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本棚にあったアーラシュ・K・ル=グウィン『ファンタジーと言葉』(青木由紀子訳/岩波書店刊)をぱらぱらと読み返す。ザトウクジラの歌について書いてあるところで、いつもページをめくる手が止まる。グウィンによると、ザトウクジラの群れ、ないし国は、それぞれ別の歌(彼女はこれを「国歌」と呼ぶ)を歌うのだという。
ザトウクジラは北半球の海にいる間はあまり歌わないしし、その歌が変わることもないけれど、南半球で群れを再編成する際、みな歌うようになり、さらにその歌は時期によって変化するとのこと。
変化速度は群れや時期によってまちまちだが、その共同体のメンバーは、どんなに歌の変化速度が急でも、歌の最新バージョンを学んで歌う。
なぜクジラは歌うのだろうか。
一番よく歌うのは繁殖期の雄のクジラだそうで、そうなると求愛に関係があるように考えられる。
またそれとは別に、共同体で同じ歌を歌うということは、クジラ同士の社会性や防衛本能に関係があるのかもしれない。
そのうえで、クジラの歌う理由をつらつらと考えてゆくとき、「わたしたちはなんでSNSで毎日ずっと何かを呟いているのだろうか」というようなことも浮かんでくる。
「なぜ大型のクジラが歌うのか、わたしたちにはわからない。なぜモリネズミが瓶のふたをためこむのかもわからない。でも、小さな子どもは歌を歌うのも歌ってもらうのも好きだし、きれいなぴかぴかしたものを見たり、集めたりするのも大好きだということを、わたしたちは知っている。子どもたちのこうした楽しみは、性的成熟以前のもので、求愛行動や、性的刺激や、性的結合とはまったく無関係のように思われる。
そして、歌は共同体を肯定し、強化するかもしれないが、銀の時計を盗むことは間違いなく共同体の肯定にも強化にもつながらない。美が性行動に役立つと決めつけることも、共同体の連帯に役立つと決めつけることもできないのだ。」(前掲書より引用ここまで)
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