菫色映画:エキゾチカ - livedoor Blog(ブログ)
わたしたちは、自分で頼んで生まれてきたわけではない。
では、誰が頼んだのだろう。
生まれる「しか」なかったのだ。
問題は、それから生き続けていくということ。
ネタバレ有りです。
税務調査官のフランシスは、夜毎ストリップバーへと足を運ぶ。
そこで踊る制服姿のクリスティーナを指名するためだ。
たった5ドルで自分のテーブルに呼べ、彼のためだけに踊るダンサー。
でも、そこでは踊り子に触れることは御法度となっていた。
その禁が破られた時、何かが変化を起こす。
見ていくうちにだんだんと明かされる相関関係。そして彼らの過去。
ここには喪失感を抱えたまま日常を送る(送るしかない)人々が暮らしている。
冒頭に書いたフランシスの台詞のように、生き続けるしかない人生。
そこに癒しを求めた彼は、現実から逃れようとしていたのか。
フランシスとクリスティーナは特別な関係を結んでいる。
それはただの客と踊り子の枠を超えていた。
愛でなく。色情でもなく。
互いが互いに必要な部分を補っているのだと彼女は云った。
それに嫉妬のまなざしを向けているバーのDJエリック。
彼の陰湿な罠にしろ、クリスティーナへの執着にしろ、やはりどこかまともでない風情のある男。
そんな彼らの糸が意外な方面でラストに繋がっていくのは見事。
娘を殺されたフランシス。
その娘の子守をしていたクリスティーナ。
そして殺された子の死体の第一発見者がエリックだった。
「目を覚ませ」
エリックはそう云うとフランシスを抱きしめる。
彼の騙した行為は嫉妬だけでなく、フランシスに現実と対面させる意味もあったのか。
時々挿入される、野原を一直線に並んで歩く人々のシーンは、実は死体探しの仕事(なのかどうかはっきりしないけれど)であったという痛ましさ。
そこで出会ったとみられるクリスティーナとエリックのやさしい会話が、その後の二人を知っているだけにまたやるせない。
彼らは、人とどうコミュニケーションをとっていいのか判らなくなっているかのようだ。
ペットショップを経営するトーマスにしても、チケットをだしにしてボーイハントを続ける、人恋しい不器用なゲイだ。
もう娘はいないのに、子守の少女を雇って、かつてクリスティーナにそうしていたように家まで送り、バイト代を渡すフランシスも。
「純真な少女」というナレーターをつけられながらも、その少女の証である制服を脱いで踊る職業に就いたクリスティーナも。
大きな喪失感のその穴を埋めようとしていた。
けれど結局それは行き場を失くす。
楽屋で叫びまくるクリスティーナの姿は、埋められない虚無への絶望が漂っていた。
なぜ、触れ合うことができないんだろう。
こんなに近くにいるのに。
せつなく、儚い、エゴヤン監督の傑作。
生涯忘れられない映画の一本。
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