2026年6月2日火曜日

『夢』の映画化されなかったエピソード


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『夢』の映画化されなかったエピソード


『夢』は8つのエピソードからなるオムニバス映画だが、89年初頭に製作発表の記者会見がされた際には9つのエピソードとされていた。これが資料によっては10であるとか11だとか諸説分かれてしまう。プロデューサーの井上芳男氏によれば、当初黒澤の書いたシナリオには12のエピソードがあったが、予算の関係等の問題から8つになったという。では映画化されなかったエピソードはどのようなものだったのだろうか。

 

『翔ぶ』

 当初1番初めに置かれていたエピソード。映画化はされなかったが、黒澤明の描いた絵コンテをもとに大林宣彦によってアニメーション化され、共同石油のCMで使われた。私も劇場でこのCMを見た記憶がある。

 高層ビルの間に張られた目もくらむような高さの1本のロープの上を、学生服を着た「私」が渡っている。手にはバランスをとるための棒をもっているものの、ふらふらして不安定である。とうとう私はバランスをくずしてロープから落ちてしまった。ぐんぐんと地上がせまる。しかし地面に激突する直前に誰かの手が私の手を引っ張りあげてくれる。それは背中に羽根のある美しい女性=天使だった。天使は私の手を引いて空高く舞い上がる。私は空から見る美しい風景に目を見張りながら、天使とともに飛び続ける。どこかで誰かが地上から私を呼ぶのが聞こえるが、私はそのまま飛びつづける。やがて二人は地球を飛び出て宇宙に飛び出す。雄大な星空。方程式や定理が二人に襲いかかるが、何とか切り抜ける。地球が恋しくなった私は、天使と手を離して地球へ落ちていく。野原に落ちる私。そこには、私の「影」がいる。影と私は、野原で手を取って喜びあう。

 私の拙い文章でイメージが涌きずらいだろうが、『スーパーマン』でヒロインのロイス・レーンがスーパーマンに手を引かれながら空を飛ぶシーンを想像して頂ければいいと思う。せっかく映像があるのだから、ビデオで発売してほしいものだ。
 また天使と分かれた私が影と出会うところは、『影武者』でも使われたドッペルゲンガー(分身)のモチーフがよりストレートに現れている。その意味するところは何なのか、シナリオも映画も公開されていない現状では不明だが、黒澤の心象風景をあれこれ想像してみるのも楽しみだ。

 

『阿修羅』

 プロデューサーの井上芳男氏はスピルバーグに『夢』(当時はまだ『こんな夢をみた(Such Dreams, I have dreamed)』という仮題だった)の製作協力を依頼するために『夢』のシナリオを英訳したが、その際に苦労したエピソードとして、『阿修羅』についてこう語っている。

「・・・例えば『夢は』12の話を最終的に8つの話に仕上げて、3つの夢は予算の関係とか、撮影技術の制約とかで割愛せざるをえなかった訳ですが、その割愛した話の中で『阿修羅』と題する夢がありました。阿修羅というのは京都の興福寺にある三面六臂の仏様ですが、この阿修羅が京都の神社仏閣のお坊さん神主たちが、参拝者たちから入場料を取っているということに腹を立て、興福寺の囲いの中から出て京都市内にやってきて、六本の腕の指を合わせて呪文を唱えると、京都中の神社仏閣がつむじ風に巻き込まれて空に飛んでしまい、取り上げられてしまう。その中に『尋ねて曰く、悟りとは何ぞや。答えて曰く、坊主丸儲け。喝!』(笑)
 これなどは悟りとは何ぞや、というのはなんとか訳せますが、坊主丸儲け、というのはどうも。それに喝ときましたからね。英語に直すというのは監督が坊主丸儲け、ということは何を言いたかったかと。そういうことを本当に読み取らないと、英語にはとてもならない」

(『黒澤明研究会誌 N0.11』193p "第一回 黒澤明映画祭 井上芳男氏の講演" より)

 

『素晴らしい夢(平和がくる)』

 89年の製作発表時にはまだ9番目のエピソードとして製作が予定されていた。その後予算の関係で製作が中止され、当初6番目のエピソードの予定だった『水車のある村』がエンディングになった。タイトルの『素晴らしい夢』は製作発表時のものだが、『平和がくる』と紹介している資料(黒澤明研究会誌)もある。

 TVのアナウンサーが「世界に平和がきた」と叫んでいる。世界中の人間が一堂に会して喜びあう。

 アナウンサーには壇ふみが予定され、本人も出演するつもりだったが、結局予算の関係でこのエピソードは中止になった。この経緯について上田正治カメラマンはこう語っている。

-  『夢』の撮らなかった話で「平和がくる」というのは、壇ふみで演ることを予定していたとか。
上田 一番最後のエピソードね。壇ふみは出演する気になっていたんだけど、これまた凄いカットで、バーンというと世界の数十ヶ国の人間が全部集まっているシーンだから。民族衣装から何から全部やって、日本だったら和服着て、アラブだったらベール被って、全部ワンカットで入れるというんです。それでサンフランシスコで撮ると場所も決めたんですよ、黒澤組がサンフランシスコで撮るとどうなるんだって、そしたらスピルバーグも用意するから来てくれって、それで僕達もみんな行く気になっちゃって、向こうへいったらいいねなんて言ってたら、とんでもないそこまでやったら大変、ワンカットだってものすごい。それがまたね、切返しが飛行船の上から見ているカットなんですよ。飛行船を飛ばすかセットで作るか、飛行船の長さだって100メートルくらいありますから、それで構想していたんだけど、結局は金がないんで止めちゃったんだけど、これは本当に場所まで決めたんです。

(『黒澤明研究会誌 N0.11』45-46p "上田正治カメラマンを囲んで" より)

 

『?』

 私が知っている映画化されざるエピソードは以上の3つだけなので、井上氏の言うように当初12のエピソードあったのであれば、あと1つ映画化されていないエピソードがあることになる。もしどなたかご存じの方がいれば、是非教えて下さい。


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黒澤・幻の企画『松風三十郎』?


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黒澤・幻の企画『松風三十郎』? 


