諸子百家争鳴 - 列子(れっし) 8巻 - 生没年:前400頃? 姓:列 名:禦寇(ぎょこう・圄寇・御寇とも) 出身地:鄭国
http://www.sunrain.jp/zhuzi_baijia/liezi.html
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■『列子』黄帝篇の「不射之射」(小林勝人氏訳)
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列御寇(れつぎょこう・列子)、伯昏瞀人(はくこんぼうじん)の為に射る。
之を引いて盈貫(ひきしぼ)り、杯の水を其の肘(ひじ)の上に措(お)きて之を発(はな)つに、
鏑矢(かぶらや)は復沓(あいかさな)り、方(まさ)に矢(やいれ)ば復た寓(ひきよ)す。
是の時に当たりては、猶象人(でく・木偶)のごとし。
...
伯昏瞀人曰く、是れ射の射なり、不射の射にあらず。
嘗(こころ・試)みに汝と与(とも)に高山に登り、危石を履(ふ)み、百仞(ひゃくじん)の淵に臨まん。
若(なんじ)能く射んかと。
...
是に於いて瞀人遂に高山に登り、危石を履み、百仞の淵に臨み、
背(うしろむ)いて逡巡し、足は二分垂れて〔懸崖の〕外に在り、御寇を揖(こまね)いて之を進ましむ。
御寇地に伏し、汗流れて、踵(くびす)に至る。
...
伯昏瞀人曰く、夫れ至人は上は青天を闚(うかが)い、下は黃泉(こうせん)に潛(くぐ)り、
八極に揮斥(かけまわ)れども、神気変ぜず。
今汝怵然(じゅつぜん)として恂目(まじろぐ)の志あり、
爾(なんじ)の中(あ)つるに於けるや、殆(あやう・危)いかな。
...
...
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■『荘子』田子方篇の「不射之射」(金谷治氏訳)
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列御寇(れつぎょこう・列子)、伯昏無人(はくこんむじん)の為めに射る。
これを引いて盈貫(えいかん)し、杯水を其の肘(ひじ)の上に措(お)く。
これを発するに、適矢(てきし)は復沓(ふくとう)し、方矢(ぼうし)は復寓(ふくぐう)す。
是の時に当たりてや、猶お象人(しょうじん)のごとし。
...
伯昏無人曰わく、是れ射の射にして、不射の射に非ざるなり。
嘗(こころ)みに汝と与(とも)に高山に登り、危石を履(ふ)みて百仞(ひゃくじん)の淵に臨まん。
若(なんじ)能く射るかと。
...
是に於いて無人遂に高山に登り、危石を履みて百仞の淵に臨む。
背(うしろ)むきに逡巡して、足は二分垂れて外に在り。御寇を揖(ゆう)してこれを進ましむ。
御寇地に伏し、汗流れて踵(くびす)に至る。
...
