2024年3月30日土曜日

ついに公開された映画『オッペンハイマー』を見た感想 → これは心底、日本で公開されなければならない映画 - Yahoo! JAPAN

ついに公開された映画『オッペンハイマー』を見た感想 → これは心底、日本で公開されなければならない映画 - Yahoo! JAPAN

本作ではスクリーンに映るシーンの時系列が、主に3つあり、それなりの頻度で入れ替わる

1つは、オッペンハイマーがホームシック気味の陰キャ学生から、ロスアラモスで原爆を完成させて時の人になるまでの、過去の話。

2つ目は、いわゆる赤狩り(戦後に西側諸国で流行った、共産主義者排除のムーヴ)に巻き込まれ、聴聞会に出席させられている1954年

3つ目が、アイゼンハワーによるルイス・ストローズの商務長官指名に関連して開かれた、1959年の公聴会だ。

基本的に1つ目へは、2つ目の聴聞会からの回想のような感じでシフトし、どちらもカラーで描かれる。3つ目はモノクロだ。

そして全ての時系列を繋ぐのは原爆云々ではなく、オッペンハイマーとストローズの確執である。

https://article.yahoo.co.jp/detail/580abd820b0bf245eed3d5ecb5e7b2c800194eb8

ついに公開された映画『オッペンハイマー』を見た感想

本国ではとうに公開されたどころかDVD・BD版すらも発売済みで、日本でも普通にAmazon等でリージョンフリー版を購入可能だった映画『オッペンハイマー』。

もう日本には期待できん。BDを買おうかな……と思っていたところで、ユニバーサル・ピクチャーズ作品の配給でお馴染みの東宝東和ではなく、ビターズ・エンド社の配給で公開が決定! やっと公開日の2024年3月29日がやってきた。

さっそく見てきたのだが……全く異論の余地なく、評判通りの超傑作だ! そして、公開前に出ていた批判がびっくりするくらい的外れなものだったことが発覚。いやぁ、この映画がちゃんと公開される日本でよかった

・3つの時系列

本作は、日本でも大人気な、クリストファー・ノーラン監督による伝記映画。原子爆弾の映画ではなく、タイトル通りにロバート・オッペンハイマーの生涯を描いたものである

本作ではスクリーンに映るシーンの時系列が、主に3つあり、それなりの頻度で入れ替わる

1つは、オッペンハイマーがホームシック気味の陰キャ学生から、ロスアラモスで原爆を完成させて時の人になるまでの、過去の話。

2つ目は、いわゆる赤狩り(戦後に西側諸国で流行った、共産主義者排除のムーヴ)に巻き込まれ、聴聞会に出席させられている1954年

3つ目が、アイゼンハワーによるルイス・ストローズの商務長官指名に関連して開かれた、1959年の公聴会だ。

基本的に1つ目へは、2つ目の聴聞会からの回想のような感じでシフトし、どちらもカラーで描かれる。3つ目はモノクロだ。

そして全ての時系列を繋ぐのは原爆云々ではなく、オッペンハイマーとストローズの確執である。

オッペンハイマーの知名度は日本でも織田信長なみだと思うので、彼についてネタバレに該当する史実情報は無いとみなし、それぞれの時系列において、把握しておくと理解の助けになるであろう情報を記しておく。

・レジェンド級物理学者たち

まずは1つ目の時系列。オッペンハイマーの回想ストーリーだ。ここではレジェンド級物理学者のオンパレード。あのアインシュタインやフェルミ、ボーアなどが登場する

ハイゼンベルクなど神レベルな物理学者ぞろいで先行するナチス。それに対し、やはり神レベルな物理学者チームと、それをまとめるオッペンハイマーの巧みな管理手腕で追い上げるアメリカ。両国の緊張感ある核開発レースが描かれる。

ちなみにアインシュタインはアメリカが原爆の開発に注力することになるきっかけの1つを作ったとされるが、彼自身はマンハッタン計画に参加していない

アメリカは彼のことを天才物理学者として尊重していたが、それはそれとして、政治的に左寄りな活動家でもあったため、陸軍情報局により安全保障上のリスクを否定できない人物だとみなされていたからだ。この辺はアメリカ自然史博物館のアインシュタインに関する展示が詳しい。

この時系列で最も印象的なシーンは、言うまでもなくトリニティ実験が成功した瞬間なのだが……映画的に最も重要なのは、立ち話をするオッペンハイマーとアイシュタインを、ストローズが後ろから見ていたシーンだと感じた

ここが全ての始まりで、エンディングに繋がる重要な瞬間なのだ。些細な短いシーンかつ、映画が3時間と長いので、後半になると記憶に残ってない可能性がある。これから見る方は、そのシーンを常に意識しておくと、面白さが増すのではなかろうか。

余談だが、カリフォルニアにあるUCバークレーのキャンパスがロケ地の1つで、時計台などが写り込む。現代のキャンパスの物理棟(Oppenheimer Way沿い)には、ちょっとした展示エリアが設けられている。

また、本編でシカゴ大学の球場に設置された冶金研究所(原子炉があった)として登場する場所も、よく見たらUCバークレーのエドワーズスタジアムだった。個人的に何度か行った場所なので間違いない。聖地巡礼にどうぞ。

