2026年3月14日土曜日

黒沢明監督作品 天国と地獄を歩く (中)

黒沢明監督作品 天国と地獄を歩く (中)





共犯者の家への坂道>
 刑事たちは子供の書いた絵を便りに坂道を登ります。小動岬と江ノ島が一直線に見える場所を探します。


この場所は腰越の丘の上になるのですが、小動岬、腰越と聞くと、太宰治をおもいだしますね。『"帝大生と女給情死を図る"青森県北郡金木町素封家同郡県会議員津島文治氏弟東京市外戸塚町二五〇常盤館止宿帝大生修治(二二)及び銀座十字屋楽器店裏ハリウッド・バー内田邉あつみ(一九)の両名は二十八日朝家出同日午後五時頃相州腰越小動神社裏海岸でカルモチンをのみ情死を計り二十九日朝八時頃苦悩中を付近の漁師が発見女は間もなく絶命男は腰越恵風園に収容したが一命は取止めるらしい』、と昭和5年11月30日(日)の東京朝日新聞朝刊に報道されています。

左の写真は共犯者の家に向かう坂道です。この坂道を下りた所を江ノ島電鉄と134号線が走っています。海岸縁の道の右側すぐに小動岬があり、左側すぐに恵風園があります。

黒沢明監督作品 天国と地獄を歩く (中)


酒匂川鉄橋>
 犯人からの電話で身代金を"特急こだま"に乗って受け渡すことになります。昭和38年ですから東海道新幹線は翌年開通でまだ姿を見せていません。当時の東海道線の電車特急は東京-大阪間を"こだま"、"つばめ"が2編成づつ、"はと"が1編成、神戸までの"富士"が2編成走っていました。「天国と地獄」の撮影に使われた特急は東京14時30分発の「特急第2こだま」でした。小田原駅手前の酒匂川鉄橋を渡る時間は、横浜発が14時52分、熱海発が15時48分ですから15時30分前後だとおもわれます。酒匂川鉄橋の東京よりの土手で誘拐された子供の姿を確認して、鉄橋を渡り切った小田原よりの土手で身代金をこだまのトイレの窓から投げ捨てます。当時の"特急こだま"は電車特急で窓は開きませんが、ただ一カ所トイレの窓だけが開閉可能でした。その窓を使って身代金を酒匂川鉄橋の土手に投げ捨てるわけです。

左の写真が酒匂川鉄橋です。特急こだまがこの鉄橋を通過する時間は僅か15秒です。「…十月二十二日、快晴、本番である。品川操車場には八時頃からスタッフが集合。…… 九時になり黒澤と扮装した俳優たちが、そして乗客になったエキストラが、続々と現われ、乗車した。「エキストラは、出来るだけハイクラスの人を集めろという黒澤さんの注文で、成城の奥様方がキラビヤカな服装で集まりました」 (出目談・著者インタビュー)エキストラには後日談がある。彼女たちは黒津映画に出演させて貰ったお礼に、相談のすえ黒澤に羽織一着を贈ったという。… 十時をやや過ぎて特急第二こだまは、正規の十一輌編成で品川操車場を出発した。ビュッフェに一つある壁時計が背景に写るので、東京発二時三十分に合わせ、少し進めてある。約一時間の勝負であり、『天国と地獄』 はこの撮影の成否にかかっている。黒澤以下、時間との闘いであり、いやがうえにも高まる興奮に身をゆだねた。カメラマンたちが言ったように、まさに?一瞬の勝負″ である。…」。撮影用に"特急こだま"を貸し切って撮影したようです。当時、特急に乗る人は一部のお金持ちだけだったので成城の奥様方になったのでしょう。

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