2026年7月7日火曜日

⿻ Yusuke Hayashi 林祐輔さんによるXでのポスト

https://x.com/hayashiyus/status/2074314889754247417?s=61

 草薙素子の解釈を巡って

本日,新作TVアニメ『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』(2026) が放送を迎える。シリーズ構成・脚本を務めるのは芥川賞作家の円城塔。この機に,士郎正宗が造形した草薙素子という人物像をめぐる2つの対極的な解釈を紹介したい。
押井守は1995年の映画版を制作する際,原作の素子像に違和感を覚え,彼女を「強い自殺願望を持つ女性」として捉え直すことでその人間像を確立したと語っている。草薙素子を,自己の境界や個としての輪郭を喪失することへの欲求,すなわち死へと傾斜するベクトルに駆動される存在と読む。
一方,円城塔は,士郎正宗作品の核を「人類の持続可能性」への切実な問いとして読み解く。社会と個人が幾層ものレイヤーをなし,ミクロとマクロの両面から互いを規定しあうシステム。その過酷な宇宙を生き延びるために,人類は知恵を尽くして「人ならざるもの」へと変容していく。ここで注目すべきは,円城がそうした変容の果てにおいても,人間は「一貫している」と指摘している点である。そこに提示されているのは人間の終焉ではなく,人間という存在の連続性にほかならない。彼はこの構想を「人類の拡大」と呼ぶ。それは知覚や精神の領域にまで及び,個の境界を越えて外側へと展開していく,能動的な生のあり方である。
内なる死への傾斜と,外へと向かう種の拡大。一見して相反するこれら2つの解釈は,原作の結末において同一の帰結に至る。人形使いと融合し,「私」という境界を手放して素子が広大な情報ネットワークへと移行する結末は,単一のエージェントとしての機能停止(個の死)であると同時に,より高次の集合知への参画(種の拡大)を意味しているからである。ミクロな個体の死は,マクロな知性システムを駆動させるための相転移として読み解くことができる。
この2つの視点の一致は,単なる比喩ではなく,構造的な必然である。円城が士郎作品に与えた「ハイパーホロニクス」の「ホロン(holon)」——全体でありながら部分でもある存在——は,アーサー・ケストラーが『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』で提唱した概念であり,原作のタイトルにある「ゴースト」の由来にもなっている。ケストラーのホロンは二重の機能性を有している。原作のラストシーンにおいて「個の死」と「種の拡大」が同一現象の表裏として成立したのは,まさにこの構造に起因する。すなわち,本作におけるゴーストとは,このホロン構造そのものを指す概念にほかならない。
汎用人工知能(AGI)や超知能(ASI)の実現が現実味を帯びる現代において,草薙素子の選択を肯定的な展望として読み直す意義がここにある。強固な境界を持つ個体が上位の集合知へと統合されるプロセスを,単なる自己の消滅ではなく,次なる生存モデルへの移行として捉えること。個としての自律性を保持したまま,より大きな全体の一部となること——素子はすでに,そのハイパーホロニクス的な未来における新たな生存様式を体現していた。 原作からは,こうした希望的解釈を読みとることもできる。

第9のゲスト - Wikipedia

第9のゲスト - Wikipedia

第9のゲスト - Wikipedia

プロット

匿名の電話により、ニューオーリンズのペントハウスで開催されるパーティーに、ゲストのグループが電報で招待されます。その中には、マレー・リード教授、キャンパス急進派のヘンリー・アボットとその恋人ジーン・トレント、マフィアのボスであるジェイソン・オスグッド、弁護士シルビア・イングレスビー、地区検事ティモシー・クローニン、社交界のマーガレット・チショルム、そして作家のジェームズ・デイリーが含まれます。

合流すると、ゲストは互いに敵であることに見出します。匿名の司会者の指示により、ラジオがゲストが招集され、知恵のゲームが行われ、最終的に「第9のゲスト」が死そのものになるというアナウンスを放送します。その直後、パーティー参加者はクローゼットで死体を発見しました。夜遅く、オスグッドは他の客を毒殺しようとした後、死亡しました。

ジーンは、マーガレットが最近、夫を誤って精神科病院に入院させた重婚者であることを暴露する手紙を受け取ったことを明らかにした。マーガレットは、曝露に動揺し、真夜中に自殺しました。残りの客が議論している間、ティモシーが銃を振りかざしていることが判明しました。シルビアはティモシーを守ろうとしますが、その過程で不本意に彼を射殺し、さらに電気ゲートに体を投げつけて自殺しました。

午前2時に電気が停止し、住宅は暗闇に包まれます。暗闇の中で、マレーは銃撃され、ヘンリーは重傷を負いました。ジェームズは負傷したヘンリーを縛り、彼が黒幕であり殺人犯であると信じた。ジェームズは、クローゼットで見つかった遺体が、ヘンリーのためにアパートを配線した電気技師のものであり、ヘンリーの椅子にあるスイッチを通じてラジオの操作を密かに許可したと主張しています。ヘンリーはついに、自分が実はマーガレットに対する復讐計画の一環としてグループを結集させた黒幕であり匿名の発信者であることを認めます。マーガレットの夫はヘンリーの兄であり、シルビアと腐敗したティモシーは、彼の兄の精神科病院への入院を支援しました。

