2024年4月28日日曜日

ハムレットQ1 (光文社古典新訳文庫 Aシ 1-6) : ウィリアム シェイクスピア, Shakespeare,William, 徹雄, 安西: 本


https://www.amazon.co.jp/ハムレットQ1-光文社古典新訳文庫-ウィリアム-シェイクスピア/dp/4334752012

2010年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かつて、おそまつな海賊版とみられていた『第1クォート・ハムレット』(=Q1)は、最近の研究では、現行ハムレットが作られる過程を示す「原型」とみなされている。私の手元にあるArden版の『Hamlet』(2006)では、膨大な脚注も付録も煩わしいほど詳細にQ1との関連に触れている。成立史的には、Q1はそれほど重要なテクストなのだ。安西氏の邦訳は、貴重なお仕事であると同時に、シェイクスピア・ファンには福音である。現行版ハムレットは長すぎるので、あちこちカットして上演されるのが普通だが、Q1は分量が6割しかないので、その点でも注目されている。だが、邦訳を通読して感じたのは、ハムレットに特徴的なあの輝くばかりの科白が乏しいことである。たとえば、劇中劇で動揺した王クローディアスの祈り。(Q1)「どうやって天に祈ればよいというのか。ええい、ひざまずけ。膝を折って、神のお慈悲を乞い求めるのだ。さもなければ、絶望しかないのではないか」は、現行版では「助けたまえ、天使よ! やってみよう。曲がれ、頑ななひざよ。そして、鋼のような心よ、生まれたての赤子のように柔らかくなれ。それですべてうまくいく。」(河合祥一郎訳、角川文庫) ハムレットの死の場面では、(Q1)「さらばだ、ホレイショ。天よ、わが魂を、迎えたまえ。(死ぬ)」/(現行版)「ああ、もう死ぬぞ、ホレイシオ。・・・彼[=フォーティンブラス]に伝えてくれ、これまでに起こった事の顛末を。――あとは、沈黙。(死ぬ)」 そして続くホレイシオの「気高いお心が砕けてしまった。おやすみなさい、優しい王子様。天使たちの歌声を聞きながらお眠りなさい。」が、Q1にはまったく無い。このホレイシオの素晴らしい科白が欠けた『ハムレット』など考えられるだろうか? シェイクスピアはQ1を元に、科白を練りに練ったのだ。やはり長くなっただけのことはある。
32人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
neverneverland
2018年1月9日に日本でレビュー済み
ハムレットのQ1は,Q2原本の扉書きの言ふやうに,沙翁本來の『ハムレット』では無い.今日でも舞台版のミュージカルを映畫版にする際に見られる樣な,『破綻』が其處此處に見られるからだ.つまり Q1は,同樣に,出版年こそ先驅ではあれ,別な作者による,Q2 の評判に肖つての『別作品』と考へる他は無い.
『ハムレット』本來の,あるべき『解釋』が混亂を極める今日,この作品を Q2 と區別し得ぬ英文學者らの爲體は嘆かはしい限りなのだが,たとへば Q1では,所謂『ガートルード 居室の場』に於いて,ハムレットによる糺彈を受けたガートルードは,いとも簡單に悔悛し,ハムレットの復讎に,積極的な支援を約するが,これはQ2の展開とは,まつたく異なる.ハムレットの『意圖』は他へは漏らさぬが,現在の夫たる,恐らくは長年の『不倫』の相手であつたクローディアスとの關係を,斷ち切る覺悟には至らぬといふ,心を二つに割かれた迄が,ガートルードの現在であり,それだからこそ Q2 のハムレットは,それを見窮め,去り際に,彼の 'good night' の言葉に對して『祝福 blessing 』を施さうとする母親を制し,「全き悔悛に達し,神の祝福を心より願ふ時にこそ,その 'blessing' を受けませう」と言ひ渡し,この遣り取りがあればこそ,最終場で,毒杯とは知らずにであるが,悔悛の表明として,杯を執り,ハムレットを blessing するのである.それがガートルードの死に繫がる事は,ご存知の通りである.
かうした極めて『ドラマティック』な遣り取りが,Q1 では,安直な悔悛により,總て削がれて,一切動機が不明なまゝに,ガートルードは杯を執る.僕は,御粗末な結末と見るのだが,そもそも今日,Q2 の解釋に於いても,最終場のガートルードによる blessing の意味合ひは,まつたく見落とされ,その爲,未だに『ハムレット』は,謎の多い難解な芝居とされてゐる面が大いに存在し,その情け無い現狀からして,眞に Q1 の位置附けも,出來得ぬものと,歎く次第である.
さて,Q1 譯者の安西さんとは,多少の面識もありはしたのだが,やはりは Hamlet の Q2 もしくはF1 に,取組んで戴きたかつたと、殘念に思ふばかりである.譯者の御冥福を禱りつゝ.

Bernie SandersさんによるXでのポスト

バーニー・サンダース 「ネタニヤフさん。 6か月少々の間に、あなたの過激派政府は3万4千人のパレスチナ人を殺し、7万8千人以上の傷つけ、その70%が女性と子供だと指摘することは、反ユダヤ主義でも親ハマスでもない。…

 
 
村井 華代
⁦‪@hanayomurai‬⁩
バーニー・サンダース氏の全くの正論。
「ネタニヤフさん。
6か月少々の間に、あなたの過激派政府は3万4千人のパレスチナ人を殺し、7万8千人以上の傷つけ、その70%が女性と子供だと指摘することは、反ユダヤ主義でも親ハマスでもない。…
 
2024/04/28 16:56
 
 
バーニー・サンダース氏の全くの正論。


「ネタニヤフさん。
6か月少々の間に、あなたの過激派政府は3万4千人のパレスチナ人を殺し、7万8千人以上の傷つけ、その70%が女性と子供だと指摘することは、反ユダヤ主義でも親ハマスでもない。
あなたの爆撃が、ガザの22万1千戸以上の住宅を完全に破壊し、ほぼ人口の半分に当たる100万人以上の人々を住居のない状態にしたと指摘することは反ユダヤ主義ではない。
あなたの政府がガザの市民インフラ、電気、水、下水の施設を消し去ったと書くことは反ユダヤ主義ではない。
あなたの政府がガザのヘルスケアシステムを全滅させ、26の病院を使用不能になるまで叩き壊し、400人以上のヘルスケア労働者を殺している現実を思い知ることは反ユダヤ主義ではない。
あなたの政府が、ガザの12の大学をすべて破壊し、学校の56校を破壊し、さらに何百校にも被害を与え、62万5千人の教育機会を失わせたと非難することは、反ユダヤ主義ではない。
あなたの政府が、アメリカの法に違反し、ガザに来る人道支援をゆえなくブロックし、何千人という子供たちが栄養失調と飢餓に瀕する状況を作り出していると、ほぼすべての人道組織が言っていることに同意するのは反ユダヤ主義ではない。

