2024年10月17日木曜日

寄宿舎学校のイエス―アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ』 その1|眠り猫

寄宿舎学校のイエス―アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ』 その1|眠り猫

寄宿舎学校のイエス―アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ』 その1

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Ⅰ 寄宿舎学校のイエス

 1 始まり

 イエス・キリストの誕生を祝う聖歌を歌う少年たちの声が聞こえてくる。歌の合間には、指導にあたっているらしい教師の声が挟まれる。映画は、歌声で幕を開ける。

 聖歌を指導する教師は、「はじめに言葉ありき」というヨハネ福音書の冒頭の一節を口にする。イエス・キリストの誕生から死、そして復活までを描いたのが福音書である。ヨハネ福音書の引用は、映画もまた、クリスマスの時期における、イエス・キリストの誕生とその働きを描くものであることを示唆している。

 2 同僚に代わりて

 1970年冬、ボストン郊外にある、男子のみの寄宿舎学校は、クリスマス休暇に入ろうとしている。家庭の事情で生徒5人が寄宿舎に残り、その監督として、古代史の教師ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)が指名される。加えて、寮の食事作りを担っているメアリー(ダバイン・ジョイ・ランドルフ)も、ベトナム戦争で戦死した息子の思い出がたくさんあるのはこの学校だから、と居残る。

 ポールが居残りに指名されたのは、一つには、多額の寄付をした生徒を落第させたからで、もう一つは、他の教師が「母は膠原病だから」と噓をついて、休暇中に残留するのを断ったからである。

 ポールは嘘をついた教師に代わって、生徒たちの監督をするという自己犠牲を払うことになる。しかしポールは、誰もが嫌がる仕事を自分に押しつけた同僚を恨んだりはしない。同僚が嘘をついているとは知らずに、同僚に対して、その母親の健康を気遣う言葉を口にする。ポールは期せずして、イエスの「敵を愛せよ」という教えを身をもって実践している。

 3 アンガスの父に代わりて

 学校に居残るということは、食事担当のメアリーとペアで、生徒の保護者代わりを務めさせられる、ということでもある。特別手当が出るので、無償ではないものの、ポールは保護者に代わって生徒を監督することを求められるのだ。

 クリスマスは、全人類の罪の身代わりとして十字架にかかったイエス・キリストの誕生を祝うものである。クリスマスの時期に、成り行きで、同僚及び生徒の保護者に代わって自己犠牲を払うことを余儀なくされたポールは、イエス・キリストのごとき存在といえよう。

 だからといってポールは、最初から慈愛に満ちた父として、生徒たちに接するわけではない。授業で生徒に厳しい評価を下すポールは、クリスマス休暇中にも関わらず、生徒たちに軍隊のように規律正しい生活を送らせようとする。そんな中、一人の生徒の父親がヘリで息子を迎えに来る。他の生徒もスキーに連れて行ってくれるというが、アンガス(ドミニク・セッサ)の母親だけは、再婚相手と新婚旅行中で、連絡がつかない。アンガスは、生徒の中でただ一人、残留することになる。

 ポール、メアリー、アンガスの三人の生活が始まる。メアリーの作ったクリスマスディナーは、アンガスを喜ばせ、アンガスは「こんなに家庭的はクリスマスは初めてだ。ありがとう、メアリー。」と口にする(予告編の53〜55秒あたり)。アンガスの母は、自ら調理することなく、出来上がったものを届けさせていたのだ。メアリーは、アンガスの実の母に代わって、ありあわせの材料でクリスマスディナーを作るという自己犠牲を払い、彼女の愛はアンガスの心に届く。メアリーはアンガスの疑似的な母親役を務めている。

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クリスマスの食卓を囲む、
アンガス、ポール、メアリー

 一方、ポールもまた、メアリーの助言もあって、アンガスを気遣うようになる。クリスマス当日、街でクリスマスツリーを買って来たり、自らの愛読書であるマルクス・アウレリウスの『自省録』をクリスマスプレゼントに贈ったりして、アンガスを喜ばせようとする。

 しかし、アンガスは飾りつけのないクリスマスツリーを喜ばず、ボストンに行くことを望む。メアリーの説得もあり、二人はボストンに出かけ、街を散策するが、アンガスは一人でタクシーに乗ってその場を去ろうとする。ポールが慌てて追いかけると、実の父に会いたいという。ポールは、アンガスの父は亡くなったと思っていたが、実は精神を病んで、施設に入っていたのだ。

 アンガスは父に会って近況を話すが、話はかみ合わず、アンガスは落胆する。自分もまた、父の轍を踏むのではないか、と恐れるアンガスに対し、ポールは、父親は父親であり、君は君だ、といって勇気づけようとする。また、博物館で、ギリシャ時代から人間の営みは変わっていないことを伝え、過去の歴史から学ぶようにと力説したりもする。ポールは、アンガスを精神的にサポートし、助言・指導をする、父親のごとき役割を果たしているのである。

