2026年8月5日水曜日

「現代詩の入り口」40 – 知性と知識と類い稀な言語感覚に触れたかったら、田村隆一の詩を読んでみよう。|松下 育男

「現代詩の入り口」40 – 知性と知識と類い稀な言語感覚に触れたかったら、田村隆一の詩を読んでみよう。|松下 育男
細田守展で上映されている大学時代の自主映画『silent』で引用されている詩集は多分田村隆一(「祝婚歌」「人類の夏休み」『水半球』?)。


鳥のごとく歌うことなかるべし

虫のごとく地を違うことなかるべし

おのがじレ

人は人によって生きるを得ず

ともに目をたたき

ともに共和国をつくるを得ず

おまえたち

人の子は

ビデオ

フィルタ


あと10カ月すればすぐ夏休み

夏の最高潮が

秋のなかに限れていることを少

あと10カ月すれば

海の音がする惑星から肉体が嘘

大きな手が


https://note.com/brainy_pansy893/n/n1c22834f5813

「現代詩の入り口」40 – 知性と知識と類い稀な言語感覚に触れたかったら、田村隆一の詩を読んでみよう。

今回は田村隆一さんの詩について話そうかと思うのですが、田村さんといえば、「現代詩文庫」の1ですから、それは単に1であるというより、1であるというそれなりの意味があるのだと思うのです。まあ、間違いなく日本の戦後詩を代表する詩人としての1なのだと思います。ぼくもずっとそう感じてきましたし、異論を挟む人はそれほどにいないのではないかと思います。

それで、ぼくにとっての田村隆一さんの印象は、二つあります。

(ふたつの印象)
ひとつは、戦後すぐに出た同人誌「荒地」の中心となって、戦前の詩を乗り越えるところから生まれた、日本的な湿った抒情を排除した、乾いた現代詩を代表する詩人であることです。

そしてもうひとつの印象は、晩年の、力の抜けた、何を書いてもこちらの気持ちをくすぐるような、熟練した手さばきを見せてくれるわかりやすい詩です。

それで、今回、「田村隆一」の3冊の現代詩文庫を読み直してみました。でもそうしたら、今までぼくが抱いていた田村さんのイメージとは、若干違って感じられたんです。

先ほど言った若い頃の「荒地」時代の詩は、ぼくが昔から受け止めていた印象そのままでした。ですが、もう一つの、年老いてからの、名人芸のような穏やかに老成した詩、という印象は、ぼくが勝手にそう思っていただけだったのだと、今回気がつきました。

おそらくぼくは、かつて、田村さんの晩年の、いくつかの詩を雑誌で読んだその時の印象だけで、そういった老成した詩だと決めつけてしまっていたのだと思います。

(今回感じたこと)
それでは今回、田村さんの晩年の詩をどういった詩だったと感じたかと言いますと、表れ方は違っていても、若い頃と同様に、依然、知性の詩そのままではないかというものでした。

「荒地」の頃の詩も晩年の詩も、芯の所では、知性と知識と、そして類い稀な言語感覚と、それらによって生み出された詩であることには、違いがないのだと感じました。

ただ、描くものが、若い頃は極度に抽象化された、形式にはめ込むようなストイックさに基づいた、模糊とした印象の世界であるのに対して、晩年の詩は、旅先や友人や、すぐそばにある(いる)具体的なものをきっかけに、それを思考を通して展開してゆく詩に変ったというまでのことのようです。

つまり年齢によって、田村さんの詩は、書く対象は変っても、生涯に亘って、発想の出所は、常に知性と知識と言語感覚によるものなのではないかと思ったのです。

「現代詩文庫」が創刊されたのは、戦後の詩の優れたものを、コンパクトな形で手に入りやすくしようとしたものですが、戦後の詩、というのは、戦前の詩の後悔を踏まえて出てきたものです。つまり、戦争に何も言えないような、あるいは、戦争に協力した詩を書いてしまうような、軟弱な抒情の詩は否定されて、もっと冷徹な思考による詩、つまり知性の詩が現れてきたわけで、その先頭に立っていたひとりが田村さんだったわけですから、田村さんの詩が、生涯、知性とともにあったことは別に驚くことではないわけです。



「知性」ということで思い出すのは、少し前にnoteで読んだ佐山由紀さんの文章です。「日記 恐る恐る詩と向き合う幸せ詩生活」という文章の中に、佐山さんは次のように書いています。



