יהב אסתר - מסע | Yahav Ester - Journey https://youtu.be/8YBaFSyMGMo?si=WVa6nsoN8y5yg2p5 @YouTubeより
文字起こし
תן כוח לרצות שוב
עייפתי מלחפש אותך
עודני באדמת נכר
רק שלא תישכח
ימיני
רק שלא תישכח ימיני
ימיני
תן כוח לשמוח
בדרך הזאת
לפעמים גם אם הדרך
עוטפת בחום
והמסע הזה
הוא היעד עצמו
והמסע הזה הוא היעד עצמו
לפעמים גם אם הדרך עוטפת בחום
והמסע הזה הוא היעד עצמו
והמסע הזה הוא היעד עצמו
תן כוח לראות את
כל מי שפגשתי
כל מה שעברתי
כאור שמוסיף והולך!
מצטרף
לאור שלי
של העולם כולו
מצטרף לאור שלי
של העולם כולו
תן כוח לשמוח
בדרך הזו
לפעמים גם אם הדרך
עוטפת בחום
והמסע הזה
הוא היעד עצמו
והמסע הזה הוא היעד עצמו
לפעמים גם אם הדרך
עוטפת בחום
והמסע הזה
הוא היעד עצמו
והמסע הזה הוא היעד עצמו
ーー書かれたテキスト
旅
もう一度望む力を与える
あなたを探すのに疲れた
私はまだ異国の地にいます
ただ忘れないでください
正義よ
ただ私の権利を忘れないでください
正義よ
幸せになる力を与える
こちらです
時には道路であっても
温もりに包まれて
そしてこの旅
目的地そのものです
そしてこの旅は目的地そのものです
時には道が熱に包まれても
そしてこの旅は目的地そのものです
そしてこの旅は目的地そのものです
あなたに会えるように力を与えてください
私が出会ったみんな
私が経験してきたすべてのこと
増えてゆく光として!
加わって
私の光の中で
全世界の
私の光に加わって
全世界の
幸せになる力を与える
このようにして
時には道路であっても
温もりに包まれて
そしてこの旅
目的地そのものです
そしてこの旅は目的地そのものです
時には道路であっても
温もりに包まれて
そしてこの旅
目的地そのものです
そしてこの旅は目的地そのものです
ーー
文字起こし
tN kvH lrcvt xvb
`yypty mlHpx 'vtK
`vdny b'dmt nkr
rq xl' tyxkH
ymyny
rq xl' tyxkH ymyny
ymyny
tN kvH lxmvH
bdrK hz't
lp`myM gM 'M hdrK
`vTpt bHvM
vhms` hzh
hv' hy`d `cmv
vhms` hzh hv' hy`d `cmv
lp`myM gM 'M hdrK `vTpt bHvM
vhms` hzh hv' hy`d `cmv
vhms` hzh hv' hy`d `cmv
tN kvH lr'vt 't
kl my xpgxty
kl mh x`brty
k'vr xmvsyP vhvlK!
mcTrP
l'vr xly
xl h`vlM kvlv
mcTrP l'vr xly
xl h`vlM kvlv
tN kvH lxmvH
bdrK hzv
lp`myM gM 'M hdrK
`vTpt bHvM
vhms` hzh
hv' hy`d `cmv
vhms` hzh hv' hy`d `cmv
lp`myM gM 'M hdrK
`vTpt bHvM
vhms` hzh
hv' hy`d `cmv
vhms` hzh hv' hy`d `cmv
ところで「右の」と「正しい」の結びつきには旧約以来の『聖書』の価値観も影響を与えたようです。
『旧約聖書』では、「右(の)手」は
①祝福(ヤコブが右手をヨセフの子エフライムの頭に置いて祝福する場面=創世記 48:17-18他)、
②力・喜び(海が分かれて追っ手のエジプト軍から逃れたことで神を称える=出エジプト記 15:12他)、
③正義・救い・助け・導き(詩篇 48:10他)
などを示しています。
また、『新約聖書』には復活・昇天後キリストは父なる神の「右の座」についていると書かれています(マルコ 16:19、コロサイ 3:1他)。有名な「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ 5:39)のように、右と左が同時に出るときは「右」が先に記されます。このように『聖書』では「右」は大切な意味をもっていると言えます。
これは文化の面にも影響を与えています。さまざまなことに意味付けを与えることが多い東方正教会の「右」へのこだわりを二、三見てみましょう。まずロシア正教の十字架です。イエスがゴルゴタの丘で十字架にかけられたとき、右側と左側に一人づつ犯罪人も十字架につけられていました。そのひとりはイエスに悪口を言ったのに対し、もう一方は彼をたしなめ、自分の罪を認めてイエスに「御国の位にお着きになるときには、わたしを思い出してください」と憐れみを乞いましたが、それに対しイエスは「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と答えたと「ルカによる福音書」23章32-43節に書かれています。そのことを表わすため、十字架の下の方の横棒(足台)が向って左(イエスの右側)が上、右(イエスの左側)が下になるよう傾けられています。聖書には右、左どちらの犯罪人がこう言った、ああ言ったとは特定されていませんが、恐らくイエスの「右側の」犯罪人の方が憐れみを乞うてパラダイスを約束されたと考えたのでしょう。ちなみに上の横棒は処刑の際の罪状板を表わします。次に、正教国ロシアの家の部屋には「赤のコーナー」と呼ばれる角がありました。別にプロレスをするわけではありません。そのコーナーは棚にイコンが置かれており、大切なところとされていました。なぜ「赤の」コーナーかといいますと、かつてロシア語の「赤い」という語には「麗しい/美しい」の意味があったからです(現在は別の語)。有名な赤の広場も“美しい広場”という意味なのです。それはそうとして、このコーナーは、東に向って「右側の角」とされています。さらに、正教徒は体の前で十字をきるとき、親指・人差し指・中指を合わせ(三位一体)、額から胸、そして右肩から左肩へもっていきます(右が先)。カトリック教徒は反対ですから、サッカーの試合などゴールを決めた選手が感謝のしるしに十字を切るときのしぐさを見ると、その人や国の宗教(宗派)がわかるというものです(例えばセルビアのストイコヴィッチさんなら右から左、ブラジルのロナウジーニョさんなら左から右です)。これらの例で「右」が優先されるのは、イエスが神の「右に」座しているということに拠っています。
凧を用いて雷が電気であると明らかにしたことでも知られるフランクリンのベンジャミンBenjaminという名について一言、この名は旧約聖書に登場するベニヤミンに由来しますが、ベン(子)+ヤミン(右手)で「(神の)右手の子」を意味します。ベニヤミンはヤコブの12人の子の末子ですが、フランスにBenjamine、イタリヤBeniamino、スペインBenjamín、ロシアВениаминなど世界中にさらに多くの“兄弟”がいることになります。では、右手で次号までbye-bye!
מצטרף
joining
0 件のコメント:
コメントを投稿