ネタニヤフさん、
反ユダヤ主義は、何百万人に言語を絶する危害を与えた偏執のおぞましくも忌まわしい一形態です。
しかし、アメリカ国民の知性を見くびらないでください、あなたの過激派の人種差別的政府の非道徳的で不法な戦争ポリシーから目をそらそうとして。
あなたがイスラエルの法廷でさらされている刑事告発から注意をそらすために反ユダヤ主義を利用するな。
あなたに自分の行為の責任をとらせようとすることは反ユダヤ主義ではない。」

刑事役を拒否していた田村正和は、なぜ「古畑任三郎」だけは引き受けたのか…最終話で菅原文太に放った名台詞 警察の本質は「力の行使」ではなく「事実の解明」にある (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

刑事役を拒否していた田村正和は、なぜ「古畑任三郎」だけは引き受けたのか…最終話で菅原文太に放った名台詞 警察の本質は「力の行使」ではなく「事実の解明」にある (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

刑事役を拒否していた田村正和は、なぜ「古畑任三郎」だけは引き受けたのか…最終話で菅原文太に放った名台詞 警察の本質は「力の行使」ではなく「事実の解明」にある

2024/04/27 16:00

古畑任三郎はなぜ拳銃を持たないのか

「普通の刑事もの」だったら引き受けなかったと語った田村正和。そうした古畑任三郎の"普通の刑事ではないところ"が端的に表現されていたのが、第1シーズンの最終話となる第12話「最後のあいさつ」だろう。

この回の犯人役は菅原文太。彼が演じる小暮音次郎は強面の警視庁警視で、古畑の上司だ。小暮は2年半前、孫娘を殺されていた。ところが被疑者として逮捕された男に対し、証拠不十分で無罪の判決が下る。

それに到底納得できない小暮は、自ら銃で男を殺す。事件の担当になったのは古畑。だが小暮には別の事件で犯行時刻には張り込みをしていたというアリバイがあった。そのアリバイをどう崩すのか? 小暮を犯人とにらんだ古畑の捜査が始まる。

そして最後、2人の対決の場面。古畑によってアリバイの矛盾を突かれ、観念せざるを得なくなった小暮は、上司としての気持ちをのぞかせながら「いいぞ、古畑。俺の負けだ」と犯行を認める。そしてこう語り出す。

「いつも思っていた。往生際の悪い犯人ほど情けないものはないって」「自分が捕まるときは誇り高くいたいもんだと」「灰原は人間のくずだ。わかってくれ。俺が法に代わって……」。

小暮がそう言いかけたとき、古畑は珍しくきっぱりとその言葉を遮る。「小暮さん、それは違います。人を裁く権利は我々にはありません。我々の仕事はただ事実を導き出すだけです」。

古畑任三郎を独自な存在にしたもの

古畑のその毅然とした態度に、小暮はようやく落ち着きを取り戻す。そして「納得がいったよ。君に拳銃は必要ない」と古畑に言う。

実はこの対決の前、古畑が拳銃を携行していないことをめぐって2人は会話を交わしていた。麻薬取引の現場に踏み込む小暮に同行させられた古畑は、拳銃の準備をしておくように言われ、持っていないことを白状する。「使いかたもわからない」と言う古畑に悪びれた様子はない。それを見て少しあきれたような小暮。

そしていま、小暮に「君に拳銃は必要ない」と言われた古畑は、「警視、最高の褒め言葉です」と喜びをあらわにする。敬礼する古畑。小暮も敬礼を返す。この小暮との一連のやり取りからは、拳銃を持たないことが古畑にとってひとつの思想であることが見えてくる。

つまり、警察官とは、拳銃による力の行使ではなく事実の解明のみによって職務を果たすべきものである、ということだ。

他の刑事ドラマであれば、拳銃を撃つことをためらい、悩む刑事はいても、最初から拳銃を持つこと自体を拒否する刑事は存在しないだろう。この思想的な"非暴力性"こそが、刑事ドラマ史にあって古畑任三郎を独自な存在にしているのである。

2024年4月27日土曜日

ジム・ケルトナーがボブ・ディランのために30年間のドラミングについて語る

ジム・ケルトナーがボブ・ディランのために30年間のドラミングについて語る

Jim Keltner Talks Thirty Years of Drumming for Bob Dylan

Part 1: "Knockin' on Heaven's Door," Leon Russell, The Gospel Years, Traveling Wilburys

Flagging Down the Double E'sは、往年のボブ・ディランのショーを探るメールニュースレターです。購読はこちら:

2023年6月更新:このインタビューは、私の新しい本「Pledging My Time: Conversations with Bob Dylan Band Members」に40人以上の他の人と一緒に含まれています。ハードカバー、ペーパーバック、または電子ブックで今すぐ購入してください!

ジム・ケルトナーは、1つの名前で参照できるアーティストのためのドラムです。ニール。ジョニ。ミック。エルトン。ウィリー。トム。ジョン...そしてジョージ...そしてリンゴ。

そしてもちろん、ボブ。

実際、ジム・ケルトナーよりも長期間ボブ・ディランと一緒に仕事をしたミュージシャンはほとんどいません。彼らは、ケルトナーのレオン・ラッセル主導のリズムセクションが「川の流れを見る」と「私が傑作を描くとき」でボブを支持した1971年のセッションで初めて会いました。ディランのメインドラマーが手根管を負傷したとき、ケルトナーが突然のフィルインとしてボブと一緒にツアーした2000年代まで続いています。

そして、その間に多くのことが起こりました。ケルトナーはディランの3つの「福音の年」すべてでドラムを演奏した。彼は、パット・ギャレットとビリー・ザ・キッド、セーブド、ショット・オブ・ラブ、エンパイア・バーレスク、タイム・アウト・オブ・マインドなど、幅広いアルバムで演奏し、その間の様々なトラックを演奏しました。彼は、レターマン10周年記念スペシャルから、ボブが巨大なオーケストラと演奏した日本のグレートミュージックエクスペリエンスイベントまで、奇妙なワンオフでボブの行くドラマーになりました。もちろん、ディランの30周年記念コンサートセレブレーション(別名。ボブフェスト)。

