2024年5月6日月曜日

「マルクス思想を知っていても知らなくても退屈極まりない駄作」マルクス・エンゲルス 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価) - 映画.com

「マルクス思想を知っていても知らなくても退屈極まりない駄作」マルクス・エンゲルス 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価) - 映画.com

1.0マルクス思想を知っていても知らなくても退屈極まりない駄作

1)映画の概要~ライン新聞時代から『共産党宣言』執筆まで
映画の冒頭、山林で枯れ木や枯れ枝を拾う貧しい農民が官憲に追われる姿が描かれる。ドイツ・ライン州が1843年木材窃盗取締法を施行し、従来は慣行として認められていた枯れ木拾いを違法としたためだ。ライン新聞編集長であるマルクスは、州議会での法案審議を厳しく批判した。
つまり、これはライン新聞時代のマルクスを紹介する導入部分なのだが、本作は説明不足のところが多いので、ここで彼の履歴を補足しながら映画を概観しておこう。

ライン新聞はライン州新興ブルジョアジーの政治的代弁のために42年に創刊されたもので、当時の青年ヘーゲル派の牙城となった。ルーテンベルク、ブルーノ・バウアー、マイエン等が鼻息の荒い論説を執筆した結果、43年にあっけなく発禁処分を食らってしまう。映画では編集者たちが逮捕されたことになっているが、それは創作だろう。

辞職したマルクスは、言論統制を避けるためパリに引っ越しして、ルーゲの出資する雑誌『独仏年誌』の発刊に携わり、有名な論文『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』を掲載。同じ号に『国民経済学批判大綱』を寄稿したエンゲルスと知り合い、経済学研究にのめり込んでいく。

ところがマルクスはその後、『前進』誌にプロイセンの織工暴動を賞賛する記事などを書いたために、プロイセンの圧力でパリから追放され、ブリュッセルに逃げのびることになる。1845年のことだ。エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』発表もこの年だった。

映画は主にこのパリ~ブリュッセル時代のマルクスの活動を、48年の『共産党宣言』執筆まで辿っていく。
例えば『独仏年誌』の資金問題、プルードンとの交流、エンゲルスとの共同執筆や彼からの経済支援、生活の窮迫、正義者同盟への加入と内部論争等々――邦題は『マルクス・エンゲルス』だが、原題は『若きカール・マルクス』で、あくまでマルクスの伝記映画である。

内容は虚実取り交ぜているようで、例えばロンドン正義者同盟の大会にマルクスとエンゲルスが出席し、自分たちで組織名を「共産主義者同盟」に変更させたように描いている。しかし、向坂逸郎『マルクス伝』によると「マルクスはこれには出席しなかった。金がなかったからである」というのだ。個々のエピソードを真に受けないほうがよろしい。

2)作品の評価
本作ははっきり言って退屈極まりない。セリフはマルクスの著作をいくらかでも読んでいなければ、チンプンカンプンだろう。小生は少々読んでいるが、それでもつまらなかった。

一例を挙げよう。青年ヘーゲル派等を批判した『聖家族』(エンゲルスとの共著)の発表前にタイトルをどうするかという話になり、「批判的批判の批判はどうか」という会話が出てくる。
『聖家族』の副題は「批判的批判の批判~ブルーノ・バウワーとその伴侶を駁す」となっており、そこから来たセリフなのだが、マルクスが観念論者ブルーノ、エドガーのバウアー兄弟を「聖なる家族」と、彼らのマルクス批判を「批判的批判」と呼び、嫌みを言っていたことを知らない限り、面白くもおかしくもないはずだ。

また、「財産、それは盗みだ」と結論づけた改良主義者プルードンとの論争、彼の『貧困の哲学』に対する皮肉を交えたマルクス『哲学の貧困』などを紹介しているものの、上っ面にとどまるから、何やら意見が合わないらしいwくらいにしか伝わってこないのである。
マルクスは『共産党宣言』において、プルードンは現行体制下での労働者の生活改善を訴えるだけで、労働者階級にあらゆる革命運動を忌避させ、ブルジョア支配を強化するだけの保守的・ブルジョア的社会主義者だと否定している。要は革命の是非に関する姿勢の違いがあるわけで、それくらいは説明すべきだったろう。

映画はこうした同時代の思想家の言動や、マルクス、エンゲルスとの論争等のエピソードを中心に描いているが、なにより思想家マルクスの伝記なのに、その思想がきちんと紹介されていない。弁証法的唯物論も唯物史観も階級闘争の歴史も剰余価値説も疎外論も私有財産制の廃棄もプロレタリア革命も、まともに説明されないのである。
だから論争も中途半端で意味不明になってしまう。だからつまらない。さらに全く必要のないマルクス夫妻のベッドシーンを挿入するに至っては、何をか言わんや。

そして、最後にはあの『共産党宣言』のきらびやかな聖句が厳かに響き渡るw ま、嫌いじゃないからいいけどね。今さらそんなこと描いてどうすんの?? 普通ならそう思うだろう。
理由は、恐らく製作者たちのマルクスへのオマージュであり、その背後には新自由主義で格差の拡大した欧米社会の矛盾があるのだろうと想像する。

ちなみにエンドロールのBGMにディラン『ライク・ア・ローリング・ストーン』が流れたのにも笑った。まるでプロレタリア革命後のブルジョアジーの落魄を予言するかのような使われ方だが…残念ながら現在、革命にそんな幻想を抱く人々がどれだけ存在するかは、おおいに疑問である。少なくとも若くて高慢な女性が現実の厳しさを知るという曲の歌詞からは、だいぶイメージが隔たっているような気がする。

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