2024年5月13日月曜日

泉鏡花 薬草取 1903

泉鏡花 薬草取

底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第七卷」岩波書店
   1942(昭和17)年7月初版発行
初出:「二六新報」
   1903年(明治36年)5月16~30日
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/3312_20647.html

薬草取



       一

日光掩蔽にっこうおんぺい  地上清涼ちじょうしょうりょう  靉靆垂布あいたいすいぶ  如可承攬にょかしょうらん
其雨普等ごうぶとう  四方倶下しほうぐげ  流樹無量りゅうじゅむりょう  率土充洽そつどじゅうごう
山川険谷さんせんけんこく  幽邃所生ゆうすいしょじょう  卉木薬艸きぼくやくそう  大小諸樹だいしょうしょじゅ

「もし憚はばかりながらお布施ふせ申しましょう。」
 背後うしろから呼ぶ優やさしい声に、医王山いおうざんの半腹、樹木の鬱葱うっそうたる中を出いでて、ふと夜の明けたように、空澄すみ、気清きよく、時しも夏の初はじめを、秋見る昼の月の如ごとく、前途遥ゆくてはるかなる高峰たかねの上に日輪にちりんを仰あおいだ高坂こうさかは、愕然がくぜんとして振返ふりかえった。
 人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、呼懸よびかけたのは女であった。けれども、高坂は一見して、直ただちに何ら害心がいしんのない者であることを認め得た。
 女は片手拝かたておがみに、白い指尖ゆびさきを唇にあてて、俯向うつむいて経きょうを聞きつつ、布施をしようというのであるから、
「否いや、私わしは出家しゅっけじゃありません。」
 と事もなげに辞退しながら、立停たちどまって、女のその雪のような耳許みみもとから、下膨しもぶくれの頬ほおに掛かけて、柔やわらかに、濃い浅葱あさぎの紐ひもを結んだのが、露つゆの朝顔の色を宿やどして、加賀笠かががさという、縁ふちの深いので眉まゆを隠した、背には花籠はなかご、脚あしに脚絆きゃはん、身軽に扮装いでたったが、艶麗あでやかな姿を眺めた。
 かなたは笠の下から見透みすかすが如くにして、
「これは失礼なことを申しました。お姿は些ちっともそうらしくはございませんが、結構な御経おきょうをお読みなさいますから、私わたくしは、あの、御出家ではございませんでも、御修行者ごしゅぎょうじゃでいらっしゃいましょうと存じまして。」
 背広の服で、足拵あしごしらえして、帽ぼうを真深まぶかに、風呂敷包ふろしきづつみを小さく西行背負さいぎょうじょいというのにしている。彼は名を光行みつゆきとて、医科大学の学生である。
 時に、妙法蓮華経薬草諭品みょうほうれんげきょうやくそうゆほん、第五偈だいごげの半なかばを開いたのを左の掌たなそこに捧ささげていたが、右手めてに支ついた力杖ステッキを小脇に掻上かいあげ、
「そりゃまあ、修行者は修行者だが、まだ全然まるで素人しろうとで、どうして御布施ごふせを戴くようなものじゃない。
 読方よみかただって、何だ、大概たいがい、大学朱熹章句だいがくしゅきしょうくで行ゆくんだから、尊とうとい御経おきょうを勿体もったいないが、この山には薬の草が多いから、気の所為せいか知らん。麓ふもとからこうやって一里ばかりも来たかと思うと、風も清々すがすがしい薬の香かがして、何となく身に染しむから、心願しんがんがあって近頃から読み覚えたのを、誦となえながら歩行あるいているんだ。」
 かく打明うちあけるのが、この際自他じたのためと思ったから、高坂は親しく先まず語って、さて、
「姉ねえさん、お前さんは麓ふもとの村にでも住んでいる人なんか。」
「はい、二俣村ふたまたむらでございます。」
「あああの、越中えっちゅうの蛎波となみへ通かよう街道で、此処ここに来る道の岐わかれる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処あすこだね。」
「さようでございます。もう路みちが悪うございまして、車が通りませんものですから、炭でも薪たきぎでも、残らず馬に附けて出しますのでございます。
 それに丁ちょうどこの御山みやまの石の門のようになっております、戸室口とむろぐちから石を切出きりだしますのを、皆みんな馬で運びますから、一人で五疋ひきも曳ひきますのでございますよ。」
「それではその麓から来たんだね、唯たった一人。……」
 静しずかに歩ほを移していた高坂は、更にまた女の顔を見た。
「はい、一人でございます、そしてこちらへ参りますまで、お姿を見ましたのは、貴方あなたばかりでございますよ。」
 いかにもという面色おももちして、
「私わたしもやっぱり、そうさ、半里ばかりも後あとだった、途中で年寄った樵夫きこりに逢あって、路みちを聞いた外ほかにはお前さんきり。
 どうして往いって還かえるまで、人ひとッ子こ一人ひとりいようとは思わなかった。」
 この辺あたり唯ただなだらかな蒼海原あおうなばら、沖へ出たような一面の草を※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしながら、
「や、ものを言っても一つ一つ谺こだまに響くぞ、寂さびしい処ところへ、能よくお前さん一人で来たね。」
 女は乳ちの上へ右左、幅広く引掛ひっかけた桃色の紐に両手を挟はさんで、花籃はなかごを揺直ゆりなおし、
「貴方あなた、その樵夫きこりの衆しゅうにお尋ねなすって可ようございました。そんなに嶮けわしい坂ではございませんが、些ちっとも人が通かよいませんから、誠に知れにくいのでございます。」
「この奥の知れない山の中へ入るのに、目標めじるしがあの石ばかりじゃ分らんではないかね。
 それも、南北みなみきた、何方どちらか医王山道いおうざんみちとでも鑿ほりつけてあればまだしもだけれど、唯ただ河原に転ころがっている、ごろた石の大きいような、その背後うしろから草の下に細い道があるんだもの、ちょいと間違えようものなら、半年経歴へめぐっても頂いただきには行ゆかれないと、樵夫きこりも言ったんだが、全体何だって、そんなに秘かくして置く山だろう。全くあの石の裏より外ほかに、何処どこも路はないのだろうか。」
「ございませんとも、この路筋みちすじさえ御存じで在いらっしゃれば、世を離れました寂しさばかりで、獣けだものも可恐おそろしいのはおりませんが、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千丈じょうとも知れぬ谷で、行留ゆきどまりになりますやら、断崖きりぎしに突当つきあたりますやら、流ながれに岩が飛びましたり、大木の倒れたので行ゆく前さきが塞ふさがったり、その間には草樹くさきの多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。
 旧もとへ帰るか、倶利伽羅峠くりからとうげへ出抜でぬけますれば、無事に何方どちらか国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、終局しまいには草一条くさひとすじも生えません焼山やけやまになって、餓死うえじにをするそうでございます。
 本当に貴方あなたがおっしゃいます通り、樵夫きこりがお教え申しました石は、飛騨ひだまでも末広すえひろがりの、医王の要石かなめいしと申しまして、一度踏外ふみはずしますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」
 名だたる北国ほくこく秘密の山、さもこそと思ったけれども、
「しかし一体、医王というほど、此処ここで薬草が採れるのに、何故なぜ世間とは隔へだたって、行通ゆきかよいがないのだろう。」
「それは、あの承うけたまわりますと、昔から御領主の御禁山おとめやまで、滅多めったに人をお入れなさらなかった所為せいなんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な御薬おくすりの採れます場所は、また御守護の神々かみがみ仏様ほとけさまも、出入ではいりをお止とめ遊ばすのでございましょうと存じます。」
 譬たとえば仙境せんきょうに異霊いれいあって、恣ほしいままに人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これが少すくなからず心に懸かかった。
「それでは何か、私わたしなんぞが入って行って、欲ほしい草を取って帰っては悪いのか。」
 と高坂はやや気色けしきばんだが、悚然ぞっと肌寒はださむくなって、思わず口の裡うちで、

