ネタバレ解説&考察 映画『近畿地方のある場所について』ラストの意味は? 舞台の場所、怪異の正体とは

©2025「近畿地方のある場所について」製作委員会
映画『近畿地方のある場所について』公開
背筋が小説投稿サイト〈カクヨム〉に投稿していた作品をKADOKAWAが書籍化し、大きな話題を集めた『近畿地方のある場所について』(2023) が映画化。2025年8月8日(金) より全国の劇場で公開された。
映画版『近畿地方のある場所について』の監督を務めたのは映画『オカルト』(2009) や『貞子vs伽椰子』(2016)、『サユリ』(2024) といった作品を手掛けてきた白石晃士で、脚本も「スマホを落としただけなのに」シリーズの大石哲也と共同で手掛けている。映画版キャストは主人公の瀬野千紘を菅野美穂、小沢悠生を赤楚衛二が演じる。
今回は映画版『近畿地方のある場所について』のラストについて、ネタバレありで解説&考察し、感想を記していこう。以下の内容は結末に関するネタバレを含むため、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。また、以下の内容は子どもと動物の死に関するショッキングな内容を含むので、ご注意を。
ネタバレ注意
以下の内容は、映画『近畿地方のある場所について』の結末に関するネタバレを含みます。
Contents
- 映画『近畿地方のある場所について』ネタバレ解説&考察
- ショート動画が続く巧みな構成
- 映画版で描かれた怪異
- まさるさま/ましらさま
- 了(あきら)
- 赤い服の女
- 『近畿地方のある場所について』ラストを解説&考察
- 「あまのいわやと」の意味
- 千尋の行動の理由
- ラストの意味は?
- 映画『近畿地方のある場所について』ネタバレ考察&感想
- 映画版の魅力と原作との違い
- あいつの正体は古事記と関係が?
映画『近畿地方のある場所について』ネタバレ解説&考察
ショート動画が続く巧みな構成
映画『近畿地方のある場所について』では、千紘と小沢のドラマパートを中心としながら、失踪した編集者の佐山が残した資料を通して様々な怪異が紹介される。これは資料の紹介を中心としていた原作小説からの最大の変更点と言える。
解説や考察が入るドラマパートを中心に、ビデオテープや配信動画、あるいは短編アニメといった形で様々な種類のショート動画で怪異が描かれる演出は非常に現代的だ。飽きが来ず、かつとっ散らかってしまわない、繋がりを見出すために映像を見ることにのめり込んでいく仕掛けがしっかり機能している。
そののめり込み方は主人公である千紘と小沢の姿ともリンクする。二人は、首が折れた少年、赤い服の女性、「柿」と「山」を中心とした言い伝え、四隅に「了」または「女」と書かれた鳥居の絵など、様々な動画の中に共通する要素を見つけ出していくのである。
映画版で描かれた怪異
映画『近畿地方のある場所について』では、原作で起きる怪異がいくつか改変されながら描き直されている。劇中で紹介された主な出来事は以下の通りだ。
1984年:少女失踪、目に穴の空いた少女の目撃談
1991年:日本アニメ昔話「まさるさま」放送
1999年:「島国ニッポン クイズ大作戦!!」で団地の遊び「ましらさま」放送
2002年:林間学校での集団ヒステリー
2003年:「イッツテレビ最先端」放送
2013年:ツーリングVlogの山回の配信
2014年:団地の家族の映像収録
2015年:ニコ生主が「首吊り屋敷」配信
2018年:埼玉で一家行方不明事件
加えて、「見たら死ぬ動画」を見て怪異に襲われ、編集者の佐山から取材を受けていた目黒への取材を通して、彼が生き物を生贄に生き延びていることも知る。大まかにまとめると、映画『近畿地方のある場所について』に登場する怪異の種類は以下の通りだ。
まさるさま/ましらさま
日本アニメ昔話「まさるさま」と、近畿地方の団地で行われていた「ましらさま」という遊びは共通するルーツがあると見られる。昔話のまさるは母を失って失意の中にあったが、空から降ってきた神様のような存在から「かきもあるよ」と言って女性を誘って嫁にとるよう助言を受けてその通りにしたが、気味悪がられて避けられるようになった。まさるが死んだ後も山からは「おーい、おーい、かきもあーるよー」という声が聞こえ、黒ずんだ柿が山から転がってきたという。
