2025年12月12日金曜日

IItomo: 2020/08/03 ボブ・ディラン「なんでアンネ・フランクを登場させたかって?」 | クーリエ・ジャポン

IItomo: 2020/08/03 ボブ・ディラン「なんでアンネ・フランクを登場させたかって?」 | クーリエ・ジャポン

2020/08/03 ボブ・ディラン「なんでアンネ・フランクを登場させたかって?」 | クーリエ・ジャポン

ボブ・ディランの頭の中で無数の風が吹く「自分でもなぜそれを書いたのか不思議でならない」

Photo: Samir Hussein / Getty Images

Photo: Samir Hussein / Getty Images

8年ぶり、そして2016年にソングライターとして唯一のノーベル文学賞受賞者になって以来初めてのアルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』を発売したボブ・ディラン。

めったにインタビューには応じないことで知られるが、カリフォルニア州マリブの自宅から、米紙「ニューヨーク・タイムズ」の電話取材に答えた。新型コロナウイルスのことからリスペクトするアーティストまで、たっぷり語った貴重なインタビューを全訳でお届けする。

新型コロナ感染症(COVID-19)の影響で中止となった日本公演が実現することを祈って──。


ニューヨーク州サラトガ・スプリングスで数年前、私はボブ・ディランと木陰に座って2時間にわたって話をした。話題はマルコムX、フランス革命、フランクリン・ルーズベルト、第2次世界大戦などに及んだ。

ある時点でディランは、1864年の「サンドクリークの虐殺」について何を知っているかと尋ねた。私が「あまり知らない」と答えると、彼は折り畳み椅子から立ち上がってツアーバスに乗り込み、5分後、ある資料のコピーを手に戻ってきた。

そこにはアメリカ軍がコロラド州南東部で温厚な先住民シャイアン族とアラパホー族を何百人も虐殺したことが書かれていた。

私とディランとの間には、すでにこのような関係があったことから、今年4月、私はとくに身構えることなく彼と連絡を取ることができた。それはコロナ禍、ディランが突然、ジョン.F.ケネディ暗殺をテーマにした17分間に及ぶ壮大な新曲「最も卑劣な殺人」を発表した後のことだった。



ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞して以来、自身のホームページに掲載されているもの以外では本格的なインタビューは受けていなかった。だが今回、彼はカリフォルニア州マリブの自宅から電話取材に応じることを承諾してくれた。

結果として、このインタビューは新作アルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』の発売前に行われた唯一のインタビューとなった。

『ラフ&ロウディ・ウェイズ』はオリジナル楽曲を収録したアルバムとしては2012年発表の『テンペスト』以来の作品だ。米国では6月19日に発売され、日本盤は7月8日に発売された。

「ジョージがあんなふうに殺されるのを見て本当に胸くそ悪い」


ディランとの会話でありがちなように、『ラフ&ロウディ・ウェイズ』は複雑な領域をカバーする──トランス状態、賛美歌、反抗的なブルース、愛の切なさ、コミカルな併置、いたずらな言葉遊び、愛国的な情熱、独立独歩の不動の精神、叙情的なキュビズム、晩年の思考や精神的な充足感。

精力的な名演奏を披露する「グッバイ・ジミー・リード」でディランは、熱いハーモニカのリフと猥雑な歌詞で知られるミシシッピのブルースマン、ジミー・リードを称える。

スローなブルース「クロッシング・ザ・ルビコン」では、「皮膚の下の骨」を意識し、死ぬ前にすることに思いをめぐらせる──「煉獄から北に3マイル、あの世の一歩手前/十字架に祈りを捧げ、女の子たちにキスをして、ルビコン川を渡った」

「マザー・オブ・ミューズ」は自然界、ゴスペル聖歌隊、そしてウィリアム・テカムセ・シャーマンやジョージ・パットンといった軍人たちへの賛歌だ。こうした軍人たちが「プレスリーの歌のために道を切り開き/キング牧師のために道を切り開いた」と歌う。

「キーウェスト(フィロソファー・パイレート)」は、国道1号線を走ってフロリダキーズまで行く道のりを舞台にした不死についての優美な黙想だ。ダニー・ヘロンのアコーディオンはまるでザ・バンドのガース・ハドソンのそれを思わせる。この曲でディランは(ビート・シェネレーションの)「キンズバーグ、コーソ、そしてケルアック」に敬意を示す。

