【ネタバレ解説】映画『メッセージ』に秘められた"ループ構造"を解き明かす
2020.01.23更新
映画
早川書房が発行するSFマガジンのオールタイムベストSFで、栄えある第1位を獲得したテッド・チャンの傑作短編小説「あなたの人生の物語」。このSFクラシックを鬼才ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映画化し、興行的・批評的にも大きな成功をおさめた作品が『メッセージ』だ。
日本では、「宇宙船の造形がスナックお菓子のばかうけに似ている!」ということでも話題になったが、実際の映画はそんな"ゆるふわイメージ"を吹き飛ばすくらい、超緻密に設計されたハードSF。
本稿では、映画『メッセージ』に秘められた"ループ構造"を解き明かしつつ、映画のテーマを深掘りしていこう。
映画『メッセージ』あらすじ
突如、世界各地に現れた12の巨大な宇宙船。アメリカ軍から協力を要請された言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は、地球に飛来した目的を解き明かすため、生物学者イアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)と共に異星人とのコンタクトを試みる。
異星人が使う言語を解読していくなかで、ルイーズは時間を行き来するような不思議な感覚を覚えるようになる。やがて異星人が地球にやってきた本当の理由が解き明かされた時、世界は未曾有の危機を迎える…。
※以下、映画『メッセージ』のネタバレを含みます
常識を超えた時間の概念
『メッセージ』を観ていて若干(いや、かなり)頭がクラクラするのは、時間の概念が我々の常識を超えていることだろう。
一般的な理解だと、時間というものは「過去→現在→未来」と一方通行に流れていくものだ。だが、『メッセージ』に登場する異星人は、時間を飛び越えてどこにでも自由にアクセスできるという。
時系列を入れ替えてカット&ペーストする映像編集のことを「ノンリニア編集(NON LINEAR=一方通行の線形ではないこと)」というが、本作の時間感覚はまさに「ノンリニア」なのだ。
だがよく考えてみると、映画という芸術そのものがノンリニア向き。オペラや演劇とは異なり、映画は現在進行している時間の流れの中で過去を見せたり(=フラッシュバック)、未来を見せたり(=フラッシュフォワード)、時間を自在に操ることができる。
その映画的特性を活かしたトリックが、実は『メッセージ』の序盤で仕掛けられている。
映画の冒頭で、死にゆく娘をルイーズが見守るシーンがあるが、我々はこれが現在より過去の出来事(=フラッシュバック)だと思わせられてしまう。しかし実は、これから出会う物理学者のイアンとの間にもうける娘の死であって、未来の出来事(=フラッシュフォワード)だったのだ。
…っていうか、「そもそも時間を飛び越えて自由にアクセスできるって何なのよ?」と疑問に思われる方も多いことだろう。
はい、おっしゃる通り。筆者もその一人です。常識はずれのこの考え方は、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーによって1661年に発見された「フェルマーの定理」に基づいている。
ピエール・ド・フェルマー(1607年または1608年〜1665年)
フェルマーの定理によれば、「光というものは、かかる時間が最も少ない経路をたどる」らしい。しかし、そうなると一つの疑問が生じる。
なぜ、光はあらかじめ最短経路を知っているのだろうか?
最短距離をたどれるということは、光は最初から未来を予知できているのでは?ってことは、光ってノンリニアな性質を有しているのでは?…etc。
『メッセージ』は、17世紀に生み出された超アクロバティックな発想が根幹となっているのだ!
言葉の違いは世界の見方を180度変える?
異星人との第三種接近遭遇を扱った映画といえば、『未知との遭遇』や『コンタクト』などが挙げられるが、"言語"という極めて非映画的なモチーフをここまで深掘りした作品は、『メッセージ』の他においてないだろう。
しかも『メッセージ』が他のSF映画と一線を画しているのは、「異星人と我々地球人とは、話す言葉が異なる。話す言葉が異なるのであれば、世界の見え方も違うはず」という、「ソシュールの言語理論」的なモチーフが用いられていることなのだ!