ヘンリーは、彼が入所した後、生き残ったジャンとジェームズが自ら感電死する前に出発することを許可した。

『姿なき招待主』と『そして誰もいなくなった』の「差異」、あるいはメディアミックスの功罪 - 深海通信 はてなブログ版

『姿なき招待主』と『そして誰もいなくなった』の「差異」、あるいはメディアミックスの功罪 - 深海通信 はてなブログ版

『姿なき招待主』と『そして誰もいなくなった』の「差異」、あるいはメディアミックスの功罪

---本稿は『姿なき招待主』、『そして誰もいなくなった』、『九番目の招待客』のネタバレを含みます。読了の上でお読みください。---

2023年、二冊の本がさほど時間をおかず刊行された。9月末に国書刊行会から出た『九番目の招待客』(オーエン・デイヴィス、白須清美訳、以降『客』)と、12月頭に扶桑社ミステリーから出た『姿なき招待主』(グウェン・ブリストウ&ブルース・マニング、中井京子訳、以降『主』)である。『客』は、『主』を翻案した戯曲版であるが、世に出たのは前者の方が先であるという。この奇妙なねじれ現象については、『主』巻頭に収録されたカーティス・エヴァンズによる序文を参照されたい。

さて帯にもあるように、『主』(と、それを翻案した『客』)のプロットにはアガサ・クリスティーそして誰もいなくなったのそれと類似している部分がある。1930年と1939年。この二作の発表年代から言えば『主』は「先行例」と言って間違いではない。しかしその一言で片づけてよい作品でないのも確かだ。作品の価値は共通点ではなく、その作品独特の「差異」の部分にこそ現れる。『主』と『そして誰もいなくなった』との、大きな差異とは何か……ズバリ、それは「動機」の部分に現れる。

そして誰もいなくなった』の犯人の動機は、端的に言えば「裁かれざる罪人を裁くこと」である。そのために「犯人」はイギリス中から「知られざる犯罪者」を「兵隊島」に集め、次々に殺していく。この作品の犯人は本来裁かれるべき者が縛鎖を逃れ、のうのうと生き延びているという「現実」、「司法の限界」に直面した。彼にとって罪の軽重は問題ではない。「裁かれない」ことへの憤りが彼をして自らを狂わしめたのだ。「人は量り、神は裁く」とはマタイ福音書の言葉だが、まさに彼は「人」の矩を超えて神たらんとした存在であった(その彼が、「死してのちに蘇る」というトリックは宗教的に意味深である)。

それに対して『主』の犯人が、その実呼び集めた客のほとんどを殺す動機を持たないことには驚かされる。「優秀な人間に勝つことで己の優秀さを証明したい」「不道徳な人間を皆殺しにする道徳の守護者として振る舞いたい」「重要人物が死んだ後に生ずるだろう様々な利益を独り占めしたい」と支離滅裂に動機を語る犯人の姿について私は、一人一殺の冷酷な殺人トリックを弄する冷徹さと比較して「子供っぽい」と解説に書いたが、改めて読み返してみてもそれらは薄っぺらくて、嘘くさい、後付けのものであるようにしか見えない。

『主』の物語の「動機」面で興味深いのは、実は殺意が円環様になるように登場人物が設定されているという点にある。Aを憎むBは、実はCに憎まれている。そのCはDに憎まれていて……という殺意の連鎖が、犯人の正体を見破らせない仕掛け(「Bが犯人として、Aを殺したとしてもCやDを殺す理由はないはずだ」という認知)に繋がっているのだ。それは犯人にとっても同じことである。(自分を除く)七人の招待客のうちで唯一彼が本心から憎んでいたのは、彼を大学から放り出したマレイ・チャンバーズ・リード教授であり、それ以外は付け足しに過ぎない……いかに彼が妄言を吐こうと、そう考えるのが自然ではないか。

よく思い出してみて欲しい。この物語の中で殺される(あるいは殺されかけた)六人の被害者のうち、犯人によって直接殺害されたのは教授ただ一人であるということを。それ以外の人物が、自ら盛った毒で中毒死、秘密を暴露される恐怖に心停止、怯えた時の脚癖を突かれて中毒死、自滅に近い感電死、万年筆の頭を噛む癖を突かれての中毒死、と犯人の弄するトリックで殺された(殺されかけた)ことを考えると、「銃殺」という殺害方法には違和感を持った人も少なくないと思う。作者は種切れになったのか? そうでなければなぜただ一人直接手を下したのだろう……発想を逆転させよう。つまり「彼だけはどうしても自ら手を下したかった」のではないだろうか。

多くの死の中に自分にとってどうしても殺したい相手を被害者として混ぜ込む。「一人を殺すよりも大勢を殺す方が捕まりにくい」というこの逆説的欺瞞がチェスタトンの短編から、その後多くの作品に(もちろんクリスティーの某長編にも)取り入れられたのは周知のとおりである。とはいえ、まさかクリスティーが本作を読んであの連続殺人物の小説を構想した、と語る酔狂な人はいないだろうが(笑)

そう考えると、本作はクリスティー的発想が一つどころかいくつも盛り込まれた大変贅沢な作品と言えるのではないだろうか。

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ところで、『主』の解説でも書いた通り、『客』は『主』の肝心な部分をいくつも改変している。時間的制約や、殊に「戯曲」という媒体の都合上どうしても必要な変更であったようだが、残念ながら上記のチェスタトン・トリックの香りはまったく抜けてしまっていて、サスペンスは三割減というところである。もちろん、出たこと自体は慶賀すべきことであるが、わざわざこの戯曲を読むくらいなら、小説を読む方が数段面白い、値段も半分だし、というのは付け加えておこう。

2026年7月6日月曜日

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン

東映で培った女性キャラクターの描き方とジレンマ

──細田監督は東映時代に『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』(2002~2003年放送)『ひみつのアッコちゃん(第3作)』(1998~1999年放送)など、女の子向けの作品にも携わっていますよね。そうした経験は、女性キャラクターの描き方にも影響していますか?