ああ、ジムが6人目の旅行ウィルベリーだって言ったっけ?ジョージ・ハリソンは彼に公式メンバーになるように頼み、ジムはノーと言った(しかし、彼はまだ彼自身のウィルベリーのあだ名を持っている:バスターサイドベリー)。

だから、1ヶ月前に電話に出たとき、カバーすることがたくさんありました。私たちはそれをすべてヒットしませんでしたが、長く、言説的で魅力的な会話の過程で、私はディランと遊ぶ彼の時間の多くに触れようとしました。

今日、ジムとのインタビューの前半。数日後、私は後半を実行し、ボブフェスト、タイムアウトオブマインド、ジムが2002年にリハーサルなしでネバーエンディングツアーに参加するなどをカバーします。パート2を受信トレイに直接送信するには、ここで購読してください[更新:こちら]:

ボブに初めて会ったのは、レオン・ラッセルとあの人たちとの71年のセッションでしたか?

はい。私は家族と一緒にイギリスにいて、レオンからニューヨークでカール[ラドル、ベーシスト]とジェシー[エド・デイビス、ギタリスト]と会うように電話を受けました。

当時、レオン、ジェシー、カールの人たちが私の人生でどれほど重要か気づいていませんでした。私たちはリズムセクションでした。私はその時点でまだ膨大な量のことをしていませんでしたが、私はセッションをやっていて、彼らはそれらの多くにあるでしょう。私はいつも私たち全員がオクラホマ出身であるという事実が大好きでした。その小さな絆がありました。

そのセッションの私の思い出は、本当に夢のようなものです。私はドラムに座っていて、レオンが演奏していて、みんなで参加しました。見渡すと、ボブが壁に向かって立っているのが見えた。彼の唇が動いているのが見えた。彼はタブレットで書いていたと思います。私は「うわー、彼は私たちが演奏しながら歌詞を書いている」と思いました。彼は歌詞のいくつかを調整し、溝に合うようにいくつかのものを並べ替えていたかもしれません。それは私の心を吹き飛ばした。

彼の言いすりなどはとてもユニークです。ウィリー・ネルソンについてのインタビューをしたばかりで、完全に独創的でジャズ奏者のようなフレーズについて話していました。ウィリーについて話していたとき、私はボブについて話しているように感じました。どちらもボーカル、声の響き、表現の仕方に完全にユニークであるという点で、そのような類似点があります。私はそれらを両方ともジャズのカテゴリーに入れました。彼らは典型的なロックシンガーのように歌わない。

再生を聞くのは並外れたことでした。それは私にとって体外離脱体験のようでした。その小さな歌は「川の流れを見る」でした。今日でもそれを聞いても、ワクワクします。それは私をすぐに連れ戻します。数年後、私はいつも疑問に思っていました、もし私たちが多くの、多くのことについてボブのリズムセクションだったらどうなっていたでしょうか?それはうまくいった方法ではありません。

あなたは彼をほとんどジャズボーカリストだと言っていました。あなたがジャズをやり始めたのは知っています。それが彼の音楽と仕事をつなげる一つの方法だと思いますか?

それは強い可能性です。それは意識的なことではなかっただろう。私にとって、ボブと遊ぶことは、常に私ができる最も自然なことの1つでした。たぶん、あなたはそれをヒットしました。ジャズを演奏しているときに得るこの自由な感覚かもしれません。曲を知り、フォームを知り、それのために行く必要があります。怖がらないでください。

私がボブについて好きなのは、彼の大胆不敵さです。演奏するミュージシャンに翻訳される、一部のアーティストからの大胆さがあります。それが起こると、ミュージシャンはテンポや急いでいるのか、引きずっているのか、ポケットに入っていないのかを心配していないので、ミュージシャンから最高のものを得ます。ポケットを見つけることではありません。それは、雰囲気を探し、歌に命を持たせるものを探すことです。

私はポケットを見つけてそれに座ることができるのが大好きですが、あなたが歌をぶつけるのではなく、歌があなたをぶつけるようにしている探索的なものも大好きです。それは十分に頻繁に起こらない素晴らしいことです。

例えば、先日、私は現在ボブと一緒にドラムを演奏している親友のマット・チェンバレンと話していました。彼は基本的に始めたばかりだったので、私は長い間マットを知っています。彼は、彼らが録音する前にボブが一度彼に言ったと言っていました。「ただ演奏してください。1つのことを見つけて落ち着こうとしないでください。私は彼がそれを言った方法を正確には得ていないかもしれませんが、基本的に彼が言っていたことは私があなたに言っていたことです。音楽を起こさせてください。曲の「パート」を見つけようとしないでください。それはかなりジャズのようなものです。それは私がいつも知っているボブ・ディランです。

数年後、あなたは「Knocking on Heaven's Door」とパット・ギャレットとビリー・ザ・キッドのサウンドトラックをしました。映画のサウンドトラックのセッションは、最初のセッションとどのように異なりますか?

当時、映画で曲を演奏することは、演奏中に映画を見ることを意味していました。もうそんなに多くないと思います。作曲家は通常、すべてを計画しています。

ボブと一緒に、[「天国のドアをノック」]は、死のシーンだったので、あなたの心の琴線を強く打つことを意図していました。ショットは、この偉大なメキシコの女優である女優ケイティ・ジュラードから、彼女のソウルフルな大きな茶色の目を行ったり来たりします。夫が川の端で死にかけているので、彼女は泣いている。ボブの声を聞いている間にシーンが展開するのを見るのは、ただ--私は泣いた。遊んでいる間に泣いたのは初めてでした。私は「イエス様、私は気をつけなければならない」と思いました。私はこのテイクを吹き飛ばすつもりです。

楽器を演奏している間、感動して涙を流すのは贈り物だと思います。さて、逆に、私は数年後にランディ・ニューマンとセッションをしましたが、歌詞が私をとても激しく襲い、私は笑わずにはいられませんでした。私は大声で笑うことができませんでしたが、私は心の中でとても激しく笑っていたので、同じように再び私を怖がらせました。私は「ああ、私はこのテイクを吹き飛ばすつもりだ」と思った。

再び数年前にジャンプして、福音ツアーに、彼との最も長い時間、3年。私はあなたが以前に彼と一緒にツアーへのいくつかの招待に抵抗したと読みました。なぜそれらのツアーにサインオンすることに決めたのですか?

