「肉体の悪魔」 The Devils (1971)
製作:ロバート・H・ソロ
ケン・ラッセル
原作:オルダス・ハクスリー
戯曲:ジョン・ホワイティング
脚本:ケン・ラッセル
撮影:デヴィッド・ワトキン
美術:デレク・ジャーマン
音楽:ピーター・マクスウェル・デイヴィス
出演:オリヴァー・リード
ヴァネッサ・レッドグレーヴ
ダドリー・サットン
ジェマ・ジョーンズ
マックス・エイドリアン
マレー・メルヴィン
マイケル・ゴサード
ジョージナ・ヘイル
イギリス映画/107分
<あらすじ>
時は17世紀。フランスの地方都市ルーダンの市長が亡くなり、グランディエ司祭(オリヴァー・リード)が市長代理を務めることとなる。カリスマ的なリーダーシップで市民に支持されるグランディエは、その強烈な男性的魅力で女性からも崇拝され、彼自身も女好きを隠そうとはしない。愛人である良家の娘フィリップ(ジョージナ・ヘイル)を孕ませておきながら、貞淑な庶民の娘マドレーヌ(ジェマ・ジョーンズ)と密かに結婚するという彼の素行に、眉をひそめる政治家や宗教関係者も少なくなかった。
一方、パリの宮廷では放蕩にうつつを抜かす国王ルイ13世(グレアム・アーミテッジ)に取り入ったカトリック教会の枢機卿リシュリュー(クリストファー・ローグ)が政治の実権を握り、プロテスタントの台頭を防ぐために地方都市の自治体制を廃止させようとしていた。その影響はルーダンにも及び、リシュリューの命令を受けたローバルドモン男爵(ダドリー・サットン)が城壁の取り壊しに着手しようとするものの、グランディエ率いる市民の激しい抵抗にあってしまう。
その頃、グランディエの噂は厳格な戒律のもとに暮らす女子修道院の尼僧たちのもとにも及んでいた。男子禁制の環境下で性的な妄想を膨らませる尼僧たち。中でも醜く曲がった背中がコンプレックスの修道院長ジャンヌ(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は、遠くからその姿を眺めることしかできないグランディエに一方的な恋心を募らせ、淫らな妄想を思い描いては満たされぬ欲望に悶々とする日々を送っていた。
それだけに、グランディエの結婚を知った彼女は激しく衝撃を受け、怒りと嫉妬のあまり彼を悪魔崇拝の妖術師だと騒ぎ立てる。これに注目したのが枢機卿リシュリューだった。彼はグランディエを失脚させる好機だと考え、悪魔払いのアダム(ベン・マーフィー)ら教会関係者や役人を送り込み、悪魔憑き騒動の調査を始める。
拷問まがいの尋問によってトランス状態に陥るジャンヌ。それに感化された尼僧たちまでもが発狂し、事態はやがて酒池肉林の集団ヒステリーへと発展していくのだった…。
「マーラー」('74)や「TOMMY/トミー」('75)、「ゴシック」('86)などなど、数多くの傑作カルト映画を世に送り出してきた英国の鬼才ケン・ラッセルだが、そのフィルモグラフィーの中でも最もエキセントリックかつスキャンダラス、まさにカルト中のカルトと呼ぶべき問題作がこれだ。
物語は17世紀のフランスで実際に起きた「ルーダンの悪魔憑き事件」を下敷きにしている。事の発端はルーダンの女子修道院における集団ヒステリー騒動。修道女たちが次々と悪魔憑きの兆候を示し、神を冒涜する言葉や卑猥な振る舞いで騒ぎ始めたのだ。すぐさま調査を始めたカトリック教会に対し、修道女たちが犯人として名指ししたのが、地元で信頼の厚いイエズス会の司祭グランディエ。彼が悪魔を使って自分たちを狂わせたというのである。こうして汚名を着せられたグランディエは壮絶な拷問を受け、悪魔と契約を結んだ罪によって火炙りの刑に処せられたのだ。
この一連の顛末のカギを握るのが、魔術師とされた司祭グランディエ、騒動の舞台となった女子修道院の院長ジャンヌ、そして悪魔憑き裁判を裏で操った枢機卿リシュリューの3人。裕福な家庭に生まれ、高い知性と教養を兼ね備え、なおかつカリスマ性に富んだグランディエは、地域社会で確固たる人脈と信頼を築く一方、その奔放な女性関係やしきたりに囚われない言動で敵も多かった。さらに、ルイ13世の庇護のもとで権力を拡大するリシュリューを公然と批判し、彼の推し進める地方政策に猛然と歯向かったことから、中央権力からは危険人物と見なされていたのだ。
