映画『ハムネット』 ~ 印象的なラスト、観客全員が舞台のハムレットに手を捧げるシーンは長く記憶に残る名シーンとなるでしょう。舞台の「ハムレット」による浄化と慰撫に静かな感動を与えられました。
2020年に出版された、本日紹介する映画の原作、
マギー・オファーレル (1972-)/小竹由美子訳『ハムネット』(新潮社)
は、このブログ、2022年1月22日に紹介し、早々と「今年読んだベスト1作品候補」と書いています。
著者は、ケンブリッジ大学に学んでいた頃から、巷間、18歳で結婚したシェイクスピアが、8歳年上の悪妻から逃れるために、単身ロンドンに出て、舞台劇創作に打ち込んだ、と言われる悪妻説に疑問を感じていて(本当に悪妻ならば、果たして、晩年のシェイクスピアが、47歳で引退して故郷に帰って死ぬ51歳まで一家円満に暮らしたりするでしょうか。)、資料を猟補して、創作の準備をしていたそうです。
しかし、執筆を始めたのは、自分の息子が11才を過ぎてからで、この物語で、11才で死ぬハムネットのことが気になって書けなかったとか。
資料の無いシェイクスピアの20代と、その妻と家族の生活を、詳細な分析と創造で描ききった秀作です。まさに、映画化を待ちかねた作品です。
映画『ハムネット』
(2025/米・英/126分)を鑑賞しました。
映画冒頭に、この時代には「ハムネット」は「ハムレット」とも呼ばれたと出ます。
原作の小説は、過去と現在、あっちに飛びこっちに飛びした非凡な構成と、人物像、心象風景の繊細な描写と2つの出来事を交互に積み重ねてゆく迫力の筆致で読ませましたが、映画は、暦年にそって淡々と物語が進む中で、あくまで小説を読み込んだ俳優の演技で魅せます。脚本と監督の見事な手腕を見せられ、映画の価値を再認識しました。
11歳の息子ハムネットを喪って、人生の「路を見失って、迷子に」なっていたシェイクスピア夫婦の深い哀しみ。いつもハムネットを想い、一家のそれぞれがハムネットの面影を常に引きずって生きています。
妻のアグネスは、継母・ジョーンと折り合い悪くも、薬草の知識を持って人を助けたり、養蜂、鷹匠(アグネスの飼うのは、鷹では無く、チョウゲンボウですが)の技術を持った一角の女性で、自活でき、財産もあり、繊細だが、自立心旺盛な女性で、才ある夫を創作にうちこませます。それに、ある種の予知の能力も持っています。
映画では、アングロ・サクソン・イングランドに伝わる頭韻を踏んだ呪文である九つの薬草の呪文が繰り返し引用されて印象に残ります。
やはり、妻アグネス(実名は、アン・ハサウエイ)役の、ジェシー・バックリーの演技が素晴らしい。
女性監督のせいもあってか二度の出産シーンのリアルさや、アグネスの死で顎がはずれんばかりの慟哭の表情、そして、ラストシーンでは、泣かせるような演技ではなく、静かに心に伝わる感動の演技です。アカデミー賞主演女優賞を受賞しています。
小説以上に気づいたのは、継母・ジョーン。役のジャスティン・ミッテェルが巧い。
何よりも、1596年8月11日に葬られた11歳の息子ハムネット・シェイクスピア役の、ジャコビ・ジュプは、子役とは言えない名演でした。
ウイリアム・シェイクスピア(1564-1616)役の、ポール・メスカルも陰影のある名演でした。
舞台の「ハムレット」(1601年頃)でのハムレット役は、ノア・ジュプ。ハムネット役の実兄で、似ているわけです。
息子の死後、ロンドンでの仕事に向かう夫をアグネスは、憎みます。
4年後のある日、妻は、持ち込まれたロンドンの夫の芝居のチラシに死んだ息子の名を見ます。なぜ、死んだ息子の名を遣うのか、これだけ苦しんでいる私に相談も無く・・・、
打ちひしがれたアグネスですが、周囲の猛反対にもかかわらず、ロンドンに芝居を見に行く決断をします。
不潔な街。ロンドンの夫の屋根裏部屋の下宿は、修道士の部屋のように質素。夫を探して劇場に向かいます。
舞台で、アグネスは、我が子の苦しみを代わりに自分が引き受けた芝居「ハムレット」の中にハムネットを見たのです。
舞台のハムレットに手を捧げるアグネス。会場の皆も同じようにします。巧い、考え抜かれた演出です。このシーンは長く記憶に残るでしょう。
「おれは死ぬ おまえは生きろ・・・つらいこの世を生きて 俺の話を語り伝えてくれ」
(「ハムレット第5幕第2場)。
舞台の夫と、客席の妻と目があいます。
当初考えていたような、小説のような、長く、哀しい描写と、その後の怒濤のような涙の感動に雪崩れ込むのでは無く、映画では、(泣く人は泣いてもいいが)静かに胸に刺さる様な感動です。終映後部屋を出る観客が醸す雰囲気は、いつもと違いました。脚本と演出の勝利!