ボブは私に何度か彼のツアーバンドに参加するように頼んでいましたが、私はいつもさまざまな理由で怖がっていました。さらに、私は当時スタジオでたくさん働いていたので、物事を見逃したくありませんでした。私はいつも、彼と一緒に道路に行かなければ、いつかスタジオで彼と会うので大丈夫だと思っていました。

彼と一緒にツアーに行くために電話がかかってきたら、いつも遊びに来てください。オーディションのようでしたが、イエスと言ったらギグがあることを知っていました。

今回一度降りましたが、少し違っていました。提案は、私が降りてきて、一人で部屋に座って、彼の新しいレコード[Slow Train Coming]を聴くことでした。それから、私がそれを聞き終わったら、2階に来てボブに会います。私は、大丈夫、まあ、それは面白いと思った。

サンタモニカのメインストリートにある彼のスタジオに行き、オフィスに行きました。女の子は音楽をオンにして、私はそこに座った。次々と私の頭を叩き始め、私の心を引っ張りました。あなたが想像できるすべての陳腐なこと、それらはすべて私に起こり始めました。再びディランが私を泣かせました - そして、それは制御不能な泣きでした![笑]レコード全体が完成する頃には、私はクリネックスボックスの半分を通り抜けていました。

2階に行ってドアを開けると、彼はタイプライターの前に座っています。私は「ボブ、あなたが何をしようとしているのかわかりませんが、それが何であれ、私はあなたと一緒にそれをしに行きたいです」と言いました。それだけだった。

それから私たちはリハーサルをしました。私たちはたくさんのリハーサルをしました。リハーサルでは、本当に自然に感じたのを覚えています。彼には本当に素晴らしいミュージシャンがいました。彼はベースにティム・ドラモンドを持っていて、ティムは素晴らしい自然な奏者でした。彼の演奏には整頓がなかった。彼はまさにボブが愛したような選手で、彼は何も理解しず、それに固執する。彼はその瞬間に何が起こっていたかに従ってプレーした。それから彼はフレッド・タケットにギターを弾いてもらった。フレッド、私はLittle Featで知っていました。私たちは以前にいくつかのセッションで一緒にプレイしたことがあり、彼はいつも一緒に遊ぶのが本当に簡単で楽しかったです。フレッドとティムはすごかった。その後、彼はB3にスプーナー[オールダム]を持っていて、スプーナーはみんなのヒーローでした。「男が女を愛するとき」でファルフィサを演じた男。

その男は伝説だ。

マッスルショールズの伝説。しかし、おそらく世界で最も甘い人。それがコアリズムセクションでした。ああ、そしてピアノ奏者のテリー・ヤング。この男は信じられないほどのチョップを持っていた。

私はただ魂に囲まれていると感じました。それはとてもソウルフルなバンドで、ソウルフルな人々でした。彼の後ろで歌っているゴスペルは絶対に非現実的だった。私にとって、私は属する場所にいました。その後、音楽の性質上、私は一種の祈りの生活を始めました。そして、祈れば祈るほど、自信が持てます。それは祈りの一部です。それはあなたの信仰を高めます。私は「うわー、これはただ素晴らしい」と感じました。

それから私たちは道路に出て、サンフランシスコ、ビル・グラハムの場所、ウォーフィールドに着きました。遊ぶのに最適な場所です。ステージは観客にとても近い。設定方法は、急な方法で上がるので、ステージに立つと、人の海ではなく、ほとんど人の壁を見ているということです。

私はそこに座ってボブの後ろで遊んで、顔を見ています。頭の周りに赤いバンダナを巻いたこの男を決して忘れません。彼は手に何かを持っていたのでタバコを吸っていたと思います、そしてそれはおそらくタバコではありませんでした(笑)。彼は立ち上がって「くたばれディラン!ロックンロール!」そして、彼のすぐ隣 - これは私の記憶であり、ベルのように明確です - 彼のすぐ隣には、小さなスポーツコートを着て座っている男がいました。彼には妻かガールフレンドと小さな赤ちゃんがいた。彼は「ロックンロール!」の後に立ち上がった。男は立ち上がって言った、「私たちはあなたを愛しています、ボブ!私たちはあなたの音楽が大好きです!」

そのツアーが終わるまでそんな感じでした。観客の中での喧嘩のように。文字通りの戦いではなく、多くの叫びと継続でした。ボブは自分が神経を打っていることを知っていたので、ボブがそれを愛しているという印象を受けました。

彼が電気になり、同じ反応を引き起こしたときのように。

その通り。彼がやろうとしていたわけではない。私は彼が注意か何かを得るために波を作ろうとしていたという印象を決して得ません。彼は意図していたことをしていて、彼の聴衆はそれを好きになるか、彼らはそれを嫌うかのどちらかだった。

私たちが進むにつれて、人々は音楽がそれ自体を語っていることに気づいたと思います。彼がイエスについて話していただけではありません。私は人々が - 非信者、私が言うべき - それが素晴らしい音楽であることに気づき始めたと思います。それは素晴らしい音楽だったからです。私に関する限り、これらのゴスペルソングは、これまでに書かれた中で最も素晴らしい曲の一部です。その全体の一部になることがどれほど楽しかったか想像できます。それは私がバンドの誰かと一緒にいた中で最も長かった。

私たちはシアトルで決して忘れられない夜を過ごしました。それは良いコンサートでした、すべてがうまくいって、すべてのシリンダーに当たっていました。私たちは「ソリッドロック」という曲にたどり着きました。それは速くて凶暴だったので、私は演奏するのが大好きでした。ボブはその夜燃えていて、その言葉は激しく打っていた。曲の最後に、あなたが期待していたような拍手がありましたが、それは続きました--私はほぼ5分でそれを記録したと思います。それは証明できます。私は実際にボードテープのコピーを持っています。私はそのコピーを手に入れるために本当に一生懸命話したに違いないが、それはバンドで演奏する誰かにとって特別なイベントだった。ボブにとってどんな感じだったか想像できない。コンサートの最後になかった1曲に対する5分間のスタンディングオベーション。そのような瞬間がありました。

赤いバンダナを着た男が「くたばれ」と叫んでいるのは長い道のりだ

あなたはそれを私のプレーキャリアのハイライトと呼ぶ必要があると思います。それはあなたが決して忘れないことの1つにすぎません。その間ずっと、それに似た他の瞬間がありました。

3年間でツアーが変わったと感じましたか?特に歌手の間で、何人かの人が行ったり来たりしたことは知っていますが、雰囲気は変わりましたか?

