2024年8月8日木曜日

月から見た地球(華やかな魔女たち – La Terra vista dalla Luna (Le Streghe) – 規則と例外

月から見た地球(華やかな魔女たち – La Terra vista dalla Luna (Le Streghe) – 規則と例外

月から見た地球(華やかな魔女たち – La Terra vista dalla Luna (Le Streghe)

監督: ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作: ディノ・デ・ラウレンティス
脚本: ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影: ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽: エンニオ・モリコーネ
    ピエロ・ピッチオーニ
美術: Mario Garbuglia
    Piero Poletto
衣装: Piero Tosi
編集: Nino Baragli
出演: シルヴァーナ・マンガーノ
公開: 1967
時間: 31 min
製作国: イタリア
     フランス
wikipedia (jp)

Director: Pier Paolo Pasolini
Producer: Dino De Laurentiis
Screenplay: Pier Paolo Pasolini
Cinematography: Giuseppe Rotunno
Music: Ennio Morricone / Piero Piccioni
Edit: Nino Baragli
imdb (eng)

2024年8月4日日曜日

John CleeseさんによるXでのポスト 哲学者サッカー

NAMs出版プロジェクト: 三島由紀夫とハイデッガー:ノート

NAMs出版プロジェクト: 三島由紀夫とハイデッガー:ノート

三島由紀夫とハイデッガー:ノート

三島由紀夫インタビュー 1969
https://youtu.be/hkM_1LX4hDI?t=3m




ハイデガー文学リンク:::::::::

三島由紀夫は『絹と明察』*(1964)ラストでハイデッガー(理想社創文社以外はハイデガー表記だが、三島はハイデッガーと表記)の『存在と時間』(桑木務訳岩波文庫1961の語尾をかえたものと思われる)を引用、参照している。

終ってゆくことは、自分のうちに、その都度の現存在にとって全く代理できない、存在の様態を含んでいる」(三島由紀夫『絹と明察』講談社文庫297頁より孫引き)

自分の死を回避しながら、終りへの日常的存在もまた、……死を確信しているのである。」(同)

以下は『存在と時間』の上記に該当する箇所の別訳(中公クラシックスより)。

第48節
《これまで死について論究されてきたことは、次のような三つのテーゼとして定式化される。すなわち、1 現存在には、現存在が存在しているかぎり、現存在がそれになるであろう或る未了──つまり不断の未済が、属している。2 そのつどまだ終わりに達していない未了の存在者がおのれの終わりに到達すること(未済を存在上除去すること)は、もはや現存在しないという性格をもつ。3 終わりに到達することは、そのときどきの現存在にとって絶対的に代理不可能な或る存在様態を、それ自身のうちに包含している。》

(三島が引用したのは最後のテーゼ(提言)の部分のみである)

第52節
おのれの死から回避しながらも、それでも終わりへとかかわる日常的な存在でさえ、純粋に理論的な省察においてそれ自身が承認しようとしているのとは別様に、死を確実だとさとっている。》

このあと『ヘルダーリン詩の解明』(手塚富雄訳理想社1962、34~5頁)からも引用している。
「宝、故郷のもっとも固有なもの。『ドイツ的なもの』は、貯えられているのである。……詩人が、貯えられたものを 宝(発見物)と呼ぶのは、それが通常の悟性にとって近付き難いものであることを知っているからだ」(三島由紀夫『絹と明察』講談社文庫297頁より孫引き)

また、『絹と明察』冒頭ではハイデッガーの哲学の要約**に続いてハイデッガー思想と和泉式部の歌とを比較している。保田与重郎も同じ和泉式部の歌***を絶賛し、何度か論考している。影響があるかも知れない。


三島のハイデッガー解釈はバタイユを連想させて正確ではないかも知れない。ただ、西欧合理主義を内側から崩すものとしてうまく活用している。


新潮文庫、講談社文庫等で入手可能。なお創作ノートは残っていないが、制作意図を語ったインタビューがあり、新潮文庫あとがきで少し引用されている。

**

《ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。 》
(三島由紀夫「絹と明察」より)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1287085245/l50


***

和泉式部「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞみる」

(『保田與重郎全集』http://binder.gozaru.jp/yasuda.htm 目次

第14巻「和泉式部私抄」第17巻「日本語録」他参照)

