The Crossing -ザ・クロッシング- PartⅡのnoteのネタバレレビュー・内容・結末
1947年、中国本土では、共産党が国民党を駆逐し、敗れた国民党員は上海から台湾に逃れようとしていた。この先どうなるかわからない中国を不安視した人々も、台湾行きの太平輪号に乗ろうと港に殺到する。台湾の自宅に戻ったチョウの手元に、夫の戦死を知らせる手紙が届く…。
ジョン・ウー監督の2部作大河ロマン巨編の後編。
前編は激動の戦乱の中、愛を貫く3組の男女の姿が描かれたが、後編は運命に導かれるように、登場人物たちは大型客船に乗船。
彼らを待ち受けていたのは…。
1949年に起き、1000人以上の死者を出した「中国のタイタニック」と言われる「太平輪沈没事故」。
恥ずかしながら、本作で初めて知ったのだが、後編は大河メロドラマではなく、この悲劇を題材にした中国版「タイタニック」とも言えるパニック映画となる。
2部作全体で1つの話となる訳だが、個人的には前編が良かったので、後編はどうしても「タイタニック」の真似事に見えてしまうのが残念。
だが、それでも悲劇のドラマ性があり、映画としては佳作だ。
大戦の英雄である夫のレイが中共戦争で戦死し、妻のチョウは悲嘆にくれるが、お腹の子供のために強く生きようと決心する。
一方、軍医ザークンは、日本に戻った恋人の雅子に、手紙を出し続けていたが、返事が全くこず、失意の日々を送っていた。
実は、日本人を毛嫌いしていた母が、雅子からの手紙をザークンに渡すことなく、燃やしていた。
義姉の計らいによって雅子の手紙の残骸を手に入れたザークンは雅子の愛に気づく。
雅子に会いに行きたいザークンだが、内戦が激化する中、日本には渡れない。
そんな中、上海での政治活動にのめり込む弟を連れ戻すため、上海に一時行くことになる。
帰りの船に太平輪号に乗り込むが、弟は残り、一人だけの乗船となってしまう。
同じ船には、恋人を見つけるため台湾に渡りたいユイが、何とか切符を入手して乗船。
大量の資材と、大幅に制限人数を超える乗客を乗せた太平輪号は、台湾に向けて出発する。
甲板には、負傷兵のターチンがいた。
彼は、戦場でレイから妻のチョウ宛に日記を預かっていた。
混乱の中、ユイとターチンは再び出会う。
共に写った写真「女房」とうそぶくターチンに微笑むユイ。
偽装結婚をしたが、お互いを思いやる気持ちに気づく。
前編で苦労を重ねた人物たちが(都合よく同じ船に集まり)海難事故に遭ってしまうのか…?と、やるせ無い気持ちになるが、その通りにクライマックスがやってくる。
春節に浮かれる船員たちが祝宴が催し、乗客たちも乗船できた安堵でホッとする。
ところが船は、暗闇の中、貨物船に激突、沈没し始める。
船内は大パニックとなり、次々と海に投げ出される人々。
医師であるザークンは、必死に乗客の救助に当たっていた。
前編は迫力の戦場シーンが見応えあったが、後編もこの沈没シーンが不謹慎ではあるが最大のハイライト。
原因である小型船との衝突、傾いて海に放り出される乗客たち、そしてあっという間の沈没…。
パニック映画としての醍醐味は充分だ。
でもそれ以上に描かれるのは、人々のエゴ。
元々定員も積載量もオーバーで出港しただけに、惨事は予想以上。
衝突したのに問題ナシと航行を続けようとする船長ほか乗組員たち、沈没した小型船の乗組員の事はお構いナシ…。
沈没し、海に放り出されてからの醜い人間模様はとても悲惨な光景である。
自分だけは助かろうと、浮かぶ板切れを奪い合い、大人が子どもの救命胴衣を剥ぎ取ろうとする。
これらの地獄絵図だけは本家の「タイタニック」以上と言っていい。
ザークンは暴漢に刺され、雅子のことを思いながら死を迎える。
太平輪号の沈没から助かった人は、僅か40人余り。
生き延びたターチンとユイは台湾にたどりつき、日記をチョウに渡すことができた。
チョウは男児を出産、生まれた子は、父親レイの日記を聴きながら、雅子のピアノを今日も演奏する…。
戦争によって悲劇は連鎖するが、それでも人の想いは途切れることはなく、次の世代へと繋がっていく…。
それがジョン・ウー監督の描きたかったことだろう。
もしかしたらグローバルな視点の「呉越同舟」なのかもしれない。
それが例え「タイタニック」の焼き直しと言われようとも、悲劇の先の希望を描きたかったのだと思う。
私は前編を「古風」なメロドラマと評した。
恐らく、現代の人の多くは、使い古された古臭いドラマだと思うだろう。
それでも私はこの2部作を支持する。
良いモノは良いのだ。
古いモノには普遍性と人間の核心がある。
それを知らずして、普遍性の何が語れるというのか。
2部作を通じて思うのは、監督は何とロマンチックなんだということ。
思えば、「男たちの挽歌」に代表される監督の初期傑作群は、男が漢に惚れるロマンであった。
それが本作は男女の愛に変わっただけ。
監督に二丁拳銃と銃撃戦ばかりを求めてはいけない。
本作は結婚式の思い出、尊敬できる人間の非業の死、どの登場人物がどう着地するのか分からない物語性から、2部作を通して「タイタニック」というよりはマイケル・チミノ監督の「天国の門」のような印象を受けた。
ジョン・ウー監督は昔も今もロマンチストなのだ。
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