源氏物語~葵~(34)
お昼ごろ、光る君はまた若紫の君をお訪ねになって、
「苦しそうにしていらっしゃるようですが、どんな具合ですか。今日は碁も打たないのでつまらないことです」
といってのぞきなさると、ますます御衣を頭ですっぽりとかぶって臥しています。
女房たちは離れた所に下がって控えているので、姫君の近くにお寄りになって、
「どうしてそんな風にふさぎこんでいらっしゃるのですか。意外と情けないところがおありになるのですね。女房たちもどんなにか不思議に思っていることでしょう」
といって、引き被っている夜着を剥ぎ取って見なさると、前身汗まみれで、前髪まで濡れていらっしゃるのでした。
「なんとまあ。これはひどい」
といって、言葉を尽くしてなだめなさるのですが、姫君は本当につらいとお思いになって、まったくお返事もなさいません。
「分かった分かった。もう私はここには来ませんよ。まるで私が悪者みたいできまり悪い」
などと恨み言をおっしゃって御硯箱を開けてみましたが、返歌もなかったので、「何とも幼げな」とかわいらしくお思いになって、日が暮れるまでお側に付き添ってあれこれお慰めになりましたが、許そうとなさらないご様子がますますかわいく思われるのでした。
その夜、光る君のもとに子孫の繁栄を願う亥の子餅が振る舞われました。
まだ喪中だったので、あまりおおげさにならないように配慮されています。
若紫の君の方にだけ、美しい檜破籠などを色とりどりにお運びしているのを御覧になって、光る君は南面にお出ましになると惟光をお呼びになって、
「この餅を、このように溢れるほど多くなく、明日の夜に差し上げよ。今日は日が悪い」
と微笑んでおっしゃると、惟光は勘の良い男だったのですぐに光る君の意を汲み取りました。
「確かに。婚姻の儀は日をお選びになるべきですな。では、子の子餅はおいくつお持ちいたせばよいでしょうか」
と真面目な顔で申し上げるので、
「この三分の一でいいだろうな」
とおっしゃると、すっかり心得て下がるので、「できる男だ」と光る君は感心なさっていました。
惟光は実家に下がり、誰にも言わずにほとんど一人で餅を作るのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
旧暦十月の最初の亥の日を「亥の子ゐのこ」と言い、その日に振る舞われる「亥の子餅ゐのこもちひ」を食べると、健康&子孫繁栄の御利益があるとされていたのだそうです。
光源氏のもとに亥の子餅が届けられたのは、若紫の君と初めて男女の交わりをしてから2日目の夜でした。
光源氏は、餅を明日の夜に持ってこい、と腹心の家来である惟光に言いつけます。
当時、初めてのベッドインから三夜連続で通うと結婚が成立していました。
そしてその三日目の夜に「三日夜の餅」という儀式があり、結婚式となります。
光源氏と若紫の君は特殊な関係で、結婚前からすでに同居していますが、やはり三日目の夜にこの三日夜の餅の儀をやろう、というのです。
二日目が「亥」だったので、三日目は「子ね」ですね。
それで、惟光は「子の子餅ねのこもちひ」という機転の利いた冗談を言ったのです。
岩波文庫の注に書かれていたのを丁寧に説明してみました。(^^)v
光る君は、まだ拗ねている若紫の姫君のご機嫌を回復することがおできにならず、今初めて盗み出してきた人であるかのような感じがするのもおかしくて、「数年来愛しく思ってきたのは、今の思いに比べたらものの数でもないなあ。それにしても人の心というのは奇妙なものだ。今や一夜だって会わずにはいられない気がするよ」とお思いになっています。
ご下命を受けていた餅を、惟光は夜もすっかり更けてから密やかにお持ちしました。
「少納言は年配だから気恥ずかしく思うだろうか」と慎重に思案を巡らして、その娘の弁というのを呼び出して、
「これをこっそりとお持ちしてください」
といって、香壺の箱 ── 中には餅が入っているのですが ── を一つ差し入れました。
「御枕元に差しあげなければならない祝いの品です。決していい加減に扱わないでくださいよ」
というと、奇妙にも思ったのですが、
「いい加減なことなど、これまでしたことございません」
といって受け取るので、
「確かに。今は忌まわしい言葉をお使いになってはいけませんよ。大丈夫だとは思いますが」
と言いました。
