2024年4月22日月曜日

Lotta Maija – kukkameri Magazine ①

Lotta Maija – kukkameri Magazine

Lotta Maija

ロッタ・マイヤ

テキスタイルデザイナー、イラストレーター

第4回<前編>

テキスタイルデザイナーを夢見た少女が

マリメッコデビューを果たすまで

2024年最初のインタビューは、テキスタイルデザイナー、そしてイラストレーターとしても活躍するロッタ・マイヤさん。2020年に発売された、マリメッコの花柄のプリント「Apilainen(アピライネン)」や「Kasvio(カスヴィオ)」などで注目が高まり、イギリスやアメリカ、カナダのブランドともコラボレーションをしています。2023年9月から2024年1月まで、交換留学生として東京で暮らしていた彼女に話をお聞きしました。

左/マリメッコのテキスタイルデザイン「Tähtiniitty ターッティニットゥ(星の牧草地)」。
右/イラストレーション作品「Twinning」。

――テキスタイルデザイナーとして早くから活躍されていますね。そもそもテキスタイルデザイナーになろうと思ったきっかけはなんでしょうか。

L  それはきっと祖母の影響です。私は子どもの頃、よく祖父母と一緒に過ごしました。特に祖母は絵を描くことやクラフトが好きでした。祖父母の家やサマーハウスを訪ねるといつも、祖母はたくさんの紙や鉛筆などが入った箱を持ってきて「さあ、今日は何をする?」と声をかけてくれて、一緒に絵を描いたり、工作をしたり、押し花をしたりして過ごしました。

祖母はアーティストではありませんでしたが、
陶磁器に絵を描いたり、壁掛け時計を作ったりしていました。
私は、祖母とのつながりを感じるのです。

L  一緒に遊ぶだけではなく、彼女は具体的なアドバイスもくれました。私の子どもの頃の夢は、アーティストまたはカラフルなフルーツが並ぶ果物屋さんだったのですが、あるとき、祖母が「ロッタ、あなたは美術大学に行ったらどうかしら?」と言ったのです。当時はまだ小さくて、美術大学がどういうところなのかわかっていなかったのですが、小学生の頃から、私の心の中では「いつか美術大学に行ってみたい!」という気持ちが育っていきました。そして、フィンランドでは9年生(15歳)で後期中等教育を受け始めるのですが、私はヘルシンキの美術学校でスクリーンプリンティングのコースをとり、初めてテキスタイルデザインを学びました。今度はそこで出会った先生が大学でテキスタイルデザインを学ぶよう勧めてくださったのです。

――子どもの頃、他に好きなことはありましたか。

L  スポーツも大好きで、フィギュアスケートやシンクロナイズドスケーティングは特に夢中になりました。父がアイスホッケーの選手だったので、その影響で小さい頃からスケートをやっていました。父はよく「ロッタは歩くよりも前にすべっていた」なんて言うんです(笑)。12歳のときに、フィギュアスケートからサッカーに転向し、没頭しました。私にはアートとスポーツの両方とも欠かせなくて、バランスよく楽しんでいます。

――そうして大学でテキスタイルを専攻し、その後、どのようにしてマリメッコで仕事をする機会を得たのでしょうか。

L それはもう本当にラッキーでした。2017年4月から9月まで、日本でインターンシップを経験し、帰国後の2017年12月にアアルト大学を卒業しました。ちょうどそのときマリメッコが、テキスタイルデザイナーに向けて新たな仕事のチャンスを設けていました。そこに応募をした際には、仕事を得ることはできなかったのですが、それから6ヶ月後に、マリメッコのアートディレクターから連絡がきて、「私たちとコラボレーションしませんか?」と。応募した際にポートフォリオを持っていったのですが、その中にある、私が日本で手がけたデザインに興味を持ってくれたのです。

連絡をもらったときは、これは夢なんじゃないかと思いました。マリメッコと仕事をするのは、すべてのテキスタイルデザイナーの夢ですし、ましてや当時、私は大学を卒業したばかり。マリメッコはまだまだ遠い存在でした。すぐに叶う夢だとは思わなかったのです。