細田守(以下同) そうですね。東映アニメーションは特徴的な女の子の描き方をしているような気がします。

人は成長する中で、社会性を帯びていく。抑圧されることもあるし、自分から縛られていってしまうこともある。でも、東映の女の子向け作品は、その手前にいる子どもたちに向けて作られているんです。

──社会から「女の子らしさ」を求められる前、ということでしょうか。

みんなではしゃいだり、けんかしたり、一歩踏み出したり。社会的な規定に組み込まれる前の子どもたちに、もっと自由な姿を見てもらいたい。その精神は、歴史的に培われているものだと思います。

『果てしなきスカーレット』『竜とそばかすの姫』と近作では女性主人公を描いてきた
『果てしなきスカーレット』『竜とそばかすの姫』と近作では女性主人公を描いてきた
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──細田監督はワシントン・ポストのインタビューで「日本のアニメーションは見る側の欲望に寄せて描かれてきた」といったことを話されていました。女の子向け作品を作ってきたことへの矜持もあるのでしょうか。

多少色がついている部分はありますが、基本はそうだと思います。

女性を色っぽく描くことを批判したいわけではない。表現にはいろいろな形がありますから。ただ、それが女性の尊厳や主体性を奪うことにつながっていくのは問題だと思っていて。

そのうえで、自分にはそういう描き方ができない。それは僕の限界でもあるんです。

──限界?

あの記事は、自己批判的な側面がありますね。自分は手法としてそれができないから、人間の成熟を別の形で描こうとしている。でも、やっぱりジレンマはある。

https://shueisha.online/articles/-/258005?disp=paging&page=2

「再起不能だと思った」人生最大の挫折

──スタジオジブリに出向して制作した『ハウルの動く城』は、細田さん版のプロジェクト自体が頓挫し……当時、おいくつでしたか?

33歳の時に声をかけてもらって。「やっと長編が作れる」と思えて嬉しかった。それから2年で頓挫して……35歳ぐらいかな。

当時、スタジオジブリでは『千と千尋の神隠し』も制作中で、主要なスタッフはそちらに注がれていた。そういう事情もあって『ハウル』は自分で頭を下げて仲間を集めたものの、頓挫してしまった。みんなに示しがつかないですよ。申し訳なくて。

「これまで過去の自分の作品を振り返ることはなかった」と細田監督
「これまで過去の自分の作品を振り返ることはなかった」と細田監督

──どうして崩れていったのでしょう?

宮﨑(駿)さんに直接「ダメだ」と言われたわけではありません。でも、求められていることと、やりたいことが合っていなかったのだと思います。

『ハウル』の原作は、歳をとる呪いをかけられたソフィーが主人公で、彼女は少女であり老婆である。その両義性に対してどこに決着をつけるのかという話だと思うんです。時間のズレ、年齢のズレ、さまざまな行き違いが生まれる。ズレの生じる人生の中に、何を見つけるか。それを描きたかった。

──ジブリの『ハウル』はキャッチコピーが「ふたりが暮らした。」だったので、違う答えを求めていたのかもしれないですね。

僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていないので、その答えを知らないんです。でも、違ったんだろうなと思います。

──『ハウル』の後には、アルバイトもされたそうで。

食っていけないからね(苦笑)。運送業のバイトをしながら、『おジャ魔女どれみ』やCGの仕事でなんとか生活していました。

ネットでは「東映は細田を優遇している」と書かれていましたけど、演出料は3か月で30〜45万円ぐらい。だいたい3か月かかるので、月給にすると10万程度です。でも、仕事をいただけるだけでもありがたかったです。再起不能だと思っていましたから。

https://shueisha.online/articles/-/258005?disp=paging&page=3

完成しなかった『ハウル』が残したもの

──映画『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』(2005年)では、ハウルの経験が投影されたと聞きました。

自分が集めたチームへの未練が、そのまま出た作品です。ルフィたちの仲を裂こうとするオマツリ男爵は、仲間を失った自分のようで……。結局自分は経験を作品に映してしまう。ファンの方々には、面食らわせてしまったと思いますが……。

──細田監督作品に滲み出ている厳しさは、ご自身の経験に根付いているんですね。

『ハウル』は、人を信じられなくなった経験だったので……。自分の失敗としては『果てしなきスカーレット』(2025年)の爆死について思い浮かべる人も多そうですが、あれは完成しているからまだいい。自分の『ハウル』は完成しなかった。人生で一番の挫折です。

そういう人生で作品を作ってるわけだから、傷のない世界だけを描くことには抵抗がある。嘘をついているような気持ちになってしまうんだと思います。

──でも、その後、スタジオ地図を創業して、今がある。なぜ立ち上がれたのでしょうか。

僕をジブリに送り込んだ、東映の吉岡修さんの言葉が大きいと思います。吉岡さんは『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)で制作進行を務め、高畑勲さんや宮﨑さんとも仕事をしていた方でした。

『ハウル』の後、本気で業界を去ろうと思っていた時に、「引きずるな、前へ進むんだ」と言ってもらった。その言葉で、こういう昇華の仕方があるんだと思えました。

『ハウル』の時に思い描いた「時間のズレ」や「すれ違い」は、その後の『おジャ魔女どれみ』にも生きていて、『時をかける少女』(2006年)でひとつの形になった。そう考えると、あながち間違いではなかったのかもしれない。

当初は上映館6館のみながらロングランヒットを記録した『時をかける少女』
当初は上映館6館のみながらロングランヒットを記録した『時をかける少女』

ネット上での批判的な意見には、どう向き合っているのか

──監督は昔からネット上での批判的な意見も目にすることが多かったようですが、どのように向き合ってきたのでしょうか。

「見るわけがない!」と思いながら、いろんな意見を見てます(笑)。でも、あまり影響されないのかもしれないですね。

それは吉岡さんの言葉の影響で「前へ進むんだ」という気持ちが大きい。自分は褒められたくて作品を作っているわけではない。ネットの言葉で傷つく若い世代も多いと思いますけれど、怒りに身を任せない向き合い方がある。

──『果てしなきスカーレット』の「許せ」という言葉のようですね。

そうですね(笑)。僕は自分が経験したことを、どうしようもなく作品に投影してしまう。

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「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで

細田守の原点#1

ひとつのフェーズが終わろうとしている

──『バケモノの子』(2015年)​以降、脚本をご自身で手掛けられるようになったのも、作品がより個人的なものになっていったからでしょうか?

