●ベジャール20世紀バレエ団の『魔笛』日本公演
モーリス・ベジャールがモーツァルトの『魔笛』をバレエ化したのは1981年。翌年、来日したベジャールと20世紀バレエ団は『魔笛』と『エロスとタナトス』を日本公演のプログラムに盛り込んだ。
1982年10月17日東京文化会館での公演を、NHK教育テレビで、1983年1月2日に放送。この記録はNHKアーカイブスにも所蔵されている。私は小田原城内高校の卒業生の柏木珠江さんにダビングしたテープをいただいた。
ベジャールは2004年に来日した際にもびわ湖ホールで、『魔笛』を演じた。両方を見比べた人は1982年の公演とは一部演出が違っていたという。
音源は1964年のカール・ベーム指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団。タミーノ(フリッツ・ヴンダーリッヒ)、夜の女王(ロバータ・ピータース)、ザラストロ(フランツ・クラス)、パパゲーノ(フィッシャー=ディースカウ)、パミーナ(イヴリン・リアー)、パパゲーナ(リーザ・オットー)。2004年も同じ。
1982年の『魔笛』の演出はまったくベジャール風だったが、素晴らしいのはオペラだとほとんど動きのない場面の歌につけられた振り付けだった。例えばパパゲーノとパミーナの二重唱である。この二重唱はオペラでは二人が坐って歌うものでほとんど動きがない。詩と音楽が素晴らしいのでそれで十分なのだが、バレエ版では歌の意味を顕在化したバレエが見られる。この表現が素晴らしい。
ベジャールの『魔笛』をオペラ舞台と比較して失敗作と評価する人が多いが、そういった評価をするのはオペラ好きに多いようだ。バレエ好きな人はだいいちオペラ舞台と比べるという見方をしていないから、ベジャールの作品として楽しんでいる。
ベジャールはシェイクスピアとモリエール以後のヨーロッパの演劇は頽廃でしかないと断言する。音楽は別として、バレエも同じだ、真の舞踊は原初的なものに見出せるとして、バレエを革新した。
『魔笛』は多義的なオペラである。ベジャールが魅力を感じたのもその多義性であり、象徴性であろう。そこを見ない評価はクズ同然である。
http://spider.art.coocan.jp/music/magicdata.htm
モーリス・ベジャールがモーツァルトの『魔笛』をバレエ化したのは1981年。翌年、来日したベジャールと20世紀バレエ団は『魔笛』と『エロスとタナトス』を日本公演のプログラムに盛り込んだ。
1982年10月17日東京文化会館での公演を、NHK教育テレビで、1983年1月2日に放送。この記録はNHKアーカイブスにも所蔵されている。私は小田原城内高校の卒業生の柏木珠江さんにダビングしたテープをいただいた。
ベジャールは2004年に来日した際にもびわ湖ホールで、『魔笛』を演じた。両方を見比べた人は1982年の公演とは一部演出が違っていたという。
音源は1964年のカール・ベーム指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団。タミーノ(フリッツ・ヴンダーリッヒ)、夜の女王(ロバータ・ピータース)、ザラストロ(フランツ・クラス)、パパゲーノ(フィッシャー=ディースカウ)、パミーナ(イヴリン・リアー)、パパゲーナ(リーザ・オットー)。2004年も同じ。
1982年の『魔笛』の演出はまったくベジャール風だったが、素晴らしいのはオペラだとほとんど動きのない場面の歌につけられた振り付けだった。例えばパパゲーノとパミーナの二重唱である。この二重唱はオペラでは二人が坐って歌うものでほとんど動きがない。詩と音楽が素晴らしいのでそれで十分なのだが、バレエ版では歌の意味を顕在化したバレエが見られる。この表現が素晴らしい。
