『夢判断』-2024年-[雑誌]-NHKテキスト-ebook/dp/B0CY51Q3CX/ref=sr_1_1?crid=39S3YV2RX6OGK&dib=eyJ2IjoiMSJ9.ZqzxM-G-8Hsy2DnJuDM95lBnnNqClY6SO_ePEHQT54_C4uZQXMiz8IO2e7GsO9TP_zZcW6NMyR3iUbHMESU9h95MOqF6HALO4tangE_Ussr41Ng3llCJfRi2u0MUtNIioeI50KVj9yDoWWQT61F9Pk5Caafjh-SmxI7-5nIsdEaRQgu-9CJcqeSRxa91i978hd1VjQWLfg0EGa4lUeX30KO232QwD7s5nd_IhgLCksk.CyezPN8QOpsLNWEKQRaDFg8vHctuuEOGsLf0d8dcCtA&dib_tag=se&keywords=フロイト+夢判断&qid=1712920074&s=digital-text&sprefix=フロイト%2Cdigital-text%2C154&sr=1-1
2024年4月7日に日本でレビュー済み
心理学は20世紀の声を聞くとともに花開きました。心理学の三大巨匠と言われる中でも、とりわけ有名
で、この人がいなければ現在の発展はなかったと考えられるのが、ジークムント・フロイトです。
そのフロイトを取り上げているのが、このテキストです。臨床心理学の世界の動向に通じているわけで
はないので認識不足かもしれないですが、一般的に心理学を学んで人生に活かそうとしている人のなか
で、フロイトを深く知ろうとする人はいまでは多くないように思います。
その一つの理由としては、すべからく性欲動(リビドー)に結び付けようとすることが極論過ぎること
があります。ですが現代では受け入れがたい考え方が含まれていることを割り引いても、「無意識」と
いう概念を発見したことは、いくら評価してもし過ぎることのない偉業です。
そんなフロイトの考えを、『夢判断』を通して再発見しようと試みているのが、このテキストです。
■ 無意識
このテキストでは無意識を次のように定義しています。
無意識:人間の意識の及ばないところで活動状態にある「知」
それを、「もう一つの理性」や「もう一つの知」としても位置付けています。
テキストの解説を読んでなるほどと思ったのは、"意識で捉えられる自分は、自分自身の中心ではない"
という認識、つまり「人間の脱中心化」を明記していることでした。
この十年余りで広く理解されるようになっている私たち人間の特徴として、バイアス(偏見)や、その
ことに気づいてすらいないアンコンシャス・バイアスを持つことであったり、思っているほど"合理的"
に物事を判断していないことであったりという、「意識」の範ちゅうに留まる限り、人間理解について
整合性が取れないことが明らかになってきています。
また、私たちは自分の人生に対してこれまでにない"自由"を手に入れています。それは良いことである
反面、私たち一人ひとりが"自分とは何者か"という問いに向き合うことを強いています。そのすべての
解決策になるわけではありませんが、無意識に目を向けて活性化させることが、自分という全体像を
豊かに知ることにつながります。"氷山モデル"に喩えると、意識は海面上に現れている氷山の一角で、
無意識は海面下に大きく広がっている真の自分を形成している大部分です。その接点が「夢」です。
■ 夢
フロイトは、"夢は「抑圧された」願望の「偽装された」充足だ" と記しています。夜中にトイレに
行きたくなっていると、トイレを我慢している夢を見るのを、多くの人が経験から知っています。
この源泉となる欲望を「自己保存欲動」と「性欲動」でフロイトは説明し切ろうとしていますが、
私たちの夢や欲動の一面しか説明できていないことから、今ではその多くが否定されています。
とはいえ、テキストが夢の特性として「表現可能性の顧慮」(抽象的な概念を思い切ってビジュアル
化すること)に焦点を当てている点が白眉です。夢の中のストーリーが現実ではありえない、矛盾し