一方、「ましらさま」は男子が女子を追いかけ、捕まった女子は解放されるために身代わりを立てるという遊びだった。原作小説では、「ましらさま」は「まさるさま」から転じた「猿の神」と紹介されている。「ましら」は「猿」の古い呼び方だ。
おそらくまさるに柿を与えたのは「ましらさま」で、まさるは死んだ後も「ましらさま」の力によって山から女性に呼びかけを行っている。それが林間学校での怪奇現象の正体だ。そして、ツーリングVlogのブロガーが近畿地方の山で見つけた祠には、身代わりと思われる女性の人形が大量に供えられていたのである。
了(あきら)
怪異と化したのはまさるだけではない。絵本「まさるさま」の原作者である大森日出子は、近畿地方の団地に住んでいたときに「まさるさま」の話を聞いたと明かしている。そして、「ましらさま」の遊びが行われていたその団地で、了(あきら)という少年が公園の木を使って首吊り自殺をしたと明かしている。
「見たら死ぬ動画」を見た目黒が付け狙われた、首が後ろに垂れ下がった少年はこの了だったのである。了は強力な呪いと化しており、住職の塚田でさえ祓うことができず命を落としてしまった。了は生命を生贄として喰らっているようで、目黒は代わるがわるペットを飼って犠牲にすることで生きながらえている。目黒の取材をしていた編集者の佐山もまた、この了に狙われることになる。
ちなみに了が亡くなった原因は自殺ではなく、「ましらさま」の遊びが原因ではないかとも考察できる。原作小説では「ましらさま」で少女がペットの猫を身代わりに差し出しており、あきら(了)も身代わりにされたという噂があることに触れられている。映画版では、映像に残っていた「ましらさま」は花や髪飾りを身代わりに選んでいたが、この遊びがエスカレートした結果、人間が、つまり了が身代わりに捧げられる事態に発展したのかもしれない。
赤い服の女
了が首を吊った状態で発見された時、了の母は赤い服を着て了に向かって手を伸ばし、ジャンプしていた。大森日出子によると、その後、了の母は息子を失ってから四隅に「了」と書いた絵をあちこちに貼って回るようになったという。その絵が様々なビデオの中で目撃されたのである。
息子を亡くし、怪異と化した了の母は赤い服の女となった。首が後ろに垂れ下がった少年=了が目撃された場所に時間差で赤い服の女が現れるのは、了を追いかけているからだろうか。おそらく赤い服の女は了の養分を得るために様々な手段を使ってあの絵を拡散していたのだろう。
小沢も一家が行方不明となった埼玉の家で鳥居の絵を見た後、了が現れて「見つけてくれてありがとう」状態に陥った。意識を乗っ取られた小澤は、再び埼玉の家に足を運ぶが、駆けつけた千紘のビンタによって我に帰ったのだった。
赤い服の女についてはもう一つ考察要素がある。ニコ生主のヒトバシラが突撃する「首吊り屋敷」だ。そこには大量の首吊り用の縄が天井から垂れ下がっており、壁には了の母が描き始めた絵が大量に貼られていた。机の引き出しには少年の写真も。
この首吊り屋敷は、了の母が団地から引っ越した後に住んでいた家だと考えられる。後で解説する床に空いた大きな穴についても、赤い服の女の家だったと考えれば合点がいく。配信者のヒトバシラはしばらくツイートを続けた後発信がなくなったとされていたが、すぐに死なないというのは、ジワジワと追い込まれていった目黒や佐山ら了の被害者の特徴と一致する。
『近畿地方のある場所について』ラストを解説&考察
「あまのいわやと」の意味
千紘と小沢は取材を続ける中で、特集の前任者で夜逃げした佐山の居場所を突き止める。佐山は富士山の麓で目黒と同じように動物の命を犠牲にしながら生きながらえてた。佐山はここで妻と共に死んでしまうが、千紘に小沢を次のターゲットにしているのかと声をかけた上で、小沢にはUSBメモリを託したのだった。
そのUSBメモリには、共同生活を営む「あまのいわやと」という宗教団体の映像が収められていた。「あまのいわやと」の語源は古事記に収められている「天の岩戸」とも呼ばれる神話「あめのいわやど」だと考えられる。
この話は、落ち込んだ天照大御神が岩屋に隠れてしまい世界が闇に包まれたため、他の神様たちが外で歌い踊り賑やかな演出を施したことで、外の様子が気になった天照大御神が外に出てきて平和が戻ったというお話だ。気になった方は、この神話をパロディーとして面白おかしく書いた苦草堅一のSF短編「天の岩戸の頻繁な開閉」が無料で読めるのでこちらからぜひ。