・聴聞会

そして2つ目の時系列。オッペンハイマーの公聴会だ。赤狩りで失脚するわけだが、理由は彼がプライベートで何かと共産主義者たちとつながりがあった点にある。

ここは演出と音響が非常に巧みで、追及を受けるオッペンハイマーのストレスが視聴者にも伝わってくる。

なお、赤狩りはあくまで表向きで、実際には当時アメリカが推し進めていた水爆開発(ソ連との核開発競争の最中)への反対運動を問題視されてのことだとされている。

・ストローズの公聴会

そしてモノクロのストローズ関連。まず、ルイス・ストローズって誰だよと。そうなる人も多いかもしれない。

彼は金持ちの元銀行家で、アメリカ原子力委員会(AEC)の創設メンバーになり、委員長も務めた人物だ。海軍将校でもある。

アイゼンハワーと仲が良かったのか重用されていたが、上院とは軋轢があった。そして1958年に、休会任命という形で商務長官に指名される。

しかし上院議員の中から、これを阻止する動きが起こる。そして作中でも描かれる、ある出来事への無視できない関与から、アメリカの科学者界隈からも強い反対運動が起こってしまう。

作中にてモノクロで描かれる1959年の公聴会へは、この流れで突入するのだ。日本人的にはちょっと置いていかれるかもしれない。

実際にストローズの退任を願っていた者は多かったが、映画ではあまり言及されなかった。アメリカではよく知られた出来事だからかもしれない。結果については、映画をご覧になって頂ければと

60年代に入ってから、アメリカ政府はオッペンハイマーへの仕打ちが誤りだったと認め、オッペンハイマーはエネルギー省からエンリコ・フェルミ賞を授与されるなどして名誉を回復する。

オッペンハイマーのフェルミ賞にサインした大統領はジョン・F・ケネディだった。授与は1963年12月2日だったが、10日ほど前に暗殺されてしまったため、後任のリンドン・ジョンソンが手渡している

そしてジョンソンは、ストローズの認否に関して、ケネディと同じ側に票を投じた1人でもある。この点も把握しておくと、面白さが少し増すかもしれない。

・公開されてよかった

ということで、少し長くなったが……まあまあ予備知識が必要な映画ではある。登場する物理学者は総じて名の売れた神ばかりだが、不安な方は公式HPのキャラクター欄の解説を読んでおいた方がいいだろう。

そして、多くの日本人が気になる点であろう、核兵器の扱いについてだ。この映画は、核兵器に対する拒絶の念をかつてないほどに感じさせる、アメリカの映画となっている。

国内では、映画が公開されるよりだいぶ前に、広島や長崎の被害が描写されないことを理由に本作を批判する声があったと認識している。

私も当初は、もし原爆そのものがメインテーマであるならば、それはそうかもなぁと。日本人としてそれなりの同意は抱いていた。

しかしいざ見てみれば、本作で現地の被害状況をあつかう必要性は、全くと言っていいほど無いのではないかと。

実のところ、映像を少し差し替えれば違和感なく広島や長崎の被害を視聴者に見せられそうなシーンはあった。オッペンハイマーが原爆の効果を映像で確認させられる場面だ。

そのシーンでスクリーンに映るのは、直視できず酷く狼狽するオッペンハイマーの顔だけだった。少し考えた後、私はそれで十分だし、むしろそれが正しいと感じた。

なぜならこれは、オッペンハイマーの映画なのだ。彼の様子こそを我々に見せるべき(史実上で彼がその時にどうだったかはともかく)で、この映画のオッペンハイマーは、現地の惨状を全く直視できなかったのだ

もしこのシーンで広島や長崎の状況が差し込まれたなら、"視聴者が見せられたのと同じくらいは、オッペンハイマーにも見る余裕があった" という解釈も可能になるのではなかろうか。

少なくとも私は"「原爆の父」が、自ら率いた仕事の成果に対し、全く見る余裕も持てないほど狼狽した"という描写の方が、強いメッセージを感じる。

もしこの映画が、前評判からの推測による非難だけで日本では公開されないという結果であったならば、私としては日本人でありながらも、日本が "盲目的に騒ぎ立てる傲慢な被害者" になってしまったと恥じていたと思う。

原爆の恐ろしさを真も説得力を持って語れるのは、今のところ投下された日本だけだろう。被害者(原爆を投下されたという点についてのみを指して)だけが持てる権能だ。しかしその権能は、なにか度が過ぎているとみなされたら消えてしまう。

国際情勢に目を向ければ具体例には困らない。いつぞやの被害を錦の旗に、どれほど代替わりしても徹底的にやりかえさんと戦乱を繰り返したり、際限なく補償を求めるようなムーヴをとるタイプのものたちだ。

そういった先例のためか、その兆候が見えた時点で、世界からの見られ方は素早く変化する。

ちなみに私は "度が過ぎた" 判定の指標として、複数の言語で揶揄するスラングが作られたり、複数の国のメディアで似たような風刺画が描かれたり、当初は好意的であった利害関係の無い層の支持を失った時点くらいを設定している。

そうなってしまったものの言葉には誰も耳を傾けない。日本が今後も唯一の原爆を投下された国として有効なメッセージを発し続けるためには、品格ある被害者でなければならないのだ。

まあ、大ヒット映画を1本くらい拒否っても、被害者としての信用損失は、ほぼゼロかもしれない。しかし私はゼロの方が好ましいと思う。そういった意味でも、この映画がちゃんと日本で公開されて良かったと感じた。

参考リンク:オッペンハイマー
執筆:江川資具
Photo:RocketNews24.
© Universal Pictures. All Rights Reserved.

▼パンフレットはインタビューなどが入っている。個人的には、当時のアメリカの政治事情や、米独日露の核兵器開発レースのタイムラインや、ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作などの関連事件についても掲載されていれば、理解の手助けになったんじゃないかと感じた。

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