そこそこ普通にお勉強していれば誰でも入れるような短大を卒業した。立派な学歴も持っていないし、いわゆる地頭が良いわけでもなく、努力できる才能はなく、ネガティブで悲観的で自己肯定感は低く、そこそこ満遍なくこなせる器用貧乏、それ故に承認欲求だけは人一倍。そこまでわかっていて堂々と言えちゃう自分が逆にエラいと思う。卑屈だということもわかっている。だって好きな詩人さんも賞をとる詩人さんもやっぱり結局は高学歴だし、自分には到底及ばないような言葉を紡いでいる。やっぱり結局は、学歴、才能、努力、なんだよなぁ。
     (佐山由紀「日記 恐る恐る詩と向き合う幸せ詩生活」より)



という文章なんですけど、ぼくは胸を打たれたんです。カッコつけずに、正直に、感じていることを吐露しているのですが、どうでしょう最後の、「やっぱり結局は、学歴、才能、努力、なんだよなぁ。」というところは、決して佐山さんだけが感じていることではなくて、多くの人も実はそのように感じたことがあるのではないかと思うのです。

それで、佐山さんが危惧していることって、どうなんでしょう。

「学歴、才能、努力」の内の、「努力」はさておいて、「結局は学歴、才能」なのかと思うと、どうしても、自分なんか、と思ってしまって、なんだか詩をやめたくなることってあると思うのです。

なんで佐山さんの文章をここに引いたかといいますと、ぼくも田村隆一の詩を読みながら、同じようなことを感じていたからなのです。

「こりゃあこちらがどんなにがんばったって、田村さんのような詩は決して書けないよな」ということがわかってしまうからなのです。

そういう意味では、谷川俊太郎さんも同様ですね。田村さんの詩とは表れ方は違いますが、やはり谷川さんも、ゆるぎない知性のもとに詩を書いているから、作品によって、これはつまらない、ということがないんですね。

それでなぜぼくには、田村さんや、あるいは谷川さんのような詩が書けないかといいますと、この詩はよくできているとか、この詩はさほどでもないとか、という結果はともかくとして、もっと基本のところ、詩を書く時のバックグラウンドとしての知性が、田村さんや谷川さんとは決定的に違うと思うからです。

田村さんのような知性と知識と、才能としての言語感覚は、逆立ちしたって、ぼくは持ち得ないものですし、それゆえに、いくら努力をしても田村さんのような詩は、ぼくには書けないのです。



そうすると、ぼくはどういうふうに考えるでしょう。おそらく次のように考えるしかないと思うのです。

「いや、田村さんのような詩が書けなくたって、世の中いろんな詩があっていいのだし、自分らしい詩を書いていればいいじゃないか。」

そして自分を説得して、また頑張って書いてゆこうという方向に行くしかないのだと思うんです。

だって、そう考えるしか道はないと思われるからです。自分よりも知性も才能もすぐれた人がいるから、その人に詩を書いてもらえばいいとは、とうてい思えないんです。だって、そもそも放っておくと詩が書きたくなるのですから。書きたくなるものは書いていいんだということなんです。

たぶん佐山さんだってnoteではこんなことを言ってはいますが、それでも翌日には、自分の詩を書くことに夢中になっているのだと思うのです。そうあってほしいと思うんです。

さらに言うなら、時代がどのようになろうとも、状況によって世の中が変って行こうとも、人間が本来持つもの、というものは依然として変らずにあるわけです。戦後、いくら軟弱な感情よりも冷徹な知性によって詩は書かれるべきだ、ということが言われたとしても、それは生まれて後に学んで知ることであって、詩を書く人というのは、それだけででき上がっているのではないのだと思うのです。何も学ばなくても、生まれつき持っているもので書かれる詩も、当然あってもよいとぼくは思うのです。

それはわかっているのです。それでも、自分を何とか説き伏せてみても、現実として、田村さんの知性と知識と優れた言語感覚は、ぼくを含め、たくさんの詩人との決定的な違いとして、あいかわらず田村さんの詩の中にあふれているのです。



(詩の生まれ方)

普通の詩人は、書くべきことを頑張ってなんとか探していたり、あるいは、発想がひらめくのを待っています。けれど田村さんはそうではなく、歩いていれば、あるいは旅に行けば、書くことはいくらでも目に入ってくるし、本を読めばそこから触発されて容易に一篇の詩は書けるし、ちょっと考え事をすれば、その考え事そのものが詩になる、そんな気がします。

日々の動作や行動や、旅での時間の過ごしかたを書いているそのままが詩へつながってゆく。そのつながりのなめらかさは、詩の創作という階段を頑張ってのぼるようなものではなく、本人でさえ気づかぬうちに、詩が書かれているようなものなのではないでしょうか。

というのも、特に晩年の詩は、ほとんどある日の日記の文章をそのまま詩として出しているようにさえ思えます。

それもこれも、知性のたまものなのかと思います。

つまりは、田村さんの外に詩の材料があるのではなく、田村さんの感じ方、考え方、そのものがすでに詩の元のようなものだったのではないかと思われます。そのことも、結局のところ、知性と知識と言語感覚によるものなのかなと、思うのです。

