薬草取
一
日光掩蔽 地上清涼 靉靆垂布 如可承攬
其雨普等 四方倶下 流樹無量 率土充洽
山川険谷 幽邃所生 卉木薬艸 大小諸樹
「もし
憚ながらお
布施申しましょう。」
背後から呼ぶ
優しい声に、
医王山の半腹、樹木の
鬱葱たる中を
出でて、ふと夜の明けたように、空
澄み、気
清く、時しも夏の
初を、秋見る昼の月の
如く、
前途遥なる
高峰の上に
日輪を
仰いだ
高坂は、
愕然として
振返った。
人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、
呼懸けたのは女であった。けれども、高坂は一見して、
直に何ら
害心のない者であることを認め得た。
女は
片手拝みに、白い
指尖を唇にあてて、
俯向いて
経を聞きつつ、布施をしようというのであるから、
「
否、
私は
出家じゃありません。」
と事もなげに辞退しながら、
立停って、女のその雪のような
耳許から、
下膨れの
頬に
掛けて、
柔に、濃い
浅葱の
紐を結んだのが、
露の朝顔の色を
宿して、
加賀笠という、
縁の深いので
眉を隠した、背には
花籠、
脚に
脚絆、身軽に
扮装ったが、
艶麗な姿を眺めた。
かなたは笠の下から
見透すが如くにして、
「これは失礼なことを申しました。お姿は
些ともそうらしくはございませんが、結構な
御経をお読みなさいますから、
私は、あの、御出家ではございませんでも、
御修行者でいらっしゃいましょうと存じまして。」
背広の服で、
足拵えして、
帽を
真深に、
風呂敷包を小さく
西行背負というのにしている。彼は名を
光行とて、医科大学の学生である。
時に、
妙法蓮華経薬草諭品、
第五偈の
半を開いたのを左の
掌に
捧げていたが、
右手に
支いた
力杖を小脇に
掻上げ、
「そりゃまあ、修行者は修行者だが、まだ
全然素人で、どうして
御布施を戴くようなものじゃない。
読方だって、何だ、
大概、
大学朱熹章句で
行くんだから、
尊い
御経を
勿体ないが、この山には薬の草が多いから、気の
所為か知らん。
麓からこうやって一里ばかりも来たかと思うと、風も
清々しい薬の
香がして、何となく身に
染むから、
心願があって近頃から読み覚えたのを、
誦えながら
歩行いているんだ。」
かく
打明けるのが、この際
自他のためと思ったから、高坂は親しく
先ず語って、さて、
「
姉さん、お前さんは
麓の村にでも住んでいる人なんか。」
「はい、
二俣村でございます。」
「あああの、
越中の
蛎波へ
通う街道で、
此処に来る道の
岐れる、目まぐるしいほど馬の通る、
彼処だね。」
「さようでございます。もう
路が悪うございまして、車が通りませんものですから、炭でも
薪でも、残らず馬に附けて出しますのでございます。
それに
丁どこの
御山の石の門のようになっております、
戸室口から石を
切出しますのを、
皆馬で運びますから、一人で五
疋も
曳きますのでございますよ。」
「それではその麓から来たんだね、
唯一人。……」
静に
歩を移していた高坂は、更にまた女の顔を見た。
「はい、一人でございます、そしてこちらへ参りますまで、お姿を見ましたのは、
貴方ばかりでございますよ。」
いかにもという
面色して、
「
私もやっぱり、そうさ、半里ばかりも
後だった、途中で年寄った
樵夫に
逢って、
路を聞いた
外にはお前さんきり。
どうして
往って
還るまで、
人ッ
子一人いようとは思わなかった。」
この
辺唯なだらかな
蒼海原、沖へ出たような一面の草を
しながら、
「や、ものを言っても一つ一つ
谺に響くぞ、
寂しい
処へ、
能くお前さん一人で来たね。」
女は
乳の上へ右左、幅広く
引掛けた桃色の紐に両手を
挟んで、
花籃を
揺直し、
「
貴方、その
樵夫の
衆にお尋ねなすって
可うございました。そんなに
嶮しい坂ではございませんが、
些とも人が
通いませんから、誠に知れにくいのでございます。」
「この奥の知れない山の中へ入るのに、
目標があの石ばかりじゃ分らんではないかね。
それも、
南北、
何方か
医王山道とでも
鑿りつけてあればまだしもだけれど、
唯河原に
転っている、ごろた石の大きいような、その
背後から草の下に細い道があるんだもの、ちょいと間違えようものなら、半年
経歴っても
頂には
行かれないと、
樵夫も言ったんだが、全体何だって、そんなに
秘して置く山だろう。全くあの石の裏より
外に、
何処も路はないのだろうか。」
「ございませんとも、この
路筋さえ御存じで
在らっしゃれば、世を離れました寂しさばかりで、
獣も
可恐のはおりませんが、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千
丈とも知れぬ谷で、
行留りになりますやら、
断崖に
突当りますやら、
流に岩が飛びましたり、大木の倒れたので
行く
前が
塞ったり、その間には
草樹の多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。
旧へ帰るか、
倶利伽羅峠へ
出抜けますれば、無事に
何方か国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、
終局には
草一条も生えません
焼山になって、
餓死をするそうでございます。
本当に
貴方がおっしゃいます通り、
樵夫がお教え申しました石は、
飛騨までも
末広がりの、医王の
要石と申しまして、一度
踏外しますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」
名だたる
北国秘密の山、さもこそと思ったけれども、
「しかし一体、医王というほど、
此処で薬草が採れるのに、
何故世間とは
隔って、
行通がないのだろう。」
「それは、あの
承りますと、昔から御領主の
御禁山で、
滅多に人をお入れなさらなかった
所為なんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な
御薬の採れます場所は、また御守護の
神々仏様も、
出入をお
止め遊ばすのでございましょうと存じます。」
譬えば
仙境に
異霊あって、
恣に人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これが
少からず心に
懸った。
「それでは何か、
私なんぞが入って行って、
欲い草を取って帰っては悪いのか。」
と高坂はやや
気色ばんだが、
悚然と
肌寒くなって、思わず口の
裡で、
慧雲含潤 電光晃耀 雷声遠震 令衆悦予
日光掩蔽 地上清涼 靉靆垂布 如可承攬
二
「
否、山さえお
暴しなさいませねば、
誰方がおいでなさいましても、大事ないそうでございます。薬の草もあります上は、毒な草もないことはございません。
無暗な者が採りますと、どんな
間違になろうも知れませんから、昔から
禁札が打ってあるのでございましょう。
貴方は、そうして
御経をお読み遊ばすくらい、
