映画『オデュッセイア』でクリストファー・ノーランは何を撮ったのか?
ホメロスの英雄叙事詩を映画化した『オデュッセイア』が、9月11日に公開される。クリストファー・ノーランが、史上初となる全編IMAX®フィルムカメラ撮影に挑んだ待望の最新作を、IMAX完成披露試写会で鑑賞したSF作家・吉上亮がレビュー。撮影技法や過去作、ノーラン自身の言葉をたどりながら、世界のルールが変わる瞬間を描き続けてきた監督が捉えようとしたものに迫る。
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映画館のスクリーンを思い浮かべる。まず上下の幅を伸ばし、そのまま全体のサイズを引き伸ばしていくと、見上げるほど巨大な壁のごときスクリーンが眼前に聳え立つ。
1.43:1。正方形に近いアスペクト比、IMAX®フィルムカメラを用いて70㎜フィルムで撮影されたフルサイズIMAXを上映するためには専用の設備を映画館が備えていなくてはならない。
撮影カメラとフィルム、上映環境から成るシステムを指してIMAXと呼ぶ。
映画監督クリストファー・ノーランが『ダークナイト』で劇場映画撮影に導入して以来、IMAXはノーラン映画の代名詞となって久しい。
ノーランが製作・監督・脚本を務める最新作『オデュッセイア』では、『インターステラー』以来ノーラン組の撮影監督を務めるホイテ・ヴァン・ホイテマに担がれたIMAX®フィルムカメラが主人公オデュッセウスの冒険の旅路を辿るような世界各国の撮影に使用され、初の全篇IMAX®フィルムカメラ撮影を実現させた。
本作で、ノーランのIMAX®フィルムカメラの撮り方は、少し奇妙だ。
『オデュッセイア』の作中、オデュッセウスの息子テレマコスが崖である人物と横並びで座り会話するシーンがある。ここで話者にクローズアップしたカットがセリフのたび、やや見づらいほど頻繁に切り替わる。よく見ると画面の端に会話相手の一部が映り込んでいる。
いっそ引いた画角で二者を収めてもいいのではと思うが、ノーランはそうしない。
IMAX®フィルムカメラは装填可能なフィルム量のため1回につき2分半しか撮影できないという技術的な制約もある。とはいえ本作では画面いっぱいにひとりの登場人物──とりわけ「顔」を捉えたクローズアップが多用される。
英雄オデュッセウス(マット・デイモン)。
Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.知略によってトロイア戦争を勝利に導くも、故郷イタケへの帰還を神々に阻まれ放浪する英雄オデュッセウス(マット・デイモン)。男たちからの求婚を拒み夫の帰還を待つ妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)。母も財も求婚者たちに食いつぶされんとする息子テレマコス(トム・ホランド)。傲慢な求婚者アンティノオス(ロバート・パティンソン)。盲目の忠僕エウマイオス(ジョン・レグイザモ)。「トロイの木馬」作戦に捧げられた兵士シノン(エリオット・ペイジ)。漆黒の鎧に覆われたギリシア連合軍の総大将アガメムノン(ベニー・サフディ)。放浪するオデュッセウスを見つめ続ける女神アテナ(ゼンデイヤ)。
オデュッセウスと女神アテナ(ゼンデイヤ)。
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夫の帰還を待つ妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)と息子テレマコス(トム・ホランド)。
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盲目の忠僕エウマイオス(ジョン・レグイザモ)。
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傲慢な求婚者アンティノオス(ロバート・パティンソン)。
Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.映画『オデュッセイア』で記憶に残るのは、彼ら/彼女らを捉えるクローズアップの多用、とりわけ主人公オデュッセウスの「顔」を執拗に捉え続ける画の連続だ。
本来、ドキュメンタリー撮影のために開発されたIMAXは自然風景の撮影を得意とする。詩人ホメロスによる口承文学『オデュッセイア』は神話と地続きの古代世界を舞台とする最古の英雄叙事詩のひとつだ。
神秘の残る島から島へ船で放浪し、遠き故郷へ帰還するまでの冒険譚を映画化するならば、幾多の雄大な自然を撮影してこそIMAXの面目躍如たるところだろう。
しかし本作を鑑賞して記憶に残るのは、窮屈にさえ思えるほど過剰に人の「顔」を捉え続けたクローズアップの数々だ。
風景は、むしろ遠く、人間が至近に迫る。
聳え立つ壁のようなIMAXのスクリーンを占める巨大な人間の顔。
クリストファー・ノーランは『オデュッセイア』で何を撮ったのか?