素晴らしい感動体験。
夫婦と家庭の溝を夫の舞台劇「ハムレット」が埋める、夫婦の再生の物語です。
映画は、スティーブン・スピルバーグも製作に加わって、
「ノマドランンド」でアカデミー賞を受けた、クロエ・ジャオ(1982-)が監督しています。 脚本は、クロエ・ジャオに、原作者のマギー・オファーレルも加わっています。
音楽は、マックス・リヒター
撮影は、ウカシュ・ジャル
この時代のシェクスピア劇は、この様に演じられたのですか。
最後に余談。この映画と同じ時代、日本では、豊臣秀吉が死んで、実質徳川家康の時代に移り変わる、日本中世から近代に入る、不安と絶望の時代です。能だけでは無くて、「ややこ踊」「歌舞妓踊」の出雲のお国などや「浄瑠璃繰り」など様々な芸能が、三味線と結合して生まれて、しかも江戸に下って行った時代でもあります。
シェイクスピアと歌舞伎。まこと舞台芸術の発展は素晴らしい。
今週は、オペラ「ルル」にも行く予定です。★
4月17日(金)18時から、初台(新宿の先)の新国立劇場オペラパレスで、超難解と言われる、
アルバン・ベルク作曲・台本『ルル』
を観劇しました。終演後は、ホテルに宿泊しました。
席は、S席前から3列目です。
ところで、泊まったホテルは、新宿のワシントンホテル本館でしたが、行き交う、あるいは朝食ビュッフェの客の、そして従業員も大半は外国人(従業員はアジア系)。ビュッフェのレストラン入り口で、ツーとかワンとか聞いているので、あえて日本語で「ひとり」と言いました。
二期会のオペラ公演も、上野の文化会館が工事で、新国立劇場での公演が多くなりそうですが、ここは席は観やすいのですが、字幕が天井近くで、前列だと見にくいったらありません。特に、今回の公演の様な希有の公演で、字幕に頼る公演は困りものです。9月からの来シーズンのチケットはもう買ってしまいましたが、不便な立地だし(泊まらなくていいように、全部マチネ、昼の部にしました)、困ったもんだ。
さて、オペラの話。
オペラ自体は未完で、今回は、珍しく、作者自身が完成させた(1929-1935)2幕版での公演で、現在主流になっているフリードリヒ・ツェルハによる第3幕を補筆(1979年初演)した完成版公演ではありません。そのぶん、見る側の解釈の余地が大きくなります。
すでに、原作は読了して、
フランク・ヴェデキント『地霊・パンドラの箱 ルル二部作』(岩波文庫)
については、1月12日に記事をアップしています。
指揮は、オスカー・ヨッケル (1966-・ドイツ南部レーゲンスブルグ生まれ)
=東京フィルハーモニー交響楽団
演出は、カロリーネ・グルーパー
(大編成の楽曲なので、オーケストラ・ピットに楽器がぎっしりで、床の歩くところにテープで矢印が張ってありました)
原作者の意図は・・、
18世紀の泡沫会社(バブル会社)時代、ウィルヘルム時代を背景に考えれば、男が勝手に投影、願望する女性像の思い違いを破壊する女、なお、男たちは、ルルと呼ぶのはシゴルヒだけで、他の男は、ネリー、ヘレーナ、ナターリエなどと呼びます。
さらには、精神や知性の名で美化されているものの虚偽を暴き、既成の社会機構や社会秩序の根底をゆさぶる作品、性道徳へのの挑戦を通じて社会変革を狙った作品、
・・と解釈するのが妥当でしょう。これを圧縮して舞台化すれば、どうしても表面的には、死屍累々、猥褻的な会話になるのは、やむを得ないでしょう。
しかし、今回のオペラ演出は、女性目線の解釈も出来ます。