そうであるならば、先ほどの考えに戻って、ぼくはぼくの詩を書き続けるしかないわけですが、それでも、詩というものの懐の深さは、信じていたいと思うのです。

文学というものは、ものごとを知っている人が知らない人に教え諭すものではないと、ぼくは考えます。いえ、そういった詩があってもかまわないけれども、一方で、ものごとを知らない人の悔しさや、その生き様をも、感動の内に表せるものなのだと思います。

どこかに詩に向いている人がいる、というのではなくて、どんな人にも、その人だけにしか書けない詩があるのだと思います。

だれにでも、その人が詩を書いていける場所があるのだと思うのです。

これからも、田村さんの詩を、ぼくはうっとりと、その素晴らしさに酔って読ませてもらおうと思います。

でも、だからと言って、毎日、田村さんの詩ばかり読みたいとも思わないのです。佐山さんの言葉を借りるなら、毎日、学歴が高くて才能に満ちた人の詩ばかりを読みたいと思うわけではないのです。

そういった資質の外で、ひたすら自分を詩に込めている多くの人の詩をも、ぼくは読んでいたいし、読みたい作品には上下はないのだと、思うのです。

ただその日に、自分を救ってくれる詩、愉快にしてくれる詩、なだめてくれる詩を、好きなように選んで読んでいきたいと思います。



ということで、結局、田村さんの詩についてというよりも、田村さんの詩を読んで感じたことを話してきましたが、ひとつだけ最後に言うとするなら、田村さんの詩の文体についてです。田村さんの詩に魅せられるひとつの理由は、やはり文体によるものだと思えるからです。

確かに田村さんの詩を読む時、いつも底流に流れる独特の文体を感じます。けれど、書かれた詩に共通する文体というものがどのようなものなのかを、ぼくには具体的に指し示すことができません。どうも文体は、表面にではなく、言葉の奥に貫かれているらしいのです。

奥に貫かれている文体とはなんでしょう。田村さんのあり方、考え方、感じ方、それらそのもののことなのではないかとも思えます。そうであるならば、やはりこれも、田村さんの知性と知識と言語感覚によるものと、言うしかないのかと思うのです。



物事がわかっている人の詩を楽しみ、そして、物事がわからないで悩んでいる人の詩をも、ぼくはこれからも楽しんでいきたいと思います。

それでは、田村さんの詩を読んでみようと思います。



「田村隆一さんの詩を読む」1

遠い国

ぼくの苦しみは
単純なものだ
遠い国からきた動物を飼うように
べつに工夫がいるわけじゃない

ぼくの詩は
単純なものだ
遠い国からきた手紙を読むように
べつに涙がいるわけじゃない

(後略)



「遠い国」について 松下育男

今日から田村隆一さんの詩を読んでゆきます。詩の引用については、許可をとっているわけではないので、全行ではありません。できたら田村隆一さんの詩集を買って、(略)の行も読んでください。

さて、この詩でぼくが好きなのは、「いるわけじゃない」という言葉遣いです。詩というのは不思議なものです。「いるわけじゃない」なんて日本語は、誰だって使っていますし、どうということのない言葉です。それなのに、こうして田村さんが詩に書くと、なんだかとても気が利いていて、少し投げ捨てるようでいて、そしてかっこよく感じてしまうのです。

どこにでもある言葉を詩に書いているのに、急に人々を惹きつける言葉に変容してしまう、ということで言えば、清水哲男さんの詩の言葉に近いものを感じます。いえ、清水さんが、田村さんに、こうした言葉の扱い方が近かったのでしょう。

田村さんと清水さんの詩の表れ方の近さについては、そのうち、もっと落ち着いて考えたいと思います。

しつこいようですが、この詩を読むたびにぼくは、「べつに工夫がいるわけじゃない」のところに出くわすと、ああなんて魅力的な表現なんだろうと、溜息をつきたくなるのです。

そしてこうした表現が可能なのは、田村さんの、言葉との向き合い方というか、接近の仕方というか、これを言ったらどうしようもないのですが、才能によるとしか思えないのです。

そしてこの詩は、3つのパートに分かれています。3つのパートはほぼ同じような形です。

3つをまとめてしまいますと、ぼくの苦しみと、詩と、歓びと悲しみは、単純なものだ、ということになります。でも、まとめておいてこういうのもなんなんですが、ここはまとめてしまってはいけないのです。

なぜといって、
「ぼくの苦しみは
単純なものだ」
という言葉のひとつのまとまりが、「わけじゃない」と同様に、この世のすべてに満ちるように、目の前に差し出されるからなのです。

