのは挑戦でした。それと、先ほども話した構図も挑戦でした。私はこれまでのアニメでシンメトリーな構図や等角投影法は使わずに、できるだけリアルでシネマティックに見せようとしてきました。ただ、ペルシャ美術の影響などを絵コンテの段階に持ち込むのが面白いのではないかと考え、人工的な構図も取り入れたんです。ペルシャやモンゴルの文化に関しても間違いを犯したくありません。そういった文化を背景に持つ人々に誇りを持ってもらいたいからです。そのためには、あらゆるディテールに注意を払う必要があります。ペルシャやモンゴルの歴史は非常に豊かですが、チームの誰もその土地の出身ではありません。敬意を払うために多大な努力を注ぐ必要がありました」

 「天幕のジャードゥーガル」は、懐かしさと新しさが見事に融合し、これまでにないアニメとなった。物語、ビジュアル、そしてキャラクターたちの圧倒的な表現力を、ぜひその目で確かめてほしい。(阿仁間満/MANTANWEB)

2ページ目:山田尚子が語る『天幕のジャードゥーガル』は「考えることをする作品」【インタビュー】 | アニメイトタイムズ

2ページ目:山田尚子が語る『天幕のジャードゥーガル』は「考えることをする作品」【インタビュー】 | アニメイトタイムズ

『天幕のジャードゥーガル』山田尚子総監督インタビュー|“考えること”を取り戻すアニメーション。作品に宿る、歴史・文化・生活へのまなざし

山田尚子が語る『天幕のジャードゥーガル』は「考えることをする作品」【インタビュー】

Abel(アベル)監督のイマジネーションを止めない

──そんな本作を映像化するにあたって、特に大事にしていた部分や気にしていたことはありますか。

山田:やはり、文化の異なる2つの国を軸に描いていく作品なので、そのどちらの文化に対しても、きちんと敬意を持って描くこと。そこを一番大事にしていたと思います。

──敬意を持ちながらも、フラットな感覚も受けました。「奴隷」という強い言葉をキャラクターたちが普通に使用していたり。

山田:「そういうことがあった」という語り口というか。「奴隷」という言葉や制度に関しても、初めて知ることが多いなと思っています。シタラたちの空間、ペルシアでは、まるで家族のように生活していたり。

触れていく中で、自分が勝手に思い込んでいた認識みたいなものを、どんどん見せてもらえる感覚があって。だからこそ、「もっと知りたい」と思わされるんですよね。

──そういった表現をしていく中で、総監督としてどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

山田:特に何かを強く引っ張るというよりは、Abel監督の応援隊みたいな感じでした(笑)。「Abel監督が次は何をするんだろう」っていうのを、楽しみにしていたんです。

──では、山田さんから何かを提示するというよりは、Abel監督に応えるような。

山田:心持ちとして、Abel監督のイマジネーションを止めない人でありたいと思っています。

──作り手としてのAbel監督の魅力や、「信頼できる」と感じる部分についてもお聞きしたいです。

山田:最初にお仕事をした時に彼と話をして、何て言うんでしょう……確信めいたものがありました。純粋に「作るために生まれてきた人なのではないか」と感じたんです。ある意味ではとてもフラットですし、同時に「良いものにするためには妥協しない」という強さもある。また、いろんな目線をちゃんと同時に持っていらっしゃるんですよね。

客観的な視点もあるし、その中に少し主観的なものもバランスよく入っている。そして、最終的には、すべてが「この作品にとって何がベストか」という一点に向かって収束していく。

Abel監督がこれまで何を見て、どんな勉強をして、何に興味を持ってきたのか。そういうものも惜しみなく作品に注ぎ込んでいるし、それを選び取るバランス感覚もすごいなと思います。また次に別の作品を作ったら、全然違う世界を作り上げるんじゃないかしらって。なんだか「四次元ポケット」みたいな印象です。

──何でも自在に取り出すことができるような感じなんですね。そのポケットの中身が気になります。

山田:何かギャップのようなものを感じさせないのが不思議なところでもあります。彼自身、日本のアニメーションをとても愛していらっしゃいますし、古い日本映画も大好きだそうです。作ったものを見ても、根っこの部分に“侘び寂び”があって。そういった意味でもバランス感覚が素晴らしいと思います。

──Abel監督からは、山田さんについて、「キャラクターの内面の描き方が素晴らしい」といったようなお話もあったんですが、本作はたくさんキャラクターが登場しますよね。それぞれの人物を、どう捉えて、どう走らせていったのでしょうか?

山田:この作品に限らず、「各キャラクターごとに考えていることや正義がある」と思いながらやっていると、人数の多さはあまり気にならないかもしれないです。みんな違うので。例えば、「理解できなくて当たり前」だと思うこともあるし。例えるなら、その人物の話に耳を傾ける作業なのかなと。

『天幕のジャードゥーガル』は登場人物が多くとも、もともとすごく魅力的に描かれているし、その人物について調べていくと、「もっとこう描きたい」という気持ちもどんどん出てくるんですよね。

──普段作品に触れる時も、そうやって登場人物1人1人を見ていく感覚があるんでしょうか。

山田:「そういう人なんだな」って思うというか。冷静に分析するというよりは、「そう考えるんだ」みたいな「学び」の感覚に近いかもしれないです。

トマトスープ先生の意図に反することはしたくない

──トマトスープ先生とは、実際どんなやり取りをされていたのですか?

