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本稿の前編でも記したように、鈴木が脚本を担っていた時期の初期構想では、里村慎太郎の存在が大きく扱われていたと推測できただけに、橋本版の脚本とは大きな隔たりがある。もっとも、橋本が原作を改変して主人公の辰也と美也子を恋仲にし、その愛を育む舞台装置として原作と異なるかたちで鍾乳洞を活用するのは、ミステリーとしてはともかく、映画的な脚色として一概に悪いとは言えない。しかしながら、橋本が『八つ墓村』をミステリーではなく、オカルトとして捉えた点は、功罪相半ばすると言わざるをえない。これは、同時代に『エクソシスト』(73)などのオカルト映画の流行が影響したものと見られることもあるが、橋本は以前より怨念を通じて過去と現在を交錯させる作劇を試みていた。
たとえば、1956年頃に準備されていた『鉄輪』は、同名題の能の演目と、橋本の実体験をもとにした〈丑の刻参り〉がテーマの異色作である。監督は黒澤明で、ジャン・コクトーら世界中の監督たちが参加するオムニバス映画『嫉妬』の1本として企画された。
終戦直後の製材所で、木材から丑の刻参りに使用された釘が発見されるところから幕が上がる。その製材所で働くヒロインには、思いを寄せるトラック運転手がいるものの、都会から戻ってきた女と関係を持っている。しかし、内気なヒロインはそのことを直接非難できない。苦しんだ挙げ句、彼女は21日間にわたる丑の刻参りで恨みを晴らすが、最後の夜に森から彼女が出てきたところで、トラックに出くわす。運転していたのは恋い焦がれていた男だった。隣席には例の女もいる。闇夜の森から頭に蝋燭を立てた鬼気迫るヒロインに出くわした男は驚愕し、ハンドル操作を誤ってトラックと共に谷底へと落ちていく。
この企画は、発端となったオムニバス映画自体が中止となって実現しなかったが、黒澤×橋本コンビによる『羅生門』(50)、『蜘蛛巣城』(57)の現代版といえる作品になっていたかもしれない。黒澤は、現代劇ではなく平安時代ならば、この企画は成立すると橋本に進言したという。
それから30年近くを経て、橋本はこの企画をもとに『愛の陽炎』(86)の題で映画化を果たす。しかし、黒澤が懸念したとおり、現代を舞台にしたことで無理が生じることになった。これは、時代設定を現代にした『八つ墓村』と同じ問題を孕んでいたが、なぜ、橋本は現代を舞台にすることに固執したのだろうか。
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