2024年5月15日水曜日

『大冒険』を考える〈本館〉 – 無名社公式サイト

『大冒険』を考える〈本館〉 – 無名社公式サイト

『大冒険』を考える〈本館〉

作品タイトル

107分、1965年、東宝=渡辺プロダクション、カラー、シネマスコープ、モノラル
クレージー・キャッツ結成10周年記念作品

ただし、フィルム上の表記は

クレージィ.キャッツ 結成十周年記念

となっている。

なお、映画の出演者を紹介しているページも作ってみた。是非ご覧いただきたい。
 『大冒険』を考える〈役者編〉

本ページに関して、ミスの指摘、情報提供等ございましたら「お問い合わせ」ページよりお知らせください。


写真下に記載した「h:mm:ss」は録画開始時からの経過時間である。参考までに、本編開始時間は、「0:00:31」である。併記してある住所は当時のものではなく2021年6月現在の住所である。映画本編のスクリーンショットは時系列順に並べてある。

文中に、《数字,数字》 の箇所があるが、これはグーグルマップで認識する緯度経度である。リンクを貼っているので現在の地図を参照することができる。また、この緯度経度を使用してグーグルマップで検索するとその場所が表示される。


0:03:55
0:03:55

(写真-0:03:55)は警視庁の刑事部屋の場面。設置されているベンツマークのスピーカーは、いろいろな映画によく登場する。スタジオセットの常備品なのだろうか。

0:06:38
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主人公の植松唯人(植木等)、谷井兄妹(谷啓・団令子)が住んでいるアパート富士見荘は、渋谷駅近くの現「さくら通り」を上り切った左角(東京都渋谷区桜丘町18-6)《35.65593355268982, 139.7006480022737》にある。「日本会館」というアパートだったらしい。現在の「さくら通り」は桜が大きく成長して昼でも薄暗いのだが、1965年当時は小さな街路樹(柳のように見える)が植わっていて日の光が差す明るい場所だったようだ。以降の場面から植松唯人(植木等)の部屋は2階の「A」部分、谷井兄妹(谷敬、団令子)の部屋は2階の「B」部分であることが分かる。

余談だが、『おしゃべりな真珠』(1965年、松竹)でもこの日本会館前を主人公たち(伊東ゆかり、島かおり、竹村ナナエ)が歩いているシーンがあった。

なお、住んでいるアパートの名称「富士見荘」は以降の場面で判明する(写真-0:40:08)。

0:06:45
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0:07:13
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(写真-0:07:13)の写真は植松唯人(植木等)の部屋に飾られているもの。全日本学生選手権大会優勝のものばかり。体操、馬術、高跳びとスポーツ万能。(写真-0:08:00)を見るとフェンシングもやっていたようだ。

0:07:17
0:07:17

(写真-0:07:17)の画面左上の部分は本来なら部屋の天井が写るはずなのだが、撮影セットの端が見えてしまっている(天井がない)。しかし(写真-0:07:32)では、天井は存在する。

0:07:20
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0:07:32
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0:08:00
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0:08:30
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(写真-0:06:45)は、植松唯人(植木等)の朝のルーチンである。新聞を読んだ後に唄いながら体操を始めるが、部屋の中のものがいろいろと変化することに気づく。下記にまとめてみた。

  • A01 椅子がなくなる
  • A02 テレビの上の物が変化
  • A03 壁の衣類やタオルが変化(タオルがランニングシャツに置き換わる、紺色の衣類が増えてる)
  • A04 テレビ脇の壁に貼ってる雑誌の切り抜きが変化
  • A05 テーブル上の「雪印チーズ」が「雪印バター」に置き換わる
  • A06 窓際の雑誌類の積み方が変化(青い箱みたいのが増えてる)
  • A07 電気スタンド左側に何かが増える
  • A08 電気スタンドの向きが変化(体操中の振動で動いたのだろうか)
  • A09 ブラインドと窓枠の間に隙間が増える(体操中の振動で動いたのだろうか)

この一連のシーンは、「間違い探し」を楽しめるように工夫がされている。他にも変化している点があるかもしれない。見つけたら、自分だけが知っているとほくそ笑んでも良し、皆に公表して自慢しても良し、それぞれのやり方で楽しんでほしい。

0:12:26
0:12:26
2021年6月撮影

(写真-0:12:26)は、谷井悦子(団令子)の勤務先の「産業会館」の正面だが、東京銀行集会所(東京都千代田区丸の内1-3-1)《35.683760697481524, 139.76289526938496》と思われる。ちなみに正面に掲げてある「産業会館」文字列は合成。2021年6月現在は建て替えられていて何の変哲もない普通のビルになってしまっている。説明パネルの左の写真が映画当時と同じことが確認できる。このような歴史的建造物をなくしてしまうのは甚だ残念である。

0:15:35
0:15:35

(写真-0:15:35)は、植松唯人(植木等)の勤務先の「週刊トップ」社入口付近。編集室は2階にあるようだ。このカットだけからは場所の特定は難しい。しかし、後から写る映像でなんとかここだろうという場所が判明する。詳しくは後ほど。

0:15:42
0:15:42
シネラマホリデー

「週刊トップ」編集室内で植松唯人(植木等)は編集長(桜井センリ)と何やら会話しているシーン。本棚に何やらチラシが貼られているが、よく見ると「シネラマ シネラマホリデー」などと書かれている。『シネラマ・ホリデー』は1955年製作のシネラマ映画第2作目。チラシ下部の黒帯部分にはかろうじて「テアトル○○」と読むことができる。テアトル東京での再上映宣伝チラシではなかろうか。

0:18:20
0:18:20

(写真-0:18:20)の右端に座っているのは、植松唯人役の植木等のはずだが、なんとなく別人のような気がする。何らかの理由で「吹替え」ているのかもしれない。

0:18:25
0:18:25
ローヤルクラウンコーラ

(写真-0:18:25)は、植松唯人(植木等)がクラブ「サハラ」で取材中のカット。編集長から許可された取材費は1000円だったのでアルコールは飲めないようでコーラを飲んでいる。「ローヤルクラウン・コーラ」であることが分かる。見慣れない銘柄だが、1901年創業でコカ・コーラ、ペプシに続く世界第3位のメーカーだったらしい。現在会社は買収されてしまったという(ウィキペディア)。

0:20:48
0:20:48

クラブ「サハラ」で張り込み中の刑事たち(ハナ肇、犬塚弘、石橋エータロー)がカモフラージュのため自費で頼んだ瓶ビールは何とサントリー。映画に登場するビールと言えばキリン、アサヒ、サッポロが主流だが本作では大穴のサントリー。グラスもサントリーの純正品。谷井啓介(谷啓)の勤務先のビール工場がサントリーの施設で撮影されたための関係でこうなったんだろうと思われる。一種のタイアップ商品か。

0:25:38
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(写真-0:25:38)はゴルフ場に向かう自動車上の場面。森垣久美子(越路吹雪)の眼鏡のレンズに撮影スタッフや照明が写りこんでいる。どこを走っているかは全く分からない。

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2021年6月撮影
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銀座5~6丁目(1969年)
銀座5~6丁目(1969年)

(写真-0:27:26)、(写真-0:27:30)、(写真-0:27:33)、(写真-0:27:36)は、植松唯人(植木等)が「週刊トップ」の編集室に駆け込む直前のカットである。「第一銀行」(現・みずほ銀行)、「銀座アスター」、「平和産業」、「佐賀銀行」の看板が確認できる。この角度からは見えないが「銀座アスター」のお向かいに「銀座スエヒロ」があることが別のシーン(写真-0:32:21)から確認できる。これらのヒントを元にこの場所を探すと中央区銀座5丁目と6丁目の間の「みゆき通り」で撮影したことが分かる。従って「週刊トップ」社(写真-0:15:35)の場所は「東京都中央区銀座5-11-10」《35.669336953731396, 139.76558825212604》と考えて間違いなかろう(平和産業と同一ビル内)。現在は弘電社という会社のビルになっている。

