映画『東京物語』に見る 尾道と東京 3 … 東京では 都市シンボルも どんどん変わる
1953年11月に公開された映画『東京物語』に描かれた東京は、都心と老親の子供たちが住む下町。地方から東京に出て来た若者たちが住みつくのは、下町より山の手の方が多かったのではと思うのだが、この映画では下町と設定され山の手の様子は一切描かれなかった……医者となった長男が人口密度の高い下町で開院したことから、後から兄を追って上京して美容師になって開業した妹(長女・杉村春子)や会社員になった弟(次男。戦死したらしいが敗戦後通知の無いまま8年が経っている)は兄の医院近くに住みついて所帯を構えたという設定にしたのでしょう。




会社勤めをしながら公団住宅に住み次男の復員を待つ嫁(原節子)の案内で老親がはとバスで巡った都心では、銀座4丁目交差点の服部時計店や街路樹に銀座の柳の並木が見える。さらに、映画の撮影直前に完成したばかりで新しい観光名所として話題となっていた松屋銀座の塔屋上の展望台からの眺望では、国会議事堂のトンガリ屋根がビル群を突き抜けて見えている……これらは、すべて首都東京を表す都市シンボル。しかし、映画公開から63年経ってみると、銀座の柳はほぼ姿を消し、眺望を妨げられて展望台の役を果たさなくなった松屋銀座は大改修され、国会議事堂はビルの谷間に沈んだ。服部時計店だけは、歴史的建築として変わらないことで銀座のシンボルとなるように性格を変えて生き残ってはいるが…。
こういった都市シンボルの変化は、松屋銀座の大改修された時期の1964年の東京オリンピック前には起きていたのだと思う。この時期の東京では、首都高速道路網や東海道新幹線などが完成して首都大改造が行われたわけですから。
映画の老親の子供たちが住む下町の都市シンボルは、足立区の隅田川沿いに建つお化け煙突(千住火力発電所の4本の巨大煙突。1926-63年まで稼働したが1964年に撤去。高さ83.82m・底部直径6.40m)だった。映画では、老親の子供たち三人が下町に住んでいることを、お化け煙突が見えることで表現した。





明治以降、日本で建てられた多くの高い煙突は、地震で軒並み倒壊していた(2008年9月30日の私のブログ参照)。そういう状況の中で、関東大震災(1923年)3年後に建てられた、当時としては規格外に巨大な煙突がこのお化け煙突。一見鉄筋コンクリート造に見えるが、実は耐火レンガ造の外部を鋼板で巻いてリベット止めという構造……大荷重をレンガ壁の圧縮力で受け、揺れと膨張の変形を外部鋼鈑の引張力で抑えている。この煙突の構造設計者は、後に東京タワー(1958年)を設計して「塔博士」と呼ばれた内藤多仲早大教授。

東京下町のシンボルだったこのお化け煙突も1963年には操業を止め、東京オリンピック直前には姿を消した。首都東京の大気汚染の原因の一つと問題視されたのです(2008年の北京オリンピックでも同じような問題があったが、中国が採ったオリンピック開催期間だけの工場操業中止よりは、ずっとマシな対応)。
こうして、東京下町のシンボルも映画『東京物語』公開から10年程のうちに撤去されてしまった。
2012年、下町には高さ634mのスカイツリーが建ち、下町と言うより東京のシンボルとなっている。都市シンボルとしてはお化け煙突より長寿だろうとは思うけど、東京タワーと同じように、いずれはスカイツリーも都市シンボルの座から降りることになるのでしょう……都市とは、こういうものなのです。 (続)
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