山田:本当にものすごい量のお問い合わせが、トマトスープ先生のところにいっていたと思います(笑)。

シナリオ段階もそうですし、設定を作ったり、絵を描いたり、アニメーションを作り上げる中で、「これはどういう意図なんでしょうか」と確認することが多かったです。

もちろん、創作として広げていく部分はあるんですけど、トマトスープ先生の意図に反することはしたくない。そのチューニングみたいな作業を、かなりたくさんやっていました。先生からしたら、「めっちゃ聞いてくるな……!」って感じだったと思います(笑)。ざっくりした大きな部分から、ものすごく細かいところまで。野暮な質問もいっぱいしていたかもしれないです。

──かなり細かく確認しながら進めていったんですね。キャスティングについても伺いたいのですが、ムハンマドのお芝居に衝撃を受けました。あまりに無垢で知的な感じがしたと言いますか。演じる齋藤潤さんは、主に実写作品で活躍していますね。

山田:斎藤さんに関しては私も想像していなかったというか、やっていただけると思わなかったですね。収録に来ていただいても、目の前にムハンマドがいるような感じで。本当に素晴らしかったです。

──シタラを演じる関根明良さんも、彼女の2面性を見事に表現しておられて。

山田:そうなんですよね、一枚岩ではない感じ。強か(したたか)で計算高いけど、抜けている部分もあって。そういう揺らぎみたいなところを上手く演じていってくださっていると思います。

シタラと共に学び、考える

──シタラに対する印象や、役割についても伺えますでしょうか。

山田:シタラって、すごく揺らぎがあるというか。いる場所によって、どんどん吸収して、考え方も変わっていく人なので、ある種一貫性がないように見えると思うんですよね。一見すると、ころっと考えを変えているようにも見える。大切なものを奪っていったモンゴルのことを、少しずつ好きになっていったりもする。

そこがすごく人間くさいキャラクターだと思う一方で、語り部としては変わった人物なんじゃないかなとも思っています。

──揺らぎのある語り部ですね。

山田:シタラの目線を通して見ていくことで、周りのキャラクターたちがどんどん魅力的になっていく気がするんです。でも、シタラの言っていることを真剣に追いかけていくと、気づいたら(視聴者が)振り落とされている瞬間もあるかもしれないなと。今後どういう女性として描かれていくのか、私自身もまだ知らないので。今の時点ではとても人間くさいキャラクターだと感じています。

──そんな彼女は本作で「学び」を生きる手段のように捉えています。一方で、私たちの現実世界では「勉強をすること」や「知性に希望を持つ」ことが難しくなっているような感覚もあります。作品にとっても鍵となる「学び・知性」の意義について、山田監督はどのように捉えていらっしゃいますか?

山田:この世界には、知らないことばかりですよね。いろんな情報だけが世に溢れている感じで、それを眺めているだけで知った気になったり、勘違いしたままにしてしまうことも多いんじゃないかと思ったり。

疑問を持ち、考え、立ち止まってみることが難しくなっているかもしれません。でも、この作品と向き合っていると「考える」ことをすると思うんです。知ることは楽しいし、自分の自信にも繋がってくるし、良い作用が生まれるような気がするというか。

インターネットやSNSでは、アルゴリズムの影響でどんどん先鋭化していく印象があって、気づいたら自分の興味があることだけになったりしがちですよね。例えば、「本屋さんに行って全く興味を持っていなかった本を何となく買ってみる。それがすごく面白かった」みたいな経験ってどこかであるんじゃないかなと思うんです。その感覚を忘れたくないですし、『天幕のジャードゥーガル』は考える・知るみたいなことが叶う作品だと思っています。

──そういう経験を思い起こしてくれますよね。

山田:脳みその使っていないところが動くというか。「そういえばここ動いてたことあったな」みたいな気持ちにもなれるかなって。

何かを考えることができる、考えることを”する”作品になっていて、能動的に作品を見ていけると思います。

──考えさせられる、ではなく「考える」をする。

山田:視聴者の皆さんも、(作品を視聴して)自分はどう考えるのか、作品とご自身のコール&レスポンスみたいな感覚で楽しんでいただけると嬉しいです。

[インタビュー/タイラ]

作品情報

天幕のジャードゥーガル

あらすじ

13世紀、イランの奴隷市場にその少女はいた。
これは、広大な大陸を翻弄した一人の魔女の話――。
⺟を亡くし、故郷からも遠く引き離されたシタラ。
まだ幼く、一人で生きていく術も未来への希望も持たない彼女は、
学者の一家に拾われ、穏やかな日々の中で“知”を授けられる。
その頃、皇帝チンギス・カンによる地上最強の「モンゴル帝国」が他国への侵攻を繰り返し、
日に日に勢力を拡大していた。
その野望がシタラの住む街に到達したとき、日常は終わりを告げ、運命が大きく動き出す。


キャスト

シタラ:関根明良
ドレゲネ:小清水亜美
ファーティマ:桑島法子
ムハンマド:齋藤潤
オゴタイ:下野紘
トルイ:鈴木崚汰
シラ:入野自由
チャガタイ:浪川大輔
ジュチ:野島健児
チンギス・カン:玉鷲関
モンゴル兵士:玉正鳳関

(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

細田守、21歳の初実写映画をドヤ顔で語る 小原篤のアニマゲ丼:朝日新聞

細田守、21歳の初実写映画をドヤ顔で語る 小原篤のアニマゲ丼:朝日新聞

細田守、21歳の初実写映画をドヤ顔で語る 小原篤のアニマゲ丼

 「去年『果てしなきスカーレット』が大爆死しまして――」

 長く映画を取材してきましたが、監督本人から“大爆死”(=興行的大失敗)なんて言葉を聞くのは初めて。インタビューで細田守さんはこの後もっと衝撃的な話をして下さったのですが、それは7月10日朝刊(一部地域)に掲載予定の「細田守の原点/展」(東京・京橋「CREATIVE MUSEUM TOKYO」で8月31日まで)特集紙面に書くので、今回は金沢美術工芸大在学中だった21歳の細田さんが初めて監督した実写映画「SILENT」(1989年、39分)のお話を。

 展覧会場内で上映されていますが「だいたいムードは分かったからもういいや」なんて途中で見るのをやめてはいけません。夕日が海に沈むファーストカットから7人の男女が光の中に溶けていくラストまで、通しで見て下さい。序盤はタイトル通りサイレント、フォーレの「レクイエム」が流れてガッとギアが上がるのがちょうど19分。ちゃんと腕時計で確認しました。

 「ミッドポイント(中間点)ですね?」と問う私。

 「この映画は3幕構成になっているんです」とドヤ顔の細田さん。

 古代ギリシャに端を発しハリウッドの脚本術でモデルとされる「3幕構成」とは、①設定/②対立/③解決。ミッドポイントとは第2幕の中間(物語全体の中間)に置かれるドラマの大きな転換点です。