もしかしたらディランは、いつかジョージ・フロイドに捧げる曲を書くか、または絵を描くかもしれない。1960年代から70年代、公民権運動の黒人リーダーたちに倣ってディランもまた、「ジョージ・ジャクソン」、「しがない歩兵」、「ハッティ・キャロルの寂しい死」などの曲を通して、特権を有する白人の傲慢さや人種的憎悪の邪悪さを暴露した。

警察と人種に関するディランの最も激しい言葉の1つは、1976年のバラード「ハリケーン」にある──「パターソンではそういうものだ/黒人なら通りには出ない方がいいかもしれない/関心を引きたいわけでなければね」

ミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドが殺害された後、私はディラン(79)に短い追加インタビューを行った。ディランは自分が生まれ育った州で起きた恐ろしい事件に明らかに衝撃を受け、落ち込んでいるようだった。

ディランはこう言った。

「ジョージがあんなふうに苦しめられて殺されるのを見て本当に胸くそ悪い思いをした。卑劣を超えた行為だ。フロイドの家族とこの国に早く正義がもたらされるのを願おう」

以下は、2度にわたったディランとの会話を抜粋し編集したものである。

「テクノロジーは、あらゆる人をより脆弱にする」


──「最も卑劣な殺人」は、忘れられた過去へのノスタルジックな賛美として書かれたのでしょうか。

あれはノスタルジックなものではない。「最も卑劣な殺人」は過去を賛美するものでも、忘れられた時代に思いを馳せるものでもない。この曲は現代に語りかけるものだ。私にとっては常にそうで、とりわけ歌詞を書いているときはそうだった。

──ケネディー暗殺についてあなたが書いた一連の未発表の文章が1990年代、オークションにかけられましたが、それはエッセイのために書いた散文だったのでしょうか、それとも 「最も卑劣な殺人」のような曲を以前から書きたいと思っていたのでしょうか。

ケネディーに関する曲を過去に書きたいと思ったことはない気がする。オークションに出される文章の多くは偽物だ。偽物を見破るのは簡単だ。偽物にはいつも用紙の一番下に誰かが私の名前をサインしているからね。

──17分に及ぶ「最も卑劣な殺人」が、あなたにとって初のビルボードNo1ヒットになったことに驚きましたか。

うん、驚いたよ。

──「アイ・コンテイン・マルチチュード」にこんな印象深い歌詞があります。「私は生と死と同じベッドで眠る」人はある一定の年齢に達するとそんなふうに感じるもののような気がします。死についてよく考えるのでしょうか。

人類の死については考える。裸のサルがたどってきた長く奇妙な旅路。別に軽々しく考えているわけではないが、誰の一生も儚いものだ。どんなに強く偉大な人物も、死を前にすればもろい。私は自分の死ではなく、一般的な概念としての死について考える。

──「最も卑劣な殺人」は終末的な雰囲気に満ちています。2020年、私たちはもう後戻りはできないところまで来てしまったと危惧されているのでしょうか。テクノロジーや超工業化は、地球における人類の未来にマイナスに作用するとお考えですか。

もちろん、こうしたことについて危惧すべき理由はたくさんある。以前より明らかにいまの方が不安や懸念は高まっている。だがそう感じるのは、君や私のような一定の年齢以上の者だけだよ、ダグラス。

私たちは過去に生きがちだが、それは私たちに限ったことだ。若者にそうした傾向はない。彼らに過去はないからね。彼らが知るのは、自分たちの目に映ること、耳に入ってくることだけだ。そして彼らは何でも信用する。いまから20年後、30年後、社会の前線に立っているのは彼らだ。

10歳の子供がいたとする、20〜30年後には彼が世の中を仕切っている。だが彼は、私たちが知る世界のことは何ひとつ知らない。いま10代の子供たちは、思い出すべき思い出がない。私たちは、できるだけ早く彼らの感覚を身につけるのが最善だろう。それが現実になるわけだからね。

テクノロジーに関して言えば、テクノロジーは、あらゆる人をより脆弱にする。だが若者は、そんなふうには考えていない。彼らはそれほど気にしていない。彼らはテレコミュニケーションや先端技術がある世界に生まれた。私たちの世界はもう時代遅れだ。 