宿命の女(ファムファタール)、妖婦(ヴァムプ)では無く、まさに、「#METOO」の趣で、 ルルの内面の感情と純粋な魂を描き(ダンサーがそれを表現します)、そのルルを弄ぼうと関わった男たちの「罪」と自らの破滅を感じるのではないでしょうか。
ですから、舞台を観るには、予習が欠かせない由縁です。
歌手陣は・・、
なお、男性陣で死ぬ役は、以下、( )で顛末を書いておきました。
ルル:冨平安希子
新聞編集長シェーン博士(愛人・再々婚・殺害):大沼徹
医事顧問ゴル(夫・ショック死):峰茂樹
画家シュヴァルツ(再婚・自殺):大川信之
ルルの父?シゴルヒ:狩野賢一
猛獣使い・力芸人:北川辰彦
劇場の衣装係・ギムナジウムの学生:郷家暁子
シェーンの息子アルヴァ:山本耕平
同性愛者ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:川合ひとみ
侯爵・従僕:高柳圭
劇場支配人:金子宏
ソロダンサー:中村蓉
(ルルの純粋な魂を体現します)
ダンサーは、本編では、もっと目立つのかと思っていましたが、あまり目立たず、なにかオドオド萎縮した感じですが、ラスト、ルルと一体化しようとする舞踏は、迫力があって素晴らしい。今日、一番印象に残りました。
振付:中村蓉
装置:ロイ・スパーン(2023年に亡くなりました)
衣装:メヒトルト・ザイペル
映像:上田大樹
照明:喜多村貴
ところで、いつもながらですが、今回もパンフレット(1000円)は、出来が素晴らしい。
長木誠司「『ルル』の初演」、木内宏昌「「忘れないで!」はルルの声か」、金関猛「フロイトと精神分析」、さらには、鳥居徳敏「未完の聖堂「サグラダ・ファミリア」本年6月中央大塔完成」、勿論、江藤光紀「作品解説」と安良岡章夫「『ルル』ベルクの作曲技法と作劇法の独自性」は言うまでもありません。
木内氏文の、「ルル」を翻案した前衛劇、1986年の「わすれな草」を知って驚いています。
また、金関氏文をもっと早く読み、フロイトを研究していれば、今回のオペラの「ルル」について、この時代の女性の精神解釈が深い物になっていたのでは無いかと思って、少し、フロイトを囓ってみようと思っています。
難解ですが、現代音楽といっても違和感の無い、しかし、普通のオペラの感動!というものとは違いますが、心に突き刺さった様な気持ちで、何か納得してホールを後にしました。★
テレビ(BS)で、たまさか、1992年の古谷一行主演と2002年中村雅俊主演の、
松本清張原作のサスペンス・ドラマ「たづたづし」を観ていて(因みに、前者の筋の方が気にいりました)、
この題名は、「万葉集」からとったものだと知って、早速、書棚に行って探しました。
ありました。
五巻本の、『万葉集 三』(新潮日本古典集成)、巻第11の2490の「寄物陳思」【物に寄せて想いを陳べる歌】にある歌、
「天雲(あまくも)に 翼(はね)打ちつけて 飛ぶ鶴(たづ)の たづたづしかも 君しいまさねば」
(訳:天雲に翼を打ちつけて鶴が飛んでいる、ああ、たどたどしく【不安で心もとない】心細くて仕方がない、あの方がおいでにならないので。)
でした。
その本を引き出す時に、ぽろり、と落ちた本がありました。
山口桂三郎 『改訂 浮世絵概論』(言論社)
で、1978年刊行、定価2000円を古書市で500円で買った本でした。読んだ覚えもありますが、うろ覚えで、もう一度読みたくなりました。
著者は、1928-2012年の美術史家で、日本浮世絵協会の設立や国際浮世絵学会の会長を勤めた碩学で、本書は、大学の教科書風の140頁の書物です。
