https://x.com/fukuko2025/status/2089976910164206026?s=61
『急に具合が悪くなる』。対話主義的な知性に満ちた傑作。鳥のフンを寓話的に使うところなどはさすが。ラストの足裏マッサージのシーンが突出して素晴らしい。逆に言うとそこだけしか記憶に残らない。『生きる』みたいに主人公を早めに殺して追悼公演にした方が良かったと思うが散骨シーンは良い。
ワイズ漫画みたいな導入。
細かいが、フリッツ・ラング譲りのホワイトボードシーンでの「失われた30年は次世代へのツケ」とかは意味不明。デモクラシー、キャピタリズム、ネイチャーという断面図において『生きる』が批判した官僚制はデモクラシーに対応し、「失われた30年」は官僚制に起因する。
絶対的剰余価値の絶対化は不毛。
資本主義の本質は労働者の集合力の余剰が搾取されることだ。
中庭における集団足裏マッサージシーン(砂連尾理じゃれおおさむ監修)はクオリティオブライフに直結し集合力つまり相対的剰余価値を象徴する。
中庭は共有地ではあるがあくまで城壁に囲まれた私有地であり、日本の縁側の方が優れている。
時空図みたいな認知症解説図が優れているが二回も必要ない。
患者同士の相互治療=P2P[Peer to Peer 患者同士の交流]は構造としてはツリーではなくセミラティスであり柄谷行人の言葉で言えばアソシエーション。市場経済を通過した後にようやく辿り着くネーションの高次の回復。ただし劇中の演劇はツリー状なので最後は無理やりP2Pを組み込んでいる。
もう少し『生きる』との比較を考えてみる。
『生きる』の通夜のシーンが素晴らしいアソシエーションの予感を感じさせるのは、中心となる主人公が死んで不在だからだ。
セミラティスは複数の中心と記述されるが、結局強い中心は相互的な様々な線をかき消してしまう。
太陽の光が夜の星を隠すようなものだ。アマテラスが隠れてはじめて下々は宴会が開ける。
参考:
ツリー構造とセミラティス構造
https://note.com/shosho2020/n/ndc93aa5bdc58
主人公がホワイトボードで説明しなければならないのはこの図だ。
権力は人々の横のつながりの分断が本質だからだ。
『急に』のラスト、民間企業という設定にも関わらず官僚の評価を仰ぐシーンで終わる。
これは作劇上の綾のようなものだが、日本もフランスも官僚国家であることは追記しておきたい。
(プロセスを重視した)方法論の開示を信条としている監督のインタビューを読むとそうした問題は織り込み済みだと思うが、『生きる』を見ている観客には自明である。
『悪は存在しない』は『デルスウザーラ』につながるし、今作の自閉症役の見事な演技は『七人の侍』の菊千代を思い出させる。
。。。。。
それは主人公の不在、空虚な中心こそが可能にするものだった。『生きる』の通夜のシーン。一時の交換様式X。
。。。。
アソシエーションの視覚化は難しい。
サッカーにごく稀に現れる。
https://t.co/IHw60XpHaK
https://x.com/fukuko2025/status/2071626672252797332?s=61
« 共産主義は、ウェンブリー・スタジアムで、ハンガリーのホンヴェード・ブダペストがハンガリーを6-3(原文ママ)で破った時、二度、45分間存在した。イギリス人は個人プレーし、ハンガリー人はチームプレーした » ゴダール
cf.
1953 England v Hungary digest
https://youtu.be/7wdW5p3jd2Y
自分はかつてNPOで地域通貨体験ワークショップをよく開催していた。これはアソシエーションの体感を目的とするものだ。
(古代イスラエル人が広めた信用経済においては無産者同士が相互に口座を持つことが出来る。)
。。
『生きる』に触れているのは流石ですね。あの映画は官僚制を冒頭で批判しますが、本当はここ30年の日本を停滞させたのは官僚制だと思います(だからこの映画で民間企業なのに官僚の審査みたいなものに結論を集約させたのは限界を示していると思います)。それは実はフランスも同じです。脱線しますが消費税はフランスの官僚が輸出大企業支援として編み出したものでこれが日本に入って日本を停滞させたのです。国家資本主義とも言えるので資本主義批判が間違いというわけではないのですが。ラストの演劇でのハプニングは一時的にでもそうした構造を揺るがせるいい描写でした。ただ『生きる』みたいに主人公を早めに殺して追悼公演にしたらどうだったかというシナリオも考えてしまいます。中心のない自由で平等な理想的な構造は主人公という中心の不在が逆に可能にすると思うからです。あと最近有名人のがんによる死亡が多いので抗がん剤を極力使わない治療法の方を描いたもう一人の主人公が発端の映画を見てみたかった。こちらは製薬会社を批判することになるでしょうし楽しくなりようがないですが。
細かいことだがフリッツ・ラング譲りのホワイトボードシーンでの「失われた30年は次世代へのツケ」とか意味不明。
デモクラシー、キャピタリズム、ネイチャーという構想図において『生きる』が批判した官僚制はデモクラシーに対応する。
「失われた30年」は官僚制に起因する。
マルクスの絶対的剰余価値の絶対化不毛だ。
ワイズマンみたいな導入部。
資本主義の本質は労働者の集合力の余剰が搾取されることだ。
中庭における集団足裏マッサージシーンはクオリティオブライフに直結し集合力つまり相対的剰余価値を象徴する。
中庭は共有地ではあるがあくまで城壁に囲まれた私有地であり、日本の縁側の方が優れている。