0:30:37
0:30:37
shibuya_koukaido

陰謀団の表向きの顔は「森垣金融」。この社屋は旧渋谷公会堂(東京都渋谷区宇田川町1-1)《35.6643274271571, 139.69782911846255》。会社名は合成ではなく「渋谷公会堂」の文字の上に文字パネルを重ねているようだ。文字数の都合で社紋が表示されている。この社紋は何をデザインしているのだろう、よくわからない。旧渋谷公会堂は1964年竣工。その年の東京オリンピックではウエイトリフティング競技の会場として使用された。

0:32:21
0:32:21

(写真-0:32:21)は(写真-0:27:26)と同じ方向を別の角度からとらえたショット。「週刊トップ」社前の公衆電話で話す植松唯人(植木等)のアップからキャメラがパンした後のカット。「SUEHIRO」、「銀座アスター」の看板が確認できる。

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2021年6月撮影
渋谷桜ヶ丘町(1965年)
渋谷桜ヶ丘町(1965年)

(写真-0:34:51)は偽札行使の通報を受けた警官が乗ったパトカーが現場にやってくるときの場面である。旅館の看板「旅館いずみ」、「葵旅館」で場所の特定はできる。右側の電信柱(旅荘 司)は2021年6月の写真にも存在する。その右のビルは外装などは異なっているが映画当時のままの建物のように見える。《35.65639438715631, 139.70088317236247》。すぐ後に出てくるタバコ屋(★印辺りと思われる)のすぐ脇の路地で間違いない。

0:40:08
0:40:08
富士見荘

植松唯人(植木等)の住んでいるアパートの名称が階段の柱に掲示されている。

0:35:02
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2021年6月撮影

警察無線では「渋谷区桜丘6番地」と言っているが、タバコ屋前の電信柱の住居表示は「桜丘町32」となっている。
左端に停車しているバス(塗装色から東急バスと思われる)の行先表示は「長野駅」と読める。当時は長野行きの長距離バスが運行されていたようだ。ウィキペディアの「東急バス」項目に1961/7/1長野線運行開始の記載があった。また、東急公式サイトのコチラ(ページ中ほどの3-4-3-2)にもこの長野便についての記事が掲載されていた。
警官役は人見明、タバコ屋のおばさん役は小澤憬子。

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2021年6月撮影
wakadaisho

左の写真は『銀座の若大将』の1シーンである。(写真-0:40:31)では坂を見上げているが、こちらは坂の上から渋谷駅方面を写している。両方の写真の電信柱に「ホテル一楽」の看板があるのが分かる。

Web検索でこんな画像を入手。上記の「ホテル一楽」の広告と思われる。休息300円とあるので温泉マーク(サカサクラゲ)だったようだ。

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2021年6月撮影

(写真-0:40:31)画面右側の「7」と書かれてる建物は、銀座線車庫と思われる。この坂を上っていくと「旅館大和田」の看板、奥に煙突が見える、(写真-0:40:41)。《35.65743655130934, 139.69717659559572》

渋谷大和田町(1965年)
渋谷大和田町(1965年)
0:40:52
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sobaya

逃げる植松唯人(植木等)。ここの電信柱にも「大衆ホテル一楽」の宣伝看板。この電信柱に重なっているが「東横」デパートのシンボルマークと文字がちょっとだけ見える。真正面には煙突。蕎麦屋「たけや」の看板が確認できるが、ここは店舗の入口ではなく裏口と思われる。

0:40:54
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rikisuti

(図-0:40:54)の左側の建物は当時の地図を見ると「リキ・スポーツパレス」となっている。看板には「リキスチー~」とあるのでリキ・スポーツ・パレスの関連事業の看板ではなかろうか。ペプシのトラックが邪魔。プロレス会場の他、スポーツジムやサウナ等もあったらしい。「リキスチームバス」、「リキスチール」・・・、なんだろう。

0:40:55
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2021年6月撮影
toyoko

(写真-0:40:55)では、画面奥に東横デパートの壁面文字「東横」がはっきりと確認できる。「岡田医院」の看板のある電信柱の右に煙突(金泉湯)がある。「東横」の見え方、煙突、蕎麦屋「たけや」の裏口であろう部分の看板を当時の地図に当てはめるとこの一連シーン(写真-0:40:52)、(写真-0:40:55)の撮影場所が特定できた。《35.65723391989598, 139.69861426391373》

渋谷大和田町(1965年)
渋谷大和田町(1965年)
0:40:59
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2021年6月撮影
渋谷桜ヶ丘町(1965年)
渋谷桜ヶ丘町(1965年)

(写真-0:40:59)は、植松唯人(植木等)が謎の車に追いかけられる場面。画面奥に「東横デパート」が写っているので右側の線路は山手線とわかる。当時は渋谷貨物駅があったので貨車が止まっている。手前のマンホール(電電公社っぽい)を手掛かりに撮影場所が特定できる。2021年6月現在、桜丘地区の再開発で付近一帯は工事中。この工事の囲いの中にNTTのマンホールを発見(重機の下にある、右下の赤丸部分)。写真には写っていないが、右側には使用しなくなった埼京線ホーム(当時は貨物駅)がある。《35.655566682120686, 139.7034395938989》

0:41:00
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2021年6月撮影
猿楽橋付近(1965年)
猿楽橋付近(1965年)

(写真-0:40:59)に続くカットが(写真-0:41:00)。猿楽橋とその奥に「東横デパート」が見える。ということはこの地点は猿楽橋と東横線と山手線の立体交差地点の間ということになる。右側には緑の山手線。2021年6月現在東急デパート(旧東横デパート)は解体工事中。《35.65289472080923, 139.70595014751945》

0:41:03
0:41:03
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2021年6月撮影

続くカット(写真-0:41:03)は猿楽橋の下になる《35.65353327909731, 139.7053519672723》。奥に東横線の鉄橋が見える。2021年現在、この区間の東横線は地下化されたので鉄橋は撤去されている。右下のマンホールは2021年6月現在も存在する。

0:41:07
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2021年6月撮影

余談だが、(写真-0:41:07)の坂を上り切った所の建物は、テレビドラマ『いろはの"い"』(日本テレビ、1976年~1977年放送)の城西署である。当時筆者は、ここからそう遠くはない高校に通っていたのでこの場所には馴染みがある。テレビで見たときすぐにここだと分かった。

0:41:09
0:41:09

(写真-0:41:09)、画面奥が山手線、右側が猿楽橋の側道。

0:41:16
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(写真-0:41:16)の右側の道路が猿楽橋。山手線線路を越えて並木橋交差点へ向かう。
この猿楽橋は『日本無責任時代』(1962年、東宝)、『橋』(1959年、松竹)でもロケ地として使用されている。

0:41:29
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2021年6月撮影
兜町(1969年)
兜町(1969年)

植松唯人(植木等)が謎の車に追いかけられる場面はまだ続くが、渋谷からいきなり日本橋にワープする。(写真-0:41:29)の「丸宏証券」の看板を手掛かりに探してみて場所の特定に至った《35.68275980468213, 139.77814429695562》。奥のビルの上部がアーチ型になっている窓が決め手。この建物は「日証館」で旧渋沢栄一邸跡地に建てられている。2021年6月現在もこのビルは現存している。外観は塗装し直してきれいになっているがビル自体は当時のままのようだ。

0:41:49
0:41:49
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2021年6月撮影
兜町(1969年)
兜町(1969年)

植松唯人(植木等)が屋根に乗っている自動車が左折してきたのが(写真-0:41:49)である。画面左端の「小柳證券」の看板が手掛かり。道の曲がり具合と合わせてみるとこの場所はすぐにわかった《35.68343953422241, 139.77835887660223》。東京証券取引所の裏あたり。

0:41:52
0:41:52

兜町からいきなり赤坂へワープしてくる。(写真-0:41:52)は赤坂見附の交差点を左折するところ。動画では、一瞬だが左側に交番が確認できる。車は青山通りを渋谷方面に走行してゆく。