 「SILENT」は、世界崩壊を生き残ったが言葉を失ってしまった7人の男女の物語。浜辺や森でユートピア的な生活を送っていたが、残骸の中から詩集を見つけたことで言葉を取り戻す。言葉はやがて不和や対立といったそれまでなかった感情を生み7人の関係を破壊していく――というもの。①ユートピア②言葉の復活③破局という3幕構成です。上向きだった物語が下向きに転換するところで、荘厳なレクイエムが流れます。

 油絵科の細田さんがデザイン…

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2026年7月5日日曜日

ファーティマ・ハトゥン #天幕のジャードゥーガル

 


「天幕のジャードゥーガル」作者が語る 歴史漫画創作は思考の遊び:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASV730VH3V73UCVL03PM.html



ファーティマを主人公にした理由

 ――主人公はモンゴル帝国を恨む元奴隷の侍女ファーティマで、第2代皇帝の第6妃ドレゲネと手を組んで帝国の崩壊をもくろみます。歴史ファンでも知らない人の多いファーティマを、なぜ主人公にしたのでしょうか。

 最初は、ドレゲネを主人公にしようと思っていました。彼女が一国の命運を左右する存在になった理由は想像の余地があるから、面白くなりそうだなと。

 けれど、ドレゲネはお姫様な…


https://x.com/ascom0/status/2073801836864155658?s=61


TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』放送開始記念!星降る夜に語り尽くそうスペシャル 完全版!|2026年7月4日(土)初回2話連続1時間スペシャル! https://youtu.be/1PD6citv3ro?si=AlmxiOQhISpBSdS3 @YouTubeより


https://youtu.be/1PD6citv3ro?si=LfpdRSrwdpMSIxG4



https://x.com/sciencesaru/status/2073421575500730843?s=61



https://x.com/tsoup2/status/2073421483347759410?s=61


『天幕のジャードゥーガル』出発地であるトゥースでの生活の映像化は、イスラム美術をご専門とされる桝屋友子先生に監修していただきました。桝屋先生無くしてはできなかった素晴らしい映像だったと思います。心から先生に感謝を申し上げます。


すぐわかるイスラームの美術 建築・写本芸術・工芸 

https://x.com/tsoup2/status/1923006477423325638?s=61




最近読んでいる本

桝屋友子先生のイスラーム美術の本、知らなかったことが沢山あって、面白いやら焦るやらです。

『すぐわかるイスラームの美術』は図も豊富で本当にすぐわかる(私の認識が間違っていたことが…)

読み終わったら『イスラームの写本絵画』の方へ進むぞ…!


https://youtu.be/TCRs99bTP1s?si=rsoSWrY3XrSQESYI


https://youtu.be/w7BxptEtLuo?si=NIyl15JLZ9RjqTyf


https://youtu.be/NOrKCtUv9KU?si=gkmIp7D1xMfKJUW9



https://x.com/vvifdtjjwpfhg9f/status/2073424574268788824?s=61


モンゴルの歴史に沿ったアニメだとしたらシタラ=ファーティマ・ハトゥン


かなり残酷な結末がほぼ確定してる

歴史ものはすでに最終回が決まっているようなもので、そこにたどり着くまでに何があったのかは紡ぐ人によって異なるのでそこに期待したいね


#天幕のジャードゥーガル


ファーティマ・ハトゥンペルシア語: Fāṭima khātūn中国語: 法提玛、生没年:? - 1246年)は、13世紀半ばにモンゴル帝国に仕えたマシュハド出身の女性。モンゴル帝国第2代皇帝オゴデイ・カアン没後に皇后ドレゲネの側近として活躍したが、後に失脚し「呪術使い」として凄惨な処刑を受けたことで知られる。ファティマ・ハトンとも。

生涯

生い立ち

チンギス・カンのホラズム遠征

ファーティマ・ハトゥンの事蹟については、ファーティマと同じくホラーサーン地方の出身であるアラーウッディーン・アターマリク・ジュヴァイニーの著作『世界征服者の歴史』に詳しく、「ファーティマ・ハトゥンに関する事件/ماجرای فاطمه خاتون」という独立した章が設けられている[1][2]

『世界征服者史』によると、ファーティマはモンゴル軍がホラーサーンに侵攻しマシュハドのイマーム・レザー廟英語版が占領された際にモンゴル軍の捕虜になったという[1][2][3]。捕虜となったファーティマはモンゴル帝国の首都カラコルムに連れてこられ、売春に携わった[注釈 1]。カラコルムにおいてファーティマは持ち前の抜け目のなさと狡猾さで第2代皇帝オゴデイの皇后の一人のドレゲネに取り立てられ、オゴデイの治世の間にドレゲネの側近にまで成り上がった[1][2]。ジュヴァイニーはファーティマの狡猾さを『旧約聖書』のデリラに擬えている[1][2]

ドレゲネ称制期

ドレゲネ称制期に発行されたコイン

1241年にオゴデイ・カアンが崩御したとき、モンゴル帝国の慣例では正皇后が次期皇帝の選出まで国政を取り仕切る事になっていたが、第一皇后のボラクチン・ハトゥンは既に亡く、第二皇后のモゲ・ハトゥンもオゴデイの後を追うように亡くなったことから、第六皇后に過ぎなかったドレゲネが次期皇帝の選出まで国政を握ることになった(中国史上の文脈ではこの期間を「六皇后/ドレゲネ称制期」と呼ぶ)[5][6][7][8]。『集史』「グユク・カン紀」によるとドレゲネは当初オゴデイ・カアン期のまま大臣・総督の地位を留めたが、チンカイを初めとする一部の大臣にはかつて憤慨するような対応を受けたことから報復を企んでいた[6][7][8]。この時、ドレゲネを助けたのがファーティマであり、ファーティマの助言によってチンカイらオゴデイ・カアン期の高官たちの多くが地位を失ったという[6][7][8]