そうです。『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)は、他界した母をモチーフにして、長年一緒にやってきた奥寺佐渡子さんと共同で執筆させてもらいました。でも、それ以降は自分に子どもが生まれたこともあって、家族のことがより色濃く作品に入ってくるようになった。

家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは、申し訳ない。だから、しばらくは自分で書こうと思ったんです。

『おおかみこどもの雨と雪』の原画
『おおかみこどもの雨と雪』の原画

──奥寺さんは『バケモノの子』の公開時のインタビューで「監督は10年単位で作品づくりを考えているのでは」という話をされていました。それから10年経った。また新しいフェーズに行くタイミングだったりします?

確かにそうかもしれない。ここ数年は、娘に対しての願いが作品のモチーフになることが多かった。親はみんな同じだと思いますが「子どもたちが、社会的に不利益を被らずに生きていけるように」という気持ちが溢れていた。娘も大きくなってきたので、そのフェーズも終わりが近づいているのかもしれない。

あと、今回展覧会をするにあたって、初めて自分の過去を見つめ直してみたんですね。これまで新しさばかりを求めてきたのですが、立ち返るのも悪くない。ひとつの区切りを感じています。

これから、また誰かと一緒に脚本を書くかもしれない。ひょっとしたら……僕はいつか、自分の『ハウル』を作らなきゃいけないような気もしています。

代表作『サマーウォーズ』のキャラクターたちと
代表作『サマーウォーズ』のキャラクターたちと
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取材・文/嘉島唯

「『果てしなきスカーレット』は爆死してしまった」細田守が語る最新作の苦戦…「細田は変わった」と言われても、中学生の頃から変わらない“原点” | 集英社オンライン

「『果てしなきスカーレット』は爆死してしまった」細田守が語る最新作の苦戦…「細田は変わった」と言われても、中学生の頃から変わらない“原点” | 集英社オンライン

細田作品には、なぜ「仄暗さ」が宿るのか

──中学生の時に初めて作ったアニメーションが展示されていますが、ダークな作風ですよね。

細田守(以下同) 厨二病らしさが全面的に出ていますよね(笑)。

この映像は、もともと『少年ケニヤ』(1984)のアニメーター募集で東映に送ったものです。中間テストの時に母から「怪しい電話がかかってきた」と言われて、出てみたら東映からだった。

電話越しに「打ち合わせをしたいので、東京に来てください」と言われて「テスト前なので別日にしてほしい」とお願いしたんです。結局、学業優先ということでその時のお話はなくなりました(笑)。

「細田守の原点/展」では細田監督が初めて作ったアニメーションの展示も(撮影/山本倫子)
「細田守の原点/展」では細田監督が初めて作ったアニメーションの展示も(撮影/山本倫子)
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──すさまじい経験です。大学では一転、油絵専攻に進まれていますね。

成長とともに、現代美術や実写映画に興味が出るようになったんです。そういうこともあって、大学時代は実写映画ばかり見ていて、アニメーションはジブリ作品ぐらいしか見てなかったんですよ。

細田監督が油画専攻に在籍していた大学時代の作品
細田監督が油画専攻に在籍していた大学時代の作品

──展覧会では、大学時代の実写映画『SILENT』(1989年)​も展示されていました。

37年ぶりに見返しましたけど、辛辣なストーリーで自分でも驚きました。この映画は「コミュニケーションの手段としての『言葉』を捨てた集団の中に、『言葉』が復活して、『言葉』が人間関係を破壊していく」ストーリーなんですね。

──言葉が人間関係を壊す……。

「人間ってこういうものだよね」という気持ちを嘘をつかないで描くと、ああなる。『SILENT』は、21歳の頃に作った映画ですが、若い頃の方が、今より諦念や反骨精神が強かったように思います。

それはそれで20歳すぎの人間の正直な眼差しだった気もしますが、ある種の真実を描こうとしてる姿勢がある。それは今でも変わっていない。

──「真実」とは?

人生はそんなにうまくいかない。人を信じた先で、いろいろな問題は絶対に起きる。世の中は綺麗事だらけではない。そういう真実の部分を描かない物語は「甘い」ような気がして、作る気になれないんです。嘘をつきたくない、と言えばいいのかな。

細田作品の「原点」にあるものとは
細田作品の「原点」にあるものとは

──何かきっかけがないと、若くしてその境地に至れないような気がします。

ありますね、生々しい経験。

──どんな経験でしょう?