 『用心棒』と『椿三十郎』で三船敏郎が演じた浪人・三十郎は、黒澤の生み出した数々のキャラクターの中でも最も人気の高い人物の一人だ。腕っ節が強く痛快な活躍を見せるばかりでなく、とぼけたユーモアも兼ね備え、それでいて心の奥底にはやさしさを秘めている。その人物造詣には、三船自身の個性も反映されており、まさに三十郎・イコール・三船ともいえる当たり役である。『用心棒』は1961年(昭和36年)に公開され、その大ヒットで東宝から続編を要請された黒澤は、もともと堀川弘通のために脚本化していた山本周五郎原作の『日日平安』を『椿三十郎』に書き直して映画化する。翌年公開された『椿三十郎』も大ヒットして、会社は更なる続編を要請したと思われるが、「三十郎」物はこの2作の後は製作されることはなかった。ただし黒澤が「三十郎」を主人公にした続編を検討していたことは以前から関係者により証言されていた(出典が思い出せないのだが)。
 2014年に出版された松田美智子著「サムライ 評伝 三船敏郎」には、その具体的な内容の一端をうかがえる記述があり、大変興味深い。松田(故・松田優作の元妻)は三船プロダクションの重役だった田中壽一(後にプロダクションから俳優を引き連れて独立)とのインタビューで、1965年(昭和40年)の『赤ひげ』以降、共同の作品がなく不仲説も伝えられている当時の黒澤と三船が実は親しい関係だった事実を示すエピソードとして、『椿三十郎』の続編の企画について語っている。それによれば、1976年(昭和51年)頃に黒澤が三船プロを訪問して、娘・和子の結婚費用の借金を依頼した(訪問時、三船は不在だった)。当時の黒澤は、前年の1975年に1年半に及ぶソ連での『デルス・ウザーラ』撮影を終えて作品を公開したところだった。借金の担保に何がいいかと黒澤は聞き、田中が三十郎の脚本はどうかと言うと、「それならあるんだ」と答えたという。以下は黒澤が田中に語ったアイデアである。
 ファーストシーンは、峠の茶屋である。沿道の遠くから「下に、下に!」という大名行列の声が聞こえてくる。やや、あって、大名行列の前に賊が現れ「お命頂戴!」と叫ぶ。だが、大名が乗っているはずの籠から、用心棒が出てくる。「何者だ」と賊に聞かれたとき、松かさがブァッと落ちてきた。三船演じる用心棒は、その景色を見て「松風三十郎」と名乗る。
 予算を聞くと黒澤の返事は5億円であった。早速田中は東宝に行き、黒澤作品の製作を多数手がけた藤本真澄に話をして、東宝が7億円を出資することになる。その時点で『赤ひげ』から10年近く黒澤は三船と映画を作っておらず、2人の久しぶりの作品となれば、大きな話題となる可能性が大きかった。また黒澤は『どですかでん』と『デルス・ウザーラ』をカラーで撮影しており、新作も当然カラーとなるだろうから、黒澤・三船コンビの人気娯楽作がカラーで復活となれば、興行価値も大きい。三十郎を演じることになる三船敏郎はどうだったか。1920年(大正9年)生まれの三船は当時50代半ばで、年齢的にはすでに「三十郎」どころではなかったが(『用心棒』製作時は40歳)、テレビでは時代劇に主演しており、まだまだ三十郎を演じることは可能だった。関係者の期待が大きく高まったことは想像に難くない。
 ところが、しばらくして出来上がった脚本は約束の「三十郎」ではなく、『乱』であった。(「全集黒澤明 第六巻」の年譜に『乱』第一稿の脱稿が1976年3月19日とあるので、時期はその前後だろう。)話が違うと田中が抗議すると、黒澤は「いや、今は、書きたくて仕方ないから書いてみたら、こうなったんだ」と言う。予算として黒澤は10億を提示したが、脚本の内容から20億か30億はかかると思われ(実際26億円かかった)、金額を聞いた東宝は製作を断った。この後、紆余曲折を経て、黒澤は『乱』実現のために、似たような戦国物の大作でより娯楽性の高い『影武者』を製作することとなり、「三十郎」の話は立ち消えになってしまった。
 結局実現しなかった「三十郎」続編であるが、製作されていたらどんな内容になっただろうか。上記のアイデア部分だけでは物語の核心は何も分からないが、想像してみる材料はある。
 まず三十郎が大名行列の籠に隠れるという設定から、内容は『用心棒』のようなヤクザものではなく、『椿三十郎』のような武家ものと考えられる。黒澤の語ったファーストシーンが物語本編と関係ない可能性もあるが(例えば、007シリーズのタイトル前のアクションシークエンスのように)、黒澤作品で、本筋と無関係の飾りエピソードが最初に描かれたものはない。ファーストシーンはどれも物語の本質に深く根ざしたものとなるのがその特徴である。それに主人公が「松風三十郎」と名乗りを上げる場面は見せ場であり、それが飾りエピソードのためではもったいなさすぎる。
 一方、このファーストシーンの面白さは大名籠から三十郎が出てくる意外性であって、ほとんど出オチといってもいい。シーンにインパクトがありすぎて、この場面の後で背景の事情を説明し物語の本筋を始めるのは構成上難しいだろう。黒澤作品の多くは必要な説明を冒頭でまとめて行い(『悪い奴ほどよく眠る』や『用心棒』など)、物語を始めるのはその後である。もしこの場面を用いるとしたら、ファーストシーンではなく『椿三十郎』のように序盤の中ほどの方がふさわしいだろう。
 次に作品のテーマである。黒澤は「三十郎」を書くと言いながら『乱』を書いた。『乱』は後に黒澤が「ライフワーク」と語るほど思い入れの深い作品となるもので、執筆当時の黒澤の頭を占めていたテーマが色濃く反映されていると考えるべきだ。『乱』の発想の発端は、戦国時代の毛利元就の三本の矢の教えをもし三人の息子が守らなかったらとの想像だったという。となると、それを江戸時代に置き換えれば、大名家の三人の息子をめぐる家督争いというテーマが浮かびあがる。三十郎が大名籠に入っていたことから、三十郎は三人の息子の誰かに肩入れするのではなく、家督争いに悩む大名のために、例によって自由な立場から争いを収めるために活躍するということではないだろうか。(あいにく『乱』にはそのような人物はおらず、家督争いは血で血を洗う悲劇を生むが。)三十郎の他の登場人物は、大名、三人の息子、大名の正妻と側室、息子たちの妻または婚約者、家老はじめ藩の重臣、家臣、領民、隣国の大名(または幕府隠密?)など、想像すればきりがない。黒澤作品に度々見られる「師と弟子」のモチーフ(三十郎が亡き師の墓に詣で、思い出を語るとか)や、後期から晩年の黒澤作品の底に流れる山本周五郎的テーマも反映されたであろう。ラストでは、悪者は退治され、三人の息子は力を合わせて領国を治めることになり、大名も安堵し(笠智衆あたりが適役か?)、それを見届けた三十郎がどこへとも知れず去っていく。そんな物語も可能性のひとつである。
 しかし現実の黒澤には『松風三十郎』は書けなかった。アイデアはあったものの、『トラ! トラ! トラ!』降板騒動、『どですかでん』の興行的失敗、『デルス・ウザーラ』撮影の苦労といった辛酸をなめてきた黒澤には、能天気な「三十郎」ものは書けなかったのだろう。そもそも黒澤ははじめから積極的に「三十郎」を売り込んだわけではなく、聞かれた質問への答えとして、構想のひとつだった「三十郎」を語ったにすぎない。話が進み始めたので黒澤も検討したが、結局は書けず、一番書きたかった『乱』を書いたということだろう。とはいえ、「三十郎」の続編というアイデアには、黒澤ファンはじめ多くの映画ファンを引きつけるものがあるのは間違いない。
 かつて作家レイモンド・チャンドラーの遺稿の冒頭一章を引き継いで、ロバート・パーカーが「プードル・スプリング物語」を書き上げたように、この黒澤のアイデアをもとに『松風三十郎』が書かれることはないだろうか。
 

参考:松田美智子著「サムライ 評伝 三船敏郎」文藝春秋(2014年)

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『黒き死の仮面』

『黒き死の仮面』

『黒き死の仮面』


『デルス・ウザーラ』の公開後、製作元のモス・フィルムから脚本をもう一本書いてほしいと依頼を受けた黒澤は、『赤ひげ』でも組んだことのある井手雅人と共に、『黒き死の仮面』の脚本を77年に執筆する。(井手とは後に『影武者』『乱』の脚本も共に執筆する。)

 舞台は黒死病の蔓延する中世ロシア。物語の前半3分の1は、ドブロフスキイ侯爵の親衛隊長ノヴィコフの悲劇である。侯爵の命令を受けたノヴィコフは、病に侵された領内の村々を焼き払い、死者を葬ってきた。だが侯爵は、危険な任務で病に侵されるであろうノヴィコフをはじめから見捨てるつもりだった。その真意を知り、城に戻ったノヴィコフとその35人の部下たちに対して、城の扉は固く閉じられたまま開かない。無理に城に入ろうとした部下は射殺される。ノヴィコフとその一隊は、死に侵された村々の地獄のような中を彷徨しながら、一人また一人と黒死病に倒れていく。とうとう最後に一人だけになったノヴィコフは城の扉の前に戻り、自らを銃殺するよう大声で懇願する。城から発射された銃弾でノヴィコフは死ぬ。

