岸恵子『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』1961🎬
むかし映画評論家の松田政男から直接に聞いたのですが、「フランスで捕まりそうになったときに岸恵子が匿ってくれた。」と言うことらしいです。隣で映画批評家の平沢剛もいたので彼に確認してください😅
この映画は、まだ私は見たこがありません。いま見る方法を探しています🎬ぜひ見たいです💐
『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』
(原題:Qui êtes-vous, Monsieur Sorge?、1961年)
日仏合作の白黒映画(約128〜129分)。
監督:イヴ・シャンピ(岸惠子の当時の夫)。
原作:ハンス・オットー・マイスナーの著作を基に脚色。
主演:トーマス・ホルツマン(リヒャルト・ゾルゲ役)、岸惠子(桜井ユキ役)。
実在のソ連スパイ・リヒャルト・ゾルゲの東京での活動を題材にしたドラマで、史実にフィクションの恋愛要素を加えた作品です。
あらすじ
ドイツ人を父、ロシア人を母に持つリヒャルト・ゾルゲは、自らの出自の矛盾を共産主義が解決してくれると信じ、赤軍に入りスパイとして鍛えられます。1935年(映画では1936〜37年頃から描かれる)、ソ連の指令を受けて東京に赴任。ドイツの新聞『フランクフルター・ツァイトゥング』の特派員でナチス党員という身分を装い、駐日ドイツ大使館に深く食い込みます。
ゾルゲは「ラムゼイ」と呼ばれる諜報組織を構築します。メンバーには:
無線技師のマックス・クラウゼン
通信社特派員のブラノフスキー
近衛内閣の嘱託で平和主義者の尾崎秀実
アメリカ帰りの画家・宮城与徳
その他の協力者
が含まれます。親独派を装いながら、尾崎から日本の政界・軍部の機密情報を入手し、クラウゼンに命じてモスクワへ無線で打電。またマイクロフィルムを香港経由で送るなど、活発に活動します。重要な情報として、ドイツのソ連侵攻や「日本がソ連を攻撃する意図はない」といった内容を伝え、第二次世界大戦の戦局に影響を与えたとされています。
一方、日本の陸軍防諜部長・藤森大佐は、怪しい暗号電文を繰り返し傍受し、ドイツ大使館周辺の監視を強化します。クラウゼンがタクシーに忘れた書類なども手がかりとなり、捜査は徐々に絞られていきます。
ここで岸惠子演じる桜井ユキ(桜井男爵夫人)が登場します。藤森大佐の依頼を受け、ドイツ大使館関係者を内偵する任務を負ったユキは、ゾルゲに接近します。ゾルゲは彼女がスパイだと知りながらも美貌に惹かれ、関係を深めていきます。
ある夜、ユキが招待した船上パーティが開かれます。これはスパイたちを一網打尽にするための罠でしたが、ゾルゲは裏をかき、近くの小舟に乗った漁師の仲間に無線を発信させて検挙を逃れます。この失敗をきっかけにユキは内偵から手を引き、ゾルゲと本気で交際するようになりますが、やがて憲兵隊に拘束されます。
組織は独ソ開戦や日本の南進方針などの情報を伝え続けますが、検挙された宮城の自供により、1941年10月にゾルゲら主要メンバーが逮捕されます。
映画のクライマックスでは、真珠湾攻撃成功後、藤森大佐が拘置所のゾルゲを訪れ「日本の勝利」を得意げに語ります。しかしゾルゲはすでに「12月初旬に真珠湾を攻撃する」という情報をモスクワに打電済みだったことを示唆し、彼の運命は世界の指導者たちの取引材料となり、生死が謎に包まれたまま幕を閉じます(史実では1944年に処刑されていますが、映画は当時の俗説を取り入れています)。
特徴と補足
史実をベースにしつつ、ユキとゾルゲの恋愛関係や船上パーティの罠など、メロドラマ的な要素が強調されています。
岸惠子自身がゾルゲの獄中手記に感銘を受けて企画を発案した作品で、夫のシャンピ監督とともに関係者への取材も重ねて制作されました。
