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武満徹が作曲家としての旅について語る:
「作曲家になろうと決めたとき、私は楽譜を読むことができず、音楽についての知識もありませんでした。ただ、音楽が本当に大好きだったのです。だから、楽譜に音楽を書き記すのはとても難しく、楽器も持っていませんでした。街を一人で歩いているとき、どこかからピアノの音が聞こえてくると、その家を訪ねて5分間だけピアノを弾かせてほしいとお願いしました。断られたことは一度もありませんでした!本当に運が良かったです。今でも、コンサートの後に見知らぬ人が楽屋を訪ねてきて、『若い頃、あなたにピアノを貸したよ!』と言うことがあります。私は本当にたくさんのピアノに触れてきました!
結婚したとき、妻は音楽の素養を持っていたので、彼女と一緒にたくさん勉強しました。楽器を買うお金がなく、作曲家になるには鉛筆と紙さえあれば簡単だと思っていました!あなたが言及した、聴くことと分析すること…音楽の分析は作曲家にとってとても重要ですが、作曲家はまずリスナーでなければならないと思います。想像力をもって音楽を聴くことが、作曲家にとって最も重要なことです。私は日本人ですが、作曲家になろうと決めたとき、自分の音楽の伝統については何も知りませんでした。戦争中の経験から、その頃は日本に関するものすべてが嫌いでした。私は西洋音楽を書く作曲家になりたかったのですが、西洋音楽を10年間学んだ後、偶然にも日本の伝統に気づきました。その頃、私は「ウィーン楽派」の作曲家に夢中で、偶然にも文楽人形劇の音楽を耳にしました。衝撃でした—なんて力強く美しい音楽なんだろうと。突然、自分が日本人であることを自覚し、自分の伝統を学ぶべきだと気づきました。そこで、琵琶(日本の弦楽器)を学び始めました。2年間、偉大な師匠について真剣に学び、私たちの伝統に深く取り組むようになりました。でも、今でも自分の作曲では西洋音楽とそれを融合させようとしています。」
— 武満徹、カルステン・ヴィットによるインタビュー、Soundtrack Magazine Vol.15/No.57/1996に掲載
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