2026年10月20日火曜日

黒澤明が、三船敏郎の葬儀に届けた最後の言葉 #黒澤明 #三船敏郎 #感動する話

https://youtube.com/shorts/23pq6jKHOkg?si=tsePDLFLe2fBe_xt  黒澤明の弔辞は新聞にも掲載されていた。 《こんなつらい思いはしたことがない。二人で撮った16本の映画。僕たちは、共に日本映画の黄金時代を作ってきたのです。 今その作品のひとつひとつ振り返ってみると、どれも三船くんがいなかったら出来なかったものばかりです。 君は本当によく演ったと思う。 三船君、どうもありがとう! 僕はもう一度、君と酒でも飲みながらそんな話がしたかった。 さようなら、三船君。また会おう…、黒澤明の三船への弔辞を読む香川京子さん


平成十年一月二十四日に行われた三船の葬儀・告別式では、生前に親しかった千秋実や香川京子らが弔辞を読んだが、黒澤は体調不良で出席できず、息子の黒澤久雄が代読した。久雄は嗚咽を交えながら、毛筆で書かれた弔辞を読み上げた。(以下・原文ママ)

《三船君、今日は君の葬式だというのに、僕がそこへ行けない、ということを、まず、謝ります。いまだに足の具合が悪くて、表に出られないのです。僕もこんなに辛い思いをしたことは今までありません。三船君、君と最後に会ったのは、本多猪四郎君の葬式の時だったと思う。君の体調が良くないと聞いていたので、そこで会うとは思わなかった。顔色も勝れず、痩せていたので、「大丈夫か」と言うと「ええ、大丈夫です」と笑って胸をそらせて見せたのが、君を見た最後の姿だ。そう考えると、ずい分、長い間、会っていないことになる。僕が三船君のことを思う時、君は『酔いどれ天使』の松永だったり、『七人の侍』の菊千代だったり、『用心棒』の三十郎だったりするのだ。彼らはいつまでも僕の中に生きているのです。だから、三船君が、この世からいなくなったとはどうしても思えない。昭和二十一年、敗戦直後の日本は、活気に溢れていた。東宝の第一期ニューフェイス試験で、山本嘉次郎さんが、型破りの応募者、三船敏郎を発見した日のことをよく憶えています。その後、谷口千吉第一回作品『銀嶺の果て』で三船君はデビューし、翌年、僕の『酔いどれ天使』で主役のやくざを演じました。その時、僕は、今までの日本の俳優には見られなかった、三船君のスピーディな演技にド肝を抜かれました。それでいて、驚くほど繊細な神経と、デリケートな心を持っているので、荒っぽい役でも、単なる粗暴な性格にはならないところが魅力でした。とにかく、僕は、三船という役者に惚れこみました。『酔いどれ天使』という作品は、三船というすばらしい個性と格闘することで、僕はやっと、これが俺だ、というものが出来たような気がしています。もし、三船君に出合わなかったら、僕のその後の作品は、全く違ったものになっていたでしょう。

 僕たちは、共に日本映画の、黄金時代を作って来たのです。今、その作品の、ひとつ、ひとつを振り返って見ると、どれも三船君がいなかったら出来なかったものばかりです。君は本当によく演ったと思う。三船君、どうも、ありがとう!  僕はもう一度、君と酒でも飲みながら、そんな話がしたかった。さようなら、三船君。また、会おう。一九九八年一月二十四日 黒澤明》

サムライ 評伝 三船敏郎 (文春文庫) 

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黒澤明が、三船敏郎の葬儀に届けた最後の言葉 #黒澤明 #三船敏郎 #感動する話

https://youtube.com/shorts/23pq6jKHOkg?si=tsePDLFLe2fBe_xt  黒澤明の弔辞は新聞にも掲載されていた。 《こんなつらい思いはしたことがない。二人で撮った16本の映画。僕たちは、共に日本映画の黄金時代を作ってきたのです。 今...