 続いて舞台は城の中に移る。地獄のような外の光景とはがらりと変わり、城の中では華やかな舞踏会が開かれている。だが人々は心底から楽しんではおらず、死を忘れようと必死になっているのだった。城の中には様々な上流階層や職業の人々がいる――商人、地主、工場主、医者、詩人、修道院長、尼僧院長、修道士、修道女、貴族たち、司教、司法官、銀行家、大商人、大地主、侯爵の側近などだ。その中で侯爵は強大な権力を持ち、皆を恐怖で統率している。夜10時。ノヴィコフを射殺した親衛隊長マヴリッキイは、侯爵への反感を見抜かれ、禁じられている「ペスト」という言葉を口にした罪で、絞首刑を命じられる。人々は侯爵の影で不平や不安を口にするが、積極的に現状を変えようとできる者はいない。そんな中で侯爵夫人が病気になり、城中で黒死病が発生したのではないかと人々は恐怖におののく。夜11時。侯爵の弟パーベルは、この上は城から脱出して、侯爵と敵対する大公に降伏するしかないと一同に説くが、逆に侯爵に逮捕される。だがパーベルは地下牢に護送される途中で食料が残り少ないことを暴き、恐れおののく人々を煽動。更には侯爵夫人の病がペストだとの誤った情報で群衆はパニック状態になり、パーベルの指示で侯爵は捕らえられる。止めようとした男は殺される。

 新しい指導者を祝う宴が行われる中、侯爵は道化と共に地下牢に閉じ込められる。一方、侯爵夫人の病気がペストではないと知ったパーベルは、人々が再び侯爵に従うのを恐れて真相を隠す。そして秘密を知っている侍女を殺し、更には殺しの場を見られた修道士や修道女をも殺戮する。夜12時になり、舞踏会のクライマックスとなるバレエが役者たちによって始められる。侯爵の指示で準備されていたバレエは、奇怪な化け物のグロテスクな踊りのオンパレードで、一同は言葉を失う。平行して、兵士たちが侯爵夫人の館に火を放ち、夫人は死ぬ。しかし侯爵夫人はペストでなかったとする将校の証言で兵士たちは正気を取り戻し、パーベルの手足となっていた煽動者を縛り首にする。夫人の死に責任を感じた親衛隊長は侯爵を釈放して自殺する。一方、バレエはますますエスカレートし、悪魔的な狂乱の態をなし始める。その時、黒き死の仮面の装束の人物が広間に現れる。怒ったパーベルは剣を手に黒き死の仮面を追う。仮装の人物は、黄色の部屋、青の部屋、赤の部屋、緑の部屋、紫の部屋を次々と横切り、最後に黒の部屋の大時計の前に立つ。その足元に転がるパーベルに殺された侍女や修道士らの死体を人々はペストによるものと勘違いし、恐慌を起こして我先にと城外へと逃げ始める。群衆に押されて圧死したり、城から墜落死するものも出る。そのパニックの中、パーベルは侯爵の手によって倒される。城は火に包まれ、最後の時が迫る。侯爵は黒き死の仮面と最後の言葉を交わす。その正体は道化だった。燃えさかる炎の中で大時計が1時を打ち、やがて止まる。

 原作は『モルグ街の殺人』『アッシャー家の崩壊』『黒猫』などの幻想的な推理小説や恐怖小説で知られる米国の作家で詩人のエドガー・アラン・ポーによる短編『赤き死の仮面』である。黒澤は話の舞台を中世のロシアに移し、原作では架空の病気であった赤き死を、実際に中世のヨーロッパに蔓延した黒死病(ペスト)に置き換えた。(色の変更は"赤"がソ連のシンボルだったため、気を使ってのことだいう。)そして疫病から隔絶された城の中という原作の設定を使い、死の病の仮装をした人物が城内を駆け抜ける原作の印象的な場面を映画のクライマックスに持ってきて、権力争いとエゴイズムで自滅する人間たちの悲劇へと物語を大きく膨らませた。

 この脚本は外国小説が原作で舞台が日本ではないとはいえ、従来の黒澤作品との大きな違いには驚かされる。それまでの黒澤作品を特徴づけていたヒューマニズムや肯定的な人間像は影をひそめ、ひたすら破滅へ向かって内部抗争を続ける人間の愚かさが全般に渡って描かれている。その人間像は、舞台がロシアであることもあり、さながらドストエフスキーが脚色したかのような重厚で悲劇的なものである。映像的にも黒死病に襲われた村々の惨状(ベルイマンの『第七の封印』を思わせる)や、城の中の陰鬱な雰囲気、不気味な舞踏会、次々と人が殺されていく惨劇など、目をおおうべく地獄絵図が繰り広げられる。『トラ・トラ・トラ!』の監督降板騒動や自殺事件などが黒澤の心に落とした影を反映してか、続く『影武者』、『乱』(脚本が書かれた順番は逆だが)、『夢』の一部エピソードと並んで、黒澤の暗黒期ともいうべき作品群を形成している。(そして晩年の『まあだだよ』『雨あがる』といったやや理想主義的な人間肯定期への作品群への助走となる。)

 他の黒澤作品で最もこれに似ている作品をあげるなら、『乱』だろう。前半、信じていた味方から裏切られて部下と共に死の村々をさまよう親衛隊長ノヴィコフの哀れな姿は、息子から裏切られて領内をさまよう秀虎の姿にも重なる。ただノヴィコフは黒死病で死ぬのを良しとせず、最後は城に戻って味方の銃弾に倒れることを選ぶ。主人から見捨てられても恨むことを疑いを知らずに己の生き方を貫くノヴィコフの人間像は、秀虎というよりは同じ『乱』の平山丹後(油井昌由樹が演じた侍大将)に似ているかもしれない。黒澤は『デルス・ウザーラ』で主役を演じ、自らも高く評価していたユーリー・サローミンをノヴィコフに想定していたという。なお黒澤作品では、主人公の侍が死ぬ場合は鉄砲の弾で死ぬことが多い。『七人の侍』の平八、五郎兵衛、久蔵、菊千代はみな野武士の種子島に当たって死ぬのであって、刀で切り殺される者は一人もいない。『影武者』の武田信玄やその影武者、『乱』の三郎、秀虎も鉄砲で殺される。『用心棒』の三十郎も、卯之助の鉄砲の前に手足が出ずに捕らえられる。並外れた腕前や精神の持ち主である侍を殺すためには、圧倒的な武器であり、かつ皮肉にも雑兵にも扱えて、刀のような鍛練や精神力を必要としない飛び道具が必要なのだ。そう考えると、鉄砲による死を選ぶノヴィコフも、黒澤作品で侍として描かれてきたキャラクターと同列であり、前半におけるその死は作品の中での侍精神の死を暗示するといえる。

 城の中の物語で黒澤の分身とも言えるのが、恐るべき独裁者でもあるドブロフスキイ侯爵である。彼の姿は秀虎に近い。城の中を恐怖で支配し、反抗の影を見せた親衛隊長マヴリッキイに迷うことなく絞首刑を言い渡すといった非情な冷酷さを見せる一方、疫病は神の裁きだとする司教に対し、民衆を苦しめてきた貴族が無事に城に逃げ、疫病で苦しんでいるのはまたもや民衆だ、これがどうして神の裁きなのか、と司教の矛盾をつき、生き延びるためには悪魔の力であっても借りるとする合理的な現実主義者である。同じ独裁的な権力者でも『蜘蛛巣城』の鷲津武時のような迷いは見られない。(おびえた部下たちが自らの保身のために敵に寝返ろうとするのは『蜘蛛巣城』と共通するが。)だが侯爵は城の中に閉じこもって外に出ようとしない。黒澤作品の登場人物に共通するダイナミズムがないのだ。唯一の積極的な行動は、後でも紹介する奇怪なバレエを演出して、人々に人間の醜さを見せつけることである。『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ!』といった海外との合作もうまくいかず、日本国内では映画産業は斜陽化し、テレビにじりじり押されて八方塞がりだった当時の黒澤の精神を反映した人物といえるだろう。

