2025年12月9日火曜日

中島敦『名人伝』は青空文庫で公開されている。原典は『列子』と言われるが、創作がかなりある。以下は参照されたであろう『荘子』より。


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中島敦『名人伝』は青空文庫で公開されている。原典は『列子』と言われるが、創作がかなりある。以下は参照されたであろう『荘子』より。 

原文 :
列御寇爲伯昏无人射。引之盈貫、措杯水其肘上、發之。矢復沓、方矢復寓。當是時、象人也。  
伯昏无人曰、是射之射、非不射之射也。嘗與汝登高山、履石、臨百仞之淵。若能射乎。  
於是无人登高山、履危石、臨百仞之淵。背逡、足二分垂在外。揖御寇而之。御寇伏地、汗流至踵。  
伯昏无人曰、夫至人者、上闚天、下潛黃泉、揮斥八極、神氣不變。今汝怵然有恂目之志。爾於中也、殆矣夫。

書き下し:
列御寇(れつぎょこう・列子)、伯昏無人(はくこんむじん)の為めに射る。
これを引いて盈貫(えいかん)し、杯水を其の肘(ひじ)の上に措(お)く。
これを発するに、適矢(てきし)は復沓(ふくとう)し、方矢(ぼうし)は復寓(ふくぐう)す。
是の時に当たりてや、猶お象人(しょうじん)のごとし。
伯昏無人曰わく、是れ射の射にして、不射の射に非ざるなり。
嘗(こころ)みに汝と与(とも)に高山に登り、危石を履(ふ)みて百仞(ひゃくじん)の淵に臨まん。
若(なんじ)能く射るかと。
是に於いて無人遂に高山に登り、危石を履みて百仞の淵に臨む。
背(うしろ)むきに逡巡して、足は二分垂れて外に在り。御寇を揖(ゆう)してこれを進ましむ。
御寇地に伏し、汗流れて踵(くびす)に至る。
伯昏無人曰わく、夫れ至人なる者は、上は青天を闚(うかが)い、下は黃泉に潛(ひそ)み、
八極に揮斥(きせき)して、神気変ぜず。
今、汝は怵然(じゅつぜん)として恂目(しゅんもく)の志あり。
爾(なんじ)の中(あ)たるに於けるや、殆(あやう)いかなと。

現代語訳:
 思想家の列御寇(列子の姓名、春秋時代の鄭の人)が、伯昏無人(架空の思想家)という人のために弓の技を披露して見せた。弓をやじり一杯に引き絞り、左手の肘の上に水を湛えた杯を載せて、そのまま矢を放った。風を切って飛ぶ矢は重なるように次から次へと射放たれ、射放たれる矢は前の矢に寄り添うように次から次へとつがえられるのであったが、この激しい動作の間にも、彼の身体はあたかも木偶のように微動だにせず、杯の水は一滴たりともこぼれないのであった。  
 しかし、傍らで見ていた伯昏無人は、口を開いてこう言った。「なるほど巧みな技ではある。しかし、君のは弓を射ることによって射ているのであって、弓を射ないことによって射る本当の技とは違うな。どうだい、一つ君と一緒に高山の頂きに登り、険しく突き出た岩石を踏みしめて、百仞(約一六〇メートル)もある深い淵の奥底をのぞいてみようか。君はそこでも巧みに射ることができるかね。」  
 こうして伯昏無人は列御寇を引き連れて高山の頂きに登り、険しく突き出た岩石を踏みしめて、百仞もある深い淵の奥底をのぞく崖っぷちに立った。思わず崖っぷちを背にじりじりと後ずさりすると、足の裏の三分の二は虚空を蹴るという難所である。ここで伯昏無人が列御寇に手招きして、こちらへ来いと合図をすると、列御寇は岩にへばりついたまま、どっと冷や汗をかいて足の踵まで濡らすという始末であった。  
 伯昏無人は言った。「そもそも至人(道に達した人)というものは、上は青空の彼方を窺い、下は大地の奥深くに潜り、また四方八方、宇宙の果てまで好き勝手に翔けめぐるけれども、それでいて心には何の動揺も起こらない、霊妙この上ない存在だ。ところが、君と来たらこれしきのことで、もうぶるぶると震え目も眩む意気地のなさだ。これでは弓を射ることができたとしても、命中させることなどとても覚つかないね。」

以上、講談社学術文庫『荘子』田子方篇の「不射之射」及び金谷治氏訳岩波文庫より
『列子』黄帝篇にほぼ同じ文章(伯昏「瞀人」と「無人」の違いのみ)がある。

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