2024年8月3日土曜日

温泉こんにゃく芸者のパングロスの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画

温泉こんにゃく芸者のパングロスの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画

ただ、本作は、上記した珠江の男に媚びない主体性の強い性格や、徳助が不能者だったり、珠江の処女は奪った荒川(荒木一郎)が彼女をヌードダンサーにしようという思惑は拒絶されたり、男性陣が必ずしも女性に対して強くはない側面も描いている。
そのせいもあってか、アッケラカンとしたテイストも相まって、作品全体からは悪印象をそれほど感じない。

それでも、芸者衆が披露する芸が肌の露出を売りにしたり下ネタ満載だったり、夜には必ず客と同衾するあたりは、現在の芸者像とのあまりの落差に、ゲゲゲとドン引きする思いを禁じ得なかったが‥‥
文化人の集まりによる宴の夜、客と同衾する芸者衆を次々と映す中で、肌を露わにして女同士で絡みあうカップルがいて、「あれま」と思ったら、「男なんてのがいるからイケナイのよ」とか言いながら、その様を眺めている女流作家らしき人物を映したのは、せめてもの批評性だったのだろうか。

まぁ、終盤のコンニャク風呂やら、小松方正と珠江とのSEX三番勝負あたりは、下手な筒井康隆かい、ってな感じで、呆れて観るしかなかったが‥‥

タイトルバックと終盤で流れる「すってんころり」とか「ペロンペロン」とかいう変な調子の歌を含めて、人を小馬鹿にしたような広瀬健次郎の音楽も、悪くはなかった。

まぁ、こんなのも70年代の東映にとって欠かせない稼ぎ頭の一ジャンルだったということで、お勉強にはなりました、とさ。

《その他の参考》
*3 「温泉こんにゃく芸者」で検索
ja.m.wikipedia.org/wiki/

*4 温泉こんにゃく芸者
1970年8月14日公開、86分、コメディ
moviewalker.jp/mv19149/

*5 映画和日乗 2011-09-09
「温泉こんにゃく芸者」監督・中島貞夫 at シネマヴェーラ渋谷
mitts.hatenadiary.jp/entry/20110909/1315612954

*6 どーもキューブのブログ
中島貞夫監督「温泉こんにゃく芸者」
2012-08-05 15:02:44
ameblo.jp/doomodoomo2001/entry-12476245283.html

*7 花街ぞめき Kagaizomeki
温泉芸者 2016-01-07 11:02
gionchoubu.exblog.jp/24841686/

《上映館公式ページ》
没後一周忌追悼 映画監督中島貞夫
2024.6.8〜6.28 シネ・ヌーヴォ
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/nakajimasadao2024/nakajimasadao20024.html
https://filmarks.com/movies/60128/reviews/177220164

温泉こんにゃく芸者のパングロスのレビュー・感想・評価

◎女屋実和子デビュー片山津温泉erotic comedy

1970年 東映京都 カラー 86分 35㎜ シネスコ
*やや褪色するも鑑賞に支障なし

何でも、東映には「温泉芸者シリーズ」なる作品群があるそうで(*1 )、本作は、その第3作目。
*1 狂い咲きシネマロード 2022Aug07
ポルノという言葉はここから生まれた!
 東映『温泉芸者シリーズ』
tooms1954.blog.fc2.com/blog-entry-1293.html

要は、温泉芸者を主人公とするエロティック・コメディだが、中島貞夫による喜劇としては、まぁまぁ笑えるところが多いだけ少しはマシといったところか。

【以下ネタバレ注意⚠️】






主役は、女屋実和子(おなやみわこ 1950- )で本作がデビュー作とか。
高倉健・佐久間良子・梅宮辰夫・千葉真一・太地喜和子らを輩出した東映ニューフェースの第13期合格者だそうだが、本作以降、東映京都撮影所の脇役女優の代表格として、中島監督作品を中心に数々のピンキー・バイオレンス作品に出演したとのこと(*2 )。
*2 「女屋実和子」で検索
ja.m.wikipedia.org/wiki/

本作公開時は、まだ19歳のはずだが、確かにグラマラスというより、均整のとれた美しい肢体やバストを惜しげもなく披露している。

デビュー作ということで、まだ女優として慣れていないだけかも知れないが、変に媚びたり、シナを作ったりするところがなく、思ったことをズケズケ言うところが、現在から見ても好感が持てる。