 その侯爵に対抗するのは弟のパーベルである。兄弟の対立のモチーフは後に『乱』でも出てくる。ルカやイーゴリといった小悪党の取り巻きを連れているのも、『乱』の次郎と同じである。パーベルのキャラクターは最初はっきりしない。侯爵を理想主義的に非難して、城外への脱出と大公のもとへの避難がみんなを救う唯一の方法だと叫ぶあたりまでは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる理想主義者でやさしい心の持ち主である末の弟アリョーシャを思わせたりもする。(『カラマーゾフの兄弟』でいうなら侯爵は、現実主義で冷笑的なところもあるものの、完全に良心のかけらもないとはいいきれないイワンあたりか。)だが侯爵に逮捕され、人々を煽動して逆に侯爵への反旗を翻させるあたりから、パーベルは恐るべき本性を明らかにする。自らに反対した詩人のコルサコフをその手で刺殺し、侯爵を逮捕して権力を握ると、王座に座って頽廃的な宴を続けさせる。(貴族たちも宴を続けることを望む。現状に不満があっても、リーダーをすげかえるだけで、現状を変えたり、自ら行動を起こそうとはしない現代社会の大衆に対する痛烈な批判である。)しかも侯爵夫人の病が黒死病でなかったと知ると、人々の心が自分から離れるのを恐れ、秘密を知る侍女をルカに惨殺させる。(技術的には、侍女とそれを追いかけるルカがカーテンの向こうに消え、悲鳴の後に血刀をさげたルカが出てくるところは、『用心棒』の最後で志村喬演じる造酒屋の徳右衛門が、藤原鎌足演じる名主の多左衛門に屋敷の中で切り殺される場面を思い出させる。)そして、その様子を見られた修道士らをも殺害し、侯爵夫人を館ごと焼き殺す手配をする。その後、何食わぬ顔で人々の前に現れ、舞踏会を指揮するのである。最後には燃えさかる城を背景にした侯爵との対決で殺される。侯爵が悪魔的な悪だとすれば、弟のパーベルは人間的な悪といえるかもしれない。だが2人の戦いには正義と悪、人間愛と悪といった、黒澤作品の魅力でもある強烈な対立軸がなく、あえて言うなら『用心棒』のやくざの2大勢力が争っているだけという印象も受ける。2人の一方への観客の感情移入を排したあたりに、人間の争いの愚かさを浮き彫りにしようとする黒澤の主張があるのかもしれない。

 対立する2人のどちらにも肩入れせず、その争いの愚かさを諧謔的に茶化す第3の人物が道化である。この人物は脚本では名前も与えられず、道化としか書かれていない。造型的には『乱』の狂阿彌の原型となっている人物である。はじめ彼は他の死刑囚と共に地下牢に幽閉され、「気違いは時々本当のことを言う。いや、本当のことを言うと気違いにされる」などと気の効いたことを言っている。捕らえられた理由ははっきりしないが、滑稽さをまといながら真実を帯びた言葉が侯爵の逆鱗にふれたのだろうと想像させる。死刑囚たちは侯爵の逮捕と共に釈放されるが、道化だけは地下牢に侯爵と共に残り、その話し相手になる。そして「近頃の殿様は首をつるすか、つるされるかだ」「城の連中は笑うどころの騒ぎじゃない。だから却って笑いたがる」などと皮肉な言動を続ける。道化は城の外に妻子を残していることが明らかになり、滑稽な言動の底には深い悲しみが横たわっていることが暗示される。そしてパーベルの真の姿を知った親衛隊長マヴリッキイが侯爵を釈放すると、小躍りして「やっつけろ! 今度はこっちが笑う番だ!」と喝采する。道化には最後に大きな見せ場がある。黒い死の仮面の仮装をして人々を翻弄し、パーベル一味が殺した修道士の死体を人々に発見させ、城内をパニック状態に陥れるのだ。原作では超自然の存在として描かれる黒い死の仮面は、黒澤の合理的な脚色においては人間が化けていたというオチがつく。(一方で黒澤は『蜘蛛巣城』では物の怪の老婆や武将を登場させているが。)そしてエンディングでは燃えさかる城の中で静かに腰掛け、最後の時を待っている。パーベルを倒した侯爵が部屋に入り、なぜ逃げないかと聞かれると、「もう沢山でさあ!」と答える。狂阿彌が三郎と秀虎の死に涙して「神や仏はいないのか!」と叫んだのと同様に、道化に残されたのは絶望だけであり、悲劇の目撃者としての役割なのである。

 物語のクライマックスは不気味な化け物の仮装が次々と現れるバレエである。この部分は原作では単に仮装舞踏会だったものを黒澤が翻案してふくらませたもので、視覚的にも映画のヤマ場である。グロテスクな魔物に扮した役者たちのバレエで、異常な雰囲気がかもしだされていく。ある化け物は、頭は鳥で下半身は馬。またあるものは頭は馬で下半身は鳥。奇怪で醜悪な巨大な魚の腹を引き裂いて青白い裸体の踊り手が出てくる。それらの仮面は見るものに人間性のグロテスクさをこれでもかと見せつけるのだ。人々は自分たちの醜悪な姿を見透かされたかのように激しく腹を立てて怒る。そして野次や怒号と共に城内は狂乱の様相を呈していき、最後の破滅に向かって最後の助走を突き進んでいく。ある意味でこの舞踏会は映画『黒き死の仮面』そのものといえるかもしれない。舞踏会を演出して、人間の世界のグロテスクさや不気味な世界を見せつけようとしたドブロフスキイ侯爵とは、黒澤自身なのだ。黒澤はこの作品で人間の醜さや愚かさを描こうとしており、その姿はバレエを演出する侯爵と重なる。黒澤自身も完成後の映画に対して、そのあまりのペシミズムとグロテスクさ故におそらく非難が巻き起こるだろうことは予期したに違いないが、それでもあえて脚本に書いた一徹さも侯爵の人物像と重なっている。

 脚本の完成後、黒澤は舞踏会の部分の演出をイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督に頼んでいたという。フェリーニは初期には『青春群像』『道』『甘い生活』といった真摯な人間ドラマを造っていたが、徐々に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などで人間の深層心理をめぐる幻想的な世界を描くようになり、『サテリコン』『ローマ』といった作品ではその描写はグロテスクともいえる境地にも達していた。演出の件はフェリーニも乗り気だったが、結局実現しなかった。フェリーニも黒澤と同様に映画の前に絵コンテでイメージを伝えるなど、映画のビジュアル面で独自の世界を構築できる監督だったため、2大巨匠の合作が実現していれば、映画史に残る作品となっていただろう。

 ソ連側の依頼で執筆された脚本だったが、結局『デルス・ウザーラ』に続く黒澤のソ連映画とはならなかった。詳細は不明だが、あまりに暗くて、ペシミスティックな脚本にソ連側が二の足を踏んだのではないかと思われる。(政治的にも、侯爵の独裁的な支配体制が共産主義の恐怖政治を想像させ、城の崩壊が共産主義の崩壊を暗示させるのが嫌われた可能性はある。)野上照代氏の全集のあとがきによれば、『乱』のプロデューサーだったセルジュ・シルベルマン(ブニュエルの後期作品のプロデューサーとしても知られる)が一時興味を示したこともあったが、結局映画化には至らなかった。黒澤のペシミズムと人間不信はこの後の『乱』で結集するが、この脚本に書かれたグロテスクでペシミスティックな映像美は残念ながら撮影されることはなかった。もし映画化されていれば、黒澤の作品史の中で、いや世界の映画史において、他に類のない大きな異彩をはなった作品となったであろう。

(脚本収録 岩波書店「全集黒澤明 最終巻」)


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02年8月1日作成

2026年6月1日月曜日

______________ 『 #果てしなきスカーレット 』    プロダクションノート     <ロケ取材編> ______________ 本日からは、ロケ取材編をご紹介します!📷✨ 今作では、聖が持つ医療バッグから病院の風景、ドクターカーに至るまで、渋谷にある日本赤十字社医療センターに取材させていただきました。 また、劇中に登場する治療シーンについても監修をしていただき、アニメーターが描く際にとても助けられました。


 https://x.com/studio_chizu/status/2014548647816364044?s=61




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『 #果てしなきスカーレット 』

   プロダクションノート

     <ロケ取材編>

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本日からは、ロケ取材編をご紹介します!📷✨


今作では、聖が持つ医療バッグから病院の風景、ドクターカーに至るまで、渋谷にある日本赤十字社医療センターに取材させていただきました。

また、劇中に登場する治療シーンについても監修をしていただき、アニメーターが描く際にとても助けられました。

I・ベルイマンがF・フェリーニ、黒澤明とのコラボのため書いた未発表脚本が映画化 - 映画ナタリー 2016 https://natalie.mu/eiga/news/207021