書棚で、さらに、視野に入ったのが、分厚い、
渡辺保 『江戸演劇史 上下』(講談社)
で、文楽公演に通っていた時に読んだ本です。これもきちんと読みたくなりました。
このところ、西洋中世の書を読んでいますが、どうも、「1600年」前後の数字に目が止まり、日本の中世から近世初期の時代をもう一度辿って見たくなったのです。読書は、問題意識があるときに読むと頭に残りますが、単に「読書」の時はそれほどではありません。
前者の「浮世絵概論」には、最初、狩野派の室町時代の記述がありますが、これも、
『室町時代の狩野派』
という、京都国立博物館の図録を、これまた古書市で600円で買った大判260頁の図版を書棚で見つけました。買ってあってまだ読んでいません。
と、言うことで、今回は、少し勉強してみました。
折角ですから、メモをとり、そのエッセンスをこのブログで“お裾分け”しようとアップします。お暇なおりにお目通しいただければ幸いです。
豊臣秀吉の死(慶長3年(1598))、関ヶ原の合戦(慶長5年(1600))、大坂冬の陣(慶長19年(1614))、夏の陣(元和元年(1615))を経て、徳川家康の時代に移り変わる、日本中世から近代に入る、不安と絶望の時代から記述されます。
能を基盤に、「ややこ踊」から「歌舞妓踊」(まだ当時は、妓であり伎ではありません)の出雲のお国(14歳。慶長5年(1600)京の近衛信伊【のぶただ】の屋敷に初お目見え)や「浄瑠璃繰り」など様々な芸能が、三味線(中国の三弦が琉球に渡来して蛇皮線【じゃひせん】となり堺に伝わった。それを改良して、慶長2年(1597)に秀吉の命で神田治光が作った)と、また遊女屋と結合して生まれます。
女歌舞伎・遊女歌舞伎は江戸(まずは、中橋南地【日本橋と京橋の中間】の猿若座。猿若勘三郎の三代目から中村姓を名乗る。猿若は、出雲のお国の出しもの役名)に下って行きます。京橋は元和3年(1617)に元吉原が公許されています。
能も、天正14年(1586)和泉国堺に目医者の子として生まれた、反骨・剛直の士である北七大夫による喜多流が生まれ、演じる時間が伸びるなど革新され、秀吉以来の大和四座から観世・宝生・金春・金剛に喜多が加わった五座になります。室町時代の勧進能の舞台は円形でしたが、やがて屋内で演じられるようになると四角の舞台になりました。
能楽は、五代将軍綱吉の時代に、古典復帰や私的な「廊下番」を作り、独裁的に能楽界を翻弄・撹乱し、古典演劇化は戻ることはありませんでした。江戸の猿若彦作座、猿若座(寛永元年(1624)。後の中村座)、さらに京から村山座(寛永11年(1624)。後の市村座。後、彦作座吸収)が下ります。
このほか、木挽町に、山村座(寛永19年(1643))、森田座(万治3年(1660))、都伝内座があった。村山座の村山左近は、猿楽座、さらに彦作座(慶安2年(1649)に下った弟子右近源左衛門とともに、女形の祖と言われました。
これらの座は、中町から、禰宜町移転(寛永9年(1632))、堺町移転(慶安4年(1651)。なお、同年元吉原が浅草の果ての新吉原に移転)、さらに、女歌舞伎(女芸人)上演禁止(寛永6年(1629))、男女一座禁止(寛永7年)、女形禁止(寛永18年(1641))、由井正雪の乱の浪人対策で若衆歌舞伎の禁(慶安4年が最初)など激動が続きます。