慧雲含潤えうんがんじゅん  電光晃耀でんこうこうよう  雷声遠震らいじょうおんしん  令衆悦予れいじゅえつよ
日光掩蔽にっこうおんぺい  地上清涼ちじょうしょうりょう  靉靆垂布あいたいすいぶ  如可承攬にょかしょうらん


       二

「否いいえ、山さえお暴あらしなさいませねば、誰方どなたがおいでなさいましても、大事ないそうでございます。薬の草もあります上は、毒な草もないことはございません。無暗むやみな者が採りますと、どんな間違まちがいになろうも知れませんから、昔から禁札きんさつが打ってあるのでございましょう。
 貴方あなたは、そうして御経おきょうをお読み遊ばすくらい、縦令たといお山で日が暮れても些ちっともお気遣きづかいな事はございますまいと存じます。」
 言いかけてまた近ちかづき、
「あのさようなら、貴方あなたはお薬になる草を採りにおいでなさるのでござんすかい。」
「少々しょうしょう無理な願ねがいですがね、身内に病人があって、とても医者の薬では治なおらんに極きまったですから、この医王山でなくって外ほかにない、私が心当こころあたりの薬草を採りに来たんだが、何、姉ねえさんは見懸みかけた処ところ、花でも摘みに上あがるんですか。」
「御覧の通とおり、花を売りますものでござんす。二日置き、三日置おきに参って、お山の花を頂いては、里へ持って出て商あきないます、丁ちょうど唯今ただいまが種々いろいろな花盛はなざかり。
 千蛇せんじゃが池いけと申しまして、頂いただきに海のような大おおきな池がございます。そしてこの山路やまみちは何処どこにも清水なぞ流れてはおりません。その代かわり暑い時、咽喉のどが渇かわきますと、蒼あおい小ちいさな花の咲きます、日蔭ひかげの草を取って、葉の汁つゆを噛かみますと、それはもう、冷つめたい水を一斗いっとばかりも飲みましたように寒うなります。それがないと凌しのげませんほど、水の少い処ところですから、菖蒲あやめ、杜若かきつばた、河骨こうほねはござんせんが、躑躅つつじも山吹やまぶきも、あの、牡丹ぼたんも芍薬しゃくやくも、菊の花も、桔梗ききょうも、女郎花おみなえしでも、皆みんな一所いっしょに開いていますよ、この六月から八月の末すえ時分まで。その牡丹だの、芍薬だの、結構な花が取れますから、たんとお鳥目ちょうもくが頂けます。まあ、どんなに綺麗きれいでございましょう。
 そして貴方あなた、お望のぞみの草をお採り遊ばすお心当こころあたりはどの辺でござんすえ。」
 と笠かさながら差覗さしのぞくようにして親しく聞く、時に清すずしい目がちらりと見えた。
 高坂は何となく、物語の中なる人を、幽境ゆうきょうの仙家せんかに導く牧童ぼくどうなどに逢う思いがしたので、言ことばも自おのずから慇懃いんぎんに、
「私も其処そこへ行ゆくつもりです。四季の花の一時いっときに咲く、何という処ところでしょうな。」
「はい、美女びじょヶ原はらと申します。」
「びじょがはら?」
「あの、美しい女と書きますって。」
 女は俯向うつむいて羞はじたる色あり、物の淑つつましげに微笑ほほえむ様子。
 可懐なつかしさに振返ふりかえると、
「あれ。」と袖そでを斜ななめに、袂たもとを取って打傾うちかたむき、
「あれ、まあ、御覧なさいまし。」
 その草染くさぞめの左の袖に、はらはらと五片三片いつひらみひら紅くれないを点じたのは、山鳥やまどりの抜羽ぬけはか、非あらず、蝶ちょうか、非あらず、蜘蛛くもか、非あらず、桜の花の零こぼれたのである。
「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、何処どこからともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも何処どこに桜があるか分りません。美女ヶ原へ行ゆきますと、十里南みなみの能登のとの岬みさき、七里北きたに越中立山えっちゅうたてやま、背後うしろに加賀かがが見晴せまして、もうこの節せつは、霞かすみも霧もかかりませんのに、見紛みまごうようなそれらしい花の梢こずえもござんせぬが、大方おおかたこの花片はなひらは、煩うるさい町方まちかたから逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの御使おつかいに歩いているのかも知れません。」
 と女が高く仰あおぐに連つれ、高坂も葎むぐらの中に伸上のびあがった。草の緑が深くなって、倒さかさまに雲に映うつるか、水底みなそこのような天てんの色、神霊秘密しんれいひみつの気きを籠こめて、薄紫うすむらさきと見るばかり。
「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れない中うち行ゆかれるでしょうか。」
「否いいえ、こう桜が散って参りますから、直じきでございます。私も其処そこまで、お供いたしますが、今日こそ貴方あなたのようなお連つれがございますけれど、平時いつもは一人で参りますから、日一杯ひいっぱいに里まで帰るのでございます。」
「日一杯?」と思いも寄らぬ状さま。
「どんなにまた遠い処ところのように、樵夫きこりがお教え申したのでござんすえ。」
「何、樵夫に聞くまでもないです。私に心覚こころおぼえが丁ちゃんとある。先ず凡およそ山の中を二日も三日も歩行あるかなけれゃならないですな。
 尤もっとも上のぼりは大抵たいていどのくらいと、そりゃ予かねて聞いてはいるんですが、日一杯だのもう直じきだの、そんなに輒たやすく行ゆかれる処とは思わない。
 御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、巌いわにも躓つまずかず、衣物きものに綻ほころびが切れようじゃなし、生爪なまづめ一つ剥はがしやしない。
 支度したくはして来たっても餒ひもじい思いもせず、その蒼あおい花の咲く草を捜さなけりゃならんほど渇かわく思いをするでもなし、勿論もちろんこの先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から日帰ひがえりをするという、姉ねえさんと一所いっしょに行ゆくんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、一足ひとあしずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」
「ええ、訳わけはございません、貴方あなた、そんなに可恐おそろしい処ところと御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」
 言下ごんかに、
「実際命懸いのちがけで来ました。」と思い入いって答えると、女はしめやかに、
「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。
 でも何もそんな難むずかしい御山おやまではありません。但ただ此処ここは霊山れいざんとか申す事、酒を覆こぼしたり、竹の皮を打棄うっちゃったりする処ところではないのでございます。まあ、難有ありがたいお寺の庭、お宮の境内けいだい、上うえつ方がたの御門ごもんの内のような、歩けば石一つありませんでも、何となく謹つつしみませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方あなたは、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処そこまでお越し遊ばすに、二日も三日もお懸かかりなさらねばなりませんような気がすると仰有おっしゃいますが、何時いつか一度お上のぼり遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
「確たしかに美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅つつじや椿つばき、菊も藤も、原はら一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処どこが何だか全然まるで夢中。
 今だってやっぱり、私は同一おなじこの国の者なんですが、その時は何為なぜか家を出て一月余あまり、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよって、漸々ようよう其処そこを見たように思うですが。」
 高坂は語りつつも、長途ちょうとに苦くるしみ、雨露あめつゆに曝さらされた当時を思い起すに付け、今も、気弱り、神しん疲れて、ここに深山みやまに塵ちり一つ、心に懸かからぬ折ながら、なおかつ垂々たらたらと背そびらに汗。
 糸のような一条路ひとすじみち、背後うしろへ声を運ぶのに、力を要した所為せいもあり、薬王品やくおうほんを胸に抱いだき、杖を持った手に帽ぼうを脱ぐと、清き額ひたいを拭ぬぐうのであった。
 それと見る目も敏さとく、
「もし、御案内がてら、あの、私がお前さきへ参りましょう。どうぞ、その方がお話も承うけたまわりようございますから。」
 一議いちぎに及ばず、草鞋わらじを上げて、道を左へ片避かたよけた、足の底へ、草の根が柔やわらかに、葉末はずえは脛はぎを隠したが、裾すそを引く荊いばらもなく、天地てんち閑かんに、虫の羽音はおとも聞えぬ。