I・ベルイマンがF・フェリーニ、黒澤明とのコラボのため書いた未発表脚本が映画化 - 映画ナタリー

I・ベルイマンがF・フェリーニ、黒澤明とのコラボのため書いた未発表脚本が映画化

イングマール・ベルイマンが、フェデリコ・フェリーニ黒澤明とのコラボレーションのために書いた脚本が、スウェーデンの映画監督スザンヌ・オステンによって映画化されると米ロイターなどが報じた。

イングマール・ベルイマン(写真提供:T.C.D / VISUAL Press Agency / ゼータ イメージ)

イングマール・ベルイマン(写真提供:T.C.D / VISUAL Press Agency / ゼータ イメージ) [高画質で見る]

1969年に執筆され、未発表となっていたこの脚本のタイトルは「Sixty-four Minutes with Rebecka」。疎外感を感じている妊娠中の教師を主人公に、彼女が性的、政治的な解放を求めていくさまを描く。映画は、ベルイマン生誕100周年となる2018年に公開される予定だ。

ベルイマンは1946年に「危機」で監督デビュー。「第七の封印」「野いちご」「処女の泉」などでその名声と評価を不動のものにし、世界の映画人に多大な影響を与えた。

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イングマール・ベルイマンの番組

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パゾリーニ 「月から見た地球」 https://www.engramma.it/eOS/index.php?id_articolo=4187


https://x.com/fukuko2025/status/2061513329294901556?s=61


パゾリーニ 「月から見た地球」

https://www.engramma.it/eOS/index.php?id_articolo=4187




 The Engram Magazine(オープンアクセス) ISSN 1826-901X 

パソリーニの漫画家

グラフィックストーリーの批判的ツールを通じて月から見た地球の分析

ダニエル・コンベリアティ

英語の要旨

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1967年に、ピエール・パオロ・パゾリーニが『La Terra vista dalla luna』というエピソードで、ルチーノ・ヴィスコンティ、マウロ・ボローニ、フランコ・ロッシ、ヴィットリオ・デ・シカが共同制作した共同映画『Le streghe』に出演しました。エピソード映画の手法は当時かなり流行しており、パソリーニはすでに参加しています。1963年に『ラ・リコッタ』で、彼は共同作品『Ro.Go.Pa.G.』に貢献し、特に絵画とデッサンに重点を払いました。1963年と1967年の経験は、実際にその美学の進化および視覚芸術との関係全般にとって重要であることが証明されています。『ラ・リコッタ』では、イメージの構築においてマンテーニャのマニエリズムが言及されており、『ラ・テラ・ヴィスタ・ダッラ・ルナ』は映画における色彩の使用の始まりを示し、初期の作品における白黒を放棄しました。どちらの場合も、書かれた脚本と実際の映画との間に仲介が存在します。『ラ・リコッタ』では、表現の媒体から別の媒体へと移行するフィルターとなる絵画であり、1967年の映画では、パソリーニが、より「古典的」なテーマの横にコミックブックの脚本を加えているからです。これは作者が自律的な作品として捉えるストーリーボードであり、そこからすでに色彩実験が垣間見ることができ、これが短編映画の技術的革新の基礎となります。

同じ監督によるストーリーボードの使用は決して新しいものではありません。ヒッチコックはハリウッドに到着した際にそれを使用しており、通常はこの作品を担当する人物がいる北米の文脈において部分的な革新です。一方、監督が『描く』シーンはニュー・ハリウッドの様式的人物の一つとなります――マーティン・スコセッシは当初、彼の映画のすべてのシーンを描いており、新たな著者観を体現することを目的としています(Balzola, Pesce 2009)。それは、著者的な意味での新奇性ではなく、イタリアでさえもそうではなく、正確な働き方です。『Le streghe』のリリース2年前に、フェデリコ・フェリーニはディーノ・ブッツァーティとブルネロ・ロンディと共に『Il viaggio di G』の脚本を最終決定しました。『Mastorna called Fernet』は、仮想的な映画として『Moraldo in the city』や『MastornaIl viaggio di Mastorna』など、いくつかのタイトルがあります。この作品は決して制作されていませんが、'from a storyboard' と呼ぶことができるアイデアから始まり、光はコミックの形で光を見出します(Canosa, Fornaroli 2006)。まず、ブッツァティ本人が自らの漫画詩にシーンを挿入し、断片を示す(Buzzati 1969)です。その後、ミロ・マナラが独立作品として出版します(Manara 2001)。もしフェリーニのテキストが、実現されなかった映画プロジェクトから生まれたコミックを描いているのであれば――しかし、監督が撮影開始のためにいくつかのセットを組み立てていた(『モリカ2000』)ことから、すでに高度な段階にあるようです――、パゾリーニの作品は異なります。この場合、私たちはオープンな作品の中に身を位置付け、テキスト―主題、コミック、映画―が対話であると同時に、自律的な要素として自らを提案します。このため、パゾリーニのコミック脚本はそれ自体がテキストとして読むことができ、実際には2010年のポリストパ版(パゾリーニ2010)を参照します。これは、コミックやグラフィックノベルの研究に通常結びつく批判的かつ理論的なツールを用いています。

基本的に、パゾリーニ本人がそれを独立した作品とみなし、実際には行われなかった仮想的な、より印象的なコミックブックプロジェクトの一部と考えています。彼は1967年1月のリヴィオ・ガルザンティへの手紙でそれについて明確に述べています(Pasolini 1986, 625)。それは、将来のプロジェクトが満載された手紙の一つであり、そのうちのいくつかは実現し、特定の創造的熱意の瞬間を描写しています。パソリーニは、他にも、ポーシレ異端的経験主義Fable神のミメシスに関する考えを言及しています。したがって、より多くのジャンルが疑問視され、コミックブックがオープンで常に誇りに満ちたグローバルな作品の交渉に完全に取り組む「summa」レターです。脚本名『La Terra vista dalla luna』に、"color comic(放棄された画家としての粗野な特性の一部を刺激する)という概念について語っており、これは「非常にカラフルで表現主義的な」12エピソードのコミックエピソードのシリーズに収束すべきです(Pasolini 1986, 625)。もし、前述のように映画の最も明白な美的革新の一つとなる色彩の使用への言及にすぐに気付くことができるのであれば、作品の構想段階にあるすでに使用すべきジャンル、すなわち『月から見た地球』の基礎となる「コミックエピソード」への言及は、我々の発言にとって興味深いです。そのエピソードは、明確な経路を示し、明示的および暗黙的なテキストリンクを持ち、テキストの二大人物であるチャンシカトとバチウ・ミャオの構成に見られます。

パゾリーニの作品を現代および過去のコミック出版物に位置付けることは特に有用であり、特に彼の制作内部だけでなく外部でも、詩から演劇、映画に至るまでの表現手段を操作・変容させる能力が及ぼした影響を考えると、特に有用です。したがって、一方ではパゾリーニの「コミック小説」が完成し出版された場合に何を表すのか自問することが正当であると言えるでしょう。また、他方では既存の資料について推論し、それらが第九の芸術を構想する正確な方法の書き換えや反省、変容をどのように、どの程度提示するかを探求する方が有用であると言えるでしょう。