偉大なアーティストが影響を受けたアーティスト


──「偽預言者」の歌詞「私は最高の者たちの最後の1人/他の者は葬って構わない」を聞いて、ジョン・プラインとリトル・リチャードが最近亡くなったことを思い出しました。彼らの死後、彼らをトリュビュートするような形で彼らの曲を改めて聞いたりしましたか。

2人とも、それぞれに仕事で大きな成功を納めた。彼らはトリビュートなど必要としていない。彼らが何をしたか、何者か、誰もが知っている。彼らは受けた敬意や賛辞に値するだけのことをした。それは疑う余地がない。だが私はリトル・リチャードと共に育った。

彼は私より前にこの世界にいて、私の視界に明かりを灯してくれた。自分1人では知り得なかったことを教えてくれた。だから彼には特別な思いを抱いている。ジョンは私より後に来た。だからリトル・リチャードとは違う。2人に対する思いはそれぞれに異なる。

──リトル・リチャードのゴスペル曲は、なぜもっと多くの人に注目されなかったのでしょうか。

ゴスペルというのは、グッドニュース(福音)の音楽だが、いまどきグッドニュースなんてないからじゃないかな。今日の世界におけるグッドニュースは、放浪者のようなものだ。ならず者のように見られ、疎まれ、非難される存在だ。

今日あるのは、良いことなど1つもないニュースばかりで、これはマスコミ業界のせいだ。彼らは人々を動揺させる。ゴシップや暴露話を報じ、暗いニュースで人々をうんざりさせたり、恐怖に陥れたりする。


ロックンロールの創始者、リトル・リチャード。多くのアーティストが彼の影響を受けた
Photo: Anna Bleker


一方、ゴスペルのニュースは模範的だ。人を励ますもので、それに沿った生き方をしたり、それを試みたりすることができる。それも誇りを持って、道義をもってそうできる。ゴスペルには真実の理論が含まれているが、多くの人にとってそれは重要なことではない。

人々は生き急いでいる。あまりにも多くの悪い影響を受けている。人々の関心を引きたければ、セックス 、政治、殺人に焦点を当てればいい。こうしたテーマに私たちは興奮するもので、それが私たちの問題だ。

リトル・リチャードは偉大なゴスペル・シンガーだった。だがゴスペルの世界では、アウトサイダーやよそ者のように見られていたように思う。ゴスペル界は彼を認めなかった。

一方、ロック界は当然、彼には「グッド・ゴリー・ミス・モリー」を永遠に歌っていて欲しいと願っていた。そんなわけで彼のゴスペル曲は、ゴスペル界からもロック界からも受け入れられなかったんだ。

シスター・ロゼッタ・サープにも同じことが起きた気がする。だがリチャードもサープも、そんなことにこだわる人たちではない。彼らは高潔の人と呼ばれたような人たちだ。本物で、才能に溢れ、己を知っていた。周りに振り回されたりしなかった。リトル・リチャードはそんな人だった。

ロバート・ジョンソンもそうだった。もっとすごいかもしれない。ロバートは音楽史上もっとも独創的な天才の1人だ。だがたぶん彼には聴衆がいなかった。

彼は時代を先取りしすぎていて、私たちはいまだに彼に追いついていない。彼の地位は今日、この上なく高い。だがロバートの時代、彼の音楽は、聴く者を混乱させたに違いない。これは、偉大な者は独自の道を歩むことの証に他ならない。

──アルバム『テンペスト』には「ロール・オン・ジョン」というジョン・レノンに捧げる曲があります。他にも誰か、バラードを捧げたい人はいますか。

ああいう曲は私の場合、突然、どこからともなく浮かぶんだ。どの曲も書く予定のなかった曲だ。そう言いつつも、どういうわけか自分の潜在意識にいる著名人というのが何人かいるようだ。

人名が出てくる曲で、意図して書いたものは1つもない。こうした曲はどれも天から落ちてきたようなもので、他の人同様、自分でも、なぜそれを書いたのか不思議でならない。

だが人に関する曲は、フォークの伝統でもある。(アフリカ系米国人の英雄)ジョン・ヘンリーミスター・ガーフィールド(ジェームズ・ガーフィールド大統領)、ルーズベルトの曲があるようにね。私は単に、こうした伝統に囚われているだけのような気がする。

──あなたはいろんな曲のなかで多くの偉大なアーティストを称賛しています。「最も卑劣な殺人」のなかでドン・ヘンリーやグレン・フェリーの名前を挙げているのは少し意外でした。イーグルスの曲で特に好きなのはどれですか。