伯昏無人曰わく、夫れ至人なる者は、上は青天を闚(うかが)い、下は黃泉に潛(ひそ)み、
八極に揮斥(きせき)して、神気変ぜず。
今、汝は怵然(じゅつぜん)として恂目(しゅんもく)の志あり。
爾(なんじ)の中(あ)たるに於けるや、殆(あやう)いかなと。
※この二つの説話は伯昏「瞀人」と「無人」の違いのみで、他はまったく同じ内容です。
こうして並べてみると、書き下し文も訳者によって随分と違うものですね。
諸子百家争鳴 - 列子(れっし) 8巻 - 生没年:前400頃? 姓:列 名:禦寇(ぎょこう・圄寇・御寇とも) 出身地:鄭国
| ■列子(れっし) 8巻 30,724字 |
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■列子(れっし) - 生没年:前400頃? 姓:列 名:禦寇(ぎょこう・圄寇・御寇とも) 出身地:鄭国 …
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道家の代表人物で、荘子に先立つ時期に活動したという。伯昏瞀人とともに壺丘子林に師事して学んだ。
列子は「道」を体得した有道者で、その学問は黄帝と老子の思想にもとづき、清淡虚無、無為自然を
重んじて他人と競わず、よくその身を修めたという。 道教を国教とした唐代に「沖虚真人」と追号された。
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■『列子』について …
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『列子』(8巻)は道教経典の一で、列禦寇と門人の著作とされるが、後代の偽書であろうと疑われている。
その学説は黄老思想にもとづき、万象の変化、万物の死生を論じる。文章は『荘子』に類似し、寓言が多い。
漢の永始3年(前14年)に劉向が整理したが、「相反する説を含み一人の著作とは考え難い」と述べている。
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■本頁について
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本頁各篇の章立て、書き下し、注釈は、『列子(上・下)』(列禦寇/小林勝人/岩波文庫)による。
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■列子(れっし) 8巻 30,724字(作成中)
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01 天瑞(てんずい) 第一
02 黄帝(こうてい) 第二
03 周穆王(しゅうぼくおう) 第三
04 仲尼(ちゅうじ) 第四
05 湯問(とうもん) 第五
06 力命(りきめい) 第六
07 楊朱(ようしゅ) 第七
08 説符(せっぷ) 第八
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2009年は、中島敦(1909-1942) 生誕100周年にあたります。 …
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中島敦の「名人伝」は、『列子』湯問篇を元にして潤色・肉付けされた短編です。
弓の道を極めんとする紀昌と飛衛師弟に続く、甘蠅老師と不射之射の話は
『列子』黄帝篇と『荘子』田子方篇にある列子と兄弟子・伯昏瞀人(無人)の
説話が元になっています。(この二つはまったく同じ内容)
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『列子』の紀昌が飛衛を殺さんとする件(くだり)は、やはり古の名人である
逢蒙と羿の伝説がモデルとなっているのでしょう。
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「逢蒙(ほうもう)、射を羿(げい)に学び、羿の道を尽くして、思えらく、
天下唯(ただ)羿のみ己に愈(まさ)れりとなすと、是に於いて羿を殺せり。
孟子曰く、是れ羿も亦罪あり」(『孟子』離婁下)
....
ちなみに『列子』説符篇には、列子が関尹子(函谷関で老聃に『老子』を著させた尹喜)に
弓の道を習う話があります。『列子』はこういった説話に溢れており、嬉しくなりますね。
・青空文庫で中島敦「名人伝」を読む >>>
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■『列子』湯問篇の「名人伝」(小林勝人氏訳)
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甘蠅(かんじょう)は古の射を善くする者なり。弓を彀(引)けば而(すなわ)ち獣は伏(かく・隠)れ鳥は下る。
弟子、名は飛衛(ひえい)というもの、射を甘蠅に学んで、巧(たくみ)なること其の師に過ぐ。
紀昌(きしょう)という者、又射を飛衛に学ぶ。
....
飛衛曰く、爾(なんじ)先ず瞬(まじろ)がざるを学べ、而る後に射を言うべしと。
紀昌帰りて其の妻の機(はた)の下(もと)に偃臥(あおむけにふ)し、目を以て牽挺(ふみぼう)を承(う)く。
三年の後、錐末(きりのさき)眥(まなじり)に倒れると雖も瞬がず。
以て飛衛に告ぐ。飛衛曰く、未だし。亜(次)に視ることを学べ、而る後に可ならん。
小を視ること大の如く、微(かすかなる)を視ること著(あらわ)の如くにして、而る後我に告げよと。
....