9月4日(金)〜9月10日(木) IMAX先行上映。9月11日(金)全国ロードショー。
Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.クリストファー・ノーラン最新作『オデュッセイア』は『TENET テネット』『オッペンハイマー』と連なり〈黄昏〉三部作を成す。公式に〈黄昏〉三部作という呼称はない。ないのだが、この三作は「ルールが変わってしまった世界」を共通の主題とする。
ルールとは何か。時間。原子力。ゼウスの掟。ルールとは「秩序」だ。
ノーラン作品はつねに秩序が前景化する。秩序への傾倒とも言える。代表作『ダークナイト』で顕著だったように、秩序は迫る混沌に対峙し勝利し崩れ去る瀬戸際で保たれる。
しかし保たれたかのように見えた秩序は、その実、『インセプション』の夢の最下層、心の深層部で無限に並び立つ廃墟建築の連なりのように廃墟となりかけていた。
そして秩序が、あるとき崩れた。ノーラン映画の主題は秩序から混沌へ移行した。先に〈黄昏〉三部作と勝手に呼ぶことにした三作品は、この転換に位置する。
ある未来において、時の流れを一方向に定める時間の矢という秩序(ルール)が覆り、時間の逆行という混沌に陥った世界の時間戦争を『TENET』は描いた。
20世紀の量子力学と核分裂の発見が、第二次世界大戦末期に人類を自ら滅ぼし得る大量破壊兵器である原子爆弾を誕生させ、核開発競争という混沌が連鎖反応(チェーンリアクション)し終末と隣り合わせになった世界を『オッペンハイマー』は描いた。
『オデュッセイア』では、古代ギリシア世界に起きたトロイア戦争に従軍した知将オデュッセウスが計った「トロイの木馬」によってトロイアは陥落し、総大将アガメムノン率いるアカイア連合軍に戦争勝利がもたらされるも、引き換えにゼウスの掟として維持されてきた相互信頼の仕組みを損なった古代世界は黄昏を迎え、混沌に満ちた新世界の到来が暗示される。
Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.
ノーラン版『オデュッセイア』では、神々への崇敬とともに語られた秩序は形骸化し、人の心の裡にある信仰は荒廃して久しい。
ホメロスによる『オデュッセイア』および『イーリアス』の成立は紀元前750年から700年ごろを定説とする。題材として取られている伝承は前1200年前後のミュケナイ文明が終焉する1世紀ほどの時期に集中している。*1
この前1200年代は史実としてのトロイア戦争が起きたとされるミュケナイ時代が滅んだあと、発掘資料が存在しないために暗黒時代とも呼ばれる初期鉄器時代と重なる。
つまりノーラン版『オデュッセイア』は、西暦2026年現在から時間を3000年以上遡り、紀元前1200年代に起きた大規模な社会変動による古代文明の滅びを映画の舞台とした。
文明の盛衰が主題と書くと、仰々しすぎるし──それこそ〝逆行〟する──前時代思考とも思えるが、英国人映画監督にはその傾向がある(ノーランは英米の国籍をもち自宅は米ロサンゼルスにあるが作風からして英国色が一貫している)。
クリストファー・ノーランが明らかな影響を公言する英国人映画監督の巨匠リドリー・スコットの主題は文明と文明の衝突だ。
映画を通して文明論を語ろうとするのは、ノーランの古典回帰の産物だろうか?
CG処理を好まずフィルムによる実写撮影にこだわる「本物志向」は賞賛の向きはあれど時に過剰と揶揄されることもある。
撮影方法だけでなく主題においても古典回帰主義を強めた集大成が、英雄叙事詩の古典中の古典、物語の祖たる祖ホメロスの『オデュッセイア』の映画化なのだろうか?
