2026年3月8日日曜日

映画「レンタル・ファミリー」観てきました。(ネタバレ)|ちえべ(CB-K)

映画「レンタル・ファミリー」観てきました。(ネタバレ)|ちえべ(CB-K)

映画のラストシーン、フィリップは稲荷神社の前に立っていました。
キクオとの旅の途中、社を見つけるたびに手を合わせるキクオに向かって、フィリップは神の存在について訊ねます。
神はどこにいるかわからないから信じられない、というフィリップに「八百万の神」について話します。
腑に落ちないフィリップは、社の向こうには何があるのか、とキクオに訊ねました。キクオは「自分で見ると良い」と笑い言い残していました。

フィリップが稲荷大社に向かい手を合わせた時、風が吹き、神幕がめくれ上がり御神鏡が現れて、フィリップの姿を映していました。

それを見たフィリップは得心したように微笑みました。

このラスト、とても気に入りました。

https://note.com/kaname1967/n/n19bc501fa0d5

映画「レンタル・ファミリー」観てきました。(ネタバレ)

見出し画像

映画「レンタル・ファミリー」観てきました。

試写会をあわせて、今年4本目。
これは予告編から見ていて、見たいなと思っていた作品。

予告編の印象とは ちょっと違った内容だったので、
自分の映画観も大したことがないなぁって思いました。

最近、物忘れが多くて・・・・。

誰の言葉でしたか、「人は、人生という芝居を演じる役者である」って言っていた人がいて、「みんな、何某の場所で、何某の役を演じているに過ぎない」っていう言葉だったと思います。
その後に続く言葉が「本来持つ個性というのは・・・・」なんだっけ💦

「レンタル・ファミリー」って、まさにこの言葉を物語にした感じでした。

必要な人を、その役割で提供するサービスという事業をしている会社。

そんな会社からスカウトされて登録? ーーー観た感じでは「役者」として登録しただけで「社員」にはなっていない感じかなぁって思いましたーーー
登録したフィリップは、「白人の男性外国人」として、いろいろな「役」を演じます。
ある時は引きこもりのゲーマーの友達として、ある時はカラオケの盛りあげ隊として。
ある時はレズビアンの偽装結婚の花婿役として。

そして、私立小学校編入試験のための父親役として、少女ミアと出会います。

予告編を見た時には、この状況は想像できたのですが、ただミアはフィリップのことを「ウソのパパ」と気づいていて、母親のいないところで「どうして、そんなことをしているの?」と質問するマセた女の子だと思っていました。

でも、違いました。
ミアはもっと純真で優しい女の子で、父親(名前は忘れました)役のフィリップに心を開いていきます。

化け猫まつり? ああいう祭りがあるのですね、行ってみたい気がします。

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神楽坂化け猫フェスティバル

個人的には、ミアの母親には ある意味憤りを感じます。
東京の小学校事情は知りません。
公立小学校では、子どもの将来に不安を覚えるのでしょうか。
そこの気持ちは分からないでもありません。
でも、だからといって、体裁を繕ってまで編入させるのですか。
編入は構わないでしょう、問題は「体裁を繕う」ところ。

「お受験」なんてモノが過熱した時期があり、きっと東京などでは、なお継続中なのでしょう。名古屋でもあるかもしれません。

問題の焦点になるのは、「その子のため」という言葉を どこに充てるか、ということだと思います。
「その子」の将来の選択肢を増やすために、「よりいい学校(幼稚園・小中学校)」に入れる。
「その子」の性分にあって健やかに育てるために、「よりいい学校(幼稚園・小中学校)」に入れる。
「その子」の親として恥かしくならないために、「よりいい学校(幼稚園・小中学校)」に入れる。
「その子」の好きを大切にするために、「よりいい学校(幼稚園・小中学校)」に入れる。

思いつく理屈・理由を書いてみました。

映画の中のミアの母親の印象は、「親として」のプライドかなぁと思いました。
あるあるな設定ですが、シングルマザーで、ワンオペのように見えていて、
父親は不在で周囲から同情は受けたくないとか、離別した父親・父親の家族からバカにされたくないとか、そんな感じがして、その結果、ミアの編入試験につながり、試験合格のためには「標準家族」になることを一番に考えて、「レンタルファミリー」に依頼したのではないかと思えました。
もし、それなら母親のエゴでしょう。