振り返ると、2018年はとても忙しかったです。企画コンサルタントエージェンシーに所属し、グラフィックデザイナーとして働きましたし、もっとクリエイティブな仕事をしてみたいと思っていたところ、フリーランスとしての仕事もたくさん舞い込んできて。マリメッコの仕事が始まる前にも、いろいろな仕事を経験しましたね。

――マリメッコの仕事はどのように進めていったのでしょうか。

L  2018年の初夏にオフィスを訪ねて、私が何に興味があるのか、彼らが何を望んでいるのか話しました。その際、ディレクターが、私に花を描いてほしいと言ったのです。それを聞いた瞬間、私は天にも昇るような気持ちでした。ちょうど夏の1ヶ月、サマーハウスに滞在する予定だったので、そこで毎日花のスケッチをして、色を塗って、というのを繰り返しました。1ヶ月後に自宅に戻ってスケッチを広げたら、床一面がたくさんの花で埋め尽くされました。

「Apilainen アピライネン(小さなクローバー)」のためのスケッチ。

L  さすがにミーティングにすべての絵を持っていくことはしませんでしたが、用意したスケッチをもとに、2020年のマリメッコのスプリングコレクションのための3つのフラワープリント「Apilainen アピライネン」「Tähtiniitty ターッティニットゥ」「Tuulahdus トゥーラフドゥス」が生まれたのです。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 2-lottamaija-marimekko-tuulahdus2-3-683x1024.jpg
左/「Apilainen アピライネン(小さなクローバー)」 右/「Tuulahdus トゥーラフドゥス(そよ風)」

――ロッタさんにとってサマーハウスというのは特別な場所なのでしょうか。

L  そのとき滞在したサマーハウスは、家族のものではないのですが、私にとって、日常以外の場所に行くというのは、アイディアを得る上で欠かせません。例えば、毎年夏には実家に帰ります。そこには母が手がけた美しい庭があって、私は庭に座って花を眺めながら、絵を描くのが好きです。

また、夏の過ごし方でいうと、ボートで旅に出るのも好きです。というのも、私のボーイフレンドは友人たちと小さなセーリングボートを持っていて、そのボートにはキッチンも付いていて寝泊まりすることができるのです。なので、ここ数年は、ボートで群島を旅するのにはまっています。昨年の夏は、2週間半、ボートセーリングに出ました。その前の年は3週間、スウェーデンまでボートで旅に出たんですよ。

私は、絵を描くために、
美しい景色のある場所を
求めているのだと思います。

――ロッタさんが描く花のモチーフは、とても愛らしくて、カラフルでポップ。それと同時に、穏やかで、どこか大人っぽく洗練された印象もあります。そもそもロッタさんにとって、花とはどんな存在なのでしょうか。

L  それはとても難しい質問です。というのも、それは私自身、ずっと考えていることなのです。

左/ナチュラルテイストの部屋に映える、ロッタさんのカラフルな作品。
右/ノートの隅々まで、自由にのびのびと描かれたスケッチ。

私にとって花とはいつもそこにあり、
何年もモチーフとして描いてきたもの。
それでいて 「なぜ花なのか」と聞かれると、
うまく答えられません。

L  日本で暮らしている間に気づいたことがあります。花はとても美しくデリケートでありながら、それと同時にとても強いということ。フィンランドでは、夏が短く冬が長いため、花の成長はとってもゆっくりです。冬の間、土は雪や氷に覆われるので、植物は土の中で眠っています。一方、日本では1月でも花が咲きます。今回の日本滞在中に、白や黄色の水仙の花を見ました。フィンランドでは水仙は4月に咲くものなので、それが1月に咲くなんて、とても興味深いです。

ロッタさんが「街の小さな庭」と呼ぶ、プランターの花。
フィンランドでは小さなプランターで育てた花を、街で目にすることはあまりないそう。
東京に滞在中は、プランターに咲く色とりどりの花を見つけては、写真を撮るのが楽しかったという。

記事は<中編><後編>に続きます。<中編>はこちらから >>

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