2026年10月7日水曜日

ユリシーズとイノック・ガーデン

 クリストファー・ノーランとしては意外な“現在の社会的な先進性”への合流|Real Sound|リアルサウンド 映画部

クリストファー・ノーランはなぜ古典的な英雄譚に挑戦した? 『オデュッセイア』にみた変化

『オデュッセイア』にみたノーランの変化

 “出かけた男がなかなか帰らない”という展開は、現実の歴史でも星の数ほど存在したケースであろう。旅立つ男と、それを待つ女……狩りや戦争、あるいは会社勤めや出張など、男性が外の世界へ出ていき、女性が家でその帰りを待つという構図は、数多の物語や演劇、映画においても、何度となく描かれてきた。

 設定上では、故郷イタケへなかなか帰り着かない展開に陥ってしまうのは、ポセイドンの怒りを買ったからだとされている。しかし冷静に見ると、オデュッセウス一人しか帰り着いていないため、荒唐無稽ともいえる冒険の数々を他に証明してくれる者がいないというのが、興味深いところだ。これは例えば現代の男性会社員が、仕事が終わってもすぐには自宅へ帰らず、飲食店やバー、居酒屋などに入り浸ってしまい、あり得ないような言い訳を妻に力説しているような構図に見えてこなくもない。

 つまりオデュッセウスは、物語の真贋にかかわらず、単になかなか帰れないだけでなく、深層心理で帰ることを拒否していたようにも感じられてくるのである。であれば、何が彼をそうさせていたのか。この理由を考える上では、戦地に行った兵士の心理がヒントになるだろう。例えばベトナム戦争を題材にした『ディア・ハンター』(1978年)や『地獄の黙示録』(1979年)といった映画作品では、やはり本国に帰ろうとしない軍人が描かれた。実話を基にして、ベトナム戦争から帰還した後を描く『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(2026年)では、アメリカに帰国した後にもフラッシュバックに苦しむ元兵士の姿が映し出される。

 身体がどこにあろうと、その精神は激しい戦いや虐殺がおこなわれたベトナムの地に縛られ、離そうとはしてくれない。そうした感覚がトロイア戦争後のオデュッセウスにはあったのではないだろうか。どこにいても、結局は戦地へと引き戻されてしまう。それが“帰れない”ということの本質なのではないか。それが、戦争の加害によるPTSD(心的外傷後ストレス症)に由来していたという、本作独自の解釈による真相部分へのアプローチが、非常に現代的だといえる。

 このように捉えることで、荒唐無稽であまりにも困難で長い帰路が、自分の心理に向き合うために必要な時間であり、贖罪のための重圧だったという理解ができるのである。『ダンケルク』(2017年)では描かなかった戦争観や、『オッペンハイマー』(2023年)で顔を見せた加害への罪悪感というものが、ここでは詩として、あるいは冒険活劇として、かたちを変えて展開し、ノーラン監督のテーマ的な作家性を補完するように作用している。

 そうした作品の奥行きが、今回多くの観客に届いて大きなヒットに繋がったのかは分からない。だが少なくとも、こうした冒険譚が、これまで表面的な難解さを持っていたノーラン作品を、『オデュッセイア』という物語が、普遍的な明快さへと近づけたのは確かなところだろう。そして、その多くの観客が、実際に戦争が次々に起きている現在に、加害の傷に向き合うことになったのは、意義深いものがある。

 そうした現実の痛みを背負った冒険の帰還を描くだけでなく、本作のラストでは、ジェンダーロールや、男性だけが外に向かうというステレオタイプな観念からの解放が提示される。これは、ノーラン監督としては意外ともいえる、現在の社会的な先進性への合流である。

 そうした試みは、ポーズというわけでもなさそうだ。『インセプション』(2010年)でヒロインを演じさせたエリオット・ペイジ(当時はエレン・ペイジ)を、ここでは兵士シノン役にキャスティングしているのである。トランスジェンダー俳優として活躍する彼を、再び呼び戻したことや、伝統的に白人がキャスティングされることが多かったギリシャの時代劇に、ルピタ・ニョンゴやゼンデイヤを出演させることも同様だ。

 クリストファー・ノーラン監督は、罪悪感と向き合う物語のなかで、内にこもっていくのでなく、こうした開かれた方向で世界と繋がることで、精神的な解放へとオデュッセウスを導いているように思える。逆に言えば、われわれは常に新たな世界に目を向け、自分の観念を押し広げていくことでしか、真の意味で自由にはなれないのではないか。そのことを、ノーラン監督は自身の作品のなかで実践するに至ったのではないかと思えるのである。