要は、どこをとっても、まさにこの詩は単純で、単純なのに身をよじりたくなるほどに魅力的なのです。

詩と言うのは不思議なものです。この詩を読んで、言葉の背後に暗示しているものとか、象徴しているものとかを、ぼくは考えようとはしたくありません。

ただ単純に、これらの言葉の表面のつややかさに驚きもし、惹きつけられて離れられなくなっているのです。

詩というのは、言葉というのは、なんと不思議なものだろうと、この詩を前にぼくは立ち尽くすばかりです。

そうしてこの詩を読むと、どうしてだろう、むしょうに詩が書きたくなるのです。

*

「田村隆一さんの詩を読む」2

星野君のヒント

「なぜ小鳥はなくか」
プレス・クラブのバーで
星野君がぼくにあるアメリカ人の詩を紹介した
「なぜ人間は歩くのか これが次の行だ」
われわれはビールを飲み
チーズバーグをたべた
コーナーのテーブルでは
初老のイギリス人がパイプに火をつけ
夫人は神と悪魔の小説に夢中になっていた
(中略)

「なぜ小鳥はなくか」
ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた
非常に髙いところから落ちてくるものに
感動したのだ
そしてまた夢のなかへ「次の行へ」
ぼくは入っていった

✳︎

「星野君のヒント」について   松下育男

とても静かな詩です。

静か、というのは、描かれている世界に物音がしない、という意味もありますが、もうひとつ、思考が波立つことなく行われている、ということも意味しています。

この詩は、星野君という友人がバーで、ある詩人の詩を紹介した、というところから始っていますが、それだけではなく、詩の発想そのものを、その詩から受取っています。

つまり、ある詩人の詩句に気持ちが動いた、ということだけで自分の詩を作り上げています。

詩から詩を生み出す、ということは田村さんだけがしているわけではなく、多くの詩を書く人は、そのような詩のつくり方をすることがあります。

というのも、自分が何もないところから、あるいは、ある出来事から詩を発想するよりも、すでに誰かが書いた詩に共鳴することの方が、ずっと容易だからでもあります。

人が人を産んでいくように、詩が詩を生む、というのは、自然なことなのかも知れません。

田村さんの詩には、このような、人の詩や言葉に触発されて書いた詩が多い印象があります。

それはおそらく、人の詩を受けとるその受取り方が、より深く、そして鋭いからなのではないかと思います。なぜ受取り方が深く鋭くあるかというと、やはり、人の詩を受け止めるための、田村さんの優れた知性と知識と言語感覚があるからなのだと思います。

詩と言うのは、書く人と、それを読む人によって成り立ちます。田村隆一という詩人は、「人の詩を読むことによって詩を書く詩人」とも、言えるのではないかと思います。

それゆえに、詩は「言葉を受取る」という静かな行為から始ります。
大げさな身振りもなく、人から受けた言葉を愛でる内に、詩は、引き継いだ波のように、静かにでき上がるのです。

*

「田村隆一さんの詩を読む」3

帰途

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

(後略)



「帰途」について    松下育男

語る人によって言葉の意味は変るものです。
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」

誰かが言っても、ああ何らかの事情や理由があったのだろうな、と想像するのみです。しかし、この詩を読む人はそれだけではないと感じます。というのも、これが田村さんの言葉だと読者は知っているからです。なにしろ、生涯に亘って言葉の胸ぐらをつかんで生きてきたような人が「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と言っているのですから、何か事情があるだろう、ではすまされないのです。ほとんど、自分は自分に生まれてこなければよかった、という意味のようにも感じられてしまいます。あるいは、いったい何事があったのかと心配にもなります。さらに、ホントはこんなこと考えてなどいないから、あえて言ったのではないかと、安心したくもなります。

そして「言葉のない世界/意味が意味にならない世界に生きてたら/どんなによかったか」という「言葉」を読む時、どうしても連想してしまうのは、昨今のネットやSNSでの誹謗中傷と、それによって傷つき、命まで失ってしまう人のことです。

田村さんがこの詩を書いた頃には、むろんネットやSNSはありませんでしたが、言葉に過剰に敏感な田村さんのことですから、このような側面が言葉にあることはむろん知っていて、それが私たちにとって切実な問題であることを見抜いていたのだと思うのです。

そのように思えば、二連目から最終連までが、すっと読み手に入ってきます。田村さんはあくまで、言葉に傷ついた人に寄り添おうとしています。そして、傷つけた相手に抗議をするよりも、伝達者である言葉に責任を負わせています。