クラウディア・ロマネッリは、パソリーニの作品に関する正確な記事で、著者自身の言葉を「コミック形状の脚本」と定義し、広く共有しやすい漫画の描写をたどっています。その描写は、ドナルドダック(私たちのドナルド・ドナルド・ダック)から、ディズニーの特徴によるグラフィック的影響から、イタリアではミャオ・マオという名称で『Corriere dei Piccoli』に収録されたフェリックス・ザ・キャットまで明確に示されています(Romanelli 2017; Zabagli 2009)。著者が映画の主題、脚本、実際の映画、そして我々が扱っているコミックブックの脚本との間にある変異について、正確な示唆を提供していることを超えて――多少の時間的なずれから異なる媒体の意図的な使用まで、さまざまな理由による違い――を超えて、彼女のエッセイの最も重要な部分は、私にとって最初の段落の一つである「A Structure that Wants to Become Another Structure」のタイトルに収められており、パゾリーニの作品過程を「reveals」しています。実際、私たちは『La Terra vista dalla luna』というコミックを「拡散された」作品と定義でき、パソリーニがこの特定の表現形態――進化しつつあるものの、まだ完全な正統性に達していなかった時代において――を、その本来の生産・使用様式を利用するのは偶然ではありません。この「シード」作品は、実際には極めて精密な概念的枠組みの一部であり、その枠組みの中で作者は、より正当であり同時に正当化する一連のテキストの背後に、コミックを「隠す」ものです。そうすることにより、彼は弱さを示すのではなく、適応力と表現力を強調し、読者に対して媒体(および芸術作品全般)の構造に関する根本的な疑問を提起し、ポピュラーカルチャーから取られた例を通じて理論に至る能力を示す。この方法は、数年後に英国の文脈で文化研究の主人公たちが行うことや、マーク・フィッシャーが理論化するものとほぼ同様である(Fisher [2018] 2020)。

他の学者はパゾリーニのコミックに注目しており、例えばダニエレ・フィオレッティは作品に記された技術的実験に注目しました――これはある意味で以前述べられたことを裏付けており、パゾリーニの『ラ・テラ・ヴィスタ・ダッラ・ルナ』から始まる試みが、媒体を再考しようとしたものの未だ結論は完了していないということです。この手法は単なる「マイナー」な作業手段ではなく、特に色彩の使用についてです。彼の見解では、色彩は正確な内容とテーマ的価値も獲得しており、集落から離れ、想像力を進化させるのに寄与するとされています(Fioretti 2015, 110)。

ニコラ・カテリは、作者が漫画を執筆する際に用いた技法――パステル、チョーク、万年筆を絵用紙に組み合わせた技法――当時の斜面からは遠く見えるが、より最近の経験に近い――を検証し、媒体が物語の一部を特徴付ける生者と死者の特定の関係をより深く探求できるようにした(Catelli 2015)についても考察した。

この時点で、パゾリーニが何をしていたか、そして彼が何を意図していたかを、コミックを通じて、イノベーションのダイナミクスと、イタリア国内外でそのジャンルの再考と結びつけることは興味深いものとなります。パソリーニは、コミックを彼のオープンな作品における創造的軸をさらに動かす手段として、また彼の演奏的著者性の新たな断片としても活用しています。時間的順序性と、描画と言葉、色彩、顔の成功かつ校正された融合により、彼の思考と存在感は具体的で「ヘビー」なものとなります。ジアン・マリア・アノヴィは、パゾリーニの演奏的著者性について論慮し、デリダの幽玄学から理論的に借用した「幽霊」の機能について、特有の美的・政治的・文化的立場によって現在を依然として乱すと指摘した(Annovi 2017)。パゾリーニの作品と著者の機能に対する考察は、したがって、限られたイタリア研究の範囲を超えて、他の言語と異なる作家的制作の考え方の両方を投資しています。実際、長年にわたりパソリーニに関する研究はテキストと画像の関係にも関心を寄せており、その中で『La terra vista dalla luna』は最も興味深い事例の一つです。この場合、アノヴィが喚起した「幽霊」は、まだ正当化されていないジャンルに対する知的「正当化」の責任と直接的な著者性の前提の背後に正確に隠れている可能性があり、同時に当時の作家という概念、すなわち「高尚」文化と「大衆」文化の階層的関係、執筆とグラフィック記号との関係を問い直しています。

国家的文脈において、実際に第九の芸術を「正当化」しようとする試みはすでに行われていました。最も重要な例は、おそらく1946年以降にヴィットリーニがポリテクニックで発表した連載(Stancanelli 2008)に見られるでしょう。ヴィットリーニは、同じパソリニアの資料、すなわちジャンルの根本的な発見を導くCorriere dei piccoliから他の資料から得ています。ヴィットリーニの作品により、アメリカのコミックを代表する最も代表的な作品がイタリアの環境に入ります:ポパイ、シュルツの『ピーナッツ』。その例は、完全に孤立しているわけではありませんが、即座にパラダイムシフトを引き起こすことはありませんでした。実際、私たちは文化批評の手法を用いて漫画を検討・研究した最初の雑誌であるLinusの誕生を、1965年まで待たなければなりません。

しかし、パゾリーニの作品において描画との関係が重要であったことは、現在証明されています(Zigaina 1978)。それは単なる若さや一時的な情熱ではなく、最後の段階であるペトロリオの困難で執拗な執筆期間でさえ、作者は絵画と描画を続け、ザバリが近年のプロジェクトを際立たせる「形の詩」と明言しています(Zabagli 2000, 11)。パソリーニ本人は、チアイアにある自宅に絵画スタジオを建てており、近年はペトロリオを書くためにそこに滞在していました。

したがって、月から見た地球は、言語を横断し叙事的手法を実験する文化的作業のより広範な概念に参加するプロジェクトであると同時に、自律的なテキストの断片でもあり、描画と語の内部的ハイブリッド化を担っています。漫画研究に典型的な理論的手法(Barbieri 2017)から出発し、実際に、媒体の具体的な利用方法として「ケージの破裂」「記号の「フレーク」」、ハイとポピュラーな情報源間の汚染――を通じて、パソリーニが当時目撃されたジャンルの刷新と完全に同時代であったこと、そして技術的・コンテンツ的、そして言語類型概念そのものへのより広範な結びつき――が、以後の進化を予見していたことを浮き彫りにする。

パソリニア語のテキストを読むと、まず目に飛び込む要素は「ケージ」の完全な破れ、すなわちビネットの周囲の空白を区切り、異なるシーン間に一種のグラフィックリンクを作り出し、物語の結果に明らかな結果をもたらす「ケージ」という仮想矩形です。「ケージ」は多くの漫画家にとって、限界の象徴、あるいは創造性の交渉の象徴であり続けています。2011年にスタイアーノとパトロンが発表した社会文化的分析で、同時代の作家への複数のインタビューを根拠に、同分析は漫画家にとって最も条件付けられるパラメータの一つとして浮かび上がっています(Staiano, Patrone 2011, 76)。連載漫画、特に出版社ボネリのために活動するほとんどの作家は、ボネリの「ケージ」から抜け出す困難を、自らの創造性の最も制限的な側面と見ています。『The Earth from the Moon』では、「ケージ」が文字通り爆発しています。本文では、漫画の構造が同一である連続したページが二ページあるわけではありません。見えない枠として機能し、それらを固定するための空白が常に強調され、時折、赤から黒までのさまざまな色の太い特徴が、青、淡緑、灰色、ピンクなどが横切るように強調されています。最後の部分だけでは、ビネットの区切りが目立たないように見受けられますが、パソリーニが区切り線を表現的なグラフィック手段として、かつ明示的な叙述目的で使用する選択は明確です。例えば、前半では赤色がコミカルな効果を生み出し、シアンチカトとバチウの髪色で既に作り出された効果を際立たせ、さらに二人の主人公間の会話内容と調和し、彼らは赤毛の女性を絶対に探したくないと主張しています。一方で、以下の黒色は、色彩的かつ象徴的に未亡人の性格と結びついており、パソリーニは初めて、遠くから護送された黒いシルエットとして、墓地の裏で花を集めようと執念を執り行っている様子が描かれています。

「『ケージ』の破裂や、パソリーニが本文で提案したその他の革新――この点におけるレタリングの使用は、手作業で構成され、サイズ・形状・色彩が多様で、筆記体と大文字が交互に現れるため重要であり、1960年代に光を呈した漫画の言語においていくつかの改革をもたらす。」この十年で、実際に、イタリア、ヨーロッパ、米国、そして日本のいくつかの出版物がジャンルの古典的構造に疑問を投げかけ、形式と内容の観点から、1940年代から続いていた古典的なストリップを再構築し始めています。