古事記の内容を踏まえると、「あまのいわやと」で信者たちが踊り倒しているのは、喪失を経験した者たちを呼び寄せて信者を増やすためだろうか。あるいは神を呼び出そうとしているのか。施設では「やしろさま」と呼ばれる黒い石が信奉されており、さらに映像の信者の中には千紘が映っていた。
千紘は過去に幼い息子を殺された時、大事な人を失った人が集まる「あまのいわやと」に入ったという。黒い石はある日突然施設に出現したが、10年前にその石が消えて団体は解散していた。千紘はあの石が全ての元凶だとして、小沢と共に大森から教えてもらった近畿地方の山へ向かうことになる。
千尋の行動の理由
千紘の推理は、あの黒い石は必要とされているところに現れるのではないかというものだった。母を失い喪失感に苛まれていたまさる、大事な人を失った人々が集まる宗教団体……。「首吊り屋敷」の一階の床に穴が空いていたのも、息子を亡くした母(了を亡くした赤い服の女)のもとに黒い岩が現れ、その後力を与えて消えたと考えれば合点がいく。
映画『近畿地方のある場所について』のクライマックスでは、千紘は山のトンネルに現れた赤い服の女を跳ね飛ばして突き進むが、鳥居と祠に黒い石はなかった。それでも千紘がさらに山の奥へと進むと、小沢はほかでもない千紘の後ろに黒い岩の姿を見たのだった。
全ては千紘が仕組んだ罠だったのである。息子を殺された千紘は赤い服の女と同じように黒い石を頼ったのだ。千紘は小沢の前にも佐山と同じ作業に取り組んでいたのだろう、佐山が「俺の次はこいつか」と言ったのは事実だったが、佐山はおそらく千紘の生贄になる前に赤い服の女&了に取られてしまったのだ。
千紘の目的は「ましらさま」に生贄を連れてきて、死んだ息子のたくみを蘇らせることだった。よく考えると千紘は小沢に積極的に食事を摂らせており、生贄の管理を怠っていなかった。同時に小沢が佐山のように赤い服の女側に行ってしまわないように、繰り返し「暴走」しないようにと小沢に釘を刺していた。
つまり、息子を甦らせるために小沢を生贄にしたい千紘と、了の養分を求める赤い服の女はライバル関係にあったのだ。千紘は赤い服の女と争っていたため、埼玉で小沢が連れていかれそうになった時には語気を荒げて小沢にビンタをした。山のトンネルでも小沢を捕まえようと赤い服の女が現れたため、千紘は「邪魔するな!」と言い、息子のためにアクセルを踏み込んだのである。
それ以外にも伏線はあった。霊能力者の諸田が喫茶店で千紘の背後に白い手を見たのは、千紘自身がやしろさまに仕えていたからだろう。また、血に塗れた手が小沢の肩に伸びた後に、背後に立っていたのは千紘だったというシーンもあったが、これも赤い服の女が手を伸ばしたのを千紘が阻止したか、千紘自身が怪異であるため手が血に塗れていたと考えることができる。
ラストの意味は?
そして、小沢の背後の木の上には、やしろさまが登場。その姿は、全身が白く、無数の手が生えた体毛のない猿のような見た目だった。団地の一家の娘が絵を描いていたときに、白い顔を指して「一番偉い人」と言っていたのはやしろさまのことだったのだ。同時に一家の母は外を眺めていたが、その視線の先には、やしろさまがいる山があった。
生贄となった小沢は、無数の目に包まれ、黒い石の中に吸い込まれていく。この目はやしろさまが集めてきたものだろうか。佐山は左目を失っており、森の中へ消えた失踪した少女も目に穴が空いているようだったという。
映画『近畿地方のある場所について』のラストでは、千紘は佐山失踪の時と同じように小沢の失踪について動画をSNSに投稿する。映像の途中から赤ん坊の泣き声が聞こえてくると、最後に千紘は赤ん坊を連れてくる。だが、その手は赤黒く、さらに「やしろさま」のように無数の手が伸びてくる。同時に千紘の両目が左右に広がっていくところで、映画『近畿地方のある場所について』は幕を閉じる。
小沢を生贄として捧げたことで、千紘の息子のたくみは了のように怪異として蘇ったのだろう。となれば、たくみにも養分が必要となる。千紘は今度はたくみの養分を集めるために発信を続けていくのだろうか。
エンディングで流れる曲は椎名林檎の書き下ろし曲「白日のもと」だ。