0:42:04
0:42:04

(写真-0:42:04)は、赤坂御所辺りと思われるがすでに都電のレールは撤去されている。

0:42:12
0:42:12

(写真-0:42:12)では「青山一丁目」電停が確認できる。

0:42:13
0:42:13

(写真-0:42:13)、背広の腕の付け根に部分が破れてます。アクションシーンの連続なので仕方ないですね。

0:42:25
0:42:25

(写真-0:42:25)では「上通一丁目」バス停が確認できる。当時、青山通りの青山学院と宮益坂上の間の住居表示は「上通一丁目」と称していた。

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2021年7月撮影

(写真-0:42:25)の停留所は現在も同じと思われる場所に健在。停留所名は「渋谷二丁目」となっている。1965年当時とは住居表示が変更になっているので変更されたのだろう。

0:42:43
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2021年6月撮影
青山通り(1965年)
青山通り(1965年)
キングビル、テナント

(写真-0:42:25)の「上通一丁目」バス停は、キングビルの正面にあったようだ《35.66076436405653, 139.70721062355346》。バス停後方に「キングテーラー サトウ」の看板が掲出されている。左図の表にキングビルのテナントの記載があるが、2階の「キングテーラー、サイトウ」は「サトウ」の記載ミスと思われる。
(写真-0:42:43)、画面左にいるのは昭和の時代にはよく走っていたバキュームカー。田舎の香水をばらまいていた。動画で、都電の左の赤丸部に注目していただくと別の都電が青山車庫に入っていく様子が記録されている。ナイスタイミング。都電青山車庫跡地は「国際連合大学本部」、「こどもの城(閉鎖中)」等になっている。画面でバキュームカーの上部には「第一園芸」の看板が確認できる。画面右脇の自転車少年は、ずうっと並走している。同様に別のカットで歩道や車からこのロケを見学している人々を多数確認することができる。

0:42:47
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(写真-0:42:47)は渋谷の宮益坂を上り切って青山通りとの合流点。交通整理の警官役は広瀬正一。こんなところでの交通整理は意味があるんだろうか。植松唯人(植木等)を乗せた車はこのまま宮益坂を下っていく。都電10系統は「渋谷駅前~須田町」を運行していた。

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2021年6月撮影
宮益坂(1965年)
宮益坂(1965年)

(写真-0:42:51)は宮益坂を渋谷駅方面へ下っている場面《35.659971144442785, 139.70499509491452》。右に「白馬堂」、「平和相互銀行」(「平」は見切れている)が確認できる。ちなみにこの区間の都電は、青山通りから渋谷警察署方面へ下っていき、右折して東急文化会館前の電停をすぎて、また右折して宮益坂を上るループ状になっているので単線線路。

0:42:57
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0:43:03
0:43:10
0:43:10

悪漢たちの「多摩川に行け」との台詞の後に高速道路らしき場面になる。本線にはまだ車線のラインが引かれていないので一般共用開始前と思われる。(写真-0:42:57)の道路の左右の柵を見比べて欲しい。画面左のタイプは高速道の縁にあるもの<タイプA>で、画面右側にあるものは中央分離帯にある緑色の金網<タイプB>である。カットが変わって(写真-0:43:03)の映像になるが、この映像では悪漢たちの自動車の進行方向が反転したことになる。つまり、悪漢たちの自動車目線で考えると始めは右側<タイプA>&左側<タイプB>だったのに次のカットでは右側<タイプB>&左側<タイプA>となってしまうのだ。余談だが(写真-0:42:57)では、小さくてわかりにくいが作業員が<タイプB>の柵に対して何やら作業をしているのが見える。

一連のシーンを見ると上り線または下り線を自動車が対面通行していることが分かる。画面奥には地上から本線へ上がるスロープが見えている。植松唯人(植木等)が乗っているグリーンライト車は本線から下りるスロープを上ってくるが、本来なら逆走になるはず。この地点の反対車線にも同様のスロープ道があることがちらっと見える。ちょうど本作撮影の頃に第三京浜道路(国道466号)が完成している。よってこのシーンのロケは第三京浜道路である可能性がかなり高い。地図で上記の条件に当てはまるような場所を探してみると、京浜川崎インターチェンジがよく似ていることに気づいた。画面左にはバスの営業所らしきものがある。2021年現在、京浜川崎インターチェンジ脇にはバス営業所は存在していない。心当たりをWebで探していたら当時のバスのカラー写真をやっと発見。

(写真-0:43:10)に写っているバスを拡大してみたものである。乗降扉は車体の真ん中に一箇所だけなのでツーマン仕様の車両であることが分かる。年代的にワンマンバスも走り始めていたが、ツーマンバスもかなりの数が残っていたのではと思われる。

左の写真は1965年頃の川崎市営バスである。(写真-0:43:03)や(写真-0:43:10)に写りこんでいるバスと同一デザインとみなしてよいだろう。これでこの営業所は川崎市交通局のものと確定して間違いなかろう。

国土地理院のWebサイトで公開されている地図や空中写真を調べてみると1962年の地図に溝口営業所の記載があった。画面上の閲覧のみ可能な地図だったので画面のハードコピーを示す。解像度は悪いが「市交通局溝ノ口営業所」《35.59107526591735, 139.62342044551437》と書かれている。地図上は「溝ノ口営業所」だが、文献などの表記を見ると「溝口営業所」が正しい名称のようだ。まだ第三京浜道路はできていない。

同様に国土地理院のWebサイトより1975年に撮影された空中写真を示す。

1962年_溝口営業所付近_edit
溝口営業所付近(1962年) 〔国土基本図:9-LD-55-1〕

<この地図は、国土地理院で公開している国土基本図「9-LD-55-1」をトリミングして文字等を追加したものです>

1975年撮影_溝口営業所付近
溝口営業所付近(1975年) 〔空中写真:CKT7415-C37-21〕

<この写真は、国土地理院で公開している空中写真「CKT7415-C37-21」をトリミングして文字等を追加したものです>

なお、この溝口営業所は1980年に廃止されている。現在は敷地の一部が末長高之面(すえながたかのめん)公園となっている《35.59107526591735, 139.62342044551437》

0:43:23
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(写真-0:43:23)の左部分を拡大したものであるが、南武線の線路が写っているのが確認できる。

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ところで第三京浜道路は1964/10/6に玉川インターチェンジ~京浜川崎インターチェンジ間が暫定開業、京浜川崎インターチェンジ~保土ヶ谷インターチェンジ間が開通して全線開通となったのは1965/12/19(ウィキペディア)。(写真-0:43:10)の赤丸部には料金所らしきものがあるが本線に車線は引かれていない。一連の場面を見てみると「グリーンライト」トラックは料金所から側道を逆走して本線に入ってきて悠々と本線を走っていくのである。対向車の動きを見るとなんとこの本線では車両が右側通行をしていることが分かる。ここは日本ではなかったのだろうか。

(写真-0:43:26)、(写真-0:43:32)で自動車の影を比較してみて欲しい。(写真-0:43:32)の方が影が長くなっているように見える。撮影した時間帯もしくは日にちが違っていたと想像できる。

(写真-0:43:26)の「グリーンライト」は布団メーカーもしくはブランドではなかろうか。この後の名古屋警察署のシーンでも背景に写りこんでいる。もしかしたらタイアップ商品だったのかもしれない。


ぐっすりすやすやグリーンホーム
・・・・  (←植木等の台詞が被っていて聞き取れない)
ふんわか弾んでる
ふっくら笑顔の可愛い子
ぐっすりすやすやグリーンホーム

0:43:39
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(写真-0:43:39)は渋谷公会堂前の広場から国立代々木競技場方面を写している《35.66430772601446, 139.69825739051794》。地下駐車場から悪漢たちの車が出てきたところ。
2021年6月現在の写真では渋谷公会堂付近は建て替えられていて樹木も植えられているので競技場の全体を見ることができない。かろうじて建物の先端部分が少し見えるだけである。

0:44:48
0:44:48

(写真-0:44:48)は、悪漢たちが拉致したを谷井悦子(団令子)をアジトから連れ去るシーンである。画面奥にオレンジ色の銀座線、緑色の井の頭線電車(車体に「K.T.R.」の文字)が見える。この位置関係から、非常階段のビルは渋谷東宝のビルと確定して間違いないと思う。