あまり声高に言いたいことではないのですが、僕は幼い頃から吃音なんです。Wikipediaには書かれているんですけど(笑)。

今はこうして言葉が出てきますけれど、子どもの頃は苦労しました。周りは口が動いて言葉が出るのに、自分はできない。普通に話せる人たちからのまなざしも感じる。そうすると自分の中にいろいろな感情が溜まっていってしまう。

普通の中学生だったらアニメなんか作らないと思うし、大学時代に言葉をテーマにした映画なんて選ばなかった。こうやって説明するといかにも図式っぽくて嫌ですけど、逃れられない衝動なのだと思います。

https://shueisha.online/articles/-/258007?disp=paging&page=2

原点にあるのは「言葉ではないもの」

──細田さんの作品には、セリフではなく絵の力で物語が進んでいく場面が多くあります。そうした表現には、ご自身のバックボーンも影響しているのでしょうか。

そうです。吃音だからこそ、言葉にもこだわるし、逆に言葉でない表現にもこだわらざるを得ない。

同じようなことを、山下達郎さんとも話したことがありました。「絵で伝えていることは、なかなか気づいてもらえない」とボヤいていたら、達郎さんが「音楽も同じだ」とうなずいてくださったんです。

曲を聴くことが、歌詞を読むことになっている人も多い。でも本当は、音そのものに込めているものがある。アニメーションも同じで、批評や感想の中心はセリフになることが多いけれど、作り手としては言葉以外のところに熱を込めていることがある。

『時をかける少女』の絵コンテ
『時をかける少女』の絵コンテ

──そうですね。

例えば『時をかける少女』(2006年)では、真琴が1分間走るシーンがあります。単に走っているわけではなくて、焦りや後悔、千昭に対する決意……言葉にできない感情を、走る身体そのものに託している。

言葉にすれば一言で済むかもしれないものを、絵と動きで、時間をかけて伝えようとしたシーンです。

アニメーションは、魂のような「目に見えないもの」を描くのに長けている表現だと思っているんですね。目には見えないけれど、確かにそこにある感情や気配を、絵にすることで届けられる。僕は、そういうことを信じて描いているんだと思います。

自分の原点にあるのは「言葉ではないもの」かもしれません。

https://shueisha.online/articles/-/258007?disp=paging&page=3

「細田は変わった」と言われることも多いけれど…

──細田さんが橋本カツヨ名義で絵コンテを担当した『少女革命ウテナ』の第29話「空より淡き瑠璃色の」(1997年放送)は、三角関係を椅子の向きで表現していたり、そういう姿勢が色濃く出てますよね。

『ウテナ』は、登場人物が言葉で言っていることは、嘘ばかりなんですよね。むしろ絵の方が真実を語る作品。29話は、樹璃というキャラクターのひとつの決着をつける回でもあります。

──樹璃は同性である枝織に思いを寄せながら、苦しんでいるキャラクターです。

樹璃は、気高くて、みんなに憧れられる存在なのに、すごく素朴な「ただ気持ちが伝わらない」ことに悩んでいる。そのアンバランスさがいいんですよ。そこにどう落とし前をつけるのか。それが29話でした。

東映動画でアニメーターとしてキャリアをスタートさせた細田監督
東映動画でアニメーターとしてキャリアをスタートさせた細田監督
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──あの回は、もともと脚本があったものを、細田さんが大きく変えたそうで。

懐かしい話!(笑) そうです。僕は7話「見果てぬ樹璃」から、延々と彼女を描いてきた人間でもあったので、思い入れがありました。

僕自身、優秀なスタッフに囲まれて、毎日戦っているような状態で、脱毛症になったり、心身ともにボロボロだった。彼女に共感する部分があったのだと思います。

当初予定されていた29話の脚本では樹璃がかわいそうで……そこで、幾原邦彦監督に相談して「スケジュールに間に合えば」という条件で許可してもらいました。時間がなかったので、最初から絵コンテを切ってます。

28話からは、不安定な状態の樹璃の前に、瑠果という男性キャラクターが登場する。瑠果は樹璃を傷つけるように振る舞うものの、実は彼が彼女を一番救おうとしているんです。

──瑠果は樹璃のことを想っているから。

でも、瑠果の気持ちも届かない。そのすれ違いも含めて、彼らの関係なんだと思います。だからこそ、樹璃にどう決着をつけてあげるかを考えた。幾原監督とは、相手を救うために自分が悪役を引き受ける『泣いた赤鬼』のような物語にしようと話しました。

──お話を聞いていると、最新作の『果てしなきスカーレット』(2025年)にも通じるものがあるように感じました。

そこはあまり届かなかったというか……『果てしなきスカーレット』は爆死してしまったし(苦笑)。

でも、僕の中ではつながっているんです。「強い女性を描くようになったのはなぜですか」と聞かれたり、「細田は強い女が好きなんだ」と見られたりすることもある。

でも、キャラクターの性別にこだわっているつもりはありません。男性キャラクターもたくさん描いてきましたからね。

「細田は変わった」と言われることもありますが、中学生の頃からやっていることは変わらない。根本的に「負けそうになっている人が負けないでほしい」という気持ちが強いんです。

──なぜそう思われるのですか?