縦令お山で日が暮れても
些ともお
気遣な事はございますまいと存じます。」
言いかけてまた
近き、
「あのさようなら、
貴方はお薬になる草を採りにおいでなさるのでござんすかい。」
「
少々無理な
願ですがね、身内に病人があって、とても医者の薬では
治らんに
極ったですから、この医王山でなくって
外にない、私が
心当の薬草を採りに来たんだが、何、
姉さんは
見懸けた
処、花でも摘みに
上るんですか。」
「御覧の
通、花を売りますものでござんす。二日置き、三日
置に参って、お山の花を頂いては、里へ持って出て
商います、
丁ど
唯今が
種々な
花盛。
千蛇が
池と申しまして、
頂に海のような
大な池がございます。そしてこの
山路は
何処にも清水なぞ流れてはおりません。その
代暑い時、
咽喉が
渇きますと、
蒼い
小な花の咲きます、
日蔭の草を取って、葉の
汁を
噛みますと、それはもう、
冷い水を
一斗ばかりも飲みましたように寒うなります。それがないと
凌げませんほど、水の少い
処ですから、
菖蒲、
杜若、
河骨はござんせんが、
躑躅も
山吹も、あの、
牡丹も
芍薬も、菊の花も、
桔梗も、
女郎花でも、
皆一所に開いていますよ、この六月から八月の
末時分まで。その牡丹だの、芍薬だの、結構な花が取れますから、たんとお
鳥目が頂けます。まあ、どんなに
綺麗でございましょう。
そして
貴方、お
望の草をお採り遊ばすお
心当はどの辺でござんすえ。」
と
笠ながら
差覗くようにして親しく聞く、時に
清い目がちらりと見えた。
高坂は何となく、物語の中なる人を、
幽境の
仙家に導く
牧童などに逢う思いがしたので、
言も
自から
慇懃に、
「私も
其処へ
行くつもりです。四季の花の
一時に咲く、何という
処でしょうな。」
「はい、
美女ヶ
原と申します。」
「びじょがはら?」
「あの、美しい女と書きますって。」
女は
俯向いて
羞じたる色あり、物の
淑しげに
微笑む様子。
可懐さに
振返ると、
「あれ。」と
袖を
斜に、
袂を取って
打傾き、
「あれ、まあ、御覧なさいまし。」
その
草染の左の袖に、はらはらと
五片三片紅を点じたのは、
山鳥の
抜羽か、
非ず、
蝶か、
非ず、
蜘蛛か、
非ず、桜の花の
零れたのである。
「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、
何処からともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも
何処に桜があるか分りません。美女ヶ原へ
行きますと、十里
南の
能登の
岬、七里
北に
越中立山、
背後に
加賀が見晴せまして、もうこの
節は、
霞も霧もかかりませんのに、
見紛うようなそれらしい花の
梢もござんせぬが、
大方この
花片は、
煩い
町方から逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの
御使に歩いているのかも知れません。」
と女が高く
仰ぐに
連れ、高坂も
葎の中に
伸上った。草の緑が深くなって、
倒に雲に
映るか、
水底のような
天の色、
神霊秘密の
気を
籠めて、
薄紫と見るばかり。
「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れない
中行かれるでしょうか。」
「
否、こう桜が散って参りますから、
直でございます。私も
其処まで、お供いたしますが、今日こそ
貴方のようなお
連がございますけれど、
平時は一人で参りますから、
日一杯に里まで帰るのでございます。」
「日一杯?」と思いも寄らぬ
状。
「どんなにまた遠い
処のように、
樵夫がお教え申したのでござんすえ。」
「何、樵夫に聞くまでもないです。私に
心覚が
丁とある。先ず
凡そ山の中を二日も三日も
歩行かなけれゃならないですな。
尤も
上りは
大抵どのくらいと、そりゃ
予て聞いてはいるんですが、日一杯だのもう
直だの、そんなに
輒く
行かれる処とは思わない。
御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、
巌にも
躓かず、
衣物に
綻が切れようじゃなし、
生爪一つ
剥しやしない。
支度はして来たっても
餒い思いもせず、その
蒼い花の咲く草を捜さなけりゃならんほど
渇く思いをするでもなし、
勿論この先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から
日帰をするという、
姉さんと
一所に
行くんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、
一足ずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」
「ええ、
訳はございません、
貴方、そんなに
可恐処と御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」
言下に、
「実際
命懸で来ました。」と思い
入って答えると、女はしめやかに、
「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。
でも何もそんな
難しい
御山ではありません。
但此処は
霊山とか申す事、酒を
覆したり、竹の皮を
打棄ったりする
処ではないのでございます。まあ、
難有いお寺の庭、お宮の
境内、
上つ
方の
御門の内のような、歩けば石一つありませんでも、何となく
謹みませんとなりませんばかりなのでございます。そして
貴方は、美女ヶ原にお心覚えの草があって、
其処までお越し遊ばすに、二日も三日もお
懸りなさらねばなりませんような気がすると
仰有いますが、
何時か一度お
上り遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
「
確に美女ヶ原というそれでしょうな、何でも
躑躅や
椿、菊も藤も、
原一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、
何処が何だか
全然夢中。
今だってやっぱり、私は
同一この国の者なんですが、その時は
何為か家を出て一月
余、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は
って、
漸々其処を見たように思うですが。」
高坂は語りつつも、
長途に
苦み、
雨露に
曝された当時を思い起すに付け、今も、気弱り、
神疲れて、ここに
深山に
塵一つ、心に
懸らぬ折ながら、なおかつ
垂々と
背に汗。
糸のような
一条路、
背後へ声を運ぶのに、力を要した
所為もあり、
薬王品を胸に
抱き、杖を持った手に
帽を脱ぐと、清き
額を
拭うのであった。
それと見る目も
敏く、
「もし、御案内がてら、あの、私がお
前へ参りましょう。どうぞ、その方がお話も