ベジャールの『魔笛』をオペラ舞台と比較して失敗作と評価する人が多いが、そういった評価をするのはオペラ好きに多いようだ。バレエ好きな人はだいいちオペラ舞台と比べるという見方をしていないから、ベジャールの作品として楽しんでいる。
ベジャールはシェイクスピアとモリエール以後のヨーロッパの演劇は頽廃でしかないと断言する。音楽は別として、バレエも同じだ、真の舞踊は原初的なものに見出せるとして、バレエを革新した。
『魔笛』は多義的なオペラである。ベジャールが魅力を感じたのもその多義性であり、象徴性であろう。そこを見ない評価はクズ同然である。
http://spider.art.coocan.jp/music/magicdata.htm
魔笛の公演映像データ
1974年11月30日ウィーン国立歌劇場でヘルツは「魔笛」に再度取り組み、これが伝説のフェルゼンシュタイン演出と並んで、 「魔笛」演出史上、近来最も注目された舞台上演であったと多くの人に評価されたものである。これはヘルツ=ハインリヒ版とよぶべきかもしれない。 ハインリヒのアイデアは演出上の重要な枠組みとなっているからである。「魔笛」が初演された地元ウィーンではこの演出が大変好評で、このプロダクションは長く続いた。 私が知る限り、グルベローヴァやポップといった国際スターが出演していない日でも、満席の盛況が80年代初頭まで続いている。 これと全く同じ演出で、1975年4月5日ライプツィヒ歌劇場でプレミエが行われ、1976年にこの上演をテレビ放映用に再録画したものが本ビデオである。 序曲とカーテンコールのみライヴ収録で、それ以外は、旧東独の国営テレビ局制作によりTV演出家ミールケらが一週間かけて録画し、編集したものになっている。 ・・・フリーメイスン解釈からの脱皮、パパゲーノの純粋さなどが際立つ演出である。 ・・・ヘルツとハインリヒはフェルゼンシュタインが夜の女王を冷たい原理で表現しようとしたのに対し、夜の女王にも言い分を認めようとしているのである。●イングマル・ベルイマン監督のオペラ映画『魔笛』エリック・エリクソン指揮、スウェーデン放送交響楽団および合唱団。撮影スヴェン・ニークヴィスト。 編集シヴ・ルンドグレン。美術ヘンリー・ノアマーク,衣裳カリン・エルスキーネ&ヘンリー・ノアマーク。
■タミーノ(ドイツのテノール、ヨーゼフ・ケストリンガー)、パミーナ(イルマ・ウリッラ)、パパゲーノ(ホーカン・ハーゲゴード)、パパゲーナ(エリザベット・エリクソン)、 夜の女王(ビルギット・ノールディン)、ザラストロ(ウールリグ・コール)、三人の侍女(ブリット=マリー・アルーン、キルステン・ファウベル、ビルギッタ・スミディン)、 モノスタトス(ライナー・ウルフン)、弁士(エリック・セーデン)。
1975年元旦放映のためTV用に演出された作品。
1973年製作のカラー映画。134分、歌詞はスウェーデン語、英語字幕付きビデオ。輸入品。
2003年6月に日本でもDVDが発売された。お蔭でスタッフと配役が判明した。
▼演奏のテンポは遅め。女性はみな美人で、特に三人の侍女のチャーミングなこと(左の写真は最初の場面)。ビデオには配役のクレジットがない。ザラストロ役だけ箱に記してあった(ウールリック・コールド)。箱に書かれた他の名前にはヨゼフ・ケスリンガー、ビルギット・ノーディーン、イルマ・ウリッラがある。 弁者は書物に囲まれた学者だった。パパゲーナは最初、老婆ではなく醜女。
沈黙の行をしているタミーノとパパゲーノの二人のところに侍女達が来る場面、侍女たちは二人を誘惑する。
雪の降る場面が美しい。パミーナの絶望の場面と、それに続いてパパゲーノの嘆きの場面である。魔法のベルが鳴って、パパパの二重唱が始まると、雪解けで花が開き始める。 パパゲーノとパパゲーナはぶ厚い毛皮のコートを脱ぎ始める。(二人が上着を脱ぐ演出の原点はベルイマンか?)