……吃音ということも関係があるのかもしれません。言いたいことがあっても言えない。それをわかってもらえない。あの頃の経験が、自分の中にはずっとある。

僕は「負けそうな人が、そのまま負ける社会」が嫌なんです。どんな人生にも、負けそうになる瞬間があるでしょう。言葉が届かなかったり、誰かとすれ違ったり、自分ではどうにもできないことにぶつかったりする。

でも、その痛みをなかったことにはせず、それでも負けないでほしい。そう思っているんです。

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取材・文/嘉島唯

『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープが問い続ける「学ぶこと」の意味【インタビュー】 | アニメイトタイムズ

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『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープ先生インタビュー|「学ぶこと」は何のためにある? シタラたちの人生をを通して、自分の答えを探してほしい

『天幕のジャードゥーガル』原作・トマトスープが問い続ける「学ぶこと」の意味【インタビュー】

2026年7月4日より放送開始となるTVアニメ『天幕のジャードゥーガル』。トマトスープ先生による人気漫画作品を原作に、監督をAbel Gongora(アベル・ゴンゴラ)さん、総監督を山田尚子さんが務める注目作です。

アニメイトタイムズでは、原作・トマトスープ先生にインタビューを実施。アニメならではの魅力や歴史に惹かれ続ける理由などについて語っていただきました。

 

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天幕のジャードゥーガル

13世紀、イランの奴隷市場にその少女はいた。これは、広大な大陸を翻弄した一人の魔女の話――。⺟を亡くし、故郷からも遠く引き離されたシタラ。まだ幼く、一人で生きていく術も未来への希望も持たない彼女は、学者の一家に拾われ、穏やかな日々の中で“知”を授けられる。その頃、皇帝チンギス・カンによる地上最強の「モンゴル帝国」が他国への侵攻を繰り返し、日に日に勢力を拡大していた。その野望がシタラの住む街に到達したとき、日常は終わりを告げ、運命が大きく動き出す。作品名天幕のジャードゥーガル放送形態TVアニメスケジュール2026年7月4日(土)〜テレビ朝日系にてキャストシタラ:関根明良ドレゲネ:小清水亜美ファーティマ:桑島法子ムハンマド:齋藤潤オゴタイ:下野紘トルイ:鈴木崚汰シラ:入野自由チャガタイ:浪川大輔ジュチ:野島健児チンギス・カン:玉鷲関モンゴル兵士:玉正鳳関スタッフ原作:トマトスープ(秋田書店「スーフル」連載)総監督:山田尚子監督:AbelGongoraシリーズ構成:加藤還一キャラクターデザイン・作画チーフ:吉田健一演出チーフ:藤倉拓也美術監督:樺澤侑里色彩設計:今野成美撮影監督:高橋直希編集:廣瀬清志音楽:日野浩志郎音響監督:小沼則義ア...

『天幕のジャードゥーガル』を読んで、皆さんにはご自分の答えを探していただけたら嬉しいです

──アニメ化が決定した際のお気持ちをお聞かせください。『天幕のジャードゥーガル』は、歴史や文化、人物の機微など、映像化にあたって難しさも多い作品だと思います。アニメ化に対する期待や楽しみに感じていたこと、原作者として気になっていた点があれば、あわせてお願いいたします。

トマトスープ先生(以下、トマトスープ):サイエンスSARUさん制作とのことだったので、不安な気持ちは全くありませんでした。第一に私が見たい!と思っていたので、夢が叶った気持ちでした。山田尚子総監督の繊細で奥深い世界観と、Abel Gongora監督のパワフルでスタイリッシュな作風とが合わさったら、すごいことになるだろうな、と、本当に期待100%でした。

それというのも、『天幕のジャードゥーガル』という作品で私が描きたいことは漫画で全て完結していると思っていたので、アニメはアニメで別作品、自由に制作していただきたいなという気持ちがあったからかもしれません。結果的に、かなり原作や実際の歴史や文化にリスペクトを持って慎重に制作していただき、期待以上のすごいアニメーションになったと感じています。

──制作過程では先生への質問も多かったとのことですが、原作者としてどのような形で制作に関わられたのでしょうか? 実際に制作が進む中で、Abel Gongora監督や山田尚子総監督をはじめとしたスタッフの皆さんとやり取りを重ねる中で、印象に残っている出来事を教えてください。

トマトスープ:質問リストを都度都度作っていただき、私や監修の谷川春菜先生や桝屋友子先生でそこに回答を書き込む…というやりとりを何度か繰り返しました。シナリオができた段階でも、明確にこれは気になるなという箇所があればお伝えし、完成稿へ向かっていったという感じです。監修がしっかりとおりましたので、私としては「このシーンはこういう意図があってこう描きました」というようなコンセプトや、「私が参考にしたのはこの本のこの箇所です」と出典をお伝えすることがメインでした。

その中で、私自身気づいていなかった漫画内の時系列の誤りや、文化的な面で知らなかったことを指摘され、真っ青になって原作を修正する、というようなことまでありました。なので、コミックスはできれば最新版を買っていただきたいですね。

キャラクター設定や美術設定の資料をチェックさせていただくときは、本当に楽しみでした。漫画では画面構成を優先して誤魔化した部分がたくさんあるのですが、アニメはキャラクターも建造物なども立体的にさまざまな方向から映るので、漫画とは違うアプローチで一から構築し直されていると感じました。

──完成した映像をご覧になって、特に印象に残った演出やシーン、キャストの皆さんのお芝居を教えてください。原作を描いているときに思い描いていたものと重なった部分や、逆にアニメだからこそ受け取れた新しい魅力をお聞かせください。

トマトスープ:まず1話の冒頭からアザーンが流れ、小さなシタラがトゥースのオレンジ色の街を走り回り、青いタイルのモスクの前でタイトルが現れた瞬間、あ、この作品大好き!と思いました。色彩、造形、動きの滑らかさ、劇伴、演出など…この作品の素晴らしい要素が全て詰まったようなシーンで、何度も繰り返し見てしまいました。

この質問に回答している時点では、まだ全話をチェックしたわけではないのですが、私が拝見した限りずっと高いクオリティが保たれていて、自分が描いた展開ということを忘れて見入ってしまいます。世界最速上映会で3話まで通して拝見したときは、お客さんの反応を見るぞと思っていたのに、作中起きる出来事へのショックが大きくて、画面以外見られませんでした。