「フェルマーの定理」に続いて何なんだソレ、と思われる諸兄もいらっしゃると思いますので、簡単に「ソシュールの言語理論」について説明しよう。
この理論は、"近代言語学の父"と称されるスイスの言語学者、フェルディナンド・ド・ソシュールによって提唱されたものである。
フェルディナンド・ド・ソシュール(1857年〜1913年)
例として、「犬」という言語について考えてみよう。
ソシュールの言語理論によれば、言語には「INU」という発声される音としての側面(シニフィアン)と、「犬」という概念・意味としての側面(シニフィエ)の2つの機能がある。
我々は素朴に、「まず目に見えている客観的事実がある。それらに対して言葉を割り当てている」と考えている。
つまり「犬」という概念(シニフィアン)がまず存在していて、その概念に対して「INU」という音(シニフィアン)を当てはめている、ということだ。英語でも同じく、犬というモノがまず存在して、それに対して「DOG」という音を当てはめている。
しかし、ソシュールの言語理論によれば、この世界が完全に逆転してしまう。まず「INU」という音を割り当てた言語体系があって初めて「犬」という概念が存在し得る、というのだ!
この説明でもよく分からないと思うので、図を使ってもう少し分かりやすく解説してみよう。
まず「犬─野犬─山犬─狼」という4区分があるものとする。
時代の変化によって、「山犬」という言葉が死語になり、消滅したとしよう。さて、かつて「山犬」と呼ばれていた動物に出くわしたとしたら、我々はソレを何と呼ぶだろうか?
おそらく、形態が近いものとして「野犬」か「狼」と呼ぶことだろう。「山犬」という概念が消滅しても、実際には「野犬」や「狼」の領域が広がって、それをカバーすることになるのだ。
そうなると、「山犬」という概念がまずあってそれに呼応するように「YAMA-INU」という音があるのではなく、「YAMA-INU」という音があるから「山犬」という概念が生成される、ということになる。我々が目にしているこの世界は、言葉によって編み上げたものなのだ、という考え方である。
異星人の言葉を理解すると、世界の認識(時間の認識)が完全に変化してしまう、という頭が破裂しそうな『メッセージ』のストーリーは、「ソシュールの言語理論」によって産み落とされたのである。
ちなみに、新約聖書の「ヨハネによる福音書」には、「まず言葉ありき」という有名なフレーズがある。この世界は神の言葉によって作られたという意味だが、極めて「ソシュールの言語理論」的な表現ではないだろうか?
娘の名前に隠されたループ構造の秘密とは?
ノンリニアな時間概念を描いた『メッセージ』。始まりが終わりであり、終わりが始まりであるというループ(円環)構造は、この作品の最大のテーマといえる。
ルイーズと娘のエピソードで物語が始まり、彼女がイアンと結婚して娘を産むことを予感させるショットで物語が閉じるという映画の構造自体が、もはやループ!
異星人が用いる文字が円型なのも、特定のフレーズがループするミニマル・ミュージックがBGMで流れるのも、それに起因しているのだろう。
このループというテーマを端的に表しているが、ルイーズの娘の名前だ。母子でこんな会話が交わされるシーンがある。
「ママ。なぜ私の名前はなぜハンナなの?」
「特別な名前だからよ。ハンナは前からも後ろからもハンナって読める」
そう、ハンナ(HANNAH)は、頭から読んでも後ろから読んでも同じ回文(=ループ)になっている。
さらに言えば、その父であるイアン役のジェレミー・レナーの名前も、姓であるRENERが回文になっているのだ(たぶん偶然でしょうが)!
『メッセージ』には、あらゆるところにループ構造が隠されている。それを紐解いていくのも面白い作業かもしれない。
なぜ、ルイーズはイアンのプロポーズを受け入れたのか?
この映画の最大の謎、それはルイーズの最後の決断だろう。
これから生まれてくる娘が、若くして死にゆく運命であることを知りながら、なぜ彼女はイアンの求婚を受け入れて結婚したのだろうか? しかも彼とは結局離婚してしまうことまで、彼女は知っていたのだ。
おそらく彼女は過去でも未来でもなく、「現在」を大切にしたかったからではないだろうか。
たとえ近い将来に別れてしまう運命にあろうと、たとえ愛する娘を失う宿命にあろうと、今ルイーズが抱いている気持ちに嘘はつけない。本作は非常に理知的な映画であると同時に、非常にエモーショナルな映画でもあるのだ。
極めて個人的な映画でありながら宇宙的な広がりも併せ持つ『メッセージ』。テン年代を代表するSF映画として、これから何年も語り継がれることになるだろう。
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