「ニュー・キッド・イン・タウン」、「駆け足の人生」、そして「お前を夢見て」。あれは史上最高の曲の1つだ。


2012年1月カリフォルニア州ロサンゼルスで開催された第17回放送映画批評家協会賞のステージで
Photo: Christopher Polk / Getty Images / VH1


──「最も卑劣な殺人」にはアート・ペッパー、チャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンク、オスカー・ピーターソン、スタン・ゲッツの名前も出てきます。長いキャリアのなかで、ソングライターや詩人としてのあなたにジャズはどんなインスピレーションを与えたのでしょうか。最近よく聞くジャズ・アーティストはいますか。

初期のマイルズ(・デイビス)かな。キャピトル・レコード時代のね。でもジャズってなんだ。

デキシーランド、ビバップ、フュージョン? 何をもってジャズというのか。ソニー・ロリンズ? ソニーのカリプソは好きだが、あれはジャズだろうか。ジョー・スタッフォードジョニ・ジェイムスケイ・スター? 彼らは皆、ジャズ・シンガーだったと思う。それとキング・プレジャー、彼こそまさに私にとってのジャズ・シンガーだ。

よくわからないが、ジャズというカテゴリーにはどんな音楽も入れられるような気がする。ジャズの歴史は、いわゆる「狂騒の20年代」までさかのぼる。ポール・ホワイトマンは「ジャズの王様」と呼ばれた。でもレスター・ヤングにそう言っても、きっと通じないだろう。

こうしたミュージシャンにインスパイアされたかというと、された。たぶん、かなりね。歌い手ではエラ・フィッツジェラルドに。ピアノ奏者ではオスカー・ピーターソンに確実にインスパイアされた。

ソングライターとしてインスパイアされた曲があるかというと、ある。(セロニアス・)モンクの「ルビー・マイ・ディア」だ。この曲を聞いて、その路線の何かを作ろうと一定の方向に導かれた。あの曲を何度も何度も繰り返し聞いたのを覚えている。(つづく)

ボブ・ディラン「なんでアンネ・フランクを登場させたかって?」

Photo:  Fiona Adams / Redferns / GettyImages

Photo: Fiona Adams / Redferns / GettyImages

コロナ禍に突然、ジョン.F.ケネディ暗殺をテーマにした17分間に及ぶ壮大な新曲「最も卑劣な殺人」を発表したボブ・ディラン。一体、彼の頭の中はどうなっているんだろうか? 音楽のことはもちろん、コロナ、そして健康について、カリフォルニア州マリブの自宅からたっぷり語った。


──アドリブ演奏は、あなたの音楽においてどんな役割を果たしていますか。

いっさいなんの役割も果たしていない。いったん曲を作ったら、その曲の本質を変えることはできない。ギターやピアノのパターンを曲の構造に沿った形で変えて、そこから演奏することはできる、でもそれはアドリブとは違う。アドリブは良い演奏にも悪い演奏にもなりうるが、私が目指すのは一貫した演奏だ。

基本的には同じ曲を何度も何度も、できる限り完璧な形で演奏することだ。

──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には驚くほど自伝的な要素が含まれています。最後の2節は、とてもストイックな感じですが、他の部分はユーモラスな告白です。あなた自身、そして人間一般が本質的に持つ、相反する面に取り組むのは楽しかったですか。

取り組む、というほどのものではなかった。意識の流れから生まれた言葉を積み重ね、そのままにしておいてから、そこから何かを引き出していく。この曲では、最後のいくつかの節が最初にできた。だから曲は、常にそこへと向かって行く形をとる。言うまでもないが、この曲の核心はタイトルにある。よくある直感的に書いた曲だ。一種のトランス状態でね。

最近書いた曲の大半はそんな感じだ。歌詞は文字通りのことで明白。比喩ではない。曲は自らを理解し、ボーカル面でもリズム面でも私が歌いこなせることを知っている。曲はある意味ひとりでに出来上がって、私がそれを歌うのを当てにしているような感じだ。

──この曲にも多くの人名が出てきます。アンネ・フランクとインディアナ・ジョーンズの名前を並べたのはどういうわけでしょう。

アンネ・フランクの話はすごく重要な話だ。深い話だ。だがこれについて語ったり、別の形で表現したりするのは難しい。特に現代のカルチャーにおいてはね。何しろ人々のアテンション・スパン(集中できる時間)がうんと短くなっている。
 