一方、修道院長のジャンヌは少女時代に患った病が原因で背中が変形してしまい、そのせいで激しい劣等感を抱えていたとされる。その一方で、生まれつきプライドが高く負けん気が強い性格だったことから、己の自尊心を守るために修道院内の権力闘争を強引に勝ち抜き、ついには院長にまで登りつめたという屈折した女性だった。そんな彼女もまた、世の女性を虜にするグランディエに恋焦がれ、権力を手にした自分こそが彼に相応しい相手だと勝手に思い込んでいたようだ。直接の面識など一切ないにも関わらずである。それゆえ、彼が一介の名もない娘と結婚したことがよほどショックだったらしく、嫉妬のあまり頭がおかしくなってしまった。それが悪魔憑きという名の集団ヒステリーの発端となったのである。
そんな中世ヨーロッパ史に名高い事件を限りなく忠実に描いた本作だが、そこは異端児ケン・ラッセルのこと。ただの歴史ドラマで済むはずがない。あえて見る者の神経を逆なでするような性描写や残酷描写、宗教のタブーに触れるような冒涜的イメージを駆使しながら、宗教と政治の偽善を糾弾し、無知と盲信の危うさに警鐘を鳴らし、罪深き人間の愚かさを慈しむ。
忘れてならないのは、ケン・ラッセル自身が敬虔なカトリック教徒であるという事実だ。恐らく彼は、神を敬いつつも己を含めた人間の不完全さや矛盾を受け入れる主人公グランディエに、自らの信条を投影しているのだろう。人間は欠点があるからこそ面白い。弱いからこそ強くなれる。そんなありのままの人間を愛するからこそ、人々の信仰心を野心のために利用する権力に強く反発するのだ。
そんなラッセルの真骨頂と呼ぶべきが終盤の悪魔祓いシーンであろう。次々と服を脱ぎ捨て完全にトランス状態で暴れまわる修道女たち、まるでサディスティックな性欲を満たすかのように興奮しながら彼女たちを拷問する宗教関係者たち、そんな様子を眺めながらドンチャン騒ぎに明け暮れる見物人たち。さながら悪魔祓い儀式という名の乱交パーティである。権力に踊らされる者たちの滑稽さ、腐敗した政治が行き着く果ての醜さがこれでもかと暴き出され、そんな魑魅魍魎たちの生贄にされるグランディエをさながらキリストの如き殉教者として描き出すのだ。
さらに、本作に続いて「ボーイフレンド」('71)でもコンビを組む撮影監督デヴィッド・ワトキンのエクスペリメンタルなカメラワークも特筆すべきものがある。後に「愛と哀しみの果て」('86)でオスカーに輝くワトキンだが、当時は「HELP! 四人はアイドル」('65)や「ナック」('65)など、リチャード・レスター監督の斬新なポップムービーに欠かせない存在として注目される気鋭のカメラマンだった。
もちろん、名門演劇ファミリー出身の美人女優というイメージをかなぐり捨てて、抑圧された性的欲望で身を滅ぼしていく修道院長ジャンヌを大熱演するヴァネッサ・レッドグレーヴの狂いっぷりも圧巻。十字架オナニーとかぶっ飛んでいる。ただの優等生ではないところが大女優の大女優たる所以だ。
なお、過去に短縮版のDVDが一部で流通したことがあったが、イギリスでは2012年に修復作業の施された完全版が2枚組DVDとしてリリースされている。デレク・ジャーマンの美術セットの建設模様などを収めた舞台裏映像を含むメイキング・ドキュメンタリーや、ケン・ラッセル監督以下スタッフやキャストのインタビューなど、特典映像もてんこ盛り。ファン必携の逸品だ。
評価(5点満点):★★★★★
カラー/ワイドスクリーン(2.35:1)/音声:ドルビー・モノラル/言語:英語/字幕:英語/地域コード:2/時間:107分/発売元:British Iilm Institute (2012年)
特典:評論家マーク・カーモードによるイントロダクション/ケン・ラッセル監督、マーク・カーモード、マイケル・ブラッドセル、ポール・ジョイスによる音声解説/オリジナル劇場予告編(UK版・US版)/短編「Amelia and the Angel」(ケン・ラッセル監督/1958年/26分)/メイキング・ドキュメンタリー「Hell on Earth」(48分)/インタビュー集「Director of Devils」(22分)/舞台裏記録映像(8分)/ケン・ラッセル監督Q&A(13分/2004年撮影)
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