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スヴェン・ニクヴィストが黒澤明との出会いについて語る:
「『犠牲』での色彩削減の仕事が、結局、私に大監督のひとり、私のヒーローの一人である日本人アキラ・クロサワとの出会いを引き起こした。かつて、彼とフェリーニ、そしてイングマール・ベルイマンが一緒に時代劇映画を撮るという本気の計画があった。イングマールとフェリーニはローマで会ったが、クロサワは現れず、結局その映画は実現しなかった。
『犠牲』が公開されて数年後、私は日本で産業向けのコマーシャルフィルムを撮影するというオファーを受けた。これまでそこで働く機会はなかったし、仕事は報酬も良かった。それに、もしかしたらクロサワに会えるかもしれないと思った。だから、その仕事を引き受けた。
私は残念ながらかなり内気な人間で、普通は自分から連絡を取ったりしないタイプだ。だから、任務がほぼ終わりを迎えた2週間後、私はクロサワに会うことなく帰国する羽目になりそうだった。でも、またしても運が良かった。クロサワはその時、80歳近く(1910年生まれ)で、名誉ある国家的な功労賞を受けようとしていた。彼の名誉を祝う盛大なパーティーが開かれた。主催委員会は、私が町にいることに気づき、実際に私を招待してくれた。
『犠牲』はご存知の通り、日本との共同制作で、映画が東京で初めて上映された時、多くの注目を集めた。それは私の訪問の少し前だった。クロサワはその映画を見ていた。そして驚くべきことに、突然彼の方から私に会いたがるようになったのだ! 彼は、色彩削減をどうやって実現したのか、絶対に知りたがっていた。
私たちが紹介されるとすぐに、彼は私をディナーの間、邪魔されずに座って色彩削減のプロセスについて話し合える別室に連れて行った。そんな夜は決して忘れられない。
私はまた、彼がなぜローマに現れなかったのか尋ねた。『僕が恥ずかしかったんだ』と彼は言った。『ベルイマンとフェリーニは僕には大きすぎるよ』と。」
— スヴェン・ニクヴィストとベングト・フォースルンドによる「光への敬意」(1997年刊)、Nostalghia.com のトロン・S・トロンセンによる抜粋翻訳
⬇️ スヴェン・ニクヴィスト(左)『犠牲』(1986)のセットにて / 黒澤明『乱』(1985)のセットにて。
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