因みに、北条家の浪人・庄司甚右衛門が、家康の認可を受けて私娼地から遊女を集めて江戸町一丁目・二丁目・京町・角町・新町に造ったのが「葭原(よしわら)」で元吉原、明暦の大火後移転したのが千束村の新吉原。
なお、江戸文化は明暦の大火後に江戸風として、それ以前の京阪手本から脱しました。
一方では、勘三郎(39歳)は、寛永12年(1635)、幕府の大船安宅丸入港式典での船頭の音頭をとる功が認められて、幕府の黒白の御用幕を賜りました。勘三郎は、これに柿色を加えて中村座の定式幕にしました。
踊り中心の一幕物(「放れ狂言」)から、多幕物の「続き狂言」が生まれ、大道具も考案され出しはじめました。出雲のお国の「能写し」や勘三郎・右近源左衛門の「狂言写し」から浄瑠璃の持つ長い物語が導入されていきました。承応3年(1654)、市村座の「今川忍び車」は、大芝居への転換となった出し物です。
人形繰り、古浄瑠璃(竹本義太夫以前の浄瑠璃)では、滝野勾当(盲人の官位で、検校⇒勾当⇒座頭)に学んだ、京の杉山七郞左衛門(丹後掾となる)と、泉州出身の薩摩浄雲の二人が江戸へ下り、前者は京風の、後者は豪宕【ごうとう】な芸風でした。前者は、京風を好む後水尾院の好むところで受領しました。
浄雲は、薩摩外記太夫(外記節)・大薩摩主膳太夫(大薩摩節)に、また、伊勢島宮内【嘉太夫節に連なります】、桜井和泉太夫(金平浄瑠璃)、薩摩長門掾、山本角太夫(相模節)、虎屋源太夫、伊藤出羽掾【数代後に常磐津節・冨本節・清元節・新内節・薗八節に連なります】という驚くべき系譜に連なり、さらに、後に、上方を圧倒して井上播磨掾(播磨節)から新浄瑠璃の竹本義太夫(筑後掾)に繋がる大山脈となります。
京では橋本金作事件で8年間の上演禁止(寛文8年(1668)まで)は、特に、江戸下向を高めましたが、江戸でも、明暦の大火で被害が甚大でした(承応3年(1654)・明暦3年(1657))。
貞享元年(1684)、大坂道頓堀に西国を巡っていた、宇治加賀掾の弟子だった竹本義太夫の竹本座が開場しました。井上播磨掾の高弟清水理兵衛(料理屋)から播磨風を学んだ天王寺村の百姓だった。
貞享2年(1685)から元禄6年(1693)まで、承応2年(1653)越前に生まれた近松門左衛門(1653-1725)が浄瑠璃を書き続けます。(後述のとおり、元禄6年から16年、京の坂田藤十郎のために戯曲を書きます。)
京では宇治加賀掾が全盛、大坂では山本角太夫、江戸では桜井和泉太夫(金平浄瑠璃)が盛んでした。宇治加賀掾座に3本の浄瑠璃を提供したのが、近松門左衛門でした。京都の宇治座で、近松の「西行物語」を語った宇治加賀掾のワキ語りが天王寺五郎兵衛(清水理太夫、後の竹本義太夫)でした。
歌舞伎では、寛文・延宝(四代将軍家綱)・天和(五代将軍綱吉=能好き))・貞享(4年間)の30年、そして燦然と輝く元禄16年間、その後の宝永(7年間)、の歌舞伎。大坂の初代嵐三右衛門の後輩、京の山下半左衛門・坂田藤十郎、大坂の大和屋甚兵衛、二代目嵐三右衛門、江戸の宮崎伝吉・中村七三郞の「立役」「やつし事」「六法」が隆盛します。
元禄歌舞伎の中核をなしたのが、東の中村七三郞・初代市川団十郎(万能丸【ばんのうがん=どんな役もこなす】・中村伝九郞、西の坂田藤十郎(濡れの芸)・山下半左衛門(やつし芸)・大和屋甚兵衛(六法・拍子事・ふり事)、女形では、荻野左馬之丞・水木辰之助・袖崎歌流・京の芳沢あやめの四人。