また、同じく『集史』「グユク・カン紀」によるとファーティマはヒタイ地方(旧金朝領華北のモンゴル語呼称)の総督マフムード・ヤラワチに対して以前から敵意を抱いており、ヤラワチを罷免して代わりにアブドゥッラフマーンヒタイ(漢地)総督の後任として指名した[6][7][8][9]。この時期、ヤラワチが失脚してアブドゥッラフマーンが台頭したことは漢文史料の側にも記録されている[注釈 2]。ファーティマは更にオカル・コルチ(Oqal qorči>ūqāl qūrchī/اوقال قورچی)なる人物を使者(イルチ)として派遣しヤラワチとその家臣を捕らえようとしたが、ヤラワチは敢えて堂々と使者を迎えて宴を催し、宴の裏で逃亡の準備を行い3日目に使者の目をかいくぐって逃れることに成功した[6][7][8]

チンカイやヤラワチら、ドレゲネとファーティマによってそれまでの地位を逐われた高官達の多くはオゴデイの息子の一人で四川チベット方面の侵攻を担当していたコデンの下に逃れた[6][7][8]。ヤラワチを取り逃したオカル・コルチはコデンの下を訪れヤラワチの身柄を引き渡すよう要求したがコデンはこれを拒否して、次代の皇帝(カアン)を決めるクリルタイに彼等を連れて行き、一族や高官たちの立ち会いの下彼等の罪を明らかにすると答えた[6][7][8]。このような状勢を知ったヤラワチの息子でトルキスタン総督府に仕えるマスウード・ベクも同様にジョチ・ウルスバトゥの下に逃れた[3][6][7][8]。また、同時期にイラン総督府の総督コルグズチャガタイ・ウルスとの確執が元で審理を受けたが、政敵であるシャラフ・ウッディーンがファーティマに取り入ったために失脚・処刑されたと記されており[6][7][8][10]、モンゴル帝国の三大属領(ヒタイ/漢地、トルキスタン、イラン)全ての高官がドレゲネおよびファーティマの報復人事の影響を受けることになった[3]

失脚

生前のオゴデイは息子達の中でも正妻から生まれたクチュコデンらを厚遇していたが、特にクチュの早世後はその子のシレムンを自らの後継者とするよう扱っていた。しかし、国政を握ったドレゲネは自らの息子でオゴデイにとっては庶長子にあたるグユクを次代の皇帝にすべく工作を行った[11]。ジョチ・ウルスのバトゥを筆頭として先代皇帝の庶長子に過ぎないグユクの即位に対しては強烈な反対が寄せられ、カアンを決める統一クリルタイがなかなか開かれなかったためにドレゲネ称制期は5年にもおよんだが、1246年に遂にグユクは第3代皇帝として即位を果たした[12]

グユクが即位を果たしたころ、その側近であるカダクに仕えるアラヴィー・サマルカンディー・シラなる人物が「ファーティマがコデンに呪いをかけている」と告発した[1][2][13][14]。コデン自身もグユクに使者を派遣して自らの体調が悪化しているのはファーティマの呪術の結果であると訴え出て、もし自身が死んだらファーティマに対して仇を取るよう伝えたという[1][2][14][注釈 3]。その後、コデンが亡くなるとグユクの下で復権したチンカイの勧めもあり、グユクはファーティマを差し出すようドレゲネに使者を派遣した[1][2][13][14]

『世界征服者史』によると、ドレゲネは当初「自分でファーティマを連れて行く」と言って身柄を差し出すことを拒否したため、ドレゲネとグユクの仲は悪化したが、グユクの強硬な態度の前に抗弁を諦め遂にファーティマを差し出した[1][2]。グユクの下に連れてこられたファーティマは裸で拘束され、空腹と喉の渇きに耐えながら凄惨な拷問を受け、遂に自らの罪を自白した[1][2]。最終的にファーティマは身体の上下にある穴という穴を縫い合わされ、フェルトにくるまれて河に投げ捨てられるという処刑を受けた[1][2][13][14]

『世界征服者史』はファーティマの罪状を明らかにするためにマシュハドまで使者が派遣され、ファーティマの関係者は弾圧を受けたと記している[1][2]。遠い生まれ故郷での調査や苛烈な拷問による自白を必要としたことは、ファーティマが「呪術を行った」という罪状の証拠が乏しかったことを示唆しており、この事件の本質は「呪術使いの処刑」ではなく「モンゴル宮廷内の派閥争い」にあったと考えられる[16]。実際に、ファーティマの推挙によって取り立てられたアブドゥッラフマーンは同時期に処刑されており、ファーティマの処刑を切っ掛けとするグユク即位直後の粛正が存在していたことが指摘されている[17]

なお、『集史』「グユク・カン紀」には即位したグユクが最初に手がけた裁判案件が「ファーティマ・ハトゥンの尋問」であって、ついで「テムゲ・オッチギンの帝位簒奪未遂」の尋問が行われたと記されている[6][7][8][18]。これは、「ファーティマ・ハトゥンの尋問」がファーティマ個人への追究というよりはモンゴル帝国内の派閥争いの制裁という側面を有しており[19]、「チンギス・カン一族(アルタン・ウルク)の内紛」以上に政治的に重要であるとみなされていたことを示唆する[20]

モンゴル帝国と魔術

モンゴル人が魔術/呪術の行使に対して強い警戒感を有していたことは、ファーティマ・ハトゥンと同時代にモンゴル高原を訪れたプラノ・カルピニらの報告にも示されている。

[モンゴル人は]占い・前兆・腸占い・魔術・妖術を大いに用い、悪魔が答えている時、神が語っているのだと信じる。…中略…また簡単に言うと、火によって全て清められると信じる。だから、君主であれ誰であれ使者が彼等のもとにやって来ると、その者と携えている贈り物を、二つの火の間を通させる。これは、浄めるためと、毒か何か携えてきた悪いもので魔術を行使しないようにするためである。プラノ・カルピニ、『モンガル人の歴史』第3章[21]

この記述にはキリスト教徒としてのカルピニの偏見が含まれているものの、13世紀のモンゴル人が毒物などによる暗殺と魔術による呪殺を明確に区別せずに警戒していたことが窺える。このようなモンゴル人の魔術に対する忌避感が、ファーティマ・ハトゥンへの凄惨な処刑に反映されたのではないかと指摘されている[22]

