細田作品には、なぜ「仄暗さ」が宿るのか
──中学生の時に初めて作ったアニメーションが展示されていますが、ダークな作風ですよね。
細田守(以下同) 厨二病らしさが全面的に出ていますよね(笑)。
この映像は、もともと『少年ケニヤ』(1984)のアニメーター募集で東映に送ったものです。中間テストの時に母から「怪しい電話がかかってきた」と言われて、出てみたら東映からだった。
電話越しに「打ち合わせをしたいので、東京に来てください」と言われて「テスト前なので別日にしてほしい」とお願いしたんです。結局、学業優先ということでその時のお話はなくなりました(笑)。
──すさまじい経験です。大学では一転、油絵専攻に進まれていますね。
成長とともに、現代美術や実写映画に興味が出るようになったんです。そういうこともあって、大学時代は実写映画ばかり見ていて、アニメーションはジブリ作品ぐらいしか見てなかったんですよ。
──展覧会では、大学時代の実写映画『SILENT』(1989年)も展示されていました。
37年ぶりに見返しましたけど、辛辣なストーリーで自分でも驚きました。この映画は「コミュニケーションの手段としての『言葉』を捨てた集団の中に、『言葉』が復活して、『言葉』が人間関係を破壊していく」ストーリーなんですね。
──言葉が人間関係を壊す……。
「人間ってこういうものだよね」という気持ちを嘘をつかないで描くと、ああなる。『SILENT』は、21歳の頃に作った映画ですが、若い頃の方が、今より諦念や反骨精神が強かったように思います。
それはそれで20歳すぎの人間の正直な眼差しだった気もしますが、ある種の真実を描こうとしてる姿勢がある。それは今でも変わっていない。
──「真実」とは?
人生はそんなにうまくいかない。人を信じた先で、いろいろな問題は絶対に起きる。世の中は綺麗事だらけではない。そういう真実の部分を描かない物語は「甘い」ような気がして、作る気になれないんです。嘘をつきたくない、と言えばいいのかな。
──何かきっかけがないと、若くしてその境地に至れないような気がします。
ありますね、生々しい経験。
──どんな経験でしょう?
あまり声高に言いたいことではないのですが、僕は幼い頃から吃音なんです。Wikipediaには書かれているんですけど(笑)。
今はこうして言葉が出てきますけれど、子どもの頃は苦労しました。周りは口が動いて言葉が出るのに、自分はできない。普通に話せる人たちからのまなざしも感じる。そうすると自分の中にいろいろな感情が溜まっていってしまう。
普通の中学生だったらアニメなんか作らないと思うし、大学時代に言葉をテーマにした映画なんて選ばなかった。こうやって説明するといかにも図式っぽくて嫌ですけど、逃れられない衝動なのだと思います。
原点にあるのは「言葉ではないもの」
──細田さんの作品には、セリフではなく絵の力で物語が進んでいく場面が多くあります。そうした表現には、ご自身のバックボーンも影響しているのでしょうか。
そうです。吃音だからこそ、言葉にもこだわるし、逆に言葉でない表現にもこだわらざるを得ない。
同じようなことを、山下達郎さんとも話したことがありました。「絵で伝えていることは、なかなか気づいてもらえない」とボヤいていたら、達郎さんが「音楽も同じだ」とうなずいてくださったんです。
曲を聴くことが、歌詞を読むことになっている人も多い。でも本当は、音そのものに込めているものがある。アニメーションも同じで、批評や感想の中心はセリフになることが多いけれど、作り手としては言葉以外のところに熱を込めていることがある。
──そうですね。
例えば『時をかける少女』(2006年)では、真琴が1分間走るシーンがあります。単に走っているわけではなくて、焦りや後悔、千昭に対する決意……言葉にできない感情を、走る身体そのものに託している。
言葉にすれば一言で済むかもしれないものを、絵と動きで、時間をかけて伝えようとしたシーンです。
アニメーションは、魂のような「目に見えないもの」を描くのに長けている表現だと思っているんですね。目には見えないけれど、確かにそこにある感情や気配を、絵にすることで届けられる。僕は、そういうことを信じて描いているんだと思います。
自分の原点にあるのは「言葉ではないもの」かもしれません。
「細田は変わった」と言われることも多いけれど…
──細田さんが橋本カツヨ名義で絵コンテを担当した『少女革命ウテナ』の第29話「空より淡き瑠璃色の」(1997年放送)は、三角関係を椅子の向きで表現していたり、そういう姿勢が色濃く出てますよね。
『ウテナ』は、登場人物が言葉で言っていることは、嘘ばかりなんですよね。むしろ絵の方が真実を語る作品。29話は、樹璃というキャラクターのひとつの決着をつける回でもあります。
──樹璃は同性である枝織に思いを寄せながら、苦しんでいるキャラクターです。
樹璃は、気高くて、みんなに憧れられる存在なのに、すごく素朴な「ただ気持ちが伝わらない」ことに悩んでいる。そのアンバランスさがいいんですよ。そこにどう落とし前をつけるのか。それが29話でした。
──あの回は、もともと脚本があったものを、細田さんが大きく変えたそうで。
懐かしい話!(笑) そうです。僕は7話「見果てぬ樹璃」から、延々と彼女を描いてきた人間でもあったので、思い入れがありました。
僕自身、優秀なスタッフに囲まれて、毎日戦っているような状態で、脱毛症になったり、心身ともにボロボロだった。彼女に共感する部分があったのだと思います。
当初予定されていた29話の脚本では樹璃がかわいそうで……そこで、幾原邦彦監督に相談して「スケジュールに間に合えば」という条件で許可してもらいました。時間がなかったので、最初から絵コンテを切ってます。
28話からは、不安定な状態の樹璃の前に、瑠果という男性キャラクターが登場する。瑠果は樹璃を傷つけるように振る舞うものの、実は彼が彼女を一番救おうとしているんです。
──瑠果は樹璃のことを想っているから。
でも、瑠果の気持ちも届かない。そのすれ違いも含めて、彼らの関係なんだと思います。だからこそ、樹璃にどう決着をつけてあげるかを考えた。幾原監督とは、相手を救うために自分が悪役を引き受ける『泣いた赤鬼』のような物語にしようと話しました。
──お話を聞いていると、最新作の『果てしなきスカーレット』(2025年)にも通じるものがあるように感じました。
そこはあまり届かなかったというか……『果てしなきスカーレット』は爆死してしまったし(苦笑)。
でも、僕の中ではつながっているんです。「強い女性を描くようになったのはなぜですか」と聞かれたり、「細田は強い女が好きなんだ」と見られたりすることもある。
でも、キャラクターの性別にこだわっているつもりはありません。男性キャラクターもたくさん描いてきましたからね。
「細田は変わった」と言われることもありますが、中学生の頃からやっていることは変わらない。根本的に「負けそうになっている人が負けないでほしい」という気持ちが強いんです。
──なぜそう思われるのですか?
……吃音ということも関係があるのかもしれません。言いたいことがあっても言えない。それをわかってもらえない。あの頃の経験が、自分の中にはずっとある。
僕は「負けそうな人が、そのまま負ける社会」が嫌なんです。どんな人生にも、負けそうになる瞬間があるでしょう。言葉が届かなかったり、誰かとすれ違ったり、自分ではどうにもできないことにぶつかったりする。
でも、その痛みをなかったことにはせず、それでも負けないでほしい。そう思っているんです。
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取材・文/嘉島唯
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