物語の舞台は、北陸は加賀、石川県。

アバンタイトルは、ラジオの玉音放送を神妙に聴く殿山泰司のショットから始まるので、この手の艶笑喜劇としては冒険している感じだ。

何でも、殿山演ずる徳助は、戦争で局部に打撃を受けたとかで、不能者になった。
で、稼業の金沢で営むコンニャク屋を活かして、自分と同じ不能者たちを救済するための精妙な張形の開発に余念がない。

女屋実和子演ずる珠江は、そのコンニャク屋に育てられた孤児。
だからなのか、育ての父徳助に対する恩義を強く感じていて、珠江は父の思いを叶えてあげたいと日頃から思っているという孝行娘。

珠江は、金沢のコンドーム工場に工員として勤務していたが、ある日、社長の大泉滉から工場閉鎖を告げられ、退職金代わりに現物支給だと言って、製品のコンドームを渡される。
赤旗を振って社長団交に臨む社員たちが、
「そんなもの貰ったって、腹は膨れんゾ!」
と気勢をあげると、大泉社長が、
「これは、腹が膨れんようにするためのものであって‥‥」
などと返すのが、実にバカバカしい。

まぁ、一応脈絡らしいものはあるってことだけ示せば良いので、あとは省略するが、部分部分で、かなり笑えるネタもあるが、全体としてはエピソードのつぎはぎで、勿論まとまりのある喜劇という訳ではない。

これまで中島貞夫監督作品を観てきて、やはり中島も、東映作品群に濃厚に認められるtoxic masculinity(有害な男らしさ)色から逃れていないなぁ、という総論的な印象を持つに至っている。

ただ、本作は、上記した珠江の男に媚びない主体性の強い性格や、徳助が不能者だったり、珠江の処女は奪った荒川(荒木一郎)が彼女をヌードダンサーにしようという思惑は拒絶されたり、男性陣が必ずしも女性に対して強くはない側面も描いている。
そのせいもあってか、アッケラカンとしたテイストも相まって、作品全体からは悪印象をそれほど感じない。

それでも、芸者衆が披露する芸が肌の露出を売りにしたり下ネタ満載だったり、夜には必ず客と同衾するあたりは、現在の芸者像とのあまりの落差に、ゲゲゲとドン引きする思いを禁じ得なかったが‥‥
文化人の集まりによる宴の夜、客と同衾する芸者衆を次々と映す中で、肌を露わにして女同士で絡みあうカップルがいて、「あれま」と思ったら、「男なんてのがいるからイケナイのよ」とか言いながら、その様を眺めている女流作家らしき人物を映したのは、せめてもの批評性だったのだろうか。

まぁ、終盤のコンニャク風呂やら、小松方正と珠江とのSEX三番勝負あたりは、下手な筒井康隆かい、ってな感じで、呆れて観るしかなかったが‥‥

タイトルバックと終盤で流れる「すってんころり」とか「ペロンペロン」とかいう変な調子の歌を含めて、人を小馬鹿にしたような広瀬健次郎の音楽も、悪くはなかった。

まぁ、こんなのも70年代の東映にとって欠かせない稼ぎ頭の一ジャンルだったということで、お勉強にはなりました、とさ。

《その他の参考》
*3 「温泉こんにゃく芸者」で検索
ja.m.wikipedia.org/wiki/

*4 温泉こんにゃく芸者
1970年8月14日公開、86分、コメディ
moviewalker.jp/mv19149/

*5 映画和日乗 2011-09-09
「温泉こんにゃく芸者」監督・中島貞夫 at シネマヴェーラ渋谷
mitts.hatenadiary.jp/entry/20110909/1315612954

*6 どーもキューブのブログ
中島貞夫監督「温泉こんにゃく芸者」
2012-08-05 15:02:44
ameblo.jp/doomodoomo2001/entry-12476245283.html

*7 花街ぞめき Kagaizomeki
温泉芸者 2016-01-07 11:02
gionchoubu.exblog.jp/24841686/

《上映館公式ページ》
没後一周忌追悼 映画監督中島貞夫
2024.6.8〜6.28 シネ・ヌーヴォ
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/nakajimasadao2024/nakajimasadao20024.html