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2021年7月撮影
渋谷東宝裏(1965年)
渋谷東宝裏(1965年)

(写真-0:44:48)の直後のカットが(写真-0:45:12)である。これは、悪漢たちと谷井悦子(団令子)を乗せた車が走り去るシーン。どちらの写真にも「紫苑」が確認できる。他にも「いりえ」、「シャルダン」の看板が目印《35.658797518180904, 139.6988474855444》

0:45:25
0:45:25
0:45:49
0:45:49

旧渋谷公会堂のエレベータに乗ってやってきたのは東京駅脇の旧第二鉄鋼ビル(写真-0:45:25)。左側に見える通りは外堀通りの鍛冶橋交差点方面。(写真-0:45:49)では東京駅丸ノ内側の駅舎や旧丸ビルが見える。この一連のシーンで植木等はかなり危険な演技をしていることが分かる。地上から見上げるカットや落下するときはミニチュアをうまく使って映像化している。

0:46:56
0:46:56

(写真-0:46:56)の画面奥に見えるのは、さくら通。2021年6月現在この一帯は再開発中で桜並木が根こそぎなくなっているのが残念。金券ショップの密集地帯でついでの時にはよく行ったものだ。

0:47:54
0:47:54

(写真-0:47:54)の後ろは外堀通り。第二鉄鋼ビルは再開発で建て替えられていて現在は鉄鋼ビルディング南館となっている。「住友信託銀行」のビルは2021年6月現在取り壊されてる(囲いのある部分)。《35.6818315970062, 139.76978280914324》

第二鉄鋼ビル前(1969年)
第二鉄鋼ビル前(1969年)
0:48:57
0:48:57

(写真-0:48:57)は植松唯人(植木等)と谷井啓介(谷啓)が東京駅の新幹線ホームに上がってくるカットである。彼らの横をすれ違う男女(薄紫の洋服、ダークグレーの背広)を覚えていて欲しい。画面右端には転落防止の鉄柵も見えている。見物人もちらほら。

0:49:00
0:49:00

(写真-0:49:00)で、上がってきたホームははっきりとは見えないが「17番線」ではなかろうか。撮影風景をまっすぐ凝視している人々も写っている。

0:49:04
0:49:04

(写真-0:49:04)は東京駅での場面。画面左側に灰色の背広の須田準之助がいる。その連れらしい女性(記平佳枝、黄色の服)と一緒に行動している。この二人の服装と手にしているバッグを覚えていて欲しい。

0:49:10
0:49:10

1960年までは三等級制だった。車両記号は「一等車」は「イ」、「二等車」は「ロ」、「三等車」は「ハ」。1960年からはそれまでの「一等」が廃止されて二等級制になった。旧「二等」が「一等」へ、旧「三等」が「二等」と呼ばれた。1969年以降は、一等が「グリーン」、二等が「普通」と呼ばれている。

0:49:22
0:49:22
0:49:13
0:49:13

(写真-0:49:13)は、新幹線車内からプラットホームを見ているカット。画面奥に東京駅丸の内側の駅舎屋根がうっすら見えている。プラットホーム上の人物のすぐ奥に何やら金網みたいのが張られている。新幹線開業当時、新幹線用のプラットホームは2面3線(17番線~19番線)だったとある。17番線の向い側は未使用だったので転落防止のための金網ではなかろうか。

0:50:17
0:50:17

(写真-0:50:17)、新幹線が出発してからのシーン。森垣久美子(越路吹雪)が雑誌「ヤングレディ」を読んでいる。この雑誌は、講談社から1963年~1987年の間に出版されていた(ウィキペディア)。

0:50:18
0:50:18

(写真-0:50:18)、陰謀団の手話(その1)。「ヤツヲシマツシロ」。

0:51:07
0:51:07

(写真-0:51:07)は、名古屋駅に到着した直後のカットである。降車客の中に先ほど東京駅で見かけた人物が写っている。この写真の薄紫の洋服の女性は(写真-0:48:57)で階段を下りてゆく女性と同じ御召し物(薄紫色)。連れの男性の背広は特徴がないので何とも言えないが、女性の洋服は同じだろう。同様に記平佳枝(黄色の服)と須田準之助(灰色の背広)のペアは全く同じ洋服で持っているバッグも同じであることが分かる。きっと東京駅から植松唯人(植木等)たちと同じ列車に乗って名古屋駅にやって来たのだろう。

0:51:18
0:51:18

(写真-0:51:18)は、名古屋駅停車中の列車内を写している。座席に座っている右端の女性の黄色い洋服に見覚えがある。記平佳枝に間違いないだろう。ということは(写真-0:51:07)で下車した記平佳枝は連れの須田準之助と別れて再び車内に戻って着席したんだろうか。

0:51:19
0:51:19

(写真0:51:19)は、名古屋駅停車中の列車内からプラットホームを見ているカット。花井部長刑事(ハナ肇)が逮捕した植松唯人(植木等)を連行している。ここは名古屋駅のはずなのに、背景には東京駅丸の内側の駅舎屋根が写っている。その手前には金網フェンス(湘南電車のオレンジの車体が見える)。このシーンに写っている紺色の和服の女性は先程(写真-0:49:22)で写りこんでいた女性(おそらく小野松枝)だと思われる。東京駅から乗車して名古屋駅で下車したと考えられる。

tokyo sta.
nagoya sta.

上図は1964年10月時刻表の復刻版より拝借した駅案内図である。開業当時の東京駅新幹線ホームは17~19番線が使用されていたことが分かる。本映画の登場人物たちが利用した新幹線列車はやはり17番線に停車している列車に間違いない。17番線に停車中の車内からホームを写すと丸ノ内側を見ることになり、丸の内駅舎が見えるのは当然である。ちなみに名古屋駅には17番線(東京駅出発時と同じ番号)に到着したことが分かる。

これらの事から、映画のロケは名古屋駅のシーンまで東京駅で済ませてしまったということだろう。だから、同じ洋服を着ていた俳優さんたちが東京駅、名古屋駅の場面に登場していたことになる。

0:51:23
0:51:23
東京証券取引所前(1969年)
東京証券取引所前(1969年)

(写真-0:51:23)は、悪漢たちの車が名古屋警察署へ乗り付けるシーンの冒頭。道路の左右に「~和銀行」、「~士銀行」のふたつの銀行があるのが分かる。右側のは「富士銀行」に間違いなかろう。自動車はすぐに左折して名古屋警察署の脇道に入る。画面中程の「おそば」の看板は地図によると「亀鶴庵」というお蕎麦屋さんだと分かる。《35.682082145867575, 139.7792107645858》

0:51:33
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00-51-33map_edit

(写真-0:51:33)は正面玄関を見上げるようにして撮影していると思われる。画面右側のビルは地図によると「東京証券信用組合」の建物の一部ではなかろうか。

東京証券取引所の画像は、YoutubeにアップされていたPR動画から拝借した。1960年頃製作されたもので、何と香川京子が出演している。製作は「東宝プロダクション」とクレジットされている。
 『東京証券取引所』(前編)
 『東京証券取引所』(後編)

0:51:34
0:51:34

(写真-0:51:34)は、悪漢の一人・岡豊が名古屋警察署に入るシーン。向かいのビルのシャッターに「大和証券」と書かれているのが確認できる。信号機の下には青色ポスト。この青色ポストは速達専用で昭和30年代頃から設置が始まったという。1965年頃の青色ポストの設置場所を調べようと試みたが頓挫したまま。

(写真-0:41:29)の追いかけっこは兜町で撮影しているのでココもその近くではないかなと思って地図を見てみるとそれらしい場所を発見。東京証券取引所のすぐそばだったので名古屋警察署はもしや・・・。古い写真を検索してみて東京証券取引所の正面玄関にそっくり。これらのことにより、名古屋警察署は旧東京証券取引所でロケをしたと分かった次第。