       三

「御免なさいまし。」
 と花売はなうりは、袂たもとに留とめた花片はなびらを惜おしやはらはら、袖そでを胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜すりぬけたその片足も葎むぐらの中、路はさばかり狭いのである。
 五尺ばかり前にすらりと、立直たちなおる後姿、裳もすそを籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱あさぎに、日の色を隈取くまどる他に、一木ぼくのありて長く影を倒すにあらず。
 背後うしろから声を掛け、
「大分だいぶん草深くなりますな。」
「段々頂いただきが近いんですよ。やがてこの生はえが人丈ひとだけになって、私の姿が見えませんようになりますと、それを潜くぐって出ます処ところが、もう花の原でございます。」
 と撫肩なでかたの優しい上へ、笠の紐弛ゆるく、紅べにのような唇をつけて、横顔で振向ふりむいたが、清すずしい目許めもとに笑えみを浮べて、
「どうして貴方あなたはそんなにまあ唐天竺からてんじくとやらへでもお出いで遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
 高坂は手なる杖を荒く支ついて、土を騒がす事さえせず、慎つつしんで後あとに続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠く隔へだたったように思うのですから、事柄と一所いっしょに路までも遙はるかに考えるのかも知れません。そうして先ず皆みんな夢ですよ。
 けれども不残のこらず事実で。
 私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔ひとむかし、ざっと二昔ふたむかしも前になるです、九歳ここのつの年の夏。」
「まあ、そんなにお稚ちいさい時。」
「尤もっとも一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西も弁わきまえぬ、取って九歳ここのつの小児こどもばかり。
 人は高坂の光みい、私の名ですね、光坊みいぼうが魔に捕とられたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗てんぐに攫さらわれたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心おさなごころで、自分じゃ一端いっぱし親を思ったつもりで。
 まだ両親ふたおやともあったんです。母親が大病で、暑さの取附とッつきにはもう医者が見放したので、どうかしてそれを復なおしたい一心で、薬を探しに来たんですな。」
 高坂は少時しばらく黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴ふいちょうをするようで人聞ひとぎきが悪いですが、姉さん、貴女あなたばかりだから話をする。
 今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方に開ひらけていたって、北国ほくこくの山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生まで匙さじを投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様おっかさんは病気きいきいが悪いから、大人おとなしくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入ではいり、家うちの者の起居挙動たちいふるまい、大病というのは知れる。
 それにその名医というのが、五十恰好かっこうで、天窓あたまの兀はげたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形やさがたな親仁おやじで、脈を取るにも、蛇じゃの目めの傘かさを差すにも、小指を反そらして、三本の指で、横笛を吹くか、女郎じょろうが煙管きせるを持つような手付てつきをする、好かない奴。
 私がちょこちょこ近処きんじょだから駈出かけだしては、薬取くすりとりに行ゆくのでしたが、また薬局というのが、その先生の甥おいとかいう、ぺろりと長い顔の、額ひたいから紅べにが流れたかと思う鼻の尖さきの赤い男、薬箪笥くすりだんすの小抽斗こひきだしを抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減さじかげんが如何いかにも怪あやしい。
 相応そうおうに流行はやって、薬取くすりとりも多いから、手間取てまどるのが焦じれったさに、始終行ゆくので見覚えて、私がその抽斗ひきだしを抜いて五つも六つも薬局の机に並べて遣やる、終しまいには、先方さきの手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方めかたが揃そろうくらい、大病だって何だって、そんな覚束おぼつかない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
 その頃父は小立野こだつのと言う処ところの、験げんのある薬師やくしを信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。
 後のちは自分ばかり、乳母うばに手を曳ひかれてお詣まいりをしましたッけ。別に拝みようも知らないので、唯ただ、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、それも遊び半分。
 六月の十五日は、私の誕生日で、その日、月代さかやきを剃そって、湯に入ってから、紋着もんつきの袖そでの長いのを被きせてもらいました。
 私がと言っては可笑おかしいでしょう。裾模様すそもようの五いつツ紋もん、熨斗目のしめの派手な、この頃聞きゃ加賀染かがぞめとかいう、菊だの、萩はぎだの、桜だの、花束が紋もんになっている、時節に構わず、種々いろいろの花を染交そめまぜてあります。尤もっとも今時いまどきそんな紋着を着る者はない、他国たこくには勿論もちろんないですね。
 一体この医王山に、四季の花が一時いちじに開く、その景勝を誇るために、加賀かがばかりで染めるのだそうですな。
 まあ、その紋着を着たんですね、博多はかたに緋ひの一本独鈷いっぽんどっこの小児帯こどもおびなぞで。
 坊やは綺麗きれいになりました。母も後毛おくれげを掻上かきあげて、そして手水ちょうずを使って、乳母うばが背後うしろから羽織はおらせた紋着に手を通して、胸へ水色の下じめを巻いたんだが、自分で、帯を取って〆しめようとすると、それなり力が抜けて、膝を支ついたので、乳母が慌あわてて確乎しっかり抱だくと、直すぐに天鵝絨びろうどの括枕くくりまくらに鳩尾みぞおちを圧おさえて、その上へ胸を伏せたですよ。
 産うんで下すった礼を言うのに、唯ただ御機嫌好ようとさえ言えば可いいと、父から言いつかって、枕頭まくらもとに手を支ついて、其処そこへ。顔を上げた私と、枕に凭もたれながら、熟じっと眺めた母と、顔が合うと、坊や、もう復なおるよと言って、涙をはらはら、差俯向さしうつむいて弱々よわよわとなったでしょう。
 父が肩を抱いて、徐そっと横に寝かした。乳母が、掻巻かいまきを被きせ懸けると、襟えりに手をかけて、向うを向いてしまいました。
 台所から、中の室まから、玄関あたりは、ばたばた人の行交ゆきかう音。尤もっとも帯をしめようとして、濃いお納戸なんどの紋着に下じめの装なりで倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。
 やがて医者せんせいが袴はかまの裾すそを、ずるずるとやって駈け込んだ。私には戸外おもてへ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない、悲しい心細い思いがしましたな。」
 花売はなうりは声細く、
「御道理ごもっともでございますねえ。そして母様おっかさんはその後のち快よくおなりなさいましたの。」
「お聞きなさい、それからです。
 小児こどもは切せめて仏の袖そでに縋すがろうと思ったでしょう。小立野こだつのと言うは場末ばすえです。先ず小さな山くらいはある高台、草の茂った空地沢山あきちだくさんな、人通りのない処ところを、その薬師堂やくしどうへ参ったですが。
 朝の内に月代さかやき、沐浴ゆあみなんかして、家を出たのは正午ひる過すぎだったけれども、何時いつ頃薬師堂へ参詣して、何処どこを歩いたのか、どうして寝たのか。
 翌朝あくるあさはその小立野から、八坂はっさかと言います、八段やきだに黒い滝の落ちるような、真暗まっくらな坂を降りて、川端へ出ていた。川は、鈴見すずみという村の入口で、流ながれも急だし、瀬の色も凄すごいです。
 橋は、雨や雪に白しらっちゃけて、長いのが処々ところどころ、鱗うろこの落ちた形に中弛なかだるみがして、のらのらと架かかっているその橋の上に茫然ぼんやりと。
 後のちに考えてこそ、翌朝あくるあさなんですが、その節せつは、夜を何処どこで明かしたか分らないほどですから、小児こどもは晩方ばんがただと思いました。この医王山の頂いただきに、真白な月が出ていたから。
 しかし残月ざんげつであったんです。何為なぜかというにその日の正午ひる頃、ずっと上流の怪あやしげな渡わたしを、綱に掴つかまって、宙へ釣つるされるようにして渡った時は、顔が赫かっとする晃々きらきらと烈はげしい日当ひあたり。
 こういうと、何だか明方あけがただか晩方ばんがただか、まるで夢のように聞えるけれども、渡わたしを渡ったには全く渡ったですよ。
 山路やまじは一日がかりと覚悟をして、今度来るには麓ふもとで一泊したですが、昨日きのう丁度ちょうど前ぜんの時と同一おなじ時刻、正午ひる頃です。岩も水も真白な日当ひあたりの中を、あの渡わたしを渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着ふなつきの岩も、船出ふなでの松も、確たしかに覚えがありました。
 しかし九歳ここのつで越した折は、爺じいさんの船頭がいて船を扱いましたっけ。
 昨日きのうは唯ただ綱を手繰たぐって、一人で越したです。乗合のりあいも何なんにもない。
 御存じの烈しい流ながれで、棹さおの立つ瀬はないですから、綱は二条ふたすじ、染物そめものをしんし張ばりにしたように隙間すきまなく手懸てがかりが出来ている。船は小さし、胴どうの間まへ突立つッたって、釣下つりさがって、互違たがいちがいに手を掛けて、川幅三十間けんばかりを小半時こはんとき、幾度いくたびもはっと思っちゃ、危あぶなさに自然ひとりでに目を塞ふさぐ。その目を開ける時、もし、あの丈たけの伸びた菜種なたねの花が断崕がけの巌越いわごしに、ばらばら見えんでは、到底とてもこの世の事とは思われなかったろうと考えます。
 十里四方には人らしい者もないように、船を纜もやった大木の松の幹に立札たてふだして、渡船銭わたしせん三文とある。
 話は前後あとさきになりました。
 そこで小児こどもは、鈴見すずみの橋に彳たたずんで、前方むこうを見ると、正面の中空なかぞらへ、仏の掌てのひらを開いたように、五本の指の並んだ形、矗々すくすく立ったのが戸室とむろの石山いしやま。靄もやか、霧か、後うしろを包んで、年に二、三度好よく晴れた時でないと、蒼あおく顕あらわれて見えないのが、即すなわちこの医王山です。
 其処そこにこの山があるくらいは、予かねて聞いて、小児心こどもごころにも方角を知っていた。そして迷子まいごになったか、魔に捉とられたか、知れもしないのに、稚ちいさな者は、暢気のんきじゃありませんか。
 それが既に気が変になっていたからであろうも知れんが、お腹なかが空かぬだけに一向いっこう苦にならず。壊れた竹の欄干らんかんに掴つかまって、月の懸かかった雲の中の、あれが医王山と見ている内に、橋板はしいたをことこと踏んで、
 向むこうの山に、猿が三疋びき住みやる。中の小猿が、能よう物もの饒舌しゃべる。何と小児こどもども花折はなおりに行ゆくまいか。今日の寒いに何の花折りに。牡丹ぼたん、芍薬しゃくやく、菊の花折りに。一本折っては笠に挿さし、二本折っては、蓑みのに挿し、三枝みえだ四枝よえだに日が暮れて……とふと唄いながら。……
 何となく心に浮んだは、ああ、向うの山から、月影に見ても色の紅くれないな花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気が復なおるに違いないと言う事です。また母は、その花を簪かんざしにしても似合うくらい若かったですな。」
 高坂は旧もと来た方かたを顧かえりみたが、草の外ほかには何もない、一歩ひとあし前さきへ花売はなうりの女、如何いかにも身に染しみて聞くように、俯向うつむいて行ゆくのであった。
「そして確たしかに、それが薬師やくしのお告つげであると信じたですね。
 さあ思い立っては矢やも楯たても堪たまらない、渡り懸けた橋を取って返して、堤防どて伝いに川上へ。
 後あとでまた渡わたしを越えなければならない路ですがね、橋から見ると山の位置ありかは月の入いる方へ傾いて、かえって此処ここから言うと、対岸むこうぎしの行留ゆきどまりの雲の上らしく見えますから、小児心こどもごころに取って返したのが丁ちょうど幸さいわいと、橋から渡場わたしばまで行ゆく間の、あの、岩淵いわぶちの岩は、人を隔てる医王山の一いちの砦とりでと言っても可よい。戸室とむろの石山いしやまの麓が直すぐに流ながれに迫る処ところで、累かさなり合った岩石だから、路は其処そこで切れるですものね。
 岩淵をこちらに見て、大方おおかた跣足はだしでいたでしょう、すたすた五里も十里も辿たどった意つもりで、正午ひる頃に着いたのが、鳴子なるこの渡わたし。」

