子守唄
https://youtu.be/F9kWRpPy1ic?si=huqvxl99RL6zNVCN
A La Claire Fontaine - The Painted Veil (With Subtitles) youtu.be/F9kWRpPy1ic?si…
『急に具合が悪くなる』でソフィーが歌った。
蓮實重彦が新潮10月号で言及。
https://x.com/fukuko2025/status/2104857072324231280?s=46
23750
https://iitomo2010.blogspot.com/2026/09/soudainsrt.html
https://vimeo.com/1222239303/f235fb3acc
https://youtu.be/t4CKxbdALCY?si=Uf263Q5gWXyZJXnx
UDCastというアプリに対応している劇場では視覚聴覚障害者用に自分のスマホで字幕を読めたり、音声ガイドをイヤホンに流したりするサービスがあります。基本的にこの映画は最初の20分がフランス語で全体的に3分2がフランス語ですが、要所要所エモーショナルな場面は日本語会話なので字幕なしでも楽しめると思います。とにかく劇場で観るべき映画です。音声ガイドを選ぶと日本語吹替が聞けます。
https://x.com/fukuko2025/status/2089976910164206026?s=61
『急に具合が悪くなる』。対話主義的な知性に満ちた傑作。鳥のフンを寓話的に使うところなどはさすが。ラストの足裏マッサージのシーンが突出して素晴らしい。逆に言うとそこだけしか記憶に残らない。『生きる』みたいに主人公を早めに殺して追悼公演にした方が良かったと思うが散骨シーンは良い。
ワイズ漫画みたいな導入。
細かいが、フリッツ・ラング譲りのホワイトボードシーンでの「失われた30年は次世代へのツケ」とかは意味不明。デモクラシー、キャピタリズム、ネイチャーという断面図において『生きる』が批判した官僚制はデモクラシーに対応し、「失われた30年」は官僚制に起因する。
絶対的剰余価値の絶対化は不毛。
資本主義の本質は労働者の集合力の余剰が搾取されることだ。
中庭における集団足裏マッサージシーン(砂連尾理じゃれおおさむ監修)はクオリティオブライフに直結し集合力つまり相対的剰余価値を象徴する。
中庭は共有地ではあるがあくまで城壁に囲まれた私有地であり、日本の縁側の方が優れている。
もう少し『生きる』との比較を考えてみる。
『生きる』の通夜のシーンが素晴らしいアソシエーションの予感を感じさせるのは、中心となる主人公が死んで不在だからだ。
セミラティスは複数の中心と記述されるが、結局強い中心は相互的な様々な線をかき消してしまう。
太陽の光が夜の星を隠すようなものだ。アマテラスが隠れてはじめて下々は宴会が開ける。
『生きる』の主人公は公園というインフラを作った。映画は中庭や劇場という社会的インフラが土台にあり、それらを作った人が土台にいる。
ツリー構造とセミラティス構造
https://note.com/shosho2020/n/ndc93aa5bdc58

主人公がホワイトボードで説明しなければならないのはこの図だ。
権力は人々の横のつながりの分断が本質だからだ。
『急に』のラスト、民間企業という設定にも関わらず官僚の評価を仰ぐシーンで終わる。
これは作劇上の綾のようなものだが、日本もフランスも官僚国家であることは追記しておきたい。
(プロセスを重視した)方法論の開示を信条としている監督のインタビューを読むとそうした問題は織り込み済みだと思うが、『生きる』を見ている観客には自明である。
『悪は存在しない』は『デルスウザーラ』につながるし、今作の自閉症役の見事な演技は『七人の侍』の菊千代を思い出させる。
アソシエーションの視覚化は難しい。
サッカーにごく稀に現れる。
https://x.com/fukuko2025/status/2071626672252797332?s=61
« 共産主義は、ウェンブリー・スタジアムで、ハンガリーのホンヴェード・ブダペストがハンガリーを6-3(原文ママ)で破った時、二度、45分間存在した。イギリス人は個人プレーし、ハンガリー人はチームプレーした » ゴダール
cf.
1953 England v Hungary digest
自分はかつてNPOで地域通貨体験ワークショップをよく開催していた。これはアソシエーションの体感を目的とするものだ。
(古代イスラエル人が広めた信用経済においては無産者同士が相互に口座を持つことが出来る。)
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アソシエーションは官僚制の外にある。プルードンは各人が会計能力を持つべきと言った。
オーケストラでは以下
シーズン3 2013
スコラ 坂本龍一 音楽の学校 「オーケストラ」(1)
| オーケストラ[4] | 浅田彰 小沼純一 大友良英 ほか | 坂本龍一 広島交響楽団(指揮 松浦修) ほか | 「オーケストラ」(1) | 2013年3月15日 |
坂本龍一 音楽の学校 commmons: schola NHK教育番組
2
https://www.bilibili.com/video/BV1YM411M79h?spm_id_from=333.788.videopod.episodes&p=24
3,4 commmons schola: Live on Television vol.2 Ryuichi Sakamoto Selections: schola TV(Blu-ray)
坂本龍一スコラ 坂本龍一 音楽の学校 オーケストラ編第1回 - tyunne’s blog
https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201303152300001303100
https://tyunne.hatenablog.com/entry/2013/03/17/000000
スコラ 坂本龍一 音楽の学校 オーケストラ編第1回

