『気狂いピエロ』('65ゴダール)の冒頭⇩では、エリー・フォール『美術史』収録のベラスケス論をジャン=ポール・ベルモンドが朗読する。
https://x.com/nave4000/status/2063210382739562716?s=61
「ベラスケスは五十歳を越えると、もはや決して対象を明確な輪郭線で描くことはなかった。彼は空気や黄昏とともに対象のまわりを彷徨い、 背景の透明感と影のなかに色調のきらめきを不意にとらえ、この眼には見えないきらめきを核として静かな交響楽を奏でた。彼が世界のなかにとらえるのは、いかなる衝撃、いかなる激発であろうとも、その歩みを露呈せたり中断させたりすることのない密やかで弛みない進歩によって、形態と色調が互いに浸透しあう神秘的な交感以外のなにものでもない。空間が支配している。空間は表面をかすめる大気の波のように、その表面から目に見えて湧き出るものを吸収し、輪郭づけ、形作る、そして芳香のごとくいたるところへと拡散する、ごく軽い塵となって四方に拡がりゆく反響さながらに。
彼が生きていた世界は悲惨なものであった。堕落した国王、病気がちの王子たち、白痴、侏儒、障害者、王子の身なりをさせられ、みずからを笑いものにして、不道徳な人々を笑わせることを務めとする怪物のごとき道化師たち。彼らはみな、礼儀作法、陰謀、虚言に締めつけられ、懺悔と悔恨に縛られていた。破門や火刑、沈黙、…
憂愁に満ちた精神が漂う、しかしこの苦しめられた少女には、醜さも、悲しさも、陰鬱で残酷な感覚も見られない。…
ベラスケスは夜の画家、そして空間、沈黙の画家である。真昼に描こうが、閉ざされた室内で描こうが、戦争や狩猟が彼の周りで荒れ狂うときでさえもそうだ。スペインの画家たちは、空気が焼けつくように熱く、太陽がなにもかもを鈍らせる日中にほとんど外に出ないため、おのずと宵と心を通わせた」
-「近代美術[I](エリー・フォール著、谷川渥+水野千依訳、2007国書刊行会)P141~146からの抜粋
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