黒牢城のデデデおおきみのネタバレレビュー・内容・結末
本当に酷かった。悲しい。これほど未練がましい長尺で、ここまで原作小説の面白さを消せるか。今回ばかりは原作を先に読んで本当に良かった。先にこの映画を見ていたら小説を読む気が失せていただろうと思う。
冒頭1時間は、謎と答えだけを順に並べられて、脚本も何もあったものではないなと思ったものの、その時点では「小説でしか読みようのない密度の物語もあろうから、ミステリ部分は薄まっても仕方ないか」と思っていた。思っていたのに、愉快味もないオリジナルな心情描写を、わけも分からぬタイミングで挟み込み、官兵衛・千代保の1番の見せ場の位置をずらし、本来の痺れるような見せ場をカットして、覆した。
全ての登場人物の格が低かった。動揺を隠せず、行き当たりばったりにしか見えず、思いつくまま誰の前でも心情を口に出す村重を、なぜあの小説を読んで同じ主人公と思えるだろうか?
この物語は、格合戦だった。
村重の格を高め、その格をもってして解けぬ難事件として謎の格を高め、さらにその格をもってその謎を解き(果ては利用する)官兵衛の格を高める。
武門の格を高め、その格をもって戦国を生きる難しさの格を高め、さらにその格をもって、民として戦乱の世を生きる苦の格を高め、苦から民を救わんと武門に報いる千代保の格を高める。
そんな構造が、小規模の戦闘から会話劇まで全てに含まれていた。
「凄い」という至極単純で分かりやすい優劣の価値観を、転じさせ続け揺るがされ続ける展開から抱く原作の面白みが、全くもって重視されていなかった。
草を刈る必要性を家臣に言わせる。映音として喜ばれるからと、「静かに忍び寄った」と詳細に書かれた元の描写を無視してガチャガチャと意味がわからないほど近くまで寄る攻め手。
村重の人物像をどう描くかは作品によって千差万別であるのは承知だが、「立場を重んじ、知略に長けている」という前提で描いている原作の文言を借りているせいで、動揺が透けたり官兵衛への頼り方が雑であったりするそのちぐはぐさが大変気持ち悪い。村重は将の器ではないと描くなら、そう描くなりの台詞の改変が必要だったろう。
土牢の広さと小綺麗さの違和感も凄い。なんだあの謎の鎖は。狭く暗く湿って虫蠢き、身動ぎにも難儀するようなその牢が官兵衛の足を不具にし頭の傷を膿ませたのに、相対しても表情の読めないその場こそが、格高く設定された村重が僅かに覗かせる動揺を浮き彫りにしたのに。そんな箱の中、格子の向こうの男に底知れぬ恐怖を得て、果ては籠絡されるから恐ろしいのに。牢番と成されたやり取りが全くもって分からないからこそ、奇襲を単身返り討ちにした村重の武力と官兵衛の底知れなさが際立つのに。「指1本触れられませぬ」と言った瞬間に触れ合うふたり。何コレ。酒を持ち込んだのも、いよいよもって万策尽きんとした村重の一献であり、それを官兵衛は籠城下の行いとして不適と嘲る、段々と力関係がさかしまになることを示すアイテムなのに、絵を持たせたいがために初手から用いたら、格が最初から低低のピュー。
驚きが強い。私は監督・脚本と同じ原作小説を読んだのだろうか?監督・脚本はなにをもってしてあの小説を面白いと考え、これを映画にしたいと思ったのか?全くわからない。
それとも格は高いままにしたつもりであるが、致命的なまでに演出からそれを受け取れなかったのだろうか?
そうは思わない。既存のレビューに「村重は将の器でなかった」と言われている。本来そうは映らないはずだ。
終盤の村重が「織田に着いていては倒れると思った。しかし少しばかり早すぎた」と言うのはまさにの立場理解であり、時流に乗り天運を祈るこの作品ならではのシーンなのだが、この映画内での描写では、ただの負け惜しみにしか聞こえなかっただろう。
使う言葉ひとつとっても、「命」とするか「武門」とするかで格は変わる。
「命を重んじる」という存在に矮小化された村重にも、「引けども御仏は救い給う」とのたまいつつ錯乱する千代保にも、とてもがっかりした。
村重が城を出るに至るまで、もっと言えば、城を出ざるを得ない心情となった、その心理描写と緻密な状況設定こそが膝を打つ名作であったのに、そこを全く通らず、城を出てからの戦闘と離脱にその分数を割く価値があったろうか?
格の高い村重が、確かに正しく選択したはずの村重が、それでもなお官兵衛の策にかかりうらぶれた、客体視すれば遁走した形になった、それでも、信があるのか無いのか100の確信は持てぬ家臣と、それでも我が武門の生きる道を信じたのだと、己が武運を信じているのだと落城へ進む、そういう悲哀のシーンなのであって、格の低さを2時間見せつけられたのちの遁走では、行き当たりばったりでさもありなん、となってしまう。
この作品のラストは、松寿丸との再会で正気らしきものを取り戻す(読者もまた、そこで初めて冷徹ではなく狂気であったのだと気付かされる)官兵衛の悔恨と、それもまた善悪分からず、禍福の絡みつきに惑う、そんな読後感であったはずだ。
なぜあのうらぶれ村重の背中を物語の締めとされねばならないのか……
びっくりした。
自分は改作したものへのアレルギーはないし、原作の再現こそが至高という主張をしたい訳では無い。ただひたすら今回の映画は面白くなく、その所以は既成の物語を無理に規定尺に押し込め、出てくるものだからで全員登場させた人物の心理描写も浅く、淡々と進めてみせたことにあると思っていて、それは原作付だったこと以上に、原作の勘所の抽出が下手すぎたことが原因だと思っていて、ならば本当に、この作品を映画化した意味はなんなのか?と思った、ということでしかない。
本当に、開始早々の村重で興醒めだった。
戦国×ミステリーというキャッチーさ、受賞歴が本映画のプロデューサーにこの本を選ばせたというなら、大変同情する。
頼むから、この映画が「本格ミステリ」「本格歴史ドラマ」として海外で紹介されないことを切に願う。
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