承りようございますから。」
一議に及ばず、
草鞋を上げて、道を左へ
片避けた、足の底へ、草の根が
柔に、
葉末は
脛を隠したが、
裾を引く
荊もなく、
天地閑に、虫の
羽音も聞えぬ。
三
「御免なさいまし。」
と
花売は、
袂に
留めた
花片を
惜やはらはら、
袖を胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に
擦抜けたその片足も
葎の中、路はさばかり狭いのである。
五尺ばかり前にすらりと、
立直る後姿、
裳を籠めた草の茂り、近く緑に、遠く
浅葱に、日の色を
隈取る他に、一
木のありて長く影を倒すにあらず。
背後から声を掛け、
「
大分草深くなりますな。」
「段々
頂が近いんですよ。やがてこの
生が
人丈になって、私の姿が見えませんようになりますと、それを
潜って出ます
処が、もう花の原でございます。」
と
撫肩の優しい上へ、笠の紐
弛く、
紅のような唇をつけて、横顔で
振向いたが、
清しい
目許に
笑を浮べて、
「どうして
貴方はそんなにまあ
唐天竺とやらへでもお
出で遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
高坂は手なる杖を荒く
支いて、土を騒がす事さえせず、
慎んで
後に続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠く
隔ったように思うのですから、事柄と
一所に路までも
遙に考えるのかも知れません。そうして先ず
皆夢ですよ。
けれども
不残事実で。
私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が
一昔、ざっと
二昔も前になるです、
九歳の年の夏。」
「まあ、そんなにお
稚い時。」
「
尤も一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西も
弁えぬ、取って
九歳の
小児ばかり。
人は高坂の
光、私の名ですね、
光坊が魔に
捕られたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、
天狗に
攫われたそれです。また実際そうかも知れんが、
幼心で、自分じゃ
一端親を思ったつもりで。
まだ
両親ともあったんです。母親が大病で、暑さの
取附にはもう医者が見放したので、どうかしてそれを
復したい一心で、薬を探しに来たんですな。」
高坂は
少時黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の
吹聴をするようで
人聞が悪いですが、姉さん、
貴女ばかりだから話をする。
今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方に
開けていたって、
北国の山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生まで
匙を投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。
母様は
病気が悪いから、
大人しくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の
出入、
家の者の
起居挙動、大病というのは知れる。
それにその名医というのが、五十
恰好で、
天窓の
兀げたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした
優形な
親仁で、脈を取るにも、
蛇の
目の
傘を差すにも、小指を
反して、三本の指で、横笛を吹くか、
女郎が
煙管を持つような
手付をする、好かない奴。
私がちょこちょこ
近処だから
駈出しては、
薬取に
行くのでしたが、また薬局というのが、その先生の
甥とかいう、ぺろりと長い顔の、
額から
紅が流れたかと思う鼻の
尖の赤い男、
薬箪笥の
小抽斗を抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその
匙加減が
如何にも
怪しい。
相応に
流行って、
薬取も多いから、
手間取るのが
焦ったさに、始終
行くので見覚えて、私がその
抽斗を抜いて五つも六つも薬局の机に並べて
遣る、
終には、
先方の手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって
目方が
揃うくらい、大病だって何だって、そんな
覚束ない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
その頃父は
小立野と言う
処の、
験のある
薬師を信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。
後は自分ばかり、
乳母に手を
曳かれてお
詣をしましたッけ。別に拝みようも知らないので、
唯、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、それも遊び半分。
六月の十五日は、私の誕生日で、その日、
月代を
剃って、湯に入ってから、
紋着の
袖の長いのを
被せてもらいました。
私がと言っては
可笑いでしょう。
裾模様の
五ツ
紋、
熨斗目の派手な、この頃聞きゃ
加賀染とかいう、菊だの、
萩だの、桜だの、花束が
紋になっている、時節に構わず、
種々の花を
染交ぜてあります。
尤も
今時そんな紋着を着る者はない、
他国には
勿論ないですね。
一体この医王山に、四季の花が
一時に開く、その景勝を誇るために、
加賀ばかりで染めるのだそうですな。
まあ、その紋着を着たんですね、
博多に
緋の
一本独鈷の
小児帯なぞで。
坊やは
綺麗になりました。母も
後毛を
掻上げて、そして
手水を使って、
乳母が
背後から
羽織らせた紋着に手を通して、胸へ水色の下じめを巻いたんだが、自分で、帯を取って
〆ようとすると、それなり力が抜けて、膝を
支いたので、乳母が
慌て
確乎抱くと、
直に
天鵝絨の
括枕に
鳩尾を
圧えて、その上へ胸を伏せたですよ。
産んで下すった礼を言うのに、
唯御機嫌
好うとさえ言えば
可いと、父から言いつかって、
枕頭に手を
支いて、
其処へ。顔を上げた私と、枕に
凭れながら、
熟と眺めた母と、顔が合うと、坊や、もう
復るよと言って、涙をはらはら、
差俯向いて
弱々となったでしょう。
父が肩を抱いて、
徐と横に寝かした。乳母が、
掻巻を
被せ懸けると、
襟に手をかけて、向うを向いてしまいました。
台所から、中の
室から、玄関あたりは、ばたばた人の
行交う音。
尤も帯をしめようとして、濃いお
納戸の紋着に下じめの
装で倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。
やがて
医者が
袴の
裾を、ずるずるとやって駈け込んだ。私には