アンネの名前をあなたは、その文脈から抜き取ったが、彼女はトリロジー(3つで1つのもの)の1つだ。あなたは、こう聞くこともできたはずだ。「なぜインディアナ・ジョーンズやローリングストーンズを登場させたのか」とね。

これらの名称は単独で存在するわけではない。3つが合わさることで、単独では醸し得ないものを醸す。これについてあまり詳細に語るのは野暮だ。曲は絵画と同じで、近づきすぎると全体が見えない。個々のパーツは、全体の一部でしかない。

「アイ・コンテイン・マルチチュード」はトランス状態のような状態で書いた。いや、トランス状態のような状態、ではなく、トランス状態で書いたものだ。

実際、私はこんなふうに物事を感じている。これが私のアイデンティティで、それを疑う余地はないし、疑う立場にもない。どの1行にも一定の意図がある。この3つの名前は、この世界のどこかで、それが象徴するに至っただけのことをして、その結果、この曲のなかに共に封印された。

なぜかとか、どこで、どのようにしてそうなったのかを説明することはとてもできない。でもいま言ったことが、この件にまつわる事実だ。


SHANGHAI, CHINA – APRIL 08: (CHINA OUT) Bob Dylan performs on stage during his concert at the Shanghai Grand Stage on April 8, 2011 in Shanghai, China. (Photo by Visual China Group via Getty Images)


──けれどもインディアナ・ジョーンズは架空の人物では?

そうだ。だがジョン・ウィリアムズのスコアが彼に生命を吹き込んだ。あの曲がなければ、たいした映画にはならなかったはずだ。あの音楽が、インディーに命を与えたんだ。「アイ・コンテイン・マルチチュード」にインディーが登場する理由の1つは、それかもしれない。わからない。3人の名前は同時に頭に浮かんだ。

──「アイ・コンテイン・マルチチュード」にはローリング・ストーンズも登場します。興味本位で伺いますが、ストーンズの曲で、自分のだったら、と思う曲はどれでしょう。

うーん、わからないな、「悲しみのアンジー」かな。あと「ヴェンティレイター・ブルース」と、それから、ちょっと考えさせて。ああ、そうだ、「ワイルド・ホース」だ。


──チャーリー・セクストンは1999年から数年にわたってあなたと一緒に演奏し、2009年、再びあなたのバンドに戻ってきました。彼はなぜ、これほど特別なギタリストなのでしょうか。2人はまるでお互いの心が読めるように見えます。

チャーリーに関して言えば、彼は誰の心も読める。だがチャーリーは曲も書くし、歌も歌う。そしてバンドを食っちゃうほど見事なギターを弾く。私の曲で、チャーリーがその一部だと感じない曲はない。彼はいつだって私と一緒に素晴らしい演奏をしてきた。

「偽預言者」はこのアルバムに含まれる3つの12小節ブルースの1つだが、チャーリーはどの曲でもいい演奏をしている。

彼は自分を主張するようなギタリストではない。やろうと思えば、それもできるけどね。とても抑制が効いた演奏をする。だがその気なれば、爆発することもできる。古典的な演奏スタイルだ。とても伝統的なね。曲に挑むというより、曲のなかに宿る感じだ。私とはいつもそうやって演奏してきた。

──この数カ月間、マリブの自宅でどんな巣篭もり生活をしてきましたか。溶接したり、絵を描いたりすることはできましたか。(ディランは金属を用いた造形アートの制作も手がける)

そうだね、少しはね。

──自宅で音楽的にクリエイティブになれますか?プライベート・スタジオでピアノを弾いたり、あれこれ試したりされていますか。

そういったことは、たいていホテルの部屋でする。私にとっては、ホテルの部屋がプライベート・スタジオに最も近い空間だ。

──家のすぐそばに太平洋があることは、このパンデミックを乗り切る上で、精神的な助けになっていますか。「ブルー・マインド」という理論があって、いわく、水のそばに暮らすことには治癒的な効果があるそうです。

その理論は信じられるね。「クール・ウォーター」、「遥かなる河」、「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」どれも聞くと癒される感じがする。何が癒されるのかは、わからないけどね。自分でも自覚していない何かが癒されるのかもしれない。一種の治癒。スピリチュアルな何か。水はスピリチュアルなものだ。