ファーティマ・ハトゥンを扱った作品

脚注

注釈

  1.  原文はدر بازار قراقورم دلال محبت شد[4]。ボイルの英訳ではIt so chanced that she came to Qara-Qorum, where she was a procuress in the marketと訳される(Boyle 1958,pp.244-245)。
  2.  漢文史料上では、アブドゥッラフマーンについて後の包銀制につながる新税制を導入したことが諸史料に記録されている。ただし、漢文史料上ではいつごろアブドゥッラフマーンがヤラワチに取って代わったのか明記されず、漠然とオゴデイの治世末期からグユク即位のころまでであることが読み取れるくらいである。安部健夫はヤラワチの失脚をオゴデイの治世末期のこととする那珂通世説を退けてオゴデイ没後にアブドゥッラフマーンとの政争に敗れて失脚したとする『新元史』の記述に従うべきであると考察したが、結果的に安部説はペルシア語史料の記述とも合致する。
  3.  なお、後世のモンゴル年代記では「コデンが病に罹ったとき、チベット仏教僧のサキャ・パンディタがこれを治したため、両者は施主・帰依処関係を結んだ」との伝承が記される。この伝承がそのまま史実とは考えにくいが、この伝承の元となったの『世界征服者史』が語るようにグユク即位直後にコデンが病にかかったことにあるとみられる。なお、『蒙古源流』はサキャ・パンティタがコデンを治した歳を1247年丁未)としているが、これはグユク即位の翌年のことであり、グユク即位後にファーティマの呪詛によってコデンが体調を崩したとする『世界征服者史』の記述と合致する[15]

出典

  1.  Kabīr 1378, pp. 167–168.
  2.  Boyle 1958, pp. 244–247.
  3.  佐口 1968, p. 218.
  4.  Kabīr 1378, p. 167.
  5.  佐口 1968, pp. 214–215.
  6.  Rawshan 1373, pp. 799–800.
  7.  Thackston 2012, pp. 276–277.
  8.  余大鈞・周建奇 1985, pp. 209–211.
  9.  佐口 1968, p. 215.
  10.  本田 1991, p. 113.
  11.  佐口 1968, p. 214.
  12.  佐口 1968, pp. 221–222.
  13.  佐口 1968, p. 256.
  14.  志茂 2021, pp. 548–549.
  15.  周, 2001 & p-347.
  16.  Golev 2017, p. 142.
  17.  Golev 2017, p. 143.
  18.  志茂 2021, pp. 552–553.
  19.  Golev 2017, p. 140.
  20.  Golev 2017, pp. 141–142.
  21.  高田 2019, pp. 42–43.
  22.  Golev 2017, p. 134.

参考資料

書籍

  • C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』 2巻、佐口透訳注、平凡社〈東洋文庫128〉、1968年12月。ISBN 4582801285
  • 本田實信『モンゴル時代史研究』東京大学出版会、1991年1月1日。ISBN 978-4130261005
  • 杉山正明『モンゴル帝国の興亡<上>』講談社〈講談社現代新書 1306〉、1996年5月20日。ISBN 978-4061493063
  • 高田英樹『原典 中世ヨーロッパ東方記』名古屋大学出版会、2019年2月8日。ISBN 978-4815809362
  • 志茂碩敏、志茂智子『モンゴル帝国史研究 完篇:中央ユーラシア遊牧諸政権の国家構造』東京大学出版会、2021年3月6日。ISBN 978-4130210850
  • 周清樹 (2001). 元蒙史札. 内蒙古大学出版社

論文

  • Konstantin Golev, Witchcraft and Politics in the Court of the Great Khan: Interregnum Crises and Inter-factional Struggles among the Mongol Imperial Elite. The Case of Fāṭima Khatun Annual of medieval studiesat ceu VOL. 23 2017
  • ジュヴァイニー『世界征服者史』(Tārīkh-i Jahān-gushāy
    • (校訂本) Muʾassasah-ʾi Intishārāt-i Amīr Kabīr,Tahrīr novīn Tārīkh-i Jahān-gushāy Juvainī , Tihrān 1378 [1999 or 2000]
    • (英訳) John Andrew Boyle (tr.), The History of the World-Conqueror, 2 vols., Manchester 1958
  • ラシードゥッディーン『集史』(Jāmiʿ al-Tavārīkh
    • (校訂本) Muḥammad Rawshan & Muṣṭafá Mūsavī, Jāmiʿ al-Tavārīkh, (Tihrān, 1373 [1994 or 1995])
    • (英訳) Thackston, W. M, Classical writings of the medieval Islamic world v.3, (London, 2012)
    • (中訳) 余大鈞・周建奇訳『史集 第2巻』商務印書館、1985年
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ファーティマ・ハトゥン

ドレゲネ称制期

1241年にオゴデイ・カアンが崩御したとき、モンゴル帝国の慣例では正皇后が次期皇帝の選出まで国政を取り仕切る事になっていたが、第一皇后のボラクチン・ハトゥンは既に亡く、第二皇后のモゲ・ハトゥンもオゴデイの後を追うように亡くなったことから、第六皇后に過ぎなかったドレゲネが次期皇帝の選出まで国政を握ることになった(中国史上の文脈ではこの期間を「六皇后/ドレゲネ称制期」と呼ぶ)[5][6][7][8]。『集史』「グユク・カン紀」によるとドレゲネは当初オゴデイ・カアン期のまま大臣・総督の地位を留めたが、チンカイを初めとする一部の大臣にはかつて憤慨するような対応を受けたことから報復を企んでいた[6][7][8]。この時、ドレゲネを助けたのがファーティマであり、ファーティマの助言によってチンカイらオゴデイ・カアン期の高官たちの多くが地位を失ったという[6][7][8]

また、同じく『集史』「グユク・カン紀」によるとファーティマはヒタイ地方(旧金朝領華北のモンゴル語呼称)の総督マフムード・ヤラワチに対して以前から敵意を抱いており、ヤラワチを罷免して代わりにアブドゥッラフマーンヒタイ(漢地)総督の後任として指名した[6][7][8][9]。この時期、ヤラワチが失脚してアブドゥッラフマーンが台頭したことは漢文史料の側にも記録されている[注釈 2]。ファーティマは更にオカル・コルチ(Oqal qorči>ūqāl qūrchī/اوقال قورچی)なる人物を使者(イルチ)として派遣しヤラワチとその家臣を捕らえようとしたが、ヤラワチは敢えて堂々と使者を迎えて宴を催し、宴の裏で逃亡の準備を行い3日目に使者の目をかいくぐって逃れることに成功した[6][7][8]