       四

「馬士まごにも、荷担夫にかつぎにも、畑打はたうつ人にも、三人にん二人にんぐらいずつ、村一つ越しては川沿かわぞいの堤防どてへ出るごとに逢ったですが、皆みんな唯ただ立停たちどまって、じろじろ見送ったばかり、言葉を懸ける者はなかったです。これは熨斗目のしめの紋着振袖もんつきふりそでという、田舎に珍めずらしい異形いぎょうな扮装なりだったから、不思議な若殿、迂濶うかつに物も言えないと考えたか、真昼間まっぴるま、狐が化けた? とでも思ったでしょう。それとも本人逆上返のぼせかえって、何を言われても耳に入らなかったのかも解わからんですよ。
 ふとその渡場わたしばの手前で、背後うしろから始めて呼び留めた親仁おやじがあります。兄にいや、兄にいやと太い調子。
 私は仰向あおむいて見ました。
 ずんぐり脊せの高い、銅色あかがねいろの巌乗造がんじょうづくりな、年配四十五、六、古い単衣ひとえの裾すそをぐいと端折はしょって、赤脛からずねに脚絆きゃはん、素足に草鞋わらじ、かっと眩まばゆいほど日が照るのに、笠は被かぶらず、その菅笠すげがさの紐に、桐油合羽とうゆがっぱを畳たたんで、小さく縦たてに長く折ったのを結ゆわえて、振分ふりわけにして肩に投げて、両提ふたつさげの煙草入たばこいれ、大きいのをぶら提さげて、どういう気か、渋団扇しぶうちわで、はたはたと胸毛を煽あおぎながら、てくりてくり寄って来て、何処どこへ行ゆくだ。
 御山おやまへ花を取りに、と返事すると、ふんそれならば可よし、小父おじが同士どうしに行って遣やるべい。但ただし、この前さきの渡わたしを一つ越さねばならぬで、渡守わたしもりが咎立とがめだてをすると面倒じゃ、さあ、負おぶされ、と言うて背中を向けたから、合羽かっぱを跨またぐ、足を向うへ取って、猿さるの児こ背負おんぶ、高く肩車に乗せたですな。
 その中うちも心の急せく、山はと見ると、戸室とむろが低くなって、この医王山が鮮明あざやかな深翠ふかみどり、肩の上から下に瞰下みおろされるような気がしました。位置は変って、川の反対むこうの方に見えて来た、なるほど渡わたしを渡らねばなりますまい。
 足を圧おさえた片手を後うしろへ、腰の両提ふたつさげの中をちゃらちゃらさせて、爺様じさま頼んます、鎮守ちんじゅの祭礼まつりを見に、頼まれた和郎わろじゃ、と言うと、船を寄せた老人としよりの腰は、親仁おやじの両提ふたつさげよりもふらふらして干柿ほしがきのように干ひからびた小さな爺じじい。
 やがて綱に掴つかまって、縋すがると疾はやい事!
 雀すずめが鳴子なるこを渡るよう、猿が梢こずえを伝うよう、さらさら、さっと。」
 高坂は思わず足踏あしぶみをした、草の茂しげりがむらむらと揺ゆらいで、花片はなびらがまたもや散り来る――二片三片ふたひらみひら、虚空おおぞらから。――
「左右へ傾く舷ふなばたへ、流ながれが蒼く搦からみ着いて、真白に颯さっと翻ひるがえると、乗った親仁も馴れたもので、小児こどもを担かついだまま仁王立におうだち。
 真蒼まっさおな水底みなそこへ、黒く透すいて、底は知れず、目前めさきへ押被おっかぶさった大巌おおいわの肚はらへ、ぴたりと船が吸寄すいよせられた。岸は可恐おそろしく水は深い。
 巌角いわかどに刻きざを入れて、これを足懸あしがかりにして、こちらの堤防どてへ上あがるんですな。昨日きのう私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗あぶらあせを流して漸々ようよう縋すがり着いて上あがったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」
 高坂は莞爾にっこりして、
「爪尖つまさきを懸けると更に苦くなく、負おぶさった私の方がかえって目を塞ふさいだばかりでした。
 さて、些ちっと歩行あるかっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第に流ながれに遠ざかって、田の畦あぜ三つばかり横に切れると、今度は赤土あかつちの一本道、両側にちらほら松の植わっている処ところへ出ました。
 六月の中ばとはいっても、この辺には珍めずらしい酷ひどく暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、戸室山とむろやまが雲を吐いて、処々ところどころ田の水へ、真黒な雲が往いったり、来たり。
 並木なみきの松と松との間が、どんよりして、梢こずえが鳴る、と思うとはや大粒な雨がばらばら、立樹たちきを五本と越えない中うちに、車軸を流す烈しい驟雨ゆうだち。ちょッ待て待て、と独言ひとりごとして、親仁おやじが私の手を取って、そら、台なしになるから脱げと言うままにすると、帯を解いて、紋着もんつきを剥はいで、浅葱あさぎの襟えりの細く掛かかった襦袢じゅばんも残らず。
 小児こどもは糸も懸けぬ全裸体まるはだか。
 雨は浴あびるようだし、恐こわさは恐し、ぶるぶる顫ふるえると、親仁が、強いぞ強いぞ、と言って、私の衣類を一丸ひとまるげにして、懐中を膨ふくらますと、紐を解いて、笠を一文字に冠かぶったです。
 それから幹に立たせて置いて、やがて例の桐油合羽とうゆがっぱを開いて、私の天窓あたまからすっぽりと目ばかり出るほど、まるで渋紙しぶかみの小児こどもの小包。
 いや! 出来た、これなら海を潜もぐっても濡れることではない、さあ、真直まっすぐに前途むこうへ駈け出せ、曳えい、と言うて、板で打ぶたれたと思った、私の臀しりをびたりと一つ。
 濡れた団扇うちわは骨ばかりに裂けました。
 怪飛けしとんだようになって、蹌踉よろけて土砂降どしゃぶりの中を飛出とびだすと、くるりと合羽かっぱに包まれて、見えるは脚ばかりじゃありませんか。
 赤蛙あかがえるが化けたわ、化けたわと、親仁おやじが呵々からからと笑ったですが、もう耳も聞えず真暗三宝まっくらさんぼう。何か黒山くろやまのような物に打付ぶッつかって、斛斗もんどりを打って仰様のけざまに転ぶと、滝のような雨の中に、ひひんと馬の嘶いななく声。
 漸々ようよう人の手に扶たすけ起おこされると、合羽を解いてくれたのは、五十ばかりの肥った婆ばあさん。馬士まごが一人腕組うでぐみをして突立つッたっていた。門かどの柳の翠みどりから、黒駒くろこまの背へ雫しずくが流れて、はや雲切くもぎれがして、その柳の梢こずえなどは薄雲の底に蒼空あおぞらが動いています。
 妙なものが降り込んだ。これが豆腐とうふなら資本もとで入いらずじゃ、それともこのまま熨斗のしを附けて、鎮守様ちんじゅさまへ納おさめさっしゃるかと、馬士まごは掌てのひらで吸殻すいがらをころころ遣やる。
 主ぬしさ、どうした、と婆さんが聞くんですが、四辺あたりをきょときょと※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわすばかり。
 何処どこから出た乞食こじきだよ、とまた酷ひどいことを言います。尤もっとも裸体はだかが渋紙しぶかみに包まれていたんじゃ、氏素性うじすじょうあろうとは思わぬはず。