今回からオーケストラ編が始まりました。正直言って自分には馴染みのない音楽なので、どのくらい興味が惹かれるかは未知数ですが、「集団」として捉えるとまた違った見え方がしてきます。
ワークショップで物理的な楽器の配置を変える試みをやっていたのは面白かったですね。いつもは整然と並んでいる配置を逆にしてみたり自由にバラバラにしてみたりと、考えもつかないことを実際にやっていましたが、それによって当然音は変わる。楽器の音の大きさや観客との距離によって配置されているものを解体再構築するなんてことは通常ではあり得ないだろうと思うんですが、変にルールにとらわれることなく実行してみる様が痛快でした。
歴史については、元々オペラの伴奏だったという話が未知のものでした。楽団が主役になっていったのはハイドンやモーツァルト以降なんですね。
オーケストラと聞いてどういった内容にするのかと思っていましたが、集団の捉え方や社会の歴史との関連性から迫っていくアプローチをとるというところがやはりこの番組特有の観点だなあ、と感じた30分でした。
NHK Eテレ『スコラ坂本龍一 音楽の学校』 3/15からは「オーケストラ編」、16日には特別講座も放送 - amass
NHK Eテレで好評放送中の『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』のシーズン3。3月15日(金)からは3週にわたって「オーケストラ編」を放送。「市民」の成立と時を同じくして発展をとげてきたオーケストラ。バロック期から、古典派を経て、20世紀にいたるその歴史と役割を様々な角度から検証していきます。
第1回となる15日(金)のテーマは「オーケストラの起源とその成立」。古代ギリシャからルネサンスを経て、バッハやハイドンらが、その形態を確立していく経過を学びます。ワークショップでは、高校生のオーケストラが通常とまったく異なるオーケストラの配置での演奏に挑戦。標準的な配置の合理性と、異なる配置の可能性を探ります。番組最後の演奏では、ベートーヴェンの「交響曲 第3番“英雄”」を紹介します。
また16日(土)には、広島交響楽団と共に行ったコンサートから“スコラ流・オーケストラの楽しみ方”を「特別講座」として放送。バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ドビュッシー…各時代を代表する名曲のハイライトを聴きながら、「作曲家はどんな考え方で曲を作るのか?」など、坂本龍一が作曲家ならではの視点でオーケストラの楽しみ方を解説。また、番組後半では坂本自身の作品もオンエアされる予定です。
●『スコラ 坂本龍一 音楽の学校 “オーケストラ”(1)』
NHK Eテレ 3月15日(金)後11:00〜11:30
(再)Eテレ 3月21日(木)前0:30〜1:00 (20日(水・祝)深夜)
【ゲスト講師】浅田彰(京都造形芸術大学大学院長)、小沼純一(早稲田大学教授)
【管弦楽】広島交響楽団
【指揮】松浦修
【講師・演奏】坂本龍一
【語り】小林恵子アナウンサー
●『スコラ 坂本龍一 音楽の学校 〜特別講座 市民とオーケストラ〜』
Eテレ 3月16日(土)後4:00〜4:59
【出演】坂本龍一、小沼純一
【管弦楽】広島交響楽団
【指揮】松浦修
http://www.nhk.or.jp/schola/index.html
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プルードンは各人が会計能力を持つべきと言った。
アソシエーションは官僚制の外に出なければならない。

返信削除映画における演劇へのアプローチは近年増えている。特に『急に具合が悪くなる(soudain)』ラストでは身体的接触による観客間のアソシエーションが描かれる。『ハムネット』ラストも観客間の接触が強調されるがこれは劇場を一つの生命体に見立てていると考えた方がいいかも知れない。
演劇への参照は映画がある種の成熟を迎えた証しも知れない。
soudainはホワイトボードのシーンとラストの演劇が、ツリーとセミラティスを象徴する。ホワイトボードシーンの説明以上にツリーとセミラティスの問題設定が柄谷行人の影響を示唆する。前作までの蓮實重彦からの影響を払拭している感もある。
この映画は最大限評価されるべきだが、結局冒頭ユマニゼーションを職員に説明する場面で手を抜くことが後半の見せ場を可能にしている。大島渚が酔いどれ天使に学んだことと逆だ。映画=エクリチュール派が陥る欠陥である。
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