映画『近畿地方のある場所について』ネタバレ考察&感想
映画版の魅力と原作との違い
映画『近畿地方のある場所について』は、原作小説の内容をベースにしつつ、特にラストについてはオリジナルの展開が用意されていた。映画内の伏線を確認するためにすぐに観返したくなるような仕掛けがあり、ホラーとしてもミステリーとしても非常に面白い作品だった。
一方で、原作小説のキャラクターの名前を小澤から小沢に、千尋から千紘に変えていることから、映画版も「近畿地方のある場所について」の一つの資料に過ぎないと考えることもできる。カクヨム版、単行本版、文庫版と内容が変化してきた本作は、結局のところ伝聞や動画、書籍、映画を通して私たちを怪異に引き込むことに成功しているのではないだろうか。
映画版の魅力はやはり俳優陣にもある。瀬野千紘を演じた菅野美穂は優しい顔に頼りになる顔、そして恐怖の顔を使い分ける流石の演技力を見せた。小沢悠生を演じた赤楚衛二も負けず劣らず素晴らしい演技で、恐怖に顔を歪める姿は今後もホラー俳優として活躍する姿を容易に想像できるほどのクオリティーだった。
映画版での改変の結果、二人の母(千紘と赤い服の女)による小沢の奪い合いが描かれた点は興味深かった。『近畿地方のある場所について』の怪異は、女性を標的にするまさるなど、男性的な存在が中心になっているのだが、映画になるとやはり「子どもを失った母の執着」という、ミソジニーの要素を含むJホラーにありがちな要素に帰着してしまったのはやや残念だった。母親の要素は原作にもあるが、映画では菅野美穂演じる千紘の存在感が強いため、そこは裏目に出た部分だったと言える。
あいつの正体は古事記と関係が?
映画『近畿地方のある場所について』には、いくつか残された謎もある。最大の謎は「ましろさま」や「やしろさま」と呼ばれるラスボスが何者なのかということだが、そのヒントは入場者特典の書き下ろし短編小説に記されている。本記事ではその内容に触れることはやめておくが、作者が山に人を呼ぶラスボスの正体について何らかの設定を置いていることは確実だと言える。
シリーズの舞台となる「近畿地方のある場所」については、映画版でも具体的な地名は伏せられたままだった。それでも、今回初めて映像化されたその姿を見ると、そのモデルになっているのは生駒山だと考えられる。
奈良県と大阪府に跨る生駒山は鬼退治の伝説があったり、寺や祠、さまざまな宗教団体の施設が建っていたりと、スピリチュアルな場所として知られる。筆者は通算で二十数年の間、近畿地方に住んだが、一方で生駒山は近畿の若者にとっては身近な遊び場で、夜間のドライブや肝試しのスポットでもあったことから、あの山には親近感を覚える(その他の多くの地域にもそうしたスポットは存在しているのかもしれないが)。
ちなみに映画版では古事記の「天の岩戸」に関連する要素が登場したが、古事記の日本神話ではニギハヤヒ(饒速日)が天磐船(あまのいわふね)で生駒山に降り立ったとされている。ニギハヤヒは近畿地方に稲作の文化をもたらしたとされており、現在、奈良県生駒市にはニギハヤヒの墳墓がある。また、生駒山の麓の東大阪市の方にも石切神社(石切劔箭神社)があり、ニギハヤヒが祀られている。
それを踏まえると、全ての元凶であるあの山の怪異の正体はニギハヤヒなのでは、と思いたくもなるが、さすがに本物の神様が怪異を起こすというのは考えにくい。この辺りの考察は、映画の入場特典の内容と合わせてこちらの記事で取り組んだ。
最後になったが、原作小説は単行本と文庫本で内容が異なり、映画版の内容とも印象が異なる。小説版の内容が映画版の内容とリンクしていたり、対になっているように思える要素もあるため、原作小説と合わせて楽しめる作品となっている。
映画『近畿地方のある場所について』は2025年8月8日(金) より全国で公開。
背筋による原作小説『近畿地方のある場所について』は単行本版と文庫本版が発売中。
¥1,401
碓井ツカサによるコミカライズ版も発売中。
やしろさまの正体について、入場者特典の短編小説の内容を踏まえた考察はこちらの記事で。
【ネタバレ注意】映画『ドールハウス』の解説&感想はこちらから。
【ネタバレ注意】映画『見える子ちゃん』の解説&感想はこちらから。
【ネタバレ注意】映画『あのコはだぁれ?』の解説&感想はこちらから。
0 件のコメント:
コメントを投稿