弁はまだ若く、深いところまで考えが及ばないので、言われた通りに持って参上し、御枕元の御几帳の下から箱を差し入れましたが、例によって光る君が若紫の君にお知らせするのでしょう。
女房たちは知るよしもありませんでしたが、翌朝、光る君がこの箱を寝所から出させなさった時、側近の女房たちだけは合点するのでした。
それにしても、お皿などまでいつの間に用意したのでしょうか、花形の彫刻を施した台は非常に美しく、餅も格別に素晴らしく作られていました。
少納言は、「本当にこれほどまでに…」と思いましたが、感激すると同時に畏れ多くて、隅々まで至らぬ所のない光る君のお心配りを思って涙がこぼれてきました。
「それにしても、私たちにこっそりお話しくださればよかったのに」
「惟光もどう思ったことでしょう」
とひそひそ話し合っています。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
ここは三日夜餅の儀に関することが書かれていますが、何しろ嫁の方がそれと認識していない不意打ちの儀式なのでイレギュラーばかりのようです。
それにしても、儀式の箇所は訳すのが難しいです。
そして、あれですね、最初の正妻・葵の上が亡くなって間もなく正式に若紫の君と結婚式を挙げる、っていうのが現代の感覚からするとゲスの極みですね。笑
それからというもの、内裏や院の御所にほんの少しいらっしゃるだけで、若紫の君の面影が恋しくて落ち着かないので、おかしな気がするな、とご自身でもお思いになっています。
関係を持っていた愛人たちの所からは恨み言をしたためたお手紙もしばしば届くので気の毒にもお思いになるのですが、新妻をほったらかすことなどできようか、とお思いにならずにはいられません。
そこで、葵の上を亡くした悲しさのために苦しんでいるように振る舞いなさって、
「この世の中が非常につらく思われて仕方ないのです。そのような期間が過ぎ去ったらお伺いします」
と、このようなお返事ばかりでやり過ごしていらっしゃいました。
さて、今は御匣殿となられた朧月夜の六の君ですが、今なお光る大将殿に夢中でいらっしゃることに対して父右大臣が、
「本当に、あの正妻もお亡くなりになったのだから、あの子が望むなら光る君と結ばれたとしても、それはそれで良いではないか」
とおっしゃっているのを、姉である弘徽殿の皇太后は非常に憎らしくお思いになって、
「宮仕えをしっかりとさえ勤めれば帝との結婚もあり得ましょう。その方が良いに決まっています」
といって、入内させることに躍起になっていらっしゃいます。
光る君の方でも、朧月夜の姫君には並々ならぬ思いを寄せていらしたので、宮仕えの件は残念なこととお思いでしたが、今は若紫の君以外にお心を割くことはできません。
「どうして、こんなに短い人生で色々な女性に心が動くのか。しかしこうして若紫の姫君に気持ちが定まっていくことだろう。人の恨みも負うべきではないしな」と、六条御息所の生き霊に懲りて、ますます慎重におなりになっていました。
「御息所はたいそう気の毒だが、正式な妻として頼みにするのはどうしても気が引けてしまう。これまで通りの関係で良しと思ってくださるなさるならば、しかるべき時に色々と話をする女性として相応しいだろうな」などと、さすがにきっぱりと思いを捨ててはいらっしゃらないようです。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
若紫の君と正式に婚姻の儀をすませた光源氏です。
右大臣家の話が久しぶりに出て来ました。
朧月夜の君(参照)が「御匣殿みくしげどの」になった、というのはここで唐突に語られます。
御匣殿というのは、宮中の「貞観殿じょうがんでん」で装束を調える仕事をする上級の女房です。
この地位から女御やら中宮やらという帝の妻の地位を狙うのが姉である弘徽殿の皇太后です。
が、肝心の御匣殿(朧月夜の君)は光源氏に夢中ということで弘徽殿氏は腹を立てています。
父親の右大臣は割と暢気に「別にそれならそれで良いんでないの?」と言っています。
まあ、世間では若紫の君の存在が知られていないので、右大臣としては死んだ葵の上の代わりに朧月夜の君が光源氏の正妻になればそれでも良い、と思っているようです。
弘徽殿の皇太后の考えの方が結果的には正しいということですね。
弘徽殿の皇太后と名づけましたが、かつて「弘徽殿の女御」と呼ばれていた人物で、桐壺院の正妻です。
