| ||||||||||||||||||||||||
現代において信仰はいかに可能かという問題を考える際、私がヘーゲル以外であらためて再読の必要性を感じるのが後期ハイデガーの代表作『哲学への寄与論稿』です。
特に「最後の神」「底無しの深淵」「教会」について語る以下の議論は、いまだに汲み尽くしえない問題性を持っていると思います。
「その結果、個人的な体験においても大衆的な体験においても、神は現れることがなく、ただ存在それ自体の底無しに深淵的な空間においてのみ、現れる。すべて従来の祭式と教会は、そしてそもそもそういった類のものは、存在の真中における神と人間の衝突を、本質的な仕方で用意することをなしえない。なぜなら、まず最初に存在それ自体の真理が基づけられなければならないからであり、この課し与えられたもののために、すべての創造はある別の原初を採らなければならないからである」(全集第65巻、p.451)
この問題系をグノーシス神話の創造論に当てはめた場合、「最後の神」=ヤルダバオート(アウタデース、アルキゲネトース)、「底無しの深淵」=カオスとなり、「神と人間の衝突」によってプレーローマが出現することになるのか、などと考えてみることもできるかもしれません。
#読了
0 件のコメント:
コメントを投稿