 衣物きものを脱がせた親仁おやじはと、唯ただ悔くやしく、来た方を眺めると、脊せが小さいから馬の腹を透すかして雨上りの松並木、青田あおだの縁へりの用水に、白鷺しらさぎの遠く飛ぶまで、畷なわてがずっと見渡されて、西日がほんのり紅あかいのに、急な大雨で往来ゆききもばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。
 余あまりの事にしくしく泣き出すと、こりゃ餒ひもじゅうて口も利けぬな、商売品あきないもので銭ぜにを噛ませるようじゃけれど、一つ振舞ふるもうて遣やろかいと、汚きたない土間に縁台えんだいを並べた、狭ッくるしい暗い隅すみの、苔こけの生えた桶おけの中から、豆腐とうふを半挺はんちょう、皺手しわでに白く積んで、そりゃそりゃと、頬辺ほっぺたの処ところへ突出つきだしてくれたですが、どうしてこれが食べられますか。
 そのくせ腹は干ほされたように空いていましたが、胸一杯になって、頭かぶりを掉ふると、はて食好しょくごのみをする犬の、と呟つぶやいて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲を享うけぬ餓鬼がきめ、出て失うせと、私の胸へ突懸つッかけた皺だらけの手の黒さ、顔も漆うるしで固めたよう。
 黒婆くろばばどの、情なさけない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、馬士まごが中へ割って入いると、貸かしを返せ、この人足めと怒鳴どなったです。するとその豆腐の桶のある後うしろが、蜘蛛くもの巣だらけの藤棚で、これを地境じざかいにして壁も垣かきもない隣家となりの小家こいえの、炉ろの縁ふちに、膝に手を置いて蹲うずくまっていた、十とおばかりも年上らしいお媼ばあさん。
 見兼ねたか、縁側えんがわから摺ずって下おり、ごつごつ転がった石塊いしころを跨またいで、藤棚を潜くぐって顔を出したが、柔和にゅうわな面相おもざし、色が白い。
 小児衆こどもしゅう小児衆、私わしが許とこへござれ、と言う。疾はやく白媼しろうばが家うちへ行ゆかっしゃい、借かりがなくば、此処ここへ馬を繋ぐではないと、馬士まごは腰の胴乱どうらんに煙管きせるをぐっと突込つッこんだ。
 そこで裸体はだかで手を曳ひかれて、土間の隅を抜けて、隣家となりへ連込つれこまれる時分には、鳶とびが鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼まつりの太鼓たいこが聞えました。」
 高坂は打案うちあんじ、
「渡場わたしばからこちらは、一生私が忘れない処ところなんだね、で今度来る時も、前さきの世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして行ゆくようになったから、人通ひとどおりもなし。大方、その馬士まごも、老人としよりも、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を埋うずめた、丁ちょうどその上を、姉ねえさん。」
 花売はなうりは後姿うしろすがたのまま引留ひきとめられたようになって停とまった。
「貴女あなたと二人で歩行あるいているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
 と静しずかに前へ。高坂も徐おもむろに、
「娘が来て世話をするまで、私わしには衣服きものを着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ餒ひもじかろうで、これでも食わっしゃれって。
 囲炉裡いろりの灰の中に、ぶすぶすと燻くすぶっていたのを、抜き出してくれたのは、串くしに刺した茄子なすの焼いたんで。
 ぶくぶく樺色かばいろに膨ふくれて、湯気ゆげが立っていたです。
 生豆腐なまどうふの手掴てづかみに比べては、勿体もったいない御料理と思った。それにくれるのが優やさしげなお婆さん。
 地つちが性しょうに合うで好よう出来るが、まだこの村でも初物はつものじゃという、それを、空腹すきばらへ三つばかり頬張ほおばりました。熱い汁つゆが下腹したばらへ、たらたらと染しみた処ところから、一睡ひとねむりして目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、瀉くだすやら、尾籠びろうなお話だが七顛八倒しちてんはっとう。能よくも生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも綺麗きれいな娘で。
 人心地ひとごこちもなく苦しんだ目が、幽かすかに開あいた時、初めて見た姿は、艶つややかな黒髪くろかみを、男のような髷まげに結んで、緋縮緬ひぢりめんの襦袢じゅばんを片肌かたはだ脱いでいました。日が経たって医王山へ花を採りに、私の手を曳ひいて、楼たかどのに朱の欄干てすりのある、温泉宿を忍んで裏口から朝月夜あさづきよに、田圃道たんぼみちへ出た時は、中形ちゅうがたの浴衣ゆかたに襦子しゅすの帯をしめて、鎌を一挺、手拭てぬぐいにくるんでいたです。その間あいだに、白媼しろうばの内うちを、私を膝に抱いて出た時は、髷まげを唐輪からわのように結ゆって、胸には玉を飾って、丁ちょうど天女てんにょのような扮装いでたちをして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという群集ぐんじゅの中を、通ったですが、村の者が交かわる交がわる高く傘を※(「敬/手」、第3水準1-84-92)掛さしかけて練ねったですね。
 村端むらはずれで、寺に休むと、此処ここで支度したくを替えて、多勢おおぜいが口々くちぐちに、御苦労、御苦労というのを聞棄ききずてに、娘は、一人の若い者に負おんぶさせた私にちょっと頬摺ほおずりをして、それから、石高路いしだかみちの坂を越して、賑にぎやかに二階屋にかいやの揃った中の、一番屋やの棟むねの高い家へ入ったですが、私は唯ただ幽かすかに呻吟うめいていたばかり。尤もっとも白姥しろうばの家に三晩みばん寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て、膝枕ひざまくらをさせて、始終集たかって来る馬蠅うまばえを、払ってくれたのを、現に苦くるしみながら覚えています。車に乗った天女に抱かれて、多人数たにんずに囲まれて通かよった時、庚申堂こうしんどうの傍わきに榛はんの木で、半なかば姿を秘かくして、群集ぐんじゅを放れてすっくと立った、脊せいの高い親仁おやじがあって、熟じっと私どもを見ていたのが、確たしかに衣服を脱がせた奴と見たけれども、小児こどもはまだ口が利けないほど容体ようだいが悪かったんですな。
 私はただその気高けだかい艶麗あでやかな人を、今でも神か仏かと、思うけれど、後あとで考えると、先ずこうだろうと、思われるのは、姥うばの娘で、清水谷しみずだにの温泉へ、奉公ほうこうに出ていたのを、祭に就ついて、村の若い者が借りて来て八ヶ村そん九ヶ村そんをこれ見よと喚わめいて歩行あるいたものでしょう。娘はふとすると、湯女ゆななどであったかも知れないです。」