 4 アンガスに代わりて

 クリスマス休暇が明け、学校が元通りの活気を取り戻した矢先、アンガスの母が新しい夫とともに、学校にやって来て、ポールは校長室に呼びつけられる。アンガスが父に会いに行ったために、父はホームシックが募り、施設で暴れ、施設を変わらざるを得なくなったというのだ。アンガスは退学させられ、「陸軍学校に行かされる。」と校長室の外でうなだれ、メアリーがそっとその手を握る。

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アンガスに手を差し伸べるメアリー

 アンガスの母から、なぜ父に会いに行ったのか、と詰問され、ポールは、自分がアンガスに父に会いに行くことを勧めたのだ、と嘘をつく。ポールは、教師の職を失うことを覚悟のうえで、アンガスが今の学校で学び続けられるようにと、嘘をつくのだ。ポールはラストで、自らを犠牲にし、アンガスへの愛を示すのだ。当のアンガスは校長室の外におり、事の成り行きを知らない。ポールはアンガスに対して、一方的で、絶対的な無償の愛を示したといえる。

 思えば、ポールはこれまで、他者への積極的な愛ゆえでなく、成り行きから、強制的に自己犠牲を払わせられ、イエス・キリストの役を演じさせられてきた。大学生のときには、資産家の同級生が、ポールの論文を盗作したにも関わらず、論文を盗作したのはポールだと偽証したために、大学中退の憂き目にあう。ポールは同級生が犯した罪を代わりに償わされている。
 出身校である寄宿舎学校には、在学中に優秀であったために、安い給料で非常勤講師として雇われることになったが、ほかの教師が嘘をついたために、クリスマス休暇中の居残り役が回ってくる。

 寄宿舎学校のルールであり、かつ十戒の一つでもある、「嘘をつくな」という教え。同級生や同僚はこの掟を自己愛ゆえに破り、そのせいで、ポールは割を食ってきた。それが、ラストで、未来あるアンガスへの愛ゆえにこの教えを破り、自ら自己犠牲を払うことを選択する。ポールが真にイエス的な存在へと生まれ変わった瞬間といえるが、それは同時に、ポールの教師としての死を意味していることは、皮肉である。

 ポールと同じ、教える立場にあるものとして、「自分が彼と同じ状況に立たされたら、同じように行動できるか?」と自問してみる。答えは否である。普通の人間にはできない選択だからこそ、ポールはクリスマスの時期を描く映画にふさわしいヒーローなのである。

 5 もうひとりのイエス

 ポールに焦点を当てて映画を振り返ってきたが、アンガスの母に代わってクリスマスディナーを作るメアリーもまた、イエス的な存在である。
 彼女はベトナム戦争で亡くなった息子との思い出に浸るために学校に残留していたが、ポールがアンガスと一緒にボストンに行く際に、途中まで同乗して、妹の出産を手伝いに行く。そして、妹の子が男の子なら息子と同じカーティスというミドルネームにする、一生懸命働いて、妹の子供の大学の学費を貯める、という。妹の子供を息子の代わりと思って、学費を賄いきれない妹に代わって自己犠牲を払おうとするのである。

 メアリーは、愛する息子の戦死によって、絶望し、生きる気力を失っていた。メアリーという名はマリアに由来するが、その名の通り、イエスたる息子を失い、嘆きに暮れるピエタそのものであった。それが、妹の子を息子のように思い、そのために尽くそうと決意することで、人生に希望を見出し、生きる気力を取り戻すのである。

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ミケランジェロのピエタ(Wikipediaより)

 息子との思い出に浸りたいから、という消極的な理由で学校残留を選び、生徒とポールの食事を作り続けたメアリーもまた、ポール同様、ラストで自ら積極的に愛を示すことを決意し、生けるしかばねから復活を遂げるのである。これは、真のイエスとして生まれ変わった瞬間であるといえよう。

 6 終わり

 歌声で幕を開けた映画は、直線道路を車で運転しながら去るポールの姿にインストゥルメンタルを重ねて、幕を閉じる。イエス誕生を祝う聖歌で始まった映画は、イエスとしてルネサンスしたポールの姿を描くことで終わるのである。


 今日はここまで。長い映画レビューに最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 次回は、『ホールドオーバーズ』がどんな映画を下敷きにし、誰にオマージュを捧げているのか、について考えてみたいと思います。またお付き合いいただけると、うれしいです。

 みなさんが最近観て、面白かった映画は何ですか? イチオシ映画の魅力を、ぜひnoteの記事にして教えてください。


記事に使用した写真は、すべて『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』公式サイトに掲載されているものです。

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