0:51:38
0:51:38

(写真-0:43:26)に「グリーンライト」のトラックが写っていたが、ここ名古屋警察署の取調室から見えるビルにも「グリーンライト」の看板。やはりタイアップ商品なんだろうか。このシーンはセット撮影。

0:52:27
0:52:27

(写真-0:52:27)は、名古屋警察署から飛び出した悪漢・岡豊が自動車に駆け込むシーン。奥のビルは、シャッターに「大和証券」と書かれていたビル。やはりここは「旧東京証券取引所」だったのだ。

0:55:52
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0:56:42
0:56:42

(写真-0:55:52)、(写真-0:55:55)、(写真-0:56:42)は逃げる植松唯人(植木等)を悪漢たちが追いかける一連のシーンである。(写真-0:56:42)で揖斐川の鉄橋だと分かる。(写真-0:55:52)と(写真-0:55:55)が揖斐川に架かる鉄橋と仮定するならば、(写真-0:55:55)の複線線路、車両の装飾色から東海道線ではと推測できる。すると(写真-0:55:52)に写る単行列車は何線になるのだろうか。よく見ると架線は張られていないので非電化路線とわかる。揖斐川沿線で東海道本線の近くで揖斐川を越す路線を探してみると樽見鉄道が見つかった。樽見鉄道は1984年以降は第三セクター方式で運営されているが、撮影当時は国鉄樽見線だった。1965年頃の樽見線を走る列車の塗装色の写真などがあれば確認はできるのだが、入手できていないので確定には至っていない。

これはあくまでも筆者の想像なので、詳しい情報をお持ちの方は是非ご教授願いたい。

2024/4/30追記
鉄道に詳しい方より情報を頂きました。(写真-0:55:52)に写っているのは「キハ07」気動車で「一般形気動車色」の朱色4号とクリーム4号の塗色になっているとのこと。旧揖斐川橋梁から撮影しているので国鉄樽見線で間違いないそうです。旧揖斐川橋梁は東海道本線複線化のため鉄道橋としての使命は終えて道路橋に転用された。撮影当時は道路橋だったので本編でも陰謀団の自動車が走ってくるシーンが写っている。

0:58:05
kantotetsudou

(写真-0:58:05)の鉄道は、東海地方で撮影されたのではない。社紋を比較してみると微妙に異なる部分があるものの常総筑波鉄道(現・関東鉄道)の社紋とみて間違いなかろう。無蓋貨車には「常総」の文字を読み取ることができる。同社は鹿島参宮鉄道と1965年6月に合併して関東鉄道となっている(ウィキペディアより)。撮影は合併前か後かは不明。合併当初はすべての貨車等の社紋を更新することは難しいので常総筑波鉄道のままだったのかもしれない。常総筑波鉄道は当時、常総線と筑波線の2路線があったが本作はどちらの路線で撮影されたのかはわからない。撮影が合併後であれば鹿島参宮鉄道の竜ヶ崎線または鉾田線だったかもしれないが、常総線と筑波線とは離れているので常総筑波鉄道の社紋の車両が竜ヶ崎線または鉾田線を走っていた可能性は低いと考えられる。

引用した[関東鉄道の社紋の変遷]は、Web検索したら、たまたま見つけたものである。どなたが作ったのかはわからないが、拝借させていただいた。今回の検証にはぴったりだったのでありがたいことである。ここに感謝いたします。

1:00:26
1:00:26

(写真-1:00:26)は、犬山城の天守から木曽川を見下ろしているカット。

1:06:05
1:06:05

(写真-1:06:05)は、悪漢たちを追いかける刑事トリオ。車体側面に撮影スタッフがしっかりと映りこんでいる。「ジューキミシン」とあるが、タイアップ企業だったのだろうか。ところで、この車は本物の社用車なのかなあ。

1:06:25
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1:06:25now
2021年7月撮影

「ホテル.メリケン館」はどこだろう?。正解は後ほど。撮影されてから半世紀以上経過しているが、正門脇のV字の樹木はいまだ健在。門柱のデザインもほぼ当時のまま。ただし、旧館の位置は曳家で移動されてるので左にずれている《35.679796139118864, 139.73835018025352》

1:06:38
1:06:38
潮路橋から田町駅方面(2023年3月撮影)
潮路橋から田町駅方面(2023年3月撮影)
港区芝浦2丁目(1967年)
港区芝浦2丁目(1967年)

(写真-1:06:38)は陰謀団の自動車がこちらに向かってくるところ。さてここはどこだろう?。画面右側のビルに何やら社名らしきものが書かれている。

1:06:38拡大

(写真-1:06:38)の社名部分を拡大してみた。ボケボケで分かりにくいが何となく「海外新■■■」と読めなくもない。Web検索をかけたところ「海外新聞普及株式会社」が存在することが分かった。この会社は現在は「株式会社OCS」に名称変更されている。

「OCS50年の歩み」(2007年9月)という冊子が図書館に所蔵されていたので閲覧してみると、105ページに住所が記載されていた。「東京都港区芝浦2-9-13」《35.64318031463953, 139.75277914319005》。よって(写真-1:06:38)は潮路橋上《35.64297115447172, 139.7544845910349》から撮影していることが分かった。なお(写真-1:06:38)の画面奥に見えている橋桁のような建造物は、1964年に開通した東京モノレールの軌道である。

1:06:44
1:06:44

(写真-1:06:44)、陰謀団の手話(その2)。「オツカレサン」。

1:06:45
1:06:45

(写真-1:06:45)の自動車の三角窓に男性が写りこんでいる。歩道に立っている登場人物は2人しかいないはずなのに不思議。撮影スタッフかもしれない。スタッフというとラフな格好が多いと思うのだが、この人は背広にネクタイをしている。

1:07:12a
1:07:12a
潮路橋から首都高速を見る(2024年3月撮影)
潮路橋から首都高速1号線を見る(2024年3月撮影)

(写真-1:07:12a)は(写真-1:06:38)と反対方向。陰謀団の自動車が走り去るシーン。正面に見えているのは首都高速1号羽田線。この区間は1962年12月に開通。現在の写真と比べてみると画面右側の橋脚が当時に比べて幅が広くなっているようである。現在ではこの橋脚の上に道路上の案内表示板の支柱が立っているのが分かる。首都高速道路では兵庫県南部地震発生後に耐震化工事が実施されているので幅の変化はこのためによるものではなかろうか。

1:07:12b
1:07:12b
潮路橋から浦島橋方面(2024年3月撮影)
潮路橋から浦島橋方面(2024年3月撮影)
港区芝浦2丁目(1963年)
港区芝海岸通3丁目(1963年)

(写真-1:07:12b)は先ほど判明した潮路橋の上で陰謀団たちが自動車から下した谷井悦子(団令子)を連れて行こうとするシーン。画面右奥のビルにアルファベット4文字の看板が確認できる。奥に見えるのは浦島橋。

この部分を拡大してみたのが左図。こちらもボケボケで分かりにくいが「JCTC」と読めそうだ。先ほどと同様にWeb検索をしたところ「全国建設研修センター」、「日本貨物検数協会」、「JCTCジャパン」などと複数候補がヒット。

ここは港湾の近くのようなので貨物に関係ある団体かもしれないと勝手に推測し、「日本貨物検数協会」について調べてみた。「社団法人日本貨物検数協会七十年史」(平成26年11月)という冊子が図書館に所蔵されていたので閲覧してみると、巻頭のカラー印刷ページに東京支部の社屋ビル写真と住所が記載されていた。「東京都港区海岸3-2-3」《35.64470899312236, 139.75574986364884》。よって推測通り「JCTC」の看板のあるビルは日本貨物検数協会の東京支部であることが判明。「JCTC」の建物が(写真-1:07:12b)のこの場所に見えるような撮影場所はやはり潮路橋ということになる。ところで、「港区芝海岸通3丁目(1963年)」地図では「日本貨物検協会東京支部」と記載されているがこれは誤記であろう。

1:07:20
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1:07:20now
2021年11月撮影