ているものにも関わらず、それはそれで完結しているように腑に落ちるのは、潜在思考が顕在内容へ
と翻訳される際に"いくぶんの誤訳"があったとしても、深い自身の思考と邂逅できたことへの充足感
から来るのかもしれません。
■ エディプス・コンプレックス
フロイトの評価を下げている要因は、エディプス・コンプレックスへの執着が強すぎる点です。
現代だから蘇った解釈の仕方として、「両性性(バイセクシャリティ)」というテーゼを、フロイトは
一貫して主張していたというのは驚きでした。ここでいう両性性とは、単に性的嗜好に留まるのでは
なく、"無意識においては、反対の性の傾向を併せ持っている" ことを言っています。
ビジネスの世界を取り上げるなら、これまでのリーダーの在り方は、マッチョな"男性性"に代表される
ものでした。それが他者への共感や寛容といった"女性性"が重要視されてきています。性別に関わらず
、反対の性の傾向を併せ持つか、深く理解できる人がリーダーとしてふさわしい時代が到来しています。
ここまでは無意識のプラス面を見てきましたが、テキストでは無意識と向き合うことの"おぞましさ"
にも言及しています。
無意識の中に自分の本当の姿を見出したいと願う人にとって、内なるエディプス・コンプレックス
と向き合うプロセスは避けられない。それは極めておぞましい何かだと肝に銘じないといけない
■ 無意識の彼岸
フロイトは無意識の世界を「冥界」と呼び、それを知り尽くそうとしました。夢をその手掛かりと
した彼はまさに「夜の思考者」です。
後期になると、彼は「死の欲動論」という、自死、他者への攻撃性、アルコールや薬物への依存など、
無意識がこのような自己破壊的な欲動を内包することを唱えました。
これは「性欲動」かそれ以上に理解しがたい理論かもしれません。ただこれまでの文脈で捉えるなら、
人間の無意識の世界とは、善悪も、プラス・マイナスも清濁併せ呑む "おぞましい" ものなのかも
しれません。
別の見方をすると、夢を見るために "眠る" という行為は、限定された「死」とも考えられます。
であれば、夢を深部まで探求していったフロイトが、「死」と「夢」を同期させたとしても不思議では
ありません。
自分とは何者かを知ることは、自分の世界を広げる良いことづくめの旅ではなく、自分の嫌な、ドロ
ドロとした側面を知ることでもあります。
どこまで突き詰めるのかは各人の裁量ですが、「自分探し」が不可欠なのであれば、自分のありのまま
の姿を受け止めたうえで、豊かな生き方を探求する者になりたいという決意を促すテキストでした。
で、この人がいなければ現在の発展はなかったと考えられるのが、ジークムント・フロイトです。
そのフロイトを取り上げているのが、このテキストです。臨床心理学の世界の動向に通じているわけで
はないので認識不足かもしれないですが、一般的に心理学を学んで人生に活かそうとしている人のなか
で、フロイトを深く知ろうとする人はいまでは多くないように思います。
その一つの理由としては、すべからく性欲動(リビドー)に結び付けようとすることが極論過ぎること
があります。ですが現代では受け入れがたい考え方が含まれていることを割り引いても、「無意識」と
いう概念を発見したことは、いくら評価してもし過ぎることのない偉業です。
そんなフロイトの考えを、『夢判断』を通して再発見しようと試みているのが、このテキストです。
■ 無意識
このテキストでは無意識を次のように定義しています。
無意識:人間の意識の及ばないところで活動状態にある「知」
それを、「もう一つの理性」や「もう一つの知」としても位置付けています。
テキストの解説を読んでなるほどと思ったのは、"意識で捉えられる自分は、自分自身の中心ではない"
という認識、つまり「人間の脱中心化」を明記していることでした。
この十年余りで広く理解されるようになっている私たち人間の特徴として、バイアス(偏見)や、その
ことに気づいてすらいないアンコンシャス・バイアスを持つことであったり、思っているほど"合理的"
