2025年12月13日土曜日

DepressedBergmanさんによるXでのポスト 第三の男 キャロル・リード

 
 
DepressedBergman
⁦‪@DannyDrinksWine‬⁩
Carol Reed on the ending of "Third Man" (1949):

"You must always do as you like, gambling on the possibility that what you like is also commercial. I used to be very much criticized for ending my films unhappily.

At one time, it was thought that every picture must end with pic.x.com/iElyGcDJdB
 
2025/12/14 6:25
 
 
キャロル・リードが『第三の男』(1949年)の結末について語る:

「あなたはいつも自分の思うようにやるべきです。自分が好きなものが商業的にも成功する可能性に賭けるんです。私は映画を不幸な結末で終えることでずいぶん批判されました。

かつては、すべての映画が観客が幸せな気持ちで帰れるように、抱擁のシーンで終わるべきだと思われていました。でも、それが本当にそうしたのかはわかりません。映画は、必然的にそうなる形で終わるべきです。

人生で何かが『正しく』終わることなんてないと思います。『堕ちた偶像』(1948年)の結末は、部分的にしか幸せではありません。結局のところ、その少年は執事との関係を終わらせました。かつては彼を心から慕っていたのに。

『第三の男』(1949年)では、グレアム・グリーンはジョセフ・コットンがアリダ・ヴァリをその車で追い越すように望んでいました。そうすれば、映画はそのカップルが道を歩くシーンで終わるはずでした。

私は彼女が彼を追い越して去るべきだと主張しました。デヴィッド・O・セルズニックはその映画に少しお金を出していました(コットンとオーソン・ウェルズの召使いの面倒を見てくれたと思います)。彼は映画を見た途端に非常に親切で賞賛してくれましたが、『イエス、少女がその男と一緒になるショットを撮れないか?』と言いました。私は『オリジナル脚本にはありました。でも私たちはそれを削除しました。いいアイデアだったかどうか、確かではありません』と答えました。

でもつまり、ヴァリのキャラクターのこの映画での全ポイントは、彼女が致命的な愛を経験したということです——そしてそこにこの愚かなアメリカ人が現れるんです!」

(引用:キャロル・リードがチャールズ・トーマス・サミュエルズのインタビューで語ったもの、1971年)

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