はい、変わりました。変わったことの1つは、観客に物事を楽にしたことの1つは、彼らが彼の古い曲のいくつかを与えられたことです。最初のツアーでは、スロートレインの曲だけを演奏しました。続くツアーのたびに、彼の古典をもっと追加したようでした。「Like a Rolling Stone」を初めて演奏した夜を覚えています。観客がおかしくなったので、寒気がしたのを覚えています。

ゴスペルツアーの後、あなたが彼と一緒にした次のことは、エンパイアバールレスクでした。この時点で、あなたは多くのアルバムをやり、多くのツアーをしました。スタジオで彼と遊ぶか、ステージで遊ぶかの違いは何ですか?

他のほとんどのアーティストでは、彼らとライブで演奏することとスタジオで演奏することはかなり異なります。レコードで演奏しているとき、私は通常、さまざまなことを試していて、前回演奏したときとは異なるものをスタジオに持ち込もうとしています。私にとってはいつもそうでした。スタジオで遊ぶのは楽しい冒険のようなものです。道路に行くということは、歌のリハーサルと学習を意味します。

ボブと一緒に、ボブとライブで遊ぶことは、冒険的な部分がまだ無傷だったので、スタジオにいることとそれほど違いはなかったと言えます。先ほど言ったように、私が同じことを何度も何度も演奏したくないように、彼は同じことを何度も聞きたくありません。

ドラモンド、ケルトナー、ディラン

常にリハーサルされ、具体化された方法でアレンジを演奏しなければならない時があります。私はサイモン&ガーファンクルツアー、オールドフレンズでそれをしました。音楽が本当に良いなら、それは本当に仕事ではありません。楽しいですが、規律ある楽しみです。

どのようにしてTraveling Wilburysに関わったのですか?それはディランを通してでしたか?私はあなたがそれまでにハリソンと一緒に働いていたことを知っています。

それは完全にジョージでした。ジョージは兄弟のようになった。彼はさまざまなことのためにいつも私のそばにいるのが好きだった。彼が何かに取り組んでいたとき、私は[そこに]いました。ウィルベリーに先立つのは[ハリソンのアルバム]クラウド9だったと思います。それは正しいですか?

クラウド9は87年でした。だから、ええ、それはちょうどそれに先行していると思います。

私は彼のスタジオにいました。H.O.T.スタジオ私たちはそれをヘンリー・オン・テムズと呼び、私たちはボールをしていました。私たちはいつもそのようなボールを演奏していました、そして特にスタジオで、それは彼の家にあったからです。彼の家は巨大な修道院、フライアー・パークだった。夢について話す。それはいつも夢のようだった。

ジェフ・リンはクラウド9のレコードで彼と一緒に働いていました。ジェフとジョージはユーモアのセンスがとても似ていた。クレイジーな英語のモンティ・パイソンのユーモア。ビールが多ければ多いほど、彼らはより愚かになるだろう。私たちは一晩座っていました。レコードで私のお気に入りの曲「This Is Love」をカットしたばかりだと思います。彼らは面白くて、バンドの名前を作り始めた。彼らは進み続けた。ついに彼らはTraveling Wilburysに落ち着きました。彼らはそれがただ面白いと思った。

その後、[クラウド9]が終わった後、ジョージから、彼らはボブの家に行き、この曲[「Handle with Care」]をカットしたと聞きました。私が次に聞いたのは、「ねえ、私たちはバンドを始めるつもりです。私たちはトラベリング・ウィルベリーズになります。私たちはレコードを作るつもりです。それで、私たちは録音を始めました。

面白い名前といえば、そのうちの1つがあなたにバスターサイドベリーというニックネームを与えましたか?

あれはジョージだった。彼らは私がウィルベリーになることを期待していた。

その時、私はあなたがロイを手に入れた、ボブを手に入れた、トムを手に入れた、ジェフを手に入れた、そしてジョージを手に入れたと思っていました。それは5人の男です。真ん中に1つ、横に2つ。そこに別のウィルベリーを入れると、それは不均衡です。私はどちらの側にいますか?それは面白い考え方ですが、私はそのように考えていました。

さらに、あなたは5つのアイコンを持っています。私はドラムの世界のアイコンと見なされるかもしれませんが、それは私たちがここで話していることではありません(笑)。私がノーと言うのは当然でした。それからそれが私のところに来ました、私はサイドベリーです。ジョージは笑った。彼はそれが大好きだった。しかし、私は本当に彼を少し納得させなければならなかった。それから彼らはそれのために行きました。私は「私はサイドベリーのいとこ、あなたの最初のいとこです」と言いました。

ご存知のように、私はトムととても親しかった。彼は私がそれをしたのが好きだった。彼はいつもインタビューでそれから大騒ぎした。そうやって私はバスター・サイドベリーになりました。

L-R:ケルトナー、リン、ハリソン、ペティ、オービソン、ディラン

他の男たちはみんなタバコを吸っていた。私は辞めました。彼らがビデオを撮影するためにスタジオロットに持っているそれらのRVの1つにいるために、4人の男がすべてタバコを吸っている、それは私には多すぎました。ビデオの1つで、私はバスから飛び降りてロイのところに行きました。ロイは妻のバーバラから「私がセットに来たとき、煙のような臭いがしない方がいい!」と指示されたので、一人で座っていました。彼女はガントレットを置いた。

私は彼のバスに行き、ドアをノックした。私は入ってきて、私たちは話し始めました。彼は「これは本当に楽しいですね、ジムですか?」と言った。私は言った、「男、それは信じられない。ロイ、みんなは君のせいだけだよ、本当に。彼らは皆、あなたが歌うのを聞きたいだけです。彼は「まあ、私はバンドで唯一の本物の歌手です。他の男の子はみんなスタイリストです。

私は笑いを抑えなければならなかった。それはとても本当でしたが、彼の言い方はとても面白かったです。実際のところ、問題です。機会を得たときに私がした最初のおかしなことは、ジョージに伝えることでした。彼は大笑いして、それから私はみんなに言った。「私はバンドで唯一の本物の歌手です。他の男の子はみんなスタイリストです。それは絶対に本当です。

私はそれが大好きです。ライブで演奏する話はありましたか?

