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黒澤明が『羅生門』(1950年)の太陽の撮影について、そしてテレビで聞いた大映の社長の偽善的な主張について:
「太陽そのものをどうやって使うかを考えなければならなかった。これは、森の光と影を映画全体の基調として使うという決定があったため、大きな懸念事項だった。私はこの問題を、実際に太陽を撮影することで解決することを決めた。今日では特に、カメラを太陽に直接向けることは珍しくないが、『羅生門』が作られていた当時、そんなショットはまだ映画撮影のタブーの一つだった。太陽の光線がレンズに直接当たると、カメラ内のフィルムを焼き尽くすとさえ考えられていた! しかし、私の撮影監督である宮川太一は、この慣習に大胆に逆らい、素晴らしい映像を生み出した。特に序盤の部分は、壮大なカメラワークで構成されており、観客を森の光と影を通り抜け、人間の心が道を見失う世界へと導いていくのだ。ちなみに、『羅生門』を通じて、私自身も人間の心の不幸な側面を発見せざるを得なくなった。それは、約10年前にこの映画がテレビで初めて放送されたときのことだ。その放送には大映の社長へのインタビューが付き、耳を疑った。この男は、制作当初にプロジェクトに対してあれほど嫌悪を示し、完成した映画が「理解不能だ」と不平を言い、会社の幹部と『羅生門』の制作を支援したプロデューサーの両方を降格させた後——今ではその成功を自社だけで誇らしげに独占的に認めているのだ! 彼は、映画史上初めてカメラが大胆に太陽に直接向けられたと自慢した。そして、彼の長い談話の中で、大映の社長は私の名前や、この功績の持ち主である撮影監督・宮川太一の名前を一度も口にしなかった。あのテレビインタビューを見ながら、私は再び『羅生門』の世界に戻ったような気がした。まるで、映画で描こうとした自我の哀れな自己欺瞞、あの欠陥が、現実の人生で展示されているかのようだった。人々は確かに、自分を本当の姿で語ることには計り知れない困難を抱えている。私は改めて、人間という動物が本能的な自己奉仕の性質に苦しんでいることを思い知らされた。
——黒澤明、ベルト・カルドゥロによるインタビュー(1992年)、「映画についての対話:世界の監督たち」カルドゥロ編(2011年)掲載
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