勿論そうではない。まずノーランがCG/VFX嫌いという誤解を解いておきたい。
〝僕は視覚効果が大好きなんですが、アナログ特撮での描写が不可能な場合は、CGに頼らないといけない。意外かもしれませんが、フルCGで映像を作り込むときに、アルゴリズムをベースに処理をしていく過程が僕は好きなんです。〟*2
『ターミネーター』、『アバター』のジェームズ・キャメロンがホストを務める番組に出演したノーランは、『インターステラー』のブラックホールのビジュアル作成プロセスに話題が及んだとき、CG利用についてあっけらかんと語っている。
過去の作品を通しても、ノーランはCGを撮影処理プロセスとして活用している。
とはいえ、歳月を経るごとに実写撮影の傾向が強まっていることは事実だ。
前作『オッペンハイマー』は実在の人物J・ロバート・オッペンハイマーの評伝を脚色した映画でもあり、実写撮影へのこだわりが特に強く見られた。前々作の『TENET』も実物の中古ジャンボジェット機を空港施設に突っ込ませるスペクタクルシーンを撮影していたが、終盤のビルの爆破と復元が同じ瞬間に起きる特撮シーケンスは、実写とCG映像を合成し完成映像としている。
『オデュッセイア』はどうか? まずキービジュアルとして頻出する浜辺に座礁したように屹立する「トロイの木馬」は内部に実際に人が入り、浜から運び去られるシーンは実際に人力で綱を引いて撮影された。
ひとつ目の怪物キュクロプスは巨大サイズの操演(パペット)と特殊メイクを施した俳優ビル・アーウィンの演技を組み合わせている。
鎧を纏った巨人のライストリュゴネス族との対峙は、高身長の俳優と低身長の女性スタントダブルによるサイズの極端な対比とトリック撮影を組み合わせている。
魔女キルケが魔法で人を豚に変えるシーケンスは、アニマトロニクスとCG合成の組み合わせでかなりグロテスクで迫真に見せている。本作のクリーチャー造形には怪物への深い情愛で知られる映画監督ギレルモ・デル・トロからの強い影響があるとノーラン自身が公言している。
ほか、明らかにCGを有益と判断し使用されたシーンも多数あり、できるだけ実写特撮を選択する傾向はあるにせよ、ノーランがCG技術を拒絶しているという見方は正しくない。あくまで撮りたい画を獲得するために必要なツールが選択されている。
個人的に撮影手法で『オデュッセイア』のビハインドシーン動画を閲覧し目を瞠ったのは(英語圏ですでに本作は公開済みのため、撮影時のメイキング映像がプロモーションとして公開されており、YouTubeを検索すればたくさん見つかる)、夜間や屋内シーンの撮影時に用いられた焚き火を模した照明装置だ。
六角形のセルの組み合わせから成る照明装置は、火災発生のリスクを抑えつつ、焚かれる火の揺らめきを再現し、闇のただなかに立つ登場人物を照らし深い陰影を造形する。
その明暗のコントラストは、リドリー・スコットの時代スペクタクル映画『グラディエーター』冒頭の老帝アウレリウスの天幕内やSF映画『ブレードランナー』のタイレル社長の寝屋を映し出す沈んだ黄金色の色調に影が波のごとく揺らめくさまを思い出させた。
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ノーランは何を撮ろうとしているのか? 本稿はその問いから始まった。
ここからは脚本の観点から掘り下げたい。ノーランは監督作品のほぼすべてにおいて脚本も兼ねている(脚本にクレジットがないのは『インソムニア』のみ)。キャリアの前期から中期にかけては弟ジョナサン・ノーランとの共同脚本が多く、『プレステージ』、『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』(原案はデヴィッド・S・ゴイヤー)、『インターステラー』の四作品。ノーラン単独脚本は『フォロウィング』、『メメント』(原案は弟ジョナサン)、『インセプション』、『ダンケルク』、『TENET』、『オッペンハイマー』、『オデュッセイア』の7作品。
〝ジョナサンには、人の内面に目を向けた精神的な作品を手掛けてきたという自負がありましたから。僕は僕で同様に、自分の書いた脚本でそういった映画を作り上げてきた。僕の他の作品……例えば『インセプション』とか。あれは、まさしく人間に内在する精神的な部分に焦点を合わせた映画。〟*2
先の引用と同じくキャメロンとの対談でノーランは『インセプション』について触れられ、弟ジョナサンと自身の脚本を比べてこのように語っている。
どちらも心理探究を主題とし、兄弟がほぼ同じものを描いていると言いつつ、『人の内面に目を向けた』弟ジョナサンに対し、自身は『人間に内在する精神的な部分に焦点を合わせた』と、その違いを述べている。
広く目配せの利く表現を得意とするジョナサンと、一点に集中し表現を凝集していくノーラン。ジョナサンは兄との共同制作を経たのち独立し、より多面的にキャラクターや世界観を網羅した表現を可能とするTVシリーズに活躍の場を移し〈ウエストワールド〉や〈フォールアウト〉を監督した。
対してノーランは一作ごとに完結する劇場映画の制作を続ける。ノーラン作品は自己表現の反復が非常に多い。いちど焦点を当てたものをより細微に観察する作業を繰り返し、行き着いた底を突き破り、さらなる底を目指して映画を撮る。
揺らぐ感情、刻々と移る記憶、明滅する意識──人間の心理構造の奥底、精神の背後にあり、心そのものを成り立たせている何かを探し続ける。