ああ、もちろん。道路に行く計画、大きな計画がありました。私たちは列車のツアーに行くつもりだった。私たちはアメリカを横断する電車に乗るつもりだった。

面白いのは、誰もがそれをニックするのはボブだろうと思ったということです。しかし、ボブは完全に乗船していた。それはジョージであることが判明した。なぜ彼がそれをしたくなかったのか推測する気はありませんが、彼はそれをしたくありませんでした。

残念。

確かにそうです。ロイはもう亡くなったと思う。それは少し理解したかもしれません。

彼が自分自身を呼んだように「歌手」なしで、そのセカンドアルバムのエネルギーは一般的に異なって感じましたか?

2枚目のアルバムは、最初のアルバムは、トラックを敷いてから人々をオーバーダビングする古典的な方法でやったため、最初のアルバムとは異なっていました。私たちがライブでやったセカンドアルバム。私たちはみんな同じ部屋に座ってライブで遊んだ。

ディランのアルバムのようなものです。

はい、その通りです。

ウィルベリーツアーがどうだったかを考えるのにあまり時間を費やしていませんでした。ジョージの死は私にとってそのすべてを覆い隠したと思います。ジョージがいなくなったので、それは私のために多くの風を取りました。ジョージは私より若い。ジョージは私がいつも見ている私の弟であるべきです。彼はLAを愛していた。彼はフライアーパーク[イギリスのホームスタジオ]が大好きだった。私たちは何年も行ったように行ったり来たりするべきです。それは彼がぶらぶらするつもりはなかった。ボブはまだここにいますが、もう一つお話しします。ジョージ・ハリソンはボブ・ディランの世界最大のファンでした。ボブ・ディランの大ファンだった人は誰もいませんでした。彼は、古いものも新しいものも、すべてのボブ・ディランの歌の歌詞を知っていました。

1970年に2人が一緒にジャムし、スタジオで爆発しているテープを聞いたことがありますか?私はちょうど先日それを聞いていました。

私はそれを聞いたことがあるかもしれません。できれば再訪するのは別のことです。

彼らは古いガールグループの歌「Da Doo Ron Ron」をカバーし、「da doo ron ron」を除いて、歌詞さえ覚えていません。しかし、彼らはそれを何度も何度も歌うだけでとても楽しんでいます、それは完全に伝染性です。

それは素晴らしい。

ジムとの会話は数日後に続きます!タイム・アウト・オブ・マインド、30周年記念コンサート・セレブレーション、2002年のボブ・サンス・リハーサルとのツアーなどをカバーしています。ここで購読して、受信トレイに直接送信してください[更新:パート2はこちら]。

ジムの福音の在職期間からいくつかの思い出に残る未発表のショーをダウンロードしてください。

1979-11-26、ガンマージュセンター、テンピ、アリゾナ州
1980-04-17, マッセイホール, トロント, カナダ
1980-11-15、ウォーフィールド、サンフランシスコ、カリフォルニア州
1981-07-10, Drammenshallen, Drammen, ノルウェー

2023年6月更新:

私の本「Pledging My Time: Conversations with Bob Dylan Band Members」を購入し、このインタビューと数十人以上を含む、今すぐ!


ICMYI

『悪は存在しない』濱口竜介監督インタビュー。「どっちとも言えない」という視座を丁寧に描くこと | CINRA

『悪は存在しない』濱口竜介監督インタビュー。「どっちとも言えない」という視座を丁寧に描くこと | CINRA

『悪は存在しない』濱口竜介監督インタビュー。「どっちとも言えない」という視座を丁寧に描くこと

濱口竜介の監督作『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で意気投合した音楽家・石橋英子とのコラボレーションによってつくられた。石橋から受けた映像制作のオファーをきっかけに、石橋のライブ用サイレント映像作品『GIFT』とともに生まれた長編映画だ。

長野の自然豊かな町に持ち上がった、グランピング場の建設計画をめぐって展開される物語は、地方と都市、自然と都会という単純な二項対立では割り切れないさまざまな問いを観る者に投げかける。「現実は、我々が思ってるほどはっきりと分かれているわけではない」と語る濱口。むしろその割り切れなさこそが本作の核にあったようだ。作家の鈴木みのりが話を聞いた。

「自然豊かな土地」に持ち上がるグランピング場の建設計画、それを主導する芸能事務所

予告編でも初めに使われている、『悪は存在しない』のファーストショットに、わたしはとても困惑した。この映画の舞台となる長野県・水挽町(架空の町)にある、山中の林を下から捉えながら進んでいくショットに、石橋英子さんによる音楽が重なり、わたしはとても美しいと感じたのに。

ハイハットの連打とエレキギターの歪みに導かれた不穏な導入からストリングス中心に変わっていく音楽とともに、時間が経っていくと、雪山を上から撮ったかのようにも見えるし、採取された水や植物を顕微鏡で覗き込んで観察しているようにも見える。その、約4分のあいだ、音楽、特にストリングスのような生の楽器に、わたしたちが、いや、わたしが、容易に叙情を感じるのではないかと考えた。なぜわたしはこれほど、ただ樹々を捉えているだけのショットに揺さぶられるのか? その問いと、問いの変奏を抱え続けるこの映画の鑑賞体験は、この素朴な感情に飲み込まれないよう踏みとどまらせようとする力を感じるものだった。

『悪は存在しない』予告編

物語自体は非常にシンプルだ。東京からも近いとされる水挽町には移住者も増えており、そこに、主人公の巧(大美賀均)と、その娘の花(西川玲)は代々暮らしている。かれらの住むその田舎町にグランピング施設がつくられるという計画が持ち上がり、ある日、住民への説明会が行なわれる。巧をはじめとする住民たちは、コロナ禍の補助金を政府から得て計画したという、芸能事務所から来た社員・高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)の説明に納得しない。町を囲う森や水源への汚染が懸念される計画をめぐり、巧たちと、高橋と黛は交流していく。

やはり、まず気になったのは、「自然豊かな土地」への、観光としてのグランピング施設の設置についてだ。「グラマラス(魅力的、ワクワクさせる)」と「キャンピング」を組み合わせたグランピングは、自分でキャンプ用品やテントを持って行かなくても、ホテル並みのサービス付きでアウトドア体験ができるものだ。特に、密閉・密集・密接を避け、人と人との距離を取るよう求められたコロナ禍に入った2020年から、旅行ニーズに応えるかたちで市場を拡大していったそうだ。