戸外へ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない、悲しい心細い思いがしましたな。」
花売は声細く、
「
御道理でございますねえ。そして
母様はその
後快くおなりなさいましたの。」
「お聞きなさい、それからです。
小児は
切て仏の
袖に
縋ろうと思ったでしょう。
小立野と言うは
場末です。先ず小さな山くらいはある高台、草の茂った
空地沢山な、人通りのない
処を、その
薬師堂へ参ったですが。
朝の内に
月代、
沐浴なんかして、家を出たのは
正午過だったけれども、
何時頃薬師堂へ参詣して、
何処を歩いたのか、どうして寝たのか。
翌朝はその小立野から、
八坂と言います、
八段に黒い滝の落ちるような、
真暗な坂を降りて、川端へ出ていた。川は、
鈴見という村の入口で、
流も急だし、瀬の色も
凄いです。
橋は、雨や雪に
白っちゃけて、長いのが
処々、
鱗の落ちた形に
中弛みがして、のらのらと
架っているその橋の上に
茫然と。
後に考えてこそ、
翌朝なんですが、その
節は、夜を
何処で明かしたか分らないほどですから、
小児は
晩方だと思いました。この医王山の
頂に、真白な月が出ていたから。
しかし
残月であったんです。
何為かというにその日の
正午頃、ずっと上流の
怪しげな
渡を、綱に
掴まって、宙へ
釣されるようにして渡った時は、顔が
赫とする
晃々と
烈い
日当。
こういうと、何だか
明方だか
晩方だか、まるで夢のように聞えるけれども、
渡を渡ったには全く渡ったですよ。
山路は一日がかりと覚悟をして、今度来るには
麓で一泊したですが、
昨日丁度前の時と
同一時刻、
正午頃です。岩も水も真白な
日当の中を、あの
渡を渡って見ると、二十年の昔に変らず、
船着の岩も、
船出の松も、
確に覚えがありました。
しかし
九歳で越した折は、
爺さんの船頭がいて船を扱いましたっけ。
昨日は
唯綱を
手繰って、一人で越したです。
乗合も
何もない。
御存じの烈しい
流で、
棹の立つ瀬はないですから、綱は
二条、
染物を
しんし張にしたように
隙間なく
手懸が出来ている。船は小さし、
胴の
間へ
突立って、
釣下って、
互違に手を掛けて、川幅三十
間ばかりを
小半時、
幾度もはっと思っちゃ、
危さに
自然に目を
塞ぐ。その目を開ける時、もし、あの
丈の伸びた
菜種の花が
断崕の
巌越に、ばらばら見えんでは、
到底この世の事とは思われなかったろうと考えます。
十里四方には人らしい者もないように、船を
纜った大木の松の幹に
立札して、
渡船銭三文とある。
話は
前後になりました。
そこで
小児は、
鈴見の橋に
彳んで、
前方を見ると、正面の
中空へ、仏の
掌を開いたように、五本の指の並んだ形、
矗々立ったのが
戸室の
石山。
靄か、霧か、
後を包んで、年に二、三度
好く晴れた時でないと、
蒼く
顕れて見えないのが、
即ちこの医王山です。
其処にこの山があるくらいは、
予て聞いて、
小児心にも方角を知っていた。そして
迷子になったか、魔に
捉られたか、知れもしないのに、
稚な者は、
暢気じゃありませんか。
それが既に気が変になっていたからであろうも知れんが、お
腹が空かぬだけに
一向苦にならず。壊れた竹の
欄干に
掴って、月の
懸った雲の中の、あれが医王山と見ている内に、
橋板をことこと踏んで、
向の山に、猿が三
疋住みやる。中の小猿が、
能う
物饒舌る。何と
小児ども
花折りに
行くまいか。今日の寒いに何の花折りに。
牡丹、
芍薬、菊の花折りに。一本折っては笠に
挿し、二本折っては、
蓑に挿し、
三枝四枝に日が暮れて……とふと唄いながら。……
何となく心に浮んだは、ああ、向うの山から、月影に見ても色の
紅な花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気が
復るに違いないと言う事です。また母は、その花を
簪にしても似合うくらい若かったですな。」
高坂は
旧来た
方を
顧みたが、草の
外には何もない、
一歩前へ
花売の女、
如何にも身に
染みて聞くように、
俯向いて
行くのであった。
「そして
確に、それが
薬師のお
告であると信じたですね。
さあ思い立っては
矢も
楯も
堪らない、渡り懸けた橋を取って返して、
堤防伝いに川上へ。
後でまた
渡を越えなければならない路ですがね、橋から見ると山の
位置は月の
入る方へ傾いて、かえって
此処から言うと、
対岸の
行留りの雲の上らしく見えますから、
小児心に取って返したのが
丁ど
幸と、橋から
渡場まで
行く間の、あの、
岩淵の岩は、人を隔てる医王山の
一の
砦と言っても
可い。
戸室の
石山の麓が
直に
流に迫る
処で、
累り合った岩石だから、路は
其処で切れるですものね。
岩淵をこちらに見て、
大方跣足でいたでしょう、すたすた五里も十里も
辿った
意で、
正午頃に着いたのが、
鳴子の
渡。」
四
「
馬士にも、
荷担夫にも、
畑打つ人にも、三
人二
人ぐらいずつ、村一つ越しては
川沿の
堤防へ出るごとに逢ったですが、
皆唯立停って、じろじろ見送ったばかり、言葉を懸ける者はなかったです。これは
熨斗目の
紋着振袖という、田舎に
珍しい
異形な
扮装だったから、不思議な若殿、
迂濶に物も言えないと考えたか、
真昼間、狐が化けた? とでも思ったでしょう。それとも本人
逆上返って、何を言われても耳に入らなかったのかも
解らんですよ。
ふとその
渡場の手前で、
背後から始めて呼び留めた
親仁があります。
兄や、
兄やと太い調子。
私は
仰向いて見ました。
ずんぐり
脊の高い、
銅色の
巌乗造な、年配四十五、六、古い
単衣の
裾をぐいと
端折って、
赤脛に
脚絆、素足に
草鞋、かっと
眩いほど日が照るのに、笠は
被らず、その
菅笠の紐に、
桐油合羽を
畳んで、小さく
縦に長く折ったのを
結えて、
振分けにして肩に投げて、
両提の
煙草入、大きいのをぶら
提げて、どういう気か、
渋団扇で、はたはたと胸毛を
煽ぎながら、てくりてくり寄って来て、
何処へ
行くだ。
御山へ花を取りに、と返事すると、ふんそれならば
可し、
小父が
同士に行って
遣るべい。
但、この
前の
渡を一つ越さねばならぬで、
渡守が
咎立をすると面倒じゃ、さあ、
負され、と言うて背中を向けたから、
合羽を
跨ぐ、足を向うへ取って、
猿の
児背負、高く肩車に乗せたですな。
その
中も心の
急く、山はと見ると、
戸室が低くなって、この医王山が
鮮明な
深翠、肩の上から下に
瞰下されるような気がしました。位置は変って、川の
反対の方に見えて来た、なるほど
渡を渡らねばなりますまい。
足を
圧えた片手を
後へ、腰の
両提の中をちゃらちゃらさせて、
爺様頼んます、
鎮守の
祭礼を見に、頼まれた
和郎じゃ、と言うと、船を寄せた
老人の腰は、
親仁の
両提よりもふらふらして
干柿のように
干からびた小さな
爺。
やがて綱に
掴まって、
縋ると
疾い事!