けれどむろん、言葉はただ言った人の意図を運んだだけですから、なにも責められる筋合いはないのです。

だって、こうして書いている田村さんのこの詩の、なんと美しい言葉の世界かと驚きもするからです。

「あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか」

このような美しい詩行を、いったい田村さん以外の誰が書くことができるでしょう。

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と田村さんが言う時、その言葉でさえ極上の光をまとってしまう、そのことも、この後悔の理由のひとつではないかとも思えるのです。

*

「田村隆一さんの詩を読む」4

不定形の猫

朝 西脇順三郎の詩論を読んでいたら
床屋の椅子に坐って反芻している牛の話が出てきた
牛と床屋との関係は相反する関係ではないが
自然や現実の関係としては
かけはなれた関係として新しい関係となる
というのだ
(中略)

この村には新しい関係も相反する関係もないことがよく分った
真夜中 浴室のあたりで
まるで霊魂がもどってきたような音がした
それからゆっくりと
どこからか帰ってきた不定形の猫が
ぼくのベッドにもぐりこむ



「不定形の猫」について 松下育男

この詩で現実に起きていることは、朝、西脇順三郎の詩論を読んだこと、床屋に行ったこと、猫がベッドに入ってきたこと、それだけです。

それだけなのに、詩ができてしまうから不思議です。

西脇順三郎の本の中に書かれている詩論が、その解釈が、本から出て、田村さんの現実に沁みてきています。詩論とは何かというと、詩においては「かけはなれた関係として新しい関係となる」という有名な考え方です。

その考え方が現実に適応するかどうかを、田村さんは考えています。それで、知っている小説の内容に照らしてみたり、現実に行った床屋に応用できるかを考えてみたりしています。

このへんを読んでいると、なんだか田村さんは人間のようには思えず、芯の所から詩でできあがっているようにも感じられます。

詩が詩論を読み、その詩論が詩の生活に適応できるかと考えているようです。

でも結局は、現実は西脇さんの詩とは違って、「床屋には牛も坐っていそうもないしスマートな殺人もないだろう」ということなのですが、そりゃあそういうことになります。

なぜと言って、もし現実の床屋に牛が坐っていたら、西脇さんは詩論を書く意味がなくなってしまい、詩は詩の衝撃を失うことになるからです。

そんなこんなを考えていると、いったい詩として成り立つ奇妙な世界と、現実の奇妙でない世界と、いったいどちらが本来は奇妙なのかが、わからなくもなってきます。

少なくとも田村さんの中では、現実も詩の中の世界も、時に交じり合い、時に等価になっているようにも思われます。

だからなのでしょう。夜中に猫がベッドに入ってきただけなのに、「どこからか帰ってきた不定形の猫が/ぼくのベッドにもぐりこむ」ということになるのです。「どこからか」というのはどこでしょう。床屋に牛が坐っている世界から、のような気がします。

*

「田村隆一さんの詩を読む」5

きみと話がしたいのだ

木について
きみと話がしたい
それも大きな木について
話がしてみたい
(中略)

不定型の野原がひろがっていて
たった一本だけ大きな木が立っている
そんな木のことをきみと話したい
孤立してはいるが孤独ではない木
ぼくらの目には見えない深いところに
生の源泉があって
根は無数にわかれ原色にきらめく暗黒の世界から
乳白色の地下水をたえまなく吸いあげ
その大きな手で透明な樹液を養い
空と地を二等分に分割し
太陽と星と鳥と風を支配する大きな木
その木のことで
ぼくはきみと話がしたいのだ

どんなに孤独に見える孤独な木だって
人間の孤独とはまったく異質のものなのさ
たとえきみの目から水のようなものが流れたとしても
一本の木のように空と地を分割するわけにはいかないのだ

それで
ぼくは
きみと話がしたいのだ



「きみと話がしたいのだ」について 松下育男

人と話をする時には、さまざまな話題があるでしょうが、「木について/きみと話がしたい」なんて、まっすぐでさわやかな言葉を、ぼくは人から言われたことがありません。

恋愛についてでも、やっかいな仕事のことについてでも、目も当てられないような世界情勢や歴史についてでもなく、木の話がしたいなんて、もし人に言われたら、その途端に空を見上げて、ずっと先にある木の先端を見つめてしまうのではないかと思います。

「どんなに生きる場所が変ってもぼくの世界には/大きな木がある」と田村さんが言えば、なるほどそんなふうにも思えてくるから不思議です。毎夜、バーのカウンターでウィスキーのグラスを見つめている姿の中には、いつも一本の背の高い木が生えていたのか、と思われ、あるいは、書き上げてきた詩作品は、そのまま一本一本の木であったのかもしれません。

なぜと言ってこの木は、「孤立してはいるが孤独ではない木」であり、「生の源泉(略)をたえまなく吸いあげ」ており、「太陽と星と鳥と風を支配する大きな木」だというのですから、まさに田村さんの思考の木であり、詩作品の枝葉に違いありません。