       五

「それからその人の部屋とも思われる、綺麗きれいな小座敷こざしきへ寝かされて、目の覚める時、物の欲しい時、咽のどの乾く時、涙の出る時、何時いつもその娘が顔を見せない事はなかったです。
 自分でも、もう、病気が復なおったと思った晩、手を曳いて、てらてら光る長い廊下ろうかを、湯殿ゆどのへ連れて行って、一所いっしょに透通すきとおるような温泉いでゆを浴びて、岩を平たいらにした湯槽ゆぶねの傍わきで、すっかり体を流してから、櫛くしを抜いて、私の髪を柔やわらかく梳すいてくれる二櫛三櫛ふたくしみくし、やがてその櫛を湯殿の岩の上から、廊下の灯あかりに透すかして、気高い横顔で、熟じっと見て、ああ好いい事、美しい髪も抜けず、汚きたない虫も付かなかったと言いました。私も気がさして一所いっしょに櫛を瞶みつめたが、自分の膚はだも、人の体も、その時くらい清く、白く美しいのは見た事がない。
 私は新しい着物を着せられ、娘は桃色の扱帯しごきのまま、また手を曳いて、今度は裏梯子うらばしごから二階へ上あがった。その段を昇り切ると、取着とッつきに一室ひとま、新しく建増たてましたと見えて、襖ふすまがない、白い床ゆかへ、月影が溌ぱっと射した。両側の部屋は皆陰々いんいんと灯ともしを置いて、鎮しずまり返った夜半よなかの事です。
 好いい月だこと、まあ、とそのまま手を取って床板を蹈んで出ると、小窓こまどが一つ。それにも障子しょうじがないので、二人で覗のぞくと、前の甍いらかは露が流れて、銀が溶けて走るよう。
 月は山の端はを放れて、半腹はんぷくは暗いが、真珠を頂いた峰は水が澄んだか明るいので、山は、と聞くと、医王山だと言いました。
 途端にくゎいと狐が鳴いたから、娘は緊乎しっかと私を抱く。その胸に額ひたいを当てて、私は我知らず、わっと泣いた。
 怖こわくはないよ、否いいえ怖いのではないと言って、母親の病気の次第。
 こういう澄み渡った月に眺めて、その色の赤く輝く花を採って帰りたいと、始はじめてこの人ならばと思って、打明うちあけて言うと、暫しばらく黙って瞳ひとみを据すえて、私の顔を見ていたが、月夜に色の真紅しんくな花――きっと探しましょうと言って、――可よし、可よし、女の念おもいで、と後あとを言い足したですね。
 翌晩あくるばん、夜更よふけて私を起しますから、素もとよりこっちも目を開けて待った処ところ、直ぐに支度したくをして、その時、帯をきりりと〆しめた、引掛ひっかけに、先刻さっき言いましたね、刃はを手拭てぬぐいでくるくると巻いた鎌一挺ちょう。
 それから昨夜ゆうべの、その月の射す窓から密そっと出て、瓦屋根かわらやねへ下りると、夕顔の葉の搦からんだ中へ、梯子はしごが隠して掛けてあった。伝つたわって庭へ出て、裏木戸の鍵をがらりと開けて出ると、有明月ありあけづきの山の裾すそ。
 医王山は手に取るように見えたけれど、これは秘密の山の搦手からめてで、其処そこから上のぼる道はないですから、戸室口とむろぐちへ廻って、攀よじ上のぼったものと見えます。さあ、此処ここからが目差めざす御山おやまというまでに、辻堂つじどうで二晩ふたばん寝ました。
 後あとはどう来たか、恐こわい姿、凄すごい者の路を遮さえぎって顕あらわるる度たびに、娘は私を背後うしろに庇かばうて、その鎌を差翳さしかざし、矗すっくと立つと、鎧よろうた姫神ひめがみのように頼母たのもしいにつけ、雲の消えるように路が開けてずんずんと。」
 時に高坂は布を断つが如き音を聞いて、唯と見ると、前へ立った、女の姿は、その肩あたりまで草隠くさがくれになったが、背後うしろざまに手を動かすに連つれて、鋭とき鎌、磨ける玉の如く、弓形ゆみなりに出没して、歩行あるき歩行あるき掬切すくいぎりに、刃形はがたが上下うえしたに動くと共に、丈たけなす茅萱ちがや半なかばから、凡およそ一抱ひとかかえずつ、さっくと切れて、靡なびき伏して、隠れた土が歩一歩ほいっぽ、飛々とびとびに顕あらわれて、五尺三尺一尺ずつ、前途ゆくてに渠かれを導くのである。
 高坂は、悚然ぞっとして思わず手を挙あげ、かつて婦おんなが我に為なしたる如く伏拝ふしおがんで粛然しゅくぜんとした。
 その不意に立停たちどまったのを、行悩ゆきなやんだと思ったらしい、花売はなうりは軽かろく見返り、
「貴方あなた、もう些ちっとでございますよ。」
「どうぞ。」といった高坂は今更ながら言葉さえ謹つつしんで、
「美女ヶ原に今もその花がありましょうか。」
「どうも身に染しむお話。どうぞ早く後あとをお聞きかせなさいまし、そしてその時、その花はござんしたか。」
「花は全くあったんですが、何時いつもそうやって美女ヶ原へお出いでの事だから、御存じはないでしょうか。」
「参りましたら、その姉ねえさんがなすったように、一所いっしょにお探し申しましょう。」
「それでも私は月の出るのを待ちますつもり。その花籠はなかごにさえ一杯になったら、貴女あなたは日一杯に帰るでしょう。」
「否いいえ、いつも一人で往復ゆきかえりします時は、馴れて何とも思いませんでございましたけれども、※(「(來+攵)/心」、第4水準2-12-72)なまじお連つれが出来て見ますと、もう寂さびしくって一人では帰られませんから、御一所ごいっしょにお帰りまでお待ち申しましょう。その代かわりどうぞ花籠の方はお手伝い下さいましな。」
「そりゃ、いうまでもありません。」
「そしてまあ、どんな処ところにございましたえ。」
「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。路みちすがら、そうやって、影のような障礙しょうがいに出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、幾度いくたび思ったか解わかりませんが、黄昏たそがれと思う時、その美女ヶ原というのでしょう。凡およそ八町ちょう四方ばかりの間、扇の地紙じがみのような形に、空にも下にも充満いっぱいの花です。
 そのまま二人で跪ひざまずいて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り容易たやすい。つい目の前の芍薬しゃくやくの花の中に花片はなびらの形が変って、真紅まっかなのが唯ただ一輪。
 採って前髪まえがみに押頂おしいただいた時、私の頭つむりを撫なでながら、余あまりの嬉うれしさ、娘ははらはらと落涙らくるいして、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私の頭つむりに挿ささせようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人の簪かんざしの花になっても、月影に色は真紅しんくだったです。