雀が
鳴子を渡るよう、猿が
梢を伝うよう、さらさら、さっと。」
高坂は思わず
足踏をした、草の
茂がむらむらと
揺いで、
花片がまたもや散り来る――
二片三片、
虚空から。――
「左右へ傾く
舷へ、
流が蒼く
搦み着いて、真白に
颯と
翻ると、乗った親仁も馴れたもので、
小児を
担いだまま
仁王立。
真蒼な
水底へ、黒く
透いて、底は知れず、
目前へ
押被さった
大巌の
肚へ、ぴたりと船が
吸寄せられた。岸は
可恐く水は深い。
巌角に
刻を入れて、これを
足懸りにして、こちらの
堤防へ
上るんですな。
昨日私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、
膏汗を流して
漸々縋り着いて
上ったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」
高坂は
莞爾して、
「
爪尖を懸けると更に
苦なく、
負さった私の方がかえって目を
塞いだばかりでした。
さて、
些と
歩行かっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第に
流に遠ざかって、田の
畦三つばかり横に切れると、今度は
赤土の一本道、両側にちらほら松の植わっている
処へ出ました。
六月の中ばとはいっても、この辺には
珍しい
酷く暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、
戸室山が雲を吐いて、
処々田の水へ、真黒な雲が
往ったり、来たり。
並木の松と松との間が、どんよりして、
梢が鳴る、と思うとはや大粒な雨がばらばら、
立樹を五本と越えない
中に、車軸を流す烈しい
驟雨。ちょッ待て待て、と
独言して、
親仁が私の手を取って、そら、台なしになるから脱げと言うままにすると、帯を解いて、
紋着を
剥いで、
浅葱の
襟の細く
掛った
襦袢も残らず。
小児は糸も懸けぬ
全裸体。
雨は
浴るようだし、
恐さは恐し、ぶるぶる
顫えると、親仁が、強いぞ強いぞ、と言って、私の衣類を
一丸げにして、懐中を
膨らますと、紐を解いて、笠を一文字に
冠ったです。
それから幹に立たせて置いて、やがて例の
桐油合羽を開いて、私の
天窓からすっぽりと目ばかり出るほど、まるで
渋紙の
小児の小包。
いや! 出来た、これなら海を
潜っても濡れることではない、さあ、
真直に
前途へ駈け出せ、
曳、と言うて、板で
打たれたと思った、私の
臀をびたりと一つ。
濡れた
団扇は骨ばかりに裂けました。
怪飛んだようになって、
蹌踉けて
土砂降の中を
飛出すと、くるりと
合羽に包まれて、見えるは脚ばかりじゃありませんか。
赤蛙が化けたわ、化けたわと、
親仁が
呵々と笑ったですが、もう耳も聞えず
真暗三宝。何か
黒山のような物に
打付かって、
斛斗を打って
仰様に転ぶと、滝のような雨の中に、ひひんと馬の
嘶く声。
漸々人の手に
扶け
起されると、合羽を解いてくれたのは、五十ばかりの肥った
婆さん。
馬士が一人
腕組をして
突立っていた。
門の柳の
翠から、
黒駒の背へ
雫が流れて、はや
雲切がして、その柳の
梢などは薄雲の底に
蒼空が動いています。
妙なものが降り込んだ。これが
豆腐なら
資本入らずじゃ、それともこのまま
熨斗を附けて、
鎮守様へ
納めさっしゃるかと、
馬士は
掌で
吸殻をころころ
遣る。
主さ、どうした、と婆さんが聞くんですが、
四辺をきょときょと
すばかり。
何処から出た
乞食だよ、とまた
酷いことを言います。
尤も
裸体が
渋紙に包まれていたんじゃ、
氏素性あろうとは思わぬはず。
衣物を脱がせた
親仁はと、
唯悔しく、来た方を眺めると、
脊が小さいから馬の腹を
透かして雨上りの松並木、
青田の
縁の用水に、
白鷺の遠く飛ぶまで、
畷がずっと見渡されて、西日がほんのり
紅いのに、急な大雨で
往来もばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。
余の事にしくしく泣き出すと、こりゃ
餒うて口も利けぬな、
商売品で
銭を噛ませるようじゃけれど、一つ
振舞うて
遣ろかいと、
汚い土間に
縁台を並べた、狭ッくるしい暗い
隅の、
苔の生えた
桶の中から、
豆腐を
半挺、
皺手に白く積んで、そりゃそりゃと、
頬辺の
処へ
突出してくれたですが、どうしてこれが食べられますか。
そのくせ腹は
干されたように空いていましたが、胸一杯になって、
頭を
掉ると、はて
食好をする犬の、と
呟いて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲を
享けぬ
餓鬼め、出て
失せと、私の胸へ
突懸けた皺だらけの手の黒さ、顔も
漆で固めたよう。
黒婆どの、
情ない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、
馬士が中へ割って
入ると、
貸を返せ、この人足めと
怒鳴ったです。するとその豆腐の桶のある
後が、
蜘蛛の巣だらけの藤棚で、これを
地境にして壁も
垣もない
隣家の
小家の、
炉の
縁に、膝に手を置いて
蹲っていた、
十ばかりも年上らしいお
媼さん。
見兼ねたか、
縁側から
摺って
下り、ごつごつ転がった
石塊を
跨いで、藤棚を
潜って顔を出したが、
柔和な
面相、色が白い。
小児衆小児衆、
私が
許へござれ、と言う。
疾く
白媼が
家へ
行かっしゃい、
借がなくば、
此処へ馬を繋ぐではないと、
馬士は腰の
胴乱に
煙管をぐっと
突込んだ。
そこで
裸体で手を
曳かれて、土間の隅を抜けて、
隣家へ
連込まれる時分には、
鳶が鳴いて、遠くで大勢の人声、
祭礼の
太鼓が聞えました。」
高坂は
打案じ、
「
渡場からこちらは、一生私が忘れない
処なんだね、で今度来る時も、
前の世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして
行くようになったから、
人通もなし。大方、その
馬士も、
老人も、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を
