2024年3月2日土曜日

イディッシュ語映画を見る――マイケル・ワジンスキ『ディブック』 - 明るい部屋:映画についての覚書

イディッシュ語映画を見る――マイケル・ワジンスキ『ディブック』 - 明るい部屋:映画についての覚書

イディッシュ語映画を見る――マイケル・ワジンスキ『ディブック』

マイケル・ワジンスキ『ディブック』(The Dybbuk, Der Dibuk, 1938) ★★★


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ロシアの作家S・アンスキが書いた同名の戯曲を、ポーランドの監督のマイケル・ワジンスキ(という読み方でいいのか? Michal Waszynski)が映画化した幻想的作品。 ジョゼフ・グリーンの『ヴァイオリンを持った少年』(Yidl mitn Fidl, 1936) 、エドガー・G・ウルマーの『緑の草原』と並んで、アメリカで(そして、おそらくは世界で)最もヒットしたイディッシュ語映画といわれる。

"Dibuk" とは、「死人の霊」を意味するイディッシュ語である。アンスキは最初ロシア語で原作の戯曲を書き、おそらくはスタニスラフスキーのアドヴァイスを受けてそれをイディッシュ語に翻訳した。1920年に初演されたこの戯曲はその後何度も上演されつづけ、例えば、シドニー・ルメットも60年代にこの戯曲をテレビ用に演出している。

監督のマイケル・ワジンスキは、ポーランドで最初のトーキー映画を撮った監督として知られる。主にワルシャワのスタジオ内で撮影され、ロケは『ヴァイオリンを持った少年』などと同じ村が使われた。




正直、一本の映画作品としてはそこまで面白くはない。この名高い作品が、世界中に散らばったプリントを長い時間をかけてかき集め、キレイな状態で修復され、オリジナルの125分にあと約10分と迫る長さにまで上映時間を回復されたのは嬉しい限りだが、2時間近いその長さがこの作品をいささか退屈なものにしていることも確かである。しかし、この映画が、歴史・民俗学的に、いまも比類のないドキュメントであり続けていることは誰にも否定できないだろう。ここには、ナチによって絶滅させられる直前の東ヨーロッパのイディッシュの文化が刻みつけられているのである。


ロングショットで撮られた田舎の一本道に、ふわっと一人の男が現れ、歩くうちにまたふわっと消えてゆくシーンから映画は始まる。近くのユダヤの村(シュトテル)で、親友同士の二人の男が、間もなく生まれる自分たちの子供がもしも男の子と女の子だったなら、ふたりを結婚させる誓いを神に立て、ラビにそのことを伝えようとしていた。冒頭に道を歩いていた謎の男(幽霊=メッセンジャー?)が突然そこに現れ、なぜかふたりがその誓いを立てるのを邪魔しようとする。しかし彼らは、まだ生まれぬ互いの子どもたちを結婚させる誓いを立ててしまう。やがてふたりに子供が生まれるが、一方の男の妻は娘(レナ)を出産したさいに命を落とし、もうひとりの男も妻が息子(ハナン)を出産する場面に駆けつける途上、船の上で命を落とす。

いつしかレナは年頃の娘に成長している。そこに、長い間放浪していたハナンが村に帰ってき、ふたりは、相手が誰かも気が付かないまま、たちまち惹かれ合う。しかし、レナを金持ちの息子と結婚させようとしている父親は、ハナンが親友の息子だとは気づかず、貧乏学生の彼をレナから引き離す。ハナンは悪魔を呼び出してまで、レナが 別の男と結婚するのを阻止しようとするが、いよいよ彼女の結婚が決まると、絶望して死んでしまう。

レナの父親は、ハナンが親友の息子だったこと、結果的に、互いの子供同士を結婚させるという親友との誓いを破ってしまったことを知るが、時すでに遅し。 レナもハナンの死に打ち沈むが、彼女と金持ちの息子との結婚式の準備は淡々と進められてゆく。しかし、結婚式の日、墓地に母親の霊を迎えに行ったレナは、ハナンの霊まで連れ帰ってしまう。婚礼の踊りで骸骨の仮面をかぶった男と踊ったレナは、それがハナンの霊であることを知ると、彼を自分の身体の中に受け入れる。

こうして、レナは死者の霊(ディブルク)に憑依されてしまう。そして、ラビによる悪魔払いの儀式も虚しく、 彼女も間もなく息絶える。


墓地、幽霊、悪魔憑き、エクソシズム……。同じ物語を完全なるホラーとして映画化することもできたろう。しかし、この映画の雰囲気はホラー映画からは程遠い。この映画の世界では、死はただ単に禍々しく恐るべきものではないという点が、この作品をホラーとは決定的に遠ざけている。ここでは、生と死、聖と俗の境界は、映画が始まった瞬間から曖昧にぼやけているのだ。クライマックスの悪魔祓いのシーンも、『エクソシスト』の善と悪が決して相容れることのなく対立し合うマニ教的世界とはまるで異質のものを感じさせる。あるいは、ユニヴァーサル・ホラーよりは、北欧のサイレント映画に近い雰囲気があるといえばいいか。


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この奇妙な世界のなかで繰り広げられるラブ・ロマンスは、その神秘的・超自然的な描写によって興味深いだけでなく、この映画が描くと同時にそのなかに置かれてもいる歴史的文脈によっても胸を打つ。物語の舞台となる村の通りの真ん中には、数百年前のポグロムユダヤ人虐殺)によって殺された恋人たちの墓石が置かれている(上写真)。そして、この映画が撮られた30年代のポーランドにおいても、ユダヤ人はあいかわらず迫害され続けていたのであり、この映画が撮られた翌年には、ナチスによるポーランド侵攻が始まることも我々は知っている。実を言うと、この映画で恋人たちを演じた役者のふたりは、実生活でも結婚していた恋人同士で、ナチがポーランドに侵攻した頃、たまたまアメリカにいて、故国に帰る船に偶然乗り遅れたために収容所送りを免れたのだった。


ユダヤ教やイディッシュの文化、あるいは当時の東アジアの政治・文化的な情勢を知らなければたぶん理解できない部分がこの映画には多々あるに違いない。しかし、純粋に映画的に見ても、興味深い点はいろいろある。とりわけ、レナの結婚式シーンにおけるドイツ表現主義的と言ってもよかろう描写には驚かされる。

われわれが見ることのできるイディッシュ映画はまだまだ数が限られている。しかし、これ一本見ただけでも、例えば、ウルマーのイディッシュ映画を単に作家主義的な観点からだけでなく、もっと広い文脈から相対化するためのヒントが数多く隠されている。とにもかくにも、非常に興味深く、また貴重な作品である。必見。


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