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抽象度が上がるにつれて、ボルティマンドが投げかける父王の最後の言葉「ゆるせ」に発する問いの解釈は複層的となる。「不甲斐ない父をゆるせ」は上述の呪縛を引き出す。「叔父クローディアスをゆるせ」は不甲斐ない父を前提とし、スカーレットは「見果てぬ場所」で叔父の懺悔を聴く。ここで、斯様なまで愚かしく惨めに救いを求める哀れな男に憐憫の情をかけるだけでは、クローディアスの剣が振り下ろされて彼女は死ぬ。憎き仇を憐れむだけでは、その対象に費やした復讐の日々が彼女の生を肯定させない。
父王の最後の言葉「ゆるせ」は三度、去来する。最後の解釈は「復讐に身を焦がす自身をゆるせ」だ。ここに、突拍子もなく飛躍する近未来渋谷のダンスシーンが関わる。過去を参照する限り、復讐に纏わる徒労から逃れることはできない。それでは竜が象徴する強烈な応報性に絡め取られてしまう。もし近未来渋谷のダンスシーンが宮廷の舞踏会だったら、それはスカーレットにとって現実の延長を超えるものではなく、自身の生を肯定するには弱過ぎる。しかし聖の献身と贈与、キャラバンでの愛と祈りを捧げるフラを踏まえて愛を歌う近未来渋谷のダンスを捉えるならば、未来に全く別の人生があり得る描写は至極等然の理路だ。聖は不完全性において入り込む外部要素であり、彼女は「外」を観ている。
「死者の国」はスカーレットの心象描写が投影されると観るのが妥当だろう。抽象度上昇の山登りを果たす彼女は「見果てぬ場所」で「ゆるせ」の三段階を瞬時に駆け抜けて「能動/受動関係」を超越する。復讐の応報性から抜け出る彼女に呼応して執着の写像たるクローディアスは雷撃で消失し、役目を終える竜と聖も消失する。そして未来の為に、彼女は権謀術数渦巻く政治闘争と王国の統治に戻ってゆく。
昏睡状態でスカーレットが体験したものは何だったのか。それは帝王学といった限定的な見識ではなくヒトの性(さが)を通して彼女が王権を担う君主へと生まれ変わる通過儀礼だ。サブカルに寄せるなら「精神と時の部屋効果」とでも言おうか。そして刹那瞬や一念三千を出すまでもなく、それは果てしない世界が詰まった夢物語と言える。
ここまで来て、ようやく本作の骨格を抜き出したと言える。その上で委細分析を行えば良い。何が有効か否か、或いは何が問題なのか。この論考を以って提示するフレームが批評に資することを願う。
父王の最後の言葉「ゆるせ」は三度、去来する。最後の解釈は「復讐に身を焦がす自身をゆるせ」だ。ここに、突拍子もなく飛躍する近未来渋谷のダンスシーンが関わる。過去を参照する限り、復讐に纏わる徒労から逃れることはできない。それでは竜が象徴する強烈な応報性に絡め取られてしまう。もし近未来渋谷のダンスシーンが宮廷の舞踏会だったら、それはスカーレットにとって現実の延長を超えるものではなく、自身の生を肯定するには弱過ぎる。しかし聖の献身と贈与、キャラバンでの愛と祈りを捧げるフラを踏まえて愛を歌う近未来渋谷のダンスを捉えるならば、未来に全く別の人生があり得る描写は至極等然の理路だ。聖は不完全性において入り込む外部要素であり、彼女は「外」を観ている。
「死者の国」はスカーレットの心象描写が投影されると観るのが妥当だろう。抽象度上昇の山登りを果たす彼女は「見果てぬ場所」で「ゆるせ」の三段階を瞬時に駆け抜けて「能動/受動関係」を超越する。復讐の応報性から抜け出る彼女に呼応して執着の写像たるクローディアスは雷撃で消失し、役目を終える竜と聖も消失する。そして未来の為に、彼女は権謀術数渦巻く政治闘争と王国の統治に戻ってゆく。
昏睡状態でスカーレットが体験したものは何だったのか。それは帝王学といった限定的な見識ではなくヒトの性(さが)を通して彼女が王権を担う君主へと生まれ変わる通過儀礼だ。サブカルに寄せるなら「精神と時の部屋効果」とでも言おうか。そして刹那瞬や一念三千を出すまでもなく、それは果てしない世界が詰まった夢物語と言える。
ここまで来て、ようやく本作の骨格を抜き出したと言える。その上で委細分析を行えば良い。何が有効か否か、或いは何が問題なのか。この論考を以って提示するフレームが批評に資することを願う。
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