ロケーション撮影地
- 第1話「日照り雨」
- 第2話「桃畑」
- 第4話「トンネル」
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- 金時隧道:神奈川県南足柄市矢倉沢2716-2
- 第5話「鴉」
- 第6話「赤富士」
- 第7話「鬼哭」
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- 合成用歩き:東京都三宅島三宅村雄山
- タンポポ・血の池:静岡県御殿場市太郎坊
- 第8話「水車のある村」
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出典:[20]
パンフより
夢 (映画)
製作
1986年6月、黒澤明は御殿場の別荘で『こんな夢を見た』(のちに題名を『夢』に変更)という脚本の執筆を開始し、7月には第一稿を完成させた[3][4]。これまで黒澤は数人の脚本家と共同執筆していたが、本作品は戦前期以来の単独脚本作となった[5]。当初は11話のエピソードが書かれていたが、予算削減のため「阿修羅」「飛ぶ」「素晴らしい夢」の3話は割愛され、脚本も書き直された[3]。このうち「阿修羅」は、奈良・興福寺の阿修羅像が巨大化し、拝観料を横領する坊主を退治するという内容であった[2]。
前作『乱』(1985年)が興行的に失敗したこともあり、本作品も国内での資金調達は難航した[6]。1986年10月に『太陽の帝国』のキャスティングで来日したスティーヴン・スピルバーグは黒澤と会談し、そこで本作品の資金についての話題が上がり、スピルバーグは製作協力を約束した[4][6]。1988年5月8日に黒澤たちは資金交渉のため渡米し、スピルバーグが『太陽の帝国』の製作配給会社であるワーナー・ブラザースに掛け合ったことで契約を取り付け、5月26日に同社が世界配給権を購入したことが発表された[3][6][5]。実際にはネガティブ・ピックアップの契約で、ワーナーは予算1,200万ドルで製作予定の本作品を完成したら買い取るが、製作費を出すわけではなく、アメリカに拠点があるクロサワ・エンタープライズUSAがカリフォルニアの銀行から固定金利融資を受けた[5]。
1989年1月10日、東宝撮影所で雛祭りの場面から撮影開始した[4]。特殊効果にはジョージ・ルーカスのILMが参加協力し、3月にそのスタッフが参加して「赤冨士」の富士山が爆発する場面と、「日照り雨」の虹のクライマックス場面が御殿場市で撮影された[4][1][2]。富士山の爆発シーンには1,300人のエキストラが参加した[4]。4月に「日照り雨」の門の場面が撮影されたが、この門構えの家は黒澤の生家を再現したものである[4]。8月12日に『グッドフェローズ』を監督中のマーティン・スコセッシがゴッホ役を演じるため来日し、8月15日まで北海道女満別町の麦畑でのロケに参加した[6][4][7]。彼が出演する「鴉」に登場するゴッホの絵画は、抽象画家の濱田嘉が模写したものに、黒澤が絵の具の盛り上がりを強調するために加筆したものである[8]。「カラスのいる麦畑」の場面では、カラスが一斉に飛び立つところを撮影するため、網走や美幌などで250羽のカラスを集め、それを半分ずつ飛ばして2回本番で撮影した[8]。この場面は特殊合成用のハイビジョンカメラを使用した[9][8][2]。黒澤は初め、合成場面は従来通りすべて光学合成で行うつもりだったが、フランシス・フォード・コッポラの助言で初めてハイビジョン合成を取り入れた[1]。1989年8月25日にクランクアップし、9月11日からポストプロダクションに入った[3]。
「トンネル」での軍人の衣装は、8年間の従軍経験があった本多猪四郎が手掛けた[10]。
その他
- 「赤富士」については福武文庫版「まあだかい」(内田百閒著) での解説 (黒澤明のインタビューを収録) のなかで「東京日記」からの着想だと発言している。
- 各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである[21]。
- DVDでは、オープニングおよびクロージングのクレジットタイトルは英文字表記となっているが、日本の劇場公開時や国内盤のBlu-rayは日本語表記であった。なお、日本語版には「提供 スチーブン スピルバーグ(アンブリン・エンターテーメント)」とクレジットされているが、英語版にはない。ただしここ数年の間に、NHK BSプレミアムやWOWOW、日本映画専門チャンネルなどでオンエアされているものは日本語表記の国内劇場公開版となっている。
- アメリカのワーナー・ブラザースが配給権を有しているため、現在国内で上映可能なプリントは国立映画アーカイブに保存されている1本のみである。そのため黒澤映画の中では『デルス・ウザーラ』同様、日本でのフィルム上映の機会はあまり実現していない。
- 本作品で導入されたハイビジョン(デジタル)合成は、『八月の狂詩曲』『まあだだよ』でも使われた[9]。
- 最後の田舎の風景は探すのに苦労したという。実際に回っている水車は数台しかなく、他は人が動かしている。宮崎駿はこの水車の美術をやりたかったと対談で語っている。
- 本作品では黒澤が最も気に入っていた画家ゴッホを登場させた。これまでゴッホを描いた伝記映画は何本も製作されたが、黒澤は「どれも画家の本質を描いていない」と述べている。
- 「水車のある村」の葬列には『七人の侍』で農民役だった人たちや「雪女」の原田美枝子が参加している。
- 本作品の製作中、黒澤のアカデミー名誉賞の受賞が決定した。授賞式では本作品の出演者、スタッフに加え黒澤の孫が一堂に会して製作された受賞祝いメッセージと黒澤の80歳の誕生日を祝うビデオが上映された。
- 「鴉」ではショパンの「雨だれの前奏曲」が使用されているが、この曲について黒澤は当初、ウラディーミル・アシュケナージのCD演奏を使うつもりであったが、使用許諾が得られなかったため、日本のピアニストに真似て演奏してもらうことにした。音楽担当の池辺晋一郎が「音大生に演奏してもらいましょう」と提案したところ、黒澤が「学生なんかじゃダメ、もっと有名な人でないと。“中村なんとか”とかさ」と言うので、思わず池辺は「中村紘子ですか? 彼女なんかにアシュケナージの真似をしてくれなんて言ったら引っ叩かれますよ。プロのピアニストは他人とは違う演奏をするのが仕事なんです。他人の真似をしろなんて失礼なことなんですよ」と返したという。結局、池辺の友人であった遠藤郁子に依頼した。しかし、「アシュケナージなんか知らないわよ」と乗り気でなかった彼女に、同席していた夫が「黒澤明といえば大したものじゃないか。そういう人と一緒に仕事をすることは、君の演奏にも何かプラスになることがあるんじゃないか?」と取りなし、何とか引き受けてもらえた。録音時に黒澤は、池辺の前述の話のせいか彼女に対し「大変無理なお願いを致しまして」と終始平身低頭であったという。
- ゴッホ役のマーティン・スコセッシは、『ゴジラ』シリーズのファンであることを公言しており、本作品のために来日した際は撮影前に東宝を訪れて同シリーズの監督を務めた本多猪四郎の消息を尋ね、本多が本作品にスタッフとして参加していることを聞いて歓喜したという[7]。
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