埋めた、
丁どその上を、
姉さん。」
花売は
後姿のまま
引留められたようになって
停った。
「
貴女と二人で
歩行いているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
と
静に前へ。高坂も
徐ろに、
「娘が来て世話をするまで、
私には
衣服を着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ
餒かろうで、これでも食わっしゃれって。
囲炉裡の灰の中に、ぶすぶすと
燻っていたのを、抜き出してくれたのは、
串に刺した
茄子の焼いたんで。
ぶくぶく
樺色に
膨れて、
湯気が立っていたです。
生豆腐の
手掴に比べては、
勿体ない御料理と思った。それにくれるのが
優しげなお婆さん。
地が
性に合うで
好う出来るが、まだこの村でも
初物じゃという、それを、
空腹へ三つばかり
頬張りました。熱い
汁が
下腹へ、たらたらと
染みた
処から、
一睡して目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、
瀉すやら、
尾籠なお話だが
七顛八倒。
能も生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも
綺麗な娘で。
人心地もなく苦しんだ目が、
幽に
開いた時、初めて見た姿は、
艶かな
黒髪を、男のような
髷に結んで、
緋縮緬の
襦袢を
片肌脱いでいました。日が
経って医王山へ花を採りに、私の手を
曳いて、
楼に朱の
欄干のある、温泉宿を忍んで裏口から
朝月夜に、
田圃道へ出た時は、
中形の
浴衣に
襦子の帯をしめて、鎌を一挺、
手拭にくるんでいたです。その
間に、
白媼の
内を、私を膝に抱いて出た時は、
髷を
唐輪のように
結って、胸には玉を飾って、
丁ど
天女のような
扮装をして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという
群集の中を、通ったですが、村の者が
交る
交る高く傘を
掛けて
練ったですね。
村端で、寺に休むと、
此処で
支度を替えて、
多勢が
口々に、御苦労、御苦労というのを
聞棄てに、娘は、一人の若い者に
負させた私にちょっと
頬摺をして、それから、
石高路の坂を越して、
賑かに
二階屋の揃った中の、一番
屋の
棟の高い家へ入ったですが、私は
唯幽に
呻吟いていたばかり。
尤も
白姥の家に
三晩寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て、
膝枕をさせて、始終
集って来る
馬蠅を、払ってくれたのを、現に
苦みながら覚えています。車に乗った天女に抱かれて、
多人数に囲まれて
通った時、
庚申堂の
傍に
榛の木で、
半ば姿を
秘して、
群集を放れてすっくと立った、
脊の高い
親仁があって、
熟と私どもを見ていたのが、
確に衣服を脱がせた奴と見たけれども、
小児はまだ口が利けないほど
容体が悪かったんですな。
私はただその
気高い
艶麗な人を、今でも神か仏かと、思うけれど、
後で考えると、先ずこうだろうと、思われるのは、
姥の娘で、
清水谷の温泉へ、
奉公に出ていたのを、祭に
就いて、村の若い者が借りて来て八ヶ
村九ヶ
村をこれ見よと
喚いて
歩行いたものでしょう。娘はふとすると、
湯女などであったかも知れないです。」
五
「それからその人の部屋とも思われる、
綺麗な
小座敷へ寝かされて、目の覚める時、物の欲しい時、
咽の乾く時、涙の出る時、
何時もその娘が顔を見せない事はなかったです。
自分でも、もう、病気が
復ったと思った晩、手を曳いて、てらてら光る長い
廊下を、
湯殿へ連れて行って、
一所に
透通るような
温泉を浴びて、岩を
平にした
湯槽の
傍で、すっかり体を流してから、
櫛を抜いて、私の髪を
柔く
梳いてくれる
二櫛三櫛、やがてその櫛を湯殿の岩の上から、廊下の
灯に
透して、気高い横顔で、
熟と見て、ああ
好い事、美しい髪も抜けず、
汚い虫も付かなかったと言いました。私も気がさして
一所に櫛を
瞶めたが、自分の
膚も、人の体も、その時くらい清く、白く美しいのは見た事がない。
私は新しい着物を着せられ、娘は桃色の
扱帯のまま、また手を曳いて、今度は
裏梯子から二階へ
上った。その段を昇り切ると、
取着に
一室、新しく
建増したと見えて、
襖がない、白い
床へ、月影が
溌と射した。両側の部屋は皆
陰々と
灯を置いて、
鎮り返った
夜半の事です。
好い月だこと、まあ、とそのまま手を取って床板を蹈んで出ると、
小窓が一つ。それにも
障子がないので、二人で
覗くと、前の
甍は露が流れて、銀が溶けて走るよう。
月は山の
端を放れて、
半腹は暗いが、真珠を頂いた峰は水が澄んだか明るいので、山は、と聞くと、医王山だと言いました。
途端にくゎいと狐が鳴いたから、娘は
緊乎と私を抱く。その胸に
額を当てて、私は我知らず、わっと泣いた。
怖くはないよ、
否怖いのではないと言って、母親の病気の次第。
こういう澄み渡った月に眺めて、その色の赤く輝く花を採って帰りたいと、
始てこの人ならばと思って、
打明けて言うと、
暫く黙って
瞳を
据えて、私の顔を見ていたが、月夜に色の
真紅な花――きっと探しましょうと言って、――
可し、
可し、女の
念で、と
後を言い足したですね。
翌晩、
夜更けて私を起しますから、
素よりこっちも目を開けて待った
処、直ぐに
支度をして、その時、帯をきりりと
〆めた、
引掛に、
先刻言いましたね、
刃を
手拭でくるくると巻いた鎌一
挺。
それから
昨夜の、その月の射す窓から
密と出て、
瓦屋根へ下りると、夕顔の葉の
搦んだ中へ、
梯子が隠して掛けてあった。
伝って庭へ出て、裏木戸の鍵をがらりと開けて出ると、
有明月の山の
裾。
医王山は手に取るように見えたけれど、これは秘密の山の
搦手で、
其処から
上る道はないですから、
戸室口へ廻って、
攀じ
上ったものと見えます。さあ、
此処からが
目差す
御山というまでに、
辻堂で
二晩寝ました。
後はどう来たか、
恐い姿、
凄い者の路を
遮って