その辺りは、ミアの合格の連絡を受けて喜ぶシーンで強く描かれているのかなと思いました。
そんな喜ぶ母親に、ミアはフィリップの正体について問いかけます。しかし、その問いかけを無視して「お祝いしましょ」と話します。
ミアは反感を持ち一旦は母親から離れますが、そこは親子で、ある意味ミアは母親への気遣いか甘えるように母親の膝に頭を預けます。

老いたキクオの話しです。
キクオの話しは、演技・芝居の話しに加えて、ちょっと信仰的なお話になっていたようです。

名優と言われたキクオも老いてしまい、記憶もたどたどしくなっています。
フィリップは、記者としてキクオ関りを持ちます。
体調を心配する娘をよそに、キクオは生まれ故郷の天草への旅を考えて、フィリップに「一緒に行こう」と言います。
フィリップは娘からかたく言われていて、一度は旅を断ります。
しかし、思うところがあって、フィリップはキクオを連れ出し、天草へと向かいます。
天草では、キクオの幼馴染であり初恋の子なのでしょう、その子の写真を見つけて、「本人は消えていなくなっているのに、記憶の中には生きている」と泣きだします。
キクオ自身、自分の記憶がおぼつかくなりつつあり、時に消えてしまうことも感じ取っていて、更には寿命についても考えていたのでしょう。

そんなキクオが亡くなり、フィリップは 棺で眠るキクオの胸元に、天草で見つけた写真をそっと忍ばせます。
そこには、「レンタルファミリー」の仕事での記者としてではなく、フィリップ本人が立っていたと思います。

高校演劇マンガ「CHANGE THE WORLD」(田川とまた著:小学館刊)の3巻で、劇作家・前田俊朗が主人公・浜野陽太たちの芝居に対して
演劇は他者を表現する芸術でもあるということを忘れないでほしい
と書いてありました(3巻より引用)

フィリップは、「レンタルファミリー」という仕事の中で、他者を演じきっていましたが、「レンタルファミリー」の顧客に接し語りあうことで、自分と他者との差顧客の現実を演じる設定として割り切ることができなくなったいったのではないでしょうか。

キクオと天草に行った件で、誘拐の容疑がかけられたフィリップは「レンタルファミリー」社員の浅はかともいえる努力(笑)のおかげで、釈放され強制送還を免れました。

映画のラストシーン、フィリップは稲荷神社の前に立っていました。
キクオとの旅の途中、社を見つけるたびに手を合わせるキクオに向かって、フィリップは神の存在について訊ねます。
神はどこにいるかわからないから信じられない、というフィリップに「八百万の神」について話します。
腑に落ちないフィリップは、社の向こうには何があるのか、とキクオに訊ねました。キクオは「自分で見ると良い」と笑い言い残していました。

フィリップが稲荷大社に向かい手を合わせた時、風が吹き、神幕がめくれ上がり御神鏡が現れて、フィリップの姿を映していました。

それを見たフィリップは得心したように微笑みました。

このラスト、とても気に入りました。

ドキュメンタリ映画「小学校~それは小さな社会」(2024年)が描いた日本人の気づかない日本の良さを 「レンタルファミリー」でも描かれたように思えました。

「人間情報」とか「心理学」などをはじめ、西洋哲学、あるいはキリスト教下にある考え方をもとに、自己啓発等いろんな書籍や講座が開かれています。
先日、自分が受けた研修でも、アメリカのマーシャル・バートラム・ローゼンバーグの提唱した「非暴力コミュニケーション(NVC)」の話しでした。

それが悪いというのではなくて、西洋哲学に対して東洋思想というのがあります。
いまだに、東洋思想は古臭いとか科学的見地に立っていないなどいわれるなどしています。
「東洋最高!」なんて言う気もないですが、それでも最近では「韓非子」までもてはやされているのも現状です。

「レンタルファミリー」のラストシーン、御神鏡に映る自分の姿を見たフィリップの思いを想像すると、彼の微笑にも癒される思いでした。

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