■公開情報
『オデュッセイア』
全国公開中
出演:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
配給:ビターズ・エンド、ユニバーサル映画
© 2026 UNIVERSAL STUDIOS
photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://odyssey-film.jp
公式X(旧Twitter):https://x.com/odysseyfilmjp

小野寺系(k.onodera)

映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

小野寺系(k.onodera)の記事一覧はこちら

https://x.com/plan_sequence/status/2107670880939856307?s=61


Enoch Arden (1911) D.W. Griffith https://youtu.be/kZaqJNadwWs?si=lgW8MsCwVVy-gt4y @YouTubeより


https://youtu.be/kZaqJNadwWs?si=lgW8MsCwVVy-gt4y


 D・W・グリフィスの作品 1911年(5) - 映画中毒者の映画の歴史
https://cinedict.hatenadiary.org/entry/20061224/1166964630

D・W・グリフィスの作品 1911年(5)

「ENOCH ARDEN(イノック・アーデン)」

 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。

 アルフレッド・テニソンの原作の映画化。グリフィスはすでに「THE UNCHANGING SEA(不変の海)」(1910)で、同原作を元にした作品を映画化しているが、内容的には簡略されており、ラストも違う。だが、今回の映画は、細部が省略されている部分が多々あるとはいえ、大筋の流れは原作に沿ったものとなっている。この違いは何か?

 その秘密は、この作品を語るときの決まり文句である次の点に要約される。この作品はD・W・グリフィスにとって初の2巻物(約30分)の作品なのだ。それまでのグリフィスは所属していたバイオグラフ社の方針により、1巻物(約15分)以上の作品を製作したことはなかった。この作品も、会社の命令で1巻ずつに分けて公開されたのだが、観客の「1本の作品として続けてみたい」という要望の声が高く、通常の2倍の入場料を取って公開することになったのだという。「THE UNCHANGING SEA(不変の海)」の2倍の時間を使えることにより、グリフィスは原作の大筋を映画化できるようになったというわけである。

 生活費を稼ぐために妻と子を残して海へ出たイノック・アーデンだが、嵐に遭遇して無人島に漂流する。そんな夫の帰りをひたすら待つ妻のアニーは、彼女を愛するフィリップの再婚の申し出も断る。10年以上が経過し、ようやく救助されたイノックが戻って見たものは、ついにフィリップの再婚の申し出を受け、フィリップとの子供をあやすアニーの姿だった。

 グリフィスは手堅い演出で、感動的な物語を仕上げている。しかし、厳しい見方をすると、時間が長くなって長いストーリーを語ることができるようになったためか、ストーリーに頼りすぎているようにも感じられた。これまでの1巻物のグリフィスの作品には、ストーリーを長く語ることをできない分、それを補ってあまりある叙情的なシーンがある作品があったのだが、この作品にはそこまでのシーンを感じられなかった。とはいえ、救助されたイノックが再婚したアニーの姿を窓から覗き見るシーンなどで、その片鱗は見ることはできる。


(DVD紹介)

「Biograph Shorts 」

 バイオグラフ社監督時代のD・W・グリフィスの作品を集めた2枚組DVD。ほぼ15分程度の短編が、全23作品収められている。デビュー作「ドリーの冒険」も収録。

 アメリカのamazonから輸入して買うことができるが、もちろん英語。それでも買いたいと思う人は、下記サイトが参考になります。

http://dvd.or.tv/

注意!・・・amazonでは「リージョン1」となっていますが、私が持っている日本国内用の「リージョン2」のプレーヤーでも再生できました。リージョンは「オール」と思われますが、実際に購入して見られなくても責任は負いません。

Enoch Arden (1911 film)

Plot

Enoch Arden and Philip Ray are rivals for the affections of Annie Lee. Annie marries Enoch.

Later, with three small children to support, Enoch is offered the opportunity to "recoup his fortunes" on a sea voyage. Annie gives her husband a locket containing a curl of their baby. Enoch's ship founders in a tropical storm. Only Enoch and two other crewmen make it to shore, where they are marooned. Eventually only Enoch remains alive.

Meanwhile, Annie never gives up hope of Enoch's return, and rejects Philip's proposal. The years pass, and two of Annie and Enoch's children become young adults. Philip persists, and finally, at the urging of her children, Annie marries him.

Enoch is rescued and returns home. Finding his old place empty, he goes to the inn, where he overhears a gossip and learns what has happened to Annie. He peeks in the window of Philip's house and sees the owner with his and Annie's baby in his arms. Enoch decides not to reveal himself. He returns to the inn and dies. The gossip sees the locket and realizes who he is. She prays.