この映画に興味をそそられるのは、まだまだ一般には広がっていないが、近年注目されているというグランピングをめぐる話であると同時に、その企画を主導するのが、観光が本業ではない芸能事務所だという点だ。

「グランピング場の説明会の場面は、(制作のリサーチをしていた山梨・長野の県境にある町で)実際にあったと聞いて、参考にしました。その話も、実際にエンターテインメント系の企業が入っていたそうで、この映画でも芸能事務所の計画という設定にしました。本当にありそうな話どころか、現実にある話です。

なぜ芸能事務所がそんなことをしなきゃいけないか? ということを想像していくと、結局かれらは本業ではコロナ禍を生き抜くことが難しかったから、もらえる助成金を使ってなんとか転がしていこう……と、物語ではそういうことにしたんです。実際の事例についてはわかりません」(濱口竜介)

濱口竜介(はまぐち りゅうすけ)
2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も317分の長編映画『ハッピーアワー』(2015)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(2021)で『ベルリン国際映画祭』銀熊賞(審査員グラランプリ)、『ドライブ・マイ・カー』(2021)で『第74回カンヌ国際映画祭』脚本賞など4冠、『第94回アカデミー賞』国際長編映画賞を受賞。地域やジャンルをまたいだ精力的な活動を続けている。

「地方と都市」みたいなものは、意外と濁っている

この映画は、グランピング施設と水挽町を、単に「都市/地方・自然」を対比するモチーフとしては扱わない。「都会から来る客層のためのリゾート施設を、都会の業者が計画し、自然を汚している」というような批判のために使われていない。実際、水挽町に代々住んでいるという巧の語りにおいても、「ここにいる人たちはみんなよそ者」だという話がある。

例えばわたしも、高知県出身だがもうそこで暮らしていたよりも長い年数のあいだ東京に暮らしているし、両親はそれぞれ地元を離れている。きっと誰もが、ほんの数世代を遡れば、いまの日本に限らず、さまざまな国や地域から来た者が一族にいるだろう。そんなふうに、この映画でも「土地の者/そうじゃない者」とはっきり分け切らない。

『悪は存在しない』場面カット © 2023 NEOPA / Fictive

さらに、「ここからが自然/ここからが都市(文明)」という分け切れなさも、巧の家にあるピアノ、チェンバロに使われる鳥の羽根、自然の湧き水を使って提供されるうどん、といったモチーフからもうかがえる。そのあたりの配置がとてもおもしろい。

「おっしゃっていただいたような要素がちりばめられていて、そこから色々な解釈ができるように、ある程度はなっていると思います。ただ、そういった要素はリサーチの結果、実際そうだったということが大きいんですよね。自然や地方と、対比されてる都市みたいなものは、意外と(それぞれ)濁っている。

グランピング説明会のなかでも、 ごくシンプルに反対してる住民っていうのは、じつはそんなにいないんです。計画をちゃんとしてほしいと(会社側に)言っている。主人公の巧が言ってるのも『計画がまともだったらちゃんと話せる』ということです。

こういうある種の融和的な態度っていうのは、もともとリサーチで知った現実の説明会でも、住民側が持っていた態度だったようです。現実っていうのは、 我々が思ってるほどはっきりと分かれているわけではなくて、グラデーションのなかにあって、そこで物事が起きている」(濱口竜介)

映画のなかで起きていることと、自分たちの暮らしは地続きである

グランピング事業を主導する芸能事務所だけでなく、コロナ禍で経営が厳しくなった中小企業への国からの補助金の話題が、作中に出てくる。そこからわたしは映画と補助金について連想した。

コロナ禍の初期に、映画や演劇といった「人が密に集まる場所」での文化・芸術に対して、「自粛」というかたちで「人と人との距離を取るべき」と自分たちで監視するようなムードがつくられ、映画館や演劇の劇場が避けられるような傾向があった一方で、国からの支援がないという問題があった。

そんななかで、濱口さんと深田晃司さんが発起人となり、文化を支える場であるミニシアターを支援するクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」も立ち上がった。また活動持続のために、これまでの日本の映画産業構造では寄付や助成金に頼る面も大きく、収益化や事業性を見直す議論が起きた。

国からの後回しや一般市民からの過小評価があり、公的支援が受けられないなかで、映画産業内の人たちを中心に改善しようという動きが高まったことと、この映画が地続きに見えた。

「単純に、映画や、その中で描かれていることは全部、自分自身の暮らしとは地続きなんだと思います。そして、日本の文化・芸術と、作中で描かれている状況もまた地続きであるというのは、脚本執筆前のリサーチを通して感じてました。

ただ、それを自分のなかでものすごく意識して、順序だてて、因果関係があるものとしてつくっていたかというと、そうではない。けれど、自分にとっては、自分たちの暮らしのなかで『やっている行為』の何がしかが転じてこういう事態が起きている、とは思っていました」(濱口竜介)

『悪は存在しない』場面カット © 2023 NEOPA / Fictive

「これは本当に我々の話だと思います。 何かよそに『悪の原因』があるというような話ではない」

ちょうどこのインタビューをした時期に、わたしは新宿のバーで短期間のアルバイトをしていた。そこでの売り上げのほとんどは海外からの観光客により、欧米からの来客、特に白人の観光客が多いという印象があった。冬という時期もあり、「東京に着いて、そこから北海道に行って、また東京に戻ってきて、これから白馬(長野)にスキーに行く」という話を、別の日の、別の人たちから何度か聞いたこともあった。それで、この映画で海外からの旅行客について描かれてもいないのに、グランピングの話の向こうに、国や自治体のインバウンド政策をわたしは見ていた。

また、観光産業において、その土地、モノやコトに対して、神話的な物語やイメージが付随されることによって、消費欲求が掻き立てられるのではないか、とも考えていた。作中、説明会で流されるグランピング施設の紹介動画から、映画のなかの現実としての山中を花が歩く様子に切り替わると、「自然」や「地方」を観光資源とする客体化のための、ストーリーに仕立てられた広報という虚構=神話化の力が、現実に溶け出していくように見える。

『悪は存在しない』場面カット © 2023 NEOPA / Fictive

グランピング事業を主導するのが芸能事務所ということもあって、作中での描写にとどまらず、インバウンド政策によって訪れる海外からの観光客や、白人中心的な社会構造にまでこの映画の視野が広がっているのではないか、とわたしは勝手に読み取った。