当時広く信じられていた「ゾルゲが真珠湾攻撃情報を事前にソ連に伝えた」という俗説を取り入れている点は、後の歴史研究では正確ではないと指摘されています。
全体として、冷戦期の国際的な緊張を背景に、スパイ活動の緊張感と人間ドラマを描いた作品です。
夫 イヴ・シャンピ監督
シャンピは医師から映画監督になった人で、第二次大戦中にナチス占領下のレジスタンス=ド・ゴール派の自由フランスに参加していました。これは戦時の対独抵抗であり、1960〜70年代の新左翼運動とは別です。
イヴ・シャンピ(Yves Ciampi)
本名: イヴ・ジャン・マリー・シャンピ(Yves Jean Marie Ciampi)
生没: 1921年2月9日、パリ生まれ — 1982年11月5日、パリ没(61歳)
父:マルセル・シャンピ(著名なピアニスト、パリ音楽院教授)
母:イヴォンヌ・アストリュク(ヴァイオリニスト)ユダヤ人
妻:岸恵子(1957年結婚、1975年離婚)
娘:デルフィーヌ・シャンピ(アーティスト・ミュージシャン)
経歴
音楽家の家庭に生まれ、リセ・カルノーで学びました。医学を志してパリの病院で研修医(エクステルン)を務め、1946年に医学博士号を取得しています。
1938年から16mmカメラでアマチュア映画を撮り始め、1941年には前衛短編『Mort interdite』を制作。第二次世界大戦中の1942年、医学の道を一旦中断して自由フランス軍のルクレール師団(第2機甲師団)に参加し、アフリカ戦線とパリ解放を記録したドキュメンタリーも撮っています。レジオン・ドヌール勲章、戦争十字章、レジスタンス勲章を受章しました。
戦後、ジャン・ドレーヴィルやアンドレ・ユヌベルの助監督を経て、1948〜49年頃に長編監督デビュー。1954〜59年には映画製作技術者組合の会長も務めました。
1950年代に本格的に活躍し、心理サスペンスや社会ドラマを得意とする技術派の監督として知られます。ヌーベルヴァーグとは異なる、従来のフランス映画の流れに属する監督です。
1960年代後半以降は主にテレビ作品に移行し、歴史・政治をテーマにした作品を多く手がけました。
主な監督作品
『Un grand patron』(1951年)— 病院を舞台にした作品。フランス映画勝利賞受賞
『悪の決算』(Les Héros sont fatigués, 1955年)— イヴ・モンタン主演
『忘れえぬ慕情』(Typhon sur Nagasaki, 1957年)— 岸恵子、ジャン・マレー、ダニエル・ダリュー共演。日仏合作
『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』(Qui êtes-vous, Monsieur Sorge?, 1960/61年)
『頭上の脅威』(Le Ciel sur la tête, 1965年)— モスクワ国際映画祭金賞
岸 恵子
パリに住み、女優を続け、のちにエッセイ・取材をする。
1968年のパリ五月革命と、プラハ侵攻の現場に立った(自伝・年譜に明記)。ただし本人は「政治オンチ」と書いており、何が起きているかよく分かっていなかった、と振り返っています。参加ではなく目撃です。
夫とリヒャルト・ゾルゲを題材にした映画を作り、フルシチョフに招かれてソ連を訪れた。
後年はイラン取材など国際ジャーナリスト、国連人口基金親善大使。
ゾルゲ事件は、まあナチスのバルバロッサ作戦に日本が北進して参戦するかどうか?の情報らしいですが、実は日本の中にはゾルゲだけでなく、スパイだらけだったようです。南進の決定は1941年7月2日の御前会議、そもそも意思決定システムが信用できません😅
ありがとうございました💐