(写真-1:07:20)は、植松唯人(植木等)が金港タクシーに乗って登場する場面。 金港タクシー は横浜の会社で現在も営業を続けているようだ。場所は横浜スタジアムのある横浜公園の日本大通り側入口《35.444893241815656, 139.6412286151461》。画面の右側に見えるマンホールはおそらく同じ位置にあると思う。現在では歩道がかなり拡幅されているので写真を撮影したところは当時の車道にあたる。

1:07:25
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1:07:25now
2021年11月撮影

(写真-1:07:25)は、タクシーから降りたところの植松唯人(植木等)。横浜公園の門柱が写っているが、現在もほぼそのままの状態で健在している。お話では「神戸」となっているが、実は横浜で撮影しているのだ。

1:07:36
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2021年11月撮影

(写真-1:07:36)は、横浜公園の前で植松唯人(植木等)と谷井啓介(谷敬)が相談している場面。二人の後方に見えている煉瓦積みのビルは旧・関東財務局横浜財務事務所があったビル《35.444967976639624, 139.64147943427292》。横浜公園のお向かいに建っている。現在は横浜ベイスターズが利用者となって「ザ・ベイス」と称して営業している。このビルは1928年竣工。2015年~2017年にかけて耐震補強等の工事を行っているので、窓など細かい部分が新しくなっているので見かけは多少異なっている。

横浜公園(1965年)
横浜公園(1965年)
1:08:11
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2021年11月撮影

(写真-1:08:11)は、拉致したを谷井悦子(団令子)を探す植松唯人(植木等) 。ここは山下公園のバラ園の脇《35.446068586147156, 139.6496959106675》。右側の煉瓦にはかなりバラが生長している。当時は貨物線の山下臨港線の高架があったが現在は撤去されている。

山下公園(1965年)
山下公園(1965年)
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2021年11月撮影
1:08:34
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2021年11月撮影
山下公園(1965年)
山下公園(1965年)

(写真-1:08:22)と(写真-1:08:34)はお話の上では同一地点だと思うが映像的には異なる場所のように見える。ここは山下公園のバラ園の隣にある広場である。それぞれの場所の現在と思われる写真を示す。(写真-1:08:34)では、一本の木の根元に谷井悦子(団令子)がもたれかかっているが、一本立ちの樹木は現在では存在していない。何らかの理由で取り除かれたのだろうか。映画の画面で、その後方には複数本の細い木が固まって植わっている。その細い木の半世紀後の姿と思われるものが現在の写真。本数は減っているので間引したのだろうか。場所はココだと思われる《35.44608161524404, 139.64943964250267》

1:08:26
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山下公園(1965年)
山下公園(1965年)

(写真-1:08:26)には見たたことあるタワー。これは明らかに横浜マリンタワー。神戸ポートタワーではない。ちなみに横浜マリンタワーは2021年11月現在リニューアル工事中で閉館している。

1:08:46
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2021年11月撮影
山下公園(1965年)
山下公園(1965年)

(写真-1:08:46)は、拉致したを谷井悦子(団令子)を乗せるための車を陰謀団の女隊員が持ってきたところ。後方のビルの紋章から、1927年開業の老舗ホテル「ホテルニューグランド」 であることがわかる。山下公園のお向かいに位置している《35.44483961203753, 139.65015986172202》

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2021年11月撮影
山下公園(1965年)
山下公園(1965年)

(写真-1:09:35)は、植松唯人(植木等)と谷井悦子(団令子)を乗せた車が発車したところ。右後方に横浜マリンタワーの足元部分が見えている。現在では銀杏並木がかなり生長しており、かつ工事のための囲いがあったりダンプが停車しているので横浜マリンタワーの足元は全く見ることができない。

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2021年7月撮影
赤坂プリンスホテル(1969年)
赤坂プリンスホテル(1969年)

(写真-1:09:45)は、植松唯人(植木等)と谷井悦子(団令子)を乗せた自動車が「ホテル.メリケン館」の門を通って敷地に入った所だが、後方の建物には「AKASAKA PRINCE HOTEL」と書かれている。(写真-1:06:25)のレトロな建物は旧館(旧李王家邸)。2021年6月現在、赤坂プリンスホテルは閉鎖されているが、旧館は敷地内に移設されてレストランなどとして営業している。

1:12:05
1:12:05

(写真-1:12:05)は、谷井悦子(団令子)を拉致した陰謀団たちが乗った海老茶色の自動車を植松唯人(植木等)が走って追いかけているシーンである。右側は空き地(1965年の地図では「用地」となっている)。ここは横浜公園前である《35.445421313196086, 139.64021264846403》

1:12:10
1:12:10
相生町一丁目交差点(2024年2月撮影)
相生町一丁目交差点(2024年2月撮影)

(写真-1:12:10)と現在の写真を見比べてみると、50年以上経過しているのに街路樹はそれほど成長しているようには見えない。植え替えられているのかもしれない。ただ、植わっている場所はほぼ同じように見える。車道にあるマンホールの位置も参考になると思うが、若干ズレているようにも見える。残念ながらマンホールの位置は移動されたのかどうかは分からない。「相生町一丁目交差点(2024年2月撮影)」を撮影した地点から横浜公園側を写したのが「横浜公園出入口(2024年2月撮影)」である。ここには公園への出入口が設けられている。ただ、1965年の地図にはこの場所の出入口は省略されている。実際の門柱の風合いを見ると撮影当時のものとみて間違いなさそうで、この半世紀の間に設置されたものではないようだ。

横浜公園出入口(2024年2月撮影)
横浜公園出入口(2024年2月撮影)
1:12:12
1:12:12

本編映像では(写真-1:12:10)の後、キャメラは左へパンして電話ボックス脇に止めてあるバイクを植松唯人(植木等)が無断拝借する様子を写すのだが、パンしている箇所をコマ送りすると道路の向こう(横浜公園)側がなんとか判断できる程度に写っている(写真-1:12:12)。歩道の縁石が横浜公園出入口前部分だけ途切れているのが分かる。そして出入口から公園内が見えているのが何とか判別できる。

横浜公園2(1965年)
横浜公園2(1965年)
1:12:14
1:12:14

(写真-1:12:14)で電話しているのはバイクの持ち主と思われる男性(大塚秀男)。この電話ボックスは、地図「横浜公園3(1965年)」に示した場所に設置されていると思われる。

横浜公園3(1965年)
横浜公園3(1965年)
01:08:04
01:08:04

ところが、この場所を別の角度から写している映像を見てみると電話ボックスは写っていないのである(写真-1:08:04)。そう、この電話ボックスは撮影用の大道具だったのだ。

窓の社名
コーボルトビルのテナント

ところで、電話ボックスの窓越しに見えている奥のビルの窓に会社名が書かれてある。何となくだが「■ルド■サー工業株式会社」と読めそうだ。地図「横浜公園3(1965年)」の⑥コーボルトビルがこの会社が入居しているビルと思われる。そこで⑥コーボルトビルのテナントリストを確認してみるとありました、「2階 日本ブルトーザ工業KK横浜支店」。やはり、件の電話ボックスはコーボルトビルの斜め前に設置されていたのでした。ちなみに、社名が書かれた窓の上部に箱型のものが飛び出しているが、これは冷房装置だと思われる。

(写真-1:12:05)からの数秒間のシーンのロケ地は同好の士「ダーハラ」さんからの情報で判明いたしました。てっきり直前のシーンが赤坂プリンスホテルだったのでその近くかなあと思って探してみたが見つからず、保留にしていたシーンでした。横浜公園前だったとは予想外。「ダーハラ」さん、どうもありがとうございました。

1:12:19
1:12:19
大さん橋ふ頭(2024年3月)_1
大さん橋ふ頭_1(2024年3月)
大さん橋ふ頭地図_1(1965年)
大さん橋ふ頭地図_1(1965年)

(写真-1:12:19)は逃走する陰謀団の自動車。画面左奥に横浜マリンタワーと横浜水上警察署庁舎が見えている。現在の横浜水上警察署庁舎は1984年に建て替えられたため横浜マリンタワーは見えなくなってしまっている。

