2025年3月31日月曜日

サム・クックのテレビ出演映像のまとめ | Sam Cooke Taste Hunter

サム・クックのテレビ出演映像のまとめ | Sam Cooke Taste Hunter

サム・クックのテレビ出演映像のまとめ

$Sam Cooke Taste Hunter


いつでも動くサム・クックが拝めるように、テレビに映ったサムの動画を年代順に並べてまとめました。(初投稿2011年8月よりの再掲)

これぞ感動の、動くサム・クック・ワールドです(笑)



$Sam Cooke Taste Hunter




Sam Cooke / You Send Me
The Ed Sullivan Show (November 3, 1957)

苦いテレビ・デビューだった・・・。
番組の終盤にエド・サリヴァンが、あの映画「夜の大捜査線」で、シドニー・ポワチエと共演した白人ロッド・スタイガーの新作映画(RUN OF THE ARROW!)の宣伝の為に彼を呼び、話を聞いている間に時間を使い果たし、番組の最後で「ユー・センド・ミー」を歌う予定だったサムは、最初の章節を歌ったところで番組が終わってしまった。
サムはプラグを抜かれた事も気づかず、その後も何秒か口を動かしていたが、やがて馬鹿らしくなりステージを立ち去った。
この時の番組を楽しみに、ホテルのロビーにあるテレビで見ていたアレサ・フランクリンは激怒していた。
それは、黒人の誰もが人種偏見によるものだと感じていたからだ。






Sam Cooke / You Send Me
The Ed Sullivan Show (December 1, 1957)

前回のやり直しとしてエド・サリヴァンがサム側に電話で申し出て、改めてブッキングされた放送。
この映像は、番組の前半でサムが「ユー・センド・ミー」を歌って、後半の「フォー・センチメンタル・リーズンズ」を歌うためにサムが再び登場した時のサリヴァンの謝罪から始まる。
「先だっての夜、この番組で、私は若いサム・クックに失礼な事をしてしまいました。東海岸からお届けしていた時でした。サム、私はこれまでの人生で、あんなに沢山の手紙を貰った事はないよ。でもあの夜、観客と喝采は番組をはみ出してしまって、彼にちゃんと出演してもらう事が出来ませんでした。今夜は、番組の最初の方で登場していただきました。それではここで、彼に新しいヒット曲を歌ってもらいましょう。」
そしてサムは「フォー・センチメンタル・リーズンズ」を歌った。



Sam Cooke / For Sentimental Reasons
The Ed Sullivan Show (December 1, 1957)






Sam Cooke - (I Love You) For Sentimental Reasons

1958年1月5日、スティーブ・アレンの日曜夜のバラエティ番組で放送された。番組の台本から判断すると、作家はサムのパフォーマンスをもっと凝ったものにするつもりだったが、結局は切り捨てられた。その理由について、スティーブ・アレンが先に触れている。"98分くらいの番組があるんだけど、60分でできるかどうかが問題なんだ "と。
これはカラーで放映されたが、白黒のキネスコープとして出回っている。カラー録画はNBCのアーカイブに存在する可能性が高いが、短命の独自カラーフォーマット(レンチキュラーカラー)で録画され、現在では誰も再現する方法を知らない。米国議会図書館が実験中と伝えられている。


Sam Cooke receives gold record for "You Send Me"






Sam Cooke / Ol' Man River
The Steve Allen Show (March 2,1958)

エド・サリバン・ショーの時に見せたスーツ姿とは違い、ラフなオープン・カラーのシャツで、ポーズを決めたりカメラ・ワークに合わせて歩きながら歌うサム。
この放送があった同じ週の1958年3月6日(木)に、初めてのコパカバーナの出演で失敗に終わる






1958 March of Dimes Public Service Announcement
Various Airings

ポリオと先天性異常の撲滅運動で知られるマーチ・オブ・ダイムズは、マルチメディアを駆使した本格的な募金活動を開始し、その目玉として、当時のさまざまな音楽アーティストによる公共サービス広告(以下、PSA)を制作しました。サムが撮影したPSAでは、「Desire Me」を歌った後、ポリオの犠牲者について語り、人々がマーチ・オブ・ダイムズに寄付をする必要性を訴えています。最後に "For Sentimental Reasons "を歌い、PSAは終了しました。このフィルムは現在も残っており、サム・クック:レジェンドDVDで "Desire Me "を歌うサムの映像を見ることができる。このキャンペーンでPSAを撮影した他のパフォーマーは、カントリー歌手のモリー・ビー、俳優のサル・ミネオ、歌手のボビー・トゥループなどであった。






Sam Cooke / Mary Lou
The Arthor Murry Show (October 6,1958)

唯一のカラー映像。サムのフィンガー・スナッピンと手拍子が楽しそうなダンス・チューン。
バック・ダンサーにはタイム・トラベラーとなったナンチャンの姿も(爆)





Sam Cooke / You Send Me
The Dick Clark Beechnut Show (March 14, 1959)

この番組の中では、"You Send Me"と下の動画"Everybody Loves To Cha Cha Cha"とが歌われた。
どちらの曲も中盤では、カメラが観客を映す。
それは全ての観客の胸元に貼られた"IFIC."と印刷された大きなバッジを映すためであり、それはその番組のスポンサーだった。





Sam Cooke / Everybody Loves To Cha Cha Cha
The Dick Clark Beechnut Show (March 14, 1959)







Sam Cooke / Twistin the night away
The Jerry Lewis Show (December 7, 1963)

この二時間のバラエティ番組には、仲の良いカシアス・クレイ(モハメド・アリ)も出演しており、そのカシアス・クレイの強い要望により、サム・クックの出演が実現された。
軽快なサムのステップが観られる。