に物事を判断していないことであったりという、「意識」の範ちゅうに留まる限り、人間理解について
整合性が取れないことが明らかになってきています。
また、私たちは自分の人生に対してこれまでにない"自由"を手に入れています。それは良いことである
反面、私たち一人ひとりが"自分とは何者か"という問いに向き合うことを強いています。そのすべての
解決策になるわけではありませんが、無意識に目を向けて活性化させることが、自分という全体像を
豊かに知ることにつながります。"氷山モデル"に喩えると、意識は海面上に現れている氷山の一角で、
無意識は海面下に大きく広がっている真の自分を形成している大部分です。その接点が「夢」です。
■ 夢
フロイトは、"夢は「抑圧された」願望の「偽装された」充足だ" と記しています。夜中にトイレに
行きたくなっていると、トイレを我慢している夢を見るのを、多くの人が経験から知っています。
この源泉となる欲望を「自己保存欲動」と「性欲動」でフロイトは説明し切ろうとしていますが、
私たちの夢や欲動の一面しか説明できていないことから、今ではその多くが否定されています。
とはいえ、テキストが夢の特性として「表現可能性の顧慮」(抽象的な概念を思い切ってビジュアル
化すること)に焦点を当てている点が白眉です。夢の中のストーリーが現実ではありえない、矛盾し
ているものにも関わらず、それはそれで完結しているように腑に落ちるのは、潜在思考が顕在内容へ
と翻訳される際に"いくぶんの誤訳"があったとしても、深い自身の思考と邂逅できたことへの充足感
から来るのかもしれません。
■ エディプス・コンプレックス
フロイトの評価を下げている要因は、エディプス・コンプレックスへの執着が強すぎる点です。
現代だから蘇った解釈の仕方として、「両性性(バイセクシャリティ)」というテーゼを、フロイトは
一貫して主張していたというのは驚きでした。ここでいう両性性とは、単に性的嗜好に留まるのでは
なく、"無意識においては、反対の性の傾向を併せ持っている" ことを言っています。
ビジネスの世界を取り上げるなら、これまでのリーダーの在り方は、マッチョな"男性性"に代表される
ものでした。それが他者への共感や寛容といった"女性性"が重要視されてきています。性別に関わらず
、反対の性の傾向を併せ持つか、深く理解できる人がリーダーとしてふさわしい時代が到来しています。
ここまでは無意識のプラス面を見てきましたが、テキストでは無意識と向き合うことの"おぞましさ"
にも言及しています。
無意識の中に自分の本当の姿を見出したいと願う人にとって、内なるエディプス・コンプレックス
と向き合うプロセスは避けられない。それは極めておぞましい何かだと肝に銘じないといけない
■ 無意識の彼岸
フロイトは無意識の世界を「冥界」と呼び、それを知り尽くそうとしました。夢をその手掛かりと
した彼はまさに「夜の思考者」です。
後期になると、彼は「死の欲動論」という、自死、他者への攻撃性、アルコールや薬物への依存など、
無意識がこのような自己破壊的な欲動を内包することを唱えました。
これは「性欲動」かそれ以上に理解しがたい理論かもしれません。ただこれまでの文脈で捉えるなら、
人間の無意識の世界とは、善悪も、プラス・マイナスも清濁併せ呑む "おぞましい" ものなのかも
しれません。
別の見方をすると、夢を見るために "眠る" という行為は、限定された「死」とも考えられます。
であれば、夢を深部まで探求していったフロイトが、「死」と「夢」を同期させたとしても不思議では
ありません。
自分とは何者かを知ることは、自分の世界を広げる良いことづくめの旅ではなく、自分の嫌な、ドロ
ドロとした側面を知ることでもあります。
どこまで突き詰めるのかは各人の裁量ですが、「自分探し」が不可欠なのであれば、自分のありのまま
の姿を受け止めたうえで、豊かな生き方を探求する者になりたいという決意を促すテキストでした。
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