ユリシーズ#16

。 「カムデン砦とカーライル砦だ。 そこが私の出身地だ。 私はそこの人間だ。 そこが私の出身地だ。 私の小さな女房はあそこにいる。 私を待っているんだ、分かってる。 『イングランド、家庭、そして美のために』彼女は私自身の本当の妻で、私はもう7年も会っていない、航海していてな」 ブルーム氏は、この場面での彼の到来、デイヴィー・ジョーンズ(海の悪魔)を出し抜いた後の船乗りの道端の小屋への帰還、盲目の月のある雨の夜を容易に描くことができた。 妻のために世界を横断する。 その特定の『アリス・ベン・ボルト』の話題についてはかなりの数の物語があった、『イノック・アーデン』や『リップ・ヴァン・ウィンクル』、そしてこの辺りで誰か『カオク・オリアリー』を覚えているだろうか、哀れなジョン・ケイシーによるお気に入りで最も試練となる朗読作品であり、それなりに完璧な詩の一部だ。 家出した妻が戻ってくることについては決してない、不在者にどれほど献身的であっても。 窓の顔! 彼がついにテープを切り(ゴールし)、彼のより良き半身(妻)に関する恐ろしい真実、彼の愛情における難破が彼に明らかになった時の彼の驚きを判断せよ。 あなたは私をほとんど期待していなかったでしょうが、私は滞在し、再出発するために来ました。 そこに彼女は座っている、草の未亡人(夫が不在の妻)、全く同じ炉端で。 私を死んだと信じ、深海のゆりかごで揺られていると。



23 (U510.432)

窓に顔。ゴールのテープを胸で切り、

第23投。510ページ、432行目と出ました。

The face at the window! Judge of his astonishment when he finally did breast the tape and the awful truth dawned upon him anent his better half, wrecked in his affections. You little expected me but I’ve come to stay and make a fresh start.

 窓に顔。ゴールのテープを胸で切り、伴侶に関して恐るべき真実が彼の心中に立ち現れたとき、彼の驚きの判断は感情の海で座礁した。お前は思ってもみなかったのだろうが俺はここに留まり再出発するために帰ってきたのだ。

第16章。真夜中。娼館を後にしたブルーム氏はスティーヴンを介抱するため馭者溜りへとやってくる。そこでマーフィーと名乗る船乗りの話を聞いている。ブルーム氏の心中。

『ユリシーズ』は、章ごとに様々な文体と手法が用いられており、それを味わうのが楽しみとなる。筆者がはじめて通読したとき、第16章の語りが好みだった。

たわいのないことを難しい言い回しで述べたり、ことさら外国語をつかったり、陳腐な慣用句やことわざを多用したりする。文才を欠く人が修辞を凝らした言い回しをしようとし、アマチュア研究者が学のある文章を書こうとしているような、不思議な効果を出している。ジョイスはなぜこのような仕掛けを採用したのだろうか。

今回の一節も、言葉がいいたいことと微妙にズレていて、意味の取りにくい悪文となっている。真実(truth) やその類語は、事実(fact)などとともにこの章でよく使われる。ちっとも本当のことや事実がわからないのが、皮肉となっている。

さて、ブルーム氏はもう7年も家に帰っていないという船員の話を聞いて、その帰還の場面を空想している。

航海や出征など何らかの事情で長らく家庭を不在にした夫が、妻のもとへ不意に帰ってくる。さらに妻は別の男と暮らしている場合も・・・。こういう事件は実際にあったし、フィクションでもなんども取り上げらて来た。

Thomas Dunn Englishの詩、 Nelson Kneassの曲による『ベン・ボルト』(1843年)(U510.425)⇒Youtube

アルフレッド・テニスンの詩『イノック・アーデン』(1864年)(U510.425)

ワシントン・アーヴィングの短編小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』(1819年)(U510.426)

1860年代から1870年代にイギリスで起こった事件「ティッチボーン事件」(U531.1343)

これらは『ユリシーズ」作中で言及されている。

あと筆者が思いつくのは、

16世紀フランスで起こった「マルタン・ゲール事件」

(『帰ってきたマルタン・ゲール―16世紀フランスのにせ亭主騒動』ナタリー・ゼーモン・デーヴィス、平凡社ライブラリー)

ナサニエル・ホーソーンの小説『ウェイクフィールド』(1835年)、『緋文字』(1850年)

バルザックの小説『シャベール大佐』(1832年)

サマセット・モームの戯曲『夫が多すぎて』(1923年)

そもそも『ユリシーズ』の下敷きになっている『オデュッセイア』が、出征したオデュッセウスが長年の遍歴を経て妻ペネロペイアの元に帰還するという話で、この枠組はこの小説の重要なモティーフとなっている。

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映画『イノック・アーデン』のポスター(Poster for Enoch Arden)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Enoch_Arden_(1911_film).jpg?uselang=ja

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