先日横浜公園前のロケ地調査に行った際、象の鼻パークまで散歩がてらやってくると何だか見覚えのある風景。もしやと思ってキャプチャ画像と見比べるとこの付近だったことが判明。今までは埠頭付近の一連のシーンは何となく見ていただけだったがロケ地の糸口を発見。映像を見直して、何箇所かの撮影地点が特定できた。(写真-1:12:19)の撮影地点はココ《35.44969403293668, 139.64378438941287》。山下臨港線はすでに廃線となっているが、この部分の高架は撤去されずに「山下臨港線プロムナード」として整備されて観光客の散歩コースになっている。現在この付近の埠頭では荷役作業は行われなくなり、倉庫群は撤去されて観光向けの広場になっている。新港ふ頭の赤レンガ倉庫だけは保存されて観光客を迎え入れている。

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(写真-1:12:24)は、植松唯人(植木等)が陰謀団の自動車を追跡しているシーン。あれれ、(写真-1:12:19)と同じ場所を陰謀団とは反対方向に走っているぞ(笑)。

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新港ふ頭(1967年)
新港ふ頭(1967年) 〔空中写真MKT674-C5-19〕

<この写真は、国土地理院で公開している空中写真「MKT674-C5-19」をトリミングして文字等を追加したものです>

横浜港公共ふ頭案内(1972年)、12ページ
横浜港公共ふ頭案内(1972年)、12ページ
新港ふ頭(1965年)
新港ふ頭(1965年)

(写真-1:12:30)、陰謀団の自動車を追跡中の植松唯人(植木等)。後方の倉庫に「10」と書かれている。どこかの埠頭の10番倉庫前を疾走中のようだ。これに続くカットは(写真-1:12:32)、6連の三角屋根が確認できる。当時の付近の埠頭(山下ふ頭、大さん橋ふ頭、新港ふ頭など)の空中写真を調べてみると新港ふ頭に6連の三角屋根を発見できた。新港ふ頭の資料を確認してみると6連の三角屋根は「9号上屋」であるらしい。その隣が「10号上屋」、(写真-1:12:30)に写っているのがココ《35.456560780448825, 139.64161895788715》であろうと思われる。現在ここには「横浜ハンマーヘッド」というショッピングモールとなっている。2階テラスから写した写真を載せておく。

新港ふ頭9号岸壁(2024年3月)
新港ふ頭9号岸壁(2024年3月)
1:12:38
1:12:38
神奈川県庁の渡り廊下(2024年3月)
神奈川県庁の渡り廊下(2024年3月)
神奈川県庁(1965年)
神奈川県庁(1965年)

(写真-1:12:38)も陰謀団の自動車を追跡しているシーン。本作を撮影している頃は神奈川県の新庁舎を本庁舎の向かいに建設中。本庁舎との渡り廊下(連絡通路)も建設中で本編に写っている。右端には横浜税関の壁面が写っている。現在は、県庁本庁舎の手前に横浜税関分庁舎が建っているので県庁本庁舎は見えなくなってしまっている。ココ《35.449393711512855, 139.64304229560315》

1:12:46
1:12:46
大さん橋ふ頭地図_2(1965年)
大さん橋ふ頭地図_2(1965年)

(写真-1:12:38)からキャメラはパンして(写真-1:12:46)となる。したがってココ《35.44975115381363, 139.64330703243084》は住友倉庫(画面右の倉庫)の裏となる。正面の倉庫には三菱マーク。

1:12:51
1:12:51
大さん橋ふ頭(2024年3月)_2
大さん橋ふ頭_2(2024年3月)
大さん橋ふ頭地図_3(1965年)
大さん橋ふ頭地図_3(1965年)

(写真-1:12:51)は(写真-1:12:19)と同様の背景。ただしキャメラ位置が横浜水上警察署近くに移動している《35.448762642513266, 139.6440517832372》。横浜水上警察署庁舎の壁面に警察の徽章が掲げられているのが確認できる。

「大さん橋ふ頭_2(2024年3月)」にて白い文字で「YOKOHAMA」と書かれている建物は(写真-1:12:51)に写っている物と同じようである(現存している)。当時(半世紀も前)の建物がまだ残っているとは驚きだ。

1:12:53
1:12:53
1:13:02
1:13:02
大さん橋ふ頭_3(2024年3月)
大さん橋ふ頭_3(2024年3月)
大さん橋ふ頭地図_4(1965年)
大さん橋ふ頭地図_4(1965年)

(写真-1:12:53)はジャンプしたバイクが着地してコケる直前のカットである《35.44895779957356, 139.64357719010658》。Webなどの情報によるとこのスタントシーンは、当時植木等の付き人だった小松政夫が演じているとのこと。画面右奥には住友倉庫が見えている。画面左端には山下臨港線の高架の途中で鉄骨製の架道橋になっている部分の端っこが見えている。(写真-1:13:02)を見ると架道橋がはっきり写っている。参考としてこの架道橋の銘板を示しておく。

第1山下架道橋

(写真-1:12:53)から(写真-1:13:02)の間はバイクがこけてから立て直して再度走り出すシーンが続くのだが、いつのまにか住友倉庫前のトラックが2台に増えてしまっている。

1:13:05
1:13:05
1:13:20
1:13:20
豊洲大橋(2024年4月)
豊洲大橋(2024年4月)
晴海4丁目地図_1(1970年)
晴海4丁目地図_1(1970年)

(写真-1:13:05)と(写真-1:13:20)は同じ場所を異なる場所から撮影している。さて、ここはどこだろう。ヒントはこれ以降のシーンの中にあった。(写真-1:14:30)の後方に写る建物に「鈴江組倉庫株式会社」と書かれている。(写真-1:14:39)の右端の壁面の文字は「東洋■■」と読める。調べてみると「東洋■■」は「東洋埠頭株式会社」であることが分かった。該当部分を拡大したものを(写真-1:14:39)の下に提示した。いずれの会社も晴海ふ頭に存在していたことが判明。

(写真-1:13:05)と(写真-1:13:20)は、現在の都道484号線の豊洲大橋晴海側の袂となる《35.651436795106456, 139.77932484806823》。映像の画面奥は豊洲である。煙(水蒸気?)を出しているのは豊洲の東京ガス豊洲工場(現・豊洲市場)かもしれない。2024年4月に撮影した写真を示すが、同じ場所とは思えないほど変わってしまっていることに驚くばかりである。

1:13:32
1:13:32
1:13:36
1:13:36
2024年3月
2024年3月
晴海4丁目地図_2(1970年)
晴海4丁目地図_2(1970年)

(写真-1:13:32)と(写真-1:13:36)も同じ場所を異なる角度から撮影している。(写真-1:13:36)の陰謀団の2人は日本通運の倉庫の2階テラス?から射撃しているようだ。(写真-1:13:32)に写っている跨線橋は倉庫間で荷物を移動させるためのベルトコンベアのようだ(1970年の地図では省略されていたので描き加えた)。このシーン、ほんの数秒間に何と貨車が出現しているではないか。

(写真-1:13:36)とほぼ同じ地点の2024年3月現在の写真を提示する。引込線があった部分を描き加えてみた。東洋埠頭株式会社が建っていたところは「中央区晴海区民センター」と「渋谷教育学園晴海西こども園」となっている。写真後方、解体のためにパネルで囲われている部分が鈴江組倉庫の第二倉庫である。

1:13:57
1:13:57
晴海4丁目地図_3(1970年)
晴海4丁目地図_3(1970年)

(写真-1:13:57)は、陰謀団の2人(二瓶正也、桐野洋雄)に狙撃された植松唯人(植木等)が貨車の下に身を隠そうとしている場面。左の奥に鈴江組倉庫の外階段が見えているので画面上部に写っている跨線橋は東洋埠頭の倉庫間に架かっているものであろう。

1:14:16
1:14:16
晴海4丁目地図_4(1970年)
晴海4丁目地図_4(1970年)

(写真-1:14:16)は、小津安二郎監督もびっくりの超ローアングルショット。画面右後方のスロープの位置から、このカットのキャメラ位置は「晴海4丁目地図_4(1970年)」に示した所と考えられる。

