リヒャルト・オスワルド[1][2][3][4][5][6](Richard Oswald、1880年11月5日 - 1963年9月11日)は、オーストリアの映画監督、脚本家。リヒャルト・オズワルド[7]、リヒャルト・オズヴァルト[8]、あるいは英語読みでリチャード・オズワルドとも表記される。
経歴
ウィーンの生まれ。最初はウィーンで舞台俳優をしていた。監督デビュー作は『Das eiserne Kreuz』(1914年)。プロデューサーJules Greenbaumと組んだ作品が多い。1916年にはドイツに自身の製作会社を興し、監督と脚本を手がけた。『ドリアン・グレイの肖像』や『ペール・ギュント』『八十日間世界一周』の翻案もの以外では、同性愛を犯罪とした刑法175条への抗議を目的とした[9]『Anders als die Andern(他の人々とは異なって)(英語版)』(1919年)を撮った。この映画は世界で最初に作られたプロのゲイ映画と言われている[10]。
オズワルドはユダヤ人であったため、ナチスから逃れ、占領下のフランスを経て、アメリカに移り住んだ。第二次世界大戦後、再びドイツ(西ドイツ)に戻り、デュッセルドルフで亡くなった。
Different From The Others (1919 Film) https://youtu.be/mMz3FmcnpbI?si=-PeKUIRVS3W9o2Rc @YouTubeより
Anders als die Andern
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Anders als die Andern | |
『Anders als die andern』のドイツ語ポスター | |
監督 | |
脚本 | リヒャルト・オスワルド |
製作 | リヒャルト・オスワルド |
出演者 | マグヌス・ヒルシュフェル |
撮影 | |
配給 | Richard Oswald-Film Berlin |
公開 | 1919年6月30日 |
上映時間 | 50分(断片) |
製作国 | ヴァイマル共和政 |
言語 | ドイツ語インタータイトル |
『Anders als die Andern』(英題:Different from the Others、意味:他の人々とは異なって)は、ヴァイマル共和政下のドイツで製作された、メロドラマ無声映画[1]。コンラート・ファイトとラインホルト・シュンツェルが出演し、1919年に初公開された[2]。監督はリヒャルト・オスワルドが務め、マグヌス・ヒルシュフェルトがオスワルドと共に脚本を共同執筆し[3]、ヒルシュフェルトもまた映画で脇役を務め、自身の性科学研究所を通じて製作資金の一部を拠出した。本作は、当時ドイツで施行されていた同性愛を犯罪化する刑法175条への論争を意図して制作された[4]。映画におけるゲイ男性に共感的な表現の先駆けの一つであった[3]。
本作のような映画への反発から検閲法が制定され、1920年10月までには本作を鑑賞できるのは医師と医学研究者のみとなった。映画のコピーは、1933年以後のナチス政権下で焼却された数多くの「退廃的」作品の中に含まれていた。
撮影は、本作の2年前にオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を映画化した初期作品の一つである『Das Bildnis des Dorian Gray(ドイツ語版)』を手がけたマックス・ファスベンダー(ドイツ語版)が務めている。監督のリヒャルト・オスワルドは後に主流映画の監督となり、息子のゲルト・オスワルド(ドイツ語版)も同様だった。ファイトは本作公開の翌年、『カリガリ博士』で大スターとなった。
映画の主なプロットは、1961年のダーク・ボガード主演のイギリス映画『Victim(英語版)』でも使用された[3]。
脚注
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出典
- Malakaj, Ervin (2017). “Richard Oswald, Magnus Hirschfeld, and the possible impossibility of hygienic melodrama”. Studies in European Cinema 14 (3): 216–230. doi:10.1080/17411548.2017.1376857 2022年10月10日閲覧。.
- Ito, Robert (2013年11月15日). “A Daring Film, Silenced No More”. The New York Times. 2017年8月19日閲覧。
- John Baxter (2009). Carnal Knowledge: Baxter's Concise Encyclopedia of Modern Sex. New York: HarperCollins. pp. 11–12. ISBN 978-0-06-087434-6 2011年12月24日閲覧。
- Beachy, Robert (2014). Gay Berlin: Birthplace of a Modern Identity. New York: Vintage Books. p. 166. ISBN 978-0-307-47313-4
外部リンク
- Anders als die Andern - IMDb(英語)
https://x.com/nagi_ijima/status/2061049124292841724?s=61
先日、新宿武蔵野館にて、同性愛は犯罪とされていた時代に同性愛を肯定的に描いた初めての映画『他の人々とは異なって』(1919年、独)見た。弁士の片岡一郎氏による活弁も解説も素晴らしく、ヴァイオリンとピアノの演奏も素敵で、見に行って良かった!主演は『カリガリ博士』『笑ふ男』で有名な怪優コンラート・ファイト。
当時のドイツは帝政廃止(1918年)後の共和国体制下(所謂ワイマール共和国)で、自由が尊重された最先端の民主主義国家だったが、同性愛は犯罪とされ「刑法175条」で禁じられていたそう。
映画は、その175条をふりかざして脅してくる男と、引き裂かれるふたり、という重くて悲しいストーリー。
しかもその公開翌年には、映画検閲法で上映自体が禁じられてしまったのだとか…。
だけど1933年にナチスが政権を取るまで続いた、1920年代のドイツ、特にベルリンは、自由と退廃の街としてさまざまな映画や文学で描かれていて、個人的に大好き!
ミュージカルの傑作『キャバレー』とか、デーブリーン『ベルリン アレクサンダープラッツ』とか、イルムガルト・コイン『人工シルクの女の子』とか、クリストファーイシャウッド『イカサマ師ノリス』とか、ケストナーの諸作品も。
そう言えば、『キャバレー』の原作の一つになっている『ベルリンよさらば』の作者クリストファー・イシャウッドも同性愛者で、ベルリンではその自由が満喫できるということもあってイギリスからベルリンに居を移した、と読んだことがある。
また、『他の人々とは異なって』の脚本に参加しているマグヌス・ヒルシュフェルト(Magnus Hirschfeld)、この人については初めて知ったが、当時の著名な性科学者とのこと。
同性愛だけでなく、異性装など多様なセクシュアリティを研究し、その権利を訴える精力的な運動家だったそう。wikiを見るととても興味深く、フェミニズム運動もしていた、と(当時犯罪とされていた「堕胎」の権利を訴えるなど)。
そんな最先端の民主主義国家だったのに、1933年にナチスが政権を握ると状況は一変。
ヒルシュフェルト性科学研究所の蔵書は燃やされ、また、映画『他の人々とは異なって』のフィルムも全て焼かれてしまう…。
ところが、ドキュメンタリー映画『愛の法則』にこの映画の短縮バージョンが挿入されていることがわかり、それが1970年にウクライナで発見!
このあたりの解説を弁士の片岡一郎氏がしてくれたのだが、経緯がとても面白く、3分の2くらいしかない短いフィルムだけど解説やナレーションのおかげで楽しく拝見できた。
日本初劇場公開、行けてよかった。
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