チンカイやヤラワチら、ドレゲネとファーティマによってそれまでの地位を逐われた高官達の多くはオゴデイの息子の一人で四川チベット方面の侵攻を担当していたコデンの下に逃れた[6][7][8]。ヤラワチを取り逃したオカル・コルチはコデンの下を訪れヤラワチの身柄を引き渡すよう要求したがコデンはこれを拒否して、次代の皇帝(カアン)を決めるクリルタイに彼等を連れて行き、一族や高官たちの立ち会いの下彼等の罪を明らかにすると答えた[6][7][8]。このような状勢を知ったヤラワチの息子でトルキスタン総督府に仕えるマスウード・ベクも同様にジョチ・ウルスバトゥの下に逃れた[3][6][7][8]。また、同時期にイラン総督府の総督コルグズチャガタイ・ウルスとの確執が元で審理を受けたが、政敵であるシャラフ・ウッディーンがファーティマに取り入ったために失脚・処刑されたと記されており[6][7][8][10]、モンゴル帝国の三大属領(ヒタイ/漢地、トルキスタン、イラン)全ての高官がドレゲネおよびファーティマの報復人事の影響を受けることになった[3]

失脚

生前のオゴデイは息子達の中でも正妻から生まれたクチュコデンらを厚遇していたが、特にクチュの早世後はその子のシレムンを自らの後継者とするよう扱っていた。しかし、国政を握ったドレゲネは自らの息子でオゴデイにとっては庶長子にあたるグユクを次代の皇帝にすべく工作を行った[11]。ジョチ・ウルスのバトゥを筆頭として先代皇帝の庶長子に過ぎないグユクの即位に対しては強烈な反対が寄せられ、カアンを決める統一クリルタイがなかなか開かれなかったためにドレゲネ称制期は5年にもおよんだが、1246年に遂にグユクは第3代皇帝として即位を果たした[12]

グユクが即位を果たしたころ、その側近であるカダクに仕えるアラヴィー・サマルカンディー・シラなる人物が「ファーティマがコデンに呪いをかけている」と告発した[1][2][13][14]。コデン自身もグユクに使者を派遣して自らの体調が悪化しているのはファーティマの呪術の結果であると訴え出て、もし自身が死んだらファーティマに対して仇を取るよう伝えたという[1][2][14][注釈 3]。その後、コデンが亡くなるとグユクの下で復権したチンカイの勧めもあり、グユクはファーティマを差し出すようドレゲネに使者を派遣した[1][2][13][14]

『世界征服者史』によると、ドレゲネは当初「自分でファーティマを連れて行く」と言って身柄を差し出すことを拒否したため、ドレゲネとグユクの仲は悪化したが、グユクの強硬な態度の前に抗弁を諦め遂にファーティマを差し出した[1][2]。グユクの下に連れてこられたファーティマは裸で拘束され、空腹と喉の渇きに耐えながら凄惨な拷問を受け、遂に自らの罪を自白した[1][2]。最終的にファーティマは身体の上下にある穴という穴を縫い合わされ、フェルトにくるまれて河に投げ捨てられるという処刑を受けた[1][2][13][14]

『世界征服者史』はファーティマの罪状を明らかにするためにマシュハドまで使者が派遣され、ファーティマの関係者は弾圧を受けたと記している[1][2]。遠い生まれ故郷での調査や苛烈な拷問による自白を必要としたことは、ファーティマが「呪術を行った」という罪状の証拠が乏しかったことを示唆しており、この事件の本質は「呪術使いの処刑」ではなく「モンゴル宮廷内の派閥争い」にあったと考えられる[16]。実際に、ファーティマの推挙によって取り立てられたアブドゥッラフマーンは同時期に処刑されており、ファーティマの処刑を切っ掛けとするグユク即位直後の粛正が存在していたことが指摘されている[17]

なお、『集史』「グユク・カン紀」には即位したグユクが最初に手がけた裁判案件が「ファーティマ・ハトゥンの尋問」であって、ついで「テムゲ・オッチギンの帝位簒奪未遂」の尋問が行われたと記されている[6][7][8][18]。これは、「ファーティマ・ハトゥンの尋問」がファーティマ個人への追究というよりはモンゴル帝国内の派閥争いの制裁という側面を有しており[19]、「チンギス・カン一族(アルタン・ウルク)の内紛」以上に政治的に重要であるとみなされていたことを示唆する[20]


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女性摂政を支えたファティマという女──はたして悪女だったのか?

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ファティマ

トゥレゲネ・ガトンにはおそらくふつうの男には想像できないほどの孤独感があっただろう。チンギス・ハーンの母親ウゲルンや第一夫人ボルテ后とはちがい、東方の有力部族コンギラート部のような実家が彼女にはない。

孤独なトゥレゲネ・ガトンはひとりの女性に胸襟を開き、万事相談するようになった。ファティマである。

ファティマはイスラームのシーア派的背景を持つ女性である、と歴史学者の杉山正明は述べている(『モンゴル帝国の興亡』上巻、1996 )。預言者ムハンマドの娘の名で、その夫はアリーである。アリーの子孫だけをイスラームの正統的な指導者と見なすのが、シーア派である。十二イマーム派やイスマーイール派などである。なかでもとくにイスマーイール派は10世紀にエジプトでファティマ朝を打ち立てた。その名も預言者の娘に因んだ歴史観のあらわれである。

13世紀にモンゴルが勃興したとき、イランの地にもシーア派は絶大な権力と影響力を保持していた。ハラ・ホリムのファティマはサマルカンド出身で、アリーの後裔を自称していたシャラという人物と親しかったと伝えられていることから、あらためてシーア派的な色彩を帯びた人物だと推測できよう。