特にシタラが「もう知らないところに行くのはイヤ」と泣き出すシーンは、本当に小さな子が泣いているようで可哀想で…。後々別の回で、大人になったシタラが激しく叫ぶシーンがあるのですが、シタラというキャラクターの本質は、必死に学び考え続けても先の見えない闇の中から出られず、こうして泣き叫びながらまた学び考え続けるところにあるのかもしれない、と気づかされました。シタラ役の関根さんが見せてくれたシタラの本質だと思っています。

──本作では、モンゴルやペルシアをはじめとした歴史や文化が丁寧に描かれています。作品を制作するうえで、実在した歴史や文化を創作として扱う際に大切にしていることは何でしょうか。また、資料を調べ続ける中で、今もなお惹かれ続けている歴史の魅力についてもお聞かせください。

トマトスープ:可能な限り調べて描こうと努めていますが、どうしても限界はあるもの。そして私はその文化や信仰や歴史の当事者ではなく、エンタメを作るために外野から利用しているに過ぎないんだと最近強く感じます。『天幕のジャードゥーガル』に出てくる文化や信仰、歴史の当事者の方がどう思うかは、私にはとても想像できるものではありません。

私が想像できる範囲では、『天幕のジャードゥーガル』からモンゴル帝国やイスラム世界に興味をもった方が、能動的に調べてそれを愛するようになったら、『天幕のジャードゥーガル』のことは大嫌いな作品になると思います(アニメーション作品としては評価軸が複数ありますから、ここでは原作の漫画作品のみのことです)。

だったらせめて、自分が作っているものはあくまでエンタメのための創作であること、そして知らないことは知らないと言える創作者でありたいなと思います。

歴史は調べれば調べるほど「史実」という言葉への違和感が強くなります。時々私の来歴について書かれた文章を目にすることがあるのですが、嘘ではないのに、真実でもなく、たとえ私が言葉を重ねて詳細を語ったとしても、けして私から見た真実にはならないでしょう。歴史叙述とはこういうものだと気づきました。

もしタイムスリップして、モンゴル帝国の実際の人々を見られるとしても、それは決して自分が夢中になったその人たちではないわけだし、見たくないんじゃないかな……いや、見たいかな? 別の像を見たいかも……。こんな虚しい逡巡をもう10年以上続けています。虜です。

──本作の主人公・シタラは、「学ぶこと」を生きる力へと変えていく人物です。先生ご自身も以前のインタビューで、歴史を学ぶことへの関心について語られていましたが、現代社会において「学ぶこと」や「知性」はどのような意味を持つとお考えでしょうか。また、シタラの生き方を通して、読者や視聴者に受け取ってほしいものを教えてください。

トマトスープ:昔、私が非正規として会社で働いていたとき、年上の同僚が「自分はかつて独立して起業したこともあったけど、非正規に戻った。他人に決めてもらえるのって楽だよ」と言っていたのに対して、社会経験の浅い私は何も言えませんでした。

「学ぶこと」は何のためにあるのかというと、「自分で決める」ためなんじゃないかと、私は今のところ思っています。

ただ学ぶ機会を得られること自体、恵まれたことでもあります。シタラの生きた13世紀と比べれば、現代はずっと知の裾野が広がった時代ですが、それでもさまざまな事情で学ぶ機会を十分に得られなかった人もいます。そこを否定する描き方はしたくありません。知の裾野が広がった時代の恩恵を受けてきた身としては、それは望ましくない態度だと思っています。

あの同僚は、それはそれで自分で選んだ結果としてそこにいたんだと思うのですが、それでも「他人に決めてもらえるのは楽でしょ?」という問いにどう答えたら良かったのかを、シタラたちの人生を借りてずっと探しています。

『天幕のジャードゥーガル』を読んで、皆さんにはご自分の答えを探していただけたら嬉しいです。

──最後に、放送を楽しみにしている読者へのメッセージをお願いします。

トマトスープ:TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』に打ちのめされてください。

[記事構成/タイラ]

作品情報

天幕のジャードゥーガル

あらすじ

13世紀、イランの奴隷市場にその少女はいた。
これは、広大な大陸を翻弄した一人の魔女の話――。
⺟を亡くし、故郷からも遠く引き離されたシタラ。
まだ幼く、一人で生きていく術も未来への希望も持たない彼女は、
学者の一家に拾われ、穏やかな日々の中で“知”を授けられる。
その頃、皇帝チンギス・カンによる地上最強の「モンゴル帝国」が他国への侵攻を繰り返し、
日に日に勢力を拡大していた。
その野望がシタラの住む街に到達したとき、日常は終わりを告げ、運命が大きく動き出す。


キャスト

シタラ:関根明良
ドレゲネ:小清水亜美
ファーティマ:桑島法子
ムハンマド:齋藤潤
オゴタイ:下野紘
トルイ:鈴木崚汰
シラ:入野自由
チャガタイ:浪川大輔
ジュチ:野島健児
チンギス・カン:玉鷲関
モンゴル兵士:玉正鳳関

(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

天幕のジャードゥーガル:新たなアニメ表現への挑戦 実験的でフラットな構図 アベル・ゴンゴラ監督インタビュー - MANTANWEB(まんたんウェブ)

天幕のジャードゥーガル:新たなアニメ表現への挑戦 実験的でフラットな構図 アベル・ゴンゴラ監督インタビュー - MANTANWEB(まんたんウェブ)

天幕のジャードゥーガル:新たなアニメ表現への挑戦 実験的でフラットな構図 アベル・ゴンゴラ監督インタビュー

アニメ「天幕のジャードゥーガル」の一場面(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

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アニメ「天幕のジャードゥーガル」の一場面(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会
アニメ「天幕のジャードゥーガル」の一場面(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