「難しいですね……でも、この映画の背景に、欧米とか白人中心主義みたいなものまで見出すのは、やっぱり見過ぎだとは思います。そんなところにまで持ってかなきゃいけない話ではないというか。

これは本当に我々の話だと思います。 何かよそに、それこそ『悪の原因』があるっていうような話ではない。『自然」とか『地方』と見ている、そう捉えているものと、我々が都市部で普段やってることとはさほど切り離されてるわけじゃなくて、我々の生活の一つひとつの振る舞いが全部つながって、これらの出来事は起きている。なので、ここでの問題含みのグランピングの誘致と我々の暮らしはそんなに変わらないんじゃないですか? むしろそれこそが我々の生活ではないですか? っていう疑念からこの映画はつくられています」(濱口竜介)

花が鹿と向き合う、対峙するという場面がある。グランピング施設と鹿とその水飲み場の関係についてのエピソードもあるが、それらは、そこで共存する……みたいな物言いすらも適当じゃないと思われるほど、そんなに簡単なことではないというひとつの象徴に見えた。ほかにも、花が訪れた牛の厩舎には、山のように堆積した糞尿が隣接していて臭いは煙のように立ち込めている。都会では排されているそういったものと、生活は隣り合わせであるはずだという示唆に見える。

ある登場人物が、水挽町の自然やその生活の一端にふれたときに好意的に捉えるエピソードがあるが、作品全体としては、「地方」や「自然」を「単に美しいもの」としては描いていない。

「ものすごく自然たっぷりに見えるようなところでも、じつはでっかい道のすぐ隣だったりだとか、そういう感じの場所ではあるので、おっしゃっているようないろんな要素のグラデーションみたいなものは、もともとあの土地にあるものだと思うんですよね。自分もたぶん、実際にその土地に行って、そうだと発見した。

先ほど話した説明会での住民たちの反応や態度に、『そういうもんなんだな』って思ったみたいに、(頭のなかで)概念として捉えていることと、実際に行って、見てみたこととでは違う部分が大きくて、垣根はあまりないと理解ができました」

「現実にあるようなことを拾い上げていったときに、共存というよりは、 いろんな要素が思った以上に境界なしに混合しているというのが実際なんだと思うんですよ。そもそも、はっきりと分け切れてるときってどこか嘘っぽいですよね。何か明言できるときっていうのは、何か見ないようにしているものがあるんじゃないでしょうか。

そういう、リサーチしたときに実際に見て、受けた感覚がある程度そのまま入っているっていうのがいちばん大きいです。何もほのめかしていない、とまで言ったら言い過ぎかもしれません。けど、ほとんどは現実にそこにあるものを撮ることで出来上がっています。そこにあるのは何の象徴でもない。確かにそこにあるもの、というのが捉えるべき第一のものだと思います。それが言語化可能なものと不可能なものを同時に含んでいるからです」(濱口竜介)

「どっちとも言えない」という視座を丁寧に構築していくこと

高橋が「もう芸能の仕事を辞めて、施設の管理人になるか」と言い出すシーンがある。そのシーンを試写会で観ていたときに、観客から笑いがあがったが、わたしはけっこう残酷なシーンだと思っていた。 なぜなら、わたしたち観客、特に試写会に来るような「業界人」はまさに、文化・芸術を、芸能とも関わりの深い視覚芸術・娯楽としての映画を消費している。

わたしはそう考えるから、自分がこの映画のオープニングを「美しい」と感じてしまうとき、単にそれだけで終えられなかったし、この映画の鑑賞体験は、その視点はどこから来るものなのか? と、かたちを変えて突きつけられるようなものとなった。美しさや荘厳さが感じられる一方で、おもしろい・おかしいと見られる場面もあり、そのギャップを感じられる劇場ならではの体験含め、かなり揺さぶられたのだった。このわたしの鑑賞体験のように、観客一人ひとりの価値観、経験によって、この映画の見え方や突きつけられる問いかけがさまざまになり得るように思う。

「誰にでも関わりがある話をつくったつもりではあるので、 特定の『こういう問題意識を持った人』に見てほしいっていうことは一切なくて、誰でも観てほしいと思っています」(濱口竜介)

わたしがこの映画でいちばん好きな場面のひとつで、最も感情を揺さぶられたシーンが、後半に出てくるぎこちない水汲みのシーンだ。それだけでなく、映画で描かれている小川、野草の描写は、わたしの記憶のなかの幼いころから歩いた小川や、山中で採れたキノコや山草が呼び起こされた。同時に、自分がそこに住めるか? というと疑問を抱く。そういう曖昧な感情や微妙な場面が映画には刻まれている。

その象徴として、誰かの血が滴るカットが挿入されるが、わたしがそれを「◯◯が手を切って血が滴る場面で……」と言うと、濱口さんは、「そこで手を切ったのは××です」と言ってから「いや、すいません。こっちはそう思って撮ってただけで、そう解釈することは可能なので」と付け加えた。

もちろん、実際に映っていないものを、「実際に映っていた」と説明するのは行き過ぎだが、映っているものからならば解釈を許容する態度だと思った。

「究極的には、どうとでも感じられるように撮っているということなんだと思うんですよ。だから、笑うこともできるし、すごく残酷に痛々しいものにも見える、と。僕がこの作品をつくるうえでやったことは、そういう『どっちとも言えない』という視座を丁寧に構築していくということだったんじゃないかと思います。

だから、おっしゃってくれた『笑えなかった』っていう感想も、じつのところはけっこううれしい。自分も笑うこともあるけど、笑えないなと思うこともあります」(濱口竜介)

『悪は存在しない』場面カット © 2023 NEOPA / Fictive

作品情報

『悪は存在しない』

2024年4月26日(金)からBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国順次公開

監督・脚本:濱口竜介
音楽:石橋英子
出演:
大美賀均
西川玲
小坂竜士
渋谷采郁
菊池葉月
三浦博之
鳥井雄人
山村崇子
長尾卓磨
宮田佳典
田村泰二郎
配給:Incline

プロフィール
濱口竜介 (はまぐち りゅうすけ)

2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も317分の長編映画『ハッピーアワー』(2015)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(2021)で『ベルリン国際映画祭』銀熊賞(審査員グラランプリ)、『ドライブ・マイ・カー』(2021)で『第74回カンヌ国際映画祭』脚本賞など4冠、『第94回アカデミー賞』国際長編映画賞を受賞。地域やジャンルをまたいだ精力的な活動を続けている。