イタリアの文脈において、私たちはすでにリヌスが歴史的批評的アプローチを提示し続けながら、まさにその年にクレパックスのような作家を提案し始めたことを言及しました。クレパックスは、連続漫画の可能性や、より顕著な権威について論じました。日本では手塚治虫の作品を題材とした漫画が西洋諸国へと伝わった物語形式を帯びていましたが、当時のヨーロッパにおける漫画の改革力は、ボルタンスキー(ボルタンスキー 1975)によれば、四つの主要な要因によるものです。まず第一に、中産階級の子どもたちの新世代作家が存在し、彼らは通常画家や画家、イラストレーターとして活動し、前世代よりも一般的に高い教育を受けていました。新しい作者は、より教養のある読者層に同行し、内部や...コミックブックの分野外では、出版社のアプローチもこのように変化し、これはグラフィック品質や出版物の素材に見られます(1950年代のマーベルは、経済的で連載形式の出版が、色彩と品質においてすでに模範となっていました);最後に、他の分野(特に社会学や文学)もたらした知的実践がコミックブックに取り入れられ、イタリアとフランスではウンベルト・エコやエドガー・モランの事例で確認されました。

パゾリーニは、彼の作品を通じて、極めて活発な文脈と対話し、言語の進化に完全に共エボカルであることを示すことで、場合によってはその進路を予見しています。例として、常にこの「ケージ」の開放や、単に技術的とみなされる要素(例:イリテラリング)の叙述的使用に関して、イタリア人ミッキーマウスが委託された作家グループ内で起こっていたことは、常に価値があります(Favari 1996)。通常、ディズニーはキャラクターを特定の地域において権利を有する出版社に下請けしましたが、グラフィックおよびコンテンツに関する特性が厳格に尊重されることを求めました。イタリアではミッキーマウスの出版がすでにファシズム期間に緊張を引き起こしていました(Gori, Lama 2011)。しかし、以前の問題が検閲やエチオピアへの侵略後の禁輸、そしてドイツとのイタリア同盟に関する純粋に政治的な問題であったとすれば、1960年代に起きたことは、コミックが取っている新たな道筋を明らかにした。ロマーノ・スカルパ、ジャン・バッティスタ・カルピ、そして若きジョルジオ・カヴァッツァーノを含む作家グループは、実際にミッキーマウスを用いて言語実験を行い、文字の個人的な使用(ディズニーの出版物では極めて控えめで管理されている)や「ケージ」や漫画の別の配置も含んでいます。1980年代初頭に、イタリアがディズニーが直接出版物を管理し、モンダドリから権利を買い戻す欧州初の国となることは、偶然ではないかもしれません。

パゾリーニがまだ新しい媒体を使用する感受性は顕著であり、我々が見たように、この特性はイタリア国内外の最も革新的なコミックと事後的に対話させるほどです。テーブルを構成する構造要素に加えて、しかしながら、テキストを現代的にしている『月から見た地球』のもう一つの特徴があります。それは、物語的目的のために現代美術に典型的な技法を用いることです。この実践は、我々の談話の分析における第二の要素を表しており、技術的観点から見ると、少なくとも国内の文脈において「ケージ」の破綻や文字の叙述的使用をより予測的であると考えられます。

色彩の使用に結びつく注意を引く第二の要因は、実際にはサインの徐々に「はがれ」、変形した体や顔であり、パソリーニが自らの内容や美的モデルを言及してすでに想像した風刺画に近い――これにより色彩が余白から出ることがしばしばあり、漫画の中で最も重要、あるいはいずれにせよ最も即座に認識できる要素となります。ロマネッリは、デザイナーと漫画家パゾリーニ(Romanelli 2017, 19)の類似点を、様式的および概念的観点から正しく強調しました。実際、ここでは炭の使用が筆よりも稀であり、一般的に色が集中する箇所(いくつかのキャプション、衣服、髪)において、ほぼ実体的な感覚が感じられる点など、いくつかの側面が見出されます。彼の絵画にはすでにマサッチョとカルラの影響が顕著に現れており、パゾリーニ自身は1970年に遡るメモで、実際には二人の芸術家に影響を受けたと述べていますが、抽象主義からポップ絵画に至るまで少なくとも15年間は絵画に無関心であり、むしろ1970年代から80年代にかけてのコミックの発展において極めて重要であったと述べています(Pasolini 2000)。もちろん、月から見たラ・テラのパゾリーニを「抽象的」と定義することはできませんが、背景や信者が手に持つ花、チャンシカトの髪など、いくつかの瞬間に記号や形の稀な表現が見られ、その時代の多くの漫画に典型的な写実的な特性が別のものへと変わりつつあると考えさせるのです。

実際、パソリーニは、ストライプデザインの「クラシック」な慣例と、絵画の文脈から取られた個人的なイノベーションを組み合わせることに特に長けています。例として、原子爆発の擬音詩的表現があり、作者は赤・青・黒の共通の色を右下の黄色のキャプションと結びつけ、当時のコミック的物語の叙事と美的慣習を打ち破っています。また、パソリーニが現代の芸術的・絵画的経験からの革新をどれほど結びつけ、彼のコミックブックにどの程度まで取り入れているかを容易に理解できる、正確な漫画もあります。これは、シアンシカトが探求の最後にカイと結婚することを決めた最後のシーンの一つです。テーブルは3つの横長ビネットに分かれており、そのうち2番目は下半分を占め、最初の2つはシートの上部を分けます。漫画の輪郭のピンクは、本文でしばしば見られるように物語的な手法で使用されていますが、短いシーンで目を引く要素では決してありません。より「古典的」な最初の漫画で、シアンチカートがカイと結婚することに同意した後、作者は完全に白い漫画を挿入します。下部の3番目は、概念的かつ年代順に続くべきものであり、中心に茶色の点を除いてほぼ全体が白色です。次の表では、漫画が黄色の背景にピンクのキャプションで埋め尽くされており、パソリーニは最も一般的な方法でそれを使用し、時間的省略を宣言しています。前の表の二つの空虚な小話において、私たちはソビエトの覇権が部分的に予測し、アメリカのミニマリズムの影響を受けた概念芸術の実践を目の当たりにし、その時代に使用され始め、次の十年でますます一般的になるでしょう。このコミックは、抽象芸術や概念芸術の実践から生み出された最も革新的なツールを、あやかしく再利用するまで、さらに十年待たずにそれを手に入れるでしょう――イタリアでは地下コミックで、ランクセロックス(Pincio 2012、23)という壮大な例がはっきりと見ることができます――そして、パソリーニはここで、車両をすぐに取る言語や形態へと導く卓越した能力を示しています。

パゾリーニのコミックブックにおける最後の破壊要素は、コミックとハイレベルなグラフィック・ナラティブの混合にも関係しており、先ほど分析した点ですでに観察できましたが、理論的には、いわゆる大衆文化と「ハイ」文化との相互作用を反映したものとして、このケースでも展開しています。イタリアだけでなく、コミックを大衆的あるいは知的な芸術として議論する時期にあり、映画との関係はますます密接になっており(Stefanelli, Maigret 2012)、それを扱う理論家(Umberto Eco、Edgar Morin)や作者自身との関係が、ウィル・アイスナーの作品やシーケンス性分野における革新により、次の十年で明らかになるでしょう。しかし、明らかになっているのは、映画とコミックの関係が一方向的ではないということです。たとえばリックマンは、短編映画『Lumière brothers L'arroseur arrosé』が当時新聞が掲載したストリップと抱える負債を鋭く分析し、さらにそのスラップスティックが風船のいくつかの状況からどれほどインスパイアされたかを強調しています(Rickman 2008, 14)。サイレント映画、特に『The Earth seen from the Moon』におけるバスター・キートンの影響を考えると、パゾリーニが実際にコミックブックの言語から部分的に由来する資料を再利用していることに気付くでしょう。