 母様おっかさんの御大病ごたいびょう、一刻も早くと、直すぐに、美女ヶ原を後あとにしました
 引返す時は、苦くもなく、すらすらと下りられて、早や暁あかつきの鶏とりの声。
 嬉うれしや人里も近いと思う、月が落ちて明方あけがたの闇を、向うから、洶々どやどやと四、五人連づれ、松明たいまつを挙あげて近寄った。人可懐ひとなつかしくいそいそ寄ると、いずれも屈竟くっきょうな荒漢あらおのこで。
 中うちに一人、見た事のある顔と、思い出した。黒婆くろばばが家に馬を繋いだ馬士まごで、その馬士、二人の姿を見ると、遁にがすなと突然いきなり、私を小脇に引抱ひっかかえる、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を手取足取てとりあしとり。
 何処どこをどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。
 やがて気が付くと、娘と二人で、大おおきな座敷の片隅に、馬士まご交まじり七、八人に取巻かれて坐っていました。
 何百年か解わからない古襖ふるぶすまの正面、板の間まのような床ゆかを背負しょって、大胡坐おおあぐらで控えたのは、何と、鳴子なるこの渡わたしを仁王立におうだちで越した抜群ばつぐんなその親仁おやじで。
 恍惚うっとりした小児こどもの顔を見ると、過日いつかの四季の花染はなぞめの袷あわせを、ひたりと目の前へ投げて寄越よこして、大口おおぐちを開あいて笑った。
 や、二人とも気に入った、坊主ぼうずは児こになれ、女はその母おっかになれ、そして何時いつまでも娑婆しゃばへ帰るな、と言ったんです。
 娘は乱髪みだれがみになって、その花を持ったまま、膝に手を置いて、首垂うなだれて黙っていた。その返事を聞く手段であったと見えて、私は二晩、土間の上へ、可恐おそろしい高い屋根裏に釣った、駕籠かごの中へ入れて釣つるされたんです。紙に乗せて、握飯にぎりめしを突込つッこんでくれたけれど、それが食べられるもんですか。
 垂たれから透すかして、土間へ焚火たきびをしたのに雪のような顔を照らされて、娘が縛られていたのを見ましたが、それなり目が眩くらんでしまったです。どんと駕籠かごが土間に下りた時、中から五、六疋ぴき鼠がちょろちょろと駈出かけだしたが、代かわりに娘が入って来ました。
 薫かおりの高い薬を噛んで口移しに含められて、膝に抱かれたから、一生懸命に緊乎しっかり縋すがり着くと、背中へ廻った手が空を撫なでるようで、娘は空蝉うつせみの殻からかと見えて、唯たった二晩がほどに、糸のように瘠やせたです。
 もうお目に懸かかられぬ、あの花染はなぞめのお小袖こそでは記念かたみに私に下さいまし。しかし義理がありますから、必ずこんな処ところに隠家かくれががあると、町へ帰っても言うのではありません、と蒼白い顔して言い聞かす中うちに、駕籠かごが舁かかれて、うとうとと十四、五町ちょう。
 奥様、此処ここまで、と声がして、駕籠が下りると、一人手を取って私を外へ出しました。
 左右ひだりみぎに土下座どげざして、手を支ついていた中に馬士まごもいた。一人が背中に私を負おぶうと、娘は駕籠から出て見送ったが、顔に袖そでを当てて、長柄ながえにはッと泣伏なきふしました。それッきり。」
 高坂は声も曇って、
「私を負おぶった男は、村を離れ、川を越して、遙はるかに鈴見すずみの橋の袂たもとに差置さしおいて帰りましたが、この男は唖おうしと見えて、長い途みちに一言も物を言やしません。
 私は死んだ者が蘇生よみがえったようになって、家うちへ帰りましたが、丁度ちょうど全三月まるみつき経たったです。
 花を枕頭まくらもとに差置さしおくと、その時も絶え入っていた母は、呼吸いきを返して、それから日増ひましに快よくなって、五年経ってから亡くなりました。魔隠まかくしに逢った小児こどもが帰った喜びのために、一旦いったん本復ほんぷくをしたのだという人もありますが、私は、その娘の取ってくれた薬草の功徳くどくだと思うです。
 それにつけても、恩人は、と思う。娘は山賊に捕われた事を、小児心こどもごころにも知っていたけれども、堅かたく言付いいつけられて帰ったから、その頃三ヶ国横行おうこうの大賊たいぞくが、つい私どもの隣となりの家うちへ入った時も、何なんにも言わないで黙っていました。
 けれども、それから足が附いて、二俣ふたまたの奥、戸室とむろの麓ふもと、岩で城を築ついた山寺に、兇賊きょうぞく籠こもると知れて、まだ邏卒らそつといった時分、捕方とりかたが多人数たにんず、隠家かくれがを取巻いた時、表門の真只中まっただなかへ、その親仁おやじだと言います、六尺一つの丸裸体まるはだか、脚絆きゃはんを堅く、草鞋わらじを引〆ひきしめ、背中へ十文字に引背負ひっしょった、四季の花染はなぞめの熨斗目のしめの紋着もんつき、振袖ふりそでが颯さっと山颪やまおろしに縺もつれる中に、女の黒髪くろかみがはらはらと零こぼれていた。
 手に一条ひとすじ大身おおみの槍やりを提ひっさげて、背負しょった女房が死骸でなくば、死人の山を築きずくはず、無理に手活ていけの花にした、申訳もうしわけの葬とむらいに、医王山の美女ヶ原、花の中に埋うずめて帰る。汝うぬら見送っても命がないぞと、近寄ったのを五、六人、蹴散らして、ぱっと退ひく中を、衝つと抜けると、岩を飛び、岩を飛び、岩を飛んで、やがて槍を杖ついて岩角いわかどに隠れて、それなりけりというので、さてはと、それからは私がその娘に出逢う門出かどでだった誕生日に、鈴見すずみの橋の上まで来ては、こちらを拝んで帰り帰りしたですが、母が亡なくなりました翌年から、東京へ修行に参って、国へ帰ったのは漸やっと昨年。始終望んでいましたこの山へ、後あとを尋ねて上のぼる事が、物に取紛とりまぎれている中うちに、申訳もうしわけもない飛んだ身勝手な。
 またその薬を頂かねばならないようになったです。以前はそれがために類少たぐいすくない女を一人、犠いけにえにしたくらいですから、今度は自分がどんな辛苦しんくも決して厭いとわない。いかにもしてその花が欲しいですが。」
 言う中うちに胸が迫って、涙を湛たたえたためばかりでない。ふと、心付こころづくと消えたように女の姿が見えないのは、草が深くなった所為せいであった。
 丈たけより高い茅萱ちがやを潜くぐって、肩で掻分かきわけ、頭つむりで避よけつつ、見えない人に、物言い懸かける術すべもないので、高坂は御経おきょうを取って押戴おしいただき、