Sam Cooke / The Riddle Song
The Jerry Lewis Show (December 7, 1963)

暗闇の中で背の高いスツールに座り、一つのスポット・ライトに映し出されるサム。
自宅のプールで溺れて亡くなった息子ヴィンセントを思いながら、観客を引き込み情感たっぷりに歌い上げるこのサムの感動的なパフォーマンスは、テレビ出演の中でも最も素晴らしい瞬間の一つだ。







音声は無いが、これは1964年1月16日にココナッツ・グローブ・ナイトクラブで行われた、ジョニー・マティスのオープニング・パーティーの様子を放送したニュース映像。
映像にはサム・クックとボビー・ダーリン、そしてジョニー・マティスとサンドラ・ディーが映っている。






Sam Cooke / Basin Street Blues
The Tonight show (February 7, 1964)

曲のエンディングでは、コパの公演の時に見せた、サムのお得意のナイトクラブ用のトリックが見れる。
この時のショーで、ダニエル・ウルフとピーター・ギュラルニックは、あの名作"A Change Is Gonna Come"も歌われていたと記していて、それに反する意見もあり色々な噂が飛び交っていたが、NBC Master Books によりそれが事実だということが確認された。





Sam Cooke / Ain't That Good News
The Mike Douglas Show (February 18, 1964)






Sam Cooke / Mike Douguras Show Interview
Sam Cooke talks about his early years in Gospel with the Soul Stirrers Gospel Vocal Group.
The Mike Douglas Show (February 18, 1964)

このインタビューでは、初のコパ公演の失敗についてサムは「爆破した。」と表現し、何故かの問いに「準備が出来てなかった。」と答えている。





Sam Cooke / For Sentimental Reasons/You Send Me
The Mike Douglas Show (February 18, 1964)






Sam Cooke / Basin Street Blues
The Mike Douglas Show (February 18, 1964)








Sonny Liston vs Cassius Clay (February 25, 1964)

カシアス・クレイ(モハメド・アリ)が試合に勝利した直後、サムをリング上に呼び「世界一グレートなロックンロール・シンガー」と叫び、サムはアリを「僕が今までに見た中で、最もグレートなエンターティナー、ショウマンの一人だ。彼は同胞の若者たちにとって、素晴らしい手本だ」と言った。





Sam Cooke and Muhammad Ali - The Gang's All Here
BBC Television (March 4, 1964)

サムは仲の良いカシアス・クレイに"The Gang's All Here"という曲を提供し、このテレビ番組で、サムがテーブルを叩くリズムに合わせて、即興で二人は歌った。





Sam Cooke / Ain't That Good News
The American Bandstand (April 4, 1964)

ディック・クラークは、サムを「それは土曜日の、それはグッドニュースだ!それはサムクックだ!」と紹介した。

Sam Cooke is interviewed by Dick Clarkon 'American Bandstand' 64







Sam Cooke / Tennessee Waltz
The Shindig (September 16, 1964)

二度目のコパで成功を収めた後のテレビ出演。
白人に対してのアプローチに自信を持ったサムが、テレビで"A Change Is Gonna Come"を披露できるチャンスの番組だった。
しかしサムは、コパの終盤に歌った"Tennessee Waltz"と"Blowin In The Wind"を選んだ。
二曲ともにアップ・テンポに変え、コパでも笑い声を交えながら歌っていたサムも、何故かこの日は違った。
笑顔も少なく、時折険しい表情を見せるサムは、その場にいた観客とテレビの視聴者に、何やら強くプリーチ(説教)しているように見える。






Sam Cooke / Blowin In The Wind
The Shindig (September 16, 1964)

サム・クックは、ボブ・ディランが歌ったプロテスト・ソング「風に吹かれて」を聴いて、「驚いたな、白人の坊やがこんな歌を書くわけ?」と刺激をうけ、アンサー・ソングとなる"A Change Is Gonna Come"を作ったというのは有名な話。
"Tennessee Waltz"の時と同様に笑顔はなく、コパでは当たり障りのない歌い方でこのプロテスト・ソングを歌っていたが、ここではその歌詞の内容を、そこにいた白人のティーンエイジャーに突きつけるように歌い、答えを求めるかのように自ら観客席に歩みよって行くサムに、そのティーンエイジャー達は恥ずかしそうに微笑み当惑しているような違和感を感じる映像だ。






Shindig Finale: Sam Cooke and The Everly Brothers / Lucille
The Shindig (September 16, 1964)

この番組「シンディング」のエンディングを、エヴァリー・ブラザーズと歌うサム。
時間が押していたせいもあって中途半端なエンディングとなった。
しかし、ロックン・ロールを歌う年齢さえサムが気にしなければ、十分ロックン・ロール・スターとしても活動できることを証明したステージングだった。





Sam Cooke & Jackie Wilson / Everybody Likes To Cha Cha Cha
The George Klein Show / Talent Party (November 3, 1964)

エルビス・プレスリーの個人的な友人であるこの番組の司会者のジョージ・クレインから電話があり、ジャッキー・ウィルソンと二人で五年前のヒット曲"Everybody Likes To Cha Cha Cha"を歌って欲しいという依頼を受け実現した映像。
この仲がよく楽しそうな映像が、悲しいかなサム・クックの最後のテレビ出演となった。






64年の12月17日にシカゴで行われたサム・クックの葬儀の様子。
最初の葬儀はロサンゼルスで行われ、遺体は空輸でサム・クックの育ったシカゴに運ばれた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

内田吐夢『警察官』(1933) とノヴァーリス

内田吐夢 警察官 Xユーザーのfukuko2025(@fukuko2025)さん x.com https://freeassociations2020.blogspot.com/2023/04/keisatsukan-aka-policeman-aka-1933.html    ...