当時最も人気のあるジャンルは冒険コミックとコメディであり、パソリーニは後者を書き換え、再構築して、より教養のある観客に提案する手助けをしました。1968年、アメリカの雑誌『Zap Comix』は、出版社のチャールズ・プライメルを通じて、成人および知的な読者層のみを対象としたコミックを提案しました。確かに挑発的な行為ですが、新たな読者層の探索がいかに緊急の必要性となっているかの兆しであり、子ども向けまたは純粋にエンターテインメント向けの製品へと縮小し、慣習を解消したい媒体を求めるものです。イタリアでも、1960年代におけるコミックの「知的」な性質への考察は熱烈であり、アルゼンチンやフランスからの作家の第一波が戻ってきており、一般的に「作者」コミックと「ポピュラー」コミックの間で、今日でも部分的に見られる二極化が生じています(Comberiati 2018)。パゾリーニは、人気と見なされるテキスト、すなわち『ミッキーマウス』やシュルツの『ピーナッツ』、そしてカルロ・ビジの『ソル・パンプリオ』といったテキストからの資料を用いて、初期のプロジェクトではニネット・ダヴォリのキャラクターがパンプリオと呼ばれましたが、作者の詩学の中で再交渉され、1965年にはすでにこの人工的な二分法の断絶を提案し、今後数十年にわたりイタリアにおける批評家(編集構造や作者の選択にとっても重要な)にとって重要な課題を予見しています。

私たちは、コミックブックの言語のいくつかの要素の異例かつ先取り的な使用、当時の芸術的経験とのハイブリッド化、そして「ポピュラー」と「ハイ」文化の階層化という三つの要素が、パゾリーニのコミックを革新的な作品にすることに寄与していることを、20世紀後半から21世紀初頭の後期における第九芸術の変遷も照らして確認しています。この見解は、月から見た地球が残した「胞子」と、一部の現代作家に与えた影響によって裏付けられています。ここでは、パゾリーニや彼の特定の作品に触発されたコミックブックの包括的な分析の可能性を除外し、望ましい作品(Toffolo 2006; Maconi 2008; Costantini‐Stamboulis 2015; Origa 1976; Rotundo‐Dufaux 1993)を、単一の作品、あるいはむしろその断片に焦点を当てる可能性を除外しましょう。フリウリの知識人に捧げられた彼の作品において、実際にダヴィデ・トッフォロはパゾリーニのコミックブック脚本のいくつかの表を再現しています(トッフォロ 2006)。私たちは正しく「reproduction」について語っており、書き直しではありません。なぜなら、Pasolini の図面やテキストは Toffolo の現代的で多様なスタイルと完璧に対話しているように見えるからです。本書は、二人の著者間の仮想的な対話として構想され、元の表の再提案において最も激しい出会いの場を的確に捉えています。トッフォロが最も近いと感じるのは漫画家パゾリーニであり、いずれにせよ漫画家パソリーニでもあります――漫画の作者として、したがってそれらを他のより重要なテキスト――すなわち彼が対話したい相手――に対する、より有用な付録としては見なしていません。パゾリーニが白黒に鮮やかな赤が散りばめられた描写さえも、彼のコミック脚本の美学を取り入れているように思われ、パゾリーニ・トフォリアンは映画のキャラクター、あるいは実際には『ラ・テラ・ヴィスタ・ダル・ルナ』のキャラクターに似ています。パゾリーニのコミックスタイルが、たとえスケッチだけで原作の書籍プロジェクトで完成していないとしても、依然としてこの分野のインスピレーションの前兆であることを示すサインです。そのような胞子が肥沃になるのは、実現されていない、あるいは「失敗した」プロジェクトであることは重要ではないかもしれません。むしろ、読者と批評家がパゾリーニ(Belpoliti 2010)との関係に関する新たな視点の一部であり、彼の神話から抜け出し、実際に彼の作品に向き合うことです。そして、コルテレッサ(2017)がすでに指摘したように、これらの可能性をよりよく包むのは、しばしば彼の視覚的作品です。

参考文献
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    P.P.パソリーニ、ヴィエクスー内閣の現代アーカイブからの絵画と図面、F編ザバグリ、フローレンス 2000年。
  • パゾリーニ 2010
    P.P.パソリーニ、月から見た地球、フィレンツェ、2010年。
  • ピンシオ 2012
    T.ピンチオ、パルプ・ローマ、ミラノ 2012
  • パトロン、スタイアーノ 2011
    M.Patrone, L. Staiano, コミックの新経済(生きているが、まだそれには知らない), Milan 2011.
  • リックマン 2018
    L. Rickman, Bande dessinée and the Cinematograph: Visual Narrative in 1895, リバプール, 2008.
  • 2017年 ロマネッリ
    C.ロマネッリ、漫画ストリップ形式の脚本:ピエール・パオロ・パゾリーニの『ラ・テラ・ヴィスタ・ダッラ・ルナ』のドローイング、『イタリア研究』72(2017年)、292‐308。
  • ロトンドゥ、デュフォ 1993
    M.J. Rotundoデュフォ、パソリーニ:豚!豚!豚!、グレノーブル 1993年。
  • スタンカネッリ 2008
    A.スタンカネッリ、ヴィットリーニ、そして風船。「Politecnico」のコミック、Acireale 2008年。
  • ステファネッリ、マイグレ 2012
    M.ステファネッリ, E.Maigret(編集)、La bande dessinée: une mediaculture、パリ 2012
  • トッフォロ 2005.
    D. トッフォロ、パソリーニ、パドヴァ、2005年。
  • ザバグリ 2000
    FZabagli、ピエール・パオロ・パゾリーニの絵画とドローイングは、ヴィエスー・キャビネットの現代アーカイブに所蔵されており、P.P.に所蔵されています。パゾリーニ、ヴィエスー・キャビネットの現代アーカイブからの絵画と図面、フローレンス2000年。
  • ジガイナ 1978
    G.Zigaina(編集)、I disegni(Pier Paolo Pasolini、1941‐1975)、ミラノ 1978。
英語の要旨

1967年に、ピエル・パオロ・パゾリーニがアンソロジー映画『Le streghe』にエピソード『La terra vista dalla Luna』を提供し、ルチーノ・ヴィスコンティ、マウロ・ボローニーニ、フランコ・ロッシ、ヴィットリオ・デ・シカも参加しました。パソリーニは、より「古典的」なテーマと並行して、コミック脚本を加え、作者が自律的な作品として構想する一種のストーリーボードです。短編映画における技術革新の基礎となる色彩の実験は、すでに垣間見ることができます。パゾリーニのコミック脚本は、コミックやグラフィックノベルの研究に通常結びつく批判的かつ理論的なツールを用いて、テキストそのものとして読むことができます。著者自身は、それを独立した作品であり、実際には一度も行われなかった、より印象的な架空のコミックプロジェクトの一部であると考えています。パゾリーニの作品を現代および過去のコミック出版物に位置付けることは特に有用であり、特に、彼のメディアを操作・変容させる能力が作品内だけでなく、詩から演劇、映画に至るまでの表現の外でも及ぼした影響を考えると、なおさら有用です。本稿では、La Terra vista dalla Luna は、言語を横断し叙事的手法を実験する文化的作業のより広範な概念に参加するプロジェクトとして論じられているが、同時に自律的なテキストの断片として存在し、結果として記号と語の内部的ハイブリッド化を担うものでもある。漫画研究に典型的な理論的手法から出発し、媒体の具体的な使用方法を、三つの異なる要素、すなわち『ケージ』の破砕、看板の『剥離』、そして正統派と大衆文化の文化作品との汚染を通じて見つけ出すことができます。これらの要素は、パゾリーニが当時目撃されたジャンルの刷新と完全に同時代であったこと、そして、技術的・内容的・言語の概念そのものとより一般的に結びつく特定の状況において、進化の後続を予見したことを示しています。

キーワード | パソリーニ; イタリアのコミック; グラフィックノベル; 文化研究

この記事を引用する/ この記事を引用する:ダニエレ・コンベリアーティ、パゾリーニの漫画家。グラフィックストーリー「La Rivista di Engramma」第181号の批判的ツールを通じて月から見た地球の分析、2021年5月、pp.265-280.記事のPDF

Doi: https://doi.org/10.25432/1826-901X/2021.181.0014

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