ジュヴァイニによると、ファティマはアリ・アル・リザのモスクが陥落した際に捕虜としてハラ・ホリムに連れてこられた、という。『集史』は彼女をホラズム帝国のトスという都市の出身だと伝えている。ある研究者は、チンギス・ハーンが中央アジアのマシュハードを落としたときに捕虜となり、孤り身でハラ・ホリムまで連れてこられた、としている。最初はムスリムたちの市場で生計を立てていたが、トゥレゲネ・ガトンに見初められて側近となり、宮廷オルド内で活躍した人物となった。

ジュヴァイニがファティマをガトンすなわち妃と呼んでいることから見れば、トゥレゲネ・ガトンの側近中の側近に昇進していたことがわかる。モンゴルでは、ガトンとはもっぱら黄金家族の正夫人にのみ用いられていた尊称だとされていたからである。一方、テュルク系集団内では、ガトンは「貴婦人」の意味でも使われる。したがって、ファティマは独身をとおしたらしいが、ガトンと呼ばれるほど権勢を振るっていたのはまちがいない。彼女はトゥレゲネ・ガトンに助言をし、帝国の人事と税制、それに外交関係に積極的にかかわっていたのである。

では、ファティマとトゥレゲネ・ガトンは何語で意思疎通していたのだろうか。テュルク系のナイマン部出身のトゥレゲネ・ガトンは当然、テュルク語ができたはずである。ファティマはペルシャ人かテュルク系かは不明であるが、中央ユーラシアには古くから多民族が混住しており、たいていの人びとは複数の言語を同時に操る。ファティマも例外ではないはずである。

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増税で各方面の恨みを買う

有力者たちが征西軍、征南軍としてヨーロッパ方面や対南宋の作戦中だったために、帝国の財政も苦しかった。オゴダイ・ハーンのように豪奢な宴会を毎日のように開き、惜しみなく金銀財宝を配る時代は去ったのである。

人口統計を綿密に作成し、増税しかない、とトゥレゲネ・ガトンは命じた。当然、既得権益を有する諸王家と大臣たちは喜ばない。となると、自身の政治的意向に沿った人物たちを抜擢ばってきし、重用するほかに選択肢はない。ファティマは少なくとも2人のシーア派のムスリムを中央アジアのマーザンダラン地域の役人として派遣していた、とジュヴァイニは聞いていた。新しい大ハーンがまだ選出されていない非常時であるとはいえ、孤独な女性2人の行動は当然、各方面の恨みを買った。

無惨な最期

1246年の冬か翌1247年の早春に、トゥレゲネ・ガトンは亡くなった。息子が大ハーンに選出され、それ以降も世襲されることになったことで、彼女は安心していたはずである。

「彼女がもし、20歳前後にオゴダイと結婚しているならば、亡くなったときは63歳だったのだろう」と中国の歴史学者さいひょうは推算している。

トゥレゲネ・ガトンの死去により、ファティマは後ろ盾を完全に失った。

あろうことか、「シーア派の信徒であるシャラという、アルコール依存症の男が彼女を誹謗中傷した」とある記録は記す。ファティマは逮捕され、拷問にかけられた。最後に目と口を縫われ、フェルトに包まれてから河に沈められた。フェルトに包んで処刑するのは、貴人に対する扱いかたである。

ファティマにはまた先代の大ハーン、オゴダイに毒を盛ったとの嫌疑もかけられていたという。酒色に深く沈溺して政治に無関心となった夫を見限ったトゥレゲネ・ガトンが侍女のファティマを使って毒を盛ったという悪意の噂が広がっていたらしい。

かわいそうなファティマ。どんな嫌疑をかけられても、彼女は孤立無援だった。

モンゴル帝国時代には無数の女性たちが活躍していたが、私はなぜか、ファティマの存在が誰よりも気になる。

男たちの活躍を前面に押し出し、モンゴル人女性たちの登場を必要最小限に抑えようとする東西の年代記作家たちはファティマにはやさしくない。彼女を巫女、悪人、権謀術数家として仕立て上げている。しかし、私からすれば、彼女こそ、激動のユーラシアを生きた、典型的な女性である。

彼女はたしかに権力と人間関係、それに金銭など、利用できるものはすべて利用した。ときに大胆に、ときにはまた冷徹に動いた。帝都ハラ・ホリムを舞台とした無数の男たちのなかで、彼女の謀略までもが美しく、耀いてみえる。

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女性摂政を支えたファティマという女──はたして悪女だったのか?

増税で各方面の恨みを買う

有力者たちが征西軍、征南軍としてヨーロッパ方面や対南宋の作戦中だったために、帝国の財政も苦しかった。オゴダイ・ハーンのように豪奢な宴会を毎日のように開き、惜しみなく金銀財宝を配る時代は去ったのである。

人口統計を綿密に作成し、増税しかない、とトゥレゲネ・ガトンは命じた。当然、既得権益を有する諸王家と大臣たちは喜ばない。となると、自身の政治的意向に沿った人物たちを抜擢ばってきし、重用するほかに選択肢はない。ファティマは少なくとも2人のシーア派のムスリムを中央アジアのマーザンダラン地域の役人として派遣していた、とジュヴァイニは聞いていた。新しい大ハーンがまだ選出されていない非常時であるとはいえ、孤独な女性2人の行動は当然、各方面の恨みを買った。

無惨な最期

1246年の冬か翌1247年の早春に、トゥレゲネ・ガトンは亡くなった。息子が大ハーンに選出され、それ以降も世襲されることになったことで、彼女は安心していたはずである。

「彼女がもし、20歳前後にオゴダイと結婚しているならば、亡くなったときは63歳だったのだろう」と中国の歴史学者さいひょうは推算している。

トゥレゲネ・ガトンの死去により、ファティマは後ろ盾を完全に失った。

あろうことか、「シーア派の信徒であるシャラという、アルコール依存症の男が彼女を誹謗中傷した」とある記録は記す。ファティマは逮捕され、拷問にかけられた。最後に目と口を縫われ、フェルトに包まれてから河に沈められた。フェルトに包んで処刑するのは、貴人に対する扱いかたである。

ファティマにはまた先代の大ハーン、オゴダイに毒を盛ったとの嫌疑もかけられていたという。酒色に深く沈溺して政治に無関心となった夫を見限ったトゥレゲネ・ガトンが侍女のファティマを使って毒を盛ったという悪意の噂が広がっていたらしい。