「ブルーマインド」っていうのは聞いたことがなかった。何だかスローテンポなブルースか何かのようにも聞こえる。ヴァン・モリソンが書きそうな曲だ。もしかしたら書いていたりして。わからないけどね。


──あなたの曲をフィーチャーしたミュージカル『北国の少女(Girl From The North Country)』がちょうど各紙で絶賛されていたときに、新型コロナのために公演が中止になったのはあまりに残念です。この舞台を、あるいは舞台のビデオをご覧になりましたか。

もちろん見たよ。そして感動した。一般客として見たんだ。作品の関係者としてではなくね。ただ身を委ねて見ていたら、最後には泣いていた。理由はわからない。幕が降ろされたときには、ぼうぜんとしていた。本当にぼうぜんとしていたんだ。もう一度、見たかったから、ブロードウェー公演が中止になって残念でならない。

──このパンデミックを聖書的な観点から捉えたりすることはありますか。世界を襲った疫病、というように。

これは、この先、来る何かの前触れのような気がする。確かに襲撃ではある。広い範囲に及ぶね。だが聖書的かというと、どうかな。例えば、過ちを悔い改めるよう告げる一種の警告のようなもの、ということかな。

だとすれば世界は何らかの天罰を下されようとしていることになる。行き過ぎた傲慢さには、厳しい罰が下る。もしかしたら私たちは破滅の前夜を生きているのかもしれない。このウイルスは、いろんなふうに捉えられる。私はただ、なすがままにするしかない気がしている。

──あなたのすべての曲のなかで「マスターピース」は、時を追うごとに私のなかで大きな存在になってきています。最近のコンサートでこの曲をよく演奏するのは、どうしてですか。

この曲は私のなかでも大きな存在になってきている。この曲は古典の世界、手の届かない世界と関係している曲だと思う。自分の経験を超えて、行ってみたいと思うところ。限りなく至高の一級品。それを知ったら、もうそこから降りてこられない。想像を超えたものを達成すること。あれはそんな曲だ。その文脈を考える必要がある。

だが、たとえ自らの最高傑作が完成したところで、その後はどうする? 当然、また最高傑作を生み出さなくてはならない。つまり、終わりのないサイクルが待っている。一種の罠ってわけだ。もっともあの曲は、そこまではいってないけどね。

──数年前、あなたが「サマー・デイズ」をブルーグラス風に演奏するのを聞きました。ブルーグラス・アルバムの制作を考えたことは?

それはない。ブルーグラス音楽はミステリアスで、深いルーツを持っていて、まさにそれを演奏しながら生まれでもしない限り、できないような音楽だ。優れた歌い手だからとか、あれがうまいとか、これがうまいから、というだけでブルーグラス・バンドはできない。クラシック音楽のようなものだ。

ハーモニックで瞑想的だが、激しい面もある。オズボーン・ブラザーズを聞いたことがあれば、わかるはずだ。厳格な音楽で、一定以上、解釈を広げられない。ビートルズがブルーグラス・スタイルで演奏するなんていうのはナンセンスだ。間違ったレパートリーだ。やってしまったけどね。

私が演奏する曲のなかには確かにブルーグラスの要素が入っているものがある。とりわけ激しさや曲のテーマにそれが見られる。でも私の声は高音のテノールではないし、バンドに3パーツ・ハーモニーやバンジョーがいつもあるわけではない。ビル・モンローをよく聞くが、私自身は自分が一番うまくできることをやるようにしている。

──健康状態はいかがですか。とてもお元気そうですが、どのようにして心と身体の調和を保っているのでしょうか。

これは大きな質問だね。どうすれば、できるんだろうね。心と身体はつながっている。双方の間に何らかの合意がなければならない。私は心を魂、身体を実体と捉えたい。でも、どうすればこの2つを1つにできるかは、まったくわからない。私はただまっすぐ歩いて、そこからはずれず、その状態を保とうとしているだけだ。

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安藤麻吹さんによるXでのポスト

名作だこれ... 刺さりまくりで ずっと苦しかった ずっと私自身が問われ続けていたような... 混沌とした葛藤の中に身をおき 苦しんだ事 今もなお苦しみもがいている人間には 感じるとこ多しでは?いい意味でとても心が乱れた 早く観れば良かった あと何回か観たい #果てしなきス...