「どんなに孤独に見える孤独な木だって/人間の孤独とはまったく異質のものなのさ」
と言われる時、まさに田村さんは自分の孤独を見つめているように思います。その孤独は、(普通の)人間の孤独とは異質だと言い募れば言い募るほど、実は普通の孤独であったのではないかと、思われます。それゆえに目からはありふれた「水のようなものが流れ」てしまうのです。

ありふれた孤独ほどに寂しいものはないと、ぼくは思うのです。だって、田村さんの涙だって人の涙であり、「それゆえに一本の木のように空と地を分割する」ことはできないのです。

でも、一方で、そんなことはないとも思えるのです。

田村さんの詩篇は、これまで多くの空と地を分割してきたではないかと、思うのです。

ですからもう一度繰り返したいと思います。

毎夜、バーのカウンターでウィスキーのグラスを見つめている姿の中には、いつも一本の背の高い木が生えていたのか、と思われ、あるいは、書き上げてきた詩作品は、そのまま一本一本の、孤立してはいるが孤独ではない木だったのだろう。

*

「田村隆一さんの詩を読む」6

祝婚歌
――釣谷一博の新婚を祝して

おまえたち
木になれるなら木になるべし

おまえたち
水になれるものなら水になるべし

おまえたち
人であるがゆえに
鳥のごとく歌うことなかるべし
虫のごとく地を這うことなかるべし

おのがじし
人は人によって生きるを得ず
ともに肩をたたき
ともに共和国をつくるを得ず

(中略)

ただし人の子が人になるためには
木のごとく
水のごとく
そして(ここが重要なのだが)
木にならず
水にならず
鳥にならず

言語によって共和国をつくらざるべからず
人よ人の子よ

ぼくをふくめておまえたちの前途を心から
祝福せん
されば



「祝婚歌」について   松下育男

ぼくは、いろんな詩人が書いた「祝婚歌」というタイトルの詩をいくつか知っています。ところで、それらが、どれも極上の詩にできあがっているのはなぜだろうと思うのです。それは、人を祝う、という晴れ晴れとした気持ちの向き方に拠るのではないか、あるいは、その詩を読んでもらう人の気持ちに沿って、喜んでもらえる詩を書きたいという素直な気持ちの故なのではないか、そんなことを考えます。

では、田村さんの祝婚歌はどうでしょう。田村隆一が書いた祝婚歌です、つまらないわけがありません。

この祝婚歌は、いきなり「おまえたち」なんて言っているのですから、偉そうです。でも、上司が上からものを言っているような「偉そう」ではなくて、どこかに照れをともなう「偉そう」に感じます。その偉そうな口調が、気持ちよくこちらに入ってきます。

さて、この祝婚歌がもし結婚式で読み上げられたら、途中で意味のわからない人もいるのではないでしょうか。というのも、いくつかの古い言い回しが入っているからです。

「おのがじし」というのは古語で、「各自それぞれ」とか「思い思いに」という意味です。でもここは、「それぞれに」なんて軟弱な日本語よりも、少し偉そうに「おのがじし」と言ってくれたほうがありがたみがあります。

次の行、「生きるを得ず」は「生きることができない」ということです。それで四連目は人とともに生きるな、と言っているようです。

途中の
「人の子は
母国語の海のなかを漂流しながら
ときによっては金色のウイスキーを飲み
ときによっては鳥のごとく歌うこともあるべし」
とあるのは、人の子、というよりも、田村さん自身のことを言っているようです。

そして最後に、この祝婚歌が何を言おうとしているかが、わかります。

「ただし人の子が人になるためには/木のごとく/水のごとく」なれと、言っていて、でも「木にならず/水にならず/鳥にならず」と言っています。

つまりは、自然物のようにおおらかでれ、でも自然物そのものではなく、その内奥には人の命を持つ、そのようであれ、と言っているのでしょうか。

おそらく、詩の途中で自分のことを書いているような部分があったように、この、「木のようであって、でも、木にはなるな、」というのは、田村さん自身の生き方、あるいは、そうありたいという姿なのかなとも思えます。

田村さんの祝婚歌は、ちっとも甘すぎない祝婚歌です。キリッとした日本語です。まずは言いたいことを言って、最後にきちんと納得させてくれます。

あくまでもあたたかで、ちょっと恥ずかしいから偉そうにしていて、そして他のどこにもない、ありがたい祝婚歌です。

*

「田村隆一さんの詩を読む」7



木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

(中略)
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光りのなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ



「木」について   松下育男

今回ぼくは、田村さんの詩をたくさん読んで、その中からぼくの好きな10篇をここに選んだのですが、「きみと話がしたいのだ」という詩では「木について/きみと話がしたい」と、木のことをまっすぐに書いていましたが、今日の詩も、まさに「木」です。

なるほど田村さんの詩の中には、というか、田村さんの中には、一本の木がすっくと生えているんだな、ということを感じてしまいます。

それで、この詩は「木は黙っているから好きだ」と、実にあっけらかんと「好きだ」と言っています。

田村さんの多くの詩に見られる暗喩どころか、なんの工夫もなしに、なんとも素直な表現に徹しています。

その工夫のなさがどうにも気持ちよく、あるいは、いつもの田村さんの、奥に多くのことがしまわれているような表現の中で、この詩は、ただ空に向かって立っている、まさに木のような詩です。

詩は逆説で書かれることの多い文学ですが、ここではそんなことも考えていません。
「木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ」
と、恐いほどそのまま愛を表明しています

これを、恋愛対象の人の比喩ではないかと勘ぐる人がいるかもしれませんが、そんなことはない、木はそのまま木なのだと思われ、そういった詩もありうるのだと教えてくれます。

「ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか」
といったん立ち止まって見ているのは、あまりにもあっけらかんと好きだと言ってしまったゆえなのかなとも思えます。

「愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない」
のところも、驚くほどに普通の理由が書かれていますし

「ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光りのなかで
目ざめている木はない」
のところも、あたり前といえばあたり前のことを書いています

そして最後に、
「木
ぼくはきみのことが大好きだ」
と、なんともシンプルな表現で終られてみれば、最後に残るのは、なるほど「木」という詩の「木」であり、余計な作為の枝も、飾り立てた比喩の葉もない木そのものの姿の木だったのだなと思われます。

そしてそれは、詩というものの、あらゆる大げさな振るまいや技巧を取り払った後の、裸の詩を見ているようで、そのことをぼくは、魂からじかに感じるのです。

*

「田村隆一さんの詩を読む」8

南半球からの手紙

詩人の吉増剛造君から
絵はがきがきた

(略)

ブラジル人の妻は一日に牛肉を四キロ喰べ
カーニバルには
そのエネルギーで一晩中サンバを踊りまくります
子どもが四人
ダリとピカソとミロとクレーという名前で
妻は毎年産むのです
ぼくたちは貧乏なのでアパートの南側にしか住めません
日本は秋ですか 秋風がなつかしい
サンバよりサンマが恋しい
こちらはやっと春めいてきました
ではお元気で

P・S じつは妻は猫でして。



「南半球からの手紙」について    松下育男

田村さんの多くの詩に見られるように、この詩も、日々のちょっとした出来事から詩が生まれています。

読んだ本の一節であったり、友人から聴いた言葉だったり、なにしろ田村さんにやってくるものは、そのまま極上の詩になってしまうようです。

この詩のきっかけは吉増剛造さんからの手紙です。

それでこの詩は、どんでん返しの詩になっています。ずっと読んでいて、「ブラジル人の妻は」と明確に書いてあるのですから、これはもう本当に吉増さんの奥さんのことだと思って読んでしまいます。

そうすると最後に、じつは妻とは猫のことだと種明かしがされていて、読む人はああそうだったかと、くすっと笑ってしまうようになっています。

途中までは罪のない嘘を書いているということになりますが、この詩は、吉増さんや吉増さんの詩を知っている人が読めば、さらに楽しめるのではないかと思います。

ぼくも吉増さんは子どもが四人もいるのか、と、まんまと騙されてしまいました。(名前が妙だと思いましたが。)

それはそうと、ふとぼくが思うのは、いったいこの詩の作者を田村さんだと考えてよいのだろうか、ということです。

なぜと言って、二連目からは吉増さんからの手紙の文面が書かれているからです。どこまで実際の手紙の文章と同じなのかはわかりませんが、もしも内容が同じなら、これはもうほぼ吉増さんが書いた、と言えるのではないかと思うのです。

まあ、田村さんと吉増さんという、なんとも豪華な二人が書いたと思えば、あるいは詩が面白ければ、作者がだれだろうと、どうでもよいかなとは思いますが。

*

「田村隆一さんの詩を読む」9

そして誰もいなくなった

一九四二年の秋あたりから
一人ずつ
一人ずつ
新宿の夜と霧の酒場から
男たちが
消えていった 三十人の
男たち まるでアガサ・クリスティの
探偵小説みたいに まるでマザーグースの
テン・リトル・ニガーズみたいに
一九四五年の敗戦の秋から冬にかけて
十人の男たちだけが
帰ってきた
(中略)