 「このマンガがすごい!2023」(宝島社)のオンナ編1位に選ばれたことも話題のトマトスープさんのマンガが原作のテレビアニメ「天幕のジャードゥーガル」が、テレビ朝日系のアニメ枠“IMAnimation”で7月4日に放送を開始した。「平家物語」「聲の形」「きみの色」などの山田尚子さんが総監督、「ダンダダン」第2期などのAbel Gongora(アベル・ゴンゴラ)さんが監督を務め、サイエンスSARUが制作する。アニメとしては異例の13世紀のモンゴルが舞台となる。アニメ、つまり動きがあるわけだが、絵画のような美しさもある。これまでのアニメにはないような映像美はいかにして生まれたのか。アベル監督に聞いた。

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 ◇山田尚子、吉田健一へのリスペクト

 「天幕のジャードゥーガル」は、秋田書店のマンガサイト「Souffle(スーフル)」で連載中のマンガが原作。モンゴル帝国の捕虜となった少女・シタラが、知恵を駆使して王族に取り入り、帝国を内側から崩壊させようと決意する……というストーリー。アニメは、総監督の山田さん、監督のアベルさんの二人体制で制作を先導したようだが、明確な役割分担があったわけではないという。

 「山田さんは脚本の段階から作業を始められていて、私はビジュアルの開発から本格的に参加しました。ビジュアルスタイル、キャラクターデザイン、アートディレクション、絵コンテのチェックといったことは二人体制で行いました。実制作に入ってからは、山田さんの関与する領域は変化していきましたが、その度合いは工程ごとに異なるので、一概に説明するのは少し難しいところもあります」

 山田さんと共にアニメを制作することで刺激を受けている。

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 「ずっと前から彼女の作品が好きでしたし、彼女の絵コンテやアートディレクションに対する考え方を学ぼうとしていました。彼女は本当に素晴らしいですし、今回関われることは大きなチャンスでした。彼女がチームとコミュニケーションをとる方法も本当に素晴らしく、その点でも学ぶことがたくさんありました」

 吉田健一さんがアニメのキャラクターデザインを手掛け、作画チーフとして参加している。吉田さんはスタジオジブリ出身で、「地球外少年少女」「ガンダム Gのレコンギスタ」「交響詩篇エウレカセブン」「OVERMANキングゲイナー」などのキャラクターデザインでも知られている。アベルさんは、吉田さんの仕事も絶賛する。

 「吉田さんにこのプロジェクトに関わっていただけるのは大きなサプライズでした。本当にエキサイトしました。彼は私の想像以上でした。本当に優れたアニメーターがそろっていますが、彼はそれをさらに優れたものにしてくれます。繊細な表情を描き、複雑な感情を表現しています。彼がキャラクターを描くたびに、どういうわけか突然、特別に見えるんです。本当に素晴らしいんです」

 ◇リアルでありながら人工的な構図

 アニメやマンガで描かれることがあまりない13世紀のモンゴルが舞台となる。原作のビジュアルも独特だ。原作のビジュアルをアニメとして見事に表現している。

 「原作はクラシックな雰囲気があると思い、それを生かしたいと考えました。マンガを単純に模倣するわけではありませんが、美術やキャラクターデザイン、色彩、音楽などにどこかクラシックな雰囲気を持ち込もうとしました。例えば、私は、森康二さんが作画監督を担当した『わんぱく王子の大蛇退治』のような、東映動画(現・東映アニメーション)の黄金期の作品に影響を受けています。そこをより明確にしようとしていて、背景のスタイルにも影響があります。キャラクターの処理に関しては、デジタルっぽさを減らし、アナログのように見せようとしています。例えば、線を粗くしたり、色にテクスチャを加えたり、最終的なコンポジットで少しグレイン(粒子)を加えたりしています」

 アニメだから当然、動きがあるが、絵画を見ているような美しさもある。

 「絵コンテでも実験的でフラットな構図を取り入れようとしました。例えば小津安二郎やウェス・アンダーソンといった映画監督の影響も受けています。自然主義的な描写よりも、シンメトリーな構図や低いカメラポジション、浅い被写界深度などを用いて、少し人工的なスタイルを推し進めようとしました。逆に重要なシーンやドラマチックなシーンでは自然な構図や極端なパースを用いたりもしています」

 アベルさんは「多くのことが挑戦でした」と話すように、新しい表現を目指しつつ、細部までこだわり抜いた。

 「山田さんはとても一緒に仕事をしやすい方ですが、こういうふうに別の監督と一緒に仕事をするというのは挑戦でした。それと、先ほども話した構図も挑戦でした。私はこれまでのアニメでシンメトリーな構図や等角投影法は使わずに、できるだけリアルでシネマティックに見せようとしてきました。ただ、ペルシャ美術の影響などを絵コンテの段階に持ち込むのが面白いのではないかと考え、人工的な構図も取り入れたんです。ペルシャやモンゴルの文化に関しても間違いを犯したくありません。そういった文化を背景に持つ人々に誇りを持ってもらいたいからです。そのためには、あらゆるディテールに注意を払う必要があります。ペルシャやモンゴルの歴史は非常に豊かですが、チームの誰もその土地の出身ではありません。敬意を払うために多大な努力を注ぐ必要がありました」

 「天幕のジャードゥーガル」は、懐かしさと新しさが見事に融合し、これまでにないアニメとなった。物語、ビジュアル、そしてキャラクターたちの圧倒的な表現力を、ぜひその目で確かめてほしい。(阿仁間満/MANTANWEB)

⿻ Yusuke Hayashi 林祐輔さんによるXでのポスト

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