かわいそうなファティマ。どんな嫌疑をかけられても、彼女は孤立無援だった。

モンゴル帝国時代には無数の女性たちが活躍していたが、私はなぜか、ファティマの存在が誰よりも気になる。

男たちの活躍を前面に押し出し、モンゴル人女性たちの登場を必要最小限に抑えようとする東西の年代記作家たちはファティマにはやさしくない。彼女を巫女、悪人、権謀術数家として仕立て上げている。しかし、私からすれば、彼女こそ、激動のユーラシアを生きた、典型的な女性である。

彼女はたしかに権力と人間関係、それに金銭など、利用できるものはすべて利用した。ときに大胆に、ときにはまた冷徹に動いた。帝都ハラ・ホリムを舞台とした無数の男たちのなかで、彼女の謀略までもが美しく、耀いてみえる。

#7
ファティマ 
 孤独なトゥレゲネ・ガトンはひとりの女性に胸襟を開き、万事相談するようになった。ファティマである。  ファティマはイスラームのシーア派的背景を持つ女性である、と歴史学者の杉山正明は述べている(一九九六 上)。預言者ムハンマドの娘の名で、その夫はアリーである。アリーの子孫だけをイスラームの正統的な指導者と見なすのが、シーア派である。十二イマーム派やイスマーイール派などである。なかでもとくにイスマーイール派は十世紀にエジプトでファティマ朝を打ち立てた。その名も預言者の娘に因んだ歴史観のあらわれである。  十三世紀にモンゴルが勃興したとき、イランの地にもシーア派は絶大な権力と影響力を保持していた。ハラ・ホリムのファティマはサマルカンド出身で、アリーの後裔を自称していたシャラという人物と親しかったと伝えられていることから、あらためてシーア派的な色彩を帯びた人物だと推測できよう。  ジュヴァイニによると、ファティマはアリ・アル・リザのモスクが陥落した際に捕虜としてハラ・ホリムに連れてこられた、という。『集史』は彼女をホラズム帝国のトスという都市の出身だと伝えている。ある研究者は、チンギス・ハーンが中央アジアのマシュハードを落としたときに捕虜となり、孤り身でハラ・ホリムまで連れてこられた、としている。最初はムスリムたちの市場で生計を立てていたが、トゥレゲネ・ガトンに見初められて側近となり、宮廷オルド内で活躍した人物となった(De Nicola 2017)。

 ジュヴァイニがファティマをガトンすなわち妃と呼んでいることから見れば、トゥレゲネ・ガトンの側近中の側近に昇進していたことがわかる。モンゴルでは、ガトンとはもっぱら黄金家族の正夫人にのみ用いられていた尊称だとされていたからである。一方、テュルク系集団内では、ガトンは「貴婦人」の意味でも使われる。したがって、ファティマは独身をとおしたらしいが、ガトンと呼ばれるほど権勢を振るっていたのはまちがいない。彼女はトゥレゲネ・ガトンに助言をし、帝国の人事と税制、それに外交関係に積極的にかかわっていたのである。
  では、ファティマとトゥレゲネ・ガトンは何語で意思疎通していたのだろうか。テュルク系のナイマン部出身のトゥレゲネ・ガトンは当然、テュルク語ができたはずである。ファティマはペルシャ人かテュルク系かは不明であるが、中央ユーラシアには古くから多民族が混住しており、たいていの人びとは複数の言語を同時に操る。ファティマも例外ではないはずである。



無惨な最期
  その年の冬か翌一二四七年の早春に、トゥレゲネ・ガトンは亡くなった。息子が大ハーンに選出され、それ以降も世襲されることになったことで、彼女は安心していたはずである。 「彼女がもし、二十歳前後にオゴダイと結婚しているならば、亡くなったときは六十三歳だったのだろう」と中国の歴史学者蔡美彪は推算している(一九八九)。トゥレゲネ・ガトンとファティマが世界のハラ・ホリムでどのように政治を動かしていたか、第1章で触れたジョージア出身の貴族の女性タムタも見ていたはずである。  トゥレゲネ・ガトンの死去により、ファティマは後ろ盾を完全に失った。 
 あろうことか、「シーア派の信徒であるシャラという、アルコール依存症の男が彼女を誹謗中傷した」とジュヴァイニは聞いている。ファティマが呪いをかけていたために、王子コデンの病気が悪化した、との流言蜚語である。
  復権した鎮海も新帝グユクにファティマへの不満を口にした。どうやらグユクも自身と母親のあいだに立つファティマを快く思っていなかったらしい。グユクはファティマを尋問し、拷問にかけた。  ファティマは最後に目と口を縫われ、フェルトに包まれてから河に沈められた。フェルトに包んで処刑するのは、貴人に対する扱いかたである。 
 カルピニによると、ファティマにはまた先代の大ハーン、オゴダイに毒を盛ったとの嫌疑もかけられていたという。酒色に深く沈溺して政治に無関心となった夫を見限ったトゥレゲネ・ガトンが侍女のファティマを使って毒を盛ったという悪意の噂が広がっていたらしい。

 かわいそうなファティマ。どんな嫌疑をかけられても、彼女は孤立無援だった。
  グユク・ハーンの死後、エメールに住むアリー・ホジャがシャラを誣告の罪で訴え、受理された。シャラとその一族は処罰を受けた。登場人物たちの名前から判断して、事の真相はシーア派の内紛のように見えてしかたない。それを利用する者たちがいたのである。  モンゴル帝国時代には無数の女性たちが活躍していたが、私はなぜか、ファティマの存在が誰よりも気になる。
  男たちの活躍を前面に押し出し、モンゴル人女性たちの登場を必要最小限に抑えようとする東西の年代記作家たちはファティマにはやさしくない。彼女を巫女、悪人、権謀術数家として仕立て上げている。しかし、私からすれば、彼女こそ、激動のユーラシアを生きた、典型的な女性である。  
 彼女はたしかに権力と人間関係、それに金銭など、利用できるものはすべて利用した。ときに大胆に、ときにはまた冷徹に動いた。ハラ・ホリムを舞台とした無数の男たちのなかで、彼女の謀略までもが美しく、耀いてみえる。  
 次章においては、末子トロイの未亡人が主役になる。

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

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