むろん
十人の男たちには
なんの分け前もなかった
精神的な負債と肉体的な傷痕が残っただけで
カストリを飲んだりシケモクを吸いながら
男たちは
親愛なるXにあてて
手紙を書いたのだ
無名にして共同なるものをめざして

その手紙は
いまでも残っている
「荒地詩集」一九五一年の
プロローグに



「そして誰もいなくなった」について  松下育男

男達が戦争に行くことによりひとりずつ酒場からいなくなった、という姿を、アガサ・クリスティの有名な推理小説「そして誰もいなくなった」に喩えて書いた詩です。

田村さんにしろ、北村(太郎)さんにしろ、英語の推理小説の翻訳をしていた関係で、この喩えは自然に出てきたもののようです。

現実に見聞きしたことを詩にする時に、まさにその人の詩の技量が試される、ということがあるように思います。

この詩はとても自然な口調で書かれていますが、その自然さの中に、時代の恐ろしさと、時代を共有した友に対する親密さとが込められており、ほとんど声を枯らした絶唱のように、ぼくには感じられます。

戦後の日本の詩を決定づけた「荒地詩集」と、そこに集まった詩人達の姿が、この詩の奥にくっきりと見えてきます。

「精神的な負債と肉体的な傷痕が残った」、それぞれがひどく傷ついて日本に帰ってきた、それでも依然、若さの残る男達が、それぞれの腕っ節で、日本の詩の行く末を定めようとしたそのことを、思いやることができます。

特異な想像力を駆使することなく、難解な暗喩を多用することなく、書くべきことがその鮮やかな抒情のままにこうして書かれた詩を読む時、田村さんが、どのようなタイプの詩をも見事に書く事ができたことを思い、時代と詩人の運命的な出会いの意味を、再び深く受け止めることになります。

*

「田村隆一さんの詩を読む」10

1999

蟻の話をどこかで聞いた
蟻は働き者の象徴だと思いこんでいたのに
それがまったく違うのだ

たとえば
餌をせっせと運んでいるのは
十匹のうち
たった一匹
あとの九匹は前後左右をウロウロしているだけ
さも忙しそうに
活力にあふれて
怠けているんだって

ぼくも蟻になりたくなった
九匹の蟻の仲間に入って
ときどき
観念的な叫び声をあげればいい

(中略)

「1999」

という詩集が出してみたい
もしそれまでに生きていられたら
たっぷり十八年間 ぼくは

蟻のように眠っていて
黙々と餌を運びつづける一匹の蟻の
精神異常の診断書を書いてみたい

今日の仕事はこれで終り
では
おやすみ



「1999」について    松下育男

怠けて生きたい、という詩です。

ぼくは田村さんの実際の生活のことは知りませんが、そして、多くの詩を書き、翻訳をしていたことだけは知っていますが、映像として印象に残っているのは、テレビで観たウィスキーのコマーシャルです。

なんだかあれを観ていると、ウィスキーをちびりちびり呑みながら、酔いに漂っているようで、また、詩の中でもしょっちゅうウィスキーを呑んでいるところが書かれていて、どうしても酔ってうつろな目をしているところを思い浮かべてしまうのです。

ですからこうして、怠けて生きたい、というような内容の詩を読むと、田村さんならそう思うだろうな、という、どこかゆったりと許せる気がしてしまうのです。

この詩は蟻を喩えに書いていますが、怠けている蟻のことを書いているところで「ときどき/観念的な叫び声をあげればいい」なんて、まさに田村さんのことではないかと、笑ってしまいます。

タイトルの1999というのは、1999年のことで、20世紀最後の年を表しているのでしょう。確かに20世紀を生きていた時には、いつか1999年が来るのだなと思いはするものの、21世紀に自分が生きているなんて、どうしてもその世界と姿を想像できませんでした。それで21世紀になってしまえば、あたり前ではありますが、別に1999年と何が違うわけでもなく、相変わらず小さなことに悩んで暮しているのです。

話は逸れましたが、田村さんも1999年をどこか節目の年と考えていたようです。
「「1999」という詩集が出してみたい」とまで言っていますが、実際には出さなかったようです。「もしそれまでに生きていられたら」と書いていますが、残念ながら生きてはいられませんでした。

田村さんが亡くなったのは1998年8月、75歳の時でした。なんと、1999年の前年まで生きていた、ということで、どこか自分の寿命を予見していたようにも思えてしまうのです。

もし、もう一年生きていれば「1999」という名の詩集が出ていただろう、とぼくは思うのです。だって田村さんは、いくら酔っていても、言葉をいい加減に使うような人ではないのだから。

それで、田村さんの出なかった詩集を夢みながら、「田村隆一さんの詩を読む」は今日で終了です。

ああ楽しかった。

ありがとうございました。

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