先にノーラン作品は秩序が前景化し、混沌との対峙に秩序がかろうじて勝利すると書いた。しかしノーランの単独脚本作品を抜き出してみると、主人公の精神は安定から遠ざかっていき、最終的には決定的な変化を迎えてしまい元に戻れなくなる結末が多い。
ノーランが心理探究の追究という主題を繰り返すのは、突き詰めるほどに心そのものを成り立たせる根拠が失われるためだ。
現実においても心の研究が進み、意識を生み出す基盤である脳に対する計測が進展するほどに、かえって精神の奥底にある心を成り立たせる不変の領域の存在は不確かとなり、心を心たらしめる絶対的な拠りどころは曖昧になり、ついには雲散霧消してしまう。
人間の心理構造の奥底にあるものが不確かさであることは、『インセプション』の結末で回転し続けるかに見え/回転を止めるかにも見える「不確かな」トーテムに象徴された。
世界もまた『オッペンハイマー』で語られた量子力学のように。目に見え、耳に聞こえ、手で触れられる構成要素について詳しく観察していくと、ある時点で確固たるものが消失し、相互性と確率論から成る不確かな世界の実体が露わになる。
不確かな心と不確かな世界。ノーラン作品において、心と世界は等価であって、主人公の心理は世界を反映し、世界は主人公の心理を反映する。
不可逆に変化する心。不可逆に変化する世界。
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話は再び『オデュッセイア』に戻る。本作には原典であるホメロスの叙事詩にあった要素から大きく欠けているものがいくつかある。
その最たるものは人間の運命に対する神々の介入で、かろうじてオデュッセウスを島に留める仙女カリュプソ(シャーリーズ・セロン)が登場するが、原典において人間と直接交わり、オデュッセウスの帰還を妨害しあるいは逆に助ける神々は本作に登場しない。
帰還への旅路の間に、オデュッセウスがたびたび目撃する女神アテナもまた、その正体が終盤に判明し、この世界に神が不在となったことが明らかとなる。
『オデュッセイア』の世界には「ゼウスの掟」という最重要のルールがあった。これを破ると神罰が下るが、本作において人間の運命に介入する神々はすでに消えてしまった。
故郷に帰還したオデュッセウスは「ゼウスの掟」を損なった人々と血みどろの決戦になだれ込む。しかし「ゼウスの掟」を破り、世界から秩序(ルール)を失わせてしまったのはトロイア戦争勝利のため「トロイの木馬」という知略を図ったオデュッセウス自身なのだ。「トロイの木馬」がもたらした光景はオデュッセウスを苛み続ける。苦悩に沈む彼の顔には秩序の扉を開き混沌を呼び込んだ自らの所業への悔悟が濃い陰影となって溢れ出す。
なぜ『オデュッセイア』でクリストファー・ノーランは、IMAX®フィルムカメラの特性に反するように極端なクローズアップのショットを多用したのか。
ノーラン作品において世界と人の心は等しい。人の心が反映された世界があり、世界が反映されて人の心がある。
オデュッセウスは世界を変えてしまったが、変わってしまった世界によってオデュッセウスの心も変えられてしまった。
そして世界そのものである心は凝集され、ある一点に浮かび上がる。
そこにIMAX®フィルムカメラで撮られなければならなかったものが見つかる。
人間の顔が。
神々は去り旧世界は終焉を迎えた。人間だけが新世界に取り残された。秩序は限られた人の心の裡にさえ残されず混沌は戦争となって押し寄せる。世界に属するものはみな以前と以後の決定的な転換を迎え、不可逆な変化が元に戻ることはない。
クリストファー・ノーランは『オデュッセイア』で〈黄昏〉を渡った。
吉上 亮|RYO YOSHIGAMI
1989年埼玉県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒。2013年『パンツァークラウン フェイセズ』でデビュー。TVアニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」のオリジナルスピンオフ小説『PSYCHO-PASS ASYLUM』『PSYCHO-PASS GENESIS』(以上、ハヤカワ文庫JA)を手掛け、のちに同アニメシリーズに脚本家として参加。ほかの作品に『泥の銃弾』(新潮文庫)、『テトラド1 統計外暗数犯罪』(角川文庫)。
■ 引用および参考文献
*1『オデュッセウスの世界』M.I.フィンリー著 下田立行訳(岩波文庫/1994)
*2『SF映画術 ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座』阿部清美訳(DU BOOKS/2020)
『ホメロス オデュッセイア』上下 松平千秋訳(岩波文庫/1994)。『クリストファー・ノーラン 時間と映像の奇術師』イアン・ネイサン著 阿部清美訳(フィルムアート社/2023)。『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』トム・ショーン著 山崎詩郎・神武団四郎監修 富原まさ江翻訳(玄光社/2021)
(Edited by Erina Anscomb)
※『WIRED』による映画の関連記事はこちら。
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