ベルイマンは、タミーノとパミーナの試練の場を、この二重唱の後に移動していた。試練の火の世界では、半裸体の群像がうごめく。水の世界も同様な演出であった。
夜の女王の軍隊は四十人規模で、黒い鎧を着ていた。
序曲の演奏の際に観客席にいる人々の顔が映し出される。いろんな国の人の顔がある。なかでも10歳くらいの少女(ヘレーネ・フリベルィ)にベルイマンは魅せられる。 この少女のオペラに対する反応が挿入される。ただし、挿入はかなり唐突なので、舞台を中断してしまう。この観客の表情の挿入はあまり成功していない。 例えばタミーノとパミーナが試練を乗り越えると、ホッとしたうれしそうな観客である少女の表情が写る。 舞台と音楽でじゅうぶん感情は理解できるのに、さらにダメ押しをされたような違和感が残ってしまうのだ。
天野祐吉氏は「(すぐれたオペラ映画のなかで)、ぼくにとってのベストワンは、ベルイマンの『魔笛』です。 あれはもう、序曲の映像化から仰天し、最後までベルイマンの魔法にかかりっぱなしでした」と証言。 天野氏はゼッフィレッリの『トラヴィアータ』やジョゼフ・ロージーの『ドン・ジョヴァンニ』、ケネス・ブラナーの『魔笛』も面白かったと評価しています。 (NHK教育テレビ『知るを楽しむ』2008年4月/カラヤン)。
主要なアリアでは台板に書いた字幕(スウェーデン語)が出る。 (池田,2008年4月記)
吉田秀和氏の"ベルイマン『魔笛』"評価があった(『僕のオペラ』海竜社、2010年)。
"特に少女の顔が何度も出るのは、もしかしたら、この映画は、その少女の視点に映じた『魔笛』なのだという意味をもつのかな、という気もしたが、 目ざわりで、音楽をきく気持ちをなくさせ、つまらないことをする人だと思った。
その後も、個々の気のきいた映像はあっても思いのほか平凡で、このくらいなら、普通のオペラのステージに向き合ってる方がずっと良いと思ったけれども、 相手は名だたるベルイマンだ。今に何か出て来るのではないかと、尻の痛いのもがまんして、結局、最後まで座り通したのが、良かった。 ・・・・ベルイマンはここで娘に対する母のコンプレックスという問題を提起しているのだ。 母である妻であった女性(=夜の女王)は、ある日、夫(=ザラストロ)が自分より、より若く、より美しい存在に成長した娘を愛しているのに気づく。 夫を娘にとられた妻なる女の怒りと悲しみ。成人した娘のために「女」の座を譲りわたさざるを得なくなる母の絶望と報復欲。 それが、ゆきずりの外国人(=タミーノ)であろうと、札つきの下劣漢(=モノスタトス)であろうと、とにかく娘を誘惑するよう頼みこむところまで、彼女をおいこむ。 言葉をかえれば、娘の処女剥奪をいちばん熱心に望むのは母親なのだし、ベルイマンの映画では、モノスタトスはほとんどその望みを達成したのだと見てよいようにさえ見える。
しかし周知のように、彼女の報復は成就せず、王子と王女は、父親と彼の教団の人々の導きと監視の下に、試練を無事切り抜け、めでたく結ばれる。 その試練は火と水の中を潜りぬける形で示されるのだが、ここでベルイマンの思想のもう一つ奥のものが出てくる。 というのは、火の燃えさかる洞窟の中では、ヴァーグナーの『タンホイザー』に出てくるヴィーナスの洞窟さながら、裸形の男女のむれがひしめき、からみあっている。 水の洞窟も大同小異。その赤裸の肉欲の姿を尻目に、二人は無事地上に戻ってくる。 そうして、一同はここで「夜をおしのけ、永遠の王冠でかざられた美と叡智」をほめたたえながら、勝利を祝い、二人の結びつきを祝福する。
原作にない、いや、かつてどんなオペラの演出家も考えなかった、この試練の場面を見ると、ベルイマンが性的なもの、 肉欲的なものを罪悪と感じ、そのけがれにまどわされぬものこそ真の勝利者だと考えていることが「よくわかる。これを見ると、 この二十世紀後半を代表する映画監督の一人は、何をどう表現しているにせよ、根底において牢固たるキリスト教的な思想を彼の芸術創造の根拠においているといわないわけにはいかない" (1977年1月20日「朝日新聞」より)
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