歌舞伎は、芸の精錬、舞踏との共存、幻想への飛躍、と今日の歌舞伎の基礎が出来ました。公認の劇場は、京都3座、大坂4座、江戸4座です。浮世絵の役者絵も、鳥居派(鳥居清元の子・清信は「大和絵師」と肩書き)として現在に至るまで画脈を保っています。対して安度は「日本戯画」と肩書きして「懐月堂」一派でした。宮川長春、英一蝶もいます。
なお、元禄・宝永・正徳(六代将軍家宣)年間は、能楽の黄金期でもありました。
近松門左衛門は、宝永2年(1705)、53歳で、大坂に住居を移して浄瑠璃の執筆に専念する、竹本座の座付き作者になる前の12年間に、京で35本の歌舞伎狂言を書き、ほとんどが坂田藤十郎にアテたもので、この間に戯曲の腕を磨きました。この間、浄瑠璃作品は、11本でした。この後、近松の黄金期が訪れます。
近松53歳、義太夫55歳。近松黄金期の転機となった作品が「曾根崎心中」。元禄16年4月の事件を即、浄瑠璃化したものです。歌舞伎にあって浄瑠璃に無かった市井の事件を扱った世話浄瑠璃です。大当たり。これ以降、近松は、矢継ぎ早に24編の世話浄瑠璃を書いて行きます。
大当たりで、竹本座開業以来19年にして経営が安定し、宝永2年に竹本筑後掾(義太夫)は初代竹田出雲に座元を譲っています。
元禄16年(1703)7月には、道頓堀の東に「豊竹(若太夫)座」が開場し、心中物「心中泪の玉井」を演じました。作者は、紀海音、41歳。若太夫は、22歳で美声・艶治(えんや)な芸風、元禄11年(1698)18歳の時に義太夫の弟子として、竹本采女(うねめ)の名で初舞台を踏みました。豊竹座は経営が行き詰まり竹田出雲に売却、竹本座に戻って2年演ずるなどした後、宝永4年(1707)紀海音を座付き作者に迎えて再起し、その後21年間、東西の座での浄瑠璃全盛期を迎えます。
西の竹本座、東の豊竹座は、近松門左衛門(構想雄大・ドラマ性・文章の深さ・人間性の深さ)と紀海音(硬派・舞台の視覚効果・後世の歌舞伎の原点となる展開)、二代目竹本義太夫(後の上総少掾から播磨少掾)と豊竹若太夫(後の上野少掾から越前少掾)の西風と東風の曲節の違い、などを元に切磋琢磨し、今日までの文楽を築きました。
一方、この時代の歌舞伎は、近松門左衛門・紀海音作品を取り入れるなどしましたが、作品主体に移行できず、浄瑠璃に遅れ気味となりました。
元禄14年(1701)浅野内匠頭刃傷事件、翌15年本所吉良邸討ち入り、16年赤穂浪士切腹、同年江戸大地震で江戸4座延焼、と続く18世紀初め、元禄16年(1704)、再興なった市村座で2月19日団十郎が芝居「移徒(わたまし)十二段」上演中に一座の脇役(「内証の世話係」【楽屋頭取】も兼ねていたとか)生島半六に刺殺されました。原因は不明。
なお、この2年後、生島大吉が密通事件を、さらに8年後、兄の生島新五郎(山村座役者)が、江戸城大奥総取締江島と関係した「江島生島事件」を起こしています。大吉は新五郎の実弟です。
ここまでが、主要なトピックとなり、長くなりますので、一応、ここで筆を置きます。★
写真では、あまり色が良く出ていませんが、今年、我家の車庫脇のツツジが、手入れもしていないのに見事に満開。
妻は、このところの風で落ちて、近所まで飛んで行った花びらを朝夕集めています。
久しぶりに現代小説を読みました。2026年の本屋大賞にノミネートされ、ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR2025小説部門第1位となった、
村田由佳 『PRIZE(プライズ)』(文藝春秋)
です。
