2025年6月23日月曜日

【全文】沖縄慰霊の日「平和の詩」朗読した11歳 命の大切さ教えてくれた「おばあちゃんの歌」(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

【全文】沖縄慰霊の日「平和の詩」朗読した11歳 命の大切さ教えてくれた「おばあちゃんの歌」(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

【平和の詩「おばあちゃんの歌」全文】 毎年、ぼくと弟は慰霊の日に おばあちゃんの家に行って 仏壇に手を合わせウートートーをする 一年に一度だけ おばあちゃんが歌う 「空しゅう警報聞こえてきたら 今はぼくたち小さいから 大人の言うことよく聞いて あわてないで さわがないで 落ち着いて 入って いましょう防空壕」 五歳の時に習ったのに 八十年後の今でも覚えている 笑顔で歌っているから 楽しい歌だと思っていた ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに 一年に一度だけ おばあちゃんが歌う 「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」 泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた 歌った後に 「あの戦の時に死んでおけば良かった」 と言うからぼくも泣きたくなった 沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを 「艦砲射撃の食べ残し」 と言うことを知って悲しくなった おばあちゃんの家族は 戦争が終わっていることも知らず 防空壕に隠れていた 戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが 戦車でひき殺されると思い出て行かなかった 手榴弾を壕の中に投げられ おばあちゃんは左の太ももに大けがをした うじがわいて何度も皮がはがれるから アメリカ軍の病院で けがをしていない右の太ももの皮をはいで 皮ふ移植をして何とか助かった でも、大きな傷あとが残った 傷のことを誰にも言えず 先生に叱られても 傷が見える体育着に着替えることが出来ず 学生時代は苦しんでいた 五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い 「艦砲射撃の食べ残し」と言われても 生きてくれて本当に良かったと思った おばあちゃんに 生きていてくれて本当にありがとうと伝えると 両手でぼくのほっぺをさわって 「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」 生き延びたから 命がつながったんだね とおばあちゃんが言った 八十年前の戦争で おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った その傷は何十年経っても消えない 人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして 一生懸命に生きていく

【全文】沖縄慰霊の日「平和の詩」朗読した11歳 命の大切さ教えてくれた「おばあちゃんの歌」

 戦後80年の「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄県内各地は鎮魂と平和を願う祈りに包まれた。沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁の県平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われ、地上戦を生き延びた体験者の孫が平和の詩を朗読した。85歳の祖母が一年に一度だけ、歌うという「おばあちゃんの歌」の意味を知った時の思いをつづり「命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさない」と宣言した。 【画像】沖縄「平和の礎」に刻銘された全戦没者24万2567人の氏名(全52ページ)  今年、平和の詩を朗読したのは豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝(いぶき)さん(11)。  祖母が歌っていたのは「艦砲ぬ喰ぇー残さー(艦砲射撃の食べ残し)」。激しい地上戦が繰り広げられ、住民の4人に1人が命を落とした沖縄で生き残った人のことを指す言葉だ。泣きながら歌った後に「あの戦の時に死んでおけば良かった」と口にし、城間さんも悲しくなったという。  詩には、戦争が終わったことも知らず家族と防空壕に隠れ続けて、米軍が壕に投げ込んだ手りゅう弾で大けがを負った祖母の体験をつづった。一緒にいた祖母の弟はけがで亡くなったという。  戦後80年がたっても癒えない心と体の傷。それでも生き続け、孫の自分へと命をつないでくれたことに感謝し「おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく」と誓った。  詩を書くに当たり、城間さんは祖母に2回、詳しいインタビューをしたという。  「つらい思い出だからといって体験を詳しく聞かないでいたら、おばあちゃんが今でも苦しんでいること、何十年も人を苦しめ続ける戦争の怖さも分からなかったかもしれない。つないでくれた命を大切にして一生懸命に生きていかないといけない」(城間さん)  平和の詩は今年937件の応募があった。 【平和の詩「おばあちゃんの歌」全文】 毎年、ぼくと弟は慰霊の日に おばあちゃんの家に行って 仏壇に手を合わせウートートーをする 一年に一度だけ おばあちゃんが歌う 「空しゅう警報聞こえてきたら 今はぼくたち小さいから 大人の言うことよく聞いて あわてないで さわがないで 落ち着いて 入って いましょう防空壕」 五歳の時に習ったのに 八十年後の今でも覚えている 笑顔で歌っているから 楽しい歌だと思っていた ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに 一年に一度だけ おばあちゃんが歌う 「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」 泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた 歌った後に 「あの戦の時に死んでおけば良かった」 と言うからぼくも泣きたくなった 沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを 「艦砲射撃の食べ残し」 と言うことを知って悲しくなった おばあちゃんの家族は 戦争が終わっていることも知らず 防空壕に隠れていた 戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが 戦車でひき殺されると思い出て行かなかった 手榴弾を壕の中に投げられ おばあちゃんは左の太ももに大けがをした うじがわいて何度も皮がはがれるから アメリカ軍の病院で けがをしていない右の太ももの皮をはいで 皮ふ移植をして何とか助かった でも、大きな傷あとが残った 傷のことを誰にも言えず 先生に叱られても 傷が見える体育着に着替えることが出来ず 学生時代は苦しんでいた 五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い 「艦砲射撃の食べ残し」と言われても 生きてくれて本当に良かったと思った おばあちゃんに 生きていてくれて本当にありがとうと伝えると 両手でぼくのほっぺをさわって 「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」 生き延びたから 命がつながったんだね とおばあちゃんが言った 八十年前の戦争で おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った その傷は何十年経っても消えない 人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして 一生懸命に生きていく

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