2024年3月12日火曜日

一匹の猫から始まる悲劇 源氏物語の表現世界そのものを見つめる – 國學院大學

一匹の猫から始まる悲劇 源氏物語の表現世界そのものを見つめる – 國學院大學

一匹の猫から始まる悲劇 源氏物語の表現世界そのものを見つめる

源氏物語の新たな「読み」とは ―前編―

 『源氏物語』の新たな「読み」は、どのように可能なのか。シンプルだからこそ難しいテーマに取り組んでいるのが、竹内正彦・文学部日本文学科教授だ。

 2024年のNHK大河ドラマで紫式部が主人公となることを受けて、彼女の手による名作古典『源氏物語』にも、再び注目が集まっている。全54帖にわたる物語は、多くの人々に読み継がれ、その魅力が語られてきた。しかし、だからといって、『源氏物語』の物語としての豊饒さがすべて詳らかにされてきたわけではない。いまだ汲みつくせぬその面白さに、竹内教授はじっくりと向き合っている。

 『源氏物語』の、読むことによって顕(た)ち現れてくる世界を見つめたい──それが、研究者としての私の関心です。『源氏物語』は文学作品なのだからその世界に着目するのは当たり前だと思われるかもしれませんが、『源氏物語』とその研究をめぐる歴史をふまえると、意外とそうともいえないところがあるのです。まずは、そのあたりを振り返ってみましょう。

 およそ1000年前に成立した『源氏物語』ですが、いま、紫式部による自筆原本は存在していません。『源氏物語』は、多くの人びとによる写本によって伝わってきました。人が手によって写していきますから、誤りも生じますが、積極的に書きかえようとするといったことも起こります。平安時代の末期にはさまざまな『源氏物語』の写本が流通していたようです。そこで鎌倉時代の初期に、藤原定家が不審を拭えないとしながらも、『源氏物語』の本文を整えました。これが青表紙本と呼ばれるもので、現在読まれている『源氏物語』の本文の多くは、この系統にある写本を底本にしています。

 一方、『源氏物語』は多様な論点から研究が進められてきました。戦後の研究史を振り返っただけでも、作中人物論、成立論、構想論、主題論、文体論、構造論、王権論、テクスト論など、多くの論点からのアプローチがありました。ただ、そこで明らかにしようと試みられてきたことは、結局のところ、『源氏物語』はどのような物語なのかということだといえます。そして、また、それらの研究を通して、どのようなアプローチによるとしても、『源氏物語』を構築している表現そのものを出発点とするしかないということも明らかになったように思います。

 もちろん、紫式部による自筆原本が存在しない以上、『源氏物語』をどの本文で読めばよいのかという問題はつねに考えられなければなりません。けれども『源氏物語』の魅力の源泉が『源氏物語』の表現世界そのものにあるかぎり、私はやはり、その世界がどのようなものであるかということを突きつめていきたい。物語表現が、先行する物語、和歌、話型、習俗、信仰、史実等の要素をとり込みながらどのような表現世界を構築していくのか。いま目の前にある『源氏物語』を読み、そこにどのような世界が顕ち現れてくるのかをしっかりと見つめていく。それが、私の研究のスタンスなのです。

 すこし例をあげてみましょう。『源氏物語』の「若菜上」巻では、栄華を極めた光源氏が正妻として迎えた女三の宮という女性に、柏木が恋をします。そして執心を断ち切れぬ柏木が、女三の宮の住む六条院で蹴鞠が行われた際、その姿を垣間見る、という場面があります。

 高貴な女性は深窓に姿を隠している時代です。なぜ垣間見ることができたのかというと、小さな唐猫が女三の宮の御簾から飛び出してきて、その首についていた綱が御簾に引っかかってめくれ上がったからでした。貴公子たちによる蹴鞠の熱に魅かれたのか、そのとき女三の宮は御簾の近くにいた。すると大きな猫に追われた唐猫が部屋のなかから走り出てきて、柏木は女三宮の立ち姿を垣間見ることができたというわけです。

 私はこの場面を読んでいて、この唐猫が「まだよく人にもなつかぬ」と書かれていることにひっかかりを覚えました。猫に綱をつける事例は『枕草子』にも見いだせますが、では、なぜ唐猫は懐いていないとされるのか。

 「まだよく人にもなつかぬ」ということは、この唐猫は六条院に迎えられてまだ日が浅いということを示しますが、そもそもこの唐猫はどこからやってきたのでしょうか。このとき、帝や東宮も猫をたくさん飼っていたとされますが、柏木はそれらの猫と女三の宮の唐猫はまったく違うものだと言っています。つまり、帝や東宮のところにいる猫は、唐猫ではなく、日本猫なのでしょう。唐猫を追いかけていたのも、もともといた日本猫だと考えられます。とすれば、帝や東宮ではない人物が、最近、女三の宮にこの唐猫を与えたと考えなければなりません。

 女三の宮の父である朱雀院は、光源氏に女三の宮を降嫁させる際、幼い女三の宮に権威を与えるために、貴重な唐物をたくさん持たせますので、唐猫もまた朱雀院が与えたと考えるのが自然です。けれども、実は朱雀院はすでに出家しているのですね。「若紫」巻で雀の子を飼っている若紫に対して、北山の尼君は「罪得ることぞ」と注意しています。仏教の教えでは生きものを飼うのも罪を得ることだったので、出家者である朱雀院が唐猫を与えたとは考えにくい。

 このように考えていくと、唐猫を与えた人物は光源氏以外にはいない、ということになります。光源氏は女三の宮を正妻に迎えますが、女三の宮は予想に反して幼く、愛情を持てませんでした。愛情を持てないからこそ、愛情のかわりに唐猫を与えるのです。光源氏は、このとき、三月は儀式などが少なく退屈な季節だと口にしています。光源氏が蹴鞠をさせるのも女三の宮の退屈を癒すためだったと考えられますが、唐猫もまた女三の宮にこの退屈な季節を過ごさせるためのものだったのでしょう。光源氏が女三の宮に唐猫を与えたのは最近のこと。だからこそ唐猫は「まだよく人になつかぬ」とされるのでした。

 そうやって光源氏が女三の宮に与えた唐猫は懐いていないがために、御簾をあけてしまい、柏木が女三宮の姿を垣間見る。そして、恋情を募らせた柏木は女三の宮と密通をする。その結果、罪の子が生まれ、女三の宮は出家し、柏木も死に追いやられていく……。そのような悲劇の始まりには、この唐猫の存在があったということになります。しかし、その唐猫を物語世界へと招き入れたのは、光源氏自身であった、というわけなのですね。

 もちろん、こうした「読み」は、物語の表現から離れては成り立ちません。また、表現の背後にある平安時代という時代の制度や習俗や文化といったものも検討されなければなりません。私が大学院生だった1980年代ごろには、『源氏物語』研究にテクスト論という方法が導入され、注目されました。収穫もあった一方で、あまりに自在な「読み」は逆に作品を痩せさせてしまうこともあるように思いました。表現世界を生き生きとしたものとしてとらえる「読み」はどのように可能なのか。どうしたら、『源氏物語』の表現世界に迫ることができるのか。インタビュー後編で、さらに考えてみたいと思います。

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