顕るる
度に、娘は私を
背後に
庇うて、その鎌を
差翳し、
矗と立つと、
鎧うた
姫神のように
頼母しいにつけ、雲の消えるように路が開けてずんずんと。」
時に高坂は布を断つが如き音を聞いて、
唯見ると、前へ立った、女の姿は、その肩あたりまで
草隠れになったが、
背後ざまに手を動かすに
連れて、
鋭き鎌、磨ける玉の如く、
弓形に出没して、
歩行き
歩行き
掬切に、
刃形が
上下に動くと共に、
丈なす
茅萱半ばから、
凡そ
一抱ずつ、さっくと切れて、
靡き伏して、隠れた土が
歩一歩、
飛々に
顕れて、五尺三尺一尺ずつ、
前途に
渠を導くのである。
高坂は、
悚然として思わず手を
挙げ、かつて
婦が我に
為したる如く
伏拝んで
粛然とした。
その不意に
立停ったのを、
行悩んだと思ったらしい、
花売は
軽く見返り、
「
貴方、もう
些とでございますよ。」
「どうぞ。」といった高坂は今更ながら言葉さえ
謹んで、
「美女ヶ原に今もその花がありましょうか。」
「どうも身に
染むお話。どうぞ早く
後をお
聞せなさいまし、そしてその時、その花はござんしたか。」
「花は全くあったんですが、
何時もそうやって美女ヶ原へお
出の事だから、御存じはないでしょうか。」
「参りましたら、その
姉さんがなすったように、
一所にお探し申しましょう。」
「それでも私は月の出るのを待ちますつもり。その
花籠にさえ一杯になったら、
貴女は日一杯に帰るでしょう。」
「
否、いつも一人で
往復します時は、馴れて何とも思いませんでございましたけれども、
じお
連が出来て見ますと、もう
寂しくって一人では帰られませんから、
御一所にお帰りまでお待ち申しましょう。その
代どうぞ花籠の方はお手伝い下さいましな。」
「そりゃ、いうまでもありません。」
「そしてまあ、どんな
処にございましたえ。」
「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。
路すがら、そうやって、影のような
障礙に出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、
幾度思ったか
解りませんが、
黄昏と思う時、その美女ヶ原というのでしょう。
凡八
町四方ばかりの間、扇の
地紙のような形に、空にも下にも
充満の花です。
そのまま二人で
跪いて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り
容易い。つい目の前の
芍薬の花の中に
花片の形が変って、
真紅なのが
唯一輪。
採って
前髪に
押頂いた時、私の
頭を
撫でながら、
余の
嬉しさ、娘ははらはらと
落涙して、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私の
頭に
挿させようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人の
簪の花になっても、月影に色は
真紅だったです。
母様の
御大病、一刻も早くと、
直に、美女ヶ原を
後にしました
引返す時は、
苦もなく、すらすらと下りられて、早や
暁の
鶏の声。
嬉しや人里も近いと思う、月が落ちて
明方の闇を、向うから、
洶々と四、五人
連、
松明を
挙げて近寄った。
人可懐くいそいそ寄ると、いずれも
屈竟な
荒漢で。
中に一人、見た事のある顔と、思い出した。
黒婆が家に馬を繋いだ
馬士で、その馬士、二人の姿を見ると、
遁がすなと
突然、私を小脇に
引抱える、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を
手取足取。
何処をどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。
やがて気が付くと、娘と二人で、
大な座敷の片隅に、
馬士交り七、八人に取巻かれて坐っていました。
何百年か
解らない
古襖の正面、板の
間のような
床を
背負って、
大胡坐で控えたのは、何と、
鳴子の
渡を
仁王立で越した
抜群なその
親仁で。
恍惚した
小児の顔を見ると、
過日の四季の
花染の
袷を、ひたりと目の前へ投げて
寄越して、
大口を
開いて笑った。
や、二人とも気に入った、
坊主は
児になれ、女はその
母になれ、そして
何時までも
娑婆へ帰るな、と言ったんです。
娘は
乱髪になって、その花を持ったまま、膝に手を置いて、
首垂れて黙っていた。その返事を聞く手段であったと見えて、私は二晩、土間の上へ、
可恐い高い屋根裏に釣った、
駕籠の中へ入れて
釣されたんです。紙に乗せて、
握飯を
突込んでくれたけれど、それが食べられるもんですか。
垂から
透して、土間へ
焚火をしたのに雪のような顔を照らされて、娘が縛られていたのを見ましたが、それなり目が
眩んでしまったです。どんと
駕籠が土間に下りた時、中から五、六
疋鼠がちょろちょろと
駈出したが、
代に娘が入って来ました。
薫の高い薬を噛んで口移しに含められて、膝に抱かれたから、一生懸命に
緊乎縋り着くと、背中へ廻った手が空を
撫でるようで、娘は
空蝉の
殻かと見えて、
唯た二晩がほどに、糸のように
瘠せたです。
もうお目に
懸られぬ、あの
花染のお
小袖は
記念に私に下さいまし。しかし義理がありますから、必ずこんな
処に
隠家があると、町へ帰っても言うのではありません、と蒼白い顔して言い聞かす
中に、
駕籠が
舁かれて、うとうとと十四、五
町。
奥様、
此処まで、と声がして、駕籠が下りると、一人手を取って私を外へ出しました。
左右に
土下座して、手を
支いていた中に
馬士もいた。一人が背中に私を
負うと、娘は駕籠から出て見送ったが、顔に
袖を当てて、
長柄にはッと
泣伏しました。それッきり。」
高坂は声も曇って、
「私を
負った男は、村を離れ、川を越して、
遙に
鈴見の橋の
袂に
差置いて帰りましたが、この男は
唖と見えて、長い
途に一言も物を言やしません。
私は死んだ者が
蘇生ったようになって、
家へ帰りましたが、
丁度全三月経ったです。
花を
枕頭に
差置くと、その時も絶え入っていた母は、
呼吸を返して、それから