久しぶりの現代小説は、昔、熱中した白石一文作品と同じように、服のブランドや高級な料理・飲物等の名称が頻出して、この様な書き方は懐かしい。
PRIZE(プライズ)とは、「賞」、ここでは「直木賞」を指しています。
主人公・天羽(あもう)カイン(本名・天野佳代子)は、ライトノベル作家の登竜門であるサザンクロス新人賞で最優秀賞と読者賞をダブル受賞し、3年後に書いた一般小説では本屋大賞を受賞しています。以来、ベストセラー作家で、ドラマ化・映画化された作品も多数あって、ここ数年は、名だたる文学賞にノミネートされるようになりましたが、毎回、もう一歩で受賞出来ない「無冠の帝王」と言われるようになっています。
本人は、特に、過去にも2度最終候補になった、「直木賞」の受賞を渇望しています。今回、候補になった作品は、「テセウスは歌う」。
この作家に必死に伴走するのが、「南十字書房」の担当編集者・緒沢千紘(おざわいひろ)です。
この作家と担当編集者の関わり合いは、作家で無いと書けないリアルさがありますが、最近は、『波』の筒井康隆のエッセイなどで想像出来るようになりましたし、社内の権力関係や嫉妬は、会社の人間関係としてどこにもあることで(カインの軽井沢の使用人のサカキへの仕打ちなどは呆れましたが)、特段、目新しくはありません。
文学賞の選考過程も、だいたい知られて来ましたが、行間からは微妙な配慮なども想像出来ます。
受賞を渇望していても、不正で受賞するのは無理ですから、次への展開に新味が無く、平凡で、本人の愚痴や当たり散らし、揚げ足とりの喧嘩ばかりになって、読んでいてちょっと辟易してきます。
もっと深いやりきれなさ、を描けないものでしょうか。
また、読者の反響板の様な人物を登場させられないのでしょうか。
こんな喧嘩なんぞ、どこにもあるし、我々も経験ある様な喧嘩ですし。
それに、作中作が、文学性が低く、あまり良い出来の作品とは思えないので、この作品も巡っての受賞レースが、読んでいて腑に落ちません。
さすが!と唸るような作中作であってほしかった。
作中の文学賞選考会の作品評価の「〇 △ ×」を借りると、筆者には、この作品は、×だと思いました。厳しすぎるかな・・。
どこにでもある人間とその世界なので、文学関係・出版関係で、はじめて知る驚きや知識が無いのです。発表の「待ち会」の雰囲気は、面白かったですが。
小説と現実を混同して読んでいるかな?
しかし、ラストの3、40頁は、特に、「足がもつれて共倒れ」以降の展開は、面白く、しかも、後味の良い終わり方でした。市之丞隆志「戦慄のカルナヴァル」に受賞させる様な、安易な終わり方でなくて安堵しました。
最後に、今、引き続いて読んでいる『江戸演劇史 上』は、一代目の死で苦労して這い上がった二代目市川団十郎の成功と死、義太夫の死、近松と紀海音の死から読んでいます。
また、前回、書棚にあった浮世絵の本を再読した話をしましたが、よく見ると、これ以外にも幾冊かありました。
辻惟雄 『江戸の浮世絵』(東京美術)
またまた、古書市で買った(3000⇒1050円)、
服部幸雄 『江戸の芝居絵を読む』(講談社)
を持って来ました。
新刊も、澤田瞳子作品など二冊優先して読んでいます。
混雑するゴールデン・ウイークは外出せずに読書し、終わってから、ワイエスの美術展と、リニューアルした江戸東京博物館などに行こうと思って、レストランの予約などはしました。★










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