山川険谷さんせんけんこく  幽邃所生ゆうすいしょしょう  卉木薬艸きぼくやくそう  大小諸樹だいしょうしょじゅ
百穀苗稼ひゃくこくびょうが  甘庶葡萄かんしょぶどう  雨之所潤うししょじゅん  無不豊足むふぶそく
乾地普洽かんちぶごう  薬木並茂やくぼくひょうも  其雲所出ごうんしょしゅつ  一味之水いちみしすい

 葎むぐらの中に日が射して、経巻きょうかんに、蒼く月かと思う草の影が映うつったが、見つつ進む内に、ちらちらと紅くれない来きたり、黄き来きたり、紫むらさき去さり、白しろ過すぎて、蝶ちょうの戯たわむるる風情ふぜいして、偈げに斑々はんはんと印いんしたのは、はや咲交さきまじる四季の花。
 忽然こつねんとして天てん開ひらけ、身は雲に包まれて、妙たえなる薫かおり袖そでを蔽おおい、唯と見ると堆うずたかき雪の如く、真白ましろき中に紅くれないちらめき、瞶みつむる瞳ひとみに緑映えいじて、颯さっと分れて、一つ一つ、花片はなびらとなり、葉となって、美女ヶ原の花は高坂の袂たもとに匂におひ、胸に咲いた。
 花売はなうりは籠かごを下おろして、立休たちやすろうていた。笠を脱いで、襟脚えりあし長く玉たまを伸のべて、瑩沢つややかなる黒髪を高く結んだのに、何時いつの間にか一輪の小ちいさな花を簪かざしていた、褄つまはずれ、袂たもとの端、大輪たいりんの菊の色白き中に佇たたずんで、高坂を待って、莞爾にっこと笑えむ、美しく気高き面おもざし、威いある瞳に屹きっと射られて、今物語った人とも覚えず、はっと思うと学生は、既に身を忘れ、名を忘れて、唯ただ九ここのツばかりの稚児おさなごになった思いであった。
「さあ、お話に紛まぎれて遅く来ましたから、もうお月様が見えましょう。それまでにどうぞ手伝って花籠に摘つんで下さいまし。」
 と男を頼るように言われたけれども、高坂はかえって唯々いいとして、あたかも神に事つかうるが如く、左に菊を折り、右に牡丹ぼたんを折り、前に桔梗ききょうを摘み、後うしろに朝顔を手繰たぐって、再び、鈴見すずみの橋、鳴子なるこの渡わたし、畷なわての夕立、黒婆くろばばの生豆腐なまどうふ、白姥しろうばの焼茄子やきなすび、牛車うしぐるまの天女、湯宿ゆやどの月、山路やまじの利鎌とがま、賊の住家すみか、戸室口とむろぐちの別わかれを繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。
 すると籠は、花ながら花の中に埋うもれて消えた。
 月影が射したから、伏拝ふしおがんで、心を籠こめて、透すかし透かし見たけれども、※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしたけれども、見遣みやったけれども、ものの薫かおりに形あって仄ほのかに幻まぼろしかと見ゆるばかり、雲も雪も紫も偏ひとえに夜の色に紛まぎるるのみ。
 殆ほとんど絶望して倒れようとした時、思い懸がけず見ると、肩を並べて斉ひとしく手を合せてすらりと立った、その黒髪の花唯ただ一輪、紅くれないなりけり月の光に。
 高坂がその足許あしもとに平伏ひれふしたのは言うまでもなかった。
 その時肩を落して、美女たおやめが手を取ると、取られて膝をずらして縋着すがりついて、その帯のあたりに面おもてを上げたのを、月を浴びて※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)長ろうたけた、優しい顔で熟じっと見て、少し頬ほおを傾けると、髪がそちらへはらはらとなるのを、密そと押える手に、簪かざしを抜いて、戦わななく医学生の襟えりに挟はさんで、恍惚うっとりしたが、瞳ひとみが動き、
「ああ、お可懐なつかしい。思うお方かたの御病気はきっとそれで治なおります。」
 あわれ、高坂が緊乎しっかと留とめた手は徒いたずらに茎を掴つかんで、袂たもとは空に、美女ヶ原は咲満さきみちたまま、ゆらゆらと前へ出たように覚えて、人の姿は遠くなった。
 立って追おうとすると、岩に牡丹ぼたんの咲重さきかさなって、白き象ぞうの大おおいなる頭かしらの如き頂いただきへ、雲に入いるよう衝つと立った時、一度その鮮明あざやかな眉まゆが見えたが、月に風なき野となんぬ。
 高坂は※(「てへん+堂」、第4水準2-13-41)どうと坐した。
 かくて胸なる紅くれないの一輪を栞しおりに、傍かたわらの芍薬しゃくやくの花、方ほう一尺なるに経きょうを据すえて、合掌がっしょうして、薬王品やくおうほんを夜もすがら。


底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第七卷」岩波書店
   1942(昭和17)年7月初版発行
初出:「二六新報」
   1903年(明治36年)5月16~30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2001年12月22日公開
2005年12月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

0 件のコメント:

コメントを投稿