日増に
快くなって、五年経ってから亡くなりました。
魔隠に逢った
小児が帰った喜びのために、
一旦本復をしたのだという人もありますが、私は、その娘の取ってくれた薬草の
功徳だと思うです。
それにつけても、恩人は、と思う。娘は山賊に捕われた事を、
小児心にも知っていたけれども、
堅く
言付けられて帰ったから、その頃三ヶ国
横行の
大賊が、つい私どもの
隣の
家へ入った時も、
何も言わないで黙っていました。
けれども、それから足が附いて、
二俣の奥、
戸室の
麓、岩で城を
築いた山寺に、
兇賊籠ると知れて、まだ
邏卒といった時分、
捕方が
多人数、
隠家を取巻いた時、表門の
真只中へ、その
親仁だと言います、六尺一つの
丸裸体、
脚絆を堅く、
草鞋を
引〆め、背中へ十文字に
引背負った、四季の
花染の
熨斗目の
紋着、
振袖が
颯と
山颪に
縺れる中に、女の
黒髪がはらはらと
零れていた。
手に
一条大身の
槍を
提げて、
背負った女房が死骸でなくば、死人の山を
築くはず、無理に
手活の花にした、
申訳の
葬に、医王山の美女ヶ原、花の中に
埋めて帰る。
汝ら見送っても命がないぞと、近寄ったのを五、六人、蹴散らして、ぱっと
退く中を、
衝と抜けると、岩を飛び、岩を飛び、岩を飛んで、やがて槍を
杖いて
岩角に隠れて、それなりけりというので、さてはと、それからは私がその娘に出逢う
門出だった誕生日に、
鈴見の橋の上まで来ては、こちらを拝んで帰り帰りしたですが、母が
亡なりました翌年から、東京へ修行に参って、国へ帰ったのは
漸と昨年。始終望んでいましたこの山へ、
後を尋ねて
上る事が、物に
取紛れている
中に、
申訳もない飛んだ身勝手な。
またその薬を頂かねばならないようになったです。以前はそれがために
類少い女を一人、
犠にしたくらいですから、今度は自分がどんな
辛苦も決して
厭わない。いかにもしてその花が欲しいですが。」
言う
中に胸が迫って、涙を
湛えたためばかりでない。ふと、
心付くと消えたように女の姿が見えないのは、草が深くなった
所為であった。
丈より高い
茅萱を
潜って、肩で
掻分け、
頭で
避けつつ、見えない人に、物言い
懸ける
術もないので、高坂は
御経を取って
押戴き、
山川険谷 幽邃所生 卉木薬艸 大小諸樹
百穀苗稼 甘庶葡萄 雨之所潤 無不豊足
乾地普洽 薬木並茂 其雲所出 一味之水
葎の中に日が射して、
経巻に、蒼く月かと思う草の影が
映ったが、見つつ進む内に、ちらちらと
紅来り、
黄来り、
紫去り、
白過ぎて、
蝶の
戯るる
風情して、
偈に
斑々と
印したのは、はや
咲交る四季の花。
忽然として
天開け、身は雲に包まれて、
妙なる
薫袖を
蔽い、
唯見ると
堆き雪の如く、
真白き中に
紅ちらめき、
瞶むる
瞳に緑
映じて、
颯と分れて、一つ一つ、
花片となり、葉となって、美女ヶ原の花は高坂の
袂に
匂ひ、胸に咲いた。
花売は
籠を
下して、
立休ろうていた。笠を脱いで、
襟脚長く
玉を
伸べて、
瑩沢なる黒髪を高く結んだのに、
何時の間にか一輪の
小な花を
簪していた、
褄はずれ、
袂の端、
大輪の菊の色白き中に
佇んで、高坂を待って、
莞爾と
笑む、美しく気高き
面ざし、
威ある瞳に
屹と射られて、今物語った人とも覚えず、はっと思うと学生は、既に身を忘れ、名を忘れて、
唯九ツばかりの
稚児になった思いであった。
「さあ、お話に
紛れて遅く来ましたから、もうお月様が見えましょう。それまでにどうぞ手伝って花籠に
摘んで下さいまし。」
と男を頼るように言われたけれども、高坂はかえって
唯々として、あたかも神に
事うるが如く、左に菊を折り、右に
牡丹を折り、前に
桔梗を摘み、
後に朝顔を
手繰って、再び、
鈴見の橋、
鳴子の
渡、
畷の夕立、
黒婆の
生豆腐、
白姥の
焼茄子、
牛車の天女、
湯宿の月、
山路の
利鎌、賊の
住家、
戸室口の
別を繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。
すると籠は、花ながら花の中に
埋もれて消えた。
月影が射したから、
伏拝んで、心を
籠めて、
透かし透かし見たけれども、
したけれども、
見遣ったけれども、ものの
薫に形あって
仄に
幻かと見ゆるばかり、雲も雪も紫も
偏に夜の色に
紛るるのみ。
殆ど絶望して倒れようとした時、思い
懸けず見ると、肩を並べて
斉しく手を合せてすらりと立った、その黒髪の花
唯一輪、
紅なりけり月の光に。
高坂がその
足許に
平伏したのは言うまでもなかった。
その時肩を落して、
美女が手を取ると、取られて膝をずらして
縋着いて、その帯のあたりに
面を上げたのを、月を浴びて
長けた、優しい顔で
熟と見て、少し
頬を傾けると、髪がそちらへはらはらとなるのを、
密と押える手に、
簪を抜いて、
戦く医学生の
襟に
挟んで、
恍惚したが、
瞳が動き、
「ああ、お
可懐い。思うお
方の御病気はきっとそれで
治ります。」
あわれ、高坂が
緊乎と
留めた手は
徒に茎を
掴んで、
袂は空に、美女ヶ原は
咲満ちたまま、ゆらゆらと前へ出たように覚えて、人の姿は遠くなった。
立って追おうとすると、岩に
牡丹の
咲重って、白き
象の
大なる
頭の如き
頂へ、雲に
入るよう
衝と立った時、一度その
鮮明な
眉が見えたが、月に風なき野となんぬ。
高坂は
と坐した。
かくて胸なる
紅の一輪を
栞に、
傍の
芍薬の花、
方一尺なるに
経を
据えて、
合掌して、
薬王品を夜もすがら。
底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第七卷」岩波書店
1942(昭和17)年7月初版発行
初出:「二六新報」
1903年(明治36年)5月16~30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2001年12月22日公開
2005年12月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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