1:14:19
晴海4丁目地図_5(1970年)
晴海4丁目地図_5(1970年)

(写真-1:14:19)の画面左奥に見えるタンクは鈴江組倉庫の敷地内にあるもの。「晴海4丁目地図_5(1970年)」では、このタンクはかなり小さめに描かれている。

1:14:25
1:14:25
晴海4丁目地図_6(1970年)
晴海4丁目地図_6(1970年)
1:14:30
1:14:30
晴海4丁目地図_7(1970年)
晴海4丁目地図_7(1970年)

(写真-1:14:30)は吊り下げられた植松唯人(植木等)。左後方に見える建設途中のビルは、1967年10月に開局した晴海通常郵便集中局だと思われる。

1:14:39
1:14:39
1:14:39の拡大

左の写真は(写真-1:14:39)の右下部分を拡大したもの。上の2文字は「東洋」と読めるが、下の2文字は残念ながら判読できない。住宅地図で確認すると「東洋埠頭株式会社」であることが分かった。

晴海4丁目地図_8(1970年)
晴海4丁目地図_8(1970年)
1:14:44
1:14:44
晴海4丁目地図_9(1970年)
晴海4丁目地図_9(1970年)

(写真-1:14:30)で吊り下げられた植松唯人(植木等)が降ろされたのが(写真-1:14:44)。東洋埠頭の海側に建っている倉庫。この倉庫建物の外側通路で陰謀団との追いかけっこシーンが続く。この一連のシーンで倉庫建物の海側の通路を逃げていると思われるカットもある。確証がないのでここでは参考表示に留める。

参考表示
海側の通路と思われるのが左の(写真-1:15:01)。

1:14:51
1:14:51
1:15:13
1:15:13
晴海4丁目地図_10(1970年)
晴海4丁目地図_10(1970年)

植松唯人(植木等)が東洋埠頭の海側の倉庫建物をひと回りして戻ってきて再びクレーンに吊り下げられようとする直前のカットが(写真-1:15:13)。

1:15:27
1:15:27
晴海4丁目地図_11(1970年)
晴海4丁目地図_11(1970年)

(写真-1:15:27)、植松唯人(植木等)が荷物と共に運ばれて降ろされたのが東洋埠頭の内陸側の倉庫建物。この倉庫内に入るとそこが陰謀団の潜水艦ドックに通じていた。「東洋埠頭株式会社」は「森垣金融」と同様に陰謀団の隠れ蓑であったのかもしれない。

1975年の晴海4丁目付近の空中写真を示しておく。今までに紹介した目印を描き加えたのでキャメラ位置の参考にしていただきたい。この空中写真で、日本通運と東洋埠頭㈱の間の道路(都道484号線)が延長され、豊洲方面へ渡る豊洲大橋が2018年に開通している《35.65087459112819, 139.77966629417668》

晴海4丁目(1975年) 〔空中写真:CKT7415-C32-42〕
晴海4丁目(1975年) 〔空中写真:CKT7415-C32-42〕

<この写真は、国土地理院で公開している空中写真「CKT7415-C32-42」をトリミングして文字を追加したものです>

鈴江組倉庫(2024年3月)
鈴江組倉庫(2024年3月)

参考として鈴江組倉庫の現在の写真を載せておく。豊洲大橋の歩道から撮影したものである。解体のためにパネルで覆われているのが鈴江組倉庫の2棟の倉庫建物で、この間に引込線が敷かれていた。

現在(2024年)の晴海ふ頭は引き込み線もなくなり、倉庫会社も撤退して大きく変わってしまっている。最後まで残っていた鈴江組倉庫のビルも2024年初頭には解体が始まっている。従って付近は立ち入りできなくなっているので、本編映像と同じ視点からの撮影は不可能だった(ビル解体前でも倉庫の中には立ち入りできないのでどちらにしても撮影はできなかっただろうが)。「仮面ライダー/第79話」などのテレビの特撮ドラマなどでもしばしば晴海ふ頭が写っていたが、現在では別世界のように変貌してしまったことに驚くばかりである。

1:15:35
1:15:35

(写真-1:15:35)は、植松唯人(植木等)が東洋埠頭の倉庫に入った後のシーン。この倉庫にも「グリーンライト」。「グリーンライト」の箱は倉庫内のいろいろなところに積み上げられている。

「グリーンライト」は東洋護謨化学工業株式会社(現・株式会社インズコーポレーション)が製造していたポウレタンフォームの商品名(昭和36年12月販売開始)であることが分かった。本作でも数箇所にこの「グリーンライト」が写り込んでいる。いわゆるタイアップ商品というものであろう。

1:45:57
1:45:57
1:45:57now
2021年7月撮影

(写真-1:45:57)は、結婚披露宴会場。ここは、ビーチパラソルに書かれているように赤坂プリンスホテルの庭。画面左側の建物は新館、後方には首都高速道路が見えている。現在の写真は、(写真-1:45:57)と同様の地点と思われる場所から撮影したもの。木々の隙間に高速道路を走る車が見える。

長々とお付き合いいただき感謝します。宙吊り、走って、車の屋根に乗って、馬に乗って、貨車に乗って、バイクに乗ってと殆どのアクションシーンをご自分で演じておられる植木等の凄さにただただ驚くばかり。ビルからの転落シーンなど実写とミニチュアをうまく使って手に汗握るシーンを作り上げている、さすがの仕事っぷり。

大雑把ではあるが主人公植木等が辿っていった足跡(ロケ地)を記して最後としよう。

富士見荘前のさくら通り

渋谷の大和田町

猿楽橋付近

日本橋兜町

青山通り(赤坂見附~渋谷)

多摩川(開通したての高速道路)

第二鉄鋼ビル

新幹線で名古屋へ

日本橋兜町

揖斐川の橋梁

常総筑波鉄道(関東鉄道)

犬山城

どこかの山道~田園地帯

赤坂プリンスホテル

横浜・山下公園

横浜大さん橋ふ頭、新港ふ頭

晴海ふ頭

Uボートで秘密基地へ

赤坂プリンスホテルで結婚披露パーティ

と、足跡をロケ地で見るとワープの連続だったことが分かる。離れた地でも編集で近くの場所と思わせることができるのが映画の面白いところである。

重箱の隅をつつくような内容だったかもしれないが、本作品を貶めよう、辱めようなどという気は全くないことを明言する。監督の仕事ぶりを見る人、役者を見る人、ストーリーを楽しむ人、特撮を楽しむ人、など映画の楽しみ方は人それぞれである。どちらかというと私は映像に写っているものに興味を示す質がある。特に昭和時代の街の風景には大いに興味を抱くのだ。また、テーブルの上の静物なども気になってしまう。ワイヤーレコーダー等のレアなアイテムを見つけると心の中で欣喜雀躍するのである。ストーリーを追うより画面に何が写っているかを重点的に見てしまうという我ながらヘンテコな性分なのだ。そんな人間の語ることなので、大いに笑い飛ばしていただければ幸いである。

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本作品の出演者を紹介しているページはコチラ
 『大冒険』を考える〈役者編〉

【参考資料】
下記の書籍やWebサイトを参考にさせていただいた。作者の方々には心より御礼いたします。ありがとうございました。

【編集履歴】

  • 2021/07/18:初版公開
  • 2021/08/17:地図を拡大表示できるように変更
  • 2021/08/19:高速道路脇のバス営業所を特定
  • 2021/11/06:横浜でのロケ地(山下公園、横浜公園)を特定
  • 2024/02/22:(写真-1:12:05)横浜公園脇のロケ地を特定(ダーハラ氏からの情報)
  • 2024/03/03:(写真-1:06:38)潮路橋でのロケ地を特定
  • 2024/03/26:(写真-1:12:19)~(写真-1:13:02)横浜新港ふ頭などでのロケ地を特定
  • 2024/04/30:(写真-1:13:05)~(写真-1:15:27)晴海ふ頭でのロケ地を特定。国鉄樽見線の件を追記

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Every Film For ItselfさんによるXでのポスト

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