桐壺院との間の第一皇子が帝の位に就いたので皇太后となっており、原文では「今后いまきさき」と書かれています。
これまで、紫の姫君の存在について世の人もどこの誰だか知らずにいたので、「このままでは低い身分の女であるかのようだな。まずは父宮にお知らせしよう」とお思いになっていました。
成人の儀のことも、広く大勢の人にお話しにはなりませんでしたが、並々ならぬご準備をなさる御心づもりは滅多にないほどのものでした。
しかし、若紫の君ご本人は光る君のことを嫌いなさって、「長年の間すっかり信頼して仲良くしてきた私が馬鹿だったんだわ」と悔しさばかりをお思いになって、目もお合わせになりません。
光る君がふざけて冗談をおっしゃっても、とてもつらそうに思い悩んでいらっしゃり、かつてとは様子が違うようになっていくのを、おかしくも可哀想にもお思いになって、
「長年あなたを愛してきた甲斐もなく、私に心を許してくれないのがつらいことです」
と恨み言を申し上げなさるうちに、年も明けました。
元日は例年通り、まず桐壺院、それから帝と春宮に年始の御挨拶のために参上し、その後、左大臣家にも参上なさいました。
左大臣は、新年を迎えてもなお葵の上のことをお話しになっては、寂しく悲しく思っていらっしゃったところで、そこに光る君がお出ましになったものですから、何とか堪えようとなさるのですが、それも難しいようです。
光る君は御年が加わったためか、厳かな雰囲気をまといなさって、以前にもまして美しく立派にお見えになります。
亡き葵の上の御部屋にお入りになると、女房たちは珍しそうに見申し上げると、堪えきれずに涙を流しました。
若君をご覧になると、随分と成長して、にこにことよく笑っていらっしゃるのもしみじみ愛しく感じられます。
目元も口元も春宮にそっくりなので、「この子を見た人は怪しむかもしれないな」とお思いになる光る君でした。
室内の装飾などは以前と変わっていません。
衣桁にも以前と変わらず、光る君のための新しい御装束が掛けられていましたが、葵の上のものが並んでいないのに寂寥感が漂っていました。
大宮の御伝言として、
「元日ばかりはと悲しみを堪えていたのですが、このようにお越しくださり、かえって…」
などという挨拶に続き、
「かねてよりの習慣通り、年始にあわせて新調した御装束も、この数ヶ月の間、涙で塞がった私の目で仕立てたものですから、冴えない色調だとお見えになるかもしれない、とは思うのですが、今日だけはどうかこれをお召しになってください」
といって、更に、たいそう心をこめて仕立てなさった衣装を献上なさるのでした。
どうしても今日お召しになってほしいとお思いになった下襲は、色も織り方もこの世のものとは思えないほど格別に素晴らしかったので、お気持ちを裏切ることはできまい、と思ってお着替えになりました。
「もし、今日来ていなかったら落胆なさっただろうな」と想像すると、胸が締め付けられるようでした。
お返事には、
「新しい春が来たか、とます御覧いただきたくて参上しましたが、亡き妻が思い出されることばかり多くて何も申し上げることができません。
あまた年今日あらためし色ごろもきては涙ぞふる心地する
〔毎年こちらにやって来て妻とともに新年を過ごしてきましたが、今日彩色美しい衣に一人着替えてみると、涙がこぼれる心地がすることです〕
心を静めることができません」
と申し上げなさいました。
お返事には、
「新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり」
〔新年の目出度さも何も関係なく降るものは、年老いた母が亡き娘を思って流す涙でございます〕
とありました。
この悲痛な思い、並大抵のものではございません。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
大宮は葵の上の母親、左大臣の正妻、桐壺院の妹にあたる人でしたが、この巻の最後は光源氏と大宮との贈答歌で締めくくられました。
そう、これでやっと葵の巻が終了したのです。
長かった。疲れた。辛気くさかった。笑
これまでで最も進みが遅い巻となりましたが、残念なことに次巻「賢木」もまた長い巻なのです。
(TωT)ヤダヨー
何はともあれ、今夜はやっと葵から解放された祝杯です。
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