〔紀〕昌、氂(かみのけ)を以て虱(しらみ)を牖(まど)に懸け、南面して之を望むに、
旬日(とうか)の間にして浸(ようや・漸)く大なり。
三年の後には車輪(くるまのわ)の如し。以て余物(たのもの)を睹(み)れば皆丘山のごとし。
乃ち燕角(えんかく)の弧(ゆみ)・朔蓬(さくほう)の簳(やがら)を以て之を射るに、
虱の心(心臓)を貫けども懸(かくるもの・氂)は絶(き)れず。
以て飛衛に告ぐ。飛衛、高踏(あしぶみ)して膺(むね)を拊(う・打)って曰く、汝之を得(えとく)したりと。
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紀昌既に〔飛〕衛の術を尽くし、天下の己に敵する者を計るに、一人(飛衛)のみ。乃ち飛衛を殺さんことを謀る。
野に相遇う。二人交(こもごも)射るに、中路(中途)にして矢鋒(やじり)相触れて地に墜つれども塵(ちり)揚がらず。
飛衛の矢先ず窮(つ)く。紀昌は一矢を遺(のこ)す。既に発(はな・放)つ。
飛衛、棘刺(いばらのとげ)の端を以て之を扞(ふせ・防)いで差(たが・違)うことなし。
是に於て二子泣いて弓を投げ、塗(みち)に相拝し、請うて父子となり、
臂(ひじ)を尅(さ)して以て誓い、術を人に告ぐることを得ざらしむ。
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■『列子』黄帝篇の「不射之射」(小林勝人氏訳)
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列御寇(れつぎょこう・列子)、伯昏瞀人(はくこんぼうじん)の為に射る。
之を引いて盈貫(ひきしぼ)り、杯の水を其の肘(ひじ)の上に措(お)きて之を発(はな)つに、
鏑矢(かぶらや)は復沓(あいかさな)り、方(まさ)に矢(やいれ)ば復た寓(ひきよ)す。
是の時に当たりては、猶象人(でく・木偶)のごとし。
...
伯昏瞀人曰く、是れ射の射なり、不射の射にあらず。
嘗(こころ・試)みに汝と与(とも)に高山に登り、危石を履(ふ)み、百仞(ひゃくじん)の淵に臨まん。
若(なんじ)能く射んかと。
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是に於いて瞀人遂に高山に登り、危石を履み、百仞の淵に臨み、
背(うしろむ)いて逡巡し、足は二分垂れて〔懸崖の〕外に在り、御寇を揖(こまね)いて之を進ましむ。
御寇地に伏し、汗流れて、踵(くびす)に至る。
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伯昏瞀人曰く、夫れ至人は上は青天を闚(うかが)い、下は黃泉(こうせん)に潛(くぐ)り、
八極に揮斥(かけまわ)れども、神気変ぜず。
今汝怵然(じゅつぜん)として恂目(まじろぐ)の志あり、
爾(なんじ)の中(あ)つるに於けるや、殆(あやう・危)いかな。
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■『荘子』田子方篇の「不射之射」(金谷治氏訳)
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列御寇(れつぎょこう・列子)、伯昏無人(はくこんむじん)の為めに射る。
これを引いて盈貫(えいかん)し、杯水を其の肘(ひじ)の上に措(お)く。
これを発するに、適矢(てきし)は復沓(ふくとう)し、方矢(ぼうし)は復寓(ふくぐう)す。
是の時に当たりてや、猶お象人(しょうじん)のごとし。
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伯昏無人曰わく、是れ射の射にして、不射の射に非ざるなり。
嘗(こころ)みに汝と与(とも)に高山に登り、危石を履(ふ)みて百仞(ひゃくじん)の淵に臨まん。
若(なんじ)能く射るかと。
...
是に於いて無人遂に高山に登り、危石を履みて百仞の淵に臨む。
背(うしろ)むきに逡巡して、足は二分垂れて外に在り。御寇を揖(ゆう)してこれを進ましむ。
御寇地に伏し、汗流れて踵(くびす)に至る。
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伯昏無人曰わく、夫れ至人なる者は、上は青天を闚(うかが)い、下は黃泉に潛(ひそ)み、
八極に揮斥(きせき)して、神気変ぜず。
今、汝は怵然(じゅつぜん)として恂目(しゅんもく)の志あり。
爾(なんじ)の中(あ)たるに於けるや、殆(あやう)いかなと。
※この二つの説話は伯昏「瞀人」と「無人」の違いのみで、他はまったく同じ内容です。
こうして並べてみると、書き下し文も訳者によって随分と違うものですね。
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