残虐非道な流民の子孫は人間らしさを取り戻すのか?東映京都「鮫」中村錦之助/田坂具隆監督作品
「鮫」昭和39年6月20日公開・真継伸彦原作・鈴木尚之脚本・田坂具隆監督・東映京都制作。
VHS化作品ですが未DVD化で有料動画配信は行われていません。
又、今月の東映ch「傑作時代劇スペシャル」の枠内の一作品として本日以降、11/30(金)19:00~22:00に放映されます(字幕付きHD放映。本篇165分の長時間作品です)。
越前海岸の流民集落に、母親(風見章子)と共に暮らし、小鮫の漁師に従事していた中村錦之助(後の萬屋錦之介)は「何故、元の住民達は我々流民を差別するのか?」と疑問に感じながら毎日を過ごしていました。
その理由を、目の前に住み鋳物師をしていた独身の初老・加藤嘉は「流民を恐れているからだ。そして流民は強い」と、錦之助御大に話します。更に「お前は秘事法門の子(浄土真宗に於ける「秘事法門」の意で使用されています)。それはお前が女を知る様になれば解る」加えて「近々戦が起きる」とも…
その予言通り、先住民達による「仮面を付けた宴」が行われた晩に流人集落は焼き討ちに遭い、風見さんを含めた多くの流民達は殺害されましたが、難を逃れた錦之助御大と加藤さんは居住地を捨て「お助け寺も有れば仕事も有る」と噂をされていた京を目指します。
一獲千金を狙い、大鮫を狙ったが為に食い殺されてしまった「錦之助御大の実兄が墓に隠していた匕首」を手にして…
しかし道中、加藤さんは極寒と疲労により志半ばで絶命し「人肉を食し、それを利用していた」木暮実千代との出逢い(但し「事実を知った錦之助御大」は半狂乱で逃げ出しました)を経て京に辿り着いたものの、河原には餓死した下民達の遺体が無数に転がり…
食料は十分に有りながらもそれは一部の者達の口にしか入らず、下民達が受けていた状況は想像を絶するもので、最後の頼みの「お助け寺」も今では無力となっていたのです。
「腹が減った…」と彷徨い歩いている時に出逢った千秋実…千秋さんは「一匹狼の悪人」で「食べる為なら人をも殺める」を心情としており、錦之助御大に対して京の現状を洗い浚い話した上に「言う事を聞いてそれに応えれば食わせる!」と迫り「腹に背は代えられぬ」と錦之助御大もそれに応えます。
罵倒を浴びせられながらも「小さな悪事」から積み上げて行った錦之助御大の「悪人としての成長」は着実なもので、遂には「右腕」として初めての殺人を犯してからは、元からの体力自慢の身体も相まって「一端の極悪人」となりましたが「金と女が自由にならない現状」に我慢が出来なくなり千秋さんを殺害!
そして、京での戦で出逢った加東大介達と共に足軽として「亡き実兄の匕首」を存分に振り回して活躍し「流民の出でも功績・実績で伸し上がる事」を証明しようと奮闘したものの、現実の厳しさに直面し、足軽の仲間達と共に再び盗賊となるのですが、残虐さは千秋さん以上でした。
しかし、或る時に強姦をした尼(三田佳子)から「事を終えたら「南無阿弥陀仏」と唱えなさい」と言われた事を切欠に、錦之助御大の心情と行動が不一致となり始め…
「明るい錦之助御大」もいいですし、自信が信念を持って真摯に取り組まれた「宮本武蔵シリーズ」もいいですが、これ等よりも俺が好きなのは「鮫」!
差別・貧困・権力固持や私利私欲等々が目的の無意味な戦・血筋が物を言う世の中の不条理等々に対する鬱憤を、公開当時の観客達が抱えていた不満を「時代劇の手法」で代弁するかの如く暴れ回る錦之助御大に完全に惹かれてしまいます。
加えて「貪欲」を過剰気味に描く事で「悪に手を染める前後の人間らしさを描いた描写」が強調され「欲の恐ろしさと心持や愛情の大切さ」をより深く教えてくれています。
それは序盤の加藤さんの台詞「秘事法門の子。それはお前が女を知る様になれば解る」に繋がり、事実三田さんは「浄土真宗の尼寺の僧侶役」として「錦之助御大にその意味を解らせる役目」を果たされています。
相対する描写として「太鼓を叩き「南妙法蓮華経」と唱えながら行列を組んで歩く日蓮宗信者の姿」が存在しているのも面白い所です。
他の出演者は、汐路章・浜村純・河原崎長一郎・花澤徳衛・有川正治・中村錦司・岡島艶子・那須伸太朗・徳大寺伸・沢村宗之助・吉田義夫・宮園純子・赤木春恵・北龍二・矢奈木邦二郎等々です。


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