【落下の解剖学】真犯人は?自殺か、他殺か?
#ネタバレ
この映画では【本当は何が起きたのか】は最後まで描かれません。
映画の中の裁判で検察が他殺だと証明できなかっただけで、自殺とも他殺とも、どちらとも受け取れる曖昧さを残して映画は終わります。
つまり、あらすじを最後までネタバレで語ってしまっても夫の死因はミステリーとして残り続けるという実験的で稀有な映画です。
そんな本作の根底を流れる重要なメッセージが、息子ダニエルの保護を担当した法廷職員マージが説いた台詞に込められています。
「人は証拠が足りない時は、自分にとっての真実を決めなければならない」
これを聞いてダニエルは父には自殺の意図があったと自分にとっての真実を決めて証言台に立ちました。
そして同じく映画の観客たちも、映画では証拠が示されないので、本件を自殺だと信じる人、本件を他殺だと信じる人、の大きく2グループに分かれることになりました。
このnoteでは、私が「選んだ」真実を書きます。
▼他殺ではない:
本件は他殺ではありません。
私が本件を他殺だと思わない根拠は以下の通りです。
・妻の腕力では夫を突き落とすのは無理
・凶器が見つかってない
・血の飛び散り方が科学的に不自然だと鑑識が述べた
・死体を引き摺る理由がない
もし2階ベランダで妻が凶器で殴って夫が額を切ったならば、ベランダからも血痕が見つからないとおかしいです。なので夫は落ちて物置の屋根にぶつかった時にはじめて額を切って、だから物置だけに血痕がついたと考えるのが科学的に自然でしょう。これが他殺ではないと私が考える最大の要因です。
もし凶器で殴って、そのあとで夫を突き落としたなら、殴った直後に凶器を手から話す動作が生じます。女性の腕力で大怪我を負わせるほどですから、かなり重いはずです。そんな物を持ったまま背の高い男を突き落とすのは無理があります。
凶器を室内に落とせば床や家具に何かしら傷がついたり、場合によっては血痕がつきます。重たいので屋外に投げ捨てる余裕は無いでしょう。燃やして証拠隠滅できる木材では軽すぎます。金田一少年の事件簿なら氷を凶器にすることもありそうですが、現実的ではありません。となると何かしら夫の皮膚組織が付着した凶器を警察が見つけそうなものですが、しかし裁判では具体的に言及されません。
以上が物理的な観察結果から、他殺ではないと思われる根拠です。
心情を慮る行為は客観性を伴わないのであまり本意ではありませんが、本作では妻に殺人の動機があったかも怪しいと思われます。現在の生活に不満はあったかもしれませんが、社会的に成功者ではあるので、殺意まではエスカレートしないのではないかと。
▼自殺ではない:
本件は自殺でもありません。
私が本件を自殺だと思わない根拠は以下の通りです。
・夫の遺書が見つかってない
これだけで十分でしょう。物書きの人間が遺書も残さず自殺するのは圧倒的に不自然です。文章を書いて残すことが仕事の人間が、何も書かずに死ぬわけないじゃないですか。しかもこの夫は、創作のために日常会話を録音してた人ですよ。
検察も遺書がなかったからこそ自殺じゃないと判断して、他殺の容疑をかけたのだと推察します。
では、真実は一体何が起きたのか?
▼真実は、ただの落下事故である:
ずばり、ただの落下事故でしょう!(笑)
この説を唱えている感想は、ほとんど見かけない気がします。
みんな、自殺か他殺かの2択です。
でも論理的に考えたら、この可能性を論じるべきではありませんか。
そして、これが真実です。間違いありません。
だって他殺でも自殺でもないですから。(ドヤ顔😎)
要するに、この映画は:実際には男が不注意で転落死しただけなのに、検事(他殺説)と弁護士(自殺説)が寄ってたかって、お互いに妄想で作り上げたストーリーを裁判で争って、その過程で夫婦のプライバシーが世間の好奇の目と、そして息子に暴露されていくというブラックコメディだったのです。
嗚呼、胸糞悪い。(笑)
▼なぜ気づかない:
なぜ観客は自殺か他殺かの二者択一になってしまうのか?
それは劇中でホットな弁護士が自殺説でゴリ押しするからに他なりません。
映画の序盤で弁護士がはっきり言います。
戸惑うサンドラはすぐさま自殺説を否定します。
しかし弁護士は折れません。
裁判が進むにつれてサンドラが再び迷っても、弁護士は折れません。
弁護士の態度は一貫しています。彼はサンドラの真実を聞かずして、結論を決めています。極論、彼にとって真実なんかどうでも良いのです。彼の仕事(職務上のミッション)は裁判に勝つことですから。裁判に勝てる一番良い方法(ストラテジー)を見極めて、それを実行するだけなのです。
夫が自殺したと思った観客も勿論ですが、逆にサンドラが殺したと思った観客も、まんまと弁護士の口車に乗せられた…というのが私の見解です。
サンドラがすぐに折れて弁護士の言う通りにしたのが、観客もまた事故死の説(珍しいだけで実は一番破綻が少ない説)を忘れてしまう一因になっていますね。
▼定番の展開と感動で誘うミスリード:
この映画が上手いと思うのは、終盤に犬の名演技と、少年の名演技のダブルパンチで観客を感動させてしまう点です。
まずオーバードーズ(過剰薬物摂取)の犬の演技がマジで凄すぎます。
少し動物を使っただけで動物愛護団体が大騒ぎする昨今で、あんなに観ていてハラハラした映画は久しぶりです。
そして、犬の名演に感情を掴まれたまま、少年の証言シーンに移ります。視覚障害の少年には見えていなかったはずの父親の顔に、少年の声でセリフを当てて非常に感動的です。ここまで2時間以上続く緊張(上映時間152分)に疲れて、感情的な気分にもなっている観客。少年の証言が記憶の改変を含んでいる可能性を忘れたり、やはり母親は無実で父親の自殺だったんだと信じた人は少なくないでしょう。
しかし残念ながら、それは間違いだと私は思います。
映画タイトルにもなった『落下の解剖学(原題:Anatomy of a Fall)』とは、まさに人々が論理のテクニックに捕らわれて、真実の認識から「誤謬(英語:fallacy)へと滑り落ちること」を表現していたのでしょう。
この考察に説得力を持たせるために、最後に当事者であるジュスティーヌ・トリエ監督のインタビューを載せておきましょう。
さて、あなたは何が真実だと思いますか?
自殺、他殺、転落死、それとも他